半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

寺田本家酒蔵見学会&当主のお話会、今年もやります!

2013年09月30日 | 素敵な空間・イベント

「寺田本家酒蔵見学会&当主のお話会」を今年もやります
昨年の様子は→こちら


寺田本家さんはオーガニックの世界では超有名な
340年にわたってお酒を作ってきた酒蔵です。
蔵に住み着いた酵母や乳酸菌が自然に降りてくるのを待つ
昔ながらの自然酒作りで、全国に多くのファンがいます。

「微生物が仲良くぷくぷく発酵することで美味しいお酒ができるように
人も楽しくぷくぷく発酵すると楽しいですよ」といった当主のお話も大変人気です。

当日は、普段は見ることが出来ない麹室や酒作りの現場を24代目当主にご案内頂きます

またちょっとした小料理も出す予定です。
もちろん、美味しいお酒も♪
アルコールが駄目な人にはお米の発酵飲料「マイグルト」もあります。

大変人気のイベントなので満席になります。
もし日本酒や発酵の世界、昔ながらの日本の技などがお好きであれば、是非お越し下さい。
11月9日(土)13~16時 千葉県で一番小さな町、神崎町(こうざきまち)の寺田本家で開催します。

詳しくはホームページをご覧下さい。詳しくは→こちら
満席必至のイベントですので、ご関心がある方はお早めにお申し込みくださ~い

昨年、当主の優さんが仕事唄をデモンストレーションしてくれました。今年もしてくれるかも

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かぶの間引き菜三昧

2013年09月29日 | 農的体験・生活
朝の畑です。


朝日がまぶしく、また畑には朝露が輝き、とても気持ちよい空間になっています

畑ではなにやら見たことが無い緑の葉が出ていましたが、これはニンニクの葉でした。
もう葉っぱが出てきているんですね。
年越しした後、ぐんぐん球根の部分(食べるところ)が大きくなっていくんでしょうね~


双葉が出たあと台風がきた大根もがんばって生育していました


こちらは春菊。1度目は発芽せず、2度目が発芽しました。
でもこの時期でこれだと今年もあんまり大きくならないかな~


これはばら撒きした小松菜、だと思います


こちらはかぶ。
実は今までかぶはろくにきちんと育ったことはありませんでした。
しかし、今回は播種時期が見事にあたったようで、わっさわっさと生育していました。
あまりも凄いので、適度に間引きしました。


これはスティックブロッコリー。
芯食い虫などに見事に葉っぱがひとつ残らず食べられてしまったのですが、脇目が伸びて復活しました 凄い


大量の生落花生も収穫。大なべいっぱいできるぞ


その他に、今の時期はまだ空芯菜、ゴーヤがわずかですが採れます。
でもそろそろ終わりの時期です。

だからこそこういった葉っぱものが間引き菜でもつながると、有難いですねよね~

さてさて、家に帰ってのお仕事は、大量のかぶの間引き菜洗いです。
その量、大なべ4杯分


よく間引き菜など大量に取れたときは、1時間ぐらいかけてザブザブ何度も洗わなくてはならないんです。

そのとき大抵思い浮かべるのが「菜洗いどん」のこと。

昔話の「舌切りスズメ」のお話で、おちょんスズメを探しているおじいさんが川で菜っ葉を洗っている「菜洗いどん」にたずねると「この菜を洗った泥水を飲んだら教えてやる」と言った人です。みなさん覚えていますか?

そして、自分も葉っぱをザブザブ洗っていると、昔は「菜洗い」という仕事があったんだろうな~、大根とか菜っ葉などをざぶざぶ一日中洗っていたんだろうな~、と当時の「菜洗いどん」のことを思ってしまうんですね


さて、この洗った間引き菜、あまりにも大量で、放っておくと痛んでしまうので、ささっと手を加えました。

生野菜サラダに


塩もみでしょ


お得意の炒め物


そして味噌汁の豪華間引きなフルコースを作りました


とはいっても、かぶの葉っぱだらけで青虫の気持ちになりましたが
でも、大根の間引き菜までは辛くなく、適度にアブラナ科系の香りもあり、とっても美味しかったです


昔の農村は「ばかり料理」といって、旬にとれる野菜ばっかりを食べていたわけで、だからこそ色々な味付けや料理を考え出したといいます。
戦後、国が「それは栄養が偏る」といって介入したのですが、今の時代は本当にそればっかり、ということはありませんので、全然問題なし、ですね。

むしろ間引き菜を食べるなんて、普通のプロ農家さんもしない時代ですからね。

家庭菜園に毛が生えた程度のレベルだからこそ楽しめる味わいです
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トロピカル?ポーポー

2013年09月27日 | 食べもの
直売所で「ポーポー」という果物を始めて発見しました。

明治ぐらいからある果物だそうで、「バナナのようだよ」と聞いたのですが、興味本位で食べたところ、とんでもない

完全にトロピカルフルーツで、マンゴーみたいな感じでした
ただ、独特のトロピカルフルーツにありような臭み?があり、一口でがぶっとやると、ちょっとむせる感じでした

万人受けはしない味だからあまり広がらなかったんでしょうね~。でも、そこそこ美味しかったです。
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寺田本家 がんちゃん 雑穀の会

2013年09月23日 | 素敵な空間・イベント
秋分の日の祝日。
この日は寺田本家主催で、蔵人がんちゃんこと岩本くんの「雑穀の会」が催されました。

岩本くんは、先日「1人1人の物語」にアップしたので、ご存知の方もいるかもしれませんが、数年前に神崎に移住してきた若者です。
現在は夏は雑穀を作り、冬は寺田本家の蔵人をしています。

今日はその岩本君が作った雑穀を楽しむ会、というイベント。
今年の冬には雑穀のお酒も作るということで、面白そうですね~


さてさて、事前準備に早めに寺田本家に到着
寺田本家の入り口を入ると、左側に今年作った田んぼがあります。
久々だったのですが、半分がおだがけされていて、残りの酒米はまだピンピンしていました。


誰もいなかったのですが、岩本君が現れ、優さんも現れ、お客さんも続々と来られました。
様子を見ていると常連さんや3月のお蔵フェスタで来た方など、色々な方が沢山いましたが、総じて寺田本家に関心があるファンが多かったです。

