半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

それでも桜は咲いている

2020年03月30日 | 自分の時間

コロナが大変な状態になってきました。

先週、東京の姉から「首都圏封鎖もあるから4月は会えないかも」という連絡が来たので、ニュースなどあまり見ない私は、「東京が結構すごくなってきたのかな~?」という程度の認識でした。

2週間ぐらい前までは、「年配の持病を持っている人が亡くなっている」という程度の認識でした。

ところが、ちょうどこの前の金曜日、小池都知事の記者会見をテレビでたまたま見て「東京もそんな状態なのか」とちょっと驚きました。

海外については、イタリアが大変なことになっていましたが、イギリスも「集団免疫をつける方向で隔離などをすこし緩くして、ゆるやかな免疫をつけていく方針」が裏目に出て、イタリアと同様な状態になったとちょうど知ったのも先週でした。

ニューヨークを中心に、アメリカも大変な状態です。

1カ月前を思えば、世界がコロナで騒いでいる中、アメリカは大統領予備選などで大人数が一カ所に集まっていてコロナなど眼中に無いという状態だったことを思うと、嘘のようです。

という状態を考え、2週間ほど前とは私も認識を改めました。

コロナはそうやすやすと収束するものでは無い状況になってきたようです。

 

そんな人間の間に起きている大問題をよそに、桜は満開を迎え、昨日の大風により散り始めました。

桜はいつも通り美しい

本当に「人間の事は関係なく、いつも通り咲いている」という事を思いました。

 

コロナと同じ状態で思い出すのが原発事故です。

原発で放射性物質が降ってきて、成田地区の野菜も軒並み駄目になりました。

しかし、そんな人間の問題をよそに、ホウレン草や菜花、そして雑草などはいつも通り生育していました。

キノコが放射能を吸うといって特に原木は食べる事を禁止になりましたが、キノコはキノコで自分の役割を果たして育っていました。

あの時に思ったのは「ナウシカの世界のようだ」という事でした。

勝手に原木に菌糸をうって食べるために育てたシイタケに、勝手に放射性物質を降らせて、勝手に「シイタケは危ないから食うな」と騒いでいる人間は、まるでナウシカの世界の人間と樹海を思い浮かばさせました。

あの時、「シイタケさん、ごめんなさい」という事をブログに書いた事を思い出しましたが、今日も美しい、そして散り始めた桜並木の下を通っている時に「あぁ、人間は勝手に騒いでいるけど、桜は今年も美しいな~」と思いました。

 

自然はいつでもいつも通りです。

環境を破壊し、自分中心で騒いでいる人間をよそに、与えられた場所で自然の摂理に従って動植物は生きています。

人間よりよっぽど偉いな~、凄いな~、と尊敬します。

農の世界では10年以上前から「今年は異常気象だ」と言われ続けてきましたが、昨年は世界中が「このままだと地球はおかしくなる…人間は住めなくなる」と騒ぎ始めました。

一般人、都市部住民の方にも「おかしな気候だ」と気づくほど、限界値に近づいたわけです。

そして、世界中の人や物が移動出来るようになったおかげで、一地域で発生した新型ウイルスが世界中に飛び火する世界になったことも、ある意味、私たち人間社会が作ったものが原因です。

それでも自然はいつも通りです。

自然から学ぶことがあるとすれば、地に足をついて、自分が出来る仕事をコツコツ真面目にしっかりと行うこと、ではないでしょうか。

そういう意味で、農など第一次産業はとても良いと思います。

いつも通り、種を蒔こう、と今日は種を蒔いてきました。

都会の満員電車にのって通勤しなければいけない人達に比べれば、畑にポツンといても仕事が出来る事は有難いことです。

種を蒔き、草を抜き、命が育つところを見守る仕事です。

もちろん、気候災害の影響を直に受ける仕事ですが。

それでも、自然と離れないでいられることは、大きく道を間違えないと思います。

原発と同じで、そういった事に気づく人が、またこのコロナで増えるでしょう。

とはいえ、ここまで凄まじい感染力とは思いませんでした。

あとは自分がいつ感染者になるかわかりませんが、出来る防御をするしかないですよね。

コロナが収まる日がいつになるかわかりませんが、それまで息をひそめて、各自が出来る事をコツコツ地道にやっていきましょう。

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ついにスマホ&光!

