半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

食と命の教室 最終回「稲ワラ納豆作り」

2014年11月29日 | 農的体験・生活
2月から始まった「食と命の教室」。今月で最終回です

今年で2年目となりますが、1年目とは違い、本当に数多くの方にご参加頂きました。

今回も満員御礼で、みんなで楽しく過ごすことができました。



さて、今回は「稲ワラ納豆作り」です。

今まで天候には恵まれていたのですが、最終回にて小雨。
ということで、今回は物置、といっても農家さんの物置なので作業小屋といった方が正しいでしょうか、そこで稲ワラ納豆を作りました。

今回は最終回なのですが、日本に10年以上住まれていて納豆にとても関心がある中国人、子供が成人して田舎暮らしを検討し始めて始めてこういったイベントに参加したご夫婦、会社を辞め今は自然食品店でアルバイトをしながらゆくゆくは地元に帰って自然食品やレストランなどをやりたいと考えている方など、たくさんの新しい方も参加しました。

時勢というか、そういった流れは未だに大きくなってきているのですね。

さて、納豆作りですが、まず、大豆をコトコト柔らかくなるまで煮ます。
高柳さんのお母さんが昨晩から水に漬けて、大豆を飽水状態にしていてくれて、朝7時からコトコト煮ていてくれました。


3時間ちょっとで結構柔らかくなっていたので火を止め、この煮大豆を入れる「ワラつと」と作ります。
「ワラつと」とは、納豆を入れる容器のことですね。

まず、稲ワラをすきます。
ワラは枯れた葉っぱなどがついているわけですが、ワラつとを作る際には、余計な枯れ葉などは取り除いてなるべく茎の部分だけにする方が、きれいに出来るためです。

左がすいたワラ、右がそれを使って完成したワラつとです。


さて、すいたワラの一部は水に漬けて柔らかくします。
ワラを編んでいくためには、乾燥している状態だとちょっと硬くて編みにくいのです。
よく、しめ縄を作る時、ワラを木の塊みたいなのでトントン叩いて柔らかくするのも同じ理由です。

その水で柔らかくした稲ワラを2本取り出し、向きを交互にしてあわせて、編む紐を作ります。
交互にするのは、ワラは根本が太く先っちょが細くなっているので、2本あわせると、より根元の方が太く先っちょが細くなりアンバランスになってしまうので、向きを逆にして2本をあわせることで、太さのバランスをとるためです。

それを半分に折り、その折り目に乾いたワラを2~3本ずつ挟みながら、よっていきます。
こんな感じですね。


みな、ワラつと作りの技を習得中。


出来栄えは手の器用さだけでなく性格が出るもので、こんなにきれいに編む人もいます


さて、編み終わったワラつとは、網目を真ん中にし、海苔巻きを作る時の巻きすのように巻いて、左右、つまり両端を縛ります。

そこに先ほど煮た大豆を入れていきます。
小糸在来なので、このまま食べてもとっても美味しい煮大豆です


こんな感じで入れていきます。5歳の子も納豆作り、楽しんでいますよ


こんな感じになります。


これをきちんと閉じて、真ん中もワラか紐で結んで完成です。
必要に応じて飛び出たワラの端っこなどはハサミでチョキチョキ切ると、見た目も美しくなりますよ


稲ワラ納豆を作り終えた後、みんなでいつもの通り、美味しい昼食

そして雨も上がり、1年間の振り返りや感想をみなさんから聞きました。


雑誌のクロワッサンを見てすぐに申込み、高柳さんやみなさんの話を聞いて、人は体と食おバランス全てで成り立っているんだな~、ということが学べたという人。

同じ千葉県に高柳さんのような人、そしてこんな教室があってよかった、という人。

何でもボタン1つで出来ていしまう便利な世の中で、便利さが人のつながりなどみんな見えなくしてしまっている、生活するということは本当に大切で、そういったことを子供達にも伝えていきたい、という人。

自分が不安を抱えて生きているということが分かった、そして自分の子供達がこれから食べ物も仕事も収入も本当に大変になるであろうこと、それを不安に思っていたが、高柳さんの生活を見て、生活をお金に換算すればキリがないこと、しかし本当は生きていくことにはお金はあまりかからないということがわかった、という人。

自給的生活にあこがれているが、自分で野菜を作ることなどを来年からは始めようと思う。また、昼食が美味しかった味噌作りや納豆作りなど田舎の技・知識もためになった、という人。