みんな集まったら、午前は岩本君の雑穀畑へ移動。

優さんいわく「神崎のチベットと呼ばれているところです」
簡単に言えば、神崎町のはずれで、かつ山の上の畑なので、普通の人は行かない奥地なんですね
逆に岩本くんの話では、ヒエとか言われると誰も畑を貸してくれなく、そういった場所じゃないとなかなかヒエなどを育てさせてくれないそうです。なるほどね。

さて、山道を進むお客さんたちの後姿。
この歩いている風景そのものが、みなさん新鮮なようで、ワイワイガヤガヤ楽しそうです


山の上につくと、畑が見えてきました。
雑穀が畑になっているのを見るのが始めての方も多く、みな興味津々です


かなりの迫力ですね~


お客さんの質問に答える岩本くん。


風の中の後姿も様になるいい男です。


お客さんからの質問、またその応答なども流れにのってきて、話は止まりませんでした。



それを遠くから見つめる寺田本家当主の優さん。



こっちの世界に慣れてしまうと、特に何にも感じなくなってしまったのですが、久々にまだ慣れていないお客さんの姿を見て、例えば山道1つとっても新鮮で、山栗を拾って嬉しそうな顔、畑を歩いて説明を聞いて大満足の顔など、「あ~、そういえば自分も最初はこうだったな~」と当時のころを思い出しました。

そして畑の観察1つとっても、初めての人には「新しい世界」に触れているイベントで、楽しいかけがえのない時間なんだ、ということに改めて気づけました

さて、畑から戻って、雑穀ランチです


岩本くんの一声で乾杯


こちらが本日の雑穀ランチ。
・高きびハンバーグ 甘酒バーベキューソース
・ひえときのこと野菜の温サラダ


そして五穀おむすびとぬか漬け。


どれもとっても美味しかったですよ~

途中で聡美さんが登場して、もちきび炊き方教室に。


聡美さんは、東京のつぶつぶカフェという雑穀を広めるレストランに5年勤めていたことがあって、雑穀には詳しいそうです。
(ちなみに結婚式も、つぶつぶで挙げたとか)

最初は小さな黄色い粒と水だったのが、うまく炊くともちきびがこんなにふわっふわに


もちきびをじゃがいもの味噌煮にかけると、こんな感じに。トレビアーン


そしてデザートはもちあわ甘酒のゆずシャーベットでした

食後は、フリータイムで、みんなでお酒も入りながら楽しい時間(私は車なので酒が飲めませんでしたが

聡美さんがやってきて、1年発酵させた塩糀をなめさせてくれました。
これが凄い見た目はどろっどろですが、その分発酵していて、塩味も効いていて、梅醤番茶のように「体にいい、体が弱ったときに必要なものがはいっている」という感じでした。
これは美味しかったですそして寺田本家から近々リリースされるかも



ちなみにこちらが岩本くんの商品の1つ。
雑穀をパウダー状にした健康食品のようなものですね。


みんなでお酒やお話を満喫してこの会は解散となったのですが、せっかくなので、ということで優さんが残っていたお客さんに声がけして酒蔵を案内してくれました。

米を洗うところ、蒸すところ、と順番に説明をしていき、いつもの糀室にも。
普通の酒蔵は絶対人を入れないところですが、寺田本家はいれちゃいます


これが今年の田んぼの稲からとった稲糀。黒いんですね。


その後、元摺りをするところなど、順番に案内を優さんがしてくれました。
この時間に私は岩本君と色々話をしました。

寺田本家さんという存在が神崎町にあり、優さんとも数年前に出会い、岩本君とも数年前に出会い、そして今のような状態(優さんが当主で、岩本くんが蔵人で、そのイベントに参加している)なんてことは想像できませんでした。

しかし、それは「流れ」であり、その流れの中に身をおいていると、どれも必然で、繋がってきているものだと感じます

体調不良の中、せっかくのお誘いなので気合を入れて参加させていただきましたが、やっぱり寺田本家はいいな~

そして色々な気づき、学びがありました。

優さん、とても良い機会を頂き、有難うございました


そしてそして、11月9日(土)は、私が主催の「寺田本家酒蔵見学会」です

楽しく、そして素敵なイベントにしたいと思います

みなさん、ぜひぜひお越しくださいね
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田んぼと畑の耕育教室 稲刈2回目!

2013年09月22日 | 農的体験・生活
日曜日、田んぼと畑の耕育教室の2回目を開催しました

本当は15(日)開催だったのですが、台風で延期して、この日になりました。
せっかくお申し込みをいただいた方の半分も予定があわず、とても残念ですが、天候のことでしたから仕方ありません
根本さんに無理をきいてもらって、稲も半ば倒れかけている状態でしたが、いつもよりはゆったりした人数でしたので、楽しく開催できましたよ

とはいえ、準備はなかなか大変でした
というのも、奥さんがこの日はお友達のところにお泊りで遊びにいってしまっていたので、私が男手1人で朝から24人分の昼食を作りました

その間、根本さんにその他の準備をお願いしておりました。根本さん、すみません

冬瓜の鶏肉そぼろ煮と、ゴーヤチャンプルーの2品を24人前作ったのですが、冬瓜の皮むきって大変なんですね。硬いから、指をすべらせるようにむくと、最後のところでズッと包丁が抜けるような感じなって、途中で指を少し切ってしまいました
でも、コツをつかんで押し出すようにしてからは上手に切れるようになりましたよ



さてさて、教室スタート
根本さんが前回同様、稲刈の注意点などをレクチャー。


子ども達も含め、ザックザク刈っていきました


大きめなお兄ちゃんも多かったこともあり、結構なスピードで刈り取っていました。
こんなに刈り取りました



午前中、めいっぱい稲刈をした後は、いつものとおり、釜炊きご飯
今月は白飯とタコ飯の共演です



ご飯を食べたあとは、いつものお遊びタイム。
特に水遊び&泥遊びの小山ゾーンは毎回大人気


特に今回は、とっても子ども達の息があったのか、全員ここに集合して、水をかけあったり泥遊びをしながら、最後は小山が無くなるほど遊びつくしていました。


大人もあまりにも子ども達が楽しそうなので、いも掘りに行くのを一時ストップして、その楽しそうな光景をず~っと眺めていました。
毎回思いますが、この教室は「農業体験をさせたい」という親御さんの意図もあって子ども達を連れてきてくださるのですが、子ども達はどちらかというと「自由にはしゃげて騒いで、水をかけあったり、泥遊びをしたり出来ること」の方がとっても楽しい様子。

