半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

コーチング時代の仲間との繋がり

2012年01月29日 | 素敵な人・友人との時間
もう10年ぐらい前になるコーチング時代の仲間と、ご縁が再び繋がりました


1つが、「育自の魔法」をやっている「ひとみさん」との繋がりです。


普段、子供と一緒にいるお母さんは、色々溜め込みがちです。

しかし、「子育て」から意識を離して、自分に矢印を向ける時間をもつこと、自分の持っているギフトに気づくことは、ものすごいエネルギーを生み出します。

夫に対する妻という役割、子供に対するママという役割。「奥さん」「○○ちゃんのママ」という呼ばれ方より、自分のファーストネームで呼び合う関係は、お母さん達にとって嬉しい関係です。

でも、もっと深く、一人の自分と向き合ってくれる鏡のような相手がいると、自分のことを語っているだけなのに涙があふれます。認知してくれる人がいること、自分の存在をそのまま受け止めてくれる存在がいること、そういった場は本当にパワフルです。

そんな「育自の魔法」というワークショップを成田で開催します
「育児」ではなく「育自」なのがミソ。

4月ぐらいを目途に、計画を練っていきます。

ちなみに、これっていつも会社と家庭を行ったり来たりの男性にとっても、必要な場だと個人的には思っています


もう1つのご縁は、同じくコーチング仲間の「のりこさん」のお知り合いが、八街で「農園」を始めたという知らせ。好奇心がむくむくと沸き、紹介をお願いしたら、早速会う機会ができました


全くどんなところかわからなかったのですが、HPをみて、現地に行ってみたら、体験者にとってあらゆるものが見事に整えてある農園でした

その農園がこちら→八街ふれ愛オーガニックファームです。


ご本業の関係か、代表の山本さんは、儲けより「喜ばれる場」を作ろうという思いに燃えていました
そして、スタッフの人も、いかにも良い人って感じです

昨年お邪魔した和郷園のTHE FARMも凄かったけど、山本さんのファームも至れりつくせり。

野菜を楽しく育て、収穫し、その美味しさに驚き、さらに自然を満喫したい人にはぴったりだと思います。


時代の流れで、どんどんいろいろな形で農に参画してくる人、企業が増えています。

それが1つになるだけで、繋がるだけで、日本の農村地帯はものすごく活性化するのにな~。


複雑に入り組んだ農業界、だからこそ、「農村コーディネーター」を勝手に標榜している私の存在価値もある

帰りの夜空は、成田のニュータウン内では見られないほど星が輝いていました


なお、こちらのオーガニックファームさん、「農場責任者」を探しているそうです

2町歩の圃場があり、それを管理できる経験・スキルがある人がいたら、ご紹介しますので是非お問い合わせください
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小泉循環農場へ!

2012年01月28日 | 農的体験・生活
本日、ついに念願の小泉循環農場へ行って参りました

「みみず物語」という本で衝撃を受け(詳しくは→コチラ)、昨年、ご縁があった農家さんからご紹介いただいて電話をするも、原発事故後というタイミングだったので、会えずじまいでした。

そんな小泉さんから今年になって「時間ができたから」とお電話を頂き、本日、お邪魔させて頂きました


小泉さんは、成田闘争の時に小泉よねさんというおばあちゃんに養子入りした方。詳しくは割愛しますが、激動の時代を成田で過ごされてきた方です。

その後、ワンパックという無農薬野菜の配達グループを立ち上げるも、化学物質過敏症のお客様に出会うなどしたことから、「堆肥や肥料はその地域で取れた落ち葉や米糠などを使って、外からは何も持ち込まない循環農業」を目指し、独立されました。


本日は、週に1度のお休みということで、農作業は無く、色々なお話をお聞かせいただきました。

そのお話を聞いて思ったことを3つにまとめてみます。


1つは「化学物質が溢れている世の中」だということ。

小泉さんが動物性堆肥などを使わないに至った背景には、化学物質過敏症の方の影響が強かったと言います。詳しくは「みみず物語」に書いてあります。

農薬や化学肥料がだめというレベルではなく、有機農業で作られた野菜でも、動物性堆肥に入っているわずかな化学物質にも過敏に反応してしまう消費者がいるんです。

家畜が食べるエサは抗生物質や農薬、ポストハーベスト(収穫後の防かび剤など)などが含まれています。これをいくら堆肥化しても、それを使った野菜では「食べれない」という人が存在するのです。

こういった方は、新聞紙が野菜ボックスに入っているだけで、食べられない、という人です。新聞のインクが野菜と触れているだけで、もう受け付けられません。


実は、私の奥さんのママ友も、小泉さんのところの野菜をとっています。お子さんがアレルギーを持っており、野菜も小泉さんのところなら食べられる、卵も小泉さんのところのものだったら大丈夫だった、ということからです。

野菜でありませんが、以前、成田に住んでいたある方は、子供に普段食べさせていないマックをつきあいで食べさせたら、子供が吐いてしまったそうです。


今では「化学物質過敏症」という言葉がありますが、昔は、そういった人は「あなたがおかしい」と言われて「精神科に行きなさい」としかお医者さんに言われなかったそうです。


化学合成添加物、排気ガス、多くの環境ホルモン、色々なものが世の中には溢れています。アレルギーは「原因不明」なわけですが、それの多くは「化学物質が積み重なって」身体がSOSを発しているという話は、直感的に頷けます。


