半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

普通に過ごす

2020年12月31日 | 素敵な空間・イベント

大晦日。

年賀状も昨日やりきり、お掃除もほぼ終わり、朝方、早起きして1年の事を振り返って来年に向けて考えるために久々の朝マック。

最後という事もあるというか、何というか、まあ、いつもはカフェオレだけなのですが、数年ぶりにフィレオフィッシュのセットを頼んでしましました

実は一昨日も子供と釣りのエサを買う前に立ち寄り、2人でお勉強していたのですが、来年の構想を話していたら「なんで聞くの?好きにしたらいいじゃん」と言われ、「そうだな~」と思ったのもマックでした

まあ、そんなこんなで、お世話にはなっております。

そして、「あな健」を読み、色々ノートに書きましたが、まあお腹がいっぱいだと思考が回らないものですね

今年は1年、「何も考えずにただ過ごす」、という方針で来ましたが、10月ぐらいから来年以降の事も考え始めました。

46歳というとおじさんとしてはギリギリで、50歳になると社会的にも老体に近いわけです。

子供達と塾をするにしても、早いほうにこしたこととはない。

自分の内面を熟するために、また時を待っていましたが、そろそろ、そういった段階だな、と思うわけです。

そんなこんなで来年は下の子も中学生。このタイミングで自分でやりたいと思うこと、すべきと思っていたこと、あまり考えずに普通に過ごしながらやっていきたいと思います。

フィレオフィッシュ、何年ぶりかわからないけですが、美味かった

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海さん、1年、有り難う!

2020年12月30日 | 素敵な家族・子供との時間

コロナをきっかけに、お友達家族にお声がけ頂き、始めた釣り。

今年最後の釣りもお誘いを受け、締めということで銚子へ。

ただ、天気予報が雨で、しかも「あまり釣れないという前提で」ということだったので、のんびり向かいました

ただ、天気予報通り雨がザーザーで、到着前から「大丈夫かな~?」という感じ

到着してもザーザーで、その中でエサを付けている時点でテンションが上がりませんでした

ただ、しばらくしたらお友達家族が登場して、息子のテンションは少し持ち直し。

すると、そちらのご家族に先にサビキでカタクチイワシのヒットが

息子もサビキに変えたけどひっとせず、私が大きなハゼを1匹ゲット。

そして、しばらくしたら雨が上がってなんと虹が出ました

ちょっとテンションも戻ってきて「頑張ろうか」という気持ちも戻ってきたのですが、12時頃から天気が一気に急変し、これから雪が降るんではないか?と思うような寒風が吹き荒れ凍え死にそうに

波も荒れ、時に波が防波堤に打ち付け水しぶきが飛び散るほどになりました。

寒すぎるので、カップラーメンのラ王を食べて、しばらく社内で休憩して暖を取りました。

そして「そろそろ撤収するか?」という雰囲気になりかけた時、強風で当たりが来ているかさえわからないような釣り竿を引っ張ってみたら、2匹目の大きなハゼが

今日、1匹も当たりが無かった子供を車から呼び寄せ、釣り上げるところだけ体験させてあげました。

結局、今日は大きなハゼ2匹だけが釣果でした。

2匹のハゼちゃんはこのようになりました。美味しかった

しかし、その後、お友達家族が商業施設のウォッセに行くということだったので、ついて行ったら、なんと、年末のアメ横のように大賑わいで駐車場も満車状態でびっくり

この辺の人はアメ横ではなく、こういったところで年末商品を買い込む習慣があるのかもしれませんね~。

あまりパッとしたものが私的には無かったのですが、唯一、1kg超えのビンチョウマグロの切り身が売っていて、1600円が1300円と割引きしており、見た目でもお安かったのでお買い求め