初対面であっても、みんなすぐに仲良くなって、とにかく楽しそうにキャッキャっと水をかけあったり、ドロドロ遊びを楽しんでいました。
本当に楽しそうで、見ているこちらも幸せになるほどでしたよ

ちなみにこれは根本さんのお子様のあーちゃんが作った泥団子。超上手


さて、とはいっても芋を掘りたいという気持ちも親御さんはあるので、さつまいも掘り。
今年はとっても不作で、ほとんど良い芋が取れませんでしたが、最後の小玉スイカが少し残っていたので、1玉ずつお土産に追加しました。



今日は久々に来た子どもが多かったせいか、稲刈やさつまいも堀りよりも、泥遊びをしたり、バッタを捕まえたりカエルを捕まえることに夢中だった子どもが多かったことが印象的です。

やっぱり、子ども達にとって小動物のカエルやバッタ、そして水遊び、泥遊びは欠かせないものなんだな~、としみじみ思いました

みてください、おんぶカエル
無理やりおんぶさせたカエルを2組手の中に入れて「持って帰りたい~」という子ども。
うんうん、その気持ち、わかります。お母さんは嫌がるけどね


1週間延期して、運営側はとても大変でしたが、やはり参加していただけた方みなさんが楽しんで頂けて、本当によかったです

稲刈は今年はこれで終了

来月は、いよいよ収穫祭

天日干しした無農薬新米の釜炊きご飯、丹波黒大豆の枝豆を食べ、そばも刈り取り、餅つきもしますよ~

是非、来月もみなさん、お越しください

田んぼと畑の耕育教室は→こちらから


最後に、こちらは四葉のクローバー。
根本さんの子どものあーちゃんが、四葉のクローバーゾーンを見つけてくれました。
軽トラに踏みねじられているところがあって、そこで変異が起きて群生していたのか、13個も見つけていました
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まだセミがいた

2013年09月21日 | 素敵な空間・イベント
こんな時期なのに、セミが鳴いていた。
多分、この時期には仲間はほぼいないだろうに。。。

地中から出てくるのが遅かったのかな?

それにしても、仲間はいなくともせっかく地上に出てきたのだから、最後の一瞬まで一生を全うすることを願っています。
そんなことを思った瞬間でした
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十五夜お月様

2013年09月19日 | 素敵な家族・子供との時間
昨日は多くの家々でお月見をしたでしょう。
我が家もお月見をしました

朝から探したのはススキ。
車で仕事に向かう途中、「おっ、ここにあった。おっ、あそこにもあった」とめぼしをつけておき、帰りに奥さんに「ススキ、みつかったけど取ってくる?」と電話すると、「ブラブラ歩いて見つけたから大丈夫」とのこと。お~、さすが

家路の途中、17時半ごろ、そらにぽっかりと浮かぶ白いお月様が、なんと巨大なこと
車の中で「うぉ~、なんじゃこりゃ超でっかい」と1人で興奮していました

家に帰ると出来上がっていたのがこんなもの。


これが今年のお月見団子。
今年は生活クラブのレシピを使って、なんと白玉粉で作ったとのこと。
ちなみに小さい黄色いのは、かぼちゃを練りつぶして混ぜ込んだものだそうです。


お野菜も色々並んでいますね。
かぼちゃとオクラとさつまいもが私の畑のもの。ジャガイモとナスはみみずの会のものです。



そして夕食はお月見ハンバーグ
肉団子の中にうずらの卵が入っているというもの。奥さん、今年はやるね


こっちは眉毛つき?


ご飯を食べた後は、みんなでベランダでお月様観察。
夜のお月様は小さいけど、その発する白い光の量は半端なく、とっても明るかったですね~
我が家は、部屋の電気を消してしばらくお月様を眺めました。

昔は電気がなかったからこそ、お月様の光がここまで明るく輝くことに驚きを覚え、お月見をしたんでしょうね。
携帯でさえ、写るぐらいですから。


家の中ではろうそく、外にはお月様。こういった淡い光の中で過ごす時間も贅沢です


というより、こういった時間を過ごしながら生活をするのが普通だったわけですよね~。


見上げよう 電気が無いから 美しい 涼しさの中に 十五夜の光

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もりこび 川手先生のお話会

2013年09月17日 | 素敵な空間・イベント
いつもうちの子供が通わせて頂いている「もりのこびとたち」。シュタイナー教育の考え方をベースにしながら、わらべ歌を行っています。

その主宰者の奥村さんが師事しているのが川手先生。

ゲーテの世界、神とは何か?そういったものを追い求めながらスイス、ドイツなどを渡り歩き、演劇をやり、シュタイナー教育で自閉症の子供達の教師として最前線で活動してきた方です。

また、バリ島の伝統文化でもある「年1回の村祭りでの「魔女ランダ」の舞い」の後継者として、地元の僧侶にもなり、家族の1員にもなり、舞い手として村人を恐怖に陥れ、トランス状態にし、お祓いが出来るほどのレベルに到達した人です。
ランダのお面をかぶると、物語の世界にトリップし、現実世界から魂は飛び、踊りが終わって周りから聖水をかけられて初めて現実世界に精神を戻す、という体験をしてきた人です。

このあたりは、演劇や精神世界に関心が無い方にはわかりにくいのですが、私は少し演劇をかじったこともあり、理解が出来る範疇(だと思っています)。
なので、そのいきさつを著した本を読んだ私は「すっげぇ~、こんな人、いるんだいっちゃっている、この人。凄い、いっちゃっている」と何度も口からこぼれるほどでした。

この「いっちゃっている」というのは良く考えたら大変失礼な表現なのですが、言葉の意味は「その境地にたどり着いた人」という意味です。ただ、自分の言葉でいうと「その世界へいってしまっている人」ということになってしまいます。
なんというか、神ではないのですが、人という存在の極限までいってしまっている人、いってしまった人、という理解ですね。
どうしてもきれいな言葉ではないのですが「いっちゃっている人」という言葉になってしまうのです。川手先生、ごめんなさい

