半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

秋を満喫「食と命の教室」

2017年09月30日 | 農的体験・生活
9月最後の土曜日は「食と命の教室」でした。

今回は運動会があちこちであって、欠席の方も多く、こじんまりとした感じでアットホームな1日で、のんびり過ごしながらも蓋を開けてみれば色々な体験活動をしました

まずは朝のご挨拶をかねて、朝に収穫した柿を高柳さんが向いてくれて、それをパクパク食べながら朝のお話です。
高柳さんは柿が好きなので、合計8本ぐらいの木が植わっているんです
だから、いくらでも柿がこの時期、とれるんですね~。


さて、のんびり1時間以上なお話をした後、「体も動かそうか」ということで、5月にみんなで蒔いたヒマワリとゴマが9月頭には収穫が終わり、現在乾燥中なので、それの仕分け、つまり油が搾れる状態にする作業をしました。

まずはこちらが乾燥させたゴマ。
ゴマは乾燥すると、逆さにしただけでパラパラ落ちるんですね。


こんな感じでゴマは実が入っているんです。黒ゴマ、見えますか?


こちらが金ゴマ。色が違いますね~。


ゴマをいったん後で説明する「唐箕」で風選してみたのがこれ。
ゴミをとった状態がこれですね。
このままでも食べれますが、洗ってすぐに乾かせば「洗いゴマ」、それを煎ると「煎りゴマ」になります。

「みなさんが食べているゴマは99%以上、外国産です。それを今の値段で買えるのは1日300円とか400円で働いている人たちがいるから」という高柳さんの解説です。

私もやったことがありますが、ほんと、手間がかって、今のスーパーで売っている値段ではとても国産ゴマは売りたいと思えないですね。
高柳さん、貴重なゴマ、みんなにお土産で配ってくれました


さて、こちらは脱穀が終わったヒマワリの柄で、ゴミも混ざっている妙体で乾燥中です。


近くで見るとこんな感じ。これを油が搾れるよう、種とゴミに選別していきます。


まずはふるいがけです。
高柳さんがふるいがけをレクチャー。ふるいの目の大きさで、種は落ちるけど種より大きいゴミは残るぐらいのものを選び、大きなゴミと種を分けます。


みんなでふるい、初めての方は「へ~、こんな感じなんですね」という反応です。昔はみんなこうやってゴミと選別していたんですね。


ある程度きれいになったら、次は唐箕がけです。
手で風車をまわしてゴミや実が入っていない軽めのものは風で遠くへ飛び、実が入っているものは下に落ちる、という原理です。
もう1200年とか、かなり長い期間使われているものです。
最近のものとして電動のものもあるのですが、原理は全く同じです。
ちなみにこれは大正時代の唐箕ですよ~
今年参加している大学生の子も「教科書でしか見たことが無いです」とのこと。学校の先生もやったことがないようです。


みんなで唐箕初体験。ほんと、発明した人は本当にすごいですよね~



さて、1体験したら、毎回お楽しみの昼食です
みんな大好き、お母さんの美味しいご飯


高柳さんが大好きな栗。今年の収獲はこれで終わりで、最後の栗が出てきました。
しっとりして美味しいんですよ~


お昼ご飯をお腹いっぱい食べて、休憩したら、畑仕事です。

まずは人参畑の草取り。
今年は種蒔きが遅れたということもあり、また前作のアブラナ系の作物のこぼれ種や雑草がすごく、その草取り。ほんと大変です


その後、隣の三浦大根畑の間引きをし、間引きなもたっぷりお土産に

最後に、明日、取引先のイベント用に遺しておいたマンゲツ餅米をお月見用に1束収獲


そして夕方のお話の前に、柿をもいだり、モロヘイヤを好きなだけ摘んでいったりと、おまけの作業&お土産がたっぷり手に入ってから、お話しタイムへ。


色々なお話が出ましたが、今月は農作業も色々体験できて、蓋を開けてみたら結構充実していた感じです

来月は「糀作り」と小糸在来種の美味しい大豆の早どりの「枝豆の収獲」などを予定しています。

今年度の「食と命の教室」もあと2回、たっぷりみなさんと楽しみたいと思います
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子どもの「一番好きな場所」

2017年09月29日 | 仕事の中で
子ども連れのご家族向けの「田んぼと畑の耕育教室」をやってきて6年になりますが、一番嬉しいメールを頂きました


どんなメールかと言うと、お母さんからの報告で

「4年生の娘が、学校で田んぼの教室のことをガイドブックにまとめて来てびっくりしたので、嬉しくてお知らせしたくて。。。」

というものでした。

国語か何かの授業で「「一番好きな場所を写真と文章で紹介しましょう」という課題が出たそうで、それで各自でガイドブックを作るという授業だったそうです。


そこで書いてくれたのが、なんと「田んぼと畑の耕育教室」だったそうなのです


写真も送ってくれましたが、「ここのいいところ」とか「千葉県成田市にあります」といった紹介もしてくれていて、「春のメニュー」として田植えの写真と文章、「夏のメニュー」としてザリガニ釣りの紹介、「冬のメニュー」として蕎麦打ちの紹介が、写真と文章できれ~いに紹介してくれているのです