小泉さんは、5町歩(東京ドーム約1個分)の畑のうち1/3は緑肥などで作物は作りません。また堆肥となる落ち葉をかきあつめるために、同じく5町歩ほどの山を借りて、山の手入れのアルバイトも雇っています。トータルで地代だけでも年間100万は優に超すといいます。

「有機農業はただでさえ大変なのに、それに加えて落ち葉はき、堆肥作り、マルチを使わない分の草取りなどがさらに加わって余計大変。だからこんなことやる人は他にはいないんだ」と小泉さんは言います。

しかし、そんな小泉さんが作る野菜があるからこそ、救われる消費者が何百人もいるのですね。


2つめが、「支えあう関係」です。

成田闘争時代から、小泉さんの野菜をとってきたお客さんがいます。つまり、30年以上、親子で小泉さんの野菜を食べ続けているのです。

生協の立ち上げメンバーでもあり、屈強なパワフルなおばちゃん達がそういったお客さんだそうです。原発問題があろうと「うちは小泉さんのところのを買うから」といって買い続けています。

実際、原発後、数え切れないぐらいの応援のお手紙を頂いたそうです。


また、被災地に野菜が余るたびに小泉さんは野菜を送っているそうです。そんなことをお客様向けのレターに書いただけで「送料もかかるだろうから」といって、カンパをしてくれるお客さんがいるそうです。

野菜の放射能測定には費用がかかるので、それを書こうと思ったそうですが、もし書いたら必要以上の寄付が集まると思って、あえて書かなかったそうです。

本当の意味で支え会う関係ができている、そんな農家さんと消費者のモデルを見た気がしました。


3つめは、やはり「放射線汚染の影響」です。

原発によって多くのお客様が「西日本の野菜」へシフトしました。

特に無農薬の野菜を求める健康志向の高いお客様は、農薬や化学肥料より放射能の方が危険と判断するのは当然といえば当然です。

小泉さんのところも、2割弱のお客様が減りました。しかし、驚いたのは、そのスタンスです。

私の知っている範囲では、農家さんはどちらかというと東電への憤りを示しても、放射能の危険性についてはあまり語りません。


しかし、小泉さんは、オーガニックショップのGAIAさんから機械を借りて、野菜を検出限界値2ベクレル(Bq)で測っています。

実際、サツマイモをふかしてくださったのですが、「このサツマイモは4ベクレル(Bq)だけど、子供じゃなければ大丈夫なレベルだと思うよ」と言うのです。

落ち葉も測り、堆肥も測り、細かく調べています。


そして、お孫さんが土遊びをするのに、わざわざ山からきれいな土を持ってきて遊ばせるそうです。野菜の貯蔵用などに掘った穴を測定したら、中の方は0.03μSvぐらいだったので、「穴の中で遊びなさい」と言っているそうです。


例えば、30ベクレル(Bq)ぐらいは「高いね」と言います。


また、小泉さんのお米でも10ベクレル(Bq)/kgでたそうです。県がやっている検査は20ベクレル(Bq)が検出限界ですので、お米は20ベクレル(Bq)以上だった市川市だけ値が出ました。

しかし市川市以外はNDだったわけですが、あくまで20ベクレル(Bq)が検出限界の計測でNDであって、実際は小泉さんが作ったお米は10ベクレル(Bq)はあるということがわかっているので、今食べているお米は、一昨年のお米と混ぜて「薄めて」食べているそうです。


わかる範囲で細かく数値を出した上で、「子供には危険性がある」「今は大丈夫でもゆくゆくどんな影響がでるかわからない」というスタンスでいます。


その背景には、化学物質過敏症のお客様と何十年もつきあってきたからでしょう。

「広島の原爆でも、実際、原爆症になった人とならなかった人の決定的な差はわからなく、最後は個人差。化学物質過敏症も個人差が大きい。だから今回の線量もどうなのかは個人差で大きく変わると思う」


最後に堆肥場と畑を見せてもらいました。

堆肥は、落ち葉と糠で作ります。


2~3週間目の堆肥ですが、とってもあったかく、フルーティーな甘い香りがしました。


ネギは、ぶんけつネギで、甘くて柔らかくて美味しいと評判のネギだそうです。


ほうれん草は、「サラダホウレン草と同じように食べれるよ」といわれました。実際、ガジガジしておらずとっても甘かったです。



小泉さんは、今まで出会ったことが無いような農家さんでした。

「自分が作った野菜を食べてくれるお客さんがいる。それで生活ができていることは幸せなことだよ」

ある意味、私が理想とする生き方をされている小泉さん。

80歳までは現役で働く意思をお持ちで、毎日筋トレもしているそうです。


お昼ごはんもご馳走になったのですが、全く農作業のお手伝いはしなかったので、今度はきちんと働いていただいたお野菜やお昼のご恩はお返ししようと思います

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本;学問のすすめ

2012年01月25日 | 素敵な本
もう1月も終わりですね。

正月に色々影響を受けたものは、トランジション・タウン、再々可能エネルギー、スティーブ・ジョブズのスピーチ、かつての自分のライフプラン、とありますが、もう1つ「学問のすすめ」という本があります。

ご存知、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」で始まる、福沢諭吉の大ベストセラーです。

この現代語訳版をかなり以前に買っていまして、なぜかふと気になり、正月読んでみました。

内容は、人によっては薄く感じたり断言調だな~、と感じるかもしれませんが、エッセンスを抜き取ると、現代にあてはまることが多々ありますし、TVの意味無いコメンテーターよりはよっぽど的を得ていると思います。100年前の本であるのにも関わらず。

