半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

お花見♪

2015年03月31日 | 素敵な家族・子供との時間
週間天気予報で、水曜日以降は天気があまりぱっとしない、ということだったので、毎年恒例の家族で花見に行ってきました

毎年思うのですが、周りはお店で買ってきたお惣菜やお弁当ばかり。
そんな中、奥様の手作りのお弁当やらおかずで花見が出来るのは幸せだな~



子供達はたっくさん美味しいものが食べれるし、気持ちの良い天気なのでサッカーをしたり、木登りをしたり、ケンカをしたり、シャボン玉をしたり



暖かな日差しやきれいな桜の下で、美味しいご飯やお酒と家族で過ごせること以上の幸せはないな~としみじみ思える時間でした
日本人に生まれてきて、本当に良かった

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つくしんぼパーティー♪

2015年03月30日 | 素敵な家族・子供との時間
仕事から家に帰ると、下の子が「ちょっと待ってて、まだ入ってこないで」と言われたので、玄関からお風呂に直接行って、あがっていくと「もういいよ~」という返事が聞こえました。

何だろう?と思ったのですが、リビングに入るドアの上を見て欲しい、ということだったので、上を見てみると・・・


「つくしんぼパーティー」と書いてあるんです

下の子はつくしが大好きで、土手でたっくさん摘んできたそうです

まあ、カラフルな文字で、カタカナも頑張って書いたね~

そして、一緒に折り紙で輪飾りまで作り、本当にパーティーのような雰囲気に

つくしって、ほろ苦いし、いつも子供たちが「ちょっと苦いから嫌」と言っている菜花よりもよっぽど苦いところもあるんだけど、なんだか好きなんですよね~

というわけで、つくしの味噌汁、つくしの醤油バター炒めと味噌バター炒めが出てきました。

つくし尽くしの夜でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食と命の教室 土のお話など

2015年03月28日 | 農的体験・生活
土曜日は、「食と命の教室」の第2回。

天気予報ではとても暖かくなると聞いたけど、朝はちょっと涼しい感じ

でも昼ぐらいにはとても暖かくなってきました。

さて、前回、参加者から一番ご要望を頂いた「土作り」について応えるべく、今回は「土の世界を知る」ことをテーマにした回。

午前中は、「根の国」というdvdを視聴しました。


この「根の国」は、人間には目に見えない土の中の世界を、光学顕微鏡で撮影し、その生命の営みを映像で映し出すという、とてもインパクトの強い内容です。

毎年、これを観た参加者は感銘を受けますし、私も毎年「凄いな~」と感銘を受けます。


土には肥料分として窒素・リン・カリがあり、それをバランスよく配合すると良い、といったのが広く知れ渡っていることです。

しかし、実際はそういった成分分析でどうこうできる次元ではないのが土です。

堆肥を1gとると、そこには1億もの微生物が住みついているんです

そして、その小さな土の塊にも、そこには生態系、食物連鎖があります。


植物の死骸、ミミズや昆虫などの糞尿や死骸は、それより小さなダニやゾウリムシなどの小さな虫たちのエサとなり、それらの死骸や糞尿がさらに小さなミリ以下の小動物のエサになり、さらにその死骸や糞尿が微生物のエサとなります。

そしてそれらの微生物の死骸や糞尿は、アミノ酸などたくさんの養分が含まれていて、それらを植物の根っこは吸収して育つんです。

根っこと微生物も共存共栄しています。

たとえば、根っこには1mm以下の根毛というのがあり、根毛は絶えず伸び、ちぎれ、死に、土中の微生物にエサを与えています。あるいは、根毛に寄生する微生物もいます。

一方で、微生物もその死骸や糞尿が根毛に吸収され、その栄養分は茎を通り葉や実にいきます。


そしてよく肥えた土は、あらゆる生物が住み着いていて、例えば1種類のセンチュウが増えて根っこを襲おうとしても、そのセンチュウをやっつけるカビなどが一気に群がってくるなどして、1つが爆発的に増えるということは、起きないのです。

バランスがとれているんです。


これらを全て映像で観ると、いわゆる「土は人間が作るもの」という概念がふっとび、「土は自然の賜物」ということが如実にわかってくるのです。


視聴したみなさん、真剣に学んでいましたよ


そしてお昼はいつものごとく、お母さんのとびきり美味しい料理です
ここに来ると、みんな「何でこんなに美味しいの~?」と口からもらすほど。
本当に美味しいんですよ~。