土着の文化を体験できたことが一番よかった、という人。

両親の実家が実は農家で、それを自分でも出来たらいいなと思うようになった、という人。


などなど、色々な感想を頂きました。


そして、多くの人が「来年も参加したい」という言葉を頂きました。

それだけ高柳さんとの出会い、そしてこの教室が人生にとって大きな刺激となったのでしょうね

確かに、最初は笑顔が少なかった方が、この教室以外に色々な体験をご自身でも積んだ結果、今はナチュラルに笑顔が出るようになった方もいます。

思えば、この教室を始める前に、高柳さんと色々話していて「寺子屋みたいに、色々な話を出来る場が大人にも絶対合った方がいい」と思っていました。昔は、地域に長老がいたり、お寺の住職さんなどが、そういった相談相手だったのでしょうが、今はそういった場所はあまりありません。

だから、1年間参加したみなさんにとっても、高柳家は「寺子屋」のように、色々なことを学ぶ場になったのでしょうね。


高柳さんとご縁が出来て4年以上が経つのでしょうか。今でも新しい学びがたくさんあります。

今の現代の生活に疑問を持っている人、お金や仕事の意味を考えている人、食べ物に関心がある人、実際に大病を患った人、農村に関心がある人、多くの人が未だに増え続けています。

そんな中で、未だに昭和40年頃の生活をほぼ続けている高柳家と触れあい、時間を共にすると、頭でっかちな「自然は大事」とか「生き物が大切」とかいった言葉ではなく、「あ~、人は自然に生かされているよな」「先祖から代々継いできたものを次世代につなげていく、その通過点に自分がいる」ということが腑に落ちます。

ますます、高柳さんの存在が、多くの人に必要になってくるでしょう。


2年目を無事に終え、多くの方々に参加して頂き、「食と命の教室」をやって良かったな~と思います。
そして、来年もこれから出会う方々のために、3年目も開催していきます。

基本方針は変わりませんし、高柳さんのペースにあわせ、みんなで楽しく体験を通じた学びを深めていきたいと思います。


今年の反響を見ると、来年は多分、満員になると思いますが、ご縁を求めてきた方に出来うる限り、高柳さんとのご縁を結びつけていきたいと思います。


ご関心がある方は、是非、一度お越し下さい。

「食と命の教室」については→こちらから


高柳さんとご縁を頂けて本当に有り難いな、と思います。

そして、ライフワークとして、「食と命の教室」、今後も一緒に続けていければと思います。


来年も良き出会いに恵まれますように。





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初冬の畑

2014年11月24日 | 農的体験・生活
最近、とても良い天気が続いています。

数日前、畑の手入れをしていましたが、今は本当に野菜に困らない時期ですね~

ニンジンは収穫時期
今年も夏場の過乾燥の中、きちんと発芽してくれて、無事収穫を出来る運びとなりました。
品種は黒田五寸。生でスティックで食べると柿の味がします
普通の有機栽培された野菜も美味しいですが、ニンジンは我が家のが抜群で、子ども達もバリバリ食べます


春菊は絶好調
昨年、種まきをきちんと時期を見てやったのでとても良くできたのですが、今年もとっても美味しいの大量に出来ています
収穫したては生でかじっても旨味がギュッと詰まっていて美味しい
茹でるとエグミが全く無く、香り高い美味しい春菊です


白菜は苗から育てて9月中旬には移植したはずなのですが、こんな状態
本格的な冬がくる前に結球するか?


大根も遅かったので、ちょびっと小さい感じです。100本はあるので、さてさてどうするか?
昨年初挑戦して超美味いたくあんができたので、今年は早めに抜いて作ってしまうかな?


その他、ネギ、小松菜もたくさんあるのですが、一番びっくりしたのが落花生。
今年は、5月にぶっ倒れて活動が出来なかったため、普通の落花生を播く時期に播けず、早稲の「おおまさり」というジャンボ落花生の種を6月頭に播きました。
本来は9月~10月頃に収穫して茹で落花生で食べるのですが、播く時期が遅かったので、なかなか実りが悪く、今の時期まで引っ張っていたのです。


何週間か前に試し堀りをした段階では、大きな実は3~4個ぐらいで、あとはまだ小さいな~という感じでした。
そして、そろそろ大きくなったかな?と思って掘りあげたのですが、ほとんど実がついていない
んんん~?おっかしいな~?

