半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

新しい時代の始まりです

2019年04月29日 | 自分の時間
 GW真っ只中ですね

 この時期から「本格的に今シーズンが始まる」という私にとっては、農家さんと同じで休みという感覚はありません。

 そんなGWですが、日本人はさておき、外国人観光客が沢山増えたな~、と思います。

 私が東京にいた10年ほど前は、GWといえば東京から人がいなくなっていた気がしていたのですが、今は違うそうです。
 特に外国人観光客が溢れているそうで、東京駅などは外国人向けのカウンターなどは大混雑らしいです。

 会社も浅草の辺りにあり、当時は通行人のほとんど日本人でしたが、今は半分が外国人になりました。

 京都も同じようで、河原町には外国人ばかりで、京都の方が「風情が無くなった」とぼやいている人もいるそうです

 成田のイオンも3月にリニューアルしたのですが、外国人向けにリニューアルしたといった感じで、このGWは日本人が減った一方で外国人観光客が押し寄せているので、外国人比率がいつもより高く、びっくりしました。

 昔、日本の経済が強かった頃は、外国に行くと大体のところに日本人向けの案内があったわけで、ハワイなんて日本語で100%通じるような時代でした。

 現地の人から見れば、「経済大国の日本から来た観光客=お金」だったわけです。

 それが今は中国人を中心に移り変わり、日本にとっても、日本人が外国に行くより、外国人が日本にお金を落としに来る時代に変わったわけです。

 「以前の外国の人からは、日本人もこういう風に見られていたんだな~」と実感します
 
 そんな中で、令和時代が始まります。

 昭和から平成に変わったのは私が中学生だった頃ですから、あまりインパクトはありませんでした。

 しかし、大人になると何か「節目」と言うのは大事なものだという感覚が生まれます。

 年末年始の過ごし方もそうですし、子どもの誕生日、あるいは4月からの新シーズンなど、節目毎に気持ちを新たにする経験をたくさん積んだからでしょう。

 令和に切り替わることが大きな事件では無いのですが、後々、「昭和世代」「平成世代」「令和世代」と言ったように、節目ごとに年代を分類することが多くなるのでしょうね。

 そう思うと、子ども達から見れば「平成は懐かしい時代」ですし、孫世代から見れば「昭和って戦争していたんでしょ?スマフォやネットも無かった時代なんでしょ。凄いね~」みたいに言われるのでしょうね

 世界中を見渡しても、いわゆる「国家元首」と呼ぶのでしょうが、そういったものが残っている国は少なくなってきました。

 今は「国家元首制度」というように「制度」としてくくっちゃうのでしょうが、天皇の歴史は「日本という国家」の歴史」でもあります。

 海外は「王国」であり「王族が支配」するものでしたが、日本は天皇は絶対権力であったことは実際にはありません。天皇は祭祀であり系統であり武力を持っていなかったというのも他国との大きな違いですよね。

 そのためか、大陸のように王族に対する市民革命や中国のように易姓革命というのはありませんでした。

 また、昭和の戦争で負けた後に、天皇自らが2年以上をかけて国中を歩き、国民を励ます、なんてことも海外からは「日本は戦争に負けて値打ちを上げた」と評価されました。

 戦争に負けた国家元首は普通は亡命するから殺されるのが当たり前だったからです。

 戦後、天皇死刑をスターリンは強く訴えていたのですが、昭和天皇がマッカーサーに対し「私の命はいらないから国民を救ってほしい」と、天皇家の財産目録を出して直訴されたマッカーサーは「神を見た」と言って感動し、死刑に反対をしたそうです。

 天皇のことを、外国では「emperor(皇帝)」と訳しますが、実際には天皇は皇帝ではないですし、国家元首といった類や制度でも無いと私は思っています。

 それだけ日本の特有の存在なのですが、世界的に説明するには、そう訳すしかないから仕方ありません。

 また、昭和天皇が戦後、「象徴天皇」と呼ばれるようになり、「象徴とは何ぞや?」と進駐軍から与えられた「象徴」という言葉をご自身なりに解釈されながら、必死にその職を全うされた事を知った時は、私はそれまで「天皇って何なんだろう?」と思っていましたが、「なんと凄い存在なんだ」と感動したことがあります。

 ある意味、明治から政治によって国家元首に仕立てられあげ、その流れで昭和の戦争の責任を負わされたのにも関わらず、自分の命を投げ出しても国民を救いたいと願い、同時に、天皇家一子相伝の「国と国民の無事を祈る祭祀」を続け、さらに進駐軍から与えらえた言葉の意味を本気で考え、それに命を捧げる。
 
 不平不満から離れた、ただただ人生をかけて自分の系統と与えられた務めを果たす。
 感服します。

 今の平成天皇においても、昭和天皇から始まった「象徴とは何ぞや?」という与えたらた問いに対し、人生をかけてその答えを体現しようとしてこられました。

 そして「令和」時代に入ります。

 元号というものを制度とみなすのは仕方ないですが、日本が日本という国である以上、こういった天皇と元号の歴史は国民にとって「時代」とみなすのは当然の感覚ですし、こういった事を文化と言っても良いのでしょう、大事にしていきたいですね
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GWです

2019年04月26日 | 農的体験・生活
 世の中、ゴールデンウィーク。

あちこち出かける予定を立てている人が多いのではないでしょうか?
「いやいや、人混みが多いのに出かけるなんてしませんよ」という家もあると思いますが

中学校から「なんで11連休なの?」という手紙が配られてきて、祝日法というもので、祝日が1日おきにある場合は、その間の日は祝日になるそうですね。

で、車の中のラジオで聞いたら、アンケートで大体4~5割の人が11連休をとっているそうです。

「それでもまだ半分の人が連休を取れないんですね」という人もいれば「半分も連休を取る時代になったのか」という人もいます。

私は後者の方で「へ~、そんなに連休をとれる時代になったのか」と驚きましたが

さてさて、私にとっては、5月からお米農家の根本さんとやっている「田んぼと畑の耕育教室」が始まるので、「さあ、今年もいよいよか!」という時期です。

私が東京に住んでいる時、各地の農村に出かけて農業体験教室みたいなものにも参加し、「いつか自分でも受け入れる側になってみたい」という思いがあったのですが、その数年後、会社を辞め、独立し、ご縁があって始めたこの教室も今年で8年目。