有難いですね~

「子ども達に普段できない原体験を」というのをテーマとして掲げてきましたが、まさか「一番好きな場所」として選んでくれるとは

たまりませんね~、嬉しいですね~、有難いですね~

お母さんも『一度訪れて楽しい場所とは違う、通って馴染むことで「世界で一番好き」と思えるような居心地の良い貴重な場所になったと、
通年の企画を改めて有難く思っています。』という素敵なコメントを頂きました。

いや~本当に嬉しいですね~、有難いですね~。

そしてそんなところに連れて来てくれたご両親もやっぱり素敵なお父さんお母さんなんです。

子ども達にとって、農や自然や田舎を体験することはとっても大切で、目に見えない何かが育まれているのは間違いないのです。

それをきちんと文章や言葉で表す授業で「一番好きな場所」と紹介してくれて、本当に有難いです

やってきて良かった

農家の根本さん泣きながら一杯飲みたい気分です
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ヤマト宅急便全国一斉値上げ

2017年09月28日 | 仕事の中で
ヤマト宅急便が10月1日から全国一斉値上げをします。

ヤマトさんに限らず、大手流通業者でまともに労働基準法に適合した仕事を全社員がしている、なんて会社は存在しないでしょう。

それが、いろいろ摘発され、ヤマトも舵を切った形です。

なんか、10年ほど前に私が在職していた会社を思い出します

イケイケどんどんの会社は、社員そのものが残業という感覚がなく、ただひたすら仕事を徹底的にやります。

最初の頃は、終電前に帰る人は「おっ、今日は早いね」なんて揶揄していたものです。

逆に会社に泊まるぐらいの方が仕事をしている感があって。

土日も家で仕事をするより会社にいてゆっくりたっぷり仕事をした方が月曜日からが楽で、よく出社していました。

そういったのは「組織風土」であって、あるいは営業など現場に出る「ライン部門」の感性であって、そういった人達の方が仕事が当然良く出来るのです。

中小企業しかり、経営者しかり、働きたいだけ働く、多少負荷がかかっても頑張ることで力がつく、というまさに体育会系のノリでした。

しかし、時代は変わり、22時には終業しなくてはならないということになり、22時に会社を出て近くのお店でご飯を食べながら会議をしたり。


そういったことは善悪でいえば悪なのでしょう。

しかし、実際に会社、あるいは世の中はそういった形で回っていました。

佐川急便も10年以上前は「稼ぐなら佐川だ」みたいな感じで、逆に睡眠をしていないで働いている自分に酔っている佐川社員もいましたね。

そんなところから時代は流れ、ブラック企業という名前が出始め、電通の事件などがあり、「まともな労働環境」「まともな会社」「まともな社会」に是正されるようになってきました。

確かに労働基準法にあった仕事がまともなんだと思います。

ただ、おじさんである私は昔が「懐かしいな~」と思うだけ。

そして過酷な職業の1つの流通、特に宅急便のヤマトさんもようやく一斉値上げに踏み切りました。

ヤマトの社長さんの言い分では、実は正社員不足ではないと言います。

ネット通販による宅急便の増加にあわせて、改革をし続けてきた。

特に、最初はドライバーがすべてをやっていたのを、後方支援部隊のパートさん部隊を作って、荷物を事前に仕分けし、ドライバーはその準備されたものを素早く荷積みでき、配達が出来るようになったり。

そういった「流通量の増加予測に対し、準備はしてきたつもり」だったといいます。


ところが、佐川がアマゾンから手を引いてしまった、と。

ヤマトさはアマゾンを蹴ったんです。
そんな仕事は無理だ、と。

それをやるといったのが佐川。

しかし、いざやってみて、やはり佐川が「できない」となり、アマゾンは宙ぶらりんになるところで、ヤマトに泣きついてきた。

ヤマトとしては受けたくないが、この業界のトップとして蹴るわけにはいかず、仕方なく受けた。

その結果、経営計画より圧倒的に物量が増えてしまった、と。


しかも、それを配達する正社員のドライバーが少ないのではなく、昨年の夏頃から後方支援をするパートさんの採用が間に合わなくなった、と。

飲食業が特にパート・アルバイトさんの人手不足ということで悩んでいますが、ヤマトも同じで、その結果、全体最適が出来なくなってきた、ということでした。


そして、全国一斉値上げ。


流通、とくに宅急便で仕事をしていた会社は大きな打撃です。

消費者がどう動くか次第ですが、宅急便代が生死を分ける現状。

宅急便代の値上げの仕組み、つまりどういった顧客にはどういった値上げをするか、その采配が上手くいった会社は生き残り、そうでない会社はビジネスそのものより宅急便の値上げで沈没していくでしょう。

