半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

なんだかんだで盛沢山「食と命の教室」

2019年09月28日 | 農的体験・生活

今月の「食と命の教室」がやってまいりました

高柳さんは、ちょうど前日に稲刈りが終わったので、気がホッと抜けている日。

しかし、「この後、台風の被害の復旧があるから、まあやることが沢山あるよ」と、あまりこの辺りの被害状況がわからない参加者に、被害の説明。

そして、いつもは1時間ぐらいお話があるのですが、そんな雰囲気でもないというか、「体を動かすか」という事で、まずは収獲したお米が出来る工程の機械の見学です。

 

お米は昔は手で刈り、天日干しをし、それを脱穀して籾にする、という作業があります。

そしてその籾を籾摺りして玄米にし、精米して白米、という流れがあり、大変手がかかるのです。

 

それが近代はコンバインという機械で「刈り取り&脱穀」をして、一気に籾に出来ます。

これを「乾燥機」に入れて15%以下の水分量にします。

次に「石取り機」を通して石などのゴミを取り、「籾擦り機」で籾をとり玄米にします。

そして網で1.75とか粒の小さいものは選別します。

そして「精米機」で精米して、最後に「色彩選別機」で1粒ずつエアガンで弾いて見た目がきれいなお米にする、という流れがあります。

こんな感じで、一連の流れで機械を揃えると、その額1600万

機械が壊れたらお米作りを止めてしまうのも、高齢になってからただでさえ赤字かトントンの米作りに「この歳で借金をしても」という気持ちになるからなのです。

ということで、69歳でも機械をもっている高柳さんのところに、「俺の田んぼ、やってくんないか?」という声がかかるのが現状です。

 

そんなお勉強をした次はハウスで、唐箕掛け。

5月に蒔いたゴマやヒマワリは、何とか草取りをお母さんがしてくれたので、収量は少ないのですが育ちました

ゴマはまだ完全には乾いていなかったので、今回はお掃除はしなかったのですが、高柳さんが逆さにしたら「サー」っとゴマが落ちてきて、みんな「わ~」っとテンションアップ

 

鞘にこんな感じでぎっしり入っています。

綺麗ですね~。そしていかにも砂漠地帯の作物っていう見た目です

 

さて、今回はヒマワリの唐箕掛けをします。

その前に、まずはふるいを2回かけて大体のゴミを取り除きます。

まず、1回目のふるいは、大きなゴミを取りのぞくためで、大きなゴミがふるいに残り、種は下に落ちる、というメッシュのふるいをかけます。

2回目のふるいは、砂を落とすもので、今度はメッシュの目は細かく、種が残る、というふるいです。

 

ここまでで、もうみんな汗だく

ハウスの中で晴れ間でもあったので、35℃ぐらいはいっていたかも

暑さと埃にまみれながら、ここから唐箕がけです。

唐箕というのは、要するに風選をするもので、風を送ることで軽い実がはいっていないものは飛ばされ、実が入ってある程度の重みあるものは下に落ちる、という、極めてシンプルな原理の機械です。

これが今は電動になっているものが売っていますが、何百年も使われ続けている道具なのですから、凄いですよね~。

ちなみに高柳家のものは大正時代からのものがあったのですが、数年前に昭和初期のものが寄贈されたので、今はそれを使っています。

 

みんなで汗だくになってヒマワリの種を選別した後、まだお昼までちょっと時間がありました。

栗が好きな方がいたので、栗拾いをお願いしたら「いいぞ」ということで、台風でぽっきり主軸が折れてしまった栗の木の下で、栗拾い

残った栗の中で、結構大粒もあって、みんなで食べきれないぐらいはとれましたよ

 

そして、お昼は相変らずお母さんの美味しい手料理がいっぱい

今回、初めてムカゴ入りのお握りが出てきました

ムカゴというのは自然薯の種ですね。小さなものですが、なかなか通好みの食材なんですよ

 

また、食後に、お母さんがお昼前に拾った栗を塩茹でしてもってきてくれました

 

みんなは上手に剥けないので、高柳さんが小刀を持ってきてみんなに剥き方指導。

また、高柳さんは上手に剥いて、みんなに配って「丸ごと食うと美味いだろ」と勧めていました

 

ポップコーンも一緒にお母さんが出してくれたのですが、男性陣は栗は2~3粒足りたらもう十分で、あとはこっちを食べていました。

一方、女性陣はず~っと栗を食べて続けていました。

男性陣の中では「女性はなんであんなに栗が好きなんだろうね~」って

 

さて、お昼後は田んぼにちょっと足を延ばしました。

もう稲刈りは昨日で終わったのですが、普通はコンバインでワラは刈り取りと同時にバラバラにされてしまうのですが、11月の納豆作りのために高柳さんがわざと脱穀だけでワラを残しておいてくれました。