小さなお子様連れのご家族が田んぼや畑で泥んこになって遊び、子ども達はキャッキャとカエルを捕まえ、大人も「何も考えずに田畑作業をするのがこんなに気持ち良いなんて」と日頃の生活を忘れて、たっぷりと農村を体験する教室です
 
話を戻して、そういう感じでGWというのは私にとっては本業が本格化する時期で、「遊びに行く」という感覚がありません。

同様に、農家さんも同じで「GWに遊びに行くなんてことは街の人の話だよ」というのが普通です。5月頭というのはまさに田畑の仕事が集中する生命が躍動する時期なのです。

つまり、2月ぐらいから野の草や花が出てくると虫が出始め、3月から4月にかけてチョウチョやテントウ虫の卵が産みつけられ、それが5月頃から一斉に出てくるのです。その時期は春草、夏草が沢山出てくるので虫にとってエサが豊富にあり、繁殖する時期に当たるんですね。

5月は植物が躍動する時期だからそれを食べる虫も躍動する。
つまり、畑では草が一気に繁茂し始めるので草刈が欠かせません。
同時に人間が栽培する夏野菜の苗を植えたり田植えをするには絶好の時期、つまり「生命が躍動する時期」なのです。

ちなみに、GW頭に来る「八十八夜」までは遅霜が降りる可能性があるのですが、「八十八夜を過ぎれば霜は降りない」というのがこの辺りの言い伝えです。

八十八夜とは「夏も近づく~」という「茶摘みの歌」で有名ですが、立春から数えて88日目の事ですね。

八十八夜を過ぎれば、つまりGWに入れば霜も降りないので夏野菜の苗や田植えが始められる。

だから農家さん達にとってGWは忙しい時期であり休む時期ではないんですね。

もちろん、これは専業農家さんの話です。

兼業農家さんも10年ほど前は「GWに田植え」をしていたのですが、最近はGW前に田植えを終えて、GWはお出かけするようになってきているんですよ。

普段は会社員ですから一般の人のように暮らしたいという気持ちなのは当然ですよね。

まあそんなこんなで、「GWは出かけたことなんて無いぞ」という農家さんの気持ちが私もわかりますし、一方で、今まで休みずらかったのが、今は休みを推奨する世の中になってきたので、「遠出するぞ」という人の気持ちもわかります

みなさんはどちらへお出かけ?

お子様連れの方でまだ決まっていない方は「田んぼと畑の耕育教室」へ是非お越しください
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立憲主義、民主主義、社会主義、自由主義

2019年04月22日 | 農的体験・生活
昨日は成田市の市会議員選挙でした。

選挙というものは民主主義の最大の仕組みの1つだと思いますが、ちょっと面白い言葉を知りました。
Eテレの「100分 de 名著」という番組で、2月に放映されたオルテガの「大衆の反逆」という本からの抜粋です。

「立憲主義と民主主義は、突き詰めていくと対立する」

どういうことかと言うと、「立憲主義」というのは、憲法など過去の先人達が様々な失敗や成功などの経験を通して「これは時代や人種を超えて普遍的に大切だと思うこと」を憲法として作り、それに従っていこう、というものです。

一方で「民主主義」は、「多数派で決めたことが一番」という考えです。

突き詰めていくと「過去の人達=既に死んでいる人が決めた憲法」vs「今生きている人がこれが一番良いはずだと多くの人が賛成したこと」という構造になるわけです。

オルテガによれば、民主主義の劣化は「すべての過去よりも現在が優れているといううぬぼれ」から始まると言います。

オルテガの時代は、フランス革命などの市民革命がヨーロッパに広がり、「過去の伝統やしきたりは悪」という事で、「君主制」に対して民衆の多数の意見の方が正しいはずという「民主主義」という考えが出てきた歴史的背景があるのですが、しかし、結局は「大衆」が国を動かす力はなく、政治が腐敗し、君主制に戻るかのようにナポレオンの時代を招いた、という反省があります。

そういう時代背景によって、オルテガは「過去や伝統から切り離された民主主義は人々の欲望のみを暴走させる危険がある」と警告するわけです。

今の時代にものすごく当てはまることで、いわば「ポピュリズム」ですね。

これに対し、「立憲主義」というのは、いわば「死者の民主主義」で、かつて沢山の人が命を賭して守ってきた権利が入っているということです。

「今生きる人」と「死者」の対立。

「今生きている人が全て正しい」というのは、「論理的に考えれば正しい答えが導かれるはず、という人間の傲慢にもよる」とオルテガは指摘します。

そういう意味で、「過去の多くの死んでいった人たちが積み上げてきた権利、考えをまとめたものを大事にする」という「立憲主義」は、今の人達が考え出す論理を超えた存在であり、今の人達が「今、良いと思う事が正しいとする民主主義」と対立する、という話です。

面白いですね~。

今の憲法論議に対する1つの視点ですよね。

今の日本の憲法に、「過去の日本人が考え抜いた良識」がどのように組み入られているのか?
戦後、アメリカが作った憲法ということで、日本人の魂が入っていないという面もある一方で、建前であろうが何であろうが平和主義を掲げたことで、世界からの尊敬を集めることにもなり、同時に沖縄など基地問題などアメリカの隷属国家としてみなされているという問題もありますよね。

話は戻して、個人の理性を超えた伝統や良識の中に「普遍的な座標軸があるはず」というのがオルテガの考えで、それを「保守思想」と呼ぶのですが、今の保守とはちょっと違っていて、「理性には限界がある、人間は不完全だ、だからこそ過去の英知に耳を傾けながら、永遠に微調整をし続けるべきだ」というのが、保守思想のもともとの考えだそうです。

革命が勃発し、なんでもかんでも過去の事を悪いと決めつけて改革、革新と叫ぶ人たちに対するアンチテーゼとなる主張だったそうです。

そう思うと、今のトランプ政権や韓国、あるいは「大衆の気持ちの良いことばかり言っている政治家」は、ポピュリズムが行きつくところに行ってしまって、明確な座標軸が無いリーダーで政治や国民生活が腐敗してくると、「やっぱり、優秀な独裁者、専制者が良い」となる段階にこれから世界は進むかもしれません。

いや、既になっているのでしょうか?