これが今日の一番の成果でした

それにしても今年から始めた釣りですが、何回か行けて楽しむ事が出来ました

前も書きましたが、農作物などと違って、野山のアケビなどのように誰がいつ釣りをしても問題無い、という事は本当に凄いな~と思います。

海に境界線は無く、誰のものでもない、というのは、本当は陸地も昔はそうだったわけですよね。

そういう意味で最後の自然、つまりありのままの状態で誰もがその恵みをルールを守れば分け与えてもらえる。

有り難いな~と思います。

来年はどれだけ行けるかわかりませんが、お友達家族が誘ってくれる限り、うちの息子が行きたいと思う限りは私も行きたいと思います

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鬼滅の双六♪

2020年12月27日 | 素敵な家族・子供との時間

先週、テレビで「鬼滅の刃 柱合会議・蝶屋敷編」が放映されたのですが、最後の「こそこそ話」の背景に「双六」が宇映し出されていたのです。

うちの子は「あ~、あれ欲しいな~」と言っていましたし、おそらく全国のファンが「あれ欲しいな~」と思ったでしょう。

で、多分、市販されるんじゃないのかな~、と思っていたら。

なんと、普通に無償ダウンロードで提供されているのを発見しました

まあ、家のプリンターだとA4でしか印刷できないのですが、マット紙があったので、駒とかサイコロも組み立てられて、良かったです

まだの人は、公式サイトでダウンロード出来ますよ

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真冬の畑さん、野菜さん

2020年12月25日 | 農的体験・生活

年末、何かと忙しいですね~。

年の瀬、とは良くいったもので、最後の追い込みという感じなのかよくわかりませんが、気がせわしくなります

ただ、ドタバタ仕事はようやく一息つき、久々に畑に行きました。

その目的は畑の様子を見るということもそうですが、野菜の収穫のためです。

久々の畑では、「日本ホウレン草・やまと」が大きく育っていました

しかも、最近はとても寒くて大霜も何回か降りたので、これは間違いなく糖度が上がっている状態です

そして肉厚で美味しそう~

この「日本ホウレン草・やまと」ですが、子供の名前が「やまと」なので、この種を見つけてからもう何年も作っています。

日本ホウレン草とうたわれいますが、在来種ではなく交配種で、何年も前に育て始めた頃はギザギザ種で和種っぽかったのですが、「蒔きやすいように」と品種改良されて、今は丸種になっています。

ただ、市販のホウレン草と違って、茎が長く葉がギザギザして少なめなのですが、肉厚で甘くて美味しいのです

特に赤く太い茎が果物レベルで甘い

今時の子供は、「ホウレン草の茎が赤い」なんていう事は知らないでしょうが、私が子供の頃は、まだホウレン草の茎は赤かったのは、品種改良がそれほどされていなかったのかもしれませんね~。

