半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

稲盛和夫 ごてやん「私を支えた母の教え」

2021年03月31日 | 素敵な本

今のNHK朝の連続テレビ小説は「おちょやん」ですが、それに似たタイトルの本があったので読んでみました

著者は稲盛和夫さんです。

私の世代でビジネスマンだった人は大体の人が知っていますが、今の若い人は知らないかな?

京セラを立ち上げ、携帯電話が出てDOCOMOが独占市場だった時に、DDIという会社を作って対抗。これは後にKDDと合併してauブランドのKDDIになったですが、その元を作った先駆けです。

そしてちょっと前には経営破綻したJALの再生を国から打診され、高齢ながら「奉仕の心=無給」で請負い再生させたことで有名ですかね。

ある意味「経営の神様」と呼ばれる人の1人で、「トヨタ方式のカイゼン」が世界的に広がった時代に、同じく稲盛さんの「アメーバ経営」も一世を風靡した方です。

また、仏道に入って僧籍も持っている方です。

で、本の内容は自分の人生を振り返ると「あの母がいたから自分がある」という事を追憶している内容です。

そして、ここからはネタバレになりますが、最後に「母は神様じゃないか」という話しになるのです。

私は「お~」と思いました。

どういうことかというと、結局、稲盛さんは高齢になって人生を振り返ると「母がいたから自分がある」という思いに尽きるということなのです。

それを幼少期の家族のドタバタ劇の中で母がどういった行動をとって自分はどうだったか、という事をエッセイのように書いているのですが、ここまで来て思う事は、この年になって「お母さん、お願いします」というように、「お母さん」を思い出すそうなのです。

そして、稲盛さんの言葉では、「人は何かあったら、神様、なんとかお願いします。とか、神様が見ている、とか、目には見えない偉大な存在である神様に心を向ける。そして私も何かあると『お母さん』と声に出している。これを考えると私の中ではお母さんも神様と同じ存在になっている。だからお母さんも神様なんだと気づいた」というような事を書いているのです。

これに「お~」と私は思ったのです。

以前も何度か書きましたが、読売新聞の特別編集委員の橋本五郎さんが、東北で一人暮らしをしていて、死ぬ間際に近所の人に「自分に何があっても五郎は今東京で頑張っているから呼ばないで下さい」と言って、後片付けで迷惑をかけないように身辺を整理し、ご近所さんにも自分が死んだ時の手配も終わらせ、亡くなってから連絡が入った」という事を語っていました。

これに私も感動を覚えたのですが、五郎さんは「母は本当に凄かった。そして母に恥じない生き方をしねばと思った」というような事を言っていたのです。

死して息子が人生をきちんと生きていく教えをしたわけです。

私はこういった話が好きで、だから原発事故があった時に「こんな無知で自分の事しか考えない親で子どもに申し訳ない。きちんとした大人にならねば」と思ったのですが、昭和の時代は女性より男性の方が経営者やメディア露出が多かったせいで、こういった逸話は男性目線のものが多く残っています。

なので、今、女性の方がこういった記事を読むと「女性を神格化している」とか「女性に結局は苦労して我慢して子育てをしろということなの!」という人が出てくるかもしれないので、あまりこういった事を堂々と書くのが難しい時代になったと思うのですが。

私は男性ですし、その1人の男としての私見ですので、女性を神格化するのはおかしい、という思いを持つ人からすれば、「それが良く無いんだ」とご指摘を受けてしまうかもしれませんが、私は「お母さんは神様だったのじゃないか」という稲森さんの話に「お~」と素直に感動したのです。

そして、子どもが老後に、「うちの親は神様と同じだったな~」と思ってもらえるなら、これはお父さんであっても「子どもからそんなことを思ってもらえるなんて、良かった」と涙しちゃうと思うのです。

例えば、この前、ファミリーマートの「お母さん食堂」というブランドのお総菜シリーズに対し、女子高校生のグループが「お母さんは食事を作るものというレッテルを貼っている」と抗議をしたというニュースを知りました。