だって、ナポレオンから始まり、ヒトラーやムッソリーニ、プーチンなどはみんな「民主主義」から「大衆の多数の意見」によって選ばれて出てきたんですから。

ちなみに、ある本で「教育は特権である」という言葉がありました。

渡部昇一さんが世界的バイオリストの「五嶋みどりさん」にインタビューしたときに返ってきた言葉だそうです。

「自由主義」というのは悪い面もありますが、例えば、教育は「自由主義」の中で、自分で選択し勉強し、脳力がある人がつかみとれる特権でもある、という考えです。

才能があり、努力がある人だけがくぐれる関門を通り抜けた結果、「世界一流の音楽学校」でトレーニングを出来るようになった五嶋さんから言わせれば「それは特権」であるという考えです。

これを事例に「逆に言えば、何でも社会に求めていくようであれば、それは行きつくところ社会主義に近づくことになるのではないだろうか?」という渡部昇一氏の言葉にも、なるほど、そういう考えもあるなだな、と思いました。

社会福祉、力なきものに手を差し伸べることは、国家として大事な事だと近代では思われていますが、例えば、日本の医療費のあり方は果たして自由主義と社会主義とどっちに近いのか?

子ども達の教育、基本的な教育を受けることもできない少数弱者よりも、圧倒的多数を占める団塊世代で政治が決まってしまうのを「シルバーデモクラシー」と言うのですが、これにより日本では世代間格差の問題などが起きています。

つまり、団塊世代が最大投票層である日本では、団塊世代に好まれない政策を政治家は選択しにくいわけです。

だから、医療費や年金などの仕組み自体が崩壊しているのに、なかなか手をつけられず、ずるずる来て今のようになっているわけですよね。

これは自由主義なのか、民主主義なのか、あるいは社会主義なのか?


何を社会に求めるのか?何を個人のたゆまぬ努力として勝ち取るよう促すのか?

政治の考え方、国民が国に何を求めるのか、そういった事を考える上で面白い視点の1つだと思いました。
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NHKスペシャル朝鮮戦争 秘録 ~知られざる権力者の攻防~

2019年04月21日 | 自分の時間
ちょっと前のNHKスペシャルの録画を見ました。

内容が重そうだったので、なんとなく見るのを先延ばししてきました

毎度、備忘録もかねてまとめます。

朝鮮戦争というと、私だけでなくほとんどの普通の人は「戦争特需」で、この戦争のおかげで日本は一気に復興への階段を駆け上った、という事ぐらいしか頭に無いのではないでしょうか?

第二次世界大戦後、世界はアメリカ主導になり、またそれに対抗する共産国として、ソ連がありました。

朝鮮半島はみなさんご存知の通り、北はソ連、南はアメリカの庇護国のような形に分けられたわけです。

1948年に北朝鮮と韓国という国が設立されたわけですが、この2つの国が行った共産主義国家と自由主義国家の代理戦争は、「実はどのように始まって今のようになったか、諸説があってすぱっとはわからないものだった」とナレーションで言っていました。

まずはそれが最初の「へ~」でした。

そして、一番の驚きは、この朝鮮戦争が、とんでもない犠牲者を出し、またアメリカが日本以上に朝鮮半島を焦土にしたということでした。

結論から言うと、死者は300万人以上
内訳としては、わかっているだけでも北朝鮮と韓国の兵士が合わせて66万人、そして民間人で200万人。
アメリカなどの連合国兵が3.3万人、中国兵が11.6万人ということでした。

いわゆる太平洋戦争では、日本人も300万人ぐらい亡くなってしまったのですが、その戦争の規模と死者数を考えると、日本人の我々にとって、朝鮮戦争が同様の死者数を出したとは、あまり頭に無かったのではないでしょうか?

しかも、アメリカのやり方が凄い

東京大空襲で日本の民間人が10万人殺されたのは、みなさんご存知ですよね?
ちょっと話がそれますが、戦争法などあってないようなものとはいえ、当時、アメリカでは日本の家屋と同じような木造の家を実験で建てて、どうやったら効率よく燃えるかを考え沢山の実験を繰り返しました。

そして、ターゲット地域のまず周囲四方に焼夷弾を落として炎の壁を作り、外に脱出できないようにしてから、徐々に内側に爆弾を落としていった「殲滅・虐殺」を目的とした攻撃で、アメリカからすれば「大成功」だったわけです。

ナチスのユダヤ人虐殺と同様の考えですね。
「民間人に死と恐怖を与え、戦意を喪失させる」事を目的にした、国際法違反とも呼ばれる蛮行でした。

そんな東京大空襲を指揮したルメイ司令官をアメリカは朝鮮戦争でも任命し、日本に落としたなんと4倍もの爆弾を朝鮮半島に落としたそうです

いわゆる太平洋戦争中、日本には16.8万トンの爆弾が落とされたそうですが、朝鮮半島には66.9万トンの爆弾を落とされたというのだから、いかに異常な数の爆弾が落とされたのか。

これにはびっくりしました。

さて、番組の内容としては、
・北朝鮮:金日成
・中国:毛沢東
・ソ連:スターリン
の3人の権力者の駆け引きが、当時の秘密書簡などからあぶりだした内容でした。

まず、金日成が「祖国統一」を目指し、ソ連に「2週間、遅くとも2カ月で朝鮮半島を統一だけるから、協力してほしい」と依頼をしたそうですが、当時、ソ連にはまだ核開発に成功しておらず、アメリカの核の脅威もあり、二の足を踏んだそうです。