もちろん、食べたらとっても美味しく、子供達も『美味い』と煉獄さんばりの大きな声で叫びながら食べてくれました。

特に赤い茎はフルーツ並の甘さなんですよ~

ホウレン草はこんな感じで路地で作って霜に当たると、凍らないよう糖度を上げて美味しくなるのですが、他の野菜はそうはいきません。

今夏、頑張って水を撒いて育てた黒田五寸人参。

「人参の王様」と農家さんが言う昔ながらの美味しい人参です

人参は葉っぱがまだ青々していて天ぷらにして食べれるほどでしたが、霜が来てからはこんな感じです。

もう葉っぱは駄目で、過食分のいわゆる人参部分は土の中でほぼ冬眠状態に入ります。

まあ、土の中なので問題無いのですが、地方に少し出ているところに土をかけて、寒さで傷まないようにしてあげます。

そして一番、寒さに弱いのが春菊。

大霜が何回も来たので、あっという間にこんなになってしまいました

でも、今年は寒くなるのが遅かったので、12月2週目まで収穫し続ける事ができて重宝しました

大霜が12月頭になっても来ない年なんて、初めてで農家さん達と「こんなの初めてだよな~」と言っていたのですけどね。

こちらはスナップエンドウ。

ちょっと昔の品種なので霜に弱いのです

多分、1~2割は春まで持たずにやられてしまうでしょう。。。

スナップ753が本当は良かったのですが、種が手に入らなかったのです。

農家さんは大体スナップ753を使っています。

グリーンピースとの掛け合わせ品種で寒さに強いんですよ。

そういったものを使わないと、この地域は冬は寒すぎてなかなか難しい地域でもあるのです。

こちらはニラです。

ニラは葉っぱが枯れても根っこが残っているから大丈夫

また、春からお世話になりま~す

その他、大根も引っこ抜きましたが、これまた寒さでやられてしまうので、そろそろ終わりですね。

畑さん、今年も沢山の収穫物を有り難う

寒さの中、頑張って育ってくれる野菜も有り難う

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今年の所感

2020年12月18日 | 自分の時間

今年は大変なコロナ一色の年でしたね。

私は2009年に東京のビジネスマン生活を終え、農村を仕事場に変えたのですが、この10年、毎年、干ばつや長雨が続き、農家さん達からは「こんな年は初めてだ」という嘆きを聞いてきました。

第一産業に関わっていないと、春の干ばつ、夏の干ばつ、秋の長雨など「こんなこと、過去には無かった」という事を、心から思うことはなかなか無いと思います。

1990年代から世界各国で大干ばつ、大豪雨、ハリケーンなどが起きていましたが、遠い国の事でした。

しかし、日本でも何十年も農業をやってきた農家さんからすれば、既に10年以上前から「こんな年は俺の人生で無かった」という年が毎年続いていたわけです。

ところが、3年ぐらい前から、西日本を中心に大豪雨災害が頻発し、関東では昨年の超大型台風でついに都市部の方々にも「未曾有の大災害が起きるほど、地球環境がおかしくなってきたんだな」という共通認識が広がったと思います。

そして今度はウイルスの脅威が広がりました。

都市部は自然界からしたら異常な密集状態であり健康を保つ環境としてはリスクが高いという認識が広がり、今まで以上に農村部への移住が増えた年でもありました。

私も東京で10年以上暮らしていたわけですが、その時であったら「そんなこと言われても仕方ないでしょう」と言うしかなかったと思います。

小さな話では、食品関係の仕事をするようになって「あ~、まともな食べ物は市販品の中にはほぼ無いんだ」と知った時、「でもそんなこと言ったら食う物が無くなっちゃうな」ということで、スルーしていたわけです。

生活の軸というのは、周りの環境次第ですから、やはり都市部と農村は生活の軸が違うわけで、食べ物は作る物では無く買う物でしたからね。

ところが、農村を軸足に置いた生活をすると「やっぱり異常だったんだな~」と言うことが思えるようになりました。

みんなわかっているけど、目の前に危険がつきつけられないと、そう簡単には心、仕事、住処を動かすことは普通は出来ないと思います。

ただ、今回のコロナは今まで以上に命の危険をつきつけられたようなもので、私の知り合いも田舎に移住しましたが、世の中的にも今まで以上に地方への移住者が加速した年となりました。

そして表面化した今までの社会問題に向き合おうとする若者が今まで以上に増えてきていているな~、というのも実感する年でした。

例えば、私の師匠の髙柳さんはファームステイを受け入れてのですが、今年の春に高校を卒業後、あえて大学に行かずに半年ほど住んで今後の進路を思索していた18歳の女の子がいました。

話を聞くと「農業が環境問題や社会問題を解決する何かになると思って」ということで、農家さんの所をいろいろ回ったそうです。

ただ、「100%有機という農家のステイ先は思ったより無いんです」とのことで、髙柳さんのところに半年ほど住み込みしながら農に触れていたわけです。

そして、結論としては来年、「農村ツーリズムを学びにイギリスの大学に行く事を決めた」そうです。

凄いですね~。私の若い頃とは大違い

また、大人向けの「食と命の教室」に昨年に続き今年も女子大生が学びに来ました。

学生は学割で半額にしているとはいえ、自腹で参加する自体、凄いな~、と思いますが、「社会福祉学部でコミュニティーの活性化を学んでいます」とか「SDG’s達成に関わる仕事をしたいです」と今時の学生は普通に言えるのです。

