半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

改めて、お米のお話

2020年10月28日 | 仕事の中で

この前、「お米の生産目標数が激減」という事を書きましたが、水曜日に配達している「朝採り野菜ボックス」のお客様向けレターに、改めてそのことを書きました。

ということで、前回よりもうちょっときちんと書いた文章を

秋冬野菜が出回ってきました

葉物は9月頭に蒔くのがこの地域では一般的です。

それが出てくるのがちょうど10月半ば過ぎなんですね。

今年の秋はずっと天候が良くなかったので、多少、遅れ気味というのはありますが、ようやくカブなど揃ってきました

 

 そんな中、収穫の秋の代表であるお米について、農水省が来年の主食米の作付け目標を今までに無いほど大幅に下げたのです。

農水省は需供のバランスを踏まえてお米の生産目標を掲げています。

それを踏まえて農家は大豆や飼料米に転作しています。

2010年が800万トン超だったのが10年後の今年は730万トンほどと、1年で平均7万トン減っていました。

それが来年は一気に50万トン減らすことになりました。

これは「過去最大の下げ幅」という事で衝撃が走っています。

 

 これをどう捉えるか、ですが、昨日、米農家の根本さんと話していたら「コロナで去年のお米が沢山余っているから、農協は叩き売りするという話らしいよ。米価もこれからさらに下がるらしいから、来年は主食米はあまり作れなくなっちゃうよね」と肩を落としていました。

 また、私の師匠のおかげさま農場の高柳さんの恩人が先日亡くなったのですが、その際の言葉を紹介します。


「御年97歳。先月9月までは畑や田んぼに通い、死ぬまで頑強な人だったのですが、、、。大往生です。老いてなお野良に足を運び、野菜の荷作りや田んぼの見回りなど働き通した人でした。先月9月までは働いていたのですが、自宅で転んでから急に様態が悪くなり、入院。10数日で息を引き取ったとのことでした。病院から自宅に戻りお見舞いに行ったのですが、家人の話すところによると、『先月、じいさんから【田んぼの肝を教えておく】と言われた』そうです。田んぼの暗渠がどこになるのか水口はどこにあるのかなど最後の伝承とも言えます。(と言うことは直前まで田んぼのことは故人がやっていた!)自己の最期を知っていたのかどうか、しっかりした人なので後に続く人に困らないよう伝えたのだと思います。」

 狭い国土で田畑を耕し生きてきた日本人にとっては、田んぼは「先祖が苦労して開墾し、引き継いできた家宝で、後世に渡していく必要があるもの」という考えがあり、田んぼを持っている農家さんはこういった思いで、採算度外視で田んぼを守ってきましたが、高齢化と機械化で耕作放棄地が増えていっています。

しかし、それ以上の米離れが進んでいます。

 フランスは「我が国は農業国であり、国民の食糧は国内で自給する事が最も大切だ」と考え、「農業は国民を守るための産業」という事で、手厚い保護をします。

国民も「食べる事は生きる事、農業は自分の事」という国民的合意があるそうです。

 また、スイスは山なので畑が小さく放牧地域を管理するのも大変ですが、「我が国の観光産業を支える農村を守っているのが農家だ」というこれまた政府と国民的合意で、補助をだしています。

 アメリカは「穀物は経済競争作物だ」と捉え、膨大な補助金を出す投機対象です。

 ところが、「日本人は農業は農家の事、と考える国民で自分の命に関わる事だと思わない」と高柳さんは嘆いている通りです。

 私は農村コーディネーターという仕事をしていますが、もっと田畑の事を、農家さんのことを知ってもらいたいと思います。

 それは命を守る食だけでなく自然や歴史、和を大事にしてきた日本人としての生き方を学ぶ事にも繋がりますし、これからの時代の指針にもなると思います。

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来年のお米の生産目標数が激減

2020年10月22日 | 仕事の中で

日本でお米よりパンを食べるようになって久しいですが、悲しいですよね~。

まあ、実際に田んぼ体験をしてその大変さをちょっとでも理解し、その上で頑張っている農家さんとふれあわないと、やっぱり食べ物を好き好みで選ぶのは、先進国の仕方が無いところもありますが。。。