そんな川手先生のお話が、もりこびさんで大体月1回開催されているということで、初めて聞きに行きました。


初めてですが、やはり「行き着くところまで行っちゃったことがある人」でした。


2部制だったのですが、1部は講義録をとりました。
ただメモをひたすらとっていると、心を開いて聞くことが出来ないので、2部はメモを取らずに聞きました。

以下、がんばって文字にしますので、ご関心がある方はご覧下さい。
特に1部は子育て中の方には読んでもらいたい内容です。

奥村さん、こんな感じでよいですか?
駄目出しは、またお会いしたときにでも宜しくお願い致します


<第一部:子供は親の所有物ではない。1個の独立した人格で、その中にある権威を敬わなければいけない>

子供は親とは違う独立した人格であること、親の所有物ではない、これを心底理解する必要があります。
子供は1つの人格、1つの魂で、どんなに小さくても、親にいえないことがある。
どんなに小さくても、疑いを持っている。
例えば、自分が本当にこの家の子供なのだろうか?とか。
言葉を話せるようになった時点で、そんな疑いをもう持っているんです。記憶を持てるようになったあたりから、親との会話が成立するぐらいから、相当1個の独立した人格なんだよ、そういうことを理解しなくてはいけないんです。

シュタイナーでは7周期、0~7才、8~14歳、となっていくんですが、シュタイナーの時代に比べると今は成熟度がはるかに早くなっていると思います。
幼稚園の先生、保育園の先生、小学校の先生など教育者が、子供を小ばか人間みたいに扱うと、しっぺ返しが来る。もちろん子供達にとっても良くない。

子供は親の所有物ではないんですよね。それを親は毎日自分に言いきかせる必要がある。
ついつい子供達に自分の思うとおりにさせよう、言い聞かせようとする。子供は間違って自分は正しいと思って子育てする。権威は大人にあると思う、権威は子供にはない、と思ってしまう。

そうじゃないんですね。

ここでシュタイナーの言う「権威」とは、「子供の中に生きる権威を見出して保障する」というもの。
子供達にある生きる崇高なものを認め、敬う大人に対して、子供達も敬うんです。

整理すると

1:子供達の心に生きる神がある
2:それを大人が保障する
3:保障する大人に子供は感謝する

いきなり最初から子供は3番目=大人に感謝、はしないんです。

子供は自分とは違う、1つの敬うべき存在なんだ、ということです。
上から目線というのが最近あるけど、子供の目線に降りてみましょう、というのがありますね。でも子供の目線というのもおこがましい。敬うべき存在なのだから、本当は下から見上げるようにするぐらいの対象なんだ、ということです。

改めて言うと、子供の中に神が生きている。それを大人が認める。
独立した存在なんですよ。そして、子供の中に神がいるのであれば、敬わなければいけないですよね。


子供が何かしたらどうするか?
本人の人格を責めるのではなく、いたずらをした「行為」をしかること。
・あなた、またそういうことやっているの!→子供を、人格を責めている×
・その行為は危ないことだから、止めなさい→行為を注意している○


子供が親に心を開いているか?
完全に閉じているんです。

小学校入学前の子がこんなことを言っていました。
「自分は『ここまで育ててくれた』親に感謝している」
無条件にお母さん好き!、じゃないんですね。
育ててくれている、だから感謝している。逆にいえば、育ててくれていなければ、ということ。本当に小さいときからこういった意識があるんです。
全面的に信頼しているかとういと、そうじゃないんです。

子供は独立した存在ですから、小学校2年生ぐらいにはもう家出をしたり、どこかにいってしまいたい、というのが誰もがあるんです。今の家にいたくないという気持ちがあるんです。
でも経済的にも、どうしようもない、できないからしないだけ。でも心にはそういうものがある。誰もがどこかにいってしまいたいという放浪症のようなものがあるんだと思うんです。

子供は小さい時から親に信頼はなく、ここまでしてれくれたから、この親以外に育ててくれる人がいないだからこそ、ここにいようと思っているんです。
みなさんも小さい頃、そう思っていたでしょ?


自閉症、アスペルガー、発達障害と言われている子が最近増えてきました。心の保護を求める子供達が多い時代です。
彼らは2~3歳で親から独立しているんです。親の所属物ではないということですね。
自分にとって利益がある存在があるかどうかで判断をします。つまり非常に合理的な考えを持っている。
親が自分に対して利益のあるというときはいいが、ないというときは親は存在しない。
新しい子供のあり方。とても参考になります。
<補足:川手先生は「心の保護を求める子どもたち」のために、芸術治療教育の活動を現在無償で行っています>

だから、こういった子と親は、親子関係が非常にすっきりするんです。
これからの人間関係を間違えなくていいから、ふつうよりはるかに幸せなんです。

健常児は誤解をし、引きずるが、彼らは誤解が生じない。思春期にどうしようもない出来事をおこさない。愛してくれているという妄想がない。人が自分を愛すことを思うほうがおこがましいんですけどね。

3つ子の魂100までといいますが、逆にいうと、3つ子までは親のもの。3歳以上は独立した存在なんですね。今まで天使だったのが明日から悪魔。

蛇が自分の尻尾をくわえてぐるっと輪になっているというのがあるのですが、その蛇が親でその中にいるのが子供、3歳までは親が守っているのが、3歳になったら子供はその頭や尻尾を切って出てくる、そんなイメージです。
親はそこで痛みを覚える。9~10歳でもバシっ!と切って、14~16歳も同じように切って出てくる。親はその都度痛みを覚えるんですね。


財布からお金を盗む。万引き。これも必ずやりますよ。
子供達にとって乗り越えなければならない儀式のようなものなんです。
みなさんだって子どものころ、したでしょ?
小さいうちに子供のうちに親の財布からお金を盗むのと、大人になって銀行強盗するの、どっちがいいですか?
小さいうちに、カエルを八つ裂きにしたり、女の子だって人形の首をひっこぬくじゃないですか。大人になって実際に人間を八つ裂きにするよりずっと良い。

お金を抜き取る、カエルの八つ裂き、人形の首とり、こういったことを物質的にしていなくてもそういった心はみんなある。それはしたかどうかは行為の問題であって、心がある時点でやった方が良い。