そんな瀬戸際、そういった分水嶺のような10月1日の宅急便代の値上げです。
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全体主義の起原

2017年09月25日 | 自分の時間
NHK Eテレの100分de名著の9月は、ハンナ・アーレントの「全体主義の起原」なのですが、とても興味深く観ています。

「全体主義」というのは、ナチスやスターリンなど、個人が全体と同化あるいは尽くすことで個人も幸せになる、といったような政治体制や国家体制のようものを指すそうなのですが、今の世界、またもちろん日本にも当てはまる問題で、とても勉強になります。

番組の内容としては、ナチスを中心とする「ユダヤ人大虐殺」の根本となったのが「全体主義」であり、その過程を解明していったのが、ユダヤ人で政治哲学者のハンナ・アーレントの「全体主義の期限」という本を4回にわたって伊集院光やコメンテーターの先生と解説していってます。


具体的にはこういった流れです。

それまで、ヨーロッパ各国は王族が支配する国、あるいは郡や州の集合体でした。

支配階級と被支配階級が明確にあり、人間は区別されていたわけです。

ところが、フランス革命を発端に、「国民国家」が誕生していきました。

それまで、戦争や争いなどあったので「国家」というのは明確に線引きされていませんでした。
場所もそうですし、概念も明確ではないわけです。

ところが、「国民」による「国家」という概念が出て来た時に、「国家」とか「国民」ってそもそも何?と明確にしなくてはならなくなったわけです。

日本も各藩が国だったのが、江戸幕府を倒し明治政府を作る時に初めて「日本」という「国家」や「国民」という概念を武士階級の先鋭の人達が考え始めたのと一緒ですね。

そうすると「国民」というのは、同じ場所に住んでいた、というだけでなく、文化・伝統・言語などが一緒である人達、つまり民族と呼ばれるカテゴリーを中心とした分類がされていったわけです。

その際、例えば金貸しを禁止したキリスト教文化圏で、金貸しで金持ちになっていて軽蔑されていたユダヤ人などを「異分子」とみる傾向が増していきました。

また、その頃、イギリスやフランスなどが次々とアフリカ・アジアを植民地にする「帝国主義」が生まれていました。

いわゆる「文明化」している自分たちに対し、服装・生活様式などが「劣っている」黒人や黄色人種は「未文明の野蛮な人種」であり、自分達白人は生まれもって人種として優れていて、優れている白人達が野蛮人のアジア・アフリカの人間を文明化しなければいけない、これは生まれ持って優秀である自分達のような白人の使命である(マニュフェスト・デステニーと呼ばれている思想ですね)ということで、支配・植民地化を正当化していった時代です。

これが「人種主義」「人種差別」を生み出す最初の段階になったとアーレントは書いています。

一方で、国民国家成立がイギリスやフランスに遅れたドイツは、帝国主義にも出遅れたため、アジア・アフリカではなく、少数民族が暮らすまだ国家として盤石ではない東欧に進出していきました。

そこには同じヨーロッパ人が住んでいたわけで、先進的なフランスやイギリスとちょっと違って、肌の色というより「自分たちのような民族の方が優れている」という「民族的ナショナリズム」が生まれ、少数民族を支配する正当化していきました。

そして、「国民国家」として、「ドイツ国の国民なら、同じ習慣、言語、行動様式をとれ」という風潮はますます強まり、まだ「ユダヤ人らしい恰好や行動様式をとって暮らしているユダヤ人」を東欧で見ると、「こいつら、やっぱりえげつない奴らだ」という思いが沸き、同じドイツ内に住む見た目は自分たちと同じユダヤ人に対しても「やっぱり、こいつらはあの東欧のユダヤ人と同じで、えげつない野蛮なやつらだ」とする視線もどんどん鋭くなっていきました。

一方で、「国民国家」では、政治的、あるいは自分の利害のために国政に参加する、あるいは政党を支持する人たちが「国民」なのですが、逆に誰もが政治に参加出来るようになったがために、それまで権利や階級差別撤廃などを訴えていたことが、解消されるにつき、自分たちが「何をもって幸せになるのか」がわからなくなってしまい、主義主張を持たない「大衆」が生まれていったとアーレントは言います。