そんな中で、農家の高齢化は進んでおり、田んぼの半分以上が飼料米、つまり牛さんのエサになって久しいのです。

田んぼに来て、「やっぱり田んぼっていいですね~」と言ってくれる方に、「そうですよね、でもこの見渡す限りの田んぼの半分は牛さんのエサ用で、人間が食べる主食用は半分以下なんですよ」というと、「え~」とびっくりする方が多いんです。

農業、あるいは食べ物、そしてお米についてどう考えるかというのは、教育次第というのがあると思います。

私も普通に学校に行って会社員となって、という時は、「食べ物は食べ物でしかない」という認識でした。

ところが、「農村コーディネーター」という仕事をしてから、そして日本の歴史を学び、伝統文化に沿った生活様式がいかに理にかなっているだけでなく心の平静をもたらすか。

そういった立場でいうと「田んぼは日本の文化そのもの」という意識が生まれます。

歴史的に言えば、「瑞穂の国」と言われ、日本では神様も高天原で田植えをしていますし、天皇陛下も田植えをしています。

世界で「国家」が成り立つには、やはり穀物、つまり財として蓄えられるものが現われるのが必須で、南米などはトウモロコシ、北の方は小麦、そしてアジアはお米、というのがあって、初めて国家が生まれました。

そして、日本人だけではないですが、みんなその地域の田んぼや畑は生きる糧で、特に1度収穫したら「これで1年間、食っていける」という安心に繋がるお米でした。

戦後も農村では貨幣よりお米が物々交換の主で、高柳さんのお話だと「昔は大工の棟梁の1日仕事は米2升だった」というのです。

そして、ワラは全てをまかなうものでした。

野菜は今はビニール袋に入って売られていますよね?

じゃあ、ビニールが無かった時代はどうだったのか?

73歳の農家さんに聞くと「昔はワラを編んで、それに包んで売っていたんだよ」とのこと。

ワラの葉っぱをとった「すぐりワラ」を入れた布団や「何とも気持ちよかったんだぞ」という言葉も。

田んぼが終わった後の「冬の仕事」は、ひたすらワラを編んでいたそうです。

 

そして、よく言われますが、田んぼがあることで様々な生き物が命をはぐくめますし、ダムのような役割や水を浄化する役割もあります。

高柳さんが「都市は消費するだけ、汚すだけで、水も食べ物も空気も全て生き物が必要なものは農村で出来る。そのことを農村の人は誇りに思うべきだし、都市に住む人も農村あっての都市だということをわかって暮らして欲しい」と言います。

そして、田んぼを実際にやってみると、本当に大変なんです。

高柳さんが「田んぼをやってみればわかるんだよ。本当に大変なんだ。それをまだ機械が無い時代に、どっかの誰かが人力で開墾して田んぼを作った。それを後世の我々が使わせてもらっているわけだよ。そう思うと、感謝して使わせてもらわないといけないし、後世に少しでもきれいな状態で渡していかないといけないと思う」と言います。

農家で田んぼをやっている人の過半数は、赤字でやっています。

でも「先祖代々の田んぼだから、荒らすわけにはいかない」という思いでやっているんです。

自分のため、ではなく、お父さん、あるいはお爺ちゃんが苦労している姿を見て育った、あるいはそういった話を聞かされて育った。

しかし、今は機械化され、田植機、稲刈りのコンバインは1年で数週間しか使いません。

その時期の仕事なので、近所や親戚で使い回しがなかなか出来ません。

田植機で150万、コンバインで300~1000万、乾燥機、籾擦り機、精米機など入れると、大変なお金です。

平均年齢が70歳になった農家さんが、今さら何百万の借金をしてやりようがない。

今、急速に田んぼが荒れています。

そんな中で、それ以上のスピードで米離れが進んでいます。

 

日本農業新聞を見たのですが、来年はさらに「減作」を農水省が指示しました。

具体的には、農水省は需供のバランスを踏まえてお米の生産目標を掲げ、それを踏まえて農家は大豆や飼料米に転作しています。

2010年の人が食べる主食米は800万トン超だったのが10年後の今年は730万トンほどと、1年で平均7万トン減っていました。

ところが、さらにご飯離れが進んでいる事で、来年は一気に50万トン減らすことになりました。

これは「過去最大の下げ幅」という事で衝撃が走っています。

食べ物は人を幸せにしますし、今は空前の肉ブーム、食パンブームです。

それは娯楽ですが、本来の「命を全うするための食事」では無いですよね。

 

ただ、分野は変わりますが、良い話もあります。

日本の食糧自給率は38%ですが、木材は自給率が年々上がってきて、ついに木材自給率が39%となり、食糧自給率を超えた、という記事も日本農業新聞に載っていました。

食べ物もどこかでそういった転換が起きて欲しいものです。

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修学旅行があって良かった!