それをみんなで拾い、束ねました。

高柳さんが「昔は何回も手でワラを触ったんだよ」と言います。

「まず、手刈りして1回、束ねて2回、干して3回、それを降ろして4回、脱穀で5回、束ねて保存で6回だな。そして冬はワラを編んで紐にしたりと、まあワラをとにかく触っていたけど、今はコンバインでバラバラにしちゃうからな」

 

また、一服しながら、この辺りの田んぼのお話など。

あちらの田んぼの右側が穂がたくさんついていて左側が穂があまりついていなくて黄色っぽいので「あれは何ですか?」と高柳さんに聞くと、「あれは土地改良のせいだよ」とのこと。

実は田んぼが2枚あったのを間の畦をつぶして1枚にしたそうなのです。

で、棚田とは言いませんが、左側の方が30㎝ぐらい右側の田んぼより高かったので、左側の表土30㎝ぐらいをけずって右側の田んぼにのっけて平らにしたそうです。

「表土というのは1000年かかって10㎝、という学者もいるぐらいなんだよ。だから、左側は表土が無くて深土だから育たないんだよ。逆に右側は表土が何十センチも積もっている状態だから、ある意味、豊か過ぎるんだな。だから、もしやるとしたら左側は肥料をあげるけど右側は上げない、と言う感じにするしかないんだけど、まあ厄介な田んぼなんだよ」

また、この話の流れで

「16号の海側の方を埋め立てた後、松の木とかを植えるために、この辺の表土が随分もっていかれたんだよ。つまり、砂だけだと木が育たないから、この辺から表土を買って持って行った業者が多かったんだ。それだけ表土というのは大事なんだよ」

一同、へ~と知らない話ばかりで、大変勉強になった時間でした。

 

最後は落花生の袋詰めのお手伝い。

ちょうど電気工事やさんが来て、壊れていた落花生小屋の電気が通り、落花生も煎ることが再開できたので、それをお手伝いすることになりました。

おおざっぱな選別をお母さんと娘さんがしている間、畑に残った作物を獲り放題にしてくれました

モロヘイヤ、ナス、オクラ、ゴーヤ、空心菜と、最後の収獲をみんなでたっぷりと楽しみました

 

そして、落花生の準備が出来たのでみんなで袋詰め。

計量&選別、袋入れ、エイジレス入れ、空気を抜いてシーリング、中身を平らにして見た目を整える、という結構な工程があって、これをみんなで役割分担。

「職人技ですね~」とみんなで技術を磨き合いながら200袋は詰めれたと思います

 

そんな感じで、今月はいままでにないぐらい何だかんだいって、盛沢山の体験が出来ました。

次回は大人気の「糀作り」です

ご興味がある方は、ホームページからどうぞ→「食と命の教室」

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全国からの応援

2019年09月25日 | 農的体験・生活

東京電力さんの情報では、千葉県の停電が一応は復旧したようです。

ただ、「各家庭では電気が来ていないところがある」という事で、完全復旧まではあと数日かかるのかもしれません。

停電が3日、4日続いてくると、さすがにきついという声が多かったのですが、でも、恐らく世界各国でもこれだけの規模の被害が出た後に、これだけ迅速に電気が復旧出来るのは日本だけだと思います。

国や県、東京電力の初動や体制を批判する人もいるそうですが、まあ、役所はともかく、夜中中走り回って電気を復旧してくれた人達にそんなことを言う権利は誰にも無いと思います。

ここ数日、成田のイオンの駐車場の一角は東京電力の電源車でいっぱいでした。

「何だろう?」と思っていましたが、イオンが駐車場の一角を専用に使用できるようにしているようでした。

大体の電気の復旧が終わって撤収前の仮待機所になっていたのかどうか、中継点としてここが選ばれたのか、あるいは、県内の各地の大型scの駐車場がこういった感じで電源車用に使われているのかよくわかりませんが、先週までは気づかなかった光景です。

とにかく、ざっと見ても100台以上が停まっていました。

驚きなのは、高崎や山口ナンバーもあって、全国から来て頂いたことがわかりました

全国から手配された人と車が昼夜を問わず復旧に走り回ってくれたのでしょう。

有難いことです。

 

また、ビニールハウスの解体をいつものようにカンコンしていたら、市の放送が流れてきました。

「自衛隊のみなさんに感謝の言葉を送りましょう」といった内容で、撤収する師団のみなさんにお礼をする内容のようでした。

確かに、ここ数日、道路で自衛隊の車両とすれ違う事が多いのです。

知り合いの農家さんは、「初めて自衛隊のお風呂に入ったよ」と言っていましたが、お風呂や水など色々助けてくれた自衛隊が、役目を終えて撤収しているのでしょうね。

有難いことです。

 

