最近、グレタさんが話題になっています。
地球温暖化の環境運動家で、1人から始まった活動は、ネットの普及のおかげで世界各国に広がって、日本でも良く放映されていますね。
グレタさんを思うと、ちょっと前に、セヴァン・ズズキさんが有名になったのを思い出しますね。
生物学者で環境活動家のデヴィッド・スズキさんは日系カナダ人で、カナダでとても尊敬されている人物なのですが、その娘さんがセヴァンで、1992年にリオで開かれた環境サミットで、並み居る大人に対して12歳のセヴァンが「これ以上、地球を汚さないで下さい」と訴えたスピーチは世界的に有名になりました。
ただ、あの頃はアル・ゴアさんが地球温暖化の筆頭で動いていましたが、「地球温暖化」という言葉に対して「それはデータ的にも誤りだ」という論調もあり、「どちらがフェイクかわからない」といった状況が世間の考え方でした。
しかし、90年代にアメリカやオーストラリアの大陸で、ハリケーンや局部的集中豪雨、局部的大干ばつによる緑地の砂漠化が一気に広がり、2000年代に入ると、さらに各国にその環境問題が如実に現実となってきました。
そして日本もこの数年でようやくといったらおかしいのですが、世界と同じ流れで「局所的異常気象」が定着したように思えます。
そこでようやく、セヴァンが訴えたこと、あるいはアル・ゴアが「不都合の真実」という映画で訴えたことが、「本当らしい」という認知に変わり、今では「それは嘘だ」と言っていた各国々の代表も「それは事実としてある」と認めた上で、その前提の上で「でも経済発展の権利はある」と先進国vsいわゆる発展途上国の構造となっています。
日本は世界の潮流からすると遅れて異常気象がやってきた感じで、世界でトップレベルの環境破壊をしている国でもあるのにも関わらず、反省をする大人をあまり見る事はありませんでした。
ただ、少しずつ、ファッションなのかもしれませんが、環境問題にも動きだした企業や人が増えてきます。
じゃあ、私は?と言うと、私は原発から人生を変えた人で、環境問題についてグレタさんのような活動はしませんが、すべては「まずは己の生活をきちんとすることが、私の運動」という考えで生きています。
そういう思いを持った一番のきっかけは、「エコロジカルフットプリント」という言葉を知った時です。
この言葉を知った時に、私はものすごい衝撃を受けました。
もう何年も前のブログにも書いたと思いますが、今、私が主催している「食と命の教室」で配布している資料の一部を、以下、載せたいと思います。
「 「エコロジカル・フットプリント」という言葉はご存知でしょうか?10年ぐらい前に知ったこの言葉は、その後の私のライフスタイルに大きな影響を与えている言葉です。
簡単に言うと「今の生活水準を保つためにどれだけ地球が必要なのか」を指標化したものです。
食べ物を作る土地、それは野菜に限らず家畜を放牧する土地やそのエサを作る土地、そのエサを作るための肥料を作る土地。
魚だったら川や海、あるいは紙や木材、あるいは生き物が吐いたり輸送や生産活動で出す二酸化炭素を吸収するために必要な森林の量なども全て含んで、どのぐらいの土地が必要か?を計算したものです。
全世界で見ると、なんと既に地球を1.7個分を使っていることになり、既に地球の再生能力を超えてしまっているそうです。(ちなみにこの教室が始まった7年前は1.5個でしたので、どんどん増えています)
つまり、子孫から前借りをしていて、既にこのままいけば破綻することがわかっています。
そして、このエコロジカルフットプリントは、2030年には地球2個分になると言われています。
また、今の日本人の平均的な生活スタイルを世界各国の人がやったとすると、地球は3個あっても足りないそうです。(7年前は2個でしたから、この7年で日本人のエコロジカルフットプリントは1.5倍にも加速しているのです)
アメリカ人の平均的生活スタイルを世界各国の人がやったとすると、地球は5個あっても足りない計算となります。
よ~く考えてみると、とんでもない状態なんです。
もし、みなさんが「日本人の平均的生活水準レベルぐらいは、世界中の人もなるべきだ」、と思っているのであれば、地球は3個必要なぐらい破綻しても良いと考えている、ということになります。
つまり、自分が「日本の平均の生活」をしているのであれば、「地球を破綻に追い込む生活をしている」ということなんです。私は衝撃を受けました。
日本人の暮らしで言えば、例えば家畜飼料、小麦、大豆、石油、衣類の原料なども輸入品です。
木材も価格が安い海外の森林をばっさばっさと伐採したものを輸入しています。
これらの輸送に使うエネルギーも膨大になります。
私は自然素材と言われるパームオイルを作る現場をマレーシアで見たことがありますが、車で30分行ってもパームヤシの木だけ!そこを20年に1回ぐらい植え替えのために焼き尽くすそうです!そのCO2排出量は想像できないほどです。
日本の貨幣が他国より強いからといって、海外からたくさんの資源を使いながら日本の暮らしを作っているわけですが、貨幣の力の裏側で地球にものすごい負荷をかけている、あるいは他国の資源を安く買いたたいて自分たちは優雅に暮らしている、という事になるのです。