国政に関心を持っている人たちが構成するのが「市民国家」で、そうでない人達が多くなったところは「大衆国家」と指摘するアーレント。

このくだりを聞いて「なるほど~」とうなってしまいました。
私も農村の暮らしに出会うまでは「何をもって幸せか」というのは明確にはありませんでした。
また、政治・経済に対する主張もなく、政党に対する見解も見識もありませんでした。

そういった「大衆」ばかりになったドイツですが、今の日本もまさに「大衆国家」ですよね。

話を戻して、アーレントはこうも言います。

それまでのように階級や職業が明確に別れていた時代から、職業も階級も自由に行き来出来るような時代になり、そういった色々な職業や階級の人達が都市部に集まってきたことで、どういったところに自分が属しているか明確ではない人たちが増え、都市部には1人1人がそれぞれ何に繋がっているかという意識が希薄な「大衆」が増えていった、ということも。

今の日本がまさにそうですよね。というか近代化が進んで都市化が進んだ地域に住んでいる人の多くが「大衆」になるのは、自然の流れとも言えるんですね。


そして、ドイツは第一次世界大戦の敗戦で、莫大な賠償金を背負わされ、世界恐慌で失業者も増え、大きな不安に包まれていました。

そういった時に、具体的にどうしたら利益にありつけるか、といった話よりも大きな「世界の仕組みはこうなっていて、本来はドイツ民族はこうあるべきだ」とか「この世界をこんなにしてしまっているのは、ユダヤ人だ」といった「世界観」を与えたナチスが、「大衆」から圧倒的な支持を得ていった、というのです。

ナチスのことを「世界観政党」というそうです。
初めて知りましたが、なるほど、ですね。オウム真理教と全く同じです。

今の日本であれば「こうすれば経済は良くなる」といったことでしょうし、経営の世界であれば、カリスマ経営者であれば具体的な施策の前に「経営理念、ビジョン」などを熱くかたり、まずは人心を掌握するのが大切です。

そして、実際にナチスはアウトバーンの建設で雇用を生み出し、「ユダヤ人」という悪者をでっちあげ、また新たに戦争で国土を広げていったわけです。

解説者の先生が言った言葉も凄かったです。

「それまで、ユダヤ人は人間として差別をされてきわけです。ところが、ナチス台頭後、ユダヤ人は人間の外、食べるための家畜と同じで人間ではなく物質のような対象とみなされるようになってしまったわけです」

恐ろしい話です。。。


ということで、3回目までおわりましたが、この番組は1冊の本を4回シリーズで読み解きます。
最終回は、ユダヤ人大虐殺の責任者の1人が、実は陳腐な平凡な人だった、ということがテーマです。


アメリカのトランプさんだけでなく、今の日本も含め、よくよくわかるお話です。


思考停止をし、何となくその日暮らしをしていたり、ちょっとした反対運動や弱者救済のボランティアをしている人の多くは、自分の心の穴を埋めるためにそういったボランティアや活動をしている人が多い、ということをある人が言っていましたが、共感するところもあります。

それ自体は全く悪くないのですが、そういった人が、いつの間にか「世界観政党」や「新興宗教」にはまったり、ヘイトスピーチに流れやすい、というのも何となくわかります。

そういった人ほど「ころり」とプロパガンダやイデオロギーにやられてしまうと言われますが、そうなんだと思います。

仕事や何かをしてばっかりで、ふと立ち止まって思考をしたり、勉強を続けていないと、気づかないうちに「大衆」になってしまうのが、近代国家や都市部のシステムなんだと思います。

私もそうならないよう、お勉強を続けたいと思います。
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こぼれ種など発芽中

2017年09月21日 | 農的体験・生活
秋です。

稲刈り後も、なんだかんだといってドタバタしております
結局、冬にならないと農に携わっていると落ち着かないわけですね。


畑仕事は最後の草刈り、夏野菜の最後の収獲、そして秋冬野菜の種蒔きなどであたふたします。

この辺は、9月5日とか6日以降に蒔くと大体良いと言われます。

種蒔きの2~3日の差が、1~2週間の収獲のずれになるのがこの時期の種蒔きです。

そのため、例えば、寒さに弱い春菊などは9月頭は良かったのですが、今日だと「もう遅いだろうな」と言われてしまうのです。

今はまだ、ほうれん草、小松菜、大根などがギリギリ間に合います。

ニンニクなども彼岸まで、と言われますが、まあギリギリです。

でも、大根などは立派に大きくなるにはちょっと遅いかも、という感じです。
それでも良ければ9月末までは蒔ける感じです。

9月中旬に蒔いたものとして、ほうれん草がようやく発芽しました
日本ほんれん草といって、葉っぱがギザギザの昔ながらのほうれん草で、一般のほうれん草より収量は少ないのですが甘くて美味しいと思います
人参のように双葉がこんなに細くて小さいので、初期の生育が遅いんですね。