さてさて、午後は実際に畑で堆肥を見て、キャベツの苗を植えるところからです。

と、思ったら、おじさん達がミツバチ用の巣箱を持って現れました。

高柳さんは、食物の大方を自給しているのですが、砂糖はつくれないということで、昨年から日本ミツバチが来るよう専門家のおじさんに巣箱を置いてもらって、いろいろ手をうっていたのですが、入ってくれなかったのです。

今日は、もう1つ別の箱を置くために来たということで、突如、臨時出張「日本ミツバチ教室」が開催されました
これは以前、おじさん達のところで日本ミツバチが入っていた巣箱で、杉の木をバーナーで焼いて作ってあって、中には日本ミツバチの密ロウが縫ってあるそうです。

これで上手くいけばいいですね~。



さて、一段落したら、当初の予定の「堆肥」の見学へ。

高柳さんがいただいてきた「馬糞」の堆肥で、これは放置して半年ほどのもの。


臭いは全く無いのですが、まだ分解が甘いので、少し虫も飛んでいます。
でも、触っても全然大丈夫な感じです。


一方、こちらが3年間放置したもの。完全に分解されていて、写真では分かりにくいのですが、ほぼ土になっています。


堆肥は本来は屋根があるところで切り返しをして作った方が良いのですが、高柳さんはこのように屋外に放置して土になるのを待ってから使います。

「堆肥がよいか悪いかは、種を実際にまいてみて、発芽して植物として育つかを見るのが一番良いよ。下手に詮索するのではなく、種に聞いてみることだね」

おっしゃるとおりですね~。


さて、お次はキャベツの苗の植え付けです。

まず、高柳さんが業者に頼んで作ってもらった有機資材のペレットとカキ殻石灰を撒きます。
これはなかなか難しいんですよ。
小4の女の子から大人まで皆でやってもらいました。


そのあと、マルチを貼って、みんなで苗を植えます。


これが2ヶ月後に、みなさんのお土産になります


そして今の時期は必ず虫が来るので、防虫ネットを張ります。
まず、そのためにU字パイプで支柱を作ります。


そしてネットを被せて、風で飛ばないように鍬で端に土をもって完成です。



その後、前回蒔いたミニトマトとナスの種の発芽状態を見学に。
一部、発芽率が極端に悪いものがありました。
「誰のかな~?」とみんな、自分のではないような感じで見ていました


最後に、お土産に菜花、サニーレタスだけでなく、カブを抜いてよいということで、みんなでスポンスポン。


そこで、1人がそのままかじって食べ始めて「みずみずしくて美味しい~」と言ったのに反応し、結局全員で、その場でかじってみたら「やっぱり美味しい~

採れたては甘みとジューシーさと少しの辛味が混じって、無茶苦茶美味しいですよね~。



一通り農作業も終わり、最後にお話タイムに。

今回は「土の話」でしたので、そもそも化学肥料などを入れていない時代のお話をしてもらいました。

高柳さんの子供時代は、村はきれいだったと言います。

それは肥料の素材は自然からしかないから、川沿いや道路沿いの「公共の場」に生えている草は、みんなが競って刈っていたそうです。
朝4時に起きて刈りに行く人などもいて、みんな、あちこちの草に目をつけていたといいます。

また、肥料を作るために家畜を飼っていたという感じで、豚や牛がいて、そこに稲ワラをしいて、踏ませて堆肥にしていたそうです。

牛の世話は子供の仕事で、その当時は嫌だったけど、今思えば良い経験だったな~、と語ってくれました。

また、5月は「農繁期」で先生も子供たちも学校が休みになったそうです。

それが当たり前だった、ということです。

ところが、化学肥料や農薬が入り、暮らしの基の農が、「農業」になり、「効率的に」「大規模に」「単一作物で」といった掛け声が広がり、学校では農業について全く教えなくなったといいます。

高柳さんの疑問は「人間も含めて、生き物を食べないと死んでします。食べないといけない。だから漁業などもそうだが、農業もとても大切なこと。日本が減反政策が始まり、米を余剰に作っている農家が悪者だという報道が日夜されていた時代にフランスに行ったら、「フランスでは自給率は140%ぐらいある。だから国民は安心して生きていけるんだ」という返答が返ってきて「国によってここまで違うのか」とショックを受けたそうです。

