半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

映画評論:ドラえもん、ポケモンなど

2017年08月31日 | 自分の時間
マイクロソフトがいい加減なことばかりやっているので、windows10は最近やたら不安定です

前はプリンターが消去されましたが、今度はマイクロソフトウェッジというものが動かなくなりました。

別に私は使っていないのですが、修復しようと思い、その時間がかかっている間、深夜になってしまいました

まだ終わらないので、暇つぶしに「映画評論」します


何の映画評論かっていうと、以下の3つのアニメです

「君の名は」
「ドラえもん:南極カチコチ大冒険」
「ポケモン:君に決めた」

の3つです。


さてさて、みなさん、どれが一番好きですか?


まずは、誰もが知っている「ドラえもん」について。

私は幼少の頃、映画館に毎回行っていたせいか、あるいは昔のドラえもんを知っているせいか、今のドラえもんの映画は「しょーもねーなー」と思ってしまうのです。

以前の作品のリメイク版はいいんです。
藤子不二雄Fさんの原作通りなので、キャラクターの言動に違和感が無いのです。

ところが、最近の監督が勝手に書いた新作ストーリーの映画は、てんでダメなのです。
昔から見ていた私としては、子ども達にも安心して見せられるアニメ映画ということで何回か連れていったのですが、何年か前にやった「宇宙英雄(スペースヒーローズ)」というのが、人生でワーストに入るクソ映画(言葉が汚くて失礼)だったのです

そこからモチベーションが下がってしまって、別に見に連れて行かなくてもいいや、と思うようになりました。

そして、たまたま夏休みの最後に「南極カチコチ大冒険」という一応最新作をdvdで子供たちが珍しく借りて来たので、一緒に見たのですが、「スペースヒーローズ」のように酷くはなかったのですが、やっぱり「これはドラえもんじゃないな」と思ってしまって興ざめしてしまいました。

藤子不二雄Fさんの「ジャイアン、スネ夫、しずかちゃん、のび太、ドラえもん」のキャラクター設定のバランスはものすごいと思うのです。
それぞれの性格、キャラクターがしっかりしているから、何十年も続いているわけです。
そして、そのキャラクターが映画になると、ちょびっと勇気を出したり成長したりするところ、そんなところがドラえもんの映画の魅力として必ず描かれていたのです。

乱暴もののジャイアンが、友情に命をかけるぐらい熱くなる。
弱っちいのび太が勇気を振り絞って、ちょっと活躍する。

などなど。

ところが、最近のやつは、どこかの宇宙から来た〇〇というのが危機に陥って、それをのび太を中心にドラえもんの秘密道具を使って解決する、というだけで、別に5人が揃っていなくていいのです。

ほんと、5人いなくてよいのです。

まず、しずかちゃんが全く活躍していない。

この場面でその行動はしずかちゃんはしないでしょうと思うところが多々あります。
それだったらしずかちゃんじゃなくても、誰でもよい、みたいな完全な脇役です。

「海底鬼岩城」のバギーちゃんとしずかちゃんの場面を覚えている人は、その場面で必ず泣いた人ですよね。

他のシリーズでも、さらわれてしまったり、何かあった時に勇気をもって進んだり、あるいは、優しくも強い姿が描かれたり、と一応唯一の女の子、ヒロインとしての何かしらの役割があるのですが、勝手に作った最近の映画にはそれが全くない。

「しずかちゃんが、ここで何も言わずにみんなと一緒に敵との戦いに入るはずがないじゃないか」とか、ついつい思ってしまうのです。

のびた君もそう。
あの弱い、泣き虫ののび太くんが、なぜかかっこうよくなる場面が出たりしますが、その過程で弱虫が勇気を振り絞って強くなる、みたいなちょっとした成長、勇気を藤子不二雄さんは必ず描いていました。

それが、最近のやつはなぜか最初から勇気をもって、リーダーシップをとっている。
のび太くんが最初からリーダーシップをとっているなんて、昔の映画ではありませんでした。

別にドラえもんファンではなく昔から映画やコロコロコミックなどで長年親しんだだけなのですが、ドラえもんが「こんなに変えられてしまったのか」と思うと、キャラクタービジネスのなりの果てというか、もう子供たちを連れていかなくていいや、という思いになってしまうのです


そんなことはさておき、ドラえもんと一緒に「君の名は」のdvdも借りて来たので、一緒に観ました。

「あの話題作」と思ってみましたが、なるほど、面白い設定だな~、ストーリーだな~、心に何か不思議な感覚が残る映画だな~、と素直に思いました。

ただ、あれほど何で売れたのだろう?とも

たまたまテレビで監督の前作の「秒速5センチメートル」という名前だったかの映画を観たことがあるのですが、それと方向性や心に残る感覚も同じです。

そういったのが好きな人は好きなんでしょうし、本当に独特の感性の監督なんだな~と思うのです。

でも、宮崎駿さんまではいかないし、バケモノの子やサマーウォーズでしたっけ、あの監督まではいかないと思うのです。

なんであんなに売れたのでしょうか?