こちらは春菊。
寒さに弱いので11月下旬になって霜などおりるとアウトになってしまいます。
こちらも小さい種なので、早く元気に大きく育って欲しいものです


そんな中、昨年のこぼれ種が勝手に発芽して育っています

こちらは小松菜。
小松菜の菜の花は美味しいので、毎年春に蕾をつけさせて菜花を1ヶ月ぐらい収穫しています。
ただ、収獲が間に合わなくなると、黄色い菜の花が咲いて、種をこぼします。
それが勝手に生えてくるわけですから、まあ、自然の摂理で言えば、このタイミングでこの大きさが普通なのでしょうか。
ただ、8月下旬はだいぶ虫が残っているので、無肥料とはいえ多少虫に食われてしまいます。


こちらは大根。宮重青首といって、名古屋地域の青首の元祖みたいな在来種の大根を毎年育てています。
白いきれいな花を咲かせるのを遊びでやっていますが、そこから種がこぼれたようです。


そして、一昨年苗を植えて、昨年、そして今年もこぼれ種から勝手に発芽して育ったミニトマトは、まだ元気です


赤シソは、穂がつき始めました。
来年もたっぷりこぼれ種から育ってくるでしょう


その他、ニラ、アスパラなどは毎年勝手に出てくるから有難い野菜です。
そんなアスパラちゃんも枯れてきてもう終わりです。来年に向けてお礼肥えの季節ですね。


明日にでもほうれん草などの種蒔きをもう一度したら、一通り畑仕事も落ち着きます。

ほっと一息つけそうな予感がします
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最近の若い子

2017年09月15日 | 素敵な人・友人との時間
田畑をやっていると、また教室をやっていると、色々なご縁が出来ます。

3年前に「食と命の教室」に参加された二人組が、高柳さんの所に援農に来ました。

「やっぱりここはいいですね~。落ち着く」とか「悪いものが抜けていく」といった事を言ってくれます。

いつも田畑で仕事をしている高柳さんや私は「そうか」としか言えないのですが、都会暮らしどっぷりでもない2人でもそういうことを言葉にします。

農家というのは田畑にどっぷりです。
地域にどっぷりです。
仕事にどっぷりです。

でも自営業で自分で仕事が決めれます。
もちろん、自然相手なので、季節にあわせて、作物に合わせて仕事をしなくてはいけません。
それでも大きな自然の流れで「今年もまたこの時期のこの仕事がやってきた」という感じで、どっしりと構えています。

そんな生き方が、田畑を常にどっぷりでない方には、違って見えるのでしょうね。

と思っていたのですが、2人のうちの1人が横須賀から連れて来てくれた子は25歳。

若いのですが、自分なりの生き方をしています。

きっかけは2011年の東日本大震災だったそうです。

「自分たちは恵まれていて、食べるところも住むところも着るものも困ったことがなく生きてきました。これでいいのか、といった思いをずっと持っていたのですが、そこに東日本大震災が来て『このまま生きてはいけない』と思ったんです」


彼女はそう言います。

私も含めて集まったみんなでしばし、2011年で生き方をどう変えたかの話が出ましたが、農に携わる人、携わろうとする人は少なからず外からあるいは内からの差はあれ、生き方に影響を受けた人が多いです。

彼女もそう。

そして、めぐり逢いがあって旅に出たそうです。

そして、細かい経緯はわかりませんが、今は横須賀でNPOの活動で、田んぼを開墾し、食べ物を作り、子ども達に自然体験をさせる活動をしているそうです。

私がこの道に入る頃はそういったハシリだったと思いますが、年々加速していると思います。

その流れは、社会人になったものの心の奥底に「このままでいいのか?」と疑問を持ちながら生きてきた人が、回帰するように世界を変えようとしている流れ、もう1つは若者が最初から「物質的な豊かさではない世界の生き方」を選ぶ流れです。

私の周りだけのことかもしれませんが、今の20~26歳ぐらいは、そういった子が多くなった気がします。

つまり、大学生が単純に就職活動をするだけでなく、何か考えをもって大学の専攻を選び、そして道を農に関わることにしているんですね。

そういう意味で、おじさん、おばさん達が色々考え、時代を何とか変えないと、と頑張っているわけですが、既に地脈から表面に新しい流れが湧き出てきているんでしょうね。

知り合いとたまに話す時に「間に合うのか?」と言う人がいますが、私は「我々世代で完全に変わるのではなく、この流れは子ども、孫の代まで続いて、孫の代には変わっていると思うよ」と答えます。

70年かけて突っ走ってきた近代化は、70年かけて違うステージに移るのが自然です。

自分達の生きている間に世界が大きく変わると思うのも不自然ですしね。

と思いつつ、あぁ、時代は変わってきているな~、と思う今日この頃です
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快晴の下、今年も稲刈り♪