そして、フランスやドイツなど、大体の国が、都市部の周りに畑が広がっている。つまり、町の住民の食べ物はその周りで取れるようになっている、そういった設計で町作りがされちていることを知ったそうです。

そして「GDPとかうんぬんは、経済学者が言うことで、市民にとっては、食べ物と家があれば生きていける」ということを、たくさんの人から聞いたそうです。

だから高柳さんは言います。

「日本は世界的に見ておかしい国なんです。食べ物が大切だとか、命はどこからくるのか、というのを教えない国なんです。それを日本人は知らないでしょ?」


毎回聞いているお話ですが、今回もとっても楽しくも深いお話でした。

ということで、10月までやっています。

来月も新しい人が参加しそうですし、ご関心がある方は、是非ホームページをご覧下さいね→こちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思想がある・ない

2015年03月25日 | 自分の時間
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を昨年から読んでいるのですが、色々な登場人物で、「人物」とよばれる人は「思想がある」という表現がよくされています。

例えば、明治維新で新しく政府ができたものの、徳川時代よりむしろ悪くなっているじゃないか、ということで、武士階級だった人達を中心に、政府に対する不満、また倒してやろう、という雰囲気が充満するのですが、西郷隆盛など「思想がある」人物がいる一方で、そうじゃなく単に不満を持っているけど、その不満をどうやって昇華していくか思想がなく、雰囲気で「政府を倒す」ことだけを唱えている人物もいるわけです。

そんなところを読んでいて「思想か~」と思いました。

「思想がある」というと、今の日本はなんだか危険人物のような感じで受け止められるかもしれませんが、「人生とはこうである」「人はこうあるべきである」「大人はこうであるべき」「国とはこうである」「夫婦はこうである」「仕事とはこうである」といった、その人なりの理念があると、力が入るしぶれないし、時に人とぶつかることもあろうでしょうけど、その人なりに自分の道を歩いている感じがあると思うのです。

どんなものであれ、何か思想を持っている人は、その人なりの確としたものを持っているので、風貌も違ってくると思います。

そもそも、思想が無いと、宙ぶらりんで、周りに流され、感情に流され、結局自分はどっちつかずで、何のために生きているのかわからないまま、環境に影響されるだけの時間を過ごすことになりやすいと思います。

今の日本の人の多くが、あまり思想をもっておらず、社会の仕組みや情報に流されながら生きていて、でもどこか芯が無いような生き方になっているのは、思想教育がされいていないからではないか、と思います。

思想教育というと、戦争に突き進んだ経験もあるので、方向性が間違うと、とんでもないこと方向に人は進んでしまいます。
オウム真理教などもそうでしょうし。

でも、江戸時代などは、儒教、朱子学、その他、色々な学問が武士の手習いとしてありましたし、忠君報恩のような生き方がありましたし、それはそれで世界に誇れるものだったわけです。


今の学校教育で、道徳の時間などが必修科目になったようですが、道徳でも何でも良いと思うのですが、「世界が尊敬する日本人の美徳」として、おてんとさまが見ているという感覚や、親孝行しようよ、とか、長兄を敬おう、とか、行儀欲しよう、とか、色々子供のうちから学ぶべきことはあると思います。

思想がないと、単に受験して、大きな会社に入って、お金を稼いで、、、という人生になりやすいですからね。


でも、思想も一辺倒だと、弱いともいいます。

例えば、戦争反対、憲法第9条を守るべき、といった思想教育(というのかな?)を受けて、とにかく反対、ということだけ叩き込まれていると、例えば国土を守るだとか外敵だとか、そういった「聞いたことの無い反対の論理」で覆えされやすいとも言います。

だから、1面だけでなく、両面、色々な面から物事を理解し、その中で、自分としてはこう思う、というものを見つけていくような流れの方が良いといいます。

色々な論説を聞き、本を読み、ディスカッションし、人と語り合い、そういった中で思想は練り上げられていくんだと思います。

そうして思想が練り上げられていくと、思想が無く、ぶらぶらしている人は、なんだか薄っぺらくみえてしまうこともあります。


とはいえ、逆の話で、思想があると、「自分のゆずれないこと」が出来るため、人生を生きるには自分の考えに従って生きていけるので充足感はあるでしょうが、逆に「自分の正義」を振りかざす傾向が強くなり、相容れない人や事も出てきてしまいます。