しかし、1949年8月にソ連はついに原爆実験に成功し、北朝鮮の支援を決定。
スターリンは中国の毛沢東にも原爆の映像を見せたことで、毛沢東はソ連の力をまざまざと見せつけられ「中国も核を開発せねば」と焦ったそうです。

このような形で、ソ連が北朝鮮に援軍は送らないけど武器・弾薬は援助することを決めたわけですが、当時のアメリカはそういった事を認知していなかったそうです。

実際、1950年1月にはアメリカは「アメリカの防衛ライン」を発表したのですが、そのラインは「日本」であって、「日本を共産国に対する北東の最前線防衛ライン」として、朝鮮半島、つまり韓国や台湾などは入っていなかったわけです。

面白いのが、この当時の山口県知事が、朝鮮半島の無線などを傍受していて、「北の方が南に攻めてくる準備を進めている。北は兵の訓練も武装レベルも高く、このままでは危ない」と察知し、当時の吉田首相に訴えたそうですが、「何をいっているのか!」と怒られてしまったそうです。

それは、ちょうどアメリカの外交官のダレスが「朝鮮半島を視察してきたが安全だ」と報告をしてきたばかりだったからだそうで、アメリカは確かにわかっていなかったようです。

そして1950.6.25に開戦。

突如、10万人の北朝鮮軍が38度線を超えて総攻撃を開始し、3日でソウルを制覇。2カ月で韓国のほとんどの地域を支配下に治め、南の町の釜山(プサン)を落としたら完全占領、という段階まで行きました。

当時の元北朝鮮兵がインタビューで「誰もが勝利は確信していました。まもなく戦争が終わると信じていたんです」と言い、また元韓国兵は「我々は小さな銃が1つしかないのに、あちらは戦車や軍備が全く違う。生まれて初めて戦車を見て、ただ穴を掘って隠れる事しかできなかったんです」と言っていました。

ソ連から200台以上の戦車、大砲を借りた北朝鮮が圧倒的だったわけです。

そんな状態で、先ほどの山口県知事は「動揺が広がっている中、外務省から『韓国が6万人ぐらいの亡命政府を山口県に作ろうという動きがある』という話がきて、びっくりしたんです」というエピソードも。

まあそんな状態でしたので、「自由主義の世界を守る」とアメリカのトルーマンが連合軍を作り、マッカーサーを総司令官に任命し、一気に参入。

当時、日本は戦争特需に沸いていたものの、船は無かったので、元船員は仕事が無く、そんな中で「上陸作戦の船員」の募集があり、「戦争というよりは食うための仕事」として、揚陸作戦に日本人が参加したそうです。

当時、戦車を運ぶ揚陸船が30隻以上あったそうですが、なんとその6割を日本人が運航いていたそうで、2000人近くの日本人が協力したそうです。

当時のアメリカ兵は「日本人は朝鮮の海岸を良くしっていた。攻撃を受けながらもゲートを開いて荷物や戦車や兵をおろすことに協力してくれた」と言っていました。

それで一気に形勢逆転。

1950.10月には中国国境付近まで迫ったわけですが、そこで突如、26万人の中国兵が現れて、また押し戻される事態に。

当初、2カ月で朝鮮半島を統一する直前までいった金日成は、アメリカの出現で一気に形勢逆転され、毛沢東やスターリンに援軍を求めたが、どちらも助けを出さなかったそうです。

ただ、中国国境までアメリカ兵が迫ったあたりで、スターリンが毛沢東に「このままなら日本軍が復活して、アメリカと手を組んで進行してくるぞ」と脅したそうです。

さすがに国境近くまで攻め入れられた中国は、各村々から民間兵を募り、一気に投入したそうです。

しかし、スターリンは兵を出さず、むしろ直接は手を出さずとも戦争の泥沼化を画策したようです。

そして当時のヨーロッパの共産主義諸国に「2~3年はアメリカを朝鮮戦争に釘付けにできる。今のうちにヨーロッパの足場固めが有利に出来る」ということを訴えていたそうです。

こういった状態で、先述の「ルメイ司令官」が朝鮮半島を空爆をしまくり、村だろうが民間人だろうが、とにかく爆撃、殺しまくったそうです。

彼の日記に「我々は3年に渡り、朝鮮のすべての都市を焼き尽くし、人口の2割を犠牲にした。それが許されたのだ」と書きました。凄い話です。。。

中国参戦で泥沼化し始めた朝鮮戦争。

マッカーサーは、1950年12月に「原爆拡大プラン」を作り、北朝鮮、中国、ソ連の各地域、合計26カ所の原爆投下箇所を考えました。

それに対し、ソ連と核戦争、そして「第三次世界大戦」になる事を懸念したトルーマンはマッカーサーを解任し、「この戦争は朝鮮半島内におさめたい」と言い、1951.7月に休戦交渉を開始。

金日成は休戦を望むも、スターリンは拒否し、また面子がある毛沢東も一切の譲歩をせず、休戦は出来ないまま、1953.3月のスターリンの死まで続きました。

そして、スターリンが死んだことによって、1953年、7月、休戦。

金日成は、敵対したアメリカだけでなく、後ろ盾であった中国やソ連にも翻弄されたという体験から、「核を何としても保有する」という事を決め、それが子孫の代まで続いて、今の北朝鮮の核保有につながった、という流れです。


こんな内容でしたが、こういった歴史がある中で、今の北朝鮮と韓国があるわけです。

死者数や爆弾の数を思えば、北朝鮮がアメリカを敵視するのは当然でしょうし、その手下の日本を敵視するのも当然かもしれません。

民族の歴史、恨みは恐ろしいものですが、それが共産主義国家なら、なおさらいかようにも人民を教育出来ます。

しかもこれが50年ほど前と、まだまだ近代の事で、当時の事を知っている爺ちゃん、ばあちゃんが生きている朝鮮のみなさんにとっては、日本人の「大東亜戦争」よりも、もっと生々しい事ですよね。