例えば、明治政府が樹立したばかりで下手すると列強に飲み込まれてしまうという危機感がある時代であったからこそ、「ミドルクラス(中流階級)こそが、私利私欲のための勉強ではなく、国に意見が言える勉強をするべき」と説いています。

リーダー不在と言われている今の日本をふまえると、「国民の気風が国家を作る」ですとか、「国がだめなのは、国民がだめだからだ」という論説は、現代にあてはめても、ごもっともと思います。

単に政権批判、政府批判をしているTVや、それに同調して愚痴ばっかり言っている人に一度読ませてあげたいです


ただ、私が一番「う~ん」と考えさせられたのは、第一章の「天は人の上にひとをつくらず、人の下に人をつくらず」に続く文章です。

・「智のある人」と「愚かな人」の差は「学ぶか学ばないかの差」

・天は富貴を人に与えるのではなく、その働きに与える。つまり、しっかり学問をして物事を良く知っている者が社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位も低い

・しかし、学問をしてちょっとした役人になって生活を安定させる程度になってはいけない

・ちゃんと学問をしたら、そういった組織に属さずとも、自分で生計を立てるぐらいのことは簡単にできる

・そういった立場になった上で、国などに堂々と意見を言えるような人になるべき。そういった実のある学問をするべき



確かに、私は好き勝手やるために今の立場になりましたが、生計が立てれるほど、今の分野で勉強をしているか?

いや、、、確かにしていない。


原発事故があった際、勉強はしたがそれは「放射性物質の人体に与える影響」について、政府などが発表している数値の定義、意味を解釈できる程度。

過去の歴史、政治的背景、そして何よりも代替エネルギーをどうするか?といったことについて、学んでいない。


これからの自分が思い描く社会、コミュニティー、あるいは思い描く家庭を築く勉学をしているか?

いや、、、思い先行で、基づく勉学をしていない。


福沢諭吉の言葉を借りると、真に勉強し、真に学んだとしたら、学者や専門家として仕事がいくらでもあるはず。

そうであれば、人と議論も出来、本も書け、生計を立てることは簡単に出来、その上で国家の為に働く、社会を良くするための仕事ができるはず。


そこまで勉強している?といわれると、「確かに、していない、、、」と反省したのです。


ちょどその頃に、アメリカの大企業のコンサルヲしていた「ブライアン・トレーシー」という人の文章を読みました。

彼は

「目標を達成するために必要なことは全て学んで身につけることができる」

と言います。

そして

・あなたより賢い人はいないし、優れている人もいません。

・どのようなビジネススキル、セールススキル、そしてお金を儲けるためのスキルであっても学ぶことができます。

・今、それぞれの分野において第一人者と呼ばれる人でも、誰しもかつては素人でした。

・たとえトップの地位にいる人々であっても、以前一度もその分野にいたことがなかったり、その分野の存在さえしらなかった人々だったりするのです。


という言葉を記しています。


「学問のススメ」。人によって関心を持つ箇所、影響の受け方が違うでしょうが、私は「勉強しようという気持が強く沸いたのでした。

みなさんは、どんな勉強していますか?
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雪♪

2012年01月24日 | 素敵な家族・子供との時間
雪です

昨夜は子供を「もしかしたら、明日は雪が積もっているかもよ~」とワクワクさせながら眠らせましたが、夜、お風呂に入っていると窓からボタ雪が降っている影が見えました。

「おっ、もしかしたら積もるかも

と思いながら私も眠りにつきました。

そして、朝

見事、1~2㎝は雪が積もっていました


いつもは車で奥さんがお見送りする幼稚園に送るのですが、子供が雪とじゃれ遊びたい気持ちを抑えるのはもったいない


奥さんは車で行こうとしましたが、都合よく車の扉が凍ってそうは簡単に開かなかったので、徒歩で行くことになりました~

「子供と行き遊びをできるのは今しかない

そう思った私は、仕事が始まる時間ぎりぎりまで一緒にお見送りに歩いていきました


いつもなら10分ぐらいで到着する道ですが、キラキラ光る雪と歓声をあげる子供たちと一緒に、自分も童心に帰って歓声をあげていました


樹の上に積もった雪が朝日を浴びて溶け始めながらキラキラ光っているのは何とも幻想的できれいでした

途中、小さな雪だるまを作ったり、小山がある芝生公園の傾斜でスベリ台のようにお尻をつけてすべって、手も足も冷たくなりながら爆笑したり

雪合戦をしたり


遅刻しそうでしたが、幼稚園からも「無理して急いで来ないように」という連絡があったのを良いことに、「遅刻してもいいじゃん雪なんて滅多に降らないんだから」と妻にいい、短い時間でしたがたっぷり満喫しました

わずかな時間でしたが、写真を撮るのを忘れるほど、とっても楽しい時間をすごせて楽しかったです。


ちなみに、私も遅刻しそうになり、幼稚園まで見送ることはできず、途中で引き返したのでした
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永島敏行さんとのパネルディスカッション

2012年01月22日 | 素敵な空間・イベント
本日は、成田市が主催で、成田市農業大使の永島敏行さんの「講演会」&「パネルディスカッション」&「農業団体者の意見交流会」に参加してきました


寒空の中、冷たい雨も降るという天候で、もしかしたらお客さんの数は少ないかも?と思っていたら、意外や120~130人ぐらい集まっていて、結構盛況でした。


ご縁あって、私もパネラーの1人として呼ばれて参加したのですが、以前の仕事で講師として話したことはありますが、一般市民相手に一般市民の立場でパネラーとして話すのは初めて。