そんなところまで注意される時代に入ったのか、と、「お母さん食堂」というネーミングでしんごちゃんがCMに出ているのを何とも思っていなかった世代の1人である私からすればびっくりしたのですが、まあ、女性差別だ、平等じゃない、という教育をしているのは大人であって、そう教育されてしまった若い子が出るのも仕方ないと思うのですが、もっと大事な事があるんじゃないかな~とも思ったりします。

人との対立、言葉を換えれば戦争というのは「価値観の違い」で起きるわけです。

国しかり、宗教がもっとも顕著ですが、世の中で一番大切なのは「みんなで生きていく」ことだと思うのです。

そうすると、例えば、私の時代はお茶くみ女性など会社に存在せず、ペットボトルのお茶を自分で買うのが当たり前なので、女性のお茶をくんでもらうとかえって恐縮してしまう世代なのですが、しかし、私の上の世代は「女性にお茶をくんでもらうと喜ぶ」というのを私は知っています。

また、私の知り合いの農家さんの奥さんは「旦那にお茶をつぐ」というのは当たり前で、私がお茶をつごうとしたり茶碗を洗おうとすると「そんなことを男がするんじゃないよ!」と叱られます。

つまり、世代によって、あるいは都市部か田舎によっても価値観は違うのです。

だから、田舎にいったら有り難くお茶をついでもらい、自分の家では自分がみんなのお茶をつげば良いだけです。郷には入れば郷に従え、です。

今回のお母さん食堂も、今、コンビニでご飯を買う人の多くが、「お父さんよりお母さんにご飯を作ってもらった」という人が多いから、「お父さん食堂」より「お母さん食堂」という方がマーケティング的に響きが良い、ということで、10年ぐらい前からやっているのです。

それが、時代が変わって価値観が変わったので、こういった指摘を受けてしまうのは仕方ないのかもしれませんが、いずれにしろ、相手の価値観をお互いに思いをはせ、思いやりをもちつつ「話し合い」や「提案」などは良いと思いますし、それがかたくなに反対されるなら、あえて運動を起こしても良いと思いますが、私からすれば「そこまで批判されるものなのか」とびっくりしちゃったわけです。

情報発信をする側は難しい時代に入ったな~と思いました。

 

という話はさておき、昔の人にとって、「立派な親は人生を支える柱になる」というのは事実だと思うのです。

で、「母は偉大」という事は、実際にあるのです。女性差別でも何でも無く、事実、そうだったと私は思うのです。

これは男の子でも女の子でも、大人になった時、親のことを思い返すと、「父は偉大」というより、やはり「母は偉大だった」という人の方が多いんじゃないか、と私は思います。私の時代までは。

何故か?

その家庭色々でしょうが、やはり、昔は子育てをしたのはお母さんだったからでしょう。

だから「お母さんが立派だった」という話は沢山あります。世の中が何を言おうと、その本人にとってその母が偉大だった、というのは主観であり、だからこそ事実なのですからね。

ちなみに私は人生の最大のピークは子育て時期、と思っている人なので、今がピークだと思って子どもとの時間を大切にしています。

昔は稲盛さんを始め、「お母さんは偉大だった」という人が多かったわけですが、今は時代が変わりましたので、もしかしたら私のようにお父さんも「お父さんは偉大だった」と将来思ってもらえる時代に入ったんじゃないか、と思っています。

もちろん、偉業を成し遂げて「お父さんは偉大だった」というのもあるでしょうが、どちらかというと、子育てというのは目に見えない細かな気配り、心配りをしながら「生活」を共にするものです。

そういった中で、居場所になり、時に支えに成り、どんなときも無限の愛で子どもを絶対肯定しながら一緒に育ち、その上で、私が死ぬとき、あるいは私が死んだ後でも良いのですが、「うちの父ちゃん、今思えば良い父ちゃんだったな」と思ってもらえたらいいな~と思います

ちなみに、先日も書きましたが、民俗学者の柳田国男さんの本で「ご先祖様になる」という話も良いな~と思います。

立派に生きれば子孫から「神様」と思ってもらえたり「ご先祖様」と思ってもらえたりする。

そういった生き方をしたいものですね~。

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2020~2021年は変革が始まった年!?