他の株も引っこ抜いても、どれをとっても、1株で1粒あるぐらい


何でだろう?
そういえば、昨年も、一昨年も、何だか最後には実が少なくなっていたのを思い出しました。

そして、ふと気づいたのですが、必ず落花生を引っこ抜いた後、土を掘り起こしてみると、穴が空いていて、それが下の方にどんどん続いています。


お隣の落花生を掘っても、その下に穴が。



カラスとかだったら、地上に食い荒らした後があるわけですが、引っこ抜いていない状態ですので、それは有り得ません。
そして、たまに半分ぐらいかじられて中身がなくなっている殻もあったので、「コガネムシの幼虫かな?」と一瞬思いましたが、苗の根っこを食うことはあっても、落花生の実を殻ごとかじることなんて想像できないので、それも無いでしょう。

やはり、この地中深くある穴は、、、モグラでしょう

良く考えると、この畑にはモグラが結構いて、たまに、ボコボコっと地表にモグラが地中から上がってきた小山が沢山出来ることがあります。
う~む、確かにこれだけ落花生が地中にあった状態で食い荒らされるというのは、モグラぐらいの大きさの生き物なら有り得ることでしょう。

そうか、今までのはモグラのせいだったのね。

しかし、モグラって落花生を食べるんだ。

なるほどね、、、という学びを得つつ、今年の落花生はほぼ壊滅ですな

まあ、大根やサツマイモなどはかじられないので、いっか

来年は何か対策をしてみようっと
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すくすく育ってくれて有難う

2014年11月23日 | 素敵な家族・子供との時間
勤労感謝、新嘗祭の23日は、次男の七五三。

3月生まれなので年長さんの年に開催しましたが、見事な秋晴れで、みんなで温かな日差しの中、神社でお参りしました。

それにしても人生において自分の子供が大きくなったことを祝うことほど有り難いことはないですね。

生き物の根源的な存在目的は子孫を残すこと。
そして、大人の最大の仕事は子供が大人になるサポートをすること。
子ども達のお手本になる生き方をし、次世代につながる社会を作ること。

そして、多くの先人が、人生で最も充実していたのは子育てをしていた時といいます。
私もそう思っていますし、じいじ、ばあばになると孫の成長が何よりの楽しみになるのも、良くわかります

うちの母も、そりゃ嬉しそうでした

私も、本当に有り難いな~と思いました

次は神様の子からきちんと人間の子になる節目の七歳へ。
これからもすくすく健やかに育ってね

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札幌のTEDのいい話

2014年11月22日 | 自分の時間

TEDトークというカンファレンスがあります。

テレビでは「スーパープレゼンテーション」という番組で、教育テレビで放映されていて、私が観ている数少ない番組です。

 

そのTEDが日本各地でもたまにやっているそうで、その札幌開催のとても素敵なお話を、知人がフェースブックで共有していました。

これ、とてもいいです。

学校の先生に観てもらいたい、というか、こういった人が先生になってもらいたいな~と。

自分の道を考え、考え、行き着くところまで行った人は、先人であり、人を導く人ですよね。

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煎り玄米、またまた作りました♪

2014年11月20日 | 食べもの
玄米をなかなか炊けず、代替案で2~3週間前、煎り玄米を作ったら子ども達に無茶苦茶好評でした

そして、それがあっという間に無くなり、またしばらく玄米を食べていないので、また作ってみました

前回は、水に1晩つけたのを水切りして、それから煎ったのですが、花開かず。
今回は、さっと磨いですぐに煎り始めました。

しかし、、、やはり花開かず。。。

でも、またまた美味しくできましたよ
醤油の香りとちょびっと砂糖が入って、固いベビースターのようなもんです

子供と一緒に、ボリボリボリボリ、美味しく頂いてまーす
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長州が可哀相ではないか

2014年11月20日 | 素敵な本
司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読み直していますが、いよいよ維新回転の時期が近づいてきており、6巻の「薩長同盟」が成るところまで来ました。

つくづく、こういった歴史小説を読んでいると「中高の歴史の先生は、なんでもっと面白く、かつ現代がどういった経緯で成り立っているかを、きちんと教えられないのだろう?」と思ってしまいます。