また、高所作業車も最近は多く見かけるようになりました。

倒木は基本的には農村は、まだ自治が残っているので、チェーンソーを持って気づいた人、近所の人、消防団など、みんなでとりあえず片付けて道が通れるようにはしてあります。

ただ、電気は問題ないのでしょうが、倒木が電線にひっかかって止まっているところもあって、例えば、トンネルように木をくぐるので、「もし、電線が切れて木が落ちてきたら怖いよね~」なんて話すところがあちこちにあります。

そういった感じで、電気を遮断していなかったけど電線にひっかかかったままの木を切ったりしているようで、これまた県外のナンバーも多いのです。

復旧車両と人があちこちから応援に来て下さっているのでしょう。

本当に有難いことです。

 

そんな感じで、生活が出来るようにはなっており、あとは日常の仕事をしながら、ハウスの解体や小屋の修理などの復旧作業を「どれだけやるか」といった状態になっています。

ハウスの新設は資材が無いですし、屋根の瓦は職人さんが足りないので待つしかありません。

そして、農家のみなさんについては、大根やキャベツ、葉物など大体が被害を受けていて、これから出荷の年内の野菜は品不足になります。みんな「大丈夫なのはサツマイモぐらいだな」と言っています。

これで品不足で相場が高くなっても、有機農家のキツイ所は「相場に関係なく同じ値段」を貫いているところです。

局所的天候不順、災害が多くなってきたここ近年、自然に沿った仕事である農業も、今まで通りにはいかない時代になっています。 

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停電からの2週間

2019年09月22日 | 農的体験・生活

停電から2週間が経ちました。あっと言う間だった~。

成田はおかげさまで停電が東電が把握している限りでは無くなっています。

あとは、南房総などを中心に、まだ電気が来ていないところの復旧を願います。

私は被害は少なかったのですが、体力を使いまくっている感じで、疲れが抜けません。

農家さん達はなおそうなのでしょうが、ちょっと振り返りましょう。

 

9日(月)

成田のニュータウンと言われる中心部でも、停電はまばらで、私の地区は停電、しかし、公津の杜地区やはなのき台のほとんどは電気が通っていて、台風後に学校は遅れて始まっていたそうです。

私の地域は学校に電気が来ないから小中、共に休校。

とても暑い日で、高齢の母もいたので、イオンやイトーヨーカドーに避難していました。

公津の杜地区など停電していない人からは「えっ、成田、停電していたの?学校休みだったんですか?」とびっくりするほど、電気が来ているところと来ていない所の差が多きかったです。

イオン周辺も停電の所と電気が来ている所がまばらで「まばら停電だな~」という感じ。

 

我が家は幸い、お風呂に昨晩の残り湯があったので、トイレの水に使えたし、暑かったので夜はその水風呂にざぶりと浸かることが出来て汗は流すことが出来ました。

そのまま夜になって、あちこちで「停電しているらしい」という情報が、停電していない都市部の方にもまわって、我が家にも「暑いから泊りに来て良いよ」とか氷の差し入れがあったりして有難い

そして、夜20時頃に、電気復旧

思わず子ども達とバンザイしました

しかし、今回の台風の被害は甚大で、この月曜日の時点で
・大風で路地野菜に被害がでて、水曜日の野菜BOXを始めて8年目で初の配達中止
・週末の稲刈り教室の田んぼは、稲は当然倒伏で田んぼも水浸しで、まともな稲刈りは出来ない予定
・おかげさま農場も1日電気が復旧せず、お客さんとは電話で繋がるところ以外は連絡とれず。野菜も当然被害あり

といった状態でした。

一番有難かったのはやはり「車」です。

ラジオやテレビが見れて涼もとれるし、移動が出来る。

逆に、車が無く移動もしにくい独居老人には、特にあの暑さはつらかった停電でしょう。

一方で消防の人、電機工事の人などなど、あちこちで復旧で頑張っていました。

 

10日(火)

農家さんを何件か回りましたが、どこのお家も大体がハウスはつぶされ、良くてビニールが強風で破かれてしまっている状態。

中の作物もぐちゃぐちゃ。路地野菜は当然凄いことに。

千葉県にこれほどの台風が直撃したことは記憶になく、電気の復旧も予想以上に遅れています。

70歳近い農家さんは、暑さにまいっている様子で、かつ、携帯の電源が切れていて「どこで充電できるんだ?」という感じなのでドコモショップや成田の街中のマックなどをお伝えしました。


成田のニュータウン内と同様に、51号沿い、あるいは大栄地区などでも復旧している所としていない所があり、電気が使えるところがまだら模様。

「倒木で道が塞がっちゃったから、安めのチェーンソーは全部売り切れてどこにもないんだよ」という話や、同じ地区でも山1つ向こうは停電が無かったという話が伝わると、「何あいつの所は電気が来ているのか?山1つでそんなに違うなんておかしい」といった会話をしながらも、暑くて仕事にならず、水も無いのでトイレも困る状態が続いていました。