そして、そういうことをしたときに、親は始めて叱るんです。

だから普段は怒らない。普段から怒っていたら慣れてしまう。「はいはい、魔女のランダが出てきた」ってね(笑)
だから、普段は怒らない。行為を正す。
そしていざ、という時に、本気で叱る。母は山から岩を呼び、父は雷を落とす。

ランダも同じです。ランダって舞う直前にだけお面をかけるから良いんです。練習のときもかけない。本当に祭りのときにしかかけない。普段からランダを見せたら怖くないでしょ?1年に1回、祭りの時だけだからランダなんです。だから、怖い。

キャラクターも気をつけたほうが良いですよ。ミッキーやドナルド、初めて見た子は泣きますよ。犬なら声を裏返せて泣きます。グロテスクなものをあんまり見ているとそれが怖くなくなっちゃう。


祭りは恐怖体験なんです。
1人1人人格が違うから、基準がある以上、確執はある。村にいる家族の中にも確執が起きる。またそういったものが一族是認病気という形になって現れることがある。
舞、影絵などはそういったものを祓うわけですが、それは恐怖を村人に起こさせるんです。それはどういう役割を持つか?

恐怖は人を寄り添わせる。恐怖があると一体感をもって、助け合う気持ちが起きるんです。

震災で津波が来たとき、いつもはケンカしていてもそういったときは助け合って一緒に必至に逃げようとするでしょ?

災いは人を束ねる。祭りは意図的にそれを毎年起こさせるんですね。


ランダの本に「芝居と治療教育の関連について問われるなら・・・演出家は役者の中に眠っている隠された能力を引き出そうとする。治療教育者は心の保護を求める子供達の裡にまどろむ叡智を呼び醒まそうとする。」とありますが、これは教育者や親にも当てはまるんです。
親は自分の中にある叡智を押し付けるんじゃない、子供の中にある叡智を呼び覚ます。そのためには、まどろむ叡智を敬っていないといけない。

演出家は役者に、親は子供にある叡智を呼び覚ます。
バリの祭りも同じで、自分の内側に入り込むと集合意識・潜在意識とつながって祭りの村人に繋がることができる。イメージはお風呂の栓が抜けて、その下にはパイプみたいなものがあって、それが、みんなつながる感じです。人間の心は繋がっている。恐怖でお風呂の水が抜けると、そこでみんなが繋がれる。

必ず、この子、なんてことをいうの、というときが来る。クソババア!なんていうとき。その時こそ、お風呂の下の栓を抜いてお湯が出て行ったとき、下のパイプでつながるチャンス。逆行時こそ、親子の人間関係が生まれる。1つの人格同士になる。
さっきの蛇の話じゃないが、尻尾を切るときが来る。そういったことは必ず起きるもの。



・・・と1部のお話をまとめてみましたが、まあ、聞きながらメモをとったもので、ライブ感はあまりないですね
でもどんなお話だか、ざっくりとはつかめましたでしょうか?

シュタイナーの知識が前提にあり、また「魔女ランダ」の本を読んでいると、このお話はよくわかるのですが、その前提がなくても、「子どもは親の所有物ではない」「子供は3歳ぐらいには、もうれっきとした別の人格」「その子どもの中に神を、権威を、その子どもが持っている叡智がある、生きる力がある、ということを認めて、それを敬う」といった言葉、ふだん、子どもとずっといることで、どうしても子どもと相対して緊張関係があるお母さんには刺さっていたようです。
もちろん私も勉強になりました。

昔は子育てはおばあちゃんや地域の人がするもので、嫁さんは田畑仕事をしていたのが当たり前でした。
年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいて、村祭りや何かしらで悪知恵も含め、色々教えてもらっていたそうです。
そういえば、私の子ども時代はガキ大将というのが、まだいましたね。

今は親とも住まず、お父さんも会社に行ってしまい、お母さんと子どもだけ、という異常な人間関係な中で子どもは育っているわけです。
お母さんもその異常な関係の中では、ついつい自分の感情優先になってしまう場面が多いのも、ある意味いたしかたないもの。

しかも、テレビ、ビデオ、携帯、商業施設、作られた街、などなど、子どもを誘惑する刺激はたっくさんあります。

そんな環境下で押し込められた子どもは、小さいときからも漠然と社会に違和感を覚えるでしょうし、それが力で負けているときはお母さんの言うことをしぶしぶ聞きますが、心の底では黒いものがプスプスと燃えていると思います。
そして力で勝てるときがくると、それを爆発させて反抗期に入る、そんなものだと思います。

まあ、私がそうでしたから
これは親が悪いとかではなく、その前提の現代の環境が問題なんでしょうね。

どんな大人だって、子どもの時は社会に違和感を覚えていたはずです。あるいは自分の生に何かしら疑問を持っていたはずです。それが年を追うごとにぼんやりとしながらも大きくなっていく。大人になってもそれは続くのかな?

その自分が子どもの頃に抱いた違和感を思い返すこと、そして純粋に自分のところを選んで来て生まれてきてくれた子どもに、「生まれてきてくれて有難い」「今日も一緒にいれて嬉しい」といった存在感謝の気持ちがあれば、川手先生の言っている「子どもの中に敬う神を見る」ということは、とても当たり前のことのような気がします。

我が家では、奥さんがあきれるほど、私は子どもに「生まれてきてくれてありがとう」「大きくなったね~。嬉しいな~」「と、毎日のように言っています。
それは心から子どもがいることが「奇跡」だと思っているからで、今日も1日一緒に過ごせたことを幸せに思い、もう数年で人として自立して巣立ってしまうことのことの寂しさを思いながら、残りの時間を大切にしたいと心から思っているからです。

そんな私でも、奥さんがお泊りに出かけて、子どもと一緒にずっといながら家事などをやると、ついついキーキーなるもんです。
お母さん達も、子どもの寝かしつけたあと、そのスヤスヤ寝ている子どもの顔をみて神を見るのでしょうね。
そして「今日は怒ってしまったな~」と反省するのでしょう。
言うは易し、行うは難し、ですね

といった私のことは横において、二部に移りましょう。



<第二部>
二部はメモを取らずに聞いていたのと、少し抽象的なお話も多かったので覚えている限りで書きます。

■本物を出す責任
以前の劇は「刺身のない船盛」と言ったのかもしれないけど、今回のはちゃんと刺身が乗っていたよ。
<補足;もりこび夏祭りで、お母さん達が劇の出し物を毎年しています>