2020年03月26日 | 素敵な空間・イベント

世は春休みです

桜も9分咲きでほぼ満開

とはいえ、コロナ騒動、どんどん大変になってきています

オリンピックは延期となったし、東京で急激に増えて、爆発的な状態になる岐路に立たされていると、小池都知事が会見していました。

それに比べ、千葉県の森田知事は昨年の台風15号の時と同じで、何もしない。

困ったものです。

成田市といえば、全国的に休校の中で稀有な「小中再開」に踏み切りましたが、春休みまでの約1週間、無事にコロナが出ませんでした。

これでコロナが出たら教育長は責任問題でしたから、本当に良かったです。

それにしても、日本のコロナの拡大は、ほぼ、クルーズを抜かすと海外渡航者、あるいは海外観光客などからです。

その規制が遅い、あるいは緩いと思うのですが、学校休校などの措置がとれるのだから、海外の人の出入りをもっと早く、もっと厳しく制限しないとね。

自粛を要請するとかそういっている場合じゃないと思うのですが。。。

 

という前置きはさておき、ついに我が家にスマホ&光回線が来ました

ドコモのガラケーは2026年まで大丈夫ということで、まあ、実用的にはガラケーで十分だったのですが、昨年末からの子どもとの約束「ゲーム時間を3カ月守ったらWi-Fi飛ばして」という熱意、そして奥様のガラケー電話代が多い時は8000円を超えてしまうこと、また、子どものお勉強のご褒美など、色々な要素から、ADSL回線を光回線に替えてWi-Fiを飛ばし、同時にスマホも導入とあいなりました。

昔、東京で働いている最後の頃は、1台のガラケーで5人まで電話会議が同時に行えていたので、2台のガラケーを右耳と左耳の両方に挟んで会議する、といったハチャメチャな事をしていました

パソコンも365日、肌身離さず、たまの休みの日もメールチェックは欠かせない会社でしたので、その反動で、メールは自宅にいる時にパソコンで見ればいい、という生活になってから、スマホが全く必要ない生活な私。

ということで、スマホが来ましたが、まあ、まだよくわからないことだらけ

子ども達の方が良く知っていて、あれやこれや教えてもらっていますが、電話とメール以外はカメラがきれいなのでデジカメがいらなくなるね、ぐらいですかね。

それより持ちづらく、落としやすく、まあ慣れるまでもう少し時間がかかるでしょう

 

また、光回線も、もともとあった光をあえて外してADSLにしたこともあったぐらい、それほど通信速度は必要なく、YouTubeなども全く問題なく見れていました。

ただ、スマホを使ったり、子どもがオンラインゲームをやるとなると、やはりさすがに無理だろうということで、導入。

光&スマホ同時加入なら割引が効く、というのも理由の1つです。

電磁波をあえて家で飛ばしてもしょーない、とも思っていましたが、まあ、これも区切りでしょう。

生活は変わらず、コストダウンはしますが、一番は「壊れるまで物を使い切りたい」という思いが一番だったのですかね~。

何でも買い替える時代に違和感を覚えていて、昔の良き日本人の精神、あるいは地球環境などを考えると、かつて「洗濯機を使える人口は20億ぐらいで、それが70億人全部使えるようになったら、地球は崩壊する」という衝撃の事実を知った時、「あ~、日本の消費レベル自体がおかしいんだ」という事に気づき、物を大事にする精神が宿りました。

だから、心躍るようなことでも何でもないのですが、まあ、しゃーない、ということで。

あとは我が家の最後の砦は「ブラウン管テレビ」ですね。

あの子は壊れるまで使い続けたいと思います

 

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孫の手作りホワイトデー

2020年03月15日 | 素敵な家族・子供との時間

3月14日から1日過ぎてしまいましたが、世の中、ホワイトデーでは今年はコロナの影響か、お花を贈るパターンが多かったそうですね~。

私自身はもうそういったものに全く関心がない年頃になり、実際に誰からももらわなくなりましたが、うちの母と姉から子ども達に2月にチョコが送られました。

子どもたちからみれば、お婆ちゃんと叔母さんからのチョコですね

で、子供たちに「ホワイトデーだからお返し、何か作りなよ」と伝えたのですが、たまたま、週頭にお友達のところでクッキー作りをしたこともあり、また、来週に叔母が成田に来ることにもなっていたので、その練習も兼ねて、お婆ちゃん向けに手作りのお菓子を作ることになりました。