2020年10月21日 | 素敵な家族・子供との時間

今日という日を無事に迎えられて、本当に良かった

天皇陛下じゃないですけど「今日という日を迎えられたこと、嬉しく思います」という気持ちでおります

というのも、今日は小6次男の修学旅行の出発日なのです。

コロナが出たら一発アウトで、例えば昨日出ても「キャンセル」になるわけです。

ちなみに千葉県でも都市の方では中止とか、いったん中止で別日で日帰りという感じで、分かれているようです。

 

ただね、やっぱり小学校最後の仕上げ、一大イベントですよ、修学旅行は。

これが直前キャンセルといったら、子供達はショックでしょ。

運動会も中止になった時、そりゃ残念でしたよ。

私は特に6年間で2回しけ行けなくて、去年は「なんで来ないの」と子供にしかられたので、「6年生の時は絶対に行く」と仕事があろうと無視すると決めていたぐらいだったのに

だから、修学旅行は行かしてあげたい、コロナが出ませんように、と願っていたわけです。

 

まあ、もしコロナが出たとしたら、その家庭、もちろん我が家もその可能性はあったわけですが、「うちのせいで全体が中止。。。」といった罪悪感でいっぱいになるでしょうに。

だから恐らく小6保護者は戦々恐々としている方も多かったと思います。

中学3年生も5月で中止だったのが、今月行けて、親御さんも喜んでいたし、小6も是非行ってもらいたいと思っていたのです。

そういった事があったので、無事、今日を迎える事が出来て本当に良かった

 

ちなみに朝ご飯中に突然、にやつき始めたので、「どうした?」と聞くと、息子曰く「コロナで色々あったけど、1つだけ良いことがあるんだよ」と。

最初は「秘密」と言っていたのですが、聞き出すと。。。

実は、go toキャンペーンに適応されて修学旅行代金が少し戻ってくるとは聞いていたのです。

それが実は「自分が使える」と言うのです。

何の事か更に聞くと、その戻り分はてっきり親に返金されると思っていたら、そうではなくて、修学旅行先の地元で使える商品券みたいなものになって、学校から直接児童に渡されるんですって

確かに親のところにお金が戻ってくるより、地元で使ってもらった方が良いですもんね。

しかし、出かける直前にそんな言うとは、小憎らしくなったもんだの~

 

まあ、とにもかくにも、無事に修学旅行が実施されて良かった

あとはケガせず思い切って楽しで来てね~

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雨と晴れの「田んぼと畑の耕育教室」

2020年10月18日 | 農的体験・生活

(土)(日)は「田んぼと畑の耕育教室」でした

いや~、大変でした

何が大変かって、(土)は雨続きで、その中で里芋を掘るデモンストレーションをしたら、「ビキー~」と腰に電流が走り、久々にぎっくり腰をやってしまったのです

まあ、それでもなんとか2日やりきりました

今年は9月上旬の猛暑が去ったとたん、ず~っと雨が続いています。

特に(土)は気温がぐっと下がった中で、天気予報通り2㎜の小雨が降り続け、その中でもキャンセルは少なく、かつ、「日曜日に参加予定だったのですが、日曜日が幼稚園の運動会になったので、土曜日に参加してよいですか?」といった連絡が3件もあり、なんだかんだいって、晴天の(日)より雨の(土)の方が参加人数が多くなったのです