2017年09月10日 | 農的体験・生活
今月の「田んぼと畑の耕育教室」は稲刈り&天日干しでした

5月に田植えをし、緑のじゅうたんのようだった田んぼが、9月には黄金色の草原のように変わります。
そこでザクっと刈る音や手応え、またお日様の香りが何ともたまらないのが稲刈りの醍醐味なのですが、一昨年、昨年は本当に大変でした

一昨年は大雨で水浸しの中での稲刈り、昨年は台風の直撃で稲が倒れグチャグチャの稲を刈り取るという感じで、この2年は天候に恵まれなかったのです

今年もどうかな~、と心配していましたが、今年は晴天に恵まれ、むしろ暑いぐらい

年間通っているご家族は「一昨年、昨年と全然違いますね」とのコメント。
まさにその通りです。

今年だけ参加した方はわからないと思いますが、過去2年参加している方は、天候が農業にとっていかに大きな影響を与えるか、また天候によって農家さんや作物がいかに大変になるか、恐らく一般の消費者とは違った目を持つようになったと思います。

だからなおさら、大雨や台風だった過去の田んぼの現場を良くわかってくれているので、晴天の下に稲刈りが出来る喜びを噛み締めていました


今年は晴天でもあり、昨年の振替の方も沢山きて、懐かしい顔に会えたのも嬉しかったです

根本さんは超多忙なので1人で2日間で40家族150名ほどの面倒を見た教室でしたが、事前に説明をきっちり行い、また各ごご家族で気を付けてくれたのだと思いますが、私のしる限り、ケガもなく無事終了し、今年の山場を超えたな~という感じです

私は農家ではないのですが、稲作をやっている農家さんの気持ちがちょっぴりわかります。
田んぼをやっている農家は、稲刈りが終わらないの落ち着かないのです。
「これでようやく一段落」というのがあるんです。

3月ぐらいから本格的に準備をし、暑い夏を乗り越え、9月に稲刈りを無事に終わらすことで、1年の中心となる仕事がほっと一段落するのです。

これは体験してみないとわからないのです。

良く「自然が人を育てる」とか「人間も自然の一部だ」と観念的に言う事は出来ると思うのですが、農業なり林業なり、そういったものを毎年やっている人にとっては、その言葉が体で人生でわかっているんですよね。

そういう意味で、過去2年の厳しい状況から今年は一転、晴天が続いたことで本当にみんなホッとしていて、喜びもひとしおなのです

そして、今年はなるべく顔と名前を一致させようと、また初心忘れるべからずで、参加してくれたみなさん1人1人に出来るだけ気を配っているつもりなのですが、そう思うと、つくづく思うのですが、親子そろって田畑に通おうとする家族はみんな良い人だな~ということに改めて気づくのです。

そもそも自然体験を子供にさせたいと思っている親御さんは、自然体験の大切さをわかっている親御さんで、そういった感覚を持っている時点で、とても素晴らしいと思うのです。

そして、親御さんはもちろん、体いっぱい田畑を満喫して虫やカエルを捕まえて走り回っている子供たちを見ていると、この教室は本当に素晴らしい体験の場だな~と思うのです

中には、親御さんが「今年はいいかな」と思っていると「田んぼの季節だね」と子供から言い出して、あわてて申し込んできたり、あるいは、久々に参加して子供が張り切って親御さんが頑張って子供についていく、なんていうパターンがあります。

子どもにとって夏休みにジジババの家に帰るような感じで、田んぼの季節にこの教室に来る、というのが当たり前になっていること自体、すばらしいな~と思うのです。

そして、新規就農者が農業を志す原点は、私の知っている限り結構幼少期にあることが多いのです。

だから、この教室をやって6年経ちますが、今まで参加してくれた家族の中から、将来、必ず農に携わる人が出てくるだろうな~とも思うのです。

もちろん、親御さんにとっては、仕事やせちがらい世の中で頑張っているわけで、何も考えずに自然に溶け込めるは癒しの場であり農のある生活を学ぶ場になっていますから、早期退職や定年後の田畑を志す原点になるでしょうし、もちろん子供たちの今後の人生の選択の際の原体験の1つにもなると思うわけです。

そういう意味で、6年目になりますが、本当に価値ある場だな~と思います
そして忙しい中、田畑を使わせてくれる農家の根本さんに感謝です

それにしても今年は晴れて最高のコンディションでしたお天道様に感謝感謝です



ちなみに、暑かったので、ほとんどのご家族がお昼を食べたら帰りましたが、中には強者もいて、16時や17時ぐらいまで稲刈りをしているご家族もいました

それも子供が稲刈りにはまって、お母さんはそれを結ぶのに手いっぱい、みたいな感じでした
夏の帰省時のお菓子も頂いちゃいました
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体を大切に