そして「子ども達にこういった歴史を学ぶ楽しさ、意義を教えてみたいものだ」と思ってしまいます


さて、それはさておき、「薩長同盟」といっても、遠く記憶のかなたの人も多いでしょうから、簡単に復習しましょう。


徳川幕府が開かれて250年、世は混沌としていました。

「太平の 眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)(お茶の銘柄) たった四杯で夜も寝られず」という言葉がある通り、蒸気船、つまりペリーが黒船に乗ってやってきたことで、日本はてんやわんやの大騒ぎとなります。

実際は、捕鯨のための給炭所が欲しかったらから来航したそうですが、世界は「西欧列強諸国の世界植民地化」の真っ只中。
アフリカで暴利をむさぼり、蒸気革命による近代化を果たした西欧諸国は、蒸気船を作って世界の隅々まで出かけ、まだ近代化が始まっていないアジア地域などを「植民地化」していきました。

日本のおとなり「清国(今の中国)」もイギリスなどに実質植民地化され、世界をぐるりと1周して残されたのは「黄金の国ジパング(日本)」だったわけです。

当時、世界の金の産出量の1/3ぐらいは日本で出ていたらしいですから、列強諸国は「さあ、日本をとるぞ」と互いに牽制し合いながらも、いきまいていたわけです。

長崎の出島だけでなく、各港を開港しろ、と武力(大砲を乗っけた蒸気船=黒船)で脅す各国に、当時の日本政府=徳川幕府は、迷走し、しかし日本の中の意思あるお侍さんは「異人の武力に負けて、不平等条約を結び、かつ開国しようとする弱腰の幕府の姿勢」に怒りを覚えるわけです。

当時、「日本」という国はなく、「日本」という言葉をいえば「徳川幕府」のことを指し、日本というのは各藩の大名が群雄割拠していて、それを統治しているのが徳川幕府、という状態でした。

そして、西の大藩の薩摩藩(鹿児島など南九州)、長州藩(今の山口)を始めとして、水戸藩の一部や土佐藩(今の高知)など、各地で「尊皇攘夷・・・弱腰の幕府じゃだめだ、この時期に改めて天皇を中心とする国づくりをやりなおし、外人や外国を追い払おう」という運動が起きました。

日本は、ずっと昔から、「天皇中心の勢力によって現勢力に対抗しよう」ということがたびたび起きていました。
幕府はあくまで政府であって、天皇のお言葉が何よりも正しかったわけです。
だから各幕府は天皇を囲い込み、いわば人形化しておいて、自分達の権力を誇示していたわけです。
今でさえ、内閣が新しくなると天皇が認める、という形だけ残っているぐらいですからね。

さて、当時、幕府にはお金も武力も実質無く、日本の防衛はかつての旗本8万騎と言われた徳川直轄の武士達では出来なかったため、各藩に任せるしかなかったため、そういったことも、各藩が「徳川幕府も大したことないではないか」という機運を高めたのです。


その代表が西のかつての大大名、島津の薩摩藩と毛利の長州藩でした。

特に長州藩は、吉田松陰を輩出した藩で、尊皇攘夷運動も激しく、天皇や公卿がいる京都に政治工作をしかけ、幕府に対抗する尊王中心の勢力を作りあげていきました。

土佐藩(今の高知県)からは、当時、藩=国であったところから脱藩、つまり自分の住んでいた国である藩から抜け出し、いわば戸籍不明の浪人として京都ののぼり、長州や薩摩の庇護を受けながら、尊王運動に身を投じた若者が多数でました。

一方、幕府を守って、幕府中心で海外とも折衝していくべきで、その幕府を倒して天皇中心の国作りをやろうという奴らは敵だ、という幕府側の人間も実際は多く、日本のほとんどがまだ幕府が無くなるなんていうことは夢にも思っていませんでした。

尊王側がそういた幕府側の要人を切ったり、横浜などで無礼を働いた外国人を切ったりするのに対し、幕府側は新撰組などを組織して、浪人切りや尊王運動を阻止しようと対立し始めます。

そんな中、尊王運動をしていた長州や薩摩の間で、色々あり、朝廷第一の勢力になっていた長州を、薩摩は政治工作で蹴落とし、「長州はやりすぎで敵である」といった状態にしてしまいました。

