半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

今年も仕事が出来ました

2023年12月27日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今年最後の、「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。

 今年もこれで最後の野菜ボックスとなります。私は12/30(土)に自然薯掘りがあり、それが今年最後の仕事となります。みなさんは各家々で家族全員揃って年末年始を過ごせる予定でしょうか?。欧米は家族を大切にする文化が残っていますが、今の日本は個人の時間を優先するようになってしまいました。私もその口で、大学生の時は先輩の家で大晦日を過ごす事が多かったのですが。子どもが大きくなるとなかなか一緒に過ごせなくなりますので、出来る間は是非、家族一緒に過ごして下さいね

 さて、みんなの農村ネットワークを設立したのが2011年の原発事故の年でしたから、先月、13年目に突入しました。たまに「何年やっているんですか?」と聞かれて答えると「10年以上、凄いですね」と言われます。そう言われると「あぁ、そうか、そのぐらいやってきたんだな~」と気づかされます。

 仕事とは良く言ったもので「事に仕える」、つまり仕事があることで何があろうと働く事が出来ます。私は個人事業主として自分で仕事を創ってきたわけですが、その積み上げてきた仕事に従事することでご飯を食べられる。そして、ご飯が食べられる仕事が10年以上続いているのは、当然ご縁の力が大きいわけで、有り難いことだな~と感謝の念が沸くのです

 本来、人の仕事は食うためのもの、暮らすためのものでした。というか動物全般は巣作りとエサを手に入れるのが生きる事=仕事です。人間はそこに衣が入り衣食住となりますが、特に日本では弥生時代以降は農耕を中心に田畑をし、家を代々で守り継ぎ、麻や綿で衣類を作り、冬はワラ仕事、という感じで暮らしてきました。

 農家の根本さんのお話では「親父の時代は、宴会の際にお金より米俵を持って行った方が喜ばれた、なんて言ってたよ」と聞きます。農村でお米よりお金が主となってきたのは戦後しばらくしてからなわけで、それまではお金よりお米の方が貴重だったわけです。我が師匠の高柳さんからは「大工の棟梁の1日仕事は米2升。親戚で冠婚葬祭があったら何かと入り用になるから米を持って行くのが普通だった。だから、どの家もそういったいざという時のためにお米を貯蔵していたな」という話も聞きます。仕事の対価がお米なわけですから、「仕事をすれば食っていける」という事が直接的にわかりやすい時代だったのでしょうね。

 今はお金を手に入れて自分の好きな事をすれば良い、という観念が広がり、仕事そのものに価値を置く人、あるいは食べ物が手に入ることの有り難さ、家族の為に食事を提供する事の価値など、仕事や生活全般を滞りなくきちんと行う事そのものに価値を見いだせない人が増えていると思います。

 もちろん、今の若い子は地球環境問題や社会的価値が感じられる仕事への関心が私の世代よりよっぽど高く、凄いな~と思います。

 ただ、仕事の本質は自己実現や社会貢献と言った心高鳴る言葉を感じられるものだけでなく、やはり、きちんと生活をしていくためのもの、食べていけるためのものだと思います。その当たり前の事が当たり前に出来る事で人間が磨かれますし、仕事や日常に感謝が出来ると生活に根が張れるので、ずっしりと生きて行けると思うのです。

 そういった事を学べたのも私が農に携わる仕事を10年以上やって来れたからで、有り難いな~と思う事が出来ます。そして、そういったことをこれからも出来る範囲でご縁が繋がった人に届けていく事が私の仕事だと思っています。

 ということで、来年も引き続きのおつきあいを宜しくお願い致します。それでは、どうぞよいお年をお迎えください

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今年3回目の自然薯掘り

2023年12月22日 | 農的体験・生活

今日は今年3回目の自然薯掘り。

天気予報では「例年より2日早い初氷を観測しました」というほど、とても冷え込んだのですが、天気は晴天

山藪の中は日がうっすらしか差さず、底冷えするのですが、予想よりは冷えずに良かったです

また、当日はTVのロケハンと一般参加者の自然薯掘りが重なってしまいましたが、みんなで仲良く自然薯掘りが体験できました


 一般の方は病気克服のために「先生から天然の自然薯はどんな薬にも勝る」と聞いて、探してここに辿りついたそうです。横浜からわざわざお越し頂き、1人で2本掘りましたが、1本目から20年ものぐらいの上々物が穫れました