2017年09月06日 | 仕事の中で
季節の変わり目です。

とても暑い日が続いていましたが、最近は肌寒い日も多いです。

この時期、どっと夏の疲れが出る時期ですね。

春や秋は生き物にとって大転換の季節です。

冬にこっそり芽を出した草花、木々が、2月以降、どんどん芽吹きを始め、停止していた生命が一気に動き出します。

人間も自然の一部で、冬に貯め込んだ冷えやたまったものが一気に流れ始めます。
そんな時、ちょっとした春の山菜で軽い毒を入れて、体の毒素を出し、春に体を切り替えます。


秋もそうです。

夏の暑さに体が慣れていたわけですが、心身は実は疲れていて、気が張っているので頑張ってこれました。
それが急に気温が下がると体の中に流れていたものの動きが遅くなり、どっと疲労が蓄積してきます。

夏草は種をつけ、来年に向けて命を繋げることを終えると自分の代の一生を終えます。

虫も卵を産んで次の世代に命を渡します。

セミもほとんど鳴き声を聞かなくなってきました。

夏の野菜、例えばナス、トマト、モロヘイヤ、オクラ、ゴーヤなど、多くの作物がその命を終えようとしていて、生命力が落ちているので、枯れてきたり虫に食べられてきたりしています。

そんなことを目の当たりにすれば、人間も次の季節に向けて体の大転換が起きているのは当たり前かもしれませんね。


2週間前、まだ暑かった頃ですが、同僚が倒れてしまい、2週間、未だ動けない状態です。

私も厄年の2年は本当につらかったです。

40歳前後で今までの生活では無理がきていたのがドッと出る人が多いです。
40代で出れば良い方です。
そんままいって60代で出る人は、結構多くの人がぽっくり逝ってしまう人が多いのです。

年もそうですし、季節もそう。
変わり目というのは、特に注意して、体を大切にして過ごして参りましょうね。

そんな私は、週末、今年の稲刈りイベントです。
体調整えて楽しくみんな収穫の喜びを味わいたいと思います

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小野寺夫妻のドラマをみて思う事

2017年09月04日 | 自分の時間
昨年のドラマを今頃観たのですが、面白いドラマでした

ムーミンの翻訳をされた小野寺百合子さんと、ストックホルムで戦時中に諜報活動で活躍された小野寺信さんの二人の夫婦の物語のお話でした。

旦那さんが「諜報の神様」と言われた人らしく、日独同盟でドイツがソ連に侵攻するという情報、その後にドイツが敗戦濃厚であるという情報、あるいはドイツ降伏後に3カ月以内にソ連が不戦条約を破棄して日本に侵攻することをヤルタ会談で決めたらしいという情報など、数多く貴重な情報をスェーデンのストックホルムから本国の日本に送ったけど、それは全て相手にされず、戦争、あるいは敗戦を止めれなかった、という事実に即した物語です。

奥さんはその旦那さんの機密情報を暗号にして本国に送るという役割をしていました。

当時の緊迫感が伝わってくるドラマで、旦那さんは「国が壊滅する」という危機感、それを何とかしたいという強い思いがあり、奥さんは旦那さんにお手伝いをするものの、自分の子どもの目の前で殺人などが起きて「子ども達と諜報のどちらが大事なんですか!?」と旦那さんに突きつけるなど、エリート将校の立場での葛藤などが映されていました。

7,8月は戦争ものがテレビでも多くなりますし、私もず~っと戦争物を観たり読んだり考えてきています。

そしてこのドラマを見た後に、「なんであんな戦争を行ったのか!」と過去の日本の軍人を批判する人達の事を思います。


いつも思うのです。


当時、確かに軍部、特に陸軍などが暴走をしたという事実もあるでしょうが、同じ陸軍の中でも戦争をしてはいけない、あるいは満州で留めるべきだ、といっていた人がたくさんいたということ。

誰一人、戦争をしたくて行ったわけではないこと。

国として、政府、軍部、国民がまとまっておらず、新聞メディアも時流に載って煽るだけ扇いでいたということ。

悩み、葛藤し、激論を交わし、欧米列強から「黄色人種の脳は白人より劣っている」とか、移民した日本人を排斥する法案がアメリカで通ったりとか、まともな人間扱いされない状態で、最後の最後で石油を全て取り上げられるところまで追い詰められた状態で、丸裸状態になり、国家としての形が崩れるまで待つのか、そうではなく国家を存続さえるための行動をとらなければならないのか、決断を迫られる立場に自分がいたとしたら、どうなのか。

そう思ったうえで、かつての国のトップ層の事を考えたら、本当に全員「ばかげたことをした」のか?