そんな本当に大変な時ですが、頑張ってある野菜を出して頂けること、ただただ感謝です。

私はその調整で、おかげさま農場の事務員もやっているので、取引先と携帯でやりとりしたり、農家さんで繋がらない方の家を回ったりで、結構ヘロヘロ。

それでも電気が自分の所は来ていて、「明日にはこの地域には復旧するんでしょうけど」みたいな感じでした。

(月)の午後で千葉県で61万件、成田市で26,000件の停電でしたが、火曜日の夜になっても成田市内で19,400件停電中。

思ったより復旧が進まない状況でした。

 

暑い日が続いていたので2日経って思ったことは、一番大変なのは暑さ。

次に水が使えないこと。

職場に行って涼める人は良いですが、地元で仕事をしている人、お風呂に溜めた水が無い家などはトイレが困る。

冷凍庫&冷蔵庫内も当然アウト。

お店は在庫がアウトだから悲惨な状態。

一応、いくつかの学校や公民館などで給水や避難所が開設されましたが、同じ成田市でも例えば停電していない場所もあったりで、まだら模様の停電。

独居老人に、例えば公民館に避難所が開設したという連絡は、誰かから行っているのだろうか?

例えば、空港内、公津の杜、はなのき台、イオン周辺といった新しい街でも停電が続いているところもある。

大栄地区や宗吾、久住なども同様。

車があれば涼や電気があるところに移動出来るのですが、昨夜マックに充電に行ったら、みんな同じことを考えているようで、満席で充電器にみんなスマフォのコンセントを挿されていました。

うちの子どもの中学校、小学校は復旧したけど給食センターが間に合わないので12時下校。

それだけすさまじい台風だったのですね。

とにかく、東京電力の停電情報をガラケーで1日にらめっこしていました。

 

12日(木)

水曜日の夜から今朝にかけて2000件が復旧した模様ですが、未だに成田市内で10,700件が停電中。

昨日も日中は暑く、私は午前は農家さんのハウスの修復や解体作業、午後はおかげさまの事務仕事で昼ご飯を食べる時間も無く。

でも電気や水が来ない地域のみなさんに比べれば、家に帰ればシャワーを浴びれる有難い状況。

「月曜日にハウスがつぶれて落ち込んだけど、みんな同じようなので、むしろうちは良い方だと思うようにしたよ」とか「水が出れば汗をかいたらシャワーとか出来るんだろうけど」という農家さんの言葉がしびれました。

 

さすがに3日間、電気と水がない生活は厳しく、また道路を挟んで向こうは電気が来たのにこちらはこないという状況も発生しており、何とも言い難いものがあります。


「東日本大震災の頃でさえ電気が3日間来ないなんてなかったからな。早く来て欲しいよ」というのが当地の切実な言葉です。

ハウスがつぶれて仕事にならない気持ちも萎える状況で、水と電気が来れば、気持ちだけでも良い方向に向かえるはずなのだけど。
夜を通して復旧している電気会社のみなさんが頑張ってくれているおかげでここまで来ていますが、今日には復旧してもらいたいものです。

 

13日(金)

昨日はいくぶん涼しく、ハウス解体仕事もきつくなく。

トンカチでカンカンしていると、役所の車が「小学校で給水をしています。なお、怪しい外国人が水を販売しているという情報がありますので、絶対買わないで下さい」とアナウンスしていた。そんな商売も出てくるんですね。

(水)(木)と2日間カンカンとハウス解体をやっていますが、以前いたネット通販会社からしょーもない事務的な問い合わせが。

「朝、連絡したでしょ」とプンプンしながらも、東日本大震災の時はあっち側にいて、何もできなかった不甲斐なさが会社を辞めた理由の1つだったことを思い出した。

今は知り合いの農家さんのハウス解体を自らの意志で出来る立場でもある事を思い、「あ~、会社辞めて良かった」と改めて思いました。

 

おかげさま農場は、昨日の朝、高柳家と直売所までは電気が来たのですが、その隣の丸和食品さん(豆腐屋)さんと事務所には電気が来ず。

メンバーも大半が復旧した中、「俺のところはまだだよ」と言うメンバーもいて、喜びを表すのも何だか難しい。

神崎町の方から「夜12時過ぎに復旧」という連絡がきたり。成田市内では現時点であと約2600件が停電。

今日には復旧することを願います。

 

そして(土)(日)は稲刈りイベントがあったので、この間、夜は参加者とメールなどでやりとりし、(金)は1人でオダを作り、(土)(日)はイベントをしたという流れでした。

