ここ数カ月、結構、東洋医学系の本を読んでいます。
もともと東京の会社で18時間360日働いていたのですが、リーマンショック後、経営陣としてリストラをしなくてはいけなかったり、達成しないと本気で会社が倒産する立場になり、病んでしまい、1週間休んだ時に、農村に出かけていったのが私の人生の転機でした。
また、農村生活に入り、体を動かすのが楽しいということで、朝から晩まで草刈りをやらせてもらって、夕方に頭が熱中症でガンガン痛いのが「気持ち良い」みたいな生活を送っていて、ある日、初めて頼まれた農家さんのところで頑張りすぎ、体そのものを壊しました。
それが未だに復活していないのですが、医者に3件ぐらいいっても「熱中症でしょ」とか「原因がわかりません」みたいなことで、まあどうにもならなかったわけです。
それから4~5年、毎日体調の事ばかりを考え、「今日は無事に1日動けるだろうか?」という暮らしでした。
何かイベントがあったり、飲み会などさえ体調次第で断る、みたいな感じだったのです。
それが、徐々に回復してきました。
そうとはいっても、まあ回復しきってはいないわけです。
そんなとこで、気功体操やら呼吸法やらちょびちょびかじっていたのですが、今年、漢方専門店に行ってみたのです。
そこの人は、本当なら私の体質を見るはずなのが、全く見ずに話だけ聞いて「心身症の類でしょう」ということで、頑張りすぎる性格がすべてに災いしている、ということで、よくわからない処方をされました。
ただ、確かにそれを飲んでいる時は、体調がすぐれていたのです。
しかし、高い
1日3服で1500円ぐらいで、20日間で3万ぐらいするわけです。
ただ、その先生は偏屈というか人の話を聞かない人で、「お金と体とどっちが大事なんだい」みたいな感じで、1カ月ちょっと分、服用しましたが、お金と先生の人柄の問題で止めました。
まあ、なんでも独学するのが好きな私は、その後、5冊ぐらい漢方本を読み、大体自分の症状などを把握できるようになりました。
漢方をちょっと頑張って勉強すると、西洋医学とは違うので面白いのです。
西洋はすべて「科学」が出発点です。
「科学」は「現象の原因をとらえる」のが基本で、頭が痛いなら頭の痛みを感じる物質を受容阻害する薬、ガンならそこを切除する、といった考え方です。
一方で、東洋医学、漢方などは「原因はさておき症状を診る」のが基本です。
頭がフラフラする、頭痛がする、というのは西洋医学では血液検査、MRIなどやって、血管が詰まっていなければ「まあ、大丈夫でしょう」となってしまう事が多い。
ところが、東洋医学、漢方は、極論を言えば原因がわからなくても「症状」を快方に向かわせることに力点を置きます。
それは、色々あるのですが、例えばドイツではホメオパシーが普通の医療行為としてあり、日本でも明治維新までは漢方が医療の中心であったので、本当は当たり前といえば当たり前のことです。
今もドイツではホメオパシー診療者の1/3は医師だそうです。
ちなみに、ホメオパシーというのは、例えば、頭が痛いとなったら、その頭を痛くする物質と同じものを薄めて服用することで、刺激を与えて同じ毒素を出す、見たいな考え方です。
春はフキノトウ、ヨモギなどの薬草が良いと言われていますが、それは薬草の苦みやアクなどが刺激となって、体が毒素を排出する力を高めるわけで、ホメオパシーもそんな考えと同じですね。
漢方もそういったところはあるのですが、中国医学、日本で発達した考え方など織り交ざって今の「漢方」になっていて、なかなか一筋縄では理解できません。
ただ、まずはその人の体質が虚か実か見て、気が充ち溢れすぎているのか、あるいは気が足りないのか、血の問題なのか、水の問題なのか、あるいは気などが停滞しているのか、といったことを「症状」で判断します。
これを「証」と言います。
良く足が冷える女性が多いのですが、それは気血が足りない場合もあれば、気血が上に上昇して上半身がほてっている場合もあったり、あるいは気血が足りないのではなく停滞して滞りが問題になっているのか、「証」を特定します。
私の母などは、4~5年前、よく「心臓がおかしい」といって救急車を呼んで困っていたのですが、結論としては西洋医学としては「全く問題なし」なのです。
ところが、漢方で言えば、精神的に不安定なって気持ちからくる狭心症やドキドキが起きる、という事はきちと証が定められていて、それ用の漢方もあります。
また、わが妻がここ数年、更年期障害で酷い状態ですが、ヒステリー、イライラしてしまう、体がほてる、といったまさに更年期障害特有の症状に対し、漢方はぴったりのものが沢山あります。