ここ3年ぐらいから「雨が当たり前」になってしまったのですが、それにしても、全国探しても、あの雨の中で農業教室やっているのは、うちぐらいだろうな~

さて、今月は「収穫の秋」

「天高く馬肥ゆる秋」という言葉がありますが、秋は実りが多く食べ物が多い、だから馬もたくさん食べ物があって肥える、という意味ですよね。

ただ、以前、知ったのですが、最初はそういった意味では無かったそうです。

今の中国がある支那地域は、昔から良く、今はモンゴルがある北部の騎馬民族に襲撃されていました。

その時期が「秋」だったのです。

つまり、麦など穀物がとれて馬が肥え、「さあ、襲撃にいくぞ」という事で、馬が移動体力、襲撃する際に動き回れるのが秋だった、という意味だったそうです。

へ~って感じですよね~。

まあ、そんな話は別として、今月は「お土産沢山のお得な月」でして、サツマイモと枝豆をたっぷり持ち帰ってもらうのです

サツマイモを掘る前、みんなが集まるのを待っている間、先に来た人と時間つぶしで「この花、何の花かわかりますか~?」と聞くと、ほぼ、みんな知りません。

小さく可憐な可愛い花ですよね~

答えは「蕎麦の花」です。

これは9月頭蒔きで、11月頭に収穫し、11月の「蕎麦打ち」の材料となります。

台風が来ると一発でアウトで、博打のような作物なのですが、今年は台風が来なかったので良かったです

 

さて、みんなが集まったので、まずは、枝豆の収穫です。

今年は大豊作で、なんでこんなにとれるのか、農家さんもわからないぐらい実りました

普通大豆の枝豆2本と丹波黒大豆の枝豆2~3本が1家族分なのですが、コンテナいっぱいになりました

写真だとなかなかわかりにくいのですが、左が普通大豆の枝豆で、右が丹波黒大豆の枝豆です。

こんな感じで葉っぱをとって「枝と豆」にすることで、「枝豆」と呼ぶわけです。

大きさが一回り違い、味わいもやっぱり丹波黒大豆の枝豆の方が格別なんですよ。

お次はサツマイモの収穫。

シルクスイートなのですが、今年は何故か葉っぱが黄色っぽく量も少ないので、ちょっと収量は期待できない感じだったのですが、掘ってみたら、結構ありました

ということで、なんだかんだって、1家族辺り15kgぐらい、コンテナいっぱいのお持ち帰りになりました

その他、里芋掘りも行いましたが、里芋を掘ったことが無い人は多いので、里芋の出来方、親芋と小芋の話をすると「へ~」ってみんな感心して聞いてくれました。

お昼は先月収穫した天日干し米

年間会員さんにはお米25kgをお渡しし、とってもお得な10月でした

来月は蕎麦打ち。

このコロナ渦でどうしようかな~と思いましたが、そもそもこういったところに来てくれる方々は、そういったことも織り込み済みですし、各家族自分で打ったものを食べるわけですし、熱もいれるので、まあ大丈夫かな、。

ということで、消毒液用意したり、水で締める時は食品衛生手袋をした上で、いつも通りやろうと思います

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実りへの感謝の季節です

2020年10月14日 | 農的体験・生活

先週末の台風は変な動きで行ってしまいましたが、良かったですね~

千葉県の農家さん達は、特に昨年の台風15号の甚大な被害があったので、みんなそれなりの対策をしていました。

一般の街中の人と比べたら、その気持ちはやっぱり違います。

ビニールハウスはひっくり返り、屋根瓦は吹っ飛び、という状態でしたので、警戒心が強いのです。

私のおつきあいしている農家さんで、ビニールハウスを持っている人は全員被害が出ましたし、母屋の屋根に被害が出た農家さんは、今年の4月にお邪魔したら、ようやく屋根の工事が出来るようになって、「全部で900万ぐらいかかっているよ」と言っていました

 

9月の連休に南房総の方に行ってきましたが、まだまだ屋根にブルーシートが張られたままの家屋もあります。

東日本大震災の時は職人が足らずに工事が進みませんでしたが、昨年の台風の場合は人手はあっても瓦が無い、という話を聞きました。

その余った人手はビニールハウスの建築に回ったようです。

そんな状態があるので、今回の台風も戦々恐々としていましたが、直撃といったことは無く本当に良かったです

 