 

私の学生時代はまだ受験→就職、が当たり前のレールだった時代でした。

就職は超氷河期の始まりでしたが、それにしても大学に行ったら思いっきりサークルに打ち込んでいた青春時代で、社会問題をどうしようか、など考えていませんでした

しかし、その後、環境問題が多発し、インターネットが出始めました。

大人は今の子供を「デジタルネイティブ」と言いますが、私から言わせれば「環境問題ネイティブ」だとも思うのです。

最初からITと環境問題にさらされながら育ってきたわけで、私の子供時代とは全く違う時代を生きてきたんですよね。

 

成田では来年から小中学校に1人1台タブレットが配布され、今の中2の子が大学受験の際には「情報」が受験科目に加わります。

経済を考えればますますIT系などテクノロジーを進化させていく分野を進めていかざるを得ないのは事実ですが、一方で、生き方や暮らしを考えると、第一次産業に関わる体験や仕事も大切だという認識も広がっていると思います。

 

私は日本の学校教育は「凄いな~、素晴らしいな~」と思います。

もちろん問題点もありますが、それは学校ではなく社会の問題が縮図となっているだけで、やっぱり「凄いな~」と思うのです。

しかし、どうしても公教育というのは「国が求める人材を育てる」という前提があります。

1960年~70年代の高度経済成長時代には中学生には「簿記」などが必修科目でした。

それは国が「これからは経済の時代」として、必修にしたからです。

当時は中卒後、すぐ会社員として即戦力にしないといけない、という教育思想だったわけです。

 

しかし、子供が爆発的に増えてきて、人手が余る、という事がわかった時に、「子供達を大学に行かす」と国が決めて、大学進学を推奨しました。

もちろん、「エリートを養成する」という意味でも大学進学を国策で勧めました。

企業も「大卒」というのを一つの担保としたので、受験戦争が始まりました。

 

でもですね、今って違うんですよ。

この前、NHKの引きこもりのドラマをみて、「良い言葉だな~」と思ったのが、就職活動をしていた子が「学校の時は協調性を大事にしなさい、と言われたのに、就職になったら、とたんに個性が無いと言われる。どっちなのよ」って。

 

そうなんです。

大きな組織で言われた通り動く人を欲する時代はもう終わっていまして、企業側は「個性」を求める時代です。

「個性」というのは、自分の意思でやりたい事を描ける子、描いてやりたいという意欲がある子、その突破力がある子、ある意味ちょっとわがままでも良いから何か特徴を持っている子の方が、仕事の場では使える、と思っているのですね。

でも、中学・高校・親御さんの環境は未だに「テストの点数」第一主義です。

そして「協調性が良い」というのは「内申点の評価項目」なのです。

「ちょっと場を乱すこともあるけど、やりたいことはやり抜くという強みはある。だからその強みをどんどん伸ばしなさい」という教育は、まだ公教育ではそうはされていないと思います。

 

でも、それも企業側からしては「個性」を求める時代に入っていますし、否が応でも日本の環境が変わってくるので、学校現場も親御さんの意識もあと5年ぐらい経てば変わってくるんでしょうね。

 

私が2011年の原発事故をきっっかけに、自分の事ばかりを考えて生きてきた事を猛省し、「都市部と暮らし豊かな農村をつなく架け橋を作ろう」と「農村コーディネーター」という仕事を自分で創り、今年で10年目になりました。

あの頃と比べると時代はどんどん変わってきています。

あと30年で団塊世代のほとんどがお亡くなりになり、私のような団塊ジュニアは老人になり、日本を動かすのは「デジタルネイティブ」であり「環境問題ネイティブ」の今の若者達になります。