かなりこういったのはご無沙汰しているので、心臓はバクバク
新入社員の頃と同様、緊張しまくりでしたが、昔取った杵柄のせいか、自分が話す時だけは緊張はせず口が動いていました


興味深かったのは、第一部の永島さんの講演会での永島さんの幼少期の話と、第三部の農業関係者のお話でした。


まず、永島さんの講演会の幼少の頃のお話。

永島さんは蘇我近くが実家だそうで、海は遊び場だったそうです。
当時は東京湾は6kmほど続く遠浅の海で、足の指先を熊手の代わりにしてひっかくと、親子で1日で60kg袋満杯になるほど、あさり、はまぐり、時には赤貝や青柳などがとれたそうです。

また、風が強い日は海苔が飛んでしまっているので、それを良くくすねていたそうです

海辺が近い子供達にとって、東京湾は「遊び場」としても「食糧を獲る場」としても生活に密着していたんですね~


また、第三部の農業関係のディスカッションでは、色々な立場の方のお話が聞けました。

成田市は平成18年の合併があったためでしょうが、成田市農政課と関係があるJAは、成田市のJAだけでなく、かとり西部のJAと2つあるようです。ということで、主にこの2つのJAの方々が来ていました。


また、いわゆるご年配の方々と若手農家さんの違い、畑作農家と稲作農家の違いも出ていました。


町の活性化を考えて「直売所」を推進しようとしているご年配の方。

稲作を何十町歩もやっているが将来の販路が不安な若手農家。

直売は努力すれば出来る話だが、それは個人が努力すれば出来ることであって、それよりも東京市場の30%以上のシェアを占めるほど大量のさつまいもを将来的により市場価値を高めるためにどうするか?市場流通のことを考えなければいけない、という若手農家。

ご自身は100町歩ぐらいの田んぼをやっていて、法人化し、半分は米を作って業者に売り、半分はホールクロップという牧草などを植えて助成金で米を売るのと同様の額をもらっているため、「正直、直売は面倒くさくてやっていられない」という農家さん。


色々な立場、年齢、作物があって、それぞれ意見が違うのは当然といえば当然。農政が一筋縄でいかない難しさ、現場のしがらみ、それぞれの立場が、たった1時間ほどのディスカッションでしたが垣間見ることができました。


市場流通はこれからも必要な機能で、「生産地」として「消費者地」に供給していく務めがあります。とても大切です。

そんな消費地を支える生産地では、あと10年は「ご年配の方」が現役であり、若手農家としては、今すぐ「大規模経営」がしたくてもすぐには出来ません。しかし、あと10年したら多くの諸先輩方が耕作を止めた田畑を引き受ける宿命をよくわかっています。既に市場流通の仕組みや組織が出来上がっている中で、どのように舵取りをするか、今すぐ動けないけど、10年後には大規模経営になっている自分たちの農業のあり方を必死に考えています。


一方、最近の新規就農者にとっては「顔が見える農家さん」を求める消費者向けに「直売」を志す方々も多いです。
これはこれで、新しい農のあり方であり、新しい潮流です。


それぞれが必要性があり、それぞれの機能があるから日本の農はもっているわけです。


それぞれの農業への関わり方を、現在から10年後にどう繋げていくか?
その「ビジョン」に答えは無く、1人1人、1つ1つの組織が模索しなければいけない。だからこそ、考えて自分の生き方を見つめられるワクワクする時代、だと思います。
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スティーブ・ジョブス メッセージ

2012年01月21日 | 自分の時間
先週にみたスティーブ・ジョブズさんのメッセージ、その後、頭の中にこびりついています。

→YOU TUBEはコチラ

年始に「言葉」を大切につむいでいこうと思ったので、吸収した言葉を1つ1つ繋げながら生きています。


字幕に出ていた言葉と、理解できる英語の音声を聞きながら色々思いながら生きています。

未来を見据えて点と点を繋げることはできなかった
しかし、10年後に振り返ると、とてもハッキリ見えることなんです。
未来に先回りして点と点を繋ぐことはできない。
君たちにできることは、過去を振り返って繋げることだけなんだ。
だから、点と点が何らかの形で繋がると信じなければいけない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから信じるのです。

歩む道の点と点がどこかで繋がると信じれば、自身を持って思うがままに生きることができる。

たとえ人と違う道を歩んでも、信じることがすべてを変えてくれるんです。



「10年後」を思うようになりました。

2002年と2012年は大きく変わりました。
日本の経済成長も、ベンチャーブームも、中国やインドなども、また農村に対する潮流も、原発と再生可能エネルギーも。

「終身雇用」という言葉は、多くの企業で無くなりました。
まだ私の同世代は「今は会社で頑張って、老後は田舎に帰って」という生き方が多いのですが、今の20代で早くから田舎の魅力に気づいた人たちは、生き生きしています。

これから10年後、今から未来をはっきり見ることはできないけど、今の思いに従って生きていることが、10年後の自分に繋がっていることは確信しています。

世界における日本の経済ポジションはさらに低くなり、中国、インド、ブラジルといった諸国が上を行き、世界人口は80億に達し、水とエネルギーと食料の熾烈な競争が激化し、日本では食料とエネルギーを海外から勝ち取る力はなく、あえて国内自給の道筋が見えているかもしれません。