16日(月)には大体の所に電気が来て、来ていない所は本当にわずかになったのですが、日常業務+ハウスの解体+秋冬野菜の種のまき直しなどで、体の疲労が抜けず。

色々あって、みんな疲れている感じ。

世の中では3~4日経ってから「千葉県は大変らしい」というニュースが広まり、先週末から何人もの方から「大丈夫ですか?」という問い合わせがあるものの、例えば「何か必要な物があるから送ります」というメールも有難いのですが、千葉県内はヤマト運輸さんも停電で大変なことになっており、気持ちは有難いが、被災地は物流も被害があるという事が知らされていない感じ。

また、こういった事に同情し、お声をかけて下さるのは多くは女性なので、とても有難い一方で、ハウス解体など肉体労働に来てもらうのも申し訳なく。

農作業がわかる方であれば、1つ伝えればあとはご自身でやれる方の方が、こういった時はかえって農家さんに迷惑がかからない、というジレンマもあるわけです。

そんなこんなで、停電から1週間経って、ようやくみなの電気と水が来るようになり、日常生活は出来るようになり、「〇〇のハウスはほぼ全壊したらしいぞ」とか「秋冬の大根とキャベツは半分は駄目だな」とか「まき直しが出来ていないから、今日にでもやらないと」といった全体の概要がわかる状態に。

とはいえ、「畑に倒れた倒木を何とかしないとな。でもチェーンソーが壊れちゃったからな、借りてこないと」とか、「ハウスは道路に出ていないからそのままだけど、解体すっか、放っておくか、どうすっかな」とか。

小屋や家屋の修繕、道普請、倒木の処理、ハウスの解体、稲刈りの続き、秋冬野菜のまき直し、日常の収獲と出荷など、ほとんどの人が「やることはいっぱいあるけど、何から手を付けたらわからない」といった混乱状態で、「まあ、出来る事を1つ1つやるしかないな」という感じです。

そして、ここは日本人なのですが「俺らは南房総の人達の方がよっぽど大変だよな」という事で、我慢して、自分達より被災のレベルが大きい人たちのことを思いながら働いています。

千葉県の農家からすれば「家屋やハウスの被害、倒木、停電の長さなどは東日本大震災以上」だった今回の台風。

そんな中で、私としては、手をあげてくれた方で動ける方と一緒にハウス解体などをやっていて、同時に自分の仕事もやっているので、疲労が抜けません。

ただ、成田ニュータウンの多くの人が「何か出来ることはありますか?」といった状態の中、農村部の方と多くのご縁を持ち、様子伺いに顔を出してお母さんと涙をしたり、汗水かきながらハウス解体をしたり、電気が来ず電話が繋がらない方の所に顔を出して情報を提供したりと、現地の方と同じように行動がある程度できていることに、「ご縁があって良かったな~」と思います。

東日本大震災の時は、放射能で大変なことになった農家さんに、直接は何もできなかった不甲斐なさが独立のきっかけでもあったわけです。

そういう意味で、今回は、未だ大変な農村部の中で、私も何かしら出来る範囲で復旧のお手伝いが実際に出来ている事が有難く思います。

 

ニュースはすぐに形骸化するので、本当に復旧というのは知らず知らず忘れ去られるでしょう。

しかし、ビニールハウスの資材が年内はほぼ入手不可能で、瓦職人もいないので、本当に復旧するのは来年以降になるはず。

今回の打撃で、今更新しくハウスを建てることはせず、離農する高齢農家さんも必ず出てきます。

 

都市部への特にベビーリーフやサラダ系の野菜は品不足になるでしょうし、9月1週目に種を蒔いたり苗を植えたりするキャベツや大根も、千葉県産は量が減るでしょう。

もちろん、お米も長雨の影響+台風で打撃を受けています。

ここ数年、気候が不安定で農業も安定して出来なくなってきました。

私の師の高柳さんは「今までは西日本が大変だったが、今度は千葉県の番が来たんだな」と言っています。

世界各国、そして日本、そして千葉県と「局所的」な干ばつ、豪雨、そして台風などが予測できないレベルで起こるようになりました。

 

それでも命を扱う農業は、生きていくために必要です。

「農村コーディネーター」という稀なる仕事を創り、8年間やってきましたが、引き続き、農村に足を着け、都市部の人と農村を繋げる役割を全うしていきたいと思います。

 

 

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停電からの稲刈り教室

2019年09月15日 | 農的体験・生活

ついに9月の「田んぼと畑の耕育教室」、つまり稲刈り教室がやってきました

停電でドタバタしながら、前日に1人でオダを組み、2日間も、1人で運営仕切りました

私、エライ

 