その結果、昨日までは自分達の思うがままに京都での朝廷勢力をコントロールしていた長州が、一夜にして、天皇からも嫌われ、長州人追放といった自体になったのです。

当時の藩というのは国と同じで、例えば、長崎の言葉を高知の竜馬は半分理解できない、というほど言葉も違いました。

その中で、感情や物事をストレートにいく長州に対し、政治工作など外交能力を抜群に発揮して動き回る薩摩は敵対していました。

そんな敵である薩摩の政治工作で、天から地に落とされた長州は「薩摩憎し」という感情と共に、長州の地へ帰る者、道半ばで切り倒される者など、さんざんな状態でした。

実は、この事件の前に、長州は山口ですから海域を通る海外船に砲台から射撃をするなど武威を見せていたことに対し、各国連合が手を組んで、長州の海岸の砲台などを壊滅させたことがありました。

藩として慢心総意になった長州に対し、これまた薩摩主導で幕府が「長州征伐」に出かけ、長州はこっぱみじんにされました。

その結果、国主である大名の毛利が一転して藩の重鎮であったメンバーに対し、「尊王派を断罪する」という行動に出ました。幕府に誠意を見せようとしました。その結果、主たる尊王派は死刑執行されました。

そんな中、わずかな生き残りの高杉晋作などが「我らが死んでしまえば、尊王派は駆逐され、日本は列強各国の植民地となり暗黒時代に入る」という使命から、ほんのわずかな生き残りでクーデターを起こし、決死の覚悟のためか、なんと幕府よりになった長州藩を、再度、尊王派一色に染め直します。

しかし、力なき長州はどうにもすることができず、そこに数々の幕府との戦いで傷つき、倒れはてた土佐藩(高知)など各地の生き残りの浪人が、「長州を救わねば日本は終わる!」という決死の思いで、長州に集まり始めました。

そんな中、幕府は「第二次、長州征伐」をする、ということを決めました。

しかも、今回は薩摩の力をかりずとも、自分達で金も揃えられるようで、長州征伐だけでなく、その勢いで、力があることで幕府に従順に従わない薩摩藩などもつぶしてしまい、いわゆる「廃藩置県」を行って、日本と言う国を徳川幕府を中心に作りなおす構想がある、ということが伝わってきました。

薩摩も、自分達中心で国作りをしたい、その中で幕府はやはり一度潰さなくてはいけない、と思っていました。そんな中でこの情報。しかも、一度は征伐した長州を、再び征伐する大儀が無く、「幕府の威厳を示すため」という名目で征伐に行くことに大反対しています。

また、長州藩は尊王派の手に再び戻りましたが、実際は満身創痍で、再び幕府が決めてきたらもはや壊滅するしか出来ない。絶体絶命という状態です。


この頃、徳川政府は金も無し、軍隊も無し、各藩に頼るしかないものの、その結果、薩摩や長州を始め、各藩を抑えられなくなってきたこともありました。しかし、そういった状態を打破するため、実はフランスと密約を結んで、フランスが西洋式軍隊、鉄砲などの武器、そして鉄工所や造船所をフランスから借金して作る、ということになりました。その担保として北海道を担保として差し出す、など色々考えていたそうです。
(だから、もし幕府が中心に日本が作られたら、北海道はフランスのものになっていたんですよ)

これがもし実現してしまうと、再び徳川幕府が力を持ち直し、永遠に徳川幕府は倒せなくなる。

こういった現実論から、竜馬が日本で長州と薩摩の2藩が手を組んで、幕府を倒し、尊王中心で国を作り直すべき、という「薩長同盟」をしかけます。

この頃の「薩長同盟」とういうと、司馬遼太郎さんも書いていますが「誰もがそう思うが、実際は無理な話というもの。当時でいえば、ソビエトとアメリカが手を組めば、世界に平和が来る、とか。キリスト教のプロテスタントと新主義が手を結べば、世界のキリスト教が統一される、といったものだった」と書いています。

それもそのはず、薩摩は密貿易などで莫大な利益を上げ、自前で鉄砲なども作れ、また自前の蒸気船も何艘も持ち、軍隊もいち早く西洋化したため、日本最強の軍隊でした。

そして、自分達中心で、日本を作りなおしたいと考えていました。だから、満身創痍で長州と手を組むなど向こうから土下座してお願いされれば考えなくも無いですが、同盟というのはそうは出来る状態ではありませんでした。

一方で、尊王攘夷運動のさきがけで、魂の戦士達が集まる長州は、意思あるものは多数いれど、藩としては満身創痍。しかも、こうなったのも、全て薩摩の政治工作のためであり、かつ、第一次長州征伐の先頭にたったのが薩摩だったのです。わが同志を殺し、わが藩をここまで追いやった張本人の薩摩と手を組むなどありえない、という状態だったわけです。