国として成立して間もなく、かつ大国に翻弄し続けてきた朝鮮の2か国。

「理解」と言うのは言葉では言えるけど、心底の理解というのは、そう一筋縄ではいかないものですよね。
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畑の準備、真っ最中

2019年04月19日 | 農的体験・生活
 最近、あまりブログにアップしなくなりましたが、3~4月はひたすら畑の準備を合間を見てやっています

 家庭菜園レベルでいうと、なんだかんだいって夏野菜がメインになります。

 私で言えば、パクチー、カボチャの育苗をして、今日はパクチーを畑に植えてきました。
 もうしばらく経ったら、ミニトマトを植えたり、空心菜やポップコーンの種を蒔きます。
 そして、サツマイモの苗を植えますので、それらの畝を作らねばなりません。

 畝(うね)というのは、要するに野菜が育つ畑内の区割りでベッドみたいなところですね。

 そこに黒ビニールマルチを張ることで、雑草が繁茂するのを防ぎ、同時に乾燥を防ぎます。

 今、頑張ることでこの夏の草取りの量が減るので、とにかく、畑一面、空いているところは黒ビニールマルチを張ることが大事なのです

 それにしても、今年の春は暑い日と寒い日が極端にありますね。
 三寒四温という時期ですし、春はもともと不安定なのですが、それにしてもこれだけ気温のアップダウンが激しいと、体調を崩す人も多いのでは無いでしょうか?

 先日の(水)で札幌は24℃と沖縄を除くと本州より暑くなったそうですしかし(土)には10℃以下と平年より気温が下がるそうで、関東と同じで、暑い日と寒い日の差が大きいんですね~


 ここ2年ぐらいは4月は高温と干ばつで畑はパサパサに乾き、春風で畑の土が砂嵐のように舞い上がっていましたが、今年はそんな時期は3月にちょっとあったぐらいで、この4月は雨が比較的多く、畑も湿っています。

 そして普通なら10日も経たずに発芽するカボチャの種がなかなか発芽せず、2週間以上経ってからようやく発芽し始めました。

 先日の土曜日は「食と命の教室」だったのですが、例年よりミニトマトの生育が1週間遅く、ちょっと早かったのですが、無理して移植をしました。

 一応、今週から暖かい日が関東では続くようなのですが、数年前に5月に雪が降ったことをみなさん覚えていますか?

 そんなことがありましたので、農家さんは「暖かいからと言って早く種を蒔くと、遅霜がきたら一発でアウトだぞ。だから5月のGWに入る八十八夜までは、焦っちゃいけないよ」と、例年通りの種まきをしています。

 ちなみに八十八夜とは「夏も近づく八十八夜~」という「茶摘みの歌」で有名ですが、立春から数えて88日目で、この日を過ぎれば霜も降りない、と言われてきたんですよ

 という事で、八十八夜を過ぎたら色々種まきや苗植が加速します。

 とはいっても、私は「田んぼと畑の耕育教室」を週末4連発でやらないといけないので、体力を5月前半はとっておかなくてはならないのです。

 そのため、4月の内に畑を整理しておく必要があります。

 あと1畝。横3m、縦10mぐらいの草がボーボーのところがありまして、そこの草刈で2時間、畝立てで2時間ぐらいかかる模様で、何とか都合をつけて、4月内に整備したいと思います
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春の野草摘みなどの「食と命の教室」

2019年04月13日 | 農的体験・生活
4月の「食と命の教室」がやって参りました

今月はミニトマトの移植と春の野草摘みです♪

まずはミニトマトのハウスへの移植。

2月にゴマ粒より小さな種を蒔き、3月にセルトレイからポットへ鉢替えをし、今月はようやく移植です
一連の流れを体験することはとても勉強になりますし、何よりあんなに小さな種だったミニトマトがこんなに育ったことを体験するのは、なかなかできないですものね~



さあ、ハウスで養生していた子供時代は終わり、いよいよ大人への一歩、新世界へのハウスへの移植です

間隔は50㎝感覚で植えていきます。


素人は、茎を引っ張り出してしまうのですが、その際に痛めたり折ったりしちゃいます。
そのため、ひっくり返して茎を人差し指と中指の間でハサミ、ポットのお尻を押し出すようにしてから苗を出します。
あとは、穴を掘って移植する際に、きちんとギューっと上から押してあげる事。
畑の土とポット苗の根っこの間に隙間が出来ないようにすれば、活着も良くなります。


ちなみに高柳さんは原則、水をあげません。
ただ、生長点を見たりしながら、ちょっと上手く育っていないな、という時は水を上げるそうです。


さて、お昼はいつも通り美味しいお母さんの手料理です
今回は珍しく肉じゃがもあり、お肉が
そして、ジャガイモは「芽が出ているのを欠いてるやつで、今の時期のはシワシワなんだけど、これが美味いんだよ」と高柳さんが説明をしたら、「え~そこまでなる前に捨てていました食べられるなんて知らなかった」という声が出てました。

サツマイモは寝かすと美味しいという事は知っている人は多いのですが、ジャガイモも同様だという事を知らない人が結構多いんですね~。


さて、美味しいお昼ご飯を食べた後は、春の野草摘みです

まず、道すがら、スギナ、ヨモギ、オオバコなどの食し方などもお伝えしました。
そうしたら「その辺に生えているものを自然食品店では売っているんですね~」とびっくりした人も

また、カラスノエンドウの若い穂先は豆苗のように痛めて食べることも出来ることをお伝えしたら、いわゆる発達障害の子供達の支援をしている方が「子どもがむしゃむしゃ食べていたけど、そうだったんですね」と、みなさんそれぞれびっくりしていた様子。