2021年03月24日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の野菜ボックスに入れたお手紙です。

暖かいですね~。今日は中学校の修了式ですがもう桜は満開になってしまいましたね。農村では稲の種まきがほぼ終わり、春の作付けでみんな忙しくなってきています。

 さて、最近、私の教室に参加する方々の反応を見ていると「時代は変わったな~」とつくづく思います。恐らくあと10年経った時、2020~2021年は「変革の年」として位置づけられるのではないか、と思うのです。

 まず第一がやはり「都市生活から農村や農業へ」といった変化です。これは繰り返しお伝えしていますが、過去、度重なる災害と国連のSDG'sの提唱、そして何よりコロナが大きなインパクトとなったのでしょう。農業や農村への流れはとどまる事を知りません。10年ほど前までは「農業は良い仕事だよね」と思う人はごく一部でしたが、それがこの1~2年で今やみんなが「そうかもしれないね」と思う時代になった気がします。

 次に思うのが音楽です。私は音楽を聞かない部類の人間なのですが、そんな私でさえ「変わったな~」と衝撃を受けています。それはネットが中心となった、ということです。

これも環境問題や農業に対する関心の流れと同じで、ネットは徐々に増えていましたが、昨年の瑛人の「香水」を始め、「夜に駆ける」のYOASOBI、「うっせえわ」のAdo、「ドライフラワー」の優里など、本当に凄いと思います。

去年、うちの中学生の子どもが聞いていて「何それ?」と思っていましたが、この1年で爆発的に広がりました。そして個性的で豊かな表現で、先週、小室哲哉がラジオで「ああいった表現は僕には思いつかない」と語っていましたが、例えば、歌詞・曲作りはもちろん、自宅の部屋でスマホで作って配信しちゃう、という形態になりました。この流れももう止まらないですよね。

 最後に大きく変わったと思うのが「教育」です。これも衛生予備校など大手塾が配信サービスをしてきましたが、広くは使われていませんでした。しかし、2012年にスタートしたリクルートの「スタディサプリ」を始め、今や大きなマーケットを奪取しようと大競争時代に入りました。コロナが一番のきっかけですが、こぞって教育の現場は導入し始め、成田市でも4月から小中学生は1人台i-padが渡されます。

スタディサプリで言えば、昨年1年間で会員が2倍に増え157万になったそうで、全国に約5000ある高校の導入率もこの1年で倍増し、今や4割にあたる約2000校が導入をしている、というのだから、これは革命的、といっても過言ではないですよね。

 特に私は英語の教え方を研究していて、この2ヶ月で10冊ちょっとの本を読んだ中で、「英語はスマホで学べる」というたぐいの本に載っているアプリをいくつか試しましたが「こりゃ、革命だな!」と衝撃を受けました。今はまだ大人も現場の先生も頭がついていっていないと思いますが、間違いなく教育現場は激変します。特に英語はその中心になると思います。

こうなると、「質の良い教育」というのは、もはや内容や指導方法についてはアプリでまかなえてしまい、学校や塾の先生は教え方の質は問われないのではないか、と思います。私の感覚ではむしろ沢山ありすぎてどれを選べば良いかわからない時代に入っているので、「世にある教材をどう組み合わせて子どもに合うように提供出来るか」といった、メンター的な役割が問われてくると思います。「最新の理論+世に溢れている優秀な教材」を上手に組み合わせると、今の子ども達にあった学び方、が確立出来るんじゃ無いか、と思っています。
 いずれにしろ、あらゆる分野で「2020~2021年は変革が始まった年だった」と言われるんだろうな、と思う今日この頃です。

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最近の我が子

2021年03月22日 | 素敵な家族・子供との時間

最近の我が子との日々。なかなか楽しいものです

春休みに入り暇そうにしているのを利用して、畑に連れて行ったりおしゃべりしたり。

こういった素直に共に時間を過ごしてくれる時期はあとわずかと思うと、感慨深いものがあります

 