まあ、暇だったのもあるのでしょうが

親は全く手も口も出さず、完成品だけ見せてもらったら、これがなかなか凄い

まず、昔、工作教室で作ったことがあるという「飴入りクッキー」をササっと作りました

クッキーって私は作ったことが無いのですが、長男曰く、「簡単だよ」ということで、手慣れた手つきで生地を作り、飴玉を砕いて型抜きしたクッキーの中に入れてオーブントースターにセット。

これを焼くとあら簡単、飴入りクッキーが出来ちゃうんですね~

こんな感じで、まさに飴入りクッキーで歯にくっつくやつです

そしてとっても美味しかったです

 

そして、次男は長男に以前買って上げたお菓子本をペラペラめくりながら、「どれ作ろうかな~」と考えたあげく、悩んでいた2つとも作ることになりました。

1つは「金柑の甘露煮入り蒸しケーキ」と「白玉イチゴ」というもの。

最初、金柑を買ってきて甘露煮にするところからという話もあったのですが、たまたま家にピールがあったので、それを使うことに。

そして、初挑戦ながら、まあ、誰も手伝わなかったのに、これが良く出来てしまうんですね~

蒸しケーキって、どう作るかわからないのですが、上手に材料をかき混ぜて、家にこんな道具あったっけ?というのを引っ張り出して蒸し始めました。

で、出来上がったのがこれ。まあ、こんなに上手に蒸しあがるんですね

予想以上に上手で美味しそうだったので、温かいうちに私もいただきましたが、美味かった

そして、もう1つは「白玉イチゴ」。

イチゴが白玉粉に包まれているものだそうで、こんな感じで、上手にくるんでいました。

そして完成したのがこれ

餡子玉ものっけて、まあお皿がまともだったら、そりゃ、ちょっとした和菓子ですな

フレッシュなイチゴの香りと甘味がジュワっと広がり、モチモチも楽しめる、なかなかの逸品。

こんなものを孫から作ってもらえるなんて、お婆ちゃんは幸せものですな

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色んな人が来る「食と命の教室」

2020年03月14日 | 農的体験・生活

今年2回目の「食と命の教室」はあいにくの雨

ただ、今回も10人と多めの参加者で色々なお話を聞け、また新しい方も2人来て、私としては勉強になりました

まずは先月、ゴマ粒のような種を蒔いたミニトマトの鉢替えです。

こちらはナスですが、まだ双葉状態なので移植は出来ません。

ナスの種の方がミニトマトより大きく、したがって双葉も大きいのですが、生育は何故か遅め。

高柳さんに聞いたら「ナスは原産地がインドというから、高温でないと育たないんだろうな」とのこと。

なるほどです。

一方で種は小さくても原産地がアンデスで冷涼なところでもある程度は育つミニトマトは、本葉を沢山茂らせてちょうど鉢替え時です。

 

まず、その鉢替え用の土を先月と同様、ピートモスと鹿沼土を混ぜて作ります。

今回も2グループに分けて土を混ぜ混ぜ。

左のグループは素手で土を触りたがる人達が多く、右のグループは手袋をしている人達が多く、土に対する感性も人それぞれですね~。

そして出来上がった土をポットに入れたら、育った苗を移植します。

セルトレイで育った苗は、根っこを外にまで出しているほどなので、引っ張り上げると切れてしまいます。

なので、最初にセルトレイのお尻をぐいっとつまんで押し出すようにします。

するとこんな感じで抜けます。これをポットに鉢替えしていきます。

1時間ぐらいで1000鉢ほどの植え替えが出来ました。

これがおかげさま農場の今年の出荷分のミニトマトになるんですよ

来月にはいよいよハウスに移植です

さて、お昼はいつものように田舎料理で、野菜がほとんどですが、どれも美味しい~

そして午後は恒例の「根の国」の視聴です。

2月は「土の世界を知る」というのがテーマで、電子顕微鏡で土の世界を覗きます。

1gの土に1億の微生物がいると言われています。

それをマクロの目で見てみると、体長5mmのヒメムカデがいたり、体長1mmのダニがいたり、そういったものが堆肥を食べ、糞尿を出し、あるいは死骸となり、あるいはそういった小動物が肉食しあうために集まってきて沢山の生き物の世界が出来ます。