そして、毎年行っている山裾の湧き水の所に自生しているクレソンとセリを収穫


赤紫っぽいのがクレソンで、緑のきれいなものがセリです。
私はクレソンは別に美味しいと思わないのですが、女子は好きなんですよね~


その後、高柳家のハウスの前にこれまた自生しているカモミールも収獲。
また、この生の物をお湯を注いでフレッシュハーブティーとして紹介したら、「乾燥したものと違って香りが違うんですねそしてこんなに色や香りが出るなんてびっくりしました」と女子陣は大喜びでした



また、ユキノシタといって、整腸作用や鎮静作用がある葉っぱの苗も高柳さんがくれました
例えば、中耳炎の際にこの汁を耳に入れると治まったりするんです。いわゆる「自然療法」「民間療法」と言うやつですね。
食べる際はそのままだと苦いので、刻んでゴマ油とおかか醤油をかけて食べると美味しいですよ


最後にお土産として長ネギと小ジャガを頂きました
小ジャガというのは、ようするに出荷するには小さ過ぎたものを、農家さんは自給用で取っておくのです。
ただ、9月ぐらいには芽が出てくるので、素人さんはそれで捨ててしまう人も多いのですが、この芽を出るたびに欠いて、6月の新ジャガが出るまで食べ続けるのです。

今頃のジャガイモはもう芽が凄いだけでなく、何度も芽を出しているのでシワシワになっています。
ところがこれが美味しいのです
デンプンが糖化して、うまみと甘味が増してとっても美味しいんですよ~


お話としては「種」のお話で、日本人が昔から食べてきたもの、また品種改良の歴史や現在残っている在来種のお話、遺伝子組み換えのお話、また育てる時には「原種がもともとあった地域の環境を真似る」という鉄則なども話合いました。

 そして、教育の話題になって、高柳さんが「待つことも大事だよ」という言葉に感銘を受けた参加者も。

 また、私が何年も前に構想を始めた「セカンドスクール」について準備を始めている中、どうもまだ整理がついていない事があるので、「今、大人になって最初に入った会社を辞め、今こんな教室に来ているみなさんは、今思えば小中高とどんな教育があったらよかったと思いますか?」と色々聞きました。

 それぞれ思う事がやはりあるようで、例えば「答えが1つではなく、色々な意見を話せて聞いてもらえる場が欲しかった。例えば社会に出ると正解は1つじゃないじゃないですか」という声や「ディスカッションや1つの事について喧嘩ではなく議論していく場が欲しかった」とか「母になるための勉強を子どもを産んだ後にしたのですが、そういった事を海外では中学生でもやっていて、そういう事が若い頃にあれば、もっと自分を大切にしたり、子育てで行き詰まるお母さんも助かるのでは」など、色々なご意見を聞くことが出来ました。

私も勉強になりました

 次回の「食と命の教室」は5月25日(土)です
 大人としていろいろ学びたい方、自然と触れ合い方、是非ご参加を
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小学校と中学校の入学式

2019年04月09日 | 素敵な空間・イベント
昨日は長男の中学校の入学式、今日は母校の小学校へ来賓としての入学式に参加してきました

まず、昨日ですが、あいにく小雨が降っていましたが、やはり新しい校舎で制服を来て登校ですから小学校と雰囲気も違く、クラス発表もあったりで、子どもだけでなく親も合わせてみんなテンションは高く、天気は全く気にならないぐらいでした

特に目立つのが男子ですね。
なにせ、全員、制服がぶかぶかなので、1年生っぽくてかわいらしい
これが3年の頃にはぴったり、あるいはツンツツテンになっているんでしょうね~。

一方、女子は落ち着いた雰囲気。
小学校では私服でしたが、中学校ではまあ地味な色の制服ですから、みんな落ち着いて見えます。

とはいえ、男子の中には6年生の時に第二次性徴となり、顔も一気に男らしく身長も抜きんでている子も増えているので、そういった子は制服に着られている感じですが、「男」を感じます。

さて、うちの子の通う中学校は学区内の3校の小学校と学区外からくる子ども達で成立しているのですが、学区内の他の2校は1クラスと小規模で、うちの子の小学校は3クラス。

そのため、ほとんど仲間が変わらないということもあって、うちの子は卒業式も何も感慨もなく、入学式当日もギリギリまでのんびりテレビを観ていました

ただ、クラス発表がされている昇降口では、仲が良いお友達がいるかちょっと心配そうでしたが、仲良い子が一緒だったので「良かった」と喜んで、中に入っていきました

そして入学式。
小学校と違って、紅白幕が左右にはられ、檀上には入学式の看板がでっかくあるだけで、小学校とは違い厳粛な感じ。

 また、一番の違いは声。小学校の在校生からの歓迎の歌は、まだまだ可愛い高いきれいな声ですが、中学生の声は男子はもう野太く、男と女の違いが明確。

 そして、中学校は1学年5クラスあるので全体では15クラスなんですが、全校で50人を超える先生が在籍していることにびっくり
 生活指導や進路指導などの先生もいて、また部活も顧問が2人いるなど、小学校とは明らかに違う布陣。スクールカウンセラーもいたりで、校長先生からのご挨拶も「子どもが急激に成長する時期で、心が不安定になる時期でもある。そこをしっかりと支えていきたい」という言葉も印象的でした。

 確かに中学校にもなると、昔だったら反抗期真っ盛りに入る頃で、体の成長に対し心の成長が追い付けない時期でしたものね。
 今の子供はどちらかというと心の成長が遅いので、体だけ大きくなって心が良く言えば優しい子供のままですが、体は男と女に分かれ、ネットで外部の情報にいつでもアクセス出来るわけですから、「あふれるネット情報」に依存せず、現実の社会、中学校生活をきちんと心身を鍛える場として過ごしてもらうためには、中学生指導は小学校より大変なんだな~と思いました。

 一方、教科毎に先生が変わる中学校に比べ、クラス経営だけでなく全教科を教えることも含めすべてを1人でやらなくてはならない小学校の先生も大変だよな~とも。

 成田は田舎なので、東京のように私立中学受験をする子は少ないのですが、私立受験をしているお母さんから聞いた話では「中一からもう大学進学を目指すんです。高校受験が無いから中高の5年間で6年分の教科の勉強を終え、最後の1年は受験対策です。また、AIの時代でなくなる職業がどういったものか、どういった職業に就くかを考えることを中一から親子共に教えられるんです」と言っていました。

凄いですね~

今、69歳の高柳さんの話だと、高校進学率が50%ぐらいだったそうで、15歳で「俺は大工になる」「俺は農家を継ぐ」「俺はもうちょっと勉強するために高校行くよ」と、進路を自分で決めていたそうです。

そう思えば、中学生から職業や将来を考えるのもある意味正しいのだろうな、とも思います。
一方で、人生をすべて「目標を立て、それに向かって計画を立てて進んでいく」という事を、中学時代からきっちり植え付けることが本当に良いのかどうか、というのもあります。

目標が、経済的に自立できる職業に就く、そのためのステップとして進学率が高い大学に行く、という設定だけで本当に良いのか?