青春ライトノベルを読んだ後の不思議な心地よい感覚が心に残る、そんな映画だと思うので、普通に売れてもおかしくないのですが、プロデューサーの力か、時世なんかなのでしょうね~。

監督の本当の力以上に、作品のメッセージ性以上に売れてしまったんだろうな、とついつい思ってしまいました。

つまり「また見たい」とまで思うものではなく、見て良かった、という映画の1つでした、私にとってはね。


最後にポケモンですが、まあ私はポケモン世代ではないのでピカチュウぐらいしかわからないのですが、最近、子どもがテレビを見ているので何となくわかってきた感じです。

で、前々作は映画チケットをもらったので観たのですが、「映像がきれいだな~」程度で、子どもに付き合って程度の感覚で終わりました。

ところが

今回の「君に決めた」は、私の映画史上10本の指に入るほどの名作だったのです

えぇ、私にとっては「ドラえもん」や「君の名は」よりも圧倒的に素晴らしい作品だったのです

ストーリーが素晴らしい。

映像も素晴らしい。

主人公の心の内を表す不思議な世界観も素晴らしい。

子どもが飽きないよう短い時間にテンポよく様々なストーリーを詰め込んだ構成力も素晴らしい。

そして、ピカチュウと主人公サトシとの友情の深さ、絆に大人の私もついつい映画で泣いてしまったのです

まさか、ポケモンで泣くとは思いませんでした。

そして、小学3年のわが子も「あの場面、涙が出ていたよ」と、子どもも初めて映画で泣いていました。

細かなことは抜きにして、昔のジャンプじゃないですが、友情、勇気、挑戦、自然の大きさ、命の尊さ、心の光と闇の部分、人が成長すること、などなど、あれは名作ですね、はい

以上、書き終えたにも関わらず、未だPCが直らず、困っている深夜でした。もう寝ます
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野口のタネ 野口さんの講演会

2017年08月26日 | 素敵な空間・イベント
土曜日、成田の古民家カフェ風楽さんで開催された固定種を扱う「野口のタネ」の野口さんの講演会に参加してきました。

野口さんは、結構有名な方で、特に自然栽培系の方はほとんど知っています。

何が特別化というと、固定種の種に特化している種屋さんなのです。

普通の人はわからないと思いますので、ちょっと解説をしますと、世の中には「種屋」というのがあります。

昔はどの村にも1つぐらいあったそうです。
戦前戦後は日本人の7割が何かしら自給用を含めて畑をしていました。

色々な野菜を作るわけですが、自分の畑で採取した種だけでは、やりきれないのです。

例えば、大根などの種は大きくてとりやすいですが、人参は細かくて吹けば飛ぶような種なので、採取が面倒くさいわけです。

そういった種、そして肥料など農業に必要な資材なども扱う「種屋」があちこちにありました。

ところが、どの業界も同じですが、タキイ、サカタといった大きな種屋が増えていき、また、ホームセンターなどでも種が売られるようになり、町の酒屋さん、豆腐屋さんと同じで種屋もつぶれていきました。

ちなみに、酒屋が種屋もやっている、なんてのも普通にありました。

まあ、そんなことで、今残っている種屋さんは、純粋な種屋さんは少ないと思います。
成田の農業地帯の大栄地区にある種屋さんは、種を売ったり、種を蒔く代行をしたり、あるいは人参の収獲を代行したり、あるいは肥料を売ったり、ビニールハウスを建てたり、という農業全般の何でも屋さんみたいになって繁盛しています。

そんな種屋さんが扱っているのはF1と呼ばれる1代交雑種がほとんどです。

メンデルの法則というのを昔聞いたことがあるでしょうか?