そして、そういった昆虫や小生物の死骸を食べるカビ、バクテリア、そういったものを食べるセンチュウなどの世界があります。

例えば、あるバクテリアが増えたらそれを食べるセンチュウが集まり、そのセンチュウが好きなバクテリアが集まる。

カビが増えたと思ったら、そのカビを食べるバクテリアが集まる。

ナレーションでは「バランスが取れた土の中では、ある者が絶対的支配者になることは無い」と言います。

まさに「調和」が、バランスが自然にとられるのです。

そして、植物の根毛が伸びていく様を映した映像には「美しかったです」という人もいるように、無数の根が土の中に伸びていきます。

その根の周りには、根圏菌という菌が住んでいるのですが、根は古くなった細胞を積極的に切り離してエサとして与え、根圏菌はそのエサを栄養に属食して排泄物や死骸となり、それをまた根が吸収するといった「共存」が行われています。

根の世界というのはまさに大宇宙で、自然界はどんな単位でも「生態系」「食物連鎖」が起きていると同時に「調和」がなされていくのです。

こういった世界を「根絶やし・根絶」にするのが農薬です。

今回参加した方の1人は慣行栽培、つまり、一般的な農薬や化学肥料を使うプロ農家さんでした。

元々はアパレルなどの会社員をしていたそうなのが、10年ぐらい前に就農したそうです。

大きな農家の農場管理者として日々働いているそうですが、「土壌消毒をやった日は体調が悪くなるんです。ここまでやる必要があるのか?と疑問に思い、有機を学びたくて」と参加したそうです。

また、どうしてこの教室を知ったのか聞いてみると、わざわざ、おかげさまの直売所に茨城から自分の食べるようの野菜を買いに来ているそうです。

その理由は「自分が食べるのは無農薬が良いと思って」とのこと

普段、農薬をたくさん使っているのを見ると、それを自分では食べたくならないようです。

昔、こういった農家は良くいたと聞きましたが、今もそうなんですね~。

そして「とても勉強になりました」と帰っていきました。

 

また、今回から参加した方は、5年前から原因不明のアレルギーが出てアナフラキシーショックが年に1度は出るという方でした。

あらゆる食べ物にアレルギーがあるようで、ただ、原因は不明。

大変ご苦労をされているのでしょうが、とても柔和な感じの方。

私も経験がありますが、自分の意志ではどうしようもなく体が動かない、あるいは調子が悪い状態になると、普通の生活さえ出来ないことに不甲斐なさ、つらさが募ります。

ただ、そういった自分の不調を外に吐き出して当たり散らすのか、あるいは、見つめていけるのか、どういった方向に出るのかはその人の本性次第なんだな~、と思えるような、落ち着いた方でした。

 

また、今回は久々に女子大生が参加していて、周りは30~60歳ぐらいの大人ばかりですから、あまり発言はしないのですが、「今の教育は」という議題が上がった時、ちょっと話を振ってみました。

というのも、高柳さんは70歳でその子供の世代は私と同じで「受験戦争時代」で、それが「今の学校教育」という発想になります。

参加している方々も、自分が学生だった頃の経験をもとに、今の世相を見ているわけですが、私は実際に、最近の小中の事を知り、また20代ぐらいの若い子の話を聞くと、むしろ学校は今の一般社会の中ではよっぽど頑張っていると思うし、一般の親の方がだらしないし、子ども達もよっぽど人生を考えている、と思う事が多いのです。

それで「今の学校教育は人間としてどう生きるかを教えない」という話で大人同士は盛り上がるのですが、私が学生だった頃は「良い大学→大きな会社」といったレールがまだあった時代ですが、今はそうではないということは学生はみんなわかっているし、その中で、あえて役人とか大会社を狙う子もいれば、最初から農を目指したり福祉を目指したりと、よっぽど私の学生時代より職業観や仕事観を持っている子もいると思ったので、学生の子に聞いてみたのです。

そうしたら、「レールに乗ろうと頑張る子ももちろんいます。私の場合は社会福祉を学んでいるからかもしれませんが、先生も決まった会社に入る事ばかり考えていては駄目という先生も結構います。まあどちらにしろ自分探しというか、どういった道が良いか悩んでいる子が多いと思いますが」というお話も聞けました。

こういった教室の良いところは、1つの鏡として農業を続けてきた高柳さんの話を聞きながら、それぞれの立場、経験、人生、考えをもった老若男女が、普段の生活圏では引かれてしまう真面目な話を語り合えることです。