しかし、坂本竜馬が薩摩に対し、「今、幕府を倒さないとフランスによって力をつけた幕府が、日本を売り飛ばして幕府だけが残るという状態になる」という説得をし、薩摩も納得し、また、第二次長州征伐が迫っている中で薩摩と組まないと長州が滅ぼされてしまうという説得を長州に行いました。

その結果、長州側の代表の桂小五郎と薩摩の代表の西郷隆盛の面談が設定されましたが、西郷は薩摩から船で向かう途中、船を降り面談ならず。桂は「顔をつぶされた!やはり薩摩は信じられん!しかも、何とか這いずり回って藩の意見をまとめてきたのに、これでは俺はもう死ぬしかない」という状態になったとき、竜馬は代替案を出します。

それは「いきなり同盟は無理だった。その前に、幕府と戦うための船と武器を出してもらおう」という提案でした。

実際、この頃、竜馬は薩摩の同意を受けて、自由に船を買って運用もして良い、という状態でした。

薩摩が金を出し名義も薩摩、でも実際は長州が使い、その船を動かすのは竜馬たち、という構造が出来上がりました。

また、竜馬の活躍で、米不足の薩摩に米がある長州から米を進呈することになりました。

これにより、薩摩と長州の関係は緩和していきました。


そして、京都で西郷と桂が面談する、という時になったのだが、、、。

面談では薩長同盟の話にならなかったのです。

後から京都に到着した竜馬が、桂に「なぜだ?」と詰め寄ると、「薩摩はニコニコしながらも、決して自分達から話をきり出さなかった。長州は今、満身創痍で、薩摩から船や武器も買ってもらい、薩摩憎しの感情も抑え、存亡の瀬戸際でこれから幕府軍と戦わねばならない状態。こういった状態で、長州から話を切り出したら、それはお願いであり、土下座するようなもの。もしそういった態度を示せば、長州や同志を薩摩に売ることになる。そういったことは出来ない。薩長同盟がならないがために、長州は滅亡するだろう。しかし、皇家は、皇家は薩摩がいる限り、安泰だろう」と語りました。

最初は激怒していた竜馬も、自分の藩の滅亡まで決意していながら、それでも皇家は薩摩がいる限り大丈夫だろう、という言葉に感動し、その場で、西郷のもとに出かけます。

真夜中に、薩摩藩邸を叩き、西郷達を叩き起こし、いった言葉が、以下です。


「西郷君、もうよいかげんに体面あそびはやめなさい。いや、よい。話はざっときいた。桂の話を聞きながら、わしはなみだが出てどうにもならなんだ」

と言ったあと、薩摩があとに残って皇家につくすなら、長州が幕府に倒されても悔いはない、という桂の言葉を伝えたのです。


そして、「桂を今すぐ呼び、薩長同盟を遂げて頂こう」といい、じっと西郷を見つめたそうです。

そして、「長州が可哀想ではないか」と叫ぶようにいったのです。

これえ薩長連合がなったのです。


私もこの場面の「長州が可哀想ではないか」という竜馬の言葉を思うだけで、涙が溢れてきます。

これだけの言葉を出せるのは竜馬だけだったでしょう。


また、司馬遼太郎さんの文章もすごい。

「筆者は、このくだりのことを、大げさでなく数年考え続けてきた。
じつのところ、竜馬という若者を書こうと思いたったのは、このくだりに関係があるといっていい。」

「歴史は回転し、時勢はこの夜を堺に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。」


「事の成るならぬは、それを言う人間による」という言葉。それを伝えるために小説を書いた。凄いです。


ということで、「長州が可哀想ではないか」という言葉に感動したということを伝えたく、こんな長い文章を書きました。
いや~、すっきりした

しばらく、この「長州が可哀想ではないか」を思い出すたびに、涙を流したいと思います
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ふわふわ打ち直し布団

2014年11月18日 | 素敵な空間・イベント
もう1年以上前のことだと思いますが、布団の打ち直しを奥さんが頼みました。
それが、もうふっかふかで、びっくりしたことを未だに覚えています。