長男もそうでしたが、小学校高学年にもなると口が汚くなってきます

でも、言葉使いが悪くても、顔や体や声は可愛い

結局は親の言うことを聞く時期なのですが、そういった言葉だけでイライラしちゃう親御さんも多いかと思いますが、そこでイライラしちゃいけません。

やっぱり可愛いのは変わりませんし、この時期はこれで最後なのですから

この後、すぐに体が「男」に変わっていきます。つまり、身長がぐっと伸び、体つきががっしりしてきて、お毛毛も生え、声変わりをして、態度も反抗期っぽくなってくるのです。

まあ、親としてはどんな状態でも子どもは可愛いものなので、見た目が変わろうときちんと相手の自主性を尊重すれば問題ないのですが。

 

私は、昔から「子どもの反抗期は当たり前にある」と思っていましたが、「最近の子は反抗期が無い子がいる」とか聞いて「え~そんなばかな」と思ったことがありました。

しかし、甥っ子が「反抗期は1週間で止めちゃった」というのを聞いて、「なんで?」と聞いた時、「面倒だから」という答えに納得したのでした。

つまり、親がそんなに昔のようにガミガミしていて指示ばかり出していれば、思春期は当然「反抗的な態度」を取るのは当たり前だったのかもしれませんが、今の親はそこまでガミガミせず、ある意味、友達感覚という感じの親も多いでしょうし、そうなると、思春期でも縛り付けられているわけではないので、反抗するポイントがそんなに無いのですね。

だから、ガミガミしたり、自分の思うように子どもをさせたい、という親は反抗期を食らうでしょうが、そうでなければそう反抗ばかりという事にはならないでしょう。

そして、戦前戦後ぐらいまでは父権的な社会でしたから、例えばサザエさんのカツオがお父さんの靴磨きをしていましたが、ああいったことが普通ではって「反抗」などしない時代が長く続いていたわけですから。

「実は反抗期っていうのはここ数十年の短い期間に存在したものなのかもしれない」という持論を持つようになりました。

その後、上の子が小学校高学年になってきて口が汚くなり、中学生になり「男」になり、多少反抗するとドスが効いてくるので怖いところもありますが、でもやはり可愛いし、何よりホルモンバランスが変化して一番戸惑っているのが本人なのですから、親はドシンと安定していなければいけません。

ここは人生経験が違うから格の差があるわけで、だから子どもがどうであろうとこちらは大したことがありません。

という態度をとっている内に、やはり私の持論通りじゃないですが、子どもと昔みたいに遊ぶ事は無くなりましたが、向こうがその気になった時は、やはり楽しい時間を過ごせるのです

で、次男も4月から中学生。最後の「口は汚いがまだまだ可愛い」という時間を過ごしています

 

そんな息子ですが、先週は誕生日が近い友達が誕生日、という事で、急にスイッチが入ってスイーツを遊ぶ日の前から読み始め、なにやら作ると決めたようです。

それが「生チョコ」と「クッキー」。まあ、凄いですね~、初挑戦でもがんがんやってしまうのですから。

生チョコ、作り方は簡単ですが、くっつきやすくはがすのが大変でしたが、後から包丁を温めれば良かった、という事をしりました

でも、味は売り物と同じで、これをきれいにお皿に盛ったら本当に店で売っているようなスイーツになりました

クッキーも初めてでも簡単に焼けちゃうんですね~。

「包むのどうしよう?」となったので、急遽一緒に100円ショップでラッピングを買いに行きましたが、そういったことを一緒に出来るのも、親としては楽しいですね

包み紙袋もあって、まあ、スイーツ男子、見事です

で、この誕生日スイーツ渡し作戦は無事に終わったのでした。

 

続いて、本日は畑に連れて行って菜花をとってもらったり。

 

その後、急遽、自分は小学校を卒業して給食が無いのに兄はまだ登校して給食を食べているので「中学校の給食と同じのを作る」と言いだし、お腹が減りながらもその買い出しにつきあって、お昼を食べられてのは14時半過ぎ