さて、10月は実りの秋、感謝の秋です

うるち米は9月で終わりますが、酒米や餅米は10月に入ってから収穫するのも普通の事で、今の時期はようやくホッと一息つける時期です。

先週末は、おかげさま農場の高柳さんとやっている「食と命の教室」でしたが、みんなで糀を作りました。

この時期は毎年、糀を作るのですが、ちょっと固めに蒸したお米に糀菌を振って混ぜて米袋で保管するだけ。

1日おきにかき混ぜることで3日で出来ます。

1.5升ぐらいやれば特に加温することもおなく、自らの発酵熱で糀が出来るんですよ。

 

この時期に糀を作る理由は甘酒を作るため。

その甘酒は10月17日の「神嘗祭(かんなめさい)」で神様に奉納し今年の豊作を感謝するためです。

高柳さんの話だと「伊勢神宮や香取神宮でやっているけど、昔はどこの家でも自分で糀を作って自分の家の氏神様とかにお供えしていたんだよ。今は我が家ぐらいしかやっていないけどな」とのこと。

以前、知り合いの神崎町の酒屋さんに聞いた話では「昔はこの時期は糀や甘酒が飛ぶように売れたけど、今は廃れたな」と言っていました。

凄い昔は自分で作っていたのでしょうが、経済成長とともに酒屋さんで買うようになったのでしょうね。

それでも風習というか、神様への感謝は忘れずにやっていたのでしょう。

それもこの30~40年で廃れてしまったのでしょうね

 

そういえば、「食と命の教室」に女子大生が参加しているのですが、「瑞穂の国、日本」というのを聞いて何の事かわからない、という反応で、高柳さんも「あなたは日本人ですか!(笑)」とびっくりしていました

そりゃそうです。

昔は田畑は当たり前。

田畑が無くても、仏壇、神棚があって、そこに感謝のお供えをする事を親がやっていれば、最低でも「お米が今年もとれてよかったね」という話になるでしょう。

それが仏壇、神棚が無いのが当たり前の時代です。

「瑞穂の国、日本」という意味がわからないのも当然ですよね~。

まあ、私も東京暮らしの際はわかっていませんでしたし、興味もありませんでしたが

 

まあ、それはさておき、日本人は元来、田植え前に豊作を祈願し稲刈り後に豊作を感謝する、という周期で生きてきました。

そしてお米に限らず秋冬野菜も増えてくるこの時期は、まさに実りの秋であり、感謝の秋ですね

食べ物があることが当たり前で育ってきた私達ですが、今の大学生ぐらいは、自然に沿ったという事では無いのですが、知識として地球の問題を意識していて、SDG'sや地域コミュニティーに関心がある子が多いです。

そんな子達が、自然の恵みに感謝する心、を養えば、日本もまた違った方向に行くんだろうな~と期待しています

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さよなら金ちゃん

2020年10月11日 | 素敵な家族・子供との時間

さよなら金ちゃん

金ちゃんといっても、「サラリーマン金太郎」の金ちゃんじゃありません。

我が家の一員として、長らく、たぶん、6~7年生きてくれた金魚のことです。

私が毎日餌をあげたり、定期的に水替えなどお世話していた金魚で、時にザリガニと共存し、時にメダカ、フナなど、毎年、田んぼでゲットしてくるものを入れては死んで行く仲間がいる中で、この金ちゃんだけは長生きし続けてくれたのです。

その金ちゃんが、今朝、我がファミリーの金ちゃんがプカプカ体を横たわらせて浮いていたのです

いつ我が家に来たのか、過去のブログとかFBとか遡ってみたのですが、見つかりませんでした。

ただ、6~7年前の「印旛沼クリーンハイキング」という市の主催のイベントで、ゴミ拾いをした後、鯉コクが提供されたり、ゴールの慰労の場で、何故か金魚すくいができて、そこでもらってきた子です。