そうなると、今の世の中は思想があっても無くても、どっちが良いのかわからないし、どうなんだろう~?と思ってしまいました。


でも、一番は、自分なりの思想があって、ただそれは自分の内のもので、どんな人に対しても順応できる柔軟性、包容力をもった器が大きな存在になるのが一番なんでしょうけどね。

そんなことを、午前中の草取りの時間に思った1日でした


それにしても、今日は思ったより暖かかったですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春分の日

2015年03月21日 | 素敵な空間・イベント
今日は春分の日。お彼岸の中日です。

田舎では、3日前からお彼岸ということで、たっくさんの方がお花を買い、家やお墓に飾る伝統がまだまだ残っています。

そしてお彼岸の中日となる春分の日は、お墓に行ったり、五穀豊穣を祈ったりと、昔からの行事として里帰りする人もいて、なかなかの賑わいなのです

まあ、私も東京で働いている頃は全くといっていいほど考えていませんでしたが、田舎の農家さんの昔ながらの暮らしと触れていると、そういった節目節目で先祖を敬い、感謝や祈りを家族一同で行う行事をきちんとやることは、人としてとても大切なことだな~と思うようになってきました

そして、今年は墓地が主催する合同慰霊祭なるものに母が申込をしたため、家族で参加してみました。

しかし慰霊堂に行くと駐車場は車で溢れて駐車できず、慰霊堂も同様で中には入れず

結局、慰霊堂の外に設置されたテントの下で(それも溢れかえっていましたが),慰霊堂の中からスピーカーで聞こえてくるお坊さんのお経を聞くという流れでした

そのあとに家族で墓参りをしたわけですが、やっぱりこういったのは大規模でやるのは形だけになってしまって、あんまり良くないな~と思いました。

まあそんなことで、今日は1日終わり。

また、息子の誕生日のお祝いも兼ねて、ということで本当は今日ではないのですが、第1回目のお誕生会も

なんだかんだいって、お天道様にも恵まれ、暖かな1日で良かったです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腰痛対策

2015年03月19日 | 自分の時間
え~、今年は3月頭に腰をやってしまい、その後、左足の腰から足裏までくる痺れがとれていなくなりました。
これを「老後、動けなくなる前に、今のうちに生活を見直しなさい」というメッセージと受取り、ひたすら本を読んで色々勉強していました。

そして、一応、腰痛や体の不調を整える「体系」というか「考え方」や「手法」を整理できそうなところまで来ました。

ざっくり言うと

・体は自分で治そうとする力がある(自然治癒力を持っている)
・部分が痛くとも、まずは全体を整える
・とにかく、日々、体を整えることを継続すること

この3つですね。

整骨、整体の名医と言われている先生方の本、整形外科の先生の本、気孔の先生の本などを読みましたが、全体を網羅している辞書のような本はわかりにくいし、かといって、1つの手法をやれば色々な症状に効果がある、と謳っているのも、結局は本を売りたいがための出版社の編集方針でしょうから、そういったところに惑わされないで、自分の中で整理する必要がありました。

ただ、「なるほどな~」と思える先生の本は、「診断が8割」「部分が痛いからといって、そこだけではなく、原因となっている全体を整える必要がある」「毎日、続ける必要がある」というのが原則として共通だと思います。


私もそうですが、ぎっくり腰などになって、先生のところにいって治してもらって、また日常生活を普通に送る、、、というのは、40を過ぎるとそろそろダメですね

もうこの年になると、「日常生活」を気にしないと、あとででっかいツケが来てしまうんですね~

なので

「体は本来治癒力をもっていて、痛みがあるというのは、体からの信号。それを無視せず受け止めて、最近、腰が張っている、とか体がバリバリだな、という時はストレッチをするなど、体からの信号を聞いてあげる。そして、本来はそういった症状が出ないのが一番(未病を治す)で、そのためには、日々、体をケアする」