もちろん、大学でモラトリアムの時代として色んな社会勉強をしていた私たちの世代からすれば、確かに大学まで一気に突き進んで、大学生で「社会人になる猶予期間」として色々なことをやるのもありとも思います。

ただ、今の子供達はそうではなく、大学でも2年まで色々やるのでしょうが、3年生では「就職」を頭に入れて動くわけですよね?
そう教育されてきているのだから、何も感じないのかもしれませんが、その一本のレールに昔より更に乗っかるような流れが出来ているんでしょう。

中学からきちんと目標を立て、それに向かっていく。それは本質的には良いのでしょう。
ただ、それが「お受験」「お仕事」に向かっていく一本筋だけでなく、「自分は何で生まれて来たのか?」「自分のしたいことは何だろう?」「自分の勉強する目的は何だろう?」と考えることをサポートできる大人がいるべきだと、今になって思います。
そんなことを私はやっていきたいと思っています。


そして今日は小学校の入学式。
昔はマンモス校だった母校も、ついに今年は2クラスに
ちょっと寂しい気もしましたが、親御さんはニコニコ。
子ども達も元気で可愛く、来賓や校長の挨拶1つ1つに「は~い」と大きな返事をしていました

椅子が高くて床につかない足をブラブラさせながら頑張って座っている姿は愛しいですよね~。

幼稚園、保育園から一番ギャップを感じるのが小学校の入学式だと思いますが、あえて「公教育の洗礼」を受けて小学校生活に入っていくのも、1つの型なのかな~。

私の一番の感想としては、「あぁ~、日本人の真面目で周りを気にし、公を第一にする型は、今は公教育によって育まれているんだな」というものでした。

最初は「もうちょっと自由があってもよいのでは?」と思いましたが、私を含めて今の親はそこまできちんと教育出来ないですし、地域の大人もそういったかかわりをしないですから、公教育が無ければ今の日本の子供はアメリカみたいになっちゃうんだろうな、と。

そういう意味で、日本の教育は本当に凄いな~、そして先生がたは本当に凄いな~、と思っております。

ただ、その型に合わない子もいるでしょうから、とにもかくにも、全員が元気に6年間無事に登校出来ればそれが一番、と思った入学式でした
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お友達のお子さんとボヘミアン

2019年04月06日 | 素敵な空間・イベント
この1年で最大のヒット作「ボヘミアン・ラプソディー」。

クイーンの音楽の良さからコンサート映像とみても良いし、フレディ・マーキュリーの死を賭してパフォーマーとして生きるその姿にも感動するし、とにかく「何度観ても良い映画」です

去年2回観て、今年の1月には「応援上映」といって、映画なのに司会あり、立って拍手や一緒に歌を歌って良い、というのにも行きました。

応援上映の時は、東京や神奈川から何百人も人が来ていて、中には「泊まり」で1泊2日で2回観に来ている人もいて、成田以上に都市部の人が盛り上がっているのを体験し、びっくりしました

で、昨年11月からやっているこの「ボヘミアン・ラプソディー」ですが、終わる前にまた行こうと思っていました。

ところが4月になっても終わらない

私の人生で、半年にわたって上映している映画というのは記憶にないのですが、他にありますかね?

で、春休み、子ども達は暇をしている子が多く、あるお友達家族と3回ぐらい花見をしたのですが、今春から高校生と中学2年生になる男子2人の兄弟がいて、お兄ちゃんが少し興味を持っているという事だったので「一緒に行く?」と誘ってみました。

おりしもちょうど奥様と我が子が奥様の実家に帰省して私は一人の日。

夜20時過ぎからのレイトショーでしたが、その2人を乗せて映画館へ

前知識として「エイズ」だけは行きがてら伝えたら、「主人公は映画の真ん中ぐらいで死ぬんじゃない?」などと、ストーリーの予想をしていました

で、終わった後、さてさて、今の中高生にはどうだったかな?わかるかな?と思っていたら、高校生になるお兄ちゃんは「俺、ちょっと感動しちゃった。泣きそうになっちゃった」と言っていました

「どこがそうだったの?」と聞いたら、エイズになっても最後のコンサートに立ち向かっていく姿にウルウルきたそうです
いや~、通じてよかった~

一方、中2になる弟君の方はあまりわからなかったようで、原因としては「字幕の漢字で読めないのが多かった」そうです

なるほど、大人向けの映画だから、漢字はバンバン出てくるし、中1までに習う漢字の中には、わからないのもあったんでしょうね。
そこは盲点でした

その後、マックでセットを食べながらダラダラして、解散しました。

わが子以外の兄弟と一緒に映画に行き、マック行き、「あぁ、他所の家の子はこうなんだな~」とか、スマフォを買ってもらったばかりのお兄ちゃんに弟がぴったりくっついてスマフォをやっている姿を見て、「うちの子もこうなるだな~」とか、たわいもないけど自分の子供達といる時とは違った刺激を受けました。

こういったのも、たまにはいいですね~。


あと、映画自体は私は4回目でしたが、もちろん大満足
そして、過去3回では特に流していたシーンで感動した自分も発見しました。

何度観ても、その都度、新たなシーンで感動できるボヘミアン、あと1回は観に行こうっと
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春はスマフォデビューの時期