子供には本物の刺身を与えなくてはいけない、生きの良い新鮮な刺身を出さなくてはいけない。刺身を出す側、親とか教育者にはそういった責任があるんです。
食べるのはもちろん子供達。

それは黒マグロの刺身でなくても良い、その辺の川の鮒でもよいんです。


先日の夏祭りの「セミと少女」という演目は、人間達は自然が天災・地災などで壊されていくことを不安になるが、そうではなく自然がそういった洪水や天災などを起こしているんだ。人間達は死んだ後のことは忘れてしまったけど、死ぬときに初めて死後の国のことを思い出す。

人は必ず死ぬ。死も出会いの1つ。


■女性の力、母の力
女性は最後に一番強い力を発する。
ランダの本にも書いてありますが、インドの最高神のシヴァの奥さんがドゥンガなんだけど、普段はシヴァの方が強い。しかし、天災や病気が流行ったりしてどうにもならなくなったとき、それを一層するのはシヴァではなくドゥンガ。その力はシヴァよりも強い。しかもその力は怒りから来る。
全ての力の中でもっとも強いのが女性の怒りの力なんですね。


こんな話が実話としてあります。

昔、といっても10年ちょっと前の話だったと思いますが、エチオピアかどこかで、少女が盗賊団にさらわれたそうです。
それを感じた母親のライオン達が少女が囚われていた小屋に行き、盗賊団を追い払ったそうです。
そして少女を襲うことなく、その周りにまるで守るかのように輪になって囲い、少女を助けようと探していた人達がくると、何も言わずに立ち去っていったというお話です。

私はとても興味深くこの話を聞きました。実際のお話で世界中に広がった話なのですが、これが作り話であっても、私はとても意味が深いな~と思っていました。
これで例えば演劇を作るとしてもとても色々なメッセージが伝えられる。
ライオンはお腹がすいていたわけでもなく、盗賊は追い払い、子どもは守ったわけです。
まるで先ほどのぐるりと輪になった蛇のように。しかも全部がお母さんライオン。
動物学者はお腹がすいていなかったのだろう、とか少女のなき声がライオンの子どものものに似ていたのだろう、と言っていましたが。まあそういった解釈をするしかないですよね。

お母さんライオンが怒りで盗賊を追い払い、愛によって子供を守った。


■女性の恋の力
女性同士の恋愛感情は、良いもの。
芸術には叙情詩、叙述詩、演劇の3つがあるんですが、叙述詩は物語り、つまり昔こういった話がこうあった、というもので、それを人が役を演じるのが演劇。叙述詩と演劇はつながっているんですが、叙情詩は誰がどうしたではなく、自分がこう思う、といったことを書いたもの。歴史上初めて「わたし」という1人称を使った詩なんですね。
レズビアンの語源は紀元前600年頃、古代ギリシアのレスボス島というところがあって、そこには女性しか住んでいなくて、そこにいたサッポーが女性同士の恋愛について始めて詩にしたのが始まり。

女性の恋愛感情が叙述詩という世界で始めて自分の思いを表す芸術を作ったんです。


■全てに母がある
ゲーテの「ファウスト」という戯曲があります。
悪魔のメフェストフェレスがゲーテに「世の真実を知りたくないか?そのためには地上にいてはいけない。地下の国に行く必要がある」という節があるんです。

ファウストは「地下の国だって?怖いな~」という。
メフェストは「地下の国のまたの名は『母達の国』という」と言ったそうです。
それに対してファウストは「母達だって?聞いたことがない。母は1人じゃないか?どういうことだろう?」といって地下の国に降りていく。
そこにはウジャウジャ色々なものの母がいて、恐ろしい女の神様が本当にウジャウジャいる。
「これは?」とファウストが尋ねると、メフェストが1人1人紹介する「これが怒りの母。これが悲しみの母。これが慈しみの母。これが三角の母。これが机の母。これが椅子の母。。。これが真実だ」

こんな話のように、全てには源がある。母がある。
母の力。みんな源があるんですね。


■道徳を教え込むより想像力を

例えば子どもが誰か他の子をいじめていて「そんなことするんじゃないの。自分がやって欲しくないことは人にはしないの」とか言ったとしますよね?そうすると大体が「俺は別にやられても大丈夫だから、やっていいんだろう?」と言われますね。
理屈でいったら、子供は賢いから他の理屈で返してくる

そうじゃなくて、駄目だ、と行為が間違っていることを指摘するんです。

相手が痛いことは自分にとっても痛いということは子供もわかっている。

じゃあそういう時はどうするのか?それはファンタジーでしょ。
ごっこあそび、お母さん役になって人形をあやしたりするから、いたわる気持ちなどが育まれる。人格に立ち入っては駄目なんですね。

育てるべきは創造の力。
子どもは道徳心は持っている。
それを働かせる力が想像力。あれがだめ、こうしなさい、といった道徳をわざわざ口で言う必要はない。育てるべきは想像力なんですね。


■お母さん、お父さんの語源
お母さんという言葉の語源は、カラスから来ているんです。
カラスは山の神様。
物語を運んできてくれる。
子供と遊んでくれる。
かあかあ、これが語源。
またカラスはお日様の化身。やたがらすといいますね。
カラスは山から来る、だからお母さんも山。
お母さんの力は、山崩れ、地すべり。

お父さんの語源は、とおとめというのが語源、これは「尊い」のこと。

動物でいえばお月様だから、うさぎ。お父さんはうさぎなんですね。

一部で母は山から岩を呼び、父は雷を落とすと言いましたが、お父さんは恐れ、敬いの念をもつ存在なんですね。



以上、二部は抜粋ばかりでしたが、記憶の限り書きました。


トータルで川手先生のお話の感想としては、「やっぱり凄い人」ということに尽きるでしょう。
こういった方の場合は、話している言葉を理解しよう、自分に活かそうとしてもしょうがないんですよね。
その方の存在自体が力であって、その力が身につくまでに積み上げてきたこと、自分の体の中に落とし込んできたもの、深さが違うんですよね。