純血のものを交雑させると、その1代に限って、それぞれの雄、雌の親の強いところが現れて、種として強いものが生まれる傾向がある、というものです。

人間も血筋が近い結婚は良くないと言われます。
ワンちゃんも純血種同士よりは雑種の方が生命力が強いと言われています。

それを食べ物にも応用しています。

みなさんが食べている豚肉なども、美味しいと言われているものは大体がF1です。

三元豚と言われているのがそうで、AとBという間に生まれたCという豚とDという豚の間に言われたEという豚はとても美味しいのです。
でもEとEを交配させても同じEは生まれない、というものです。
だから、わざわざ手間をかけて交雑をさせて美味しい豚を作ります。

その野菜版ですね。

野菜はどんなものでも原則、花を咲かせて種をつけます。
その種をとってまた蒔いて、出て来たものの中で、より良い株、つまり大きかったり形が良かったり、味が良かったり生育が良かったり、虫にやられなかったり、病気に強かったり、といったものを選んでまた蒔いて、というのを代々その土地で繰り返してきたものを「在来種」と言います。

三浦大根、練馬大根、あるいは種ではないですが地域に根差したものとして種子島の安納芋なんかもその類です。

ところが、F1という技術が出てきたので、それと逆のものとして、地元の農家がやってきたのをよりきちんと選抜して種としての特徴を固定化したのを「固定種」と呼ぶようになりました。

だから、野口さんの話では、在来種というのが普通にあった。ところが種屋がF1というのを作り出したので、その反対のものとして固定種という名前を使うようになった、と言います。

そして種屋も昔は固定種がほとんどでしたが、F1が増えていきました。

その理由の1つに日本人の几帳面さがあります。

例えば、AとBをかけあわせるとCという割れにくい見た目もすっきりした人参が出来る、とわかると、1つ1つ受粉をさせるために、Aがもともともっている雄しべをとって自分の雄しべの花粉が雌しべにつかないようにし、Bの雄しべをAの雌しべにピンセットでつけて受粉させる、といった細かい作業をしてCというF1=一代交雑種を作るようになりました。

いちいち花を開いて雄しべをピンセットでとる、なんてこと、日本人ぐらいしかできない、やらないですよね?

日本のお家芸とも言われていて、世界の最先端の技術でもありました。

特に、地域の野菜を地域で食べていた戦後はまだしも、1950年代の農薬・化学肥料の普及、1960年代以降の高度経済成長で流通が始まり、都心部に野菜を運ぶようになってからは、割れにくいのが一番重要で、次に規格、次に見た目、次に病気になりにくいもの、というものを作っていきました。


ところが、このF1の作り方は大変なわけです

そんな中で、何千本かに1本、雄しべがない花が咲くものを見つかったのです。
いわゆる人間でいえば無精子症の野菜で、雄しべが無いので雄しべをとる手間がなくなり、とても楽になるので、この無精子症、専門用語で雄性不稔というものを使った種がここ数十年で一気に普及していることを野口さんは問題視していました。

植物の雄性不稔もミトコンドリア異常だそうで、動物の無精子症もミトコンドリア異常が原因だそうです。

植物と動物の垣根を越えてミトコンドリア異常が伝わって人間も無精子症になるのか?

真実はわかりませんが、良く昔は環境ホルモンでオスがメス化するとさわがれていたのが、実はそのホルモンを一番含有するのがワカメなどの海藻だとわかって、それが原因でメス化が進んでいるという議論はぴったりと止まり、環境ホルモン問題もぴったりと止まったそうです。

今、流通している野菜の半数以上が雄性不稔を使ったF1、つまり雄しべがつかないものからとった種を使っているそうです。

なんでこんなことになったのか?

一番は消費者が割れていない、見た目の良い、大きさも均一の野菜を求めているからです。

専業農家さんがF1を使うのは消費者が求めているからなのです。

そのように消費者を教育したのは流通ですが、もともとの日本人のそういったものを求める嗜好もあるかもしれません。

でも、戦前戦後は、例えば人参は割れているのが当たり前、サツマイモなども曲がっているのが当たり前、という前提で売る側も買う側もいたといいます。

さてさて、この雄性不稔のF1問題、今後どのように影響が広がっていくのでしょうか?

今のところ固定種は家庭菜園など向きかもしれません。
野口さんも「家庭菜園用のタネ屋」という表現を使っていました。
そして「いつまでも固定種の種屋があるからと思って安心していたらダメ。うちで買ってもいいけど、一度買ったらそのタネを自分たちで採ってください。いつか私達も店をたたむ時がくる。その時は、みなさんが持っている種が今後につなげるものになるのだから」とも。

私の畑でもミニトマトや大根、シソのこぼれ種が毎年芽を出し、育っています。
もうちょっと在来種を蒔いてみようかな、と思った講演会でした。
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まともな体力

2017年08月24日 | 自分の時間
昨日も一昨日も暑かったです


3年前ぐらいに体調を大きく崩して、単に普通の生活をして心拍を上げるだけで苦しいという時もありましたが、この1~2年、少しずつ体力が回復してきています。

農業関係をやっていると、一般の人より屋外でお日様の下で作業をすることも多く、「明日は農作業の日だな、だいじょうぶかな?」と心配して過ごしていました。

多少、体力が回復してきてからも、「まあ、倒れても2~3日で回復するだろうから、週末のイベントには何とかなるかな」など、日常的に体を心配しながら生きていましたし、それはそれで結構つらいものなんですよね。