でも、そういったことを一緒に出来るのも楽しいものです

「給食より、こっちの方が美味しいよね~」といったことを語り合えるのもなお良し。

中学に行くと部活が始まり、こういった何となく楽しい一緒の時間がほとんど取れなくなるわけで、春休み、出来るだけ一緒にこの貴重なプレシャスタイム、プライスレスな時間を楽しみたいと思います

 

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2040年の未来予想

2021年03月18日 | 素敵な本

元マイクロソフト社長の成毛氏の「2040年の未来予測」を読みました。

成毛さんは私の中ではthe・manegerで、つまり、当たり前と思った事を端的に提示する人、という印象の方です。

面白みは欠けるが、「そりゃそうだよね」という事をそのまま伝えるようなイメージ。

この本もそんな感じで、面白い書き方、というのは全く無いので色々情報を端的にまとめたという感じ。

 

 でも、私が良くわかっていない、まあ興味がない5Gとかについては「へ~」と思い勉強になりました。

今は4Gで今度は5Gになると騒がれていますね。

何のことか私は「どうでもいいや」って思っていたのですが、わかりやすく書いてあって理解が出来ました。

国際規格のことらしいのですが、「情報伝達速度」として捉えると、1979年に肩掛け電話、つまり車に積むようなでっかい携帯が登場したのが1G。

1993年に登場したのがPHSでこれが2G。

2001年に登場した「写メ」が送れるようになったのが3G。

そして2010年がスマホにも使われている4Gですね。

この30年で通信速度が30万倍になったそうです。

あ~、そう言われると、1997年に社会人になった数年間はPHSを会社から支給されたけど、これはもちろん「音声通話」のためで、ノート型PCを公衆電話を探して電話回線で繋げてメールを送っていたな~

つまり、「無線による情報速度」に関しては、「音声」はPHSで可能だったけど、ファイルなどは無線では余りに「重く」て送れなかったわけです。

それが2001年に写メが送れる方式に代わり、ドコモがiモードを開発し、画像も飛ばせるほどの通信速度になったわけです。

それがスマホになって動画を無線で見れる時代になったとは、20年前は誰が想像したでしょうか?

というか、そもそもスマホ、つまりタッチパネルの持ち運べる小さな端末が、これほど普及するとは

私にとって、例えばファミコンがゲームボーイになったときには既にゲームを卒業していたのですが、「なんで外に持ち歩くのがそんなに良いのだろう?」と疑問に思ったものです。

iPhoneやスマホも「ただ、持ち運べるようになった小さなPCでしょ?」と思っていたのですが、すぐ隣にあってすぐに立ち上がり、ボタン1つで色々出来る、というその「利便性」が最大のメリットであっという間にこれほど普及してしまったわけです。

そして、動画も見れるようになり、アプリが沢山開発され、今やPCは学校でしか触らない、という子が増えてきたのだから、革命的な進歩ですよね。

今ではアレクサなどが出てきて、あらゆる家電に繋がり、自動的にお風呂を沸かすとか外にいるときに洗濯機を回すなどが出来る時代になってしまいました。

これが今は5Gに変わると、今まで2時間の映画をダウンロードするのに5分かかっていがのが、3秒で出来るようになるそうです。

この「スピード革命」により、今はNetflixなど配信動画が増えてきて、レンタルdvdとかは斜陽産業なわけですが、もう、全ての情報はクラウドになって、そこから配信で見るのが当たり前になるわけですね。

それ以上に、同時に接続出来る機器が1000万台になるそうで、もう訳がわからない桁数ですが、スマホ、アップルウォッチ、眼鏡、カードといった身につけているものと、家の中の家電、はたまた銀行やアマゾンなどの全ての企業のホストコンピューター、そして街の信号からその辺りを動いている自動運転の車や物を運んでいるドローンが全て繋がっている状態になるわけです。