以前、学校給食を改革することで、荒廃した学校を立て直した長野の偉大な大塚先生の講演会を聞きました。
この大塚先生も、結局、学校給食を変えることが大事なのではなく、そこに至るまでの情熱、子どもは全く悪くなくその食環境が問題だと本気で思っていること、そして子どもに対して本気であること、そのこと自体が「あ~、こんな先生がいたら、子どもたちも変わるよな」と思わざるをえない存在自体が力でした。
詳しくは→こちらをご覧下さい。

川手先生も同じで、川手先生の発する言葉では、川手先生の深さは理解しきれない。
そもそも「子どもたちを見る視線」が違うんです。

「視線」ということで思い出したのですが、10年も前のことですが、コーチの養成機関にフィルという存在自体がコーチングになっている人がいました。
そして彼のコーチングのワークショップで、「sharping eyes」というものを教えてもらい、それを見て、体験して、その深さに驚愕したのを覚えています。

その目は鋭く、しかし優しく、強く、その人の心の奥底を見る目でした。
「言葉で言い表していること以上に、その人の本当の言いたいこと、思いが心の奥底に眠っている。コーチはそれを見つめ、勇気を持ってその本当のことをつかまなくてはならない」フィルはそう言っていました。

クライアントのその奥底にしまっているものを、クライアントの無限の可能性、力を信じて、パンドラの箱を一緒に開けるような感じですね。それには「あなたがどうであろうと、私はあなたの無限の可能性を信じる。そして必ずそばにいる」という確固たる信念、メッセージが存在から伝わるほどのものでした。


川手先生のように集合意識と繋がれる人、ランダの舞を踊れるなんて人は、世の中探しても普通はいませんし、繰り返しになりますが、演劇などを極めていく人は、少し精神がいっちゃってないと出来ないものです。

繰り返しですが、変な意味ではなく、人間としての極みに到達しないと芸術は表せない、というのが私の感覚にあります。
いわば超人ですね。
逆にいえばちょっと病的なぐらいにならないと精神世界は深くはいけないでしょうし、だから神霊のようなものと繋がれるのでしょう。

事前にランダの舞の本を読まなければ、シュタイナー教育の一人者という目で見ていたでしょうが、ランダの舞の本を読んでから参加したので、私にも先入観があるかと思います。

まあそれしても、「こんな人がいるんだ。凄いな~」というのが実直な感想でした。
いや~、それにしても凄かった。

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食と命の教室 新粉餅、ごま油絞りなど

2013年09月16日 | 農的体験・生活
月曜日。世の中は台風真っ只中

そんな最中、「食と命の教室」の9月を開講しました

一度日程調整したのですが、参加者の都合が他にはつかず、またみんなこの日程で良いということ、高柳さんもオーケーとのことで、少しドキドキしながらの開催

「もちでもつくか」と高柳さん。
もちはもちでも「新粉餅」といって、うるち米、いわゆる普通のご飯で作ったもちを作ることになりました。

本当はお米を粉にして上新粉にして、それを作るのが新粉餅。
しかし、もちを作る機械が出来てからは、ご飯を硬めに蒸かし、それを水につけ、さらにもう一度蒸かすした後、機械を通すと、うるち米でもバラバラにならず、ねっちょりした餅になるとのことです。

台風の中ですが、小屋の下で火を燃やしながらご飯を硬めに炊きます。これを2回やります。


食べてみたら、寺田本家で酒作りを体験したときのように、固めのご飯でした。
そうした硬めに蒸かしたご飯を専用の機械ですりつぶしていきます。


ニョキニョキと出てきました


こんなに粘りがある まるでもち米みたい


これを1つ1つラップで包みます。


1つ1つこんな感じで、まるで巨大なフランクフルトかきりたんぽみたいです


たっくさん作りました


今回は高柳さんの趣向で、古米と新米の2種類でこの新粉餅を作ってみました

休憩で、高柳家の庭に生えている栗をご馳走いただきました。


これが全く虫がいなく、ホクホクしておいて美味しい
なんでも、娘のあゆみさんが小さかった頃は、背丈も小さな木だったそうですが、それがいまや大きな大きな栗の木に育ったそうです。


その後、うるち米ではなくもち米を使って、伸し餅も作りました。う~ん、餅まつり



お昼はこの新粉餅を色々な味で食べ比べ。


古米と新米では、やはり新米が柔らかめで、古米は硬めでした。
でも、それは蒸かしぐあいによるかもしれないので、何ともいえません。



さてさて、こちらがみたらし風。とろりとして美味しかった


高柳さんの黒ゴマ。お母さんが直前にすってくれました


高柳さんの黒大豆黄な粉。根本さんと同じですね。


お雑煮風。これまた美味しい


どれもお母さんとあゆみさんの手作りです
やっぱり高柳家は、食卓が豊かですね~


さてさて、昼食後、ゆっくりした後は、天候のため急遽、教室開催前に収穫されたひまわりとゴマの見学です。

高柳さんは、菜種、ひまわり、ゴマ、落花生、米ぬかの4種類(私が知っている限り)の油を作っています。
ひまわりは、地域の若手農家を中心に呼びかけて、20人ぐらいで作っています。
私も昨年参加したんですよ

これがひまわり。9月の雨で今年はかなりカビてしまったそうです


この1つ1つの種をバラバラと取る必要があります。昨年がんばったことを思い出します


これがゴマ。
下の方から順に実が入っていくのですが、下から2~3段の実が弾け出したら収穫してしまい、このように束ねて立てかけておきます。


そしてこのように、茶色にカラカラに乾くまで干します。


すると、どの実も収穫オーケーの状態になります。
これをひっくり返すと、ザ~っとゴマが滝のように零れ落ちてきます。
後はふるいにかけて、とうみをかけてゴミを飛ばせばオーケーです。


この1鞘に・・・


こんなにゴマが詰まっています


そして、ゴマにつきものがゴマ虫。スズメガの幼虫の1種類らしいですが、とにかくでかい


手と比べるとどれだけでかいかがわかるでしょ?タバコより一回りでかいです。



さてさて、少しひまわりをみんなで脱穀した後は、今度は油絞りの見学です。
普段は大量にあるので大量に発注してしまうのですが、デモンストレーション用のためか、小さな絞り機を高柳さんはお持ちです・