2019年04月04日 | 自分の時間
 3月は長男が小学校を卒業しました。

 今時の6年生は、卒業と同時にスマフォをもらう子が多いんですね。
 都市部では小学校高学年で持っている人が多いと思いますが、成田でもお友達お母さんの話では、「うちはまだと思っていたら、うちの子以外、全員がスマフォをもらって、仕方なくラインだけ入れたi Phoneのお下がりをあげたんですよ」とのこと。

 今時の子供達は最初からそういったものに囲まれているのが当たり前。
 みなより情報を知っている事が他のお友達より優位な立場に立てるようです。

 そして、情報は検索すれば出てくる時代。
 一番の人気職業がYou Tuberで、お笑いも人気です。
 部活は卓球が一番人気だそうでして、色々時代の差を感じます

 時代の差といえば、先日呼んだマーケッターの神田昌典さんの本で、例えば私のような40代は「ドラクエ世代、ジャンプ世代」と言われていて、正義、友情、成長といったストリーを好むように影響を受けた世代だそうです。

 今の30代は「ポケモン世代」と言われ、自分が努力してレベルアップをして敵をやっつけるというより「仲間と一緒につるんで、課題に合わせて仲間に協力してもらう」という事が普通に出来るそうです。

 どんな世代も成長期に慣れ親しんだメディアに大きな影響を受けるそうです。

 なるほどな~と思います。

 そうすると、常に情報にアクセスし、次から次へと流れていく情報に接し続け、スポーツ選手やヒーローにあこがれるのではなくお笑いやネットの世界にあこがれる子ども達は、どのような価値観が形成されているのでしょうかね?

 ただ、まだガラケーの私からすれば、今の若い世代に限らず、私の周りの親の世代や年配のおじさんおばさんが電車やレストランでスマフォをやっている大人ばかりの世界って、ちょっと違和感を感じます。

 ゲームやラインで時間を埋め、ゆっくり本を読んだり思索にふける大人をほとんど見なくなりました。
 まるで昔の手持無沙汰の時にタバコを吸っていたおじさん達のように、何もしない時間に耐えれないみたいですよね。

 私の言い訳というか言い分としては、かつて10年ほど前まで企業戦士として、ビジネス最前線で休みなく働いていた時期がありまして、携帯でグループ電話が出来るようになった頃には、右耳と左耳の両方にそれぞれ携帯をもって、グループ会議をやったりしていました。

 世の中がyahoo mailやoutlook、あるいはhotmailが主流の時代にgmailアドレスをいち早く取得しましたし、まだミクシーがトップだったころにfacebookもかじり始めていたんですよ。

 ただ、そういった世界から降りることを自分で決めて、今は高齢の農家さん達が仕事のパートナーなので、必然としてスマフォが必要、という状態では無いのです。

 オフラインで生きようと決めたので、時代に逆行していますが、メールはパソコンで見ればいいや、という感じです

 なので「必要なら使うけど、必要じゃないなら別にいいや」という感覚なのですが、今の大人は、初めて私が小学4年生でファミコンを買ってもらって、それから暇があればファミコンをやっていた、というのと似ている気がするんです。

 いい年になって、よくまあそんなにゲームやラインをやるな~と思います

 まあ、そういった生活が一般的で、私は超マイノリティーに入るのでしょうが、理性でコントロール出来ている大人と、ずるずるやっている大人であれば、後者の方が多いんじゃないでしょうか?

 これは私の感覚でもそうなのですが、実際にも私がガラケーを使っていると、時たま「本当はガラケーの方が良いんですよね。スマフォは面倒くさいんですよ」という人がいます。

 ただ、それでもスマフォ中心の時間を送っている大人たち。

 そういった大人たちとは違って、デジタルネイティブの子供達は、罪悪感というか、「こんなことに時間を費やしても本当は良くないよな~」という思いは無く育っている気がします。

 今や「スマフォやゲーム中毒は良くない」という大人が少なく、また実際に大人たちは自分たちがやっているから、子どもにはそんなに「スマフォばかりしていないで」と強く指導が出来ないようです。

 私の学区の中学校では、「スマフォを子どもに渡す時が大事です」といって、「9時以降はやらない」とか「課金ゲームは上限を決める」とか、何かしらルールを決めましょうと親御さんに提示しています。

 それは、部活グループ、学年グループ、部活グループ、仲が良い子グループなど、多数のグループに入っていて、本気でやる子は帰宅後から深夜までひたすらやっていて、睡眠障害、学習障害が出てきている子が実際にいるからです。


 ところが、親御さんから「具体的にどういったものをルールにすればよいかわからない」という意見が出てしまい、「●中学校10か条」という参考になる10か条を提示したそうです。

 その後、生活指導の先生がアンケートをとったのですが、結局、ルールを決めている家庭は半分ぐらいで、学校の先生も困っているとのこと。

 親がビシっとルールを決めれなければ子どもは自分でコントロールできるわけがなく、夜中までやり続けることも普通になるわけです。

 うちの甥っ子は、PSPとスマフォとスイッチの3つを同時にやっているそうで、びっくりします
 小学生で課金ゲームを普通にやっている甥っ子もいて、まあ東京であるという事もあるのですが、ファミコンを長くやりすぎると叱られていた私の時代とは違い、その辺りの歯止めはかなり緩い時代のようです。

 まあ、スマフォデビューも必要なのはわかりますし、私もいずれスマフォをやります。
 うちの子もスマフォをやるでしょうし、それは固定電話から携帯電話が広がったり、ファミコンからゲームボーイや3DSが広がっていたように、まあ当たり前の流れでしょう。

 ただ、親や大人がその弊害を良くわかっていて親の元なら子ども達も良いのでしょうが、親自身がセルフコントロールを出来ない場合は、子どもに指導を出来る人がいないわけですから、対策の打ちようがないような~、と思ってしまいます。

 どうなんでしょうかね~?
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