漢方も含めた東洋医学がもっともっと日本に復活、広がるといいな、と思っているのですが、最近、借りた本は「アーユルヴェーダ」系の本で、読んで「なるほど」と思うことがありました。
それは、漢方の虚と実に似ているのですが、「気」のような考え方で、「ヴァータ」という考え方があります。
この「ヴァータ」というのは、風、動き、といった意味らしいのですが、これは生命活動、精神活動、すべての原点で、これが少なくなると病む、あるいは過剰になると病む、といった考えです。
チベット、インド、スリランカなどの伝統的医師は、患者の立ち振る舞い、触診でこれを全て判断して「症状はこれですね」と言い当てると言います。
一番は脈診。
今も鍼の先生などは左右の脈をとって、ずれがないかなどを脈診する人がいますが、昔はもっと緻密で、脈を2分ぐらいじっくりとることで、その人の体の悪い所や症状を大体診断出来ていたそうです。
ただ、そこまでなるのは長い年月が必要で、まるで0.001mmの精度で金属を研磨する職人と同じように、微妙な脈の変化を感じられるような職人的な診断だったのでしょうね。
そして、特に「精神的疾患」が多い西洋、日本などの患者にとって、この解決策として「ヴァータ」の過剰を抑える診療がとても必要と、この本には書いてありました。
逆説的に、この伝統的な診療方法が未だに残っているインド、スリランカなどでは、精神疾患がまだ少ないのであまりもてはやされていないのですが、先進国の精神を病んでいる人たちにとって、この昔ながらの伝統医療がとても効果的だそうなのです。
面白いのが、これがドイツ人医師の本で、ドイツ人だけどインドやスリランカで勉強して開業し、来る患者は地元ではなく西洋や日本人が多いというのだから、精神的に病みやすいのは近代国家の人間なんだろうな、という事がわかります。
ただ、そういった人たちは、自国の西洋医学では匙を投げられた人たちばかりで、聞きつけてわざわざ来るそうで、しかしこういった人たちで「ヴァータ過剰」でない人はいなかった、そうです。
「ヴァータ」、つまり、インドとかあちらでいえば風、風力、ものごとを動かす力、という感じの意味らしいのですが、それが体で過剰になってくると、ある時、台風のようになってもう手がつけられなくなる、そうです。
そうすると、体の弱ったところにそれが集中して変調を来すそうです。
先進国の人で言えば、目の使い過ぎ、頭の使い過ぎ、心のストレス、そういったところが、自然界で生きていた頃と違って先進国の人は異常に使いすぎる、そしてその力が偏り過ぎておかしくなって、精神疾患になっていく、ということ。
中国や漢方などの「気」というのは、どちらかというと前向き、プラスの方向の力と言うニュアンスがあります。
例えば、気が亢進しすぎて眠れない、イライラする、ヒステリー、脳溢血、といった事はありますが、インドとかスリランカとかの「ヴァータ」という考えは、どちらかというと「動きの大きさ」という事を概念としているようです。
私も自分の体調で、例えば気が上に上がっているな、お腹に落とさないと、という事は最近、意識して出来るようになってきました。
ただ、「万物を動かす力そのもの」としての「ヴァータ」という概念は、「へ~」と思いましたし、こう考えると、中国の気功、日本の漢方、あるいはインドのアーユルヴェーダなど、それぞれ西洋の科学的分析から薬物や手術により治療をするという近代医学の前に長年各国であった伝統医療というのは、やはり奥深くてなんだか真理は大体繋がっているんだろうな~、面白いな~と思います。
まあ、これが昔の方法と思えるかもしれませんが、最先端企業のグーグルやアマゾンで、マインドフルネス、ムーブメントヨガなどが「仕事に集中し、社員の健康にも役に立つ」と積極的に取り入れられているそうです。
これを事を知った時、「何でも合理的に考える西洋の中でも、先進的な会社は、効果があるのであれば、東洋の考え方も取り入れるんだな」と思いました。
特に、欧米の方が「統合医療」といった考え方で、ヨガ、瞑想などを積極的に取り入れていてるそうです。
むしろ日本の方が医療の現場で東洋的なものはまだ導入が広がっていないというのは、何か皮肉なものです。
日本でも今は「マインドフルネス」が広がっていますが、もとは日本の「禅」であり、これが欧米にいって科学的裏付けをくっつけて「マインドフルネス」として逆輸入されてきています。
日本で生まれた「身土不二」という考え方がアメリカにいって「マクロビ」になり、今、日本に逆輸入されているのも同じですよね。
まあ、そんなことで、日本に伝わる民間療法としての自然療法などがありますが、漢方なども身につけることは、AIなどますますIT化が進んでいく時代に、むしろ必要になってくるんじゃないかな、と思う今日この頃です。