そして、そういった人達に出会えて、ご縁を持ち、ほんの少しですが、それぞれの思いや本音や人生の葛藤の発露に触れる事が出来ること。

そして、主催者の私もとても勉強になります

来月の「食と命の教室」は4月18日。ミニトマトのハウスへの移植になります。

来月も楽しみです

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春は菜花の季節

2020年03月13日 | 農的体験・生活

水曜日は最高気温20℃で、木曜日も温かかったですが、また土曜日から気温がぐんと下がるようですね。

まあ、春といえばとてもポカポカして良い季節でもあるのですが、歳を取ってくると春は季節の変わり目で体に症状が出る季節でもあります

冬に貯め込んだ毒素を排出するために、タラの芽やフキノトウなどを普通に食していた時代と違い、そういった場所がないとなかなか、そういったもので体を刺激して排出することが出来にくいのです。

「あなたと健康」の故・東城百合子先生も書いていますが「小食にして胃腸を休める事」を勧めます。

また、私の場合はひたすらこの時期は菜花を食べます

昔、働いていた直売所で、店長が「小松菜の菜花が一番美味しい」と言っていて、普通の菜花よりは10円高く仕入れていました。

私も小松菜作りを毎年しますが、ここ数年は、もっぱら春の菜花取りのために作っています

昨年は台風などでどうも調子が悪かったのですが、それでも先週から菜花が付き始めています。

小食でよく噛み、菜花などを食べる、という当たり前のこと、調子が良いとすぐにお酒やポテチに走ってなかなかできませんが、努めて体を労わり、養生するお年頃です

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今年も3.11がやって参りました

2020年03月11日 | 自分の時間

3.11がやって参りました。

人によってそれぞれですが、私の場合は生き方を見直す大きなきっかけになりました。

一番は「大人として子供達に責任を持つ生き方をしてこなかった」と大きなショックを受けたのです。

原発に関心を持たず、事故が起きてからその事態の大きさを知ったという、無知、無関心、そこから来る責任感の無さに、猛省し、会社を辞めて、今のような生活スタイルに変えました。

話はちょっとずれますが、今年の「食と命の教室」に来ている人の中にも「東日本大震災で自然の驚異と自分の食べ物や命についての勉強不足が身に染みていました。また最近の自然災害でそういった思いを強くしていて、ちょうど子育てや仕事も一段落したので」という理由で参加くれた人がいます。

今年は他にも「自分で何かあったら食べ物を作れるようになりたい」という参加者が多くいます。

戦後、化学兵器が農業利用に転換されたことで農薬・化学肥料が世界中に広まり、多くの小動物が死んでいくという事態が発生しました。

1960年代にレイチェル・カーソンが発表した「沈黙の春」は世界中に大論争を起こし、日本では1970年代には有機農業研究会が日本に発足しました。

また、高度経済成長と公害の時代で、有吉佐和子の「複合汚染」がベストセラーになりました。

そして世界中の賢人が集まって出来た「ローマクラブ」が1972年に「今のままの経済成長と消費を続けていると世界は破綻する」という事を「成長の限界」という報告書で世界に示しました。

しかし、私の親世代は高度経済成長に燃えている時代ですし、それは人間の当然の欲求ですから、イケイケドンドンで進み、また、非エネルギー産出国の日本としては悲願の「原発」を沢山建造しました。

私の世代は「受験戦争&就職氷河期世代」で、環境問題よりもやはり親世代と同じように自分の生活優先の生き方をしてきました。

団塊世代と団塊ジュニア世代は日本で最も人口が多い世代のため、日本の政策や商売、テレビなども全てこの2世代向けに作られています。

この2世代が自分の満足、あるいは消費活動を楽しむ生き方ではなく、後から生まれ育ってくる世代のためにお手本にならないといけないと思っていますが、むしろその下の世代に自分より社会の事を考えた生き方をしている人たちが増えてきているように感じます。

まあ、そんなことを思いつつ、今日も毎年恒例の「ろうそくで夜ご飯」をしました。

子ども達は「キャンプみたいで楽しい」と昨年ははしゃぐだけでしたが、今年はろうそくのきれいさにキラキラしていました。

子どもはそれでいいのです。

あの頃は未就園児だったわけで、怖い記憶をあえて呼び起こす必要は無いのです。

「その後の情報」はテレビや学校の先生から十分に伝わっています。

そして、昨年の台風の停電の時もそうでしたが、子どもはどんな状況も楽しめる力があります。

そんな子供にどれだけ大人が救われることか。

だから、大人になった時に「ろうそく、きれいだったな~」から「あれはそういう意味だったんだよね」と後で何かしら思えば良いと思っています。

これから首都直下地震、南海トラフ地震、大干ばつや大豪雨もこれからは多発する時代で、問題山積みですが、自分の生活が世界に繋がっているという思いをもち、子孫に迷惑をなるべくかけない生活を続けていきたいと思います

