半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

本:絵本の力、昔話と日本人の心

2018年09月17日 | 素敵な本
河合隼雄さんシリーズで、2つの本を読みました。

1つは、「絵本の力」。

臨床心理学者だった河合隼雄さん、児童文学家で福音館書店で「こどものとも」など数多くの絵本を作った編集者の松居直氏、民俗学の柳田邦男さんの3人のお話をまとめた本です。

河合隼雄さんのシリーズとして読んだものの、河合隼雄さんの話は「音と絵本」という題で、私にはあまりピンときませんでしたが、松居さんと柳田さんのお話が面白かった


「絵本」や「昔はなし」など、何が子供に良いか、というのは人によって様々かと思いますが、最近では大人に絵本を読んであげること自体が意味がある、なんて話もありますよね。

そんな中で、まず、「こどものとも」を立ち上げた松居さんの話は「絵本は読むものではなく、読んで聞かせてあげるものとして作った」という話が面白かったです。

要するに、子供が1人で黙読するのは絵本ではない、という思想なんですね。

大人が子供のために、音読して、声に出して読んであげる、というのを編集の一番の方針にして絵本を作ってきたそうなんです。

なるほど~。

絵本の文字や絵は、そのまま子供にストレートに入ると言います。

大人は「解釈」をしますが、子供は書いてある文字のまま、描いてある絵のまま、ストレートに受ける。

だから、その世界が少しでも説明的になったり、違うものが入ると、すぐその世界から離れてしまうそうです。

だから、どういった世界にするか、訳本にしろ、日本の本にしろ、文字と絵、全体にどういった世界を作るかを考え、一度、すべてバラバラにして、組み立て直し、訳者と絵描きを選び、違うと思ったら指摘し修正してもらい、と、まあ凄い編集者だったというのがわかります。

そして、昔は本は縦文字が当たり前だったが、外国の絵本をやろうと思うと、どうしても横長になり、そこに縦文字は入らず、日本で初めて横文字を絵本に導入した人だそうです。

最初は相当批判があったそうです

しかし、だんだん認知され認められ、今は、日本の絵本は日本のアニメと同じように海外で広く高評価を受けているそうです。

そんな松居さんが、「本は読んで聞かせるもの」という事を徹底していたんですね。


絵や文字などから伝わってくるものがあるにしろ、あくまで親などの読み手の読み方、音、理解が入って、子供は「あ~、そうなんだ」その読み手の世界にのめり込んでいく。

本の世界と一緒に読み手の世界を一緒に共有する。

大人が聞かせてくれた世界にどっぷり浸かることで、その大人、まあ親御さんは保育士さんなどと世界を共有した体験が残り、繋がり感や安心感などを持つ。

そういった深い経験、体験に意味があるからこそ、「絵本は読むもの」という考えがあって作っているそうです。

海外に行くと、「日本は戦後、よくこの短期間で見事な絵本を作れるようになりましたね」と聞かれる事があるので、「いや、1200年代から日本は絵巻があって、歴史が長いんです」と言うと、驚かれるそうです。

松居さんのベースは昔の絵巻物だそうです。

そして日本人は、昔から絵巻物文化、絵と文字が一緒になっているものをずっと読んできた、作ってきた。

松居さんも小さい頃から絵巻物を沢山見て育ったそうです。

凄い方が黎明期に絵本作りをしてくれて、日本の絵本が開花していったんですね~。


そしてもう1人、民族学者の柳田邦男さん。

自分が幼少の頃に読んでっきりだった絵本。
しかし。息子さんが25歳で自殺してしまった年、何も手につかず抜け殻のようになって生きていた時に、たまたま出会った絵本に救われたそうです。

「絵本には人生のすべてが詰まっている」と。

中には、「お話」を通して、命あるものは死んでいく、といったことを扱う絵本もあり、大人でもどう伝えていいかわからないことを、お話の中で、絵本の中で伝えられることもある、という話もありました。


例えば、病院のお医者さんで、小さな弟が死んでいくことがわからないこれまた小さなお兄ちゃん、お姉ちゃんに、絵本を読み聞かせてあげた、というエピソードも書いてありました。

同じ絵本でも読み手によって、あるいは聞き手によって、どう伝わるかは千差万別。ただ、そこに絵本の力がある、と。

そして、幼少期、人生の重大時期に続き、人生で絵本を読んだらいいとおもう3番目の時期が晩年期とも柳田さんは言っています。

年をとり、自分の人生を振り返り、残された人生をどう生きていくかを考えていこうとする時、絵本にはそれを指し示す力がある、と。


老人ホームなどでも読み聞かせをもっとやって、大人向けにも絵本を読んであげたらいい、というのは、私も同感です


さて、もう1つの本は河合隼雄さん著の「昔話と日本人の心」。

ちょいと難しい本ですが、西欧の物語と日本の物語が根本が違っていて、そこから文化論に繋がっています。



例えば、西欧の物語は、大体が悪者がいてそれをやっつけて、王家と結婚してハッピーエンド、というのが多い。

それはキリスト教文化からある、白黒つける絶対主義、物事を明確にしていく、というものがあるのではないか、と。

ロシアの文学者が子供に「浦島太郎」を読んだら、その子が「で、この後はどうなるの?」と聞いたそうです。
つまり、その子からしてみれば、この後、ドラゴンが出てきてそれをやっつけて、それでハッピーエンドにならないで物語が終わる、というのが理解できなかったそうなんですね。