さて、この地域は停電を免れましたが、台風で今年は稲が全部倒れてしまいました

ただ、3年前は台風で水たまりのようになっていたので、それに比べればまあ、良かった、という感じかな

こんな状況ですが、来て頂いたみんなで稲刈り

オダとかハザといわれるところに刈って束ねた稲をかけて天日干しします。

絵になりますね~

 

思ったよりも暑く、特に日曜日は結構な暑さだったので、午前中で帰る家族も多かったのですが、稲刈りにはまった子ども達もいて、倒れた稲を一生懸命、鎌を使いながら刈ってくれました

鎌の使い方をマスターした子ども達は、ずっと刈るのを止めず、日が暮れるまで稲刈りに夢中な家族も。

そしてお客さんが稲刈りを終わった後は、残りの稲をコンバインで。

こんなに倒れた稲も刈れるなんて、やっぱり機械は凄い

 

まあとにかく、停電でドタバタしながら突入した教室ですが、何とか運営出来ました。

1人で運営するのはなかなか大変だけど、その後の作業を農家さんとやるのが結構つらい

ただ、やはり子ども達の笑顔に救われます

もはや社会的意義があると思って続けている教室ですが、これで大きな山を越えました。

みんな、ご参加、ありがとう~

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今年もゴボウ茶

2019年09月07日 | 農的体験・生活

暑い日が続きます

私はこの暑さを利用して、頂いたゴボウを干して冬の「ゴボウ茶」に。

毎年、昨年収獲のゴボウが終わりの近づくと、あまったものをおかげさま農場の田谷さんが「もっていってよいよ」とメンバーに配ってくれるので、有難く頂戴しています

ざくっと輪切りにしてザルいっぱいに敷き詰めたゴボウも1時間で縮み始めて、このぐらいの状態になります。

 

1日経つと、もう完全にミイラに

これをおやつ代わりにしても美味しいのですが、お湯を注ぐと塩味とまろやかさが相まって美味しいのです

今年も私の冬の貴重な「ゴボウ茶」、完成です

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農薬の歴史

2019年09月06日 | 自分の時間

稲刈りシーズンです。

日本のお米農家のほとんどは兼業農家さんで、そのお米は味は関係なく虫食いが少ないなど「見た目」で「等級」が決められてしまうため、虫がいない時期でも「防除」という考えで農薬を播き、見た目良く効率的に作ることに力を入れざるを得ないんですね。

そして今のお米に使われているのは、ネオニコチノイド系という神経毒の農薬です。

農協や農業関連問屋の売上の柱は農薬と肥料。

もともとは「作物を病害虫にやられないため、かつ効率的に育てるため」という事で広まったわけですが、防除暦という考えが生まれ、「発生する前にやっつける」という事が当たり前になっています。

そのため、お米はカメムシやウンカをやっつける殺虫剤、また病原菌を発生させないために殺菌剤が苗作りの時から使われ、そして、やはり田んぼの一番の敵は草なので、除草剤が撒かれます。

そして、数年前、アメリカの外圧で日本の農薬基準は大きく緩和されました。

これを「規制緩和」と称するのだから、我が師匠の高柳さんが「農薬は少しでも毒であることは変わらないのに、その毒を緩和するなんておかしいだろ」と怒るのも無理はありません。

特に、ミツバチがいなくなった原因と世界的に騒がれている「ネオニコチノイド」という神経毒の殺虫剤は、日本では世界トップレベルの使用量が許可されてしまっています。

これはアメリカの作物を輸入するために、アメリカの農薬の使用量基準に合わせて「アメリカの作物は日本の基準内だから問題ない」とするためです。

という事を一般の人は知らないのですが

ヨーロッパではネオニコチノイドは環境団体の運動もあって、使用が中止、禁止などになっています。

アメリカでも州によってはそういった対応をしています。

アメリカでは、ミツバチを持ってアーモンドや色々な作物の受粉を行う「受粉屋さん」という仕事があり、そのミツバチが大量にいなくなってから大騒ぎしたからです。

ネオニコチノイドは、日本の小児科医でも「乳幼児の脳神経の形成に悪影響を与える」と警告をする人たちもいて、そういった事を訴えている団体もあります。

まあ、農家さんに聞けば「農薬というのは20~30年経たないと使用禁止にならないんだよ」と言いますから、このネオニコチノイドも使用が続くのでしょうが。。。

 

ちょっと話がそれますが、化学農薬の歴史は、もともとは戦争で使われた枯葉剤でした。

ベトナム戦争などでジャングルを枯らして、ベトコンと呼ばれたゲリラ兵士をアメリカがやっつけるためにばらまきました。

有名なベトちゃんドクちゃんといった双子のように、戦後に大きな被害が出ました。

戦後、余った「枯葉剤」は、使用目的を変えて「農薬」という名で世界各国に売られました。

アメリカの占領下であった日本も「野菜をきれいに作れ」と化学農薬を使うようになりました。

占領軍から見れば「イエローモンキーは、うんこで野菜を作っている、汚い」となって、人糞を使った堆肥使用を禁止し、また「洗浄野菜」という名前で、化学肥料と化学農薬で作ったレタスなどを作るよう奨励しました。