高齢化社会に入り、お金がある人はより都市部に集中し、どんどん経済格差は広がるでしょう。でも、世界に打って出ていく志を持っている人、ビジネスで社会に貢献し雇用を生み出す人はそれでも日本の活力の源となっていて、一方で、国内でもんもんとしている人、職が無く困っている人、悩んだ末40代で田舎に帰る人、それでも明るく元気に生きる人、と色々な生き方をしている人がいるでしょう。大学卒業して会社入って、定年まで働いて、っていう時代は「へ~、そんな時代があったんですね」と若い人たちが言っている時代になっているでしょう。

そんな中、私は地方だからこそ出来る生活を促せるコミュニティーを作っておきたい。そこに居たい。
そして、「金はないけど飯と住むところはあるから誰でもおいで」と言える存在になっていたいな~。
世界からはウーファーを招いて、国際交流もできる拠点を作っておけたらうれしい。


人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。
私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。
君たちも自分たちが好きなことを見つけなければなりません。

それは仕事で恋愛でも同じこと。

これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのならば、進む道はただ一つ、

それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。
さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。
もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。
心の問題と同じで、見つかった時にわかるものだし、
愛する仕事というのは、人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。
だから、探し続けること。落ち着いてはいけないのです。



「目指す生活ビジョン」があるから、生きていけている私。
不安とワクワクが混じりあいながらの人生だけど、いつ死んでも後悔しないよう生きているつもり。

今しか味わえない子供との時間。ケンカが絶えないけど奥さんや母との時間。そして知り合えた農家さんやこれから出会う人たち。

自分の生活のことばっかり見ていると、縮こまる生き方になっちゃうけど、目指すべき生活、コミュニティー、社会を思うと、ワクワクして仕方ない。そんな生活をこれからも送っていきたいと思います。




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子供と幼稚園とお母さん

2012年01月19日 | 素敵な空間・イベント
木曜日、今日はお休みを頂いて子供の「保育参観」がありました。


今の私は貧乏ですが、保育参観に参加できる調整がきく身分です

そんな身分を活かして、子供が幼稚園でどんな過ごし方をしているのか、参加してみました。


寒空の下、久々に歩きながら子供と幼稚園に向かう桜並木。
「入園式の時は、桜がみんな咲いていたね~」と勝手に感慨にふけりながら登園する時間は、至福の時ですよね


そして、いよいよ授業開始

普段、聞いていた「お当番さん」のやり方、お歌の時間、そして先生とのやりとりを見ながら「あ~、ここはパラダイスだな~。子供が持つパワーは本当にすごいな~」と本当に嬉しく楽しく幸せな時間でした

担任の先生、クラスのお友達、幼稚園のすべてが「本当にありがたい」と思えました。


そして親子でお歌や福笑いをした後、子供は他の教室に行き、今度は先生と参加した親とだけでの時間です。

あと2か月ちょっとで年中さんも終わりということで、最近の子供の状況を一人ずつ簡単に報告しあう会となりました。


そこでは、お母さんの子供を思う気持ちが赤裸々に語られていました。子供の変化や成長を、自分のことのようにとらえて、心から心配し、心から感謝している。その気持ちが伝わってきました。


父親というのは仕事が優先ですから、普段は「お母さんや子供からの報告」や、「休みの日の子供の姿」しか知らないわけです。
だから、子供が成長していることは、素直に「うれしい」わけです。

一方で、普段子供に接している母親は、子供を叱ったり、イライラしたり、そんな自分に自己嫌悪したり、というのがありながらも、子供をずっと接して生活してきているのです。

だからこそ、子供のことについて、父親以上に深く深く入りこんでいる。だから単に「うれしい」だけでなく、父親以上の思いがこもっているのです。

その姿を見ることができて、子供の幼稚園の姿を見れてうれしかったのと同じレベルで、この保育参観に参加してよかった、と思いました


例えば、以下のような発言があったのですが、感極まって涙するお母さんが何人もいました。

「年少の頃は、落ち着きが無く1つのことが出来ず、あれこれと次々放ったらかしで、好きなことばかりやっていたのに、今では落ち着いて1つのことを集中してできるようになったんです」

「仲良しだったお友達と離れてしまって、最初は元気がなかったのが、夏の頃から幼稚園が楽しいと言い出して」

「家ではお山の大将だったのが、幼稚園に入ったときは鼻をへし折られたようで、うちの子の本来の姿じゃない気がしていたのが、最近は友達のことを考えられる余裕が出てきて、本当に成長したと思います」


文字だけをとると、当たり前のようですよね?

これを父親だったら冷静にしゃべれるわけです。

しかし、母親は違います。

こういったことを「感極まって、涙を流しながら語る」んです。

これは、その現場にいないとなかなか父親はイメージできないと思います。


お母さんは、本当に頑張って子育てをしています。

そして、子供のことを本当によく思っている。

多分、子供が小さい内は、なんだかんだいって母と子はお互い同化しているんでしょうね。


キーキーしたり、優しくなったり、喜怒哀楽がお父さん以上に激しいお母さん。でも、だからこそ、心から子供を愛しているんですね~。

お父さんは、そんなお母さんとして頑張っている奥様を、よ~く認知しなければいけませんね


お母さんの普段の姿からは見れない姿を見れた、とっても貴重な時間を過ごせました

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嬉しい知らせ!