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コロナ騒動

2020年03月05日 | 自分の時間

いや~、コロナ騒ぎ、凄いですね~。

日本全国の小中学校は月曜日から休校、という事でしたが、成田は水曜日から休校です。

先週金曜日の報道をもとに小中学校から連絡が来て、「おい、月曜日から学校がお休みかも知れないぞ」と子ども達に言うと、「え~、何で~」とブーイング。

そりゃそうです、今の学校は1年毎にクラス替えが普通なので、このクラスで過ごせる時間も残りわずか、という時なのに、降ってわいたような話だからです。

それよりも、卒業を控えた6年生や中3の子や保護者はたまったものじゃありません。

うちの子でさえ「帰りのあいさつで、日直の人が『1年間、ありがとうございました』と言った時は、ちょっと悲しくなった」と言っていましたが、それが6年生や中3ともなると、卒業式がやらないかもしれない、という状態で休校への突入ですから、何とも心の準備が出来ませんよね。

そして、卒業式もやるとしても卒業する学年だけとなり、恒例の在校生からのお見送りも無い、と寂しい限りです

そして、何より、働いているお母さんのお家は何と大変なことでしょう

いきなりの休校で、本当に各家庭、職場、学校、地域がてんやわんやです。

月曜日、仕事で東京に行ってきましたが、まあ電車が空いている事

お客さんに聞いたら「通勤時間帯の満員電車は、マスクしていても意味ないな、というほどですが、それ以外は空いていますし、街中もガラガラですね」との事。

本当に騒動とはこのことです。

しかし、世界的に広がってしまっている新型ウイルスだから、これはこれで素人の我々がとやかく言えないものなのかもしれません。

あえて言うとするなら、今のところ、コロナ自体で重篤になるというよりは、持病が悪化して重篤になる方が多いようです。

ウイルスが変異して強烈なものが伝染したら、オリンピックどころでは無いですし、それこそ世界的にとんでもない状態になるでしょうが、現状ではインフルエンザのような対策をすれば良いようですね。

マスク、うがい、手洗い。

あと、付け加えるとしたら「養生すること」ですよね。

体は元気であれば、そうはウイルスは伝染しません。

養生の基本は「睡眠、小食」です。

花粉症の方は大変でしょうし、私なんかは春は体調を崩す時期ですから、とにかく休みを意図的に多くとるのは大切だと思います。

まあ、仕事があるからそうは言っていられないわけですが、私は今の時期は「春眠、暁を覚えず」で、寝れる時はとにかく寝ます

また、冬に貯めた毒素や疲れが抜けるまでは、菜花などを食べ、出来るだけ小食にして胃腸の疲れをとることが大切だと思います。

子ども達が学校に行かなくなり、テレビやゲームづけで生活のリズムを崩せば、それは外で元気に遊んでいるよりよっぽど抵抗力が落ちます。

個人的には、どこにでもコロナウイルスは居ると思いますし、自分も含め、多少なりとも保菌者だと思って、「発症させない生活を送る事」が大事だと思います。

まあ、ガチガチにガードして、家から一歩も出ない、というのであっても、それがストレスにならない人はそれで良いでしょうし、それがストレスになるようだったら、特に子供は公園とかで遊ばせた方が私は良いと思うのですが。

そして、万が一自分や家族が発症しても、パニックにならないことが大事ですよね~。

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昔ながらの煎餅屋、日比谷米菓さん

2020年03月02日 | 仕事の中で

東京のお客さんと面談した後、もう1先、おかげさま農場の「煎餅」をお願いしている足立区の「日比谷米菓」さんに高柳さんと行ってきました。

今の世の中、お煎餅でまともなものは中々ありません。

例えば、調味料でアミノ酸が入っているのは当たり前。

また、原材料でちゃんとしたお米を使っている所も大手ではほとんどありません。

例えば、私が10年ほど前に製造メーカーさんを回っていた時に、ある、浅草の美味しいおかき屋さんがありました。

話を聞いたら「ちゃんとした餅米を使っているから」というのが美味しい理由として返ってきたのです。

逆に言えば、ちゃんと餅米を使っているところは、ほとんど無い、という話でびっくりしたのを今でも覚えています。

また、当時、黒コショウ煎餅というのがブームだったのですが、ある煎餅メーカーさんに聞いたら「今はどこも冷凍された煎餅生地を仕入れて、それを焼いて味をつけるだけですよ」と言っていました。