午後は更に凄いもので、20年は優に超えている凄いものに当たり、両方ともとても良い自然薯で「これは感動だ。これは有り難い。来て良かった」といった言葉をしきりに発していて、本当に喜んでくれていて良かったです


 それにしても年末に向けてあれこれ忙しいのですが、仕事がある、働けるということは有り難い事です。自分の仕事、息子の受験勉強も含め、やることいっぱいですが、今年も最後まで頑張るぞ

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野菜ボックスを通じたご縁に感謝

2023年12月20日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。

 あっという間に今年の残りわずかとなりました。ただ、我が家はこれから息子の受験もあるので本番が終わるまで気が抜けません。年末年始はゆっくり過ごすというよりは、いかに冬休みの期間に底上げしていくか、という所に心と頭と時間を集中していく予定でいます。まあ、これも子育ての最後の醍醐味ということで、全力でバックアップをしていきたいと思います

 さて、今回「日本ほうれん草」が入りました。毎年説明していますが、一般的に販売されている西洋ホウレン草に比べて、赤茎で葉がギザギザしていてタンポポのように地面にへばりつくように育ちます。そのため栽培と収穫に手間がかかり、葉の茎もポキポキ折れやすいので、もはや普通のお店では見る事さえ出来ない野菜になりました。しかし、葉はもちろん、赤茎がとても甘く美味しいのです

 「もう他のほうれん草は食べられません。赤茎は子どもと争奪戦です」という感じで、毎回追加注文をして下さるファンの方もいるんですよ

 ただ、栽培に手間がかかるだけでなく、正直、お料理の時の手間もかかると思います。赤茎周りの泥を落とし、火が通りにくい赤茎の方からお湯に入れていき、最後に葉を入れる、という茹で方になるので面倒ですよね。それでも、こんな野菜を入れている野菜ボックスは全国でもほとんど無いかと思いますので、是非、「へ~、これが日本ほうれん草か。赤茎ってこんな味がするんだ」と楽しみながら食べて頂ければと思います

 そして第1&3週の方はこれが今年で最後の配達になるので、年末の挨拶代わりに少し昔話を。

 この野菜ボックスの配達を続けてきて11年が経ちました。最初はみみずの会の方が配達していたのを私も購入している側でしたが、私が独立した頃にちょうど「配達を止める」という話が出たので、「だったら私がやります」と引き継いだのが最初の経緯でした。

 あの頃は無農薬野菜や有機農業に関心がある方はごく一部でしたが、今は多くの人が求めるようになりました。この野菜ボックスも少しずつ口コミだけで広がって来たのですが、感慨深いものがあります。大手とは違って広告も出来ませんし派手なキャンペーンや品揃えは出来ませんが、「原点」は今も変わりません。それは、「生産者も消費者も同じ生活者なのだから一緒に支え合って地球環境を守っていこう」という「思い」です。

 公害問題と同時期に農薬などの化学物質が環境を汚染すると叫ばれた70年代から始まった有機農業運動。ごく一部の人達の運動でしたが、90年代に入ってみみずの会のおじさん達も立ち上がりました。

 「旬の野菜をお任せで」という代わりに、リーズナブルで鮮度が良い野菜が直接届く。産直運動の原点ですよね。今は多少高くても好きな野菜が注文出来るネット通販が便利な時代です。それに比べると不便ではありますが、野菜は本物。本物だからこそ口コミのみでも広がって来たのだと思います。

 もし、みなさんの周りでも利便性より「本物」に関心を持ちそうな方がいたら、この野菜ボックスをご紹介頂ければ嬉しいです

 そしてこれからも少しずつで良いので広がっていって欲しいな~と思います。私も、みみずの会のおじさん達と共に、体が動く限り続けていきたいと思います。それでは、来年も引き続き宜しくお願い致します。どうぞ良いお年をお迎え下さい

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日本人のルーツ

2023年12月19日 | 自分の時間

忙しい日々が続いていますが、ふと、「予定が入っちゃうかな」と思っていた今日、予定が入らなくなったので、気を張っていたのがゆるんで、少し心に余裕が出来ました

人って、忙しい時に入るかもしれないと思っていた予定が入らないだけで、忙しいのは変わっていないのですが、少し気持ちにも余裕が出るものなんですね~。

 