という思想、考えをきちんと持って生活する必要がある、ということですね。

これは、子供の頃、歯磨きをサボって虫歯になって歯医者に行き、治療して、「あ~、もう歯医者は嫌だ」と3日ぐらいは歯磨きを一生懸命やるけど、またさぼるようになって、また歯医者に行って、、、を繰り返し、この年になって、ようやく歯磨きをきちんとやるようになり、3ヶ月に1回の定期健診に行くようになった、という流れと同じですね


その上で、まず、腰が痛いというと、腰ばかりに焦点がいきますが、大体が仙骨がゆがんでいたり、背骨がゆがんでいたり、足首が痛んでいたり、と色々な痛みの原因があります。

例えば、「坐骨神経痛ですね」と言われても、それはお腹が痛い患者に「腹痛ですね」というのと同じことだそうです。
いわれてみれば、そりゃそうですね

坐骨神経痛は病名ではなく、単なる「症状」で、その「原因」がわからなければ、単に薬が出たりストレッチしたり筋トレしましょう、ということになってしまいます。

どこがどう痛いのか?それはヘルニアなのか?脊柱管狭窄症なのか?
そもそも何が原因か診断をしておかないと、ヘルニアなのに背中の反り返り運動をして、ますます悪化させてしまう、ということがあるようです。
座っていて腰を動かした場合に出た痛みは骨盤は安定している状態での動作の痛みで、立ったときに腰を動かした痛みは骨盤が動いて出る痛みで、同じ痛みでも違う痛みなんですよね。

また、右に体を倒した際に、右側が痛いのか、左側が痛いのか、によっても違うし。

そういった「痛みが出ている場所」を自分なりに診断した上で、原因を推測し、対処するストレッチとかツボ押しなどを行うわけです。


そして、もっと上の原因である「どこか体がゆがんでしまっているから、そこに痛みが出ている」ということを考えて、全体の体の湾曲やゆがみを取り除く体操やストレッチや姿勢を毎日続ける、ということが大切なわけですね。

色々ストレッチの体操などはあるのですが、私の今のところのベースは、1月から続けている「寝ヨガ」を毎日やること。
あと、「正座」もいいですね。

「毎朝30秒の正座で腰痛が治る」と提唱している先生もいました。
骨盤を整えたり、ゆがみを整えるために、腰の体操をやるのもよいけど、一番は朝、正座をして、背筋や背骨を意識するのが自分で出来る一番やりやすい方法、という理由です。

ただ、出来るだけ「かかとをつけて正座する」というやり方なので、難易度はありますが。

膝が痛くなるのが正座なのですが、これは太もものストレッチや体操をしていくことで、正座が一番体にとって良いということがわかってきます。


あと、ツボもいいですね。
この本、論理的にも解説されていますし、また写真CGをつけているのでツボが非常にわかりやすい。
坐骨神経痛などのツボも、「お~、いつも自分で何気なく押していたツボは、ここなのね」と納得できました



ちなみに、ツボは日々動くそうです。
そして、別の気孔の先生の本で知りましたが、完全なる健康体(毎日気孔体操をやっているような方)は、ツボが無いそうです
そして、ツボは指先から出てくるそうです。指先は万病の兆しが現れるところ、なんだそうですよ。

また、自分の体を整えるにあたって、「緊張させてから、一気に脱力」という方法も有効みたいです。
この本は、全体ではなく「部分対処」として書いてありますが、当座の痛みをとるのに納得できる内容でした。


私はカイロプラティックの1日講習に参加したことがあるのですが、そこで腰痛を治すとき、自分で足を倒そうと力を入れて、それに対して先生が手で壁を作って、5秒ぐらい数えたら力を抜く、というのがありました。

論理としては「力を入れて筋肉を使うと、関節は正常の位置煮に戻りやすい」というものでした。

先生方も、自分で例えば肘の痛みをとるために、肘に特別なゴムチューブを巻いて、筋肉に負荷をかけて運動させるというやり方をしている、と言っていました。

実体感としてはあったのですが、それを具体的に自分では再現できませんでした。

それを1人で再現できるポーズがこの本には解説してあったので、「ほ~」と思いました。


そんなこんなで、知識は徐々についてきましたが、後は実践ですよね~。

寝ヨガは日々やっていますが、当座の左足の痺れをとるべく、ツボと一瞬整体をしばらく続けていこうと思います。


ちなみに、整体の源流は高橋先生という方の正体というところにも行き着くようです。
ゆくゆくはそこまで学びたい。

ツボも含めて、「家庭医学」を家族の1人ぐらいがある程度のレベルに行けば、安心ですものね。

ということで、引き続き、ボチボチ学んでいきたいと思います
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜花だらけ