日本に人口のボリュームゾーンの大きな山2つが現場から退くわけですが、一方で少子化で子供が増えていない分、日本の人口は約半分になります。

日本国内は十分大きなマーケットだったのですが、それが無くなることで、一部の会社を抜かすと、頑張っても経済成長というのはあり得ない時代がもうそこに来ています。

都市部の大きな会社のサラリーマンとして働く人は1/3ぐらいになるでしょうし、会社を求める人の半分は非正規雇用という立場の人が増えるでしょう。今でさえ、1/3が非正規雇用と言われていますからね。

 

一方で、今まで以上に自然災害が多発する時代になります。

そう考えると、これから大人になる子供達へ何を学ぶ事として提示すべきかが見えて来ると思っています。

それを提示出来る立場に自分はいるとも思えている今日この頃です。

 

と、長々と書きましたが、「みんなの農村ネットワーク」を設立して10年目を無事に迎える事が出来ました。

これもみなさまの支えがあってのことです。有り難うございます

ただ、私もご多分に漏れず、コロナの影響で今までのような仕事が出来なくなってきております

飲食店さんほど大変ではありませんが、それにしてもこのまま、という訳にはいかない状況になってきています。

まあ、環境が変わることは自分が変わるきっかけにもなるので、来年はまた違うチャレンジをしていきたいと思います。

 

とはいえ、まだ今年も半月ぐらい残っています。

とにもかくにも、みなさん、健康第一で過ごして参りましょう。

健康が一番です。

元気な体があれば、人間、生きていけるのですから

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今年最後の「田んぼと畑の耕育教室」

2020年12月13日 | 農的体験・生活

今年最後の「田んぼと畑の耕育教室」が終わりました。

今年はコロナで大変な年でしたが、それにも関わらず半年間かよってくれた参加者。

例年の2/3ぐらいになりましたが、逆にこのぐらいの人数の方が気配り・声がけもしやすく、密にならずにちょうど良かったです

元看護師で友達からコロナに状況を聞いていて「本当は行きたかったけど今年は。。。」と泣く泣く不参加を決断した5年ぐらい通っているご家族もいれば、「まあ、気にならないですよ」といって例年通りご参加頂いたご家族。

また、一昨年、年間会員にされて、昨年は参加されなかったのが、今年になって「年間会員復帰」された方もいたり。

大人向けの「食と命の教室」もそうでしたが、都市部に住む方からは「コロナ禍で逆にこういった自然や広い田畑で自由にさせてもらえたのが救いでした」という方が何人もいました。

そんなこんなで大変な年でしたが、無事に何事も無く、今年最後の回も終える事が出来て良かったです

まずは蕎麦の見学。

ちょうど大豆畑の横に、農家の根本さんが9月蒔きの蕎麦畑があったので、先月、みんなで見学したのですが、そのときはまだ黄緑色で中身も液体でした。

ところが今月になると、きちんと実が入って、皮も黒く「そば殻」が出来ていて、その皮をむくと中から白い粉が。

「これが蕎麦粉だよ~」と言うと、みなさんびっくりしていました

 

その蕎麦畑の横で、高級食材「丹波黒大豆」の収穫です。

ちょうど天気が続いていたので、鞘を振ると中で「カラカラ」と音が立つぐらいになった大豆。

このぐらい乾くとちょうど収穫しやすいんですよね~。

1粒1粒みんなで鞘を向いてのんびり収穫を体験しました。

今月はとても天気が良く、暖かいお日様の下でのんびり大豆をとりだすご家族。

見ているこちらも「平和だな~」と心がほっこりしました

さて、大豆の収穫が終わったら、恒例の餅つきです

私はいつも「返し」をやるので、子供達がついている時の写真は撮れませんでしたが、根本さんと参加者のお父さんがコンビを組んだ時の写真は撮れました

餅つきというのは老若男女が楽しめるもので、こちらとしては「毎年恒例」なので、それほどイベント感は無いのですが、参加者の側からすると、子供はもちろんぺったんぺったんが大好きですし、親御さん達も「久々です」とお父さんもお母さんも結構参加して楽しんでくれるのです。