そういった西洋野菜は、進駐軍に売れるので、進取の気性がある農家は積極的に作りました。

高柳さんのお父さんも、地元では「篤農家」だったそうですが、自分でまずは試してみて、その上で周りの人に積極的に使い方を教えたそうです。

また、農薬や化学肥料は「魔法」のようで、今までの苦労が嘘のように野菜を育てる事が出来ました。

もちろん、これは土の力があって化学肥料だけで済んだ数年、虫や病気が農薬に耐性が出ない数年だけの話だったのですが。

農薬のおかげで除草などの手間が減り、女性の解放運動にもつながり、女性の自由時間が増えて女性の民権運動にも繋がった、と言う人もいます。

 

そういった経緯で「農薬」が日本でも導入されましたが、最初の「枯葉剤」などはDDT,BHCと呼ばれる類で、良く、戦後、進駐軍がノミやシラミだらけの日本人に、頭から白い薬を散布している映像がありますが、あれですね。

ただ、こういった「塩素系」と呼ばれる農薬は、摂取した虫、魚、動物、人間などの蓄積が重なっていく生物濃縮がひどく、環境中に猛毒のダイオキシンも発生させるということで、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が世界中に有機農業運動、環境運動を起こし、日本では1970年に入って使用禁止になりました。

それまで20年以上の月日が必要でした。

「有機リン系」という、いわゆる毒ガスの類も使われていて、「塩素系」のように残効性は低いと言われていますが、サリンなどの神経毒でもあり、これも「直接吸うと、塩素系よりよっぽど毒性が強い」という事で騒がれ始め、使用が禁止になったり使用目的が制限されたりしていきました。

その後、1990年ぐらいから急速に「ネオニコチノイド系」の農薬が広がりました。

これは有機リン系のように「神経毒」なのですが、人間などの動物には害はなく虫には毒になる、と言われて、しかも残効性が長いため、農薬として一気に広がっていきました。

これも有機リン系の農薬が中止になる頃に「次はこれがあるよ」と出て来た商品だそうで、大体、「この農薬は本当はあまりよくないな。反対運動も強いし。そろそろ次の農薬も開発出来たぞ。じゃあ、これは規制するか」というのに20~30年はかかる、ということなんですね。

結局、農薬も原発も同じで「使い方を間違わなければ利便性が上がる」と言われてしまうのです。

実際、農薬を使わないで今の農業は支えられない状態になってしまっています。

その中で、開発費をペイ出来るよう世界各国の企業が競いあい、その中で安全性テストを繰り返し、出てきたのが今売られている農薬です。

だから、ベストセラーの農薬は「農薬の中では安全性が高い」ので、推進派は「これほど安全なものはない」と断言します。

一方で、有機農業農家からすれば「自然ではなく、一度環境中にばらまかれてしまったものは二度と回収できない。そこで少なからず生態系を乱し、環境ホルモンとして作用し、今の人間の子ども達のアトピー、アレルギーもそのせいだろう」と言います。

どちらの立場からもそれぞれの言い分がありますが、ただ私は有機農業系の方の立場なので、1つだけ「そりゃそうだよな」と同感する高柳さんの言葉をあげれば

「農薬は少なからず毒であって、決して安全なものではない。だから、毒物の使用量の上限を日本の国として決めていたのに、それをアメリカに合わすために使用量の上限を10倍にしても問題ない、というのはおかしい。だったら今まで国で決めていた使用量の上限というのは何だったのか?毒を使う量を減らすのは良いとして、増やしても良いという道理はない」

どいう言葉ですね。

 

ちなみに、私は田んぼを2年やったことがある身ですので、今は「田んぼの除草剤」は仕方無いと思っています。

田んぼの草は、畑と次元が違うのです。

昔、自然農法とかにもかぶれていた頃は「農薬を使う事自体が悪だ」と思っていた頃もありましたが、農に携わるにつけ、「じゃあ、お前が農薬を使わずに田んぼをやってみろよ」と言われたら、とてもできないことを体感しました。

だから、農薬を使う農家をさも悪い人のように扱う自然派志向の都会の方を見ると「あぁ、俺も昔はああいう感じだった頃があったんだな」と反省するのです。

そして心の中で「農薬を使おうと使わまいと、我々の食を支えている農家を、泥にまみれて実際に農業をしたことが無い人に、批判する権利はない」と思うのです。

殺虫剤、殺菌剤などはいらないと思いますが、田んぼについては、消費者の理解が深まるまでは、田んぼの除草剤は必要悪だと思っています。

もちろん、除草剤も使わなくて良い日が来るのを願っておりますが。

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高校生と中学生のお話

2019年09月01日 | 自分の時間

お友達お母さんからの相談で、高校生と中学生のお子さんについてお話を聞きました。

 