2匹もらったのですが、1匹はすぐ死にましたが、この子はもう6~7年生きていて、「長生きだね~、凄いね~」と毎日、餌をあげながら語りかけていました。

大きさもフナぐらいの大きさになって、金魚すくいで泳いでいる小さな子だったのが、こんなに大きくなるもなんだな~、と感心していました

子供や奥さんはこういった世話は全くしないため、私がずっとお世話してきたのですが、ここ数日、餌を食わなくなってきました。

ちょっとデメキンみたいになって目が飛び出してきたので、「あらま~、やせちゃっているな~」と思ってはいたのですが、時たまそういったことはあったのです。

また、暑いと良く食べる子で、近づくと水面に浮いてきて口を激しくパクパクしてくるので、明らかにお腹が空いている、というのがわかる子でした。

ただ、気温が下がってくるとあまり餌を食べず、1週間ぐらい餌をあげなくても大丈夫な時もありました。

最近は気温がぐっと下がってきたので、餌をあげてもあまり食べず、一緒に水槽に入れてある小さな3㎝ぐらいのフナも同様に餌を食べないので、「寒くなってきたからかな~」と思っていた矢先でした。

まあ、寿命だったのでしょう。

「大変だ」と子供達を呼び寄せ、死を報告。

私は「長生きしたね~、毎日、愛でさせてもらって有り難う~、餌をあげさせてもらって有り難う~」と声をかけ、普段は餌もやらないまでも「金ちゃん、長生きだね」と存在だけは気にしていてくれていた子供達を呼んで、家の前に子供が種を植えたビワの苗の下に埋葬しました。

残った餌もお供えとしてばらまいて。

金魚や花など、何でも生き物をお世話出来ると、こちらの愛情も深まります。

そんな事をさせてもらえた金ちゃんに感謝です。

長生きしたな~。偉かったな~。

さよなら、金ちゃん。

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秋の畑と野菜達

2020年10月07日 | 農的体験・生活

過ごし易い季節です

今週後半から台風の影響が出る模様ですが、それにしても暑すぎず寒すぎず、畑仕事にも何事にもちょうど良いですよね。

適度、というのは何事にも有り難いものです

私の畑では大根、春菊、ホウレン草、小松菜が成長中です。

成田周辺であれば大体9月上旬に種を蒔けば、どんなものも冬が来る前にものになります。

9月下旬になってしまうと、大きく生育する前に寒さが来て生育が止まってしまうのです。

野菜は日照や気温がとても大切で、秋の種まきは1日遅れると収穫が1週間遅れるとなります。

プロの農家産は3~5日に1回種まきをするのですが、いわゆる「ずらし蒔き」というもので、これにより、収穫時期を少しずつずらしているんですよ。

また、プロの農家は水に溶ける紐のようなテープに種を一定間隔で入れて、それを張って種を蒔いたり、あるいは車輪が回ると適度な間隔で種が落ちる機械を使って蒔きます。

そのため、発芽率を考えてわざと1カ所に2~3粒種を蒔く大根は間引きを行いますが、それ以外は基本的には間引きは行いません。

一方で、私のように家庭菜園に毛が生えたような程度の場合は、手で筋蒔きをするので間引きが発生します。

プロにとっては間引きなんてやっていられないのですが、私レベルですと間引きもまた楽しいものです

間引きすることで、ベビーリーフのように小さな葉物が集まります。

ハサミでチョキチョキして小さな葉っぱをとるので、両手山盛り2杯ぐらいにするのに1時間ぐらいかかりますが、子供達もベビーリーフだと春菊も食べますし、葉物が少ないこの時期にとってはとても貴重な収穫なのです。

路地の葉物はトンネルなどをしないと、大体10月下旬ぐらいからにならないと収穫出来ません。

その間、コツコツと間引き菜を収穫して食べるのも楽しいものです。

そういえば、夏に2日に1回、20リットルぐらいの水を撒き続けたものの、あまりの暑さで半分ぐらいしか発芽しなく、「もう来年はあきらめよう」と思っていた人参が、すくすく生育しました

こういった姿がみれるのも、この時期の楽しみです

こういうのを見てしまうと、「あ~、来年もそだてようかな~」と思ってしまうのです

これで春まで一応、我が家の人参は確保出来たわけです

葉物と同様、人参も間引き菜があります。

実はスティックにして食べられるちょうど良い大きさ。

葉っぱは、この時期はまだ春人参の葉っぱのように柔らかいので、天ぷらにして食べました

そんな秋冬野菜が育つ時期ですが、先日、アスパラを植え替えました。

そして、ニラも植え替えしないとな~と思いつつ、大変な手間がかかるので来春にしようかな~と思っているところです。

もう8年ぐらい経ったのでしょうか?