つまり、外国のお米やクズ米を使って安く「原材料」として、「冷凍煎餅生地」を作るメーカーがあり、それを仕入れて焼き上げて製品にするメーカーがある、という流れですね。

 

そういう意味で、当たり前の材料だけを使って昔のように作る、というのは、味噌でも醤油でもお酒でも、そして煎餅でも、もう希少な時代になってしまったのですね

そして、そんな世界で、昔ながらの煎餅の作り方をやっているところに、高柳さんが自分のお米とゴマ、そして知り合いの醤油を送って、煎餅を作ってもらっているのが「日比谷米菓」さんなのです

高柳さんも実は初めてとのことで、お米を運ぶついでに、ご挨拶にいったら、中を案内してくれました

まず入って「お~」と思ったのが、建物

昔ながら太い梁と柱で出来た工場は、まるで酒蔵を思わせるところで、高柳さんも「なかなか味わいがあっていいじゃないですか」とご満悦

機械も年代ものばかりで、まず、お米を製粉する機械は、昔ながらのベルトむき出しのもので「なかなかもう部品が無いんですよ」とのこと。

米を粉にしたら蒸して練り上げます。

これが1回に1俵必要なので、1俵が最低ロットだそうです。

逆に言えば、このロットで受けてくれる昔ながらの町工場のようなところは、昔はあちこちにあったそうですが、今では有名な草加市近辺でも、もうほとんど廃業してしまったそうです

 

横に置いてある型を発見

こういうのがぐるぐる回って、伸し餅状にした生地をくり抜くんですね~。

それを何日もかけて乾燥させることで、ようやく焼きの工程に入れるそうです。

乾燥も、3日かかるものもあれば、固焼きの煎餅はなんと10日かかるとか

乾燥機は1度変えたそうですが、それ以外のほとんどの機械は、「私が入ったのが57年前ぐらいで、その10年ぐらい前から親父がやっていたから、かなり古い機械をだましだまし使っています」という事でした。

凄いですね~

そして焼きの機械も凄い

焼きの機械は、たい焼きのような型で表裏を10回以上返しながら白焼きにしていくもの。

昔の人の知恵がそのまま目に見える逸品です

そして、白焼きにしたものを、今度は「色付け」という焼きの工程に流していきます。

最初から焼こうとすると上手くいかないそうで、「へ~」と勉強になりました。

最後に、醤油など味をつけて乾燥させて完成という工程。

ざっくりと聞いただけなので、もっと細かな工程はあるのでしょうが、本当に凄いですね~。

ただでさえ「素朴な本来の味がする美味しい煎餅」でしたが、工場を見て、またお話を直にお聞かせ頂き、大ファンになりました

最後にお茶を出してくれたのですが、高柳さんは後で「都会といっても下町というかな、昔ながらのところは農村と同じで、まあお茶でも、いう感じなんだろうな。昔の日本人はみんなああだったんだろうな」と語っていました。

社長さんも高柳さんと同年代と思われますので、恐らく70歳ぐらいではないでしょうか?

大手とは比べ物にならないマンパワーをかけて、手作業でコツコツ焼いている。

だから素性が明らかな材料、安心して頼めますし、美味しい煎餅が出来るのですね。

こういった工場を続けるだけで大変でしょうし、後継ぎも恐らくいないと思われますが、出来るだけ長く続けて頂きたいと心から思いました

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あなたと健康社に行ってきました

2020年03月02日 | 自分の時間

先週も書きましたが、「あなたと健康」、通称「あな健」の東城百合子先生が天に還られました。

知らない方にとっては、「へ~」という事でしょうが、私には代えがたき師のようなものです。

私の師匠といえば、現存し、いつも近くにいて下さる、おかげさま農場の高柳さん。

そして、月刊誌を通じて叱咤激励をして下さっていた東城百合子先生、そして、もう亡くなられてからかなり経ちますが、東城先生の師匠の常岡一郎先生です。

師を持つというのは有難いことです

逆に言えば、師がいない人生というのは、自分が生きていく灯が無いとも言えます。

現存している、していないは関係なく、例えば、昔の人は、お寺や神社などにご縁が深く、その住職や神主さんが偉大かどうかはさておき、その元となる仏教や神道の教えや導きが少なくとも生活に染み込んでいました。