私の師匠の高柳さんは、「電化製品などは最近は修理すると新品を買うのと同じぐらいかかると言われてけど、出来るだけ俺は修理するな」という考え方に私は賛同していまして、例えば、我が家は未だにガラケーやブラウン管TVです(笑)
私たちの生活スタイルは子ども達のお手本になっているか自問自答すると、「物にも命がある」という思いを持ち、壊れたものは直し、新しいものより手元の物を最後まで使い切る、といった昔ながらの生活に少しでも戻ることはとても大切な気がします。」
まあ、こんな文章を配っています。
海外に行ったことがある人はわかると思いますが、日本ほど新品やきれいな物にこだわる国はありません。
例えば、車ならガムテープで壊れたところを貼って走っている国なんて結構ありますよね。
車だけでなく、何でも直して「使い切る」という生活を日本人は昔からしていたはずなのです。
それが、70年代以降から変わってしまって、簡単に言えば「日本の国土だけでは賄いきれない物資や土地や空気を世界からかき集めて暮らす」ようになりました。
例えば食べ物で言えば、畑で1/3捨てられ、流通で1/3捨てられ、食卓でも1/3は捨てられている、という、世界で最も廃棄が多い国になってしまいました。
また肉食が流行ったり、ビーガンが流行ったりしていますが、これも知性ある人から見れば「はしたない」と言われています。
ビーガンはベジタリアンより更に厳しい菜食主義者と思っている人がいるかと思いますが、そうではないです。
本当のビーガンは「動物の命を奪って私達の命を生き永らえさせて良いのか?」という所がスタート地点です。
高柳さんの所に来た22歳ぐらいの人で、「私は地球環境を考えた時、牧畜をするから広大な土地が必要という事がわかったのです。地球環境問題を考えた結果、自分の意志で肉食を止めたのです」という人がいました。
肉食というのは、例えば牛さんを放牧する土地だけでなく、その飼料となる穀物を作る土地も必要です。
そのために、アメリカで言えばサバンナが砂漠化したり、アフリカやアマゾンの土地が安く買われ、開拓され、不毛の大地となっていっています。
それは日本でイメージする「農家」ではなく、投機目的の「資本家」がやっているのです。
また、ビーガンでもっと突き詰めた人は「植物だって命なのでは?」という考えの結果、「木の実などしか食べない」という人達もいます。
昔は宗教がかって嫌煙されていましたが、ここ数年は日本でもビーガンが「変な人」と言われるより「おしゃれな人」という風潮に変わってきました。
ただ、本質的に「地球環境や人間の命優先で他の命を殺して良いのか」といった真理追及型の人は、日本では少ないと思います。
私はビーガンでもベジタリアンでもありませんが、せめて「昔の日本人のように物にも魂があるという思いをもって、最後まで使い切る」という事をなるべく実行しようと思っています。
テレビもそういう意味でブラウン管なのは、壊れないから買い替えないのです
それはさておき、「エコロジカルフットプリント」という概念を本気で考えれば、「せめて日本人は日本国土の中で生産できるものの範囲で生きていくべき」という、当たり前といえば当たりまえの考えに行きつくはずなのです。
そうすると、日本のものが安全安心という前に、地球や子孫の事を考えたら、グローバル経済にのっかって生きることよりローカル経済委の中で人は本来生きるべきだ、という「幸せの経済学」の思想に同感すると思うのです。
そして、今は、その「ローカリズム」が一番良いライフスタイルだ、という事に気づく人も増えて来ています。
「Think Global,Act Local」という恰好キャッチーな言葉がありますが、これが私の生きる指針の1つです。
ただ、そうは思っていたものの、何年か前のTEDで私の好きな人が「世界70億の人口の内、洗濯機を使える生活を送っているのはまだ20億だ」という話には衝撃を受けました。
世界の50億の人は、洗濯機が無い生活を送っている。
そして、私は洗濯機の無い生活に戻るのはきついな~と思うのです。
でも、全世界の人が洗濯機のある生活をしたら、それは「地球1個で人類が生活出来ない」状態を意味するのです。
もちろん、「科学とテクノロジーが解決する」という人もいます。そっちに人生をかける人もいるでしょう。
同じように「生活をスローダウンしよう。昔のように物を大事にする生活に戻ろう」という考え方も必要でしょう。
そして、家庭菜園など自分で食べ物を作ることも初めてみる人がもっと増えるべきだと思います。
いずれにしろ、今の環境破壊や地球温暖化はそうやすやすと問題解決策は無いのは誰もがわかっています。
じゃあどうするか?
グレタさんのように革命的に行動を起こせる人、つまりプロ運動家になれる人は世界を動かすインパクト力があると思います。
しかし、「私は、ああなれない」ではなく、世の中のほとんどの人が「自分の生活をどうするか」を自分なりに考えれば、それは立派な運動だと私は思います。
私はそう思って、農村コーディネーターを仕事にし、教育者を志しながら暮らしています。