ただ、今年は多少なりとも人並みの体力に戻って来た感があります。

もっとも、一昨日は、久々に暑くなった中で2時間ぐらい息をハアハアさせる農作業をしたら、熱中症気味になってしまいました

そして昨日は暑い中、3時間、ハウスの中で作業。
簡単な作業なので良かったのですが、それでも体力は結構奪われたし暑かったです。

それでも今日は普通に朝に起きれる

体力がある程度戻ってきたのかな、有難いな~、と思います


人並みの体力がないと、精神面も弱ります。

何かのイベント、飲み会、遠くへの外出も「体調は大丈夫かな?」と心配になります。

それが今年はあまり心配しなくて活動出来ています。

有難いな~と思います。


体調を大きく崩したり病気になってみないとわからないことはあると思います。

特に、最近の世の中は、結構そういった人が多くて「私も体調を崩したことがあるんです」という人がいます。

また、「そういった時に食べることのありがたさを感じたんです」といって、農業関係の道へ足を踏み入れる人もいます。


今や2人に1人はガンになり、3人に1人はガンで死ぬ時代です。

また、昔は脳卒中、それも寒い中でトイレやお風呂で倒れる脳溢血で亡くなられる方が多かったそうですが、今は脳卒中というのは脳梗塞、つまり、血管が詰まって無くなられる方の方が増えました。

団塊の世代、60代で亡くなる人も多いと言います。

仕事をしていた人が退職して生活リズムが変わり、病気になったり。
あるいは、若い頃のツケが溜まって何かしらの病気になる人が多いです。


「私は健康ですよ」と言う人って、なかなかいないと思います。

そう思うと、農家さんは凄いです。

昨日も眼鏡の話になったのですが、私も含めた若手3人が眼鏡。

60~66歳の他のメンバーは全員裸眼。
「最近、老眼で目が見えねぇよな」とぼやくぐらいです

そして「まあ、二日酔いという病気があるぞ(笑)」といってみんなで「そりゃ病気じゃないぞ(笑)」とガハガハ笑ってました

農家はどんなに暑くても毎日野良仕事。

昨日も「今日は暑かったね」「なんだよお前、暑くなさそうじゃねぇか(笑)」といったやりとりです

そう思うと、一般的に10人に1人ぐらいしか「健康」と言えないとしたならば、専業でずっとやってきた農家さんは半分以上が健康な気がします。
それってすごいことじゃありませんか?

なんだかんだいって食べ物、運動、そして自然に合わせて生きている暮らしが一番なんだな~と思います。


私もボチボチだったのがようやく人並みに戻ってきたのかな、と思いますが、油断せず、気を保ちながらきちんと体つくり、自然との調和した生活をしていきたいと思う今日この頃です
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食と命の教室:クモやカマキリの役割

2017年08月20日 | 農的体験・生活
今月の「食と命の教室」もひたすらスイカを食べ、夏野菜を収穫し、ヒマワリとゴマを見学する、という感じで過ごしましたが、午前は「田んぼの草切り」をやりました。

田んぼは今は収獲シーズンです。

ただ、高柳さんの田んぼは無農薬栽培ですので、どうしても草が出ます。

特に、紙マルチで草を抑えるようになってからは、紙マルチの継ぎ目のようなところはちょうど1列に草がザ~っと生えるのです

そんなところを稲をかきわけ、10人ぐらいの人手でやると、1時間で1枚の草がほぼなくなるんですね。

農業は人手だとつくづく思います


そんな田んぼの行き帰り、ある参加者が「クモってなんでクモの巣を張っているのですかね?あれで虫をひっかけて何をしているんですかね?」と聞いてきたのです。

最初は質問の意味が分からなかったので「えっ、どういう意味ですか?」と聞き返したほどです。

つまり、クモが巣を張って虫を捕まえて、それを食べるということ自体を知らなかったんですね。

ちょっとびっくりしました

その方は、もうお子さんが高校か大学生ぐらいの方で、世間の事をあまり知らなかった、でも勉強し始めたら色々わかり始めて、という方で、この教室にも参加して下さっているのですが、ある意味、純粋なわけです。

「クモの存在する意味っていうか、役割って何かわからなかったんですね。でも、この前、教えてもらって、虫を取ってくれるんだと知ったんです」
という話も。

虫と取ってくれるというのは人間側から見た勝手な見解なわけですが、それにしても、クモの巣が捕獲するためのものということを知らないという方に初めて会ったので、カマキリなどの話もしたら、「カマキリって、虫を捕まえて食べるんですか?」という反応