そして、東城先生いわく「昔の日本にはお天道様が家庭にあった」と言います。

このお天道様というのは「太陽」ではなく、「命の源、自然の偉大さ」のようなものです。

私の両親は昭和6年と昭和11年生まれということもあり、同世代に比べれば年配の親でしたから、例えば箸の持ち方がなっていないことで親父に殴られたり、ご飯粒を残すと罰が当たるよ、という事を言われて育ちました。

そういった「食べ物は自然からの恵み、お百姓さんが頑張って育てた有難いもの、だから感謝して食べなさい」といった事が、昔の日本には当たり前にあった、と言います。

そういった導き、師のような存在が無いと、食べ物は栄養素と思いこんでしまいますし、その他も目先の情報、テレビやネットに流された生き方になります。

私もビジネスは頑張ってきましたし、農村に足を踏み入れて「生きることは生活する事」という大きな気づきを得ましたが、具体的な「人はこう生きるべきだ」という事については、高柳さんや東城百合子さんに出会う事で、初めて「師を持てた」という実感を持てるようになり、時折ぶれる心を戻す指針になってきました。

先週末、東城先生のお通夜や告別式があったのですが、私は本を通じてのご縁しか無く、また仕事も入っていましたので、特に行くほどではないな、と思っていました。

ただ、あなたと健康社から駅で数駅のところに仕事がたまたま入ったのです。

東京に仕事が入るなど数年に1度あるかないかの私にとって、「このタイミングでこれもご縁だな」と思い、「あな健」に足を運んでみました。

初めて行った「あな健」は、ご縁が無い人には全く目にもつかない気にもされないであろう奥まったところにあり、本に書いてあった以上の立地の悪さでした。

本に書いてあったというのは、立地の条件が悪いため、次々と借主が手放すほどの奥まった立地、ということでした。

また、借主が「今まで内装工事を3回やったけど上手くいかなかったから、その工事代も合わせて払ってくれ」という良く分からない理屈で、借用権を売る、みたいなことがあり、それも「悪縁を流す」ということで、東城先生が借りた、というところです。

最後は次々と隣のテナントも出ていき、「頼むから買ってくれ」という事になり、購入した物件とのことでした。

本では見たことがある「お料理教室」には何人かの人がお料理をしていて、「健康相談室」などもありました。

そして突き当りが物販をしているお店で、お邪魔した時間がちょうどお昼だったので「いつも、お昼はみんなで作って食べていると書いてあったけど、やっているかな?」と思ったら、男性のスタッフが店内で迎えてくれました。

話しかけたら「今も先生はここに魂となっていると思うんですよ。だから悲しんでいたりしたら、何やっているの!って叱られちゃうので、今まで以上に頑張ります」と明るくふるまっていました。

ただ、やはりお昼時のようで、しばらくするとお店の裏側にいって、みんなで「頂きます」とお昼を始められました。

私も気になっていた本やらお茶やらいろいろ買い、ちょうど出て来た女性のスタッフに話しかけたら、「今日も朝礼で泣いていたスタッフがいたんですが、そんなんじゃ駄目よと言われちゃうから、としっかりしようと言い合っているんです」という返答も。

ここにいるスタッフは日常的に東城先生に会って叱咤激励されてきたんだな~、として愛情を受けてきたんだな~と思うと同時に、魂を残していくというのはこういう事なんだな~と実感しました。

店舗出入り口に立てかけられたお写真です。

そして、お買い物を済ませて外に出る時に、ふと見つけたプランターには「あな健野草園」と書いてあり、様々な野草が鉢に植えてありました。

最初は「なんと小さなみすぼらしい野草だろう」と正直びっくりしました。

というのは、野山に生えているものを知っている者としては、こんな時期に例えばシソを発芽させることはないし、その他の野草も時期的に早いし、出てきているのも小さく明らかに地力不足。

ただ、そう思ったのは1瞬で、すぐに、「逆に、こんな都会でも自然や野草の姿や命を伝えようとして、こういった鉢を並べているんだ」という思いが湧いてきて、ちょっと泣きそうになってしまいました

物件しかり、野草園しかり、体裁など関係ないんですね。

心優先、行動優先、伝える事が大事、という東城先生の「言動一致」のすがで来られたという事を垣間見ることが出来ました。昔の根性ある日本人の生き様は、本当に凄かった、立派だったと思うのです。行って良かった。心に新たな火がポッと灯りました

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