なるほど、という感じです。

河合さんの分析では、例えば、「うぐいすの里」でも「鶴の恩返し」でも、「開かずの扉」があって、その禁を破って開けてしまうと、女性がうぐいすや鶴になって飛んでしまっていって、すべてが無に還る、という話で、「そして何も起こらなかった=Nothing has happened」状態に戻る、というところが、日本人の「もののあわれ」という感覚に通じる、となっています。

これが西欧人からすると、「何も起こらない?えっ、続きは?」となるそうです。

西欧は「絶対主義」で、何かしらの「結末」が必要で、大体が「ハッピーエンド」になる。


あと、日本の昔話は大体が女性の中心の話で、女性の色々な姿、本性が現れるという書き方も。
それは天照大御神のように、男性社会といっても実はそのベースには母神というか、女性の力が語られている、みたいなことも。

例えば、「飯を食わぬ女房」では、飯を食わない女房が嫁いできたけど、覗いてはいけない姿を覗いたら、頭の後ろに口があって、そこにご飯をこっそり詰め込んでいた山姥だった、と。

あるいは、「炭焼き長者」であれば、最初、金持ちの炭焼き長者に嫁いだが、大した人間でなく、そこの神様も「ここは良くない。炭焼きの〇〇どんのところに行こう」という立ち話を聞いて、女性は離婚し、貧乏の炭焼きの所に行く。

その炭焼きの家に落ちている小石が小判であることを炭焼きは知らず、それを教えてあげて、炭焼き長者になった、という話。

これは、積極的で行動的な女性であり、男性の気づいていない能力や力を引き出してあげる力がある、など。

鶴なりウグイスなり、浦島太郎の乙姫さまなり、山姥なり、どれも「女性の本性」を書いていて、ある時はいじわるで、ある時は山姥で、ある時は男性を成功させる力となり、ある時は立ち去ってしまう。

そういった見方で昔話を見ると、なるほどな~、と思います。

と同時に、そういった事を昔はテレビや絵本もなかったので、寝床で沢山聞かされて育ったのが日本人なんだろうな~、と。


西欧の文化がそうであるからこそ、西欧の昔話は、悪者がやってきて、それを努力してやっつけて、最後は王家と結婚してハッピーエンド、という昔話が多い西欧と、また違う文化、そして違う価値観をもって幼少の頃育つわけですから、そりゃ、考え方、生き方も違いますよね~。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自然数 (言葉は△で、こころは▢だなぁ~)
2022-03-20 15:31:22
≪…「本は読んで聞かせるもの」…≫で、数の言葉ヒフミヨに触れてみたい・・・

 ヒフミヨはもろはのつるぎ絵本あり

 √6〇÷□如来蔵 
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数え歌(ヒフミヨ) (〇△▢乃庭)
2022-05-08 22:30:51
≪…同じ絵本でも読み手によって、あるいは聞き手によって、どう伝わるかは千差万別。ただ、そこに絵本の力がある…≫を、2022年5月21~6月5日
射水市 大島絵本館 で 問う 

 「わのくにのひふみよ」
返信する
自然数の本性 (√6意味知ってると舌安泰)
2022-11-09 05:32:48
 ヒフミヨはもののあわれを隠し持つ

 ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな 
返信する
アンチコスモスで自然数は因数分解できている (〇△▢へのおもてなし力)
2023-01-07 13:29:09
 ≪…もののあはれ…≫を、数え歌(数の言葉ヒフミヨ(1234))に・・・

 数の言葉ヒフミヨ(1234)を、数学からの送りモノとしてチョット数学共同体からパラダイムシフトして観ると、
[アンチコスモスで自然数は、因数分解できている]のを、
 胎蔵曼荼羅の一切知性(△)仏
 セフィロートの樹
 カプレカ数(3・4桁の数字の循環構造)
 静なる『自然比矩形』
 動なる『ヒフミヨ矩形』『ヒフミヨ渦巻』
などなどに想う・・・

 この風景を百人一首の66と33の本歌取りで・・・

もろともにあわれと思へ ヒフミヨに数より他に知る人もなし

久方の光のどけきながしかく しず心なく四角生るらむ
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