そんなこんなで、久々にTVのお話。

NHKの「フロンティア」という番組で「日本人とは何者なのか」という回があり、録画して見て見ました。

いや~、面白い

何が面白いかというと、「日本人のルーツの常識、定説が覆った」という話なのです。

まあ、興味がある人は「面白い、凄い」となるのですが、そうじゃない人にとってはどうでも良い内容なのでしょうね

 

日本人のルーツというのは、渡来人だ、というのが定説です。

アフリカから見たら東の果てである日本大陸。そこに長い時間をかけて大陸に住んでいた人達が移り住んできた。その達が縄文人のルーツ。ここに3000年前に稲作の文化と技術をもってやってきた新たな渡来人が弥生人で、その混血が今の日本人だ、という事ですね。

ここで言う「人達」というのは、一定のDNAをもっている集団、つまり1つの民族、文化、言語をもっている集団なわけです。

この定説が覆ったわけです。

ここ3~4年のDNA分析機械の精度向上で、昔の人骨の化石からDNAを一部ではなく網羅的に分析、解析出来るようになったそうです。

そこでわかったのが、縄文人のDNAは、今、大陸に住んでいるどの集団のDNAとも合わない、特殊な位置にいる、ということがわかったそうです

 

まず、現代人を遺伝的特徴で分けられる集団、中国人少数民族(ダイ族)、ベトナム人(キン族)、南中国人、中国人(北京)、ベトナム人、モンゴル人といった人達、つまり一定のDNAの特徴をもった人達で分析すると、少しずつDNAが違っているので、ある意味、近縁性が規則的だそうなのです。

ということは、今までの説が正しければ、こういった大陸の人達と日本人のDNAも近縁性がわかりやすくある、というがDNA分析で読み取れるはず、遺伝的に似ているということがわかるはず。

ところが、今の日本人は今の大陸の人達とは全く違うグループとなっている。周辺国の人達と異なるDNAをもった特異なグループだそうです。

あれ 大陸の人達が移り住んで来たんじゃなかったの?じゃあ、今の日本人のルーツは

となると、縄文人と呼ばれている人達だろう、ということになるわけですが、じゃあ、その縄文人はどういった人達なの?という疑問が生じます。

そこで、最新のDNA解読が出来る機械によって、古代人、ホアビニアンという、2~3万年前に東アジアに到達した人達がいるのですが、その人達の化石のDNAが分析して解読が出来るようになって、この人達の一派が縄文人である、という事がわかったそうなのです。

ホアビニアン文化、狩猟・採集をして暮らす文化をもっていた東南アジアなど初期に住み着いていた人達がいたわけです。

もっと遡ると、20~30万年前にほぼサピエンスがアフリカに誕生し、6~7万年前ぐらいから西アジアに出てきて、ヨーロッパの方に行ったグループと東に向ったグループに分かれました。

東に向ったグループは北のルート、もう1方は南ルートでインドを通って4~5万年前に東南アジアに到達した。数万年栄えたホアビニアン。しかし、その後に、大量の農耕民が入って来て、そのホアビニアンというDNAはほぼなくなってしまったそうです。

しかし、農耕民族が入ってくるその前に東南アジア北上した人達がいて、その1グループが日本列島に辿り着いた。

つまり、アフリカから東アジアへ3万年前に辿り着いた最初の人達が、縄文人の祖先だった。というわけです。

「凄いフロンティア精神があった人達なんだろう」、と学者はいいますし、その最初の規模は計算上「1000人ぐらいだった」と言います。

少し話がずれますが、天皇家の系統の学者の竹田さんの本を何年か前に読んだ時に、「日本の独自の文化は無くて大陸からやってきた人達が住み着いたのが日本人だというけど、いやいや、まだ文化というのが無い時代に日本に来た人達がいて、その人達が日本人になった、つまり日本のルーツは大陸では無く日本なんだ」と書いてあったのを思い出しました。まさにその通りだったわけですね