ということで、カマキリやクモやカエルなどは「捕食生物」で、虫などを捕まえて食べて生きているという事、バッタなどは草を食べて生きている(この方はこのことも知りませんでした)ということなどをお話ししました。

そして、「春の芽吹き、そして葉っぱが出てくる頃に、芋虫が出てきて葉っぱを食べ、花が咲くころにチョウチョが飛び交い、チョウチョやバッタなどが出てくると捕食動物のクモやカマキリが卵から孵って出てくるんですよ。自然の流れと言うか順番がちゃんとあって、すごいですよね~」と私もお話ししながら、久々に自分の言っていることをかみしめました。

世の中には男の子というか、私達からみれば当たり前と思っていることを知らない方がいるいうこと。
でも、そういった方がいるからこそ、こちらも当たり前のことの意味を改めて再確認出来る、と思いました。

全ての生物の最終目的は次世代に命をつなぐこと。

そのために食べるもの、食べられるもの、生態系があって自然の大きな流れに属しているということ。

人間も自然の一部であって、他の生き物のおかげで生かして頂いていること。

カマキリやクモにも役割があって、何かしらの外敵になる一方で何かしらに益をもたらしているということ。

人間もそうですし、生き物もすべてが持ちつもたれつ、ということなんですよね。

な~んていうことを、ふと思った今月の教室でした

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お盆です

2017年08月13日 | 自分の時間
お盆です。

うちの親父は岩手から出て来たので、墓は無く、家に仏壇も無かったため、あまりお盆っぽいことをしたことはありませんでした。
お墓も無いので、結婚した後に岩手に墓参りにいったぐらいで、我が家にとって、お盆やお墓や仏壇と言うのは生活の中にありませんでした。

しかし、親父が亡くなり、初めて自宅に小さな仏壇が来て、また母と一緒にお墓を買って、ようやく仏壇でチンチンしたり、お墓参りをするという生活が始まりました。

自分は別にどうと思っていなかったのですが、子ども達が亡き親父に対して語り掛けている風景を見ていると、お墓参りはいいもんだな、仏壇がきちんと家にあるのはいいもんだな、と思えるようになってきました。

高柳さんと出会い、また農村に暮らす農家さんを見ると、迎え火でお墓まで迎えにいって、家で灯をともし、親族が集まり、また送り火でお墓に送るというのが当たり前です。

我が家は玄関の前で火をつけて迎え火をするのはやっていただけなので、「あの人たちは提灯をもって何しているんだろう?」と思ったものです。
当初は、迎え火を持ってお墓に行く、なんていうことは全く知りませんでした。

そんなこんなで、農村の生活を垣間見、昔の日本人の生き方に思いを馳せ、このあと何年生きるかはわからないけど仏壇のお世話をする母を見て、「子どもや孫がきちんとお墓参りをし、仏壇にお供えをし、供養をしてくれている姿を見て育つと、子どもはもちろん無くなる親世代もある意味安心して暮らせるんじゃないか」と思いました。

先祖の事を思い、自分もいつかあちらに行く。
自分が供養をし、子供たちも孫たちも供養する。
その生活の中に自分がいるわけだから、いつかあちらに行っても、子ども達や孫達が引き続き供養をしてくれる。
そして、お盆にはかえってきてみんなで楽しく過ごせる。

こんな感覚が、ようやく私に芽生えてきました。

東京にいた頃には、まったくもってこんなことを考えることはありませんでした。

でも、先祖代々仏壇があり、お盆行事を繰り返してきた日本人にとっては、当たり前の感覚だったんだろうな~と。


高柳さんが良く言う言葉を思い出します。

「俺らは歴史の通過点にいるだけだ。遠いご先祖様がこの辺を開拓して田畑を作り、それを代々継いできた。それをたまたま今使わせてもらっているだけで、自分のものなんて思ったことは無い。次の世代に渡していくもので、せめて自分の代で汚さずせめて受け取った時と同じぐらい、ちょっとはきれいにして渡せていけたらな、と思う。家だって建てたら6世代ぐらいは住むものなんだよ。こんな感覚、今の人にはわからないよね?」

農家さんは、田畑がある分、歴史の中に自分がいるということが生活と一体となっていますよね。

高柳さんがこんなことを言うのも思い出します。
「戦後、日本は宗教も農業を教えなくなった。そして日本は工業の国である、資源がないから貿易で食っていかなくてはならない、という教育をした。世界を歩いてみれば、農業を大事にしない国はないし、自国の宗教を大事にしない国はない。政治についても話しあうことが大事であって、そのものを話すこと自体が政治的と思われる国なんて、日本だけだよ」