2015年03月18日 | 食べもの
春ですね~。

最近は小さな虫も色々出てきて、暖かさは色々な生命を育むというのを当たり前に目にする事が出来ます

そんな中、畑の準備も色々したいのですが、足の痺れが取れないこともあり、ひたすら今やっているのは菜花の収穫だけ、です

昨年放置していた小松菜から、菜花が2月末ぐらいから毎週ニョキニョキと出てきて、もう、両腕抱えるぐらいの大きなビニール袋2つ分は、毎週とってもとっても出てくるんです

その生命力に驚嘆します

毎週、ひたすら菜花を収穫し、野菜ボックスの方やご近所さんにおすそ分けしていますが、本当に毎週、どんどんニョキニョキ出てくるのを見ると、生命って凄いな~、と思います。

菜花って、ポキっと折ると、「子孫を残さないと」ということで、わき目が次々と出てくるんですよね。
だから、次々と収穫できるんです。

3月一杯は、入れ食い状態は続くと思うので、しばらく我が家の台所は菜花で埋まりそうです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あぁ、橋賀台幼稚園

2015年03月13日 | 素敵な家族・子供との時間
 春晴れの下、今日は愛する橋賀台幼稚園で、愛する息子の卒園式でした

 朝、門の前ではお父さん、お母さん達が子供たちと最後の時間を愛しむようにワイワイガヤガヤ。
 晴れやかな雰囲気で朝がスタートします。

 定刻になり、門に入ると、まず「卒園、おめでとう」の看板で写真を撮り、各クラスへ行って先生にご挨拶し、荷物を確認。
黒板には「そつえんおめでとう」の文字が。あ~、これで本当に最後です。


 その時、ママさんの1人が、クラスの1人1人に、なんと手焼きのクッキーと橋賀台幼稚園のバックの手作りストラップを配ってくれました


 500円玉ぐらいの大きさなんですよ、凄いですね~


 さてさて、アナウンスの後、保護者は先に体育館へ移動します。


 そして、子供たちが車での間、席に座ったり、プログラムや諸注意などのお話があります。
 お兄ちゃんの卒園式の時もそうでしたが、橋賀台幼稚園では、きちんと先生が「ファインダー越しで子供たちを見ることが多い時代ですが、是非、頑張ってきた子供たちを直接見つめてあげて、大きな拍手で迎えてあげてください」というアナウンスをします。
 だから、ビデオカメラをする人は基本的にはいません(いても、2~3人)。
 子供達が頑張って練習してきた卒園式なのだから、親はきちんと拍手をして迎える、当たり前のことですが、それをちゃんと言ってくれるので、親も背筋を伸ばして大きな拍手で子供たちを迎えよう、という気持ちになりますよね。

 そして、定刻になり、子供たちがきちんと足を腰の横につけて、きちんとして入ってきました。

 もう、この時点で感慨深く、胸が一杯になり始めます。
 園歌を歌うところで、もうウルウルです

 卒園証書もみんな、1人1人、きちんと受け取ることができました。
 体に障害がある子も、先生の介添えできちんと受け取ることができました。みんな立派でした

園長先生も3年目で年少の頃から3年間見守った初めての年長さんで感無量という感じがヒシヒシと伝わってきましたよ。
 

 そして、いわゆる「卒園のことば」をみんなで発声していきます。それが終わった直後に「思いでのアルバム」の歌でフィナーレ。
 「い~ちね~んじゅ~うを~、おもいだしてご~らん~」という歌の歌詞は、橋賀台バージョンの替え歌になっています。
 その1つ1つが思い出いっぱいの行事なので、みんなウルウルです

 そして、園長先生、理事長先生の挨拶も、保護者代表の挨拶も、みんな愛情たっぷり。

 さらに子供たちの退場の時は、子供たちの声で録音された歌がBGMで流れながらの退場ですから、会場は、大きな拍手でお見送りをしつつ、あちこちはすすり泣きです。あぁ~、素敵な時間を有難う~。