2012年01月18日 | 素敵な人・友人との時間
今日は、嬉しい知らせが2つありました

1つが、「小泉循環農場」の小泉さんからの連絡です。

小泉さんとは、「みみず物語」という本を書いた人です。
以前、詳しくブログに書きました→コチラ

空港反対運動から成田に入った方で、地元の小泉ヨネさんに養子入りし、有機農業を行い、途中から自然農法に近い農業に転換し、山の幸を取り、廃鶏を飼い、昔ながらの生活をしている農家さん、それが小泉さんです。

といっても私は会ったことは無く、この本を2009年12月に読んでから、「お近くにいらっしゃるんだからいつか会うぞ」と思っていました。

そして、ひょんなことから、昨年、仕事でお会いした農家さんが「小泉さん会いたいの?じゃあ、紹介してあげるから」といって電話番号を教えてくれたのです

ところが、その頃は、原発の影響が続いている5月だったので、小泉さんも突然の電話に受け答えして下さったものの、色々やることがあってお忙しく、お会いするお約束はできませんでした。

私は何に対しても無理をせず、「流れ」や「ご縁」に任せる生き方をしていきたいと思っていたので、「今はタイミングじゃないんだな。またいつが必要な時にお会いできるはず」と思っていました。


そんな感じで、その後は全く連絡もとっておらず、昨年たった突然1本の電話を入れただけの見ず知らずの私に、本日、なんと小泉さんご自身から「落ち着いたので、良かったら来ていいですよ」という電話があったのです


なんとありがたいことか。昨年の電話を覚えていて下さったこと、電話番号を控えていて下さったこと、そして、本当に落ち着いたということでご連絡を下さったこと。なんとありがたいことでしょう。


再来週の土曜日、ついにお会いしに行ってきます。ワクワクドキドキです



そして、もう1つ、おかげさま農場の高柳さんから、「何かイベントやってみっか」という言葉を頂いたのです

おかげさま農場は、成田周辺の有機農業をやっているグループとしては中心的存在の1つです。
前職でお知り合いになってから、その懐の深さに、たまにお邪魔するようになっており、昨年もお邪魔しています。(詳しくは→コチラ


先週土曜日の「第4の革命」に高柳さんも来ていたので、ご挨拶だけしたのですが、近況報告や諸々のご意見をお伺いしようとしてお邪魔しました。


耕作放棄地でソーラーパネルの設置が可能性については、当然ですが投下資金が問題のようです。

また、その他色々お話の中で、いつものように私が自分の想いを率直にお伝えしていたところ、高柳さんが「そういったことを消費者は求めているのかね?だったら、何かイベントやってみっか」というお言葉を頂いたのです

プロ農家集団のおかげさま農場で、しかも代表の高柳さんのところで、手間がかかる消費者向けイベントをやるのはとても大変なことです。

ただ、かつては大学生などに1泊2日で自給的生活の「場」を提供したこともある高柳さん。原発事故があり、取引も減った状況であるのにもかかわらず、こういったお申し出を頂いて、無茶苦茶嬉しかったです

油は菜種やひまわりの種を搾り自給し、小麦粉も自給し、お米も自給し、野菜も当然自給し、合鴨農法で鴨肉も自給し、味噌も作り、水道が止まった時のために山の沢の水を竹で作った水路で家の前までひき、薪を蓄え、かつての「当たり前の生活」を復活させています。

農村にあった文化や伝統、知恵をまだ知っている高柳さんから、日本人としてほんの数十年前、日本がいかに美しい農村文化をもっていて、いかに地域コミュニティーが機能し、世界にまれにみる文化や生活様式をもっていたか。

田畑を歩きながらどうしてこういった地域に集落があったのかといったお話を聞き、有機農業を長年やってきたその考え方、想いを聞き、土作りがされた畑で収穫し、お米は薪で炊き、肉が欲しければ鶏をさばいて(殺して)命を頂くという本質的な体験をすることも可能です。

企画を煮詰めた上で、みんなの農村ネットワークのHPに概要をアップしたいと思います。


こういったこと、関心ある人、いますか?


私はずっとやってきたかったことの1つです。

大栄ICからすぐのところにあるおかげさま農場。アクセスも抜群。
何より、この地域の有機農業の精神的存在の高柳さんと、ざっくばらんにあってお話しできること自体、物凄い価値があると思います。

1泊2日です。子供も参加可能。夜は酒を飲みながら語り合いましょう
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お勉強しましょう

2012年01月15日 | 自分の時間
一昨日、「第4の革命」という映画に行ってきました。

で、知り合いが教えてくれた資源エネルギー庁のHPで、全国のイオンで再生エネルギーの認知を広げる30分タウントークみたいのがやっていて、たまたま本日成田のイオンでやっているのを知ったので、仕事の合間に行って来ました。

内容は、、、でした
要するに、「7月から再生可能エネルギーの買取が始まるから電気代があがるのを理解してね」ということを、かる~いノリで伝えるだけでした→コチラ


さて、以前の私を振り返ると、以前、世界一周のピースボートに乗っているときは、田中優さんとか、ナマケモノクラブとか、フェアトレードとかありましたが、正直、全くと言っていいほど関心がありませんでした

農的生活に想いを持ち始めてから、認知はしても、好き好んでというわけではありませんでした。


やっぱりきっかけは、原発ですね。


原発に対して全く関心を示さずに生きてきた私にとっては、昨年の原発事故は大きな思考転換をもたらしました。


私の中では感情的にも直感的にも、あれほど人を無残な死に追いやり、苦悩させ、そしてこれからも莫大な費用と膨大な人の生活を蝕み続ける事故を起こした原発、また、人類史上と比較すれば永久と思えるほど影響が続く核廃棄物を生成し続ける原発は「あってはならない」という結論がでました。

一方で、原発に「無関心」であったが故に、何にも考えずに普通に生きてきたことを大いに反省しました。

そして、子供が大きくなった時「2011年の事故があった後、どういった活動をしてきたの?」と聞かれて、最低限の答えができる生き方をしようと決めました。
4月2日のブログ


例えば、今、原発周辺に住む女の子が私達の前に現れて

「私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」

と言われたらどうしますか?