今時の中高について話を聞くだけでも面白い私ですが、例えば、まず高校生は1年生になって1学期でいきなり「大学視察ツアー」があったんですって

へ~、って感じです。

今の中学校も「内申点」という言葉で、1年生から成績について意識を持たせようという雰囲気があることに「へ~」となりましたが、高校生は1年生からそんなことするんですね~。

で、その高校生は、中学の頃まあまあ勉強が出来たので、高校に入って部活が楽しい一方で、勉強する時間が無くて、1学期の期末テストで教科によっては点数がガクンと下がって、「まずい」と思ってのお話でした。

 

ただ、その高校生本人から話を聞いていると、

・中学校の頃の成績が70~90点台で、基礎が出来ている

・高校になって良いものは良いが、悪いのは悪く、その悪い教科について「自分でまずい」と思えている意識がある

・その原因が部活三昧で「時間がとれていない」という事を自覚している

というのです。

このことを整理できたので、「全く問題ないんじゃないですか」と私は結論づけました。

 

勉強というのは本質的には自分でやるもの。

それをわかっている。

だから、こういった子は部活が終わった3年生からスパートが効くタイプですし、大学受験の事を考えたら2年生になったらちょっと勉強を頑張り始めた方が良いけど、1年生の頃は、自分なりに工夫して勉強時間をとることをやりながらも、まずはしっかり部活で青春して良いと思うのです。

 

そして、こういった子は、今の日本の学校システムに合っている子だから、高校→大学→就職といった流れにも適合しやすいタイプなので、ある意味、親御さんとしては安心しても大丈夫だと思いますよ、と伝えました。

 

一方、中学生の下の子は、結構点数が低くて、勉強も集中できていないようです。

私が今、家庭教師を見ている子や、夏休みにスポットで2回見させて頂いた子もそうなのですが、こういった子は「勉強は自分でするもの」といった意識は無いのです。

もうちょっというと、「点数がとれないことが嫌だ、まずい」という意識が無いのですね。

このこと自体は全く問題ないんです。

人が生きていく上で、別に学校のテストが出来なくたって、立派に自学・自立できる道はあります。

むしろ、中学3年生になるまでは、こういった子達は部活でも何でも良いのですが、ゾーンに入れるもの、夢中になれるものを徹底的にやった方が良いと私は思います。

そして、勉強は塾ではなく、その子の事を見れる家庭教師が少しずつ基本を積み上げてあげて、学校のテストの点数で一喜一憂することなく、本番=3年生の夏以降、から戦える状態までもっていってあげれば良いと思うのです。

どんな男子でも、特に中3夏以降はスイッチが大体入るものですから。

 

ただ、普通の家庭で普通の親ですと、当然、心配になりますし、一般的な「中学→高校→大学?」といった進路を考えると、なかなか大変ということで、塾に行かせたりします。

でも、そもそもの基礎が出来ていないから、塾でお勉強をさせようとしても、かえってお金の無駄遣いになってしまう、と私は思うのです。

 

また、学校の点数だけでなく、部活もそこそこ、学校生活自体もあんまりエンジョイしていないというお子さんは、日本の学校教育システムにあんまり合っていないだけで、決して、それ自体が悪いことではないんです。

だったら、日本の学校システム以外のところ、フリースクールでも良いし、海外でも良いし、あるいは学校の勉強は嫌いだけど、虫は大好きだとか、部活が大好きだとか、他の居場所では活き活きしている、という事であれば、それでよいと思うのです。

 

万引きをする、いじめをする、嘘をつく、といった事や、人様に迷惑をかけているなら叱らないといけませんが、そうでなければ、大きな問題ではないと思います。

一番は、「勉強が出来ない=君は出来ない子」というレッテルを貼ってしまうこと。

いわゆる「自尊心」を低下させる事の方が、よっぽど問題だと思います。

 

ただ、「高校ぐらいは出て欲しい」というのが一般的な考えですから、であれば、「高卒で働く」という話で、収入は低いけど本人がきちんと道を見つけられるよう色々な職場体験や大人に合わして社会に出た後に、仕事で鍛えられるような道を示唆してあげたらいいではないか、と思います。

 

しかし、色々な親御さん、お子さんの話を聞くと勉強になります

うちの子はうちの子で色々ありますが、やはり「親vs子ども」は良くないわけですから、色々な親御さん、色々なお子さん、色々な教育事情を私自身が学ぶことで、自分の子も含め、これから接する子ども達にきちんと対応できるように成長していきたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

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