この縄文人の祖先のDNAを今でもアイヌの人達は7割、沖縄の人達は3割、東京の人達は1割、受け継いでいるそうです。

2万年前、縄文時代以前は氷河期で、北海道は大陸と繋がっており、対馬海峡も今よりずっと狭かった。それが氷河期が終わると海面は100m以上上昇し、大陸との遺伝的交流が極端に減って、独自の真価、独自な文化を創っていった。それが縄文文化であり縄文人と呼ぶわけです。つまり、大陸とは関係が無いDNAグループが独自文化を1万年以上かけて創っていった、という事です。

一方、その頃に農耕が起こり、大陸では人の移動、DNAの交雑もどんどん行われていった。世界的にも閉鎖された、独自のDNAと文化が育まれていった。それが縄文人、という事なのです。

 

なんか、江戸時代に鎖国がありましたが、これは自然環境による鎖国のようなものですよね。面白いですね~

 

さて、ここまで読んでいる人は暇なのか、この話が面白い、と思える人なので、さらなるお話を。

TV番組的にはもう1つの「定説がひっくり返った」というお話をしていました。

 

「今」の日本人のDNAの定説は、学者的には「2重構造モデル」というもので、大陸からやってきた人達が日本に住み着き、それが縄文人になり、その後に弥生時代に大陸からやってきた人達、つまり大陸系弥生人が混ざって今の日本人になった、と言われてきました。つまり2重構造なわけです。

ところが、DNAを調べてみると、確かに弥生時代は「縄文人のDNA6割ぐらい+弥生人のDNA4割ぐらい」となっているのが、現代人には7割ぐらいがこの2つのDNAとは違う謎のDNAが含まれている。これは

 

そして、最新の分析をしてみると、古墳時代に入り、文字や製鉄、機織りの技術をもっていた人が、渡来してきたけど、それは少数だった、というのが定説だったのですが、それが間違いで、どうやら、実際はそれよりはるかな規模の人数がやってきた、というのがわかったわけです。

具体的には古墳時代を調べたら、今の私達の日本人のDNAとほぼ同じで、第三のグループのDNAが6割ぐらいを占めている、という事なのです

番組では、大陸では漢、三国志時代などずっと戦乱の世で、それを逃れて日本にかなりの規模でやってきたと予想していました。

ということで、これは「三重構造モデル」なわけです。

じゃあ、その第三のグループはどこからやってきた人達なの?と調べてみたわけです。

すると、弥生人は北東アジアからの遺伝子が多い。ところが、古墳時代の渡来人は東アジアから、つまり今までとは異なるグループがやってきたらしい、ということがわかりました。

 

これによって二重構造モデルではなく、大陸の広い地域から様々な渡来人がやってきて、様々な人種が混血し、今の日本人に至る、という流れがわかったわけです。

 

結論、として「日本人のルーツ」は

・アフリカから一気に日本列島に来て住み着いた「縄文人」のDNA、氷河期が終わり海で大陸と隔てられて、1万年以上もの間、孤立し、独自の文化を形成した縄文人。

・北東アジアから稲作文化を持ってやってきた渡来人である「弥生人」DNAが半分ぐらい混ざり、稲作文化も根付いた。

・そして、古墳時代、つまり3世紀~7世紀半ば、各地に権力者によって大きな古墳が作られた時代、それは東アジアからやってきたグループのDNA。

 

この混血の古墳時代のDNAが現代人とほぼ近いDNAの比率であり、第3の人達が大きな割合を占めている、という事だったわけです。

 

学者さんが言っていたのが面白かったのですが、「今、研究費をもらったらやりたいのは、古墳時代の研究。そこが日本の基盤が出来上がってきたところだから」と。なるほどね~。

今までとは全く違うグループ、というか、日本人の縄文DNAと弥生DNAを一気に塗り替えていったグループがいるわけで、そこがDNAだけでなく、文化、国家という形を作っていったグループなわけですからね。

そして、「古墳時代は、姿形、言語、文化も違う今以上にバラバラな人達が混ざりあっていた時代であった」というのは、なるほどな~と思います。

もの凄い広い地域のもの凄い人達の数のDNAがミックスされている。そうなると、じゃあその「古墳時代にやってきた第三のグループはどこから来た人達なの?」という疑問が湧きます。もっといえば、「農耕民族の弥生人もそのルーツはどこなの?」という疑問が湧きます。