これは、私が昨年の3月19日のブログにリンクを貼った原発に携わってきた方のページに載っていたものです。

北海道泊原発の隣町での集会で女の子から出た質問です。

実際に読んで見てください。
   ↓
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html


いかに私達が子供達の未来を考えずに生きてきたのか、、、痛感する質問です。

これを見て、私は責任放棄(=無関心、問題放置)をしてきたことに気づきました。何も応える言葉を持っていない。。。


そのため、昨年は、「放射線の影響」について素人なりですが、下手な専門家よりはよっぽどわかりやすく伝えられるぐらい勉強しました。

自分で勝手ながら勉強会も開きました。

また、政治や国について「無関心」でいることの怖さを知り、首相官邸のメルマガをとったり、そういったニュースに関心を示すようになりました。


そして、子供達が大人になったとき、私達を許してくれるような社会を作る為に、「エコビレッジ」とか「トランジションタウン」などと一緒に、今年は「代替エネルギー」といわれている分野について勉強していこうと思っています。


「代替エネルギー」「再生可能エネルギー」「自然エネルギー」と色々呼び名はありますが、こういったものについて関心をもったのは、実は1週間ほど前のこと。

新年を迎えた後、ビジョンを模索している中で、勝手に尊敬する榎本さん(CTIジャパンというコーチ養成機関の創設者)のフェースブックの投稿記事を見返して、現在榎本さんが神奈川県藤野市で行っている「トランジションタウン」について「ピン」と来ました。

私の思い焦がれる生活って、こんなのじゃないの?と。

また、そこで「藤野電力→HPはコチラ」という電力も自給する活動が立ち上がったことを知ったからです。


今回の映画も、過去、CTIジャパンで知り合あった方が教えてくれました。


昨年3月から、とにかく勉強していこう、インプットして「今後、自分はどうするべきなのか?」を考えてきました。

そして、自分がやりたいと思っていることが、既に公で多くの方々が「トランジション運動」、あるいは、「ローカリゼーション運動」として行われています。


先見の明を持って率先垂範で活動してきた方々が、今やリーダーとして多くの人に認知されるようになってきました。

そして、昨年から、そういった時代環境、新しい潮流が目に見えてきました。

自分が作りたい地域コミュニティーのため、自分の送りたい生活を実現するため、楽しく生きて行くため、勉強していこうと思います。
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再生可能エネルギーの映画「第4の革命」

2012年01月14日 | 素敵な空間・イベント
「現在の電力は再生エネルギーで代替可能」という提唱する「第4の革命」という映画を見てきました。

日本で福島原発事故が起きたことをきっかけに、ドイツは原発脱却を国として決定しました。その意思決定に大きく影響を与えた映画と言われています。

二酸化炭素が地球規模の温暖化を招いていると警鐘したゴア元米国副大統領の「不都合の真実」に似た映画です。

HPはこちら→第4の革命


なんでこの映画に行ったかというと、2つの理由があります。


1つ目は、原発に頼らない自然エネルギーについて勉強したかったから。

昨年は「放射性物質の影響」を徹底的に調べましたが、今年は、違う段階として「エネルギー」について学ぼうと決めたからです。食べ物だけでなくエネルギーも自給できる生き方を考えるために、代替エネルギーについて今年は勉強していくつもりです。


2つめは、そういった活動をしている人を知り会いたかったから。


結果、映画を観にいったことで、顔見知りの方や新たな出会いもあり、また、自然エネルギーについても勉強ができたので行って良かったです。やはり行動することは重要ですね。


さて、この映画のポイントをまとめてみますと「グローバリゼーションの中における化石燃料を収益構造とするメジャーや経済活動」VS「ローカリゼーションの中における自然エネルギーシフトを進める活動家・市民」という構図で映画は作られています。

私なりにポイントを3つに絞ると
1:メジャーに依存し「国と大手電力会社が作るエネルギーを分けてもらう」というシステムから「地域で自給する」というシステムの転換をすること

2:国やメジャーは「既得権益」を優先するが、事実として「代替エネルギーで生活ができている地域、人がいること」、また、技術革新であと数年で「化石燃料によるエネルギーコスト」と同レベルのコストで「自然エネルギー」で発電が可能になるという情報を1人1人が知ること

3:代替エネルギーとなる自然エネルギーのある生活が、とてもワクワクする生活だということを知ること


です。


この映画を見ることで「自然エネルギーによる電気の自給を推進している人、半自給が出来ている建物、地域があるという事実」を知ることができます。

また、「技術革新」の話を聞くことで、「もし、5年後、あるいは10年後、電気自動車が今のガソリン車と同レベルの価格で当たり前になっていたとしたら社会はどうなるのだる?もし、各都道府県に2~3箇所は、電気を半自給出来ているコミュニティーが出来ていたらどうなるんだろう?」という想像が膨らみます。

すると、「ワクワクする未来」がイメージできます。


そして、こういった映画を見ると「出来るんだろうな」と確信がもてます。

実際、私の尊敬する方が神奈川県藤野市で、「トランジションタウン」というコミュニティーを作っており、ついに「藤野電力」というのも出来てしまいました
HPはコチラ→藤野電力