毎年、分球してもさもさと増殖し続け、混み合ってこんなになっちゃっています

こちらは、今年の春に植え替えたニラ。

きちんとスペースがとれているでしょ?

2~3玉を20㎝間隔にして植え替えたのですが、もうこんなに大きくなっています。

全てのニラを植え替えたら、ニラだらけになってしまうので、さてさてどうしようかな~。

こちらは夏にお世話になった空心菜です。

8月下旬に虫にやられてきて放置していたのですが、ここ最近、見事に復活してしまったのです

毎年「もう刈っちゃおうかな~」と思っていると、秋の雨で虫が流され、晴天でぐんぐん復活して、良い状態に戻るので、なかなか刈り時が決められないのです

知り合いの農家さんも「そうそう、わかる」と同感してくれました

まあ、虫食いもある程度あるので、1袋100円で販売したら、ちょこちょこ注文きました

そういえば夏の定番で、3ヶ月間、その実りをこれでもか、と与えてくれたゴーヤは、さすがにもういっぱいいっぱいで、収穫を終え、引っこ抜いて片付けました。

そして、気温も下がり「もう食べるのもいいかな~」と思っていたので、伊勢丹のバイヤーのお勧め、ということでネットに載っていた「種ごと輪切りにして天日干し」というのをやってみました。

3日間やったらこんなに小さくカラカラに

おつまみにもなるし、お茶にもなるし、おかずにも出来るし、まあ、ゴーヤであることは変わりないのですが、お世話になったゴーヤさんを最後まで食す事が出来て良かったです

それにしてもこの時期はとても気持ちが良いです。

湿度も無く気候がとても良いのはもちろん、雑草ももうそんなに生えてきませんし、秋冬野菜の小さな葉っぱが一斉に畑一面に広がり、生命の息吹を感じます。

本来、生命の息吹を感じるのは春ですが、春から夏にかけては野菜だけでなく雑草の生命力が強すぎて、かつ暑いので、とてもそんな心の余裕は無いのです

今はそういう意味でほっと一息つける状態で、昨日も流れる鰯雲を見ながら「秋だな~」と思って少しのんびりしていました。

今年もこの時期はいつも同じ畑仕事をしているわけですが、「あ~、秋だな~、気持ちが良いな~」と、毎年繰り返し思える畑仕事はやっぱり楽しいものですね

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海の恵み

2020年10月03日 | 素敵な空間・イベント

近くの小川でヨシノボリというハゼに似た小魚を一緒に釣ってから、「今度は海に行こう」となったうちの息子のお友達家族。

コロナが広まってきた3月ぐらいから始まった釣りライフですが、今回はお友達家族も「初」と言う銚子に行ってきました

大潮の日という事で、良く釣れる日だそうで、しかも小さな子供が居ない日だったので、安全な釣り場よりは釣れそうな釣り場を選んだそうです。

4時半出発で、最初は「お月様が見える」と子供も騒いでいましたが、途中からは朝焼けが始まり「なんで空がオレンジ色になるんだろうね~」と話会いながらのドライブも楽しいものです

銚子に入ると、ちょうど進行方向と日の出の方向が同じ道では目つぶしをくらい、「うわっ、凄いな、この道」と急遽サングラスをしながら頑張りましたが、何回か行った旭市の釣り場よりも早く、1時間半かからず6時前には着いてしまって、思いの他、銚子って早朝だと早く着くな~と思いました。

さて、到着すると既にお友達家族が「イワシタイムが始まっています」とのことで、入れ食い状態に。

しかし、釣り糸のサビキが絡みあってしまって、このイワシタイムを逃したのが痛い

また、仕掛けが途中、2個も跳んでいってしまったり、お友達の子供が自腹で買った7000円の釣り竿が、釣り船に絡み取られて流されてしまったことなど、トラブルも結構ありました。

しかし、なんと、うちの子が何か引っかかったと思って引っ張りあげたら、釣り糸が引っかかってきて、「誰かの落とした仕掛けかな?」と思っていたら、その先に釣り竿がついてきて、それがなんと、1時間ぐらい前に釣り船にもっていかれたお友達の釣り竿だったのです