そうなると、結局はアフリカまで遡る事になるわけですよね~。

面白いですね~

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農家の出張もちつき

2023年12月17日 | 素敵な空間・イベント

コロナが明け、自然薯掘りと共に急激に問い合わせが増えたのが「出張餅つき」。今年は箱根からも問い合わせが来ましたが、あくまで成田周辺のみ受けています(笑)。
 昨日は、古民家カフェ風楽の地域食堂での餅つき。根本さんとえいこさんの「あーん」は写真の都合上、4回ぐらいリテイクしました


 今日は西白井のマンションへ初出張。合計5回でしたがとても協力的で、風が強く寒かったですが、とても協力的な自治会さんで、大変助かりました。

 おかげでスムーズに、かつ餅の量も少なからず多からずでちょうどの出来でした


 餅つきはこちらだけでやると体にダメージが残るのですが、協力的な所と組むと無理をしなくて済みお互い楽しく進められます。こちらも「また頑張ろう」と思える2日間でした

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子どもの心を育みながら

2023年12月13日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックスのお手紙」です。

 師走に入り何かと気ぜわしい時期です。「年内にやっておかねば」と思う事があるために、時間を意識して気ぜわしくなるのでしょうね。

 我が師匠は「昔の日本人は1週間、1ヶ月とかではなく1年周期で生きてきた」が言っていますが、確かに農に関わる仕事をしていると、春は春の仕事、冬には冬の仕事があるので途切れがありません。ただ、1年という区切りがあることで、「今年も1年、頑張れたな~」とか「来年はどうしようかな~」といった事を考える事が出来ます。区切りというのは振り返りの機会を与えてくれる凄い発明ですよね

 さて、年末という事で我が中3息子の受験日がいよいよ近づいて参りました。ここに来てようやく本命を口にし始めたのですが、少し目標が高いのです。そうなると親としてはどうしても発破をかけたくなるものなのですが、感情的にならないようグッと我慢して、どう働きかけるか心と頭を使っています。というのは、当たり前の事ですが、子どもによって性質、学びへの姿勢が違うからです。

 うちの子は気合いを入れて頑張るタイプではなく、コツコツと積み上げていくタイプ。生活リズムも大事で、ストレスやプレッシャー下では体が硬直するタイプなのです。なので勉強もじっくりリズムを整えながら本番を迎えていくスタイルが合っていると思うのですが、受験というのは目標点数と残り時間が決まっているのです。そこをどうするか、といったさじ加減は勉強を見ている側、つまり大人次第なわけです。

 色んな子ども達を観ていると、テストの点数ばかり気にしてそこそこ点は取れるけど後から伸びない子、言われたことをがむしゃらに数はこなせるけど学びが残りにくい子など色々いますが、一番はその子の心の成長度合い次第だな~と思います。

 自立心、つまり「この勉強は自分事なのだ」という意識が高いほど学びは深まります。当たり前の事なのですが、ここに大人の都合、つまり学校による子どもの点数評価、その点を取らせたい親の思いが入ってくるので、結果的に子どもは点数ばかり意識して、学びにとって一番大切な心がなかなか育ちにくいのが現状です。ほんと、難しい問題ですよね

 例えば中1の子ども達を見ていると、この前までは小学生だったわけで、まだ勉強が自分事になるほど精神面は育っていません。体育、音楽、技術、部活といった方が楽しい子がほとんどなのは大人でも「そりゃ当たり前だよね」とわかっている事だと思うのですが。

 健康にすくすく育ってくれるだけで嬉しいのが子育てだと思うのですが、中学生になると心が育まれる前に点数による評価が与えられてしまいます。私は点数評価というのは子どもの自尊心を高くもするし傷つけもする諸刃の剣だと思うのです。ならば師範として心技体がしっかりした大人、あるいはその使い方に細心の注意をもてる大人だけが使った方が良いと思いますし、その意識が薄い大人は下手に使わない方が事故も起きないと思います。

 しかし、今は子どもの心を育む事が抜け落ちて、ただ剣そのものを振り回す大人が凄く増えている気がします。人を守る道具にもなるし、傷つけたり、時には殺める事もあるのが剣ですから、子どもの勉強にストレスを感じる親御さんは、あまり触らずに、ちゃんと使える人に任せた方が良い場合もあると思います。剣道や空手などの先生が指導する事は「段を取ることだけではなく、その鍛錬を通じて子どもの心や学びへの姿勢を育てる事」と言いますものね。