そしてこの度、また同じところに奥さんが打ち直しを頼みました。

それが返ってきました

見てください、こんなにふわっふわ
もう、どれだけ膨らんでいるか分かりません
まるで、王様の布団のように膨らんでいます。打ち直しって凄いな~


子供が寝ると、こんな具合です。わかります?
子ども達は「雲の上で寝ているみたい」と大喜び


布団の打ち直し、恐るべし
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田んぼと畑の耕育教室 そば打ち&落花生収穫

2014年11月16日 | 農的体験・生活
この(土)(日)は「田んぼと畑の耕育教室」でした

最近、雨模様が多かったのですが、ここ数日は秋晴が続いて何よりのイベント日和

そして今月の目玉は、新そばによる「手打ちそば教室」です


今年は台風が2回来て、そばは結構倒されたみたいですが、それでもある程度収穫は出来たそうです。

初めて根本さんのそばを食べたとき、生まれて初めて「そばって、こんなに美味しいものだったんだ」ということを未だに覚えています。

根本さんのそばは、緑色の薄皮も入れて石臼で1分間に16回転という低速で挽いたものを使うので、風味が抜群なのです
さらに、収穫したばかりのそばの挽きたてを使うので、風味が損なわれていません。

コーヒーだって挽きたてが美味しいように、そば粉も引き立ては、風味や香りが段違いに違うんですよ~。

そんな新そばの石臼挽きのそば粉を使って、2:8そばをみんなで作りました


まずは、そば粉8.中力粉2をよく混ぜ合わせます。

そして、そこにきちっと計量したお水の8割ぐらいを注ぎます。


まず、第一のポイントが、この水を注いだ後に、大きな塊やぐちゃぐちゃにならないよう、指先だけでかき混ぜていきます。
手を全体で使ってしまうとぐちゃぐちゃになったり、指にくっついたりしちゃうので、指先で上手く混ぜるのがコツです。


そしてよく混ざったら、残りの水を入れてかき混ぜます。
この時、ボールについた粉もよくとりながら、粉と水をまんべんなく混ぜます。

水が全体に均等にいきわたって、ぼそぼそした感じになったら、これを今度はボール型にまとめていきます。


そしてボール型にまとまったら、何度も粘度をこねる感じで、手のひらの根本のところでぐいぐいっと押しながら、こねていきます。

ある程度こねたら、今度はそばのボールをきちんと丸くした後、円錐型にしていきます。
ボールの側面を上手くころがしてもいいですし、へそ出しといって、手でボールの頭を尖らせていくやり方もあります。
上手く円錐ができたら、それを上から手のひらを使って押しつぶして、ピザ生地のように円盤状につぶします。


ぐいぐいっと手のひらで潰して、ある程度、円盤状のおせんべいのようなものが出来たら、打ち粉をふって、麺棒で伸ばしていきます。
麺棒がなければ、サランラップの芯でも大丈夫ですよ。


ここで打ち粉が無いと、くっついてしまうので、必ず打ち粉を使いましょう。
麺棒で伸ばしていくと伸ばした方向だけ生地が伸びます。
なので今度は90℃回転させて、また伸ばすと、上下左右と、生地がひし形に伸びていきます。


よくよく伸びたら、打ち粉を振りながら折り重ねていき、包丁で切れるような大きさにしていきます。


あとは、トントンと包丁で細く切っていきます。これが難しい
奥様達の中には、キレイに細くきっている人もいますが、男や子供がやると、どうしてもごん太になっちゃいますよね


ちなみにこれが私の作品。細く切れたら、途中で面倒くさくて太く切ったりと、色々混じっていますが、味は格別でしたよ



さて、おそば、そしてけんちん汁や糀納豆など美味しいお昼ご飯を食べたら、みんなで焼き芋の準備。

焼き芋は、まず、お芋を濡れた新聞紙でまいてアルミホイルに包み、「すくも」の中に入れます。
すくもとは籾殻のことで、これを燃やすと「くん炭(たん)」といって、籾殻の炭が出来ます。
畑の土壌改良に使うもので、くん炭を作る道具が、この煙突のような道具です。
ここに先ほどのサツマイモを突き刺して、1時間ぐらいでめちゃくちゃ美味しい焼き芋の出来上がりです


その後は、落花生の収穫。
落花生が土の中ではなく木に生っていると思っている人もいますから、土を掘る経験はとても良いですよね
あと、色々な品種改良がある中で、落花生だけは未だに数十年前の「千葉半立ち」が落花生の王様の座から降りていません。
それだけ美味しいんですね、千葉半立ちは