1人あたりネットで繋がる屋内外の機器が2010年はスマホとPCび2台ぐらいだったのが、2040年には1人あたり1000台ぐらいになるそうです

現時点でもICチップは指紋の間に挟まるぐらい小さく出来るそうで、世界中のものが自分と繋がってデータを収集されるわけで、それが拡大するという事ですね。

「へ~」と思ったのが、例えば中国では既に現時点であらゆる行動がデータとして蓄積され「信用」がスコアリングされているそうです。

カードの遅延払いやオークションの入金遅れといった信用情報はもちろん、過去の学歴、犯罪歴、仕事歴、年収、家族情報といったことも全て1人の情報は全てデータ化されて、一元管理されているそうです。

更に街のあちこちに監視カメラがあって、例えば信号無視をした人は交差点の顔認識カメラで人物特定され、そういったことでもスコアが下がってしまうだけでなく、職場に通報されるようになっているんだって

これが既に中国で起きている事で、今の中国の都市部の人はあらゆる企業から低ランクと判別されないように「信用スコアを落とさないよう行動する」という意識がもう出来ているそう。

凄いですね~。

ということが「中国だから」と思っていたら、2040年には世界中で当たり前になってしまっているわけですよね。

また、そういった情報だけでなく生活も変わるわけです。

例えば車が物を自動識別出来るレーザーなどの情報やりとりも爆発的に早くなるので、完璧な自動運転に変わるわけで、その人の生活習慣に合わせて自動的に自動運転タクシーが迎えに来たり、あるいは今はzoomは2次元ですが、AR,VRでホログラムで先生や上司が目の前に現われて学校の授業や会議が行われたり、まあ、ドラえもんの世界ですね。

ドラえもんの世界といえば、1つの細胞から分裂させて作る培養肉は実現しているそうです。世界中の氷で覆われた地表を抜かした1/4は牧草地帯で、家畜用になっているそうで、肉食が地球環境をどんどん破壊する現原因にもなっていて、それを解決する1つの手段です。

今は1つのハンバーガーの肉を作るのにこの人口培養肉だと3000万かかるそうですが、2040年にはコストダウンされて、肉は家畜を殺すのではなく培養肉で作るものになっているみたいです。

つまりドラえもんの「グルメテーブルかけ」というのも現実になるんでしょうね

レシピを入れたら自動的に切る、調理する、皿に盛る、という「自動クッキング器」も開発されているそうですし、AIは人間の知能をあと数年で超えるそうです。

そういえば、この前の日経に載っていた話で「AIは生命と認めるか?」という記事が凄かったです。

現在でさえ、皮膚移植など一部、人工物が人間の体の一部になっているわけですが、これがもう近い将来、骨や神経、脳みそといったところも作れるようになって「部品」のように交換する時代が来るようです。

そうすると、例えば体が機械で脳みそだけが生身でも「それは人間」と認めるなら、「考える事が出来る」ことが人間の定義になってしまう。

するとAIも人間じゃ無いか、となるわけです。

そこに反対する学者もいれば「AIだって人間になるなら、どちらが将来地上の覇者になる、つまりAIが人間を滅ぼす事になっても、それは同じ人類の中での進化の過程の1つと見ればいいじゃないか」という学者もいるのです。

凄いですね~

あらゆる情報がデータとして繋がり、蓄積され、分析され、活用されることで、今まで以上に企業にコントロールされる人生が増えていくと思いますし、AIなど「知能生命体」がどう定義されるか、といった議論が出てくるわけです。

おかしな若者が、体の半分をロボットにする事もありうるわけです。人間って何なんだろ?って思う時代が来るわけです。

そう考えると、その逆張りというか、倫理・生命観・宗教といったものも大事になってくるんでしょう。

そういえば、さっき、ドラえもんの事を書きましたが、火の鳥を始め手塚治虫さんは、そういったことをもう何十年も前に描いていたわけで、見直される時代になってくるんじゃないですかね~。

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今週のお手紙

2021年03月17日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の朝採り野菜ボックスのお手紙です。

やっぱり時代は変わったな~と思います。

 先日の日曜日は今年の大人向けの「食と命の教室」の2回目でした。以前も書きましたが、過去最速で満席になったので、その反応に「時代は変わったな~」と感じました。そして今回、2回目なのですが、参加者の雰囲気も変わったな~と感じました。


 というのも、昨年ぐらいはやはり環境問題や食の問題に強い問題意識を持っている人が多く参加していたと思うのです。つまり、世の中一般的には「環境問題」や「食べ物の問題」を口にするのはちょと変な人に見られてしまうという世の中でしたし、それを真面目に議論出来る相手は限られている、という感じだったと思います。


 なので、この教室に来た方は「ここでは安心して普段疑問に思っている事を話せます。それが嬉しいんです」と言う方が多かったのです。あるいはガンを患ったことがある方も結構参加していました。何かしら心に秘めるものがあり、探し求めてこの教室に参加した、という方が多かったのが今まででした。

 ところが今年はもうちょっと軽いというか、「環境にも意識を向けなくちゃと思ってきたんです」とか、「家庭菜園を始めたいので」という感じで、肩肘張らずに気楽に参加してみた、という方が多くなったという印象なのです。意識が高めというよりは、普通にコビニ弁当も食べ、環境問題に意識をしてこなかった方が、ここ数年の大型台風や昨年のコロナで「やっぱりこのままじゃいけないよね」という感じで参加している雰囲気です。

 これはとても凄い事だと思います。つまり、多くの人が「普通の事」として環境問題や食の問題など、色々考える時代に入った、という事だと思うんですね。

 まだ日本は野菜全体の内、有機農産物のシェアも1%にも満たないという時代で、無農薬、オーガニックというものを日常的に買う人はまだまだ少数です。しかし、今やベジタリアンはおろかヴィーガンと公言しても変な人に思われない時代になりました。

 宅配市場はこの1年で倍ぐらいになったでしょうし、国も外圧と環境問題から「有機農産物シェアを30%にする」と言い始めました。これまで「第○次農業ブーム」というのがありましたが、今回はもうブームではなく「新しい流れ」に入ったと感じざるを得ません。一部の人間にとってではなく多くの人々にとって農村の暮らしや農業が魅力的に映る時代に入ったように思います。

 これからネット社会が加速度を増し、2040年には6Gが始まり全てがネットに繋がる時代になります。車は自動運転で空を飛び荷物はドローンで運ばれ、全ての行動がデータで管理され、AIが人間の知能を超えている時代になります。無くなる職業も多くなりますが、第一次産業や職人のような仕事は「人間らしい仕事」として、残っていくんだろうな~と思います。

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今年2回目の「食と命の教室」

2021年03月14日 | 農的体験・生活

今年2回目の「食と命の教室」はとても晴天での開催

まずは先月、みんなでゴマ粒のように小さい種を蒔いたミニトマトが、この1ヶ月で本葉3枚ぐらいに育ち、鉢にお引っ越し

家庭菜園をやったことがある人も、夏野菜を種から育てた事がある人は少ないので、みなさん、出来上がった第一段階の苗をみて、かけよるように「これが先月蒔いたやつですか」と食い入るように見て写真を撮っていました

ただ、これはまだまだ小さく、根っこもこれから出てくるので、鉢替え、つまりポットに移し替える必要があります。

みなさん「あんな小さい種がこんなになって愛おしいです」という反応で、楽しそうに1つ1つ鉢換えをしてくれましたが、農作業になれていないとかがんだ状態が続いて腰が痛くなるんですよね~

だんだんみなさん腰を伸ばしたり「いたたたた」という感じになっていました

さて、頑張った後はいつもの美味しいご飯

髙柳さんは「この前、餃子が出たんだが、中身は何だったと思う?ジャガイモだったのよ肉が入った本物の餃子とたまには食べたい」と叫んでいました

でも私達にとっては野菜だけで沢山のおかずが出来るお母さんの料理は「凄いな~」と毎回思うわけです。

今回もみんな喜んでたっくさん食べました

さて、今回はミニトマトの鉢替えだけでなく、「土の世界を知る」