その子は「死んでもいいから鳥になって海に探しにいきたい」と嘆いていたので、大喜び

また、隣のおじちゃんがホイホイ、ハゼをくれるのです。

「食べないから」ということで、単に釣るのだけ楽しんでいる人もいるんですね~。

我が家もハゼが釣れましたし、何より、11時過ぎ、「もういいかな~」という頃合いになってきたときに、ハゼとは思えないような当たりがあって、なんとイシモチが釣れてしまいました

そんなこんなで、再び子供達のモチベーションが上がり、いつもは必ず余る餌のイソメが今回は無くなるまで釣り三昧をしました

結果、隣のおじちゃんがくれたハゼ7匹を合わせると、イワシ34匹、ハゼ14匹、鯖1匹、アジ1匹、イシモチ1匹の計51匹

特にイシモチはカエルのような鳴き声がするのですが、その大きさと姿形にうちの子も「可愛い~」とご満悦。

お友達家族は「ここまで釣れたのは初めてかも」とのこと。さすが銚子です

やっぱり当たり前ですが、釣りって釣れると楽しいものですね~

 

そして帰りは毎年弾丸で行く「島竹水産」にお友達家族も初めて連れていったのですが、「美味い」と喜んでくれて、ご満悦でした

帰りはいつもの通り、子供はスヤスヤ眠る中、私は眠気を押さえてのドライブで帰宅。

いつもは子供が1人で料理してくれますが、10匹ちょっとの下準備で1時間かけているので、今回の量を1人で任すと9時を過ぎてしまうと思い、助太刀に入りました。

さすがに何十匹も裁いていると、だんだんやり方が私もわかってきました。

というか、幼稚園児だった頃、母のイワシ裁きを手伝って、あの腹に指を突っ込んで内臓を取る間隔、久々に思い出しました

いつもは竜田揚げにしているのですが、全てそれをやっているとこれまたとんでもない時間がかかるので、半分は煮物に。

見た目はボロボロでしたが、美味し

特に「ハゼのつみれ」は鶏肉みたいでした

イシモチは、さすがという味です。やっぱり青魚と白身は全く違いますね~。

それにしても帰りの車で思ったのは、「釣りって凄いな~」という事。

というのは、勝手に釣っても誰も怒らないんですよね。

最初、「釣りってどこでどうやるんだろう?」と思っていたのです。

漁業権というのがあるだろうし、勝手によそ者が釣りに来ていたら、その土地の人からすれば「何だお前?」みたいになるだろうし、どこなら出来るのかな~、みたいに思っていたのです。

ところが、お友達家族と行くようになって、「あぁ~、海の人はそんなこと気にしないんだな~」と。

昔、「こつなぎ」という映画を見たのですが、その映画は「山は誰のものか?」、もっと言えば「自然は誰のものか?」というテーマだったんです。

明治時代ぐらいは山はみんなのものでした。

平地は別ですが、大体の集落というのは山裾に出来ていたわけです。

山裾から溢れる水から田んぼをやり、薪や薪、山菜、あけびなど自由に採っていたわけです。

例えば、道端の草も肥だめと混ぜるための肥料になっていたわけですし、落ち葉もそう、茅葺きの茅も茅場というのがあって、そういったところをみんなで共同で頂いて使っていたわけです。

それが明治になって土地は全て「所有権」というのが出来ました。

すると、今まで共有地のように使っていた山に「勝手に立ち入るな」という思想が出来てきました。

特に、「こつなぎ」という映画は、地主と昔から慣習として誰でも自由に入れたムラの人との戦いでした。

今でも自然薯や竹など、自由に立ち入って採っている人はいますが、どちらかというと「勝手にやっているじいさん達」という感じで、あまり良い目で見られません。

しかし、釣りをしている海には漁業権はあるにしろ、ちょっとした釣りなら誰でも自由に出来る。

海川はまだその恵みを誰でも享受出来る習慣が残っているというか、「そこは俺の海だぞ」という発想が無いわけです。

自然の恵み、海の恵み。

あんなに釣って、あんなに泳いでいる魚を釣れる。

あれやこれや世知辛い世の中で、なんとも有り難いことですよね~

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