世界を旅したことがある方は、高柳さんの言っていることがわかると思います。

「お盆を大切にしなさい」と学校も会社も当たり前にしている、というのは戦前まであったと思います。
「正月とお盆ぐらいは」といって、丁稚の小僧さんも実家へ帰らせてくれていたわけです。
今はお盆でも仕事をしているのが当たり前になりました。

なんでこうなってしまったのか?
確かに、戦後にGHQのために、日本の伝統文化や生き方を教えなくなったというのはあると思います。

8月は戦争の特集が多いで、ちょっと話を戦後の教育のお話に脱線します。
今の時期「戦争は良くない」ということを悲惨さを伝える番組は多いですが、一方で「国は家族を守るために命を捨てた特攻隊」や「命を懸けた兵隊さん」の話は美談扱いされてなかなかメディアには出ません。

私も「特攻」などは極限の状態にならない限り、あり得ない、と思っていますが、でも、本当にそうなった時に、「国や家族のために命を捨てる」という覚悟が出来るとすれば、多分、それは日本人的な「ご先祖様と自分は繋がっている」という感覚が強く持てていたからなんだろうな、と思うのです。

アメリカを始め、連合国からみれば「どうして死ぬとわかっているのに命を捨てて戦えるのか?」と日本人の理解に苦しんだと言います。
「菊と刀」という、敵国の日本を理解するために、日本の文化や宗教や生活を分析していた調査員のアメリカ人が、戦後に書いた本を呼んだことがあります。

例えば、特攻というのは欧米人には理解が出来ません。負けるのがわかっていれば、投降して捕虜になるのが当たり前です。
しかし日本人は自分の命を惜しまない、なんでなんだ?と。
そこで、徹底的に調査をした。すると日本人は「先祖と自分の魂が繋がっている考えている」その行動様式として「お盆やお彼岸というのがある」ということが次々とわかってきます。

アメリカは200年も経っていない国でしたから、先祖代々のお墓があって、その地域に根差し、ご先祖様を祀るという事の意味がわからないわけです。
ましてや、魂がお盆の時に帰ってきて、そのために食べ物やお酒を供物としてささげ、見えない魂に語り掛ける、なんていうことは「クレージー」としか思えなかったわけです。

昔、日本人に帰化した小泉八雲が教え子の日本人とお盆や魂の話になって、こんなやりとりをしました。
「本当に魂がそこに帰ってきていると思っているの?」
「肉体は滅んでも魂は不滅だと思っているの?」
「君の魂と先祖の魂が繋がっていると思っているの?」
全てが理解不能であって、「本当に本気で思っているのかい?我々欧米人には理解ができないな」と。

そしてこう言ったのです。
「魂が繋がっているという感覚があるんだろうな、というのは頭ではわかる。でもそれは我々にとっては古代ローマ時代に先祖の魂を迎えて食事を用意する風習があった、という知識の話なんだ。たぶんそれは、親の親のそのまた親の代から、生活の中で仏壇に手を合わすといったことを繰り返して行って来て感情や感覚の継承が行われてきたんだと思う。我々にはその感覚や感情まではわからないんだ」

欧米人にとっては大体こんな感じだったのでしょう。
長い歴史に根付いた伝統文化が日本人の中にあって、それが「魂は永遠に不滅」という「霊魂不滅信仰」になっている、ということをアメリカ軍部は学んでいったわけです。

アメリカの元軍人の本などに良く書いていますが「日本人の兵隊は本当に優秀だった。敬意をもって戦った」というほど。

全員が全員人格者ではないでしょうし、本当に心も体も磨かれた優秀な人材は前半でかなり戦死してしまったそうですが、それにしても、「世界一優秀で、強く、おとなしく、熱狂しやすい民族」と分析された日本人の「根本的な強さの原因」は「歴史に根付いた伝統文化」、つまり日本人的な生き方だったと。

なので、例えば、単に投降を呼びかける時も、当初は「力による圧倒的な差」を見せつけ、命が惜しければ投降しなさい、というものだったのが、「国や家族を救うために、あなたの力が必要」という日本人的な生き方に沿った呼びかけに変わっていったと言います。

そして、戦後、「あの世界一恐ろしかった日本が二度とアメリカに戦争をしないように」ということで、みなさんご存知のWGIP(War Guilt Information Program)が出来て、洗脳をし、かつての日本の教育をリセットしたわけです。