 そして、各クラスに帰り、最後の時間。
クラスには、先週開催した「ありがとうの会」で先生に保護者から渡されたカードが。


壁に貼ってあるこいのぼりには、子供たちの足型と名前。5月に作ったんでしょうね。
こういったクラスで時間を過ごしてきたんだな~


そして、担任の先生から卒園証書を改めて渡してもらい、最後のお言葉。
担任の先生は、初めて受け持った年長さんで「私にとって最初の卒園生で。。。」と、言葉を詰まらせながら、思いを語ってくれました。

最後のお別れ時には、クラス役員から子供たちに1本1本お花を渡し、子供達から先生へお花を1本1本贈呈です

そしてついに、クラスで過ごす時間も終わり。
最後に園庭で、ニコニコタワーで遊んで、さようならです。



名残惜しいのですが、先生達も待っていますし、門に向かうと、先生達がずらりと出迎えてくれます。

1人1人に、毎日「お・は・よ」と握手をしてくれた園長先生。
運動会の徒競走では全グループと一緒に走ったり、子供たちを肩の高さまで全員抱き上げてくれたりと、70歳とは思えないパワフルさと、みんなのおじいちゃんのような暖かさ、優しさで毎日包んでくれました。
本当にお世話になりました、


 理事長先生や、他の先生もずらりと並んでいて、子供をぎゅ~としてくれました。
写真は私が大好きな通称エリザベス先生です。


 最後に、年長のクラス担任やベテラン先生達と、みんなで記念撮影。
本当にお世話になりました



 卒園式を終えてみて、橋賀台幼稚園は理事長先生、園長先生、担任の先生、全員が「お弁当や送迎など他の幼稚園より大変なところが多いけど、それだけ愛情、手間をかけたことが必ず子供の成長に繋がっている」という信念を持っていること、そして自分達の幼稚園が一番だと思っていること、どこの幼稚園よりも愛情をかけているという自負を持っていること。それが親にも伝わってくるし、親も橋賀台幼稚園が大好きな親が多いこと。それが折り重なり合って最高の幼稚園になっているんだと改めて思いました。

 小学校や中学校は「学力」という名のもとで、頭のお勉強をどうしても中心にしてしまいます。

しかし、やっぱり子供が小さい幼稚園のうちは、「愛されて守られて生きるって素晴らしい」「体も心もめいっぱい動かして元気に本気で毎日を過ごす」という人間として一番大切な基礎を作る時期だということを、橋賀台幼稚園に通わせてもらったことで学ぶことが出来ました。

橋賀台幼稚園に子供たちを入れられたこと、本当に良かったな~と思います。

4年間、本当に有難うございました


そして、夜、幼稚園の卒園生のママさん達は、愛する橋賀台の思い出を共有すべく、打ち上げ大会中をしている中、子どもたちが寝た後、「保護者の方からの橋賀台幼稚園の思い出エピソード集」なるものを読みました。

今年の役員さんが作ったものなのですが、もう涙なくしては読めない

 障害のある子を色々な幼稚園や保育園で面接さえ断られ、人間不信になりかけていたとき、面接で暖かく向かえてくれて、4~5時間も一緒に肩を抱いて一緒に泣きながら話を聞いてくれた先生。

 落ち着きの無い子で他の幼稚園から求められる水準に対して不安を持っていた時に「子供はそんなもの、走り回って疲れたら座るんだから、めいっぱい動きましょう」と言ってくれた先生。

 サマーキャンプ中、熱を出して途中帰宅しなくてはならないのに、体温計を変えてまで何度も熱を計ってくれたり、翌日にみんなで食べるはずだった朝食をわざわざ家に届けてくれた先生。

 預かり保育に仕事を終えた後にヘトヘトになりながら迎えにいくと「お母さんも頑張っているね、エライね」とほめてくれた先生。

 遅刻しても、門のところで待っていて「おっ、良く来たね、えらいぞ」と笑顔で迎えてくれた園長先生。

 みんな何かしら橋賀台幼稚園の先生達の暖かさ、愛情に包まれたことがあるエピソードばかりで、もうこれを読んだら涙腺ゆるみっぱなしというものばかりでした

 他の幼稚園のことはわからないけど、障害のある子も、多動気味の子もそれを特徴として捉え、足が遅かったり不得意なことがあったり、遅刻をしたり、お母さんであれば子供にキーキーしたり、子育ての悩みでパンパンになったり、そういったことを全部ひっくるめて受け止めてくれる懐が深い、愛情が溢れる、素晴らしい先生達ばかりだったな~。