餅つきをし、お腹いっぱいお餅を食べ、心もいっぱいで今年も無事終了できました

 

まあそれにしても色々起こる時代になりましたね。

私が「みんなの農村ネットワーク」というのを作った発端は2011年の原発事故でした。

それまで多くのご注文があった有機農業をやっている農家さんの野菜への注文がピタっと止まり、みんな関西方面のものを取るようになり、うちひしがれる農家さんを目の前に、原発なんて全く関心が無かった自分の生き方を反省しましたし、ネットではなくリアルでお客さんと農家さんを繋ぐ架け橋になろう、と一念発起したわけです。


その後、夏の干ばつ、春の干ばつ、秋の長雨と続き、去年は未曾有の超大型台風の襲撃があり、今年はコロナと、災害が起こらない年は無い時代になってしまいました。

地震もいつ来るかわかりませんし、夏の猛暑はこれからさらに暑くなってくるでしょうし、毎年「大変な時代になったな」と思いますが、一方でこの10年で若者も変わったな~と思います。

「食と命の教室」に参加している大学生、あるいは髙柳さんのところにファームステイしている高校卒業した女の子などの話を聞くと、環境問題にとても意識が高いですし、「農業が環境問題や社会問題を解決する何かになると思う」と言う子もいますし、「SDG’s」とかを普通に日常会話に入れてきます。

これからIT系などテクノロジーを進化させていく分野を進む子も増えるでしょうが、一方で、農村で何かをしたい、という子も増えてくるんだろうな~と思います。

そして、9年前に始めたこの教室の1期目の子もお年頃になってきます。

そのうちの何人かが、幼少の頃にこの教室に通った体験が何かしらの選択に活かしてくれたらな~とも思います。

時代はどんどん変わり、高度経済成長はもとより誰もが会社に就職してサラリーマンとして都市部で過ごす、といったことがモデルとなる時代は崩壊が止まりません。

それに追い打ちをかけるように自然災害が多発し、世界は爆発的に人口が増えている中で、日本は超高齢化社会ですが人口が一気に減っていきます。

頑張っても経済成長というのはあり得ない時代がもうそこに来ています。

となると、今の子供達は何を目標にすれば良いのか?

そもそも目標って何?

どう生きていくの?

そんなことを考える時が来た際に、「あの田畑で遊んだ体験」が自ら選択肢を生み出すきっかけになればいいな~と思います

師走の慌ただしい日々が続くでしょうが、みなさん、残りの日々もどうぞ健康第一で過ごして参りましょう

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大豆、そば、小麦の「よもやま話」

2020年12月02日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜BOXみみずフレンド」のお手紙です

 私が農村コーディネーターとして開催している「田んぼと畑の耕育教室」のパートナー、お米農家の根本さんは蕎麦、大豆も作っています。

 昔は「減反」という言葉が使われましたが、要するに「お米が余ってきたから他の作物を作りなさい」という国の指導ですね。

。。。話はそれますが、昔は「もっとお米を作れ」という指導で、私の師匠の髙柳さんの知り合いの方で、田んぼを借金して買ったら、その3年後に「もう作るな、余り始めたから減反だ」となって、「作れといったから借金をして田んぼを買った。そしたら今度は作るなと国は言う。この借金はどうするんだ」と怒り、減反に応じなかったら村の共同体から意地悪され、、、という方の話を聞いたことがあります。