そんなことで、お盆というのは日本人にとって当たり前のことである、という教育はされず、都市部では廃れていったんだと思います。


高柳さんが「農業を教えなくなった」という意味は、多分、普通の人にはピンと来ないと思います。

でも、フランスやアメリカやドイツの農業地帯、あるいはイタリアなどは「食べ物は大事」ということを、きちんと学校や大人が教えます。

日本は教えませんよね?
社会科の1つとして知識としてデータとして教えることぐらいです。
農業を「経済行為」として捉えることはあっても、日本人は山の神様が田の神様になって降りてきて、1年の五穀豊穣を祈って…というお話しや、お盆やお彼岸の意味は教えません。

農村地帯では当たり前すぎることなのですが、都会では教えないと伝わらないことになってきてしまっていると思います。


人にとって一番の不幸は孤独であることだと思います。

誰とも繋がっていない感覚、そして自分は何者でもないという感覚は人を不安に陥れると思います。
これが都会的近代的生き方。

一方で、自分はご先祖様とつながっていて、今、命をもらって現生を生きている、という感覚が小さい頃から生活で染みついていたら、自分の存在を根拠なく信じられると思います。
農家さん達の周りでは「そろそろ俺もあの世へ行く番だ」と笑い話で良く出ますが、死ぬことも自然の一部であり、単に自然へ還るだけのこと、という感覚が、私達以上にあります。

それは仏教的な教えでもいいし、神道的な魂のつながり感でも何でもいいと思います。
生活の中で先祖の事を考え、形だけでも行事を行う。
それだけでも、人の生き方は変わるんじゃないか、と思うお盆です。

久々に時間が出来たので、長文で失礼しました
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夏休み特別企画!竹水鉄砲に流しそーめんに竹細工などなど

2017年08月12日 | 農的体験・生活
お盆です。

夏はいつも比較的のんびりしていて、暑さに負けないよう無理せず過ごしています。

しかし、今年は7月に持ち上がった夏休み特別企画を一気に稼働させるために、通常業務とあわせて走り抜けてきた感があります

というのも、7月27,28日と海に行き、翌日29日が「食と命の教室」。
唯一30日を子供たちと過ごした後は、8月4,5,6と3日連続イベントがあるため、週の前半に一気に仕事をやり、3日間のイベントを終えた後は、今度は10,11日とこれまた連続でイベントがあったため、週の前半に一気に仕事をやり、とまあ、慌ただしく過ごしてきました。

お盆に入り、ようやくホッと一息をついている感じなのです。

で、その特別に企画したイベントは、まあ色々な条件があって、私の感覚で満足頂くために知恵を絞った結果、まあ盛りだくさんの内容になりました

顧客満足度は色々あった問題を除去していいならば、120%だったでしょう

1週目に1回、そして2週目の10日、11日と連続でやりましたが、今回は竹をキーワードにしたため、私も事前準備も合わせて100回以上、竹を切りました。

そして竹の性質はもちろん、運営など色々なことを学ぶことが出来ました。

まず、1つが竹水鉄砲。
昔は子ども達が作っていたであろう竹の水鉄砲は、プレパークなどでやったことがあるのですが、自分で作ったのは初めて。
特に10日にちぎれてしまったところもあって、修繕を加えて、20本近く、きちんと揃えました。

この竹水鉄砲で遊ぼうということを思いついたのですが、作ってみてわかったのは、多分、今どきの子は単にこれを渡したら遊べないだろうな、ということ。

道具としてきちんとしているのは力がいるし、ゆるいのは水が漏れるし、対象年齢に合わせた作り込みと、何よりも最近の連射式のプラスチックの水鉄砲に成れている子ども達には、運営上の盛り上げやヘルプが必要だな、と。

で、案の定、大人が上手く引き込むと超盛り上がるんですね。

また、3回やってわかったことは「昔の子は、自分にあった最強のツールを作るためにカスタマイズしていたんだろうな~」ということ。
買って来たもので遊ばず、自分で作るもので遊んでいた時代は、さぞこういったものを作るスキルが高かったんだろうな~と


こんな竹水鉄砲をもって、集まったみなさんとまずは実施場所へジャングルのような場所を抜けてレッツゴー

途中、栗が落ちているのでまずみんな興奮
まあどこにでもあるものですが、普段見ていない子はもちろん、子どもだったら楽しいですよね~


また、ノコギリクワガタも落ちていて、拾った子は本当にうれしそうで、逆に拾えなかった子はくすぶっていました


木に結んだロープでブランコも大人気


そして、竹水鉄砲
作成にかなりの労力を使ったので、子ども達には遊んでもらいたかったのですが、今回は子ども達の過半数がはまってくれて、みんなでびちょびちょで1時間で1日分ぐらい遊びまくった、というほど濃密な時間を過ごしました{