 しかもみんなが連携してお母さんや子供のことを必死になって考えてくれる。愛情を惜しげもなく出してくれる1人1人の先生達、そういった先生達が子供1人1人に目を配ることを最優先とする風土、あぁ、やっぱり橋賀台幼稚園は最高でした

 橋賀台幼稚園とさよならするのは寂しいけど、4月からは小学生。
 子供も親も、新たな生活がスタートします。
 時は過ぎていくもので、子供も徐々に親離れしていきます。

 手をつなぎ、毎日送り迎えに通う時間を共にし、お迎えの時は毎回先生からその日の子供の様子を聞けた、というこういったスタイルは、小学校では望めません。
 また、子供も幼稚園の頃と違い、学校でお勉強をしていく中で、規律を学び、また親からお友達へと移っていきます。

 親が見守り、可愛がり、愛情たっぷりに育てる、というステージはこれで終了なのかもしれませんね。

 夢のような橋賀台幼稚園ライフでした。
 「わが幼稚園ライフに、一片の悔いなし」です。
 ありがとう、わが子供
 ありがとう、橋賀台幼稚園

(卒園式前日に、うちの子供が撮ったベストショット)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日はいよいよ

2015年03月12日 | 素敵な家族・子供との時間
明日はわが最愛の橋賀台幼稚園で、わが最愛の息子の卒園式えす。

お兄ちゃんから弟へと足掛け4年、大変お世話になりました
そしてわが子も大きくなったな~

幼稚園では、一昨日は先生達と子供が最後の記念にツーショットの写真を撮る為に、行列が出来たそうです。
また、親御さん主導(?)で、園庭にいる園児と保護者全員で集合写真も撮ったそうです。

今日は園長先生が子供達とツーショット写真を撮ってくれたとか。
しかも片肩に抱いて
年長さんの中には20kgオーバーの子もいるわけで、そういった子供達何十人もを笑顔で抱く園長先生。
70にしてなんとパワフルなことでしょう

そして、今日、卒園式前の最後の日で、なんとうちの子は最後のお当番にもなったそうです。良かったね~


明日は、いよいよ幼稚園最後の日、卒園式です。

卒園式といっても子供はさっぱりしているもので、感傷的になるのは大人なんですけどね

最後の時間を満喫してきたいと思います
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3.11 4年目ですね

2015年03月11日 | 素敵な家族・子供との時間
今日は3.11ですね。

あれから4年、あっという間です。

4年前は私は無農薬野菜のネット通販の会社に居たので、それこそ周辺の農家さんの被害を目の当たりにしました。

「こだわる消費者」はサ~っと波が引くように離れていき、多くの農家さんが困窮し、私も知り合いのお友達で宮城県にいるご家族に野菜を送ったりしましたが、個人で出来ることの限界を感じたり、会社の対応方針に不満を持ったり、何よりも原発に全く無関心だった自分の生き方を恥じたり。

また、放射能についても不安になりながらも、本気で勉強して、自分の出来る限りの情報を仕入れて「ここで生きていっても大丈夫」と決め、地域の野菜を今まで通りに食べました。

そして色々な思いが募り、会社を辞めて今の道に足を踏み入れたのでした。

そういえば最初に企画したのは「放射能勉強会」だったな~。


二度と戻れないということで多くの農民、住民が未だに苦しんでいる中、今も心ある研究者やグループが福島で放射線量を減らす方策を模索しています。

かつては、カリウムやゼオライトなどが放射性物質を吸着できるという話もありましたが、最近の話では、結局は有機質をたくさん含んだいわゆる「土作りが出来ている畑」の土が、一番作物に移行しにくいということがわかってきたようです。

昔から受け継がれてきた大地の力を保つことが一番の打開策のようです。

戦争を知らない私達世代にとって、人生で一番の大惨事だったと私は思っていますが、良きにしろ悪きにしろ、記憶は薄れていきます。
それを心に意図的に刻むように、我が家で夕食は電気を消してロウソクで食べました。

まあ、子供は「ロマンチックだね~」とはしゃいでいましたが

それはそれで、ゆくゆく「何でこんなことをやるんだろう?」ということが、何となくでもわかってくると思って、毎年続けていきたいと思います
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