これが油絞り機です。原理は車のジャッキと同じで、上へ押し上げていく感じです。


ここに入れるのは、昨年とれた幻のゴマ、金ゴマ
ただでさえ国産はないのに、さらに金ゴマとは無茶苦茶貴重ですね


上からゴマをいれ、ふたを閉めて、右のレバーでキコキコとジャッキで圧をかけると、ポタポタと出てきます。
油なので炒って温めてから絞ると、より絞れるそうですが、この生絞りは歩留まりが少し悪いのですが、その分、香がほとんどせず薄黄金色の透明な油で、長持ちするそうです。


このようにポタポタとごま油が絞れました。
これを炒めると普通に売っている油と同じように茶色くなり、同時に高い芳醇なゴマの香が漂うのです
がんばったところ、500gで150ccを超えました。
つまり、生絞りでも搾油率は30%ぐらいいったということですね


さて、ゴマを搾った後、外に出てみると、台風が過ぎ去った後の夕日と雲が何とも幻想的な風景を醸し出していました。
それを撮影する高柳さんの息子のたけじさんを撮影してみました


それにしてもきれいだな~。


刻一刻と変わっていく雲。自然の雄大さが感じられます。


その後、色々な話でなんだかんだいって19時過ぎまで

台風は過ぎ去り、みんなで楽しい時間をたっぷり過ごせました。

次回は10月12日(土)開催予定です。
糀を作る予定です。

と言うのも、高柳家では10月17日に神嘗祭をやる予定だからです。
今も神社などでは行われているようなのですが、今年の五穀豊穣を神に感謝する日がこの神嘗祭です。

高柳家では毎年、神嘗祭をやっていて、そこに甘酒を出すので、必然的にその前に糀を毎年作っているからとのことです。

納豆の作り方なども色々教わってきましたが、ついに糀も伝授頂けるのですね
超楽しみです

食と命の教室について詳しく知りたい方は、「みんなの農村ネットワークのホームページ」をご覧下さいね。→コチラ


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田んぼと畑の耕育教室 稲刈・天日干し、さつまいも、落花生の収穫!

2013年09月14日 | 農的体験・生活
ついにやってきました
年に一度の収穫の秋、1年分のお米が収穫できる「稲刈り」です

台風の影響で天気予報が刻一刻と変わる中、前日に根本さんと一緒の「台風で倒れるのは仕方無い」という前提でオダを作りました。


今日は空は晴れ渡り、真夏のような暑さです

朝から子供達と奥さんは料理の準備、根本さんと私は色々な準備、そしていよいよスタートです

参加者の過半数が稲刈体験をしたことが無い方が多く、またしたことがある人も、昨年、この田んぼと畑の耕育教室に参加して初めてした、という人が多いのです。

みなさんが良く言いますが「こんな経験、なかなか他じゃできないわよね~」とおっしゃりますが、5年前までは私も東京に居たので、その気持ち、私も良く分かります

まず田んぼで根本さんから稲刈と天日干しのやり方、怪我をしないようにコツなど注意点を説明。



それから、みんなで稲刈開始です


とっても暑い中、ちびっ子も天日干し、がんばっています


オダにぞくぞくと刈り取った稲がかけられて、様になってきました


そこに出来た陰で、一休み


今年は結構がんばる方が多く、中にはお昼までぶっ通しでやっているご家族も居ました。

その中の1組が「こうやって自分で稲刈りをやってみると、昔の人がご飯つぶを残すな、と言っていたのがわかりますね。自分もお米作りやっていたら、子供が残したら怒りたくなる気持ち、わかります」と言っていました。

そうですよね~。
今は機械が当たり前になってしまったので、農家さんもそういった気持ちがあまり無いかもしれませんが、天日干しなどをすると、稲1束でも地面に落ちていたらかき集めて干します。

そういった「育てたお米を大切にする気持ち」は、やってみないとわからないものですよね~

また、東京から来たパパさんは「普段の仕事のいろいろを忘れて、黙々と没頭できると、なんかとってもいいですね~」と言っていました。
わかります、わかります。

始めた頃は、みんなそういった気持ちになるんですよね。
私も初心を思い出して、子供達だけでなく、大人にとってもこういった場のある意味を改めて感じました

さてさて、お昼は相変らず豪華に食べきれないぐらい出ましたが、今年最後の小玉スイカをおやつにまわすと食べきれないということが前回わかったので、今回は、食後のデザートととして、小玉スイカの食べ放題
暑い日に稲刈をがんばったせいか、バクバクバクバク、お腹を壊すだろうな・・・と思うぐらいバクバク食べている子が多かったです



食後は、暑いので大人はまったり休憩、子供達は水遊び。
実はこの水遊びがもっとも子供達が興奮する時間の1つなんですよね~
びしょぬれになってキャッキャ騒ぐ子供達、「あ~、子供達って素晴らしいな~」と思える風景でした



休憩後は、収穫の秋第二弾、さつまいも掘りです


やっぱりおいも掘りは定番で、嬉しいものです。
わが子も嬉しそう


その後、生落花生用に落花生の収穫。
塩茹でして食べる後、やめられないとまらない、となるんですよね


その落花生のお隣では、先月播いたそばは、もうきれいな花が咲かせています。来月には収穫です


一通り収穫が終わった後は、おやつの時間。
定番のヨーグルト&黄な粉だけでなく、前回同様、フローズンヨーグルトはバカ売れでした

お土産にさつまいも、落花生、またハウスでミニトマトやバジル、大葉なども好きなだけ持ち帰ってもらいました


稲刈というのは、みんなが一番やりがたることの1つ。
キャッキャする興奮するというものではないのですが、ご飯を食べるときに「ああやって干されたものがご飯につながるのか」ということが体験できる、とっても良い機会だと思います

日本国民、全員が稲刈&天日干しはやるべきだと心から思います。
楽しいだけでなく、1粒で1000粒が付く米の力、またこうやって日本人はお米を主食として先祖代々つないできたのだな~、命の源としてきたんだな~、ということが体験できますものね。


イベント終了後、ハウスに小さな蛇がいました。
つかまえて、まだ残って遊んでいる子供達に見せると、そのうちの1人が、まったく怖がらずにひょいと手で、すごい


そして水桶の中に離して泳がせて遊んでいました。
昭和のような風景でした
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