GW真っ只中ですね
この時期から「本格的に今シーズンが始まる」という私にとっては、農家さんと同じで休みという感覚はありません。
そんなGWですが、日本人はさておき、外国人観光客が沢山増えたな~、と思います。
私が東京にいた10年ほど前は、GWといえば東京から人がいなくなっていた気がしていたのですが、今は違うそうです。
特に外国人観光客が溢れているそうで、東京駅などは外国人向けのカウンターなどは大混雑らしいです。
会社も浅草の辺りにあり、当時は通行人のほとんど日本人でしたが、今は半分が外国人になりました。
京都も同じようで、河原町には外国人ばかりで、京都の方が「風情が無くなった」とぼやいている人もいるそうです
成田のイオンも3月にリニューアルしたのですが、外国人向けにリニューアルしたといった感じで、このGWは日本人が減った一方で外国人観光客が押し寄せているので、外国人比率がいつもより高く、びっくりしました。
昔、日本の経済が強かった頃は、外国に行くと大体のところに日本人向けの案内があったわけで、ハワイなんて日本語で100%通じるような時代でした。
現地の人から見れば、「経済大国の日本から来た観光客=お金」だったわけです。
それが今は中国人を中心に移り変わり、日本にとっても、日本人が外国に行くより、外国人が日本にお金を落としに来る時代に変わったわけです。
「以前の外国の人からは、日本人もこういう風に見られていたんだな~」と実感します
そんな中で、令和時代が始まります。
昭和から平成に変わったのは私が中学生だった頃ですから、あまりインパクトはありませんでした。
しかし、大人になると何か「節目」と言うのは大事なものだという感覚が生まれます。
年末年始の過ごし方もそうですし、子どもの誕生日、あるいは4月からの新シーズンなど、節目毎に気持ちを新たにする経験をたくさん積んだからでしょう。
令和に切り替わることが大きな事件では無いのですが、後々、「昭和世代」「平成世代」「令和世代」と言ったように、節目ごとに年代を分類することが多くなるのでしょうね。
そう思うと、子ども達から見れば「平成は懐かしい時代」ですし、孫世代から見れば「昭和って戦争していたんでしょ?スマフォやネットも無かった時代なんでしょ。凄いね~」みたいに言われるのでしょうね
世界中を見渡しても、いわゆる「国家元首」と呼ぶのでしょうが、そういったものが残っている国は少なくなってきました。
今は「国家元首制度」というように「制度」としてくくっちゃうのでしょうが、天皇の歴史は「日本という国家」の歴史」でもあります。
海外は「王国」であり「王族が支配」するものでしたが、日本は天皇は絶対権力であったことは実際にはありません。天皇は祭祀であり系統であり武力を持っていなかったというのも他国との大きな違いですよね。
そのためか、大陸のように王族に対する市民革命や中国のように易姓革命というのはありませんでした。
また、昭和の戦争で負けた後に、天皇自らが2年以上をかけて国中を歩き、国民を励ます、なんてことも海外からは「日本は戦争に負けて値打ちを上げた」と評価されました。
戦争に負けた国家元首は普通は亡命するから殺されるのが当たり前だったからです。
戦後、天皇死刑をスターリンは強く訴えていたのですが、昭和天皇がマッカーサーに対し「私の命はいらないから国民を救ってほしい」と、天皇家の財産目録を出して直訴されたマッカーサーは「神を見た」と言って感動し、死刑に反対をしたそうです。
天皇のことを、外国では「emperor(皇帝)」と訳しますが、実際には天皇は皇帝ではないですし、国家元首といった類や制度でも無いと私は思っています。
それだけ日本の特有の存在なのですが、世界的に説明するには、そう訳すしかないから仕方ありません。
また、昭和天皇が戦後、「象徴天皇」と呼ばれるようになり、「象徴とは何ぞや?」と進駐軍から与えられた「象徴」という言葉をご自身なりに解釈されながら、必死にその職を全うされた事を知った時は、私はそれまで「天皇って何なんだろう?」と思っていましたが、「なんと凄い存在なんだ」と感動したことがあります。
ある意味、明治から政治によって国家元首に仕立てられあげ、その流れで昭和の戦争の責任を負わされたのにも関わらず、自分の命を投げ出しても国民を救いたいと願い、同時に、天皇家一子相伝の「国と国民の無事を祈る祭祀」を続け、さらに進駐軍から与えらえた言葉の意味を本気で考え、それに命を捧げる。
不平不満から離れた、ただただ人生をかけて自分の系統と与えられた務めを果たす。
感服します。
今の平成天皇においても、昭和天皇から始まった「象徴とは何ぞや?」という与えたらた問いに対し、人生をかけてその答えを体現しようとしてこられました。
そして「令和」時代に入ります。
元号というものを制度とみなすのは仕方ないですが、日本が日本という国である以上、こういった天皇と元号の歴史は国民にとって「時代」とみなすのは当然の感覚ですし、こういった事を文化と言っても良いのでしょう、大事にしていきたいですね