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餅つきペッタン、ペッタンこ♪

2023年12月10日 | 農的体験・生活

今日は今年最後の「田んぼと畑の耕育教室」は、1年の締めで、丹波黒大豆の収穫と、餅つきでした

今年は雨や風が強い開催日が多く、なかなか難儀した年でしたが、今年最後の教室は最高気温20℃とポカポカ陽気

異常気象ではあるものの、屋外活動としてはのんびりゆっくり出来る環境下で、まずは丹波黒大豆の収穫です。

多くの家族があちこちで大豆を収穫し、地べたに座りながら大豆を脱穀、むきむき。

すると、まだ緑っぽい鞘からは赤紫のきれいなお豆さんがいっぱい出てきていました

枝豆の時は薄緑色だったのですが、それが寒さに当たり熟してくるとアントシアニンの働きが強くなり、黒くなっていくわけです。その薄緑と黒の中間が赤紫色なんですね。宝石みたいで美しい

そして、今回のメインイベントが餅つきです

子どもも大人も、男女問わずいつも通り大人気

珍しいのが玄米もち。お米の白米と玄米があるように、もち米にも玄米があるのです。

その玄米もち、プチプチした食感と風味が抜群で美味しかった~

しかし、これまたいつも通りですが、つく人は大勢でも返す人は私1人。

中腰でやり続けるのはハードで、かつ熱い餅と冷たい水は心臓に悪く後々ひびきます

まあ、それでも子どもも大人も喜んでくれて良かったです。

これで今年の教室は終わり。今年も無事開催出来た事を、近くの観音様にお礼しました。

来年もどうかみんなで楽しく出来ますように

 

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止まらない人の流れ

2023年12月06日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。

 ふと気づけば12月です。月日が経つのが早く感じるのは大人の特徴ですが、日々、あるいは年を季節に合わせて積み上げ繰り返していく農に携わる暮らしにおいては、しみじみと「今年ももうすぐ終わりだな~。無事過ごせたな~」と感謝の念が湧いてきます 

 ところが、この冬はかなり忙しいのです。というのも、農村コーディネーターの冬の単発仕事として「出張餅つき」と「天然自然薯掘り」があるのですが、その問い合わせが今年は多いのです。コロナ禍前よりもその数は多く、「何だか凄いな~」と思っています。

 コロナ禍が明け、今年は人の動きが活発になり、それが当たり前の事となりました。ただ、9月頃からインフルエンザが流行始め、今でも蔓延していて、我が子が通う中学校、高校で学級閉鎖、あるいは学校閉鎖があり、また農業体験教室でも「子どもが急に発熱したので」という直前、あるいは当日キャンセルが続いています。

 それでも人の流れが止まる事は無く、「あぁ、昨年とは大違いだな」と感じています。

 もちろん、今もコロナを警戒している人もいますが、全体的には今までの我慢が溜まっていたせいか、インフルエンザの広がりの中でも人の流れが留まらないですよね。そして、農村への関心も引き続き続いている事を感じます。

 大人向けの「食と命の教室」も相変わらず来年度は既に満席ですし、問い合わせも多いです。

 5~6年前までは「食と命」といったテーマは「この教室だから話せる事ですが」といったように、普段の日常会話の中で語るのは重く感じられる時代でした。しかしここ数年は、ガン、アトピー、農のある暮らし、有機農業、環境問題なぢを語る事は変な事では無く、むしろ普通に語れる時代になったと感じます。

 SDG'sや地球温暖化問題、有機農業という言葉が一般に浸透し、コロナ禍で多くの人の意識が大きく変わったと思いますが、コロナ禍が明けてもその変化の流れは止まらないようです。

 大人はもちろん、学生が社会問題を真面目に議論するのが今や当たり前で、例えば子ども連れ家族向けの教室には、東京の大学に通う学生が「ゼミの研究レポートを作るために」と毎月ボランティアで参加するようになりました。また、来年度の「食と命の教室」に大学生が受講生として参加します。

 日本の人口が縮小し、経済格差も広がり、地球温暖化問題も危機的、不可逆的なところまで来て、更にパンデミックによって多くの人が今までの生き方を考え直す事になったわけです。忙しい年末ですが、改めてこの1年を振り返ると「やっぱり時代が変わり、この流れはもう後戻りしないな」と思います。

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