「減反」というのは一般の方には関係ない事ですが、昔からお米を作ってきている農家さんからすれば、「酷い話だ」というものなんですよ

 話は戻して、大豆は空気中の窒素を固定化する根粒菌という菌が根っこに寄生するので、肥料を与えなくてもよく育ち土を肥やす役割があります。

 夏至を過ぎた7月頭ぐらいに種を蒔き、12月に葉っぱが枯れて鞘を振ると中でカラカラと音がするようになったら収穫です。

 ちなみに10月下旬では、まだ葉っぱも鞘も実も黄緑色で、この時点で収穫するのが「枝豆」です。夏の枝豆より美味しく、特に丹波黒大豆の枝豆は、根本さんとやっている「田んぼと畑の耕育教室」で一番人気と言っても過言でないほど抜群に美味しいんですよ


 大豆の実が完全に入るのは12月に入ってから。

 なのでそこから収穫&脱穀し、乾燥させてから選別し袋詰めをします。このようにその年の豆は12月下旬にギリギリ間に合わせるので、販売は早くても3週、通常は12月4週じゃないと間に合わないんですね。

 だから年末に出回っている多くの大豆は、おそらく昨年の大豆かと思います。

 

 次に、蕎麦の話。

 蕎麦は昔は田んぼが開けない山の斜面などに暮らす人々の命をつないできました。長野などが有名なのは平地が少なくお米が作れなかったからです。

 今は台風が来ない北海道が50%以上のシェアを持っていて、長野は2位ですが6%ぐらいしかありません。

 我が千葉では2か月で育つので夏蒔きだけでなく秋蒔きもできます。お米が大不作の時は急いで蕎麦を蒔くことで11月に間に合い、飢饉の時に命をつなぐ作物でもありました。

 風に弱い作物で台風がくると一発で壊滅。台風が来る千葉県での栽培は博打のようなもので、生産高は全国30位ぐらいです。それでも上手く育つととても美味しくできます

 根本さんの1分間18回転の低速石臼で挽いた蕎麦粉は、香り、風味、甘みもあって絶品ですよ

 

 最後に根本さんの地域にある下総高校の小麦をつなぎに使った乾めん、乾うどんの話も。

 農業実習で小麦を作っているのですが、無農薬栽培のため病害虫の被害で見た目も悪く、一般的な市場価値は無いとされて行き場が無いのが現状でした。

 それを根本さんが買い上げ「買ったはいいものの、どうしようか?」と困っていました。

 そこで「うどんやそばにしたら?」という事になりました。

 実は、昨年、根本さんが自分で育てた蕎麦を使って「乾そば」を作ったのですが、そば粉は根本さんのものですが、つなぎは製麺屋さんに任せていました。

 おそらく海外産だと思われます。

 そこで、今年はその小麦粉を下総高校のものに変えたのです。このことでそば粉も小麦粉も100%無農薬の乾そばが完成したのです

 また、その小麦粉を100%使った乾うどんも作りました

 どちらも貴重な生産者限定の無農薬麺シリーズです。

 なかなか手に入らない貴重な品ですよ~

 蕎麦もうどんも「国産100%の粉」で買うと、通常は「売っている蕎麦」「売っているうどん」より高くなることが多いのです。

 変な話ですが、それだけ市販品は海外産の安いものが使われているんですね。

 まあ、田畑をやってみればわかるんです。

 お米はなんだかんだいって世界3大穀物で、日本の風土に合っている作物ですからどちらかというと作りやすいわけです。

 ところが蕎麦は台風が来ない地域でないと安定して作れませんし、単位面積でいえばお米に収量はかないません。

 小麦にしたってそうです。海外産がぶわ~っと入ってきて、国産は大打撃を受けてしまいましたが、やはりお米にはかないません。

 そば、小麦は何といっても「製粉」という工程が入るわけで、工業製品として売るとどうしても高くなる。だから国産のものはちょっと高め、良いもの、となっていますが、逆に言えば一般的に売っているのは「むしろ安過ぎる」という事になるんですね。

 まあ、そんなこんなで、大豆、蕎麦、小麦というのを日本で主要作物として作っている農家さんは、ほぼいなくなってしまいましたが、それでも国産を作って下さっている農家さんがいることは有り難いですね

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