「実現できるであろう未来」「実現できるであろう社会」がイメージできると、人生楽しくなるもんです


自然エネルギーのビジョンをイメージできる、そんな機会として良い映画でした。


そして私のアクションとしては

1:まず、家庭でソーラーパネルを実際に作ってみる
→上記の藤野電力でワークショップをやっています。

2:先週、農林水産省が発表した「耕作放棄地の太陽光発電事業の助成」について勉強し、可能であれば推進していく

の2つをやっていこうと思います。


なお、映画の内容は備忘録として、以下映画の内容をまとめたので、ご関心がある方は読んでもらえればと思います。


■ビルや建物単位の電気の自給
・ロス、東京などの大都市の電力消費は、太陽光、風力、水力などの所謂「代替エネルギー」ではまかないきれないと言われている。
・しかし、ビルのガラスを全てソーラーパネルに替えれば、そのビルの電気代は賄えるのだけれど、そういった設計をコンセプトとしたビルはまだ無い。

・そんな中、ある自然エネルギー事業家が、自社ビル建設のコンペでデザイン性や使いやすさと同時に「エネルギー効率」を条件にしたビルを建てた。地下水をビル中にかけめぐらせるしかけでビル内の温度を年中一定にコントロールしたり、太陽光パネルを設置したり、省エネのPCを導入したり、食堂の残渣はバイオマスプラントにまわしたりといった設計で建て、1㎥の電力消費を一般家庭の1/10まで減らしたビルを建てた。設備も7年で償却可能という。

・数十年前に建てられたマンションでも、リフォームすることで、電気の40%が自給可能になる。また冷暖房費は0になる。

・「マイクロファイナンス」でノーベル平和賞をとったバングラディッシュの「グラミン銀行」がソーラー事業をやっている。各家庭を回り、簡単に取り付けられるソーラーパネルを設置したら、毎月、その費用を集金して回収するという仕組み。また、単に設置するだけでなく、「ソーラーパネルの仕組み」を理解してもらう講座を開設したり、ソーラーパネルを製造できる技術講座も開いている。これにより、地域で「仕事」も創造できている。アフリカのマリの活動家も業務提携して、発電所や送電線をひかずとも電気が自給できるように動き始めている。(アフリカは電気が無い生活を送っている人は人口の60%)

■技術革新による実現性
・電気自動車を作っているアメリカのテスラモーターズの社長は、あと2~3年で、電気自動車の量産化が可能と言っている。また数年でジャンボジェットまでとはいかないが普通の中距離飛行の飛行機の電力化が可能という。

・大きな化学式蓄電器を使うことで、ムラがある自然エネルギーを逐電し、80%を再利用できる研究も進んでいる。これにより例えば、電気自動車はそこから充電することで、燃料代はかからなくなる。また、すぐに充電したい場合は、蓄電池の電解溶液をガソリンのように入れ替えれば、すぐにフル充電できる。電解溶液は蓄電池でまた電解させれば良いだけ。

・規格が揃えば、例えば飲食店など昼や夜のピーク時は顧客の自動車から電気を分けてもらうという仕組みが出来る。そうすることで、店側の電力の消費量を抑えられる。

・中国ではこれから1000基の発電所(ほとんど石炭による火力発電所)が出来るといわれている。欧州が今まで作ってきた発電所とほぼ同数の発電所が中国であと10年ちょっとで出来る。既に二酸化炭素、大気汚染は深刻な問題になっているが、資源の問題を含め、さらに問題が深刻になることが予想されている。

・そんな中、中国のあるソーラーパネル事業家は、「技術革新で、あと3~5年したらソーラーパネルによる発電コスト(投資回収コスト)は現在の化石燃料によるコストと同レベルまで下がる。2020年までには、ソーラーパネルによる電力シェアは20%まで高められる」と断言している。


■国やメジャーの主張と反論
・1970年代にオイルショックがあり、100%エネルギー資源を輸入していたデンマークは、そこから風力発電、太陽光発電などに切り替えていった。結果、地域によっては、80%を自然エネルギーで自給できている。

・同じくアメリカカルフォニアでも自然エネルギーブームが起きたが、エクソンモービルやシェルなどのメジャーが政府と結託して、そのブームをつぶした。結果、膨大な風車が今もさびついたまま残されている。


・IEA(国際エネルギー機関)の担当者は、「代替エネルギーで現在の電力を賄うのは現実的でない。各国の報告からみても無理。しかし、二酸化炭素の問題は大きな問題で、今後の火力発電所は、多少コストがあがっても二酸化炭素をキャッチして、それを地中に保存する機能を付加する必要がある。またクリーンエネルギーとしての原発も推進するべき」という。

・一方、ある活動家は「代替エネルギーについて、既得権益者は、まだ早い、まだ無理、コストが高い、つなぎが必要だという。でも既にある自然エネルギーを使わずして何が他に「つなぎ」としてあるのか?あくまで既存の権益にしがみつくために、そういった主張をしているだけ。そこを見抜かなければいけない」と主張する

・また「二酸化炭素の問題ばかりをあげて原発推進をする人がいるが、廃棄物は10万年も残るもので、またテロや事故といったリスクを考えると、とても安心とはいえない。」とも。

・ロスアンジェルスの近くには砂漠があり、そこにメガソーラーパネルを設置すれば、ロスだって電気の自給が代替エネルギーで可能になる、という人もいる


こんな感じの内容でした。
コメント (1)
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