この時期から「本格的に今シーズンが始まる」という私にとっては、農家さんと同じで休みという感覚はありません。
そんなGWですが、日本人はさておき、外国人観光客が沢山増えたな~、と思います。
私が東京にいた10年ほど前は、GWといえば東京から人がいなくなっていた気がしていたのですが、今は違うそうです。
特に外国人観光客が溢れているそうで、東京駅などは外国人向けのカウンターなどは大混雑らしいです。
会社も浅草の辺りにあり、当時は通行人のほとんど日本人でしたが、今は半分が外国人になりました。
京都も同じようで、河原町には外国人ばかりで、京都の方が「風情が無くなった」とぼやいている人もいるそうです
成田のイオンも3月にリニューアルしたのですが、外国人向けにリニューアルしたといった感じで、このGWは日本人が減った一方で外国人観光客が押し寄せているので、外国人比率がいつもより高く、びっくりしました。
昔、日本の経済が強かった頃は、外国に行くと大体のところに日本人向けの案内があったわけで、ハワイなんて日本語で100%通じるような時代でした。
現地の人から見れば、「経済大国の日本から来た観光客=お金」だったわけです。
それが今は中国人を中心に移り変わり、日本にとっても、日本人が外国に行くより、外国人が日本にお金を落としに来る時代に変わったわけです。
「以前の外国の人からは、日本人もこういう風に見られていたんだな~」と実感します
そんな中で、令和時代が始まります。
昭和から平成に変わったのは私が中学生だった頃ですから、あまりインパクトはありませんでした。
しかし、大人になると何か「節目」と言うのは大事なものだという感覚が生まれます。
年末年始の過ごし方もそうですし、子どもの誕生日、あるいは4月からの新シーズンなど、節目毎に気持ちを新たにする経験をたくさん積んだからでしょう。
令和に切り替わることが大きな事件では無いのですが、後々、「昭和世代」「平成世代」「令和世代」と言ったように、節目ごとに年代を分類することが多くなるのでしょうね。
そう思うと、子ども達から見れば「平成は懐かしい時代」ですし、孫世代から見れば「昭和って戦争していたんでしょ?スマフォやネットも無かった時代なんでしょ。凄いね~」みたいに言われるのでしょうね
世界中を見渡しても、いわゆる「国家元首」と呼ぶのでしょうが、そういったものが残っている国は少なくなってきました。
今は「国家元首制度」というように「制度」としてくくっちゃうのでしょうが、天皇の歴史は「日本という国家」の歴史」でもあります。
海外は「王国」であり「王族が支配」するものでしたが、日本は天皇は絶対権力であったことは実際にはありません。天皇は祭祀であり系統であり武力を持っていなかったというのも他国との大きな違いですよね。
そのためか、大陸のように王族に対する市民革命や中国のように易姓革命というのはありませんでした。
また、昭和の戦争で負けた後に、天皇自らが2年以上をかけて国中を歩き、国民を励ます、なんてことも海外からは「日本は戦争に負けて値打ちを上げた」と評価されました。
戦争に負けた国家元首は普通は亡命するから殺されるのが当たり前だったからです。
戦後、天皇死刑をスターリンは強く訴えていたのですが、昭和天皇がマッカーサーに対し「私の命はいらないから国民を救ってほしい」と、天皇家の財産目録を出して直訴されたマッカーサーは「神を見た」と言って感動し、死刑に反対をしたそうです。
天皇のことを、外国では「emperor(皇帝)」と訳しますが、実際には天皇は皇帝ではないですし、国家元首といった類や制度でも無いと私は思っています。
それだけ日本の特有の存在なのですが、世界的に説明するには、そう訳すしかないから仕方ありません。
また、昭和天皇が戦後、「象徴天皇」と呼ばれるようになり、「象徴とは何ぞや?」と進駐軍から与えられた「象徴」という言葉をご自身なりに解釈されながら、必死にその職を全うされた事を知った時は、私はそれまで「天皇って何なんだろう?」と思っていましたが、「なんと凄い存在なんだ」と感動したことがあります。
ある意味、明治から政治によって国家元首に仕立てられあげ、その流れで昭和の戦争の責任を負わされたのにも関わらず、自分の命を投げ出しても国民を救いたいと願い、同時に、天皇家一子相伝の「国と国民の無事を祈る祭祀」を続け、さらに進駐軍から与えらえた言葉の意味を本気で考え、それに命を捧げる。
不平不満から離れた、ただただ人生をかけて自分の系統と与えられた務めを果たす。
感服します。
今の平成天皇においても、昭和天皇から始まった「象徴とは何ぞや?」という与えたらた問いに対し、人生をかけてその答えを体現しようとしてこられました。
そして「令和」時代に入ります。
元号というものを制度とみなすのは仕方ないですが、日本が日本という国である以上、こういった天皇と元号の歴史は国民にとって「時代」とみなすのは当然の感覚ですし、こういった事を文化と言っても良いのでしょう、大事にしていきたいですね