半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

理想の農家さん

2011年11月11日 | 素敵な人・友人との時間
成田から車で30分ほど、神崎町よりは少し成田に近いところに今は成田市に吸収合併された「旧下総町」があります。

ここに、根本さんという45歳の若手農家がいます。

根本さんとのご縁は、9月に早稲田大学で開催された「ふるさと回帰フェア」の中にある、内閣府手動の「農村六起」という農業ビジネスのインキュベーションプログラムのプレゼンからでした。

意識が高い聴講者が多かったのでしょう、プレゼン後、なんと、3人の方が個別に私のプレゼンに感銘を受けたとのことで、ご挨拶に来てくれました。

その一人、農関係でコンサルをしている方が、この根本さんを「次世代を担う若手農家だから是非会っておくと良い」とご紹介くださったのです。


先日、初めてお会いしたのは朝市の開催中で、立ち話程度の交流だったのですが、今回、初めて根本さんのところへ訪ねて行き、2時間ぐらいお話を聞きました。

そして

「こんな近くに、これほど理想の地域コミュニティーを作っている農家さんがいるんだな~」

と感嘆しました。



根本さんは、ことごとく、「こうありたい、こうしたい」と私が思っていることを、地元で実現してきた方だったのです。

具体的には、地元の小浮(こぶけ)地区は50ちょっとの家がある集落なのですが、地元のおばあちゃん達を巻き込んでして、近隣の高岡小学校と一緒に、小学生の田植え、稲刈りなどを行っていたり。

大豆を作って、それを学校で料理して食べる、というところまでやっていたり。(本物の食育

子供にそういった田畑イベントを体験させ、最初は渋っていたPTAのお母さん方を巻き込んだり。

放課後の子供遊びの先生をやっていたり。

もち米を作って、餅付きを恒例行事にしていたり。

地域で育てたそばを使って、そば打ちを恒例行事としてやっていたり。

8年ぶりに地元の祇園際を復活させたり。


戦前前後は当たり前だった「地域と住民が一体化していた状態」が、戦後、あっという間に崩れ去ってしまって今日まで来ているのですが、根本さんは、5年前に認定農業者になってから、子ども会、消防団などなど色々な組織の役職をボランティアで担いながら、地域の「農村の素晴らしさ」を子供達に伝承していく活動、つまり「地域のコミュニティー作り」を実践してきたんです。


例えば、祇園際を復活させるなんて、至難の業ですよ。

地域には、かつては地域に根ざした神楽、つまりお囃子や太鼓などがあって、お祭りに向けて、子供達は練習をしていました。大人やお兄ちゃん、お姉ちゃんがやっていたから、自然と小さい子供もある程度の年になると、参加していくのが当たり前だったわけです。

ところが、大人は仕事に行き、お兄ちゃんお姉ちゃんは部活やお稽古に忙しくなり、地域として地域のイベントを伝承していくのは困難になり、佐原といった観光都市以外の地域で、何かきちんとした祭りを続けていくのは無理になって廃れていったわけです。

それを復活させる、ということは、お稽古や部活で忙しい子供達、なによりその親を説得し、1つに纏め上げる作業が必要なわけです。

恐らく、並大抵の努力や調整作業じゃなかったんだと思います。

そういったことをやり遂げ、継続していることが、根本さんが「凄い」と思うところです。


地域の美しい農村の風景を維持し、子供達に残し伝えていくことを使命としている根本さん。

実家は農家だそうですが、農家になったのは6年前からだそうです。
根っからの農家じゃなかったからこそ、地域作りなどに対する視点、行動力、知見などをもてたのでしょうね。


ちなみに、地域で学校と連携して田植えや稲刈りをしているところは、成田では3つしかないそうです。
田園風景が残る田舎都市の成田でさえ、実家が農家ではない地域住民にとっては、畑や田んぼは「近くて遠い存在」になってしまっているんですよね。


根本さんにご相談したところ、私が住む成田ニュータウンの住民を招いて、田んぼや大豆などのオーナー制度、田植え・稲刈り体験も可能、とのこと


是非、来年に向けてコラボレーションしたいと思っています


そして、「日本農業は伝えるべき日本文化」だということ、「農村生活は生きることに直結した、生きている実感を持てる生き方」なんだ、ということを、1人でも多くの子供達、あるいはその家族に伝えていける存在になっていきたいと思います。
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