びっちょびちょになった後はみょうがの収獲もしてみんなで流しそーめんへ。


そのために、竹で箸とコップ作りをしましたが、これまたお父さんだけでなくお母さん達もはまるんですね~。
箸作りもコツがいるのですが、使える分にはそこそこ簡単にできるものなんです。


そして各自で作った箸とコップで流しそーめん。
盛り上がらないわけがありません


準備、そして午前の野外活動と竹細工までが私のパートで、午後はお友達の織&染の先生のちかこ先生が泥染めを教えてくれました。
私も1度やらせてもらったのですが、泥といってもカラフルな色が多く、こんなにきれいになるもんなんですね~


一方、2時間座っていられない子ど達は、ちょくちょく脱走して、亀で遊んでいました


私はお片付けやお掃除をした後、余った時間で竹トンボ作り。
作るだけなら小刀一本あれば出来るもんですね~


そうこうしていると染物が出来上がり、みんな品評会
きれいですね~。


これでもうお腹いっぱいと思いきや、じつはスイカ割りも用意してあるんです
スイカ割りはも私流の盛り上げ方があって、小さな子どもから大人まで存分に楽しんでもらいましたよ~


そしてみんなで美味しく頂きました


もう盛りだくさんで詰め込み過ぎじゃないか、と思ったのですが、参加者からは「子ども達が飽きる前に次のプログラムがあって、その流れが良かったです」とか「1日たっぷり遊びつくした、と思ってもまだ半日しかたっていない、というほど濃密でした」とか、まあおほめの言葉を沢山頂きました

いつもは根本さんのところはフリーの時間が多く、比較的プレパーク的な要素があったのですが、今回のようにプログラムをきちんと組んで、出来る範囲で子供たちの自由な時間や場所も作る、というパターンも出来なくはないのかな、と。

いくつかあったご要望も踏まえて、今後もまた企画を煮詰めていこうと思っています。

とにもかくにも、この夏の大きな山場を無事に終えられ、そしてお盆を迎えられるということは有難いことですよね
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もうすぐお盆

2017年08月10日 | 自分の時間
台風の影響もあってか水曜日はとても暑かったですね。

今年は7月頭に暑さのピークが来ましたが、7月後半の梅雨明けとともに朝晩が涼しい日もあって「秋のようだね」なんて会話をすることもありました。しかし、またこの暑さ。体調管理だけは十分にして過ごして参りましょうね・

 さて、そろそろお盆です。お盆になると、この辺の田舎では家族揃ってお墓に提灯を持ってご先祖様をお迎えにいきます。

 私も初めて見た時は「何をしているんだろう?」と思いましたが、昔ながらの風習なんですね。
提灯を灯しながらご先祖様を家に連れて帰り、お盆の間は家で一緒に過ごしてもらいます。家には盆棚を作り、畑でとれた野菜を中心にお供えします。特に新盆がある時は、お寺の住職を呼んだり、親戚や故人に縁が深かった人がお見舞いに来てくれます。

 この前、おかげさま農場のメンバーが「うちの地域は120戸あるけど、新盆は1つだけで今年は少ないな」と言っていました。
新盆が少ないという感覚は私には無いのでちょっと驚いたのですが、地域に根ざして生きてきて、親族も同じ地域に沢山いて、また昔からの仲間も沢山いて、70歳近くとなるとそういった感じになるんだな~と思いました。

 高柳さんが良くこんな話をしてくれます。
「誰だかわからないけど、1000年以上前にこの辺りをとんでもない苦労をして開墾して田畑を作ってくれたから、ここに人が定住出来たんだ。そういった田んぼや畑をご先祖様が代々守って継いできてくれたから、今、俺らの代で使わせてもらっている。家だって150年ぐらいは住むのが普通だから、6世代ぐらいは使うわけだ。だから土地も家も次世代に渡していくもので、俺らのものなんてちっとも思ったことがない。ただ歴史の通過点でちょっと使わせてもらっているだけなんだよ。だからご先祖様に対して感謝の気持ちも湧くし、次世代に少しでもちゃんとした状態で引き継いでいこうと思う。こういった感覚は今の若い人や都会の人にはわからないだろ?」

 私もこういったお話は「お話」として聞いてきましたが、長年、ご一緒させて頂いていると、少しずつ実感がわいてきます。

 ご先祖様のことを思い、遠いご先祖様から命が繋がってきて自分の命があるということを考えると、生かして頂いていることへの感謝の気持ちが湧いてくる。これはちょっと前の日本人の生き方の根本、人生を通す1本の柱だったんだと思います。

 元気で生きているだけで素晴らしい。元気で生きていることこそが幸せ。
 
 今のような忙しい社会だからこそ、そんなことに思いを馳せることが出来るお盆は大切な伝統行事ですよね。
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