戦争は無いのが良いに決まっています。絶対すべきではないのは当たり前です。
その戦争をしたことそのものを批判するより、今回の小野寺夫妻だけでなく、多くの人がその回避に全力を尽くしたことも事実であるわけです。
それでもしなくてはならなかった。

例えば東京裁判であっても、戦後、5年後にマッカーサーが「あれは茶番だった」と言っています。
また、「ハルノートなど、ああいった状態になれば、どんな国でも戦争をせざるを得ない。あれは日本の自衛・防衛戦争だった」と言っています。

「なんであんな戦争をしたのか。陸軍はなんであんな無茶をしたのか。東京裁判で裁かれたのは仕方無い」という、今になって過去の結果を批判する人がいますが、それはずるいですよね。

当時、もし自分が軍のトップだったら、あるいは政府のトップだったら、あるいは何かしら国の将来を決定する立場にいたら、戦争という手段を取ることは、果たして絶対に選択しなかったのだろうか、と。あるいは、回避させることができたのか、と。


例えば、現代の空想話に置き換えてみましょうか。

北朝鮮のミサイルが自分の住んでいる地域に飛んできたとします。
その結果、自分の知り合い、あるいは家族が死んでしまったとします。
アメリカが報復攻撃を決定し、北朝鮮を壊滅させる軍事行動に出たとします。
そして、後方地域として、日本の港、飛行場があるところは一時緊急事態でアメリカの軍用機や軍船の基地となるとします。
そして、こじれて中国と一触即発の状態になったとします。
日本の国中、戦争反対という声が最初は上がるかもしれませんが、中国と戦争となった場合、日本は前線基地であり、自衛隊しか持たない日本はアメリカに頼るしかなくなるわけです。
アメリカとしては日本が占領されてしまうと、アジア大陸の足がかりがなくなるので、多少、国土が荒らされても、戦争前線基地として日本をある意味自分の傘下の州の1つとして使い始めます。
すると、アメリカの配下のような形の政府に国民が反対の声をあげるかもしれません。
あるいは家族を殺された人達が、「これ以上ミサイルを撃ち込まれれば、自分達と同じような人たちが増えるんですよ!」とテレビに沢山出るとします。
その流れで、メディアが「アメリカを頼らなくてはならない」と言い始め、一方で「なぜ、自前の軍を持たなかったのか?」と言い始めるかもしれません。
すると、国民全員が「そうだそうだ」となって、自国の軍を持たなかったことをおかしいと思い始め、一気に戦争ムードが高まるかもしれません。
そこにロシアが巧妙に入ってきて、そこに今度はインドも入ってきて、となってぐちゃぐちゃになって第三次世界大戦直前の状態になったとします。

そんなむちゃくちゃな状態になることが予想された時に、国の中枢の立場であれば「自衛隊を軍として認め、後援・補給だけでなく、場合によっては他国への先制攻撃も辞さない」と決断しなくてはならないという事になるかもしれません。

それを国民が望み、メディアが煽り、もちろん反対派もいたり、政府も国民も軍部もどうしようもない緊迫した状態と混とんとした状態で、しかし、アメリカから「アメリカに国の機能を委ねてでもあくまで自分達は補給・後援までしかしないという立場をとるのか」、あるいは「日本が自立国としてアメリカと対等の関係で軍事行動をとるのか」という選択を迫られたとします。

そこで、「いや、何があっても戦争はしない」という事を言えるのか?
あるいは、戦争に関わるとしても、どういった立場で関わるのか?

そんなことを突き付けられた時、誰であろうと、どんな権益を持っている人であろうと、国を動かす立場の人であれば、日本人であれば真剣に考えると思うのです。

その時、その真剣さに優るとも劣らない真剣さと知識が果たして自分にあるのか?

そうでない場合、私達は国を動かす立場の人にとやかく言えないと思うのです。

単にメディアに踊らされるだけだと思うのです。

そして、何十年かたって、評論家や国民が「あの時、国を動かしていた政府が悪かった」あるいは「軍部が悪かった」と言い始めるのかもしれませんが、本当にそうなのかな?と思うのです。

小野寺夫妻だけでなく、かつて、たくさんの人が戦争回避活動を真剣に行っていました。
奥さんに対し、旦那さんが「家族が大事という議論の前に、国が壊滅してしまえば、全てがどうにもならないじゃないか」と言い放つのですが、そういう気持ちが生まれるのはわかると思うのです。

それでも戦争がありました。

トータルで、なぜ起きたのか?あるいはなぜ起こしたのか?ということは学ぶべきことですが、批判しているだけでは思考停止しているだけだと思うのです。

そんな思いが湧いてきたドラマでした。
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