ちなみに、先月、枝豆として食べて、みなさんが「無茶苦茶美味しかったです別格ですね」と賞賛してくれた「丹波黒大豆」は、先月の緑色から、こんな色に変わっています。

まだ未熟なのは赤紫色、これがだんだん黒くなっていき、成熟すると真っ黒になっています。
ちなみに、現時点で真っ黒なものも、触るとまだプニョプニョしています。
12月頭にはきちんと乾燥して、カラカラいうようになります。そうすれば収穫です


来月はいよいよ今年最後の回。

超高級食材、丹波黒大豆の収穫と餅つき、あと1年の振り返りをやります

寒い冬ですが、丹波黒大豆をゲットしたい方、パワフルな餅つきを体験したい方は、是非お越し下さい


「田んぼと畑の耕育教室」は→こちらから
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難儀な菊芋掘り

2014年11月10日 | 農的体験・生活
今日は菊芋を掘りに、わんぱくキッズプレパークをやっている小出さんの畑に久々に行ってきました。

小出さんの畑は、昨年の今頃に、菜種と小麦を播かせてもらい、また春先に菊芋、6月頭に里芋をボチボチ植えさせて頂いていました。

菜種と小麦は何とか収穫しましたが(未だ、搾油、製粉は出来ず)、その後、なかなかお邪魔できませんでした

ただ、菊芋はもう収穫時期なので、何とか時間を作っていってきました。

最初は2~3時間で堀り上げられるかな~?と思っていましたが、とんでもない

菊芋はこんな感じで高さ2m以上の木を引っこ抜くと、根元にくっついてくるのは簡単に採れるのです。


しかし、実際は根元のもの以外に、まるで自然薯のように根っこがタコ足のように広がっているんです。


このタコ足のような根っこの先っちょに菊芋がついているのですが、その根の長さが掘ってみないとどのぐらい長いのかわからないのです


掘ってみて、すぐ菊芋がついている場合もありますが、大半が細い根っこが地中をどんどん進んでいて、下手すると1m近く先についていたり

自然薯は、なんだかんだいって1本になるからいいけど、菊芋はタコ足全てに全てにくっついているし、深さもわからないからスコップなどで下手に掘ると、ザクっと切り取っちゃったり、根っこが切れてどこにあるかわからなくなったりと、非常に手間を食うんです

そして、菊芋は少しでも地中に残すと、そこから来年無限繁殖するので、出来るだけ採りきらなくてはいけません。

結局、5時間近く頑張りましたが、予想以上に時間がかかり、残りあと10本ぐらいでギブアップ

菊芋はそんなにたくさん作るもんじゃないですね

ちなみに、菊芋はインシュリンみたいな働きがあって、糖尿病に良いと言いますが、普通に食ってもそれは美味いのです

ポテトチップスみたいにスライスして素上げして、塩を振るだけでお酒のつまみにグッド

また小さな里芋のようにきぬがつきのように、蒸してちゅるっと食べても美味しいんですよ

コンテナ3つほど採れまして、こんなに採れるとは思わなかった

少し販売しつつ、ちょこちょこ日々のおやつやおかずにしていこうと思います
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煎り玄米のお菓子

2014年11月09日 | 食べもの
根本さんから頂いた玄米。
ただ、私しか玄米を食べないので、一度炊くと2~3日冷や飯が続くのです

ということで、今回は玄米を煎って、ポン菓子とはいいませんが、お茶漬けに入っているあられのイメージを持って、30~40分ぐらい煎ってみました。

以前、奥さんが作った時は花が開くように弾けていたのです。
ところが、私の場合はいくら煎っても花開かず

その内、一部が焦げ始めたので、諦めて味付けしました。

私の場合は水で洗った後、1日置いて水切りしていたんだけど、奥さんの場合は水で洗わずそのまま煎ったそうです。
その違いかな?

花が開くのは諦めて、醤油をかけたら、「ボコボコっ」と醤油が泡だってこれは面白い
醤油の香ばしい香りもあり、醤油だけでも十分美味しかったのですが、ちょびっと砂糖も入れてみました。


そしたら子供にも大好評で、こりゃ最高のおやつだわ、と思いました。
もちろん私もボリボリ。子供と一緒にボリボリ。
子供は「口の中で花火が上がるよ。ボリボリ」とやっていました。
ボリボリの音が花火のバンバンに確かに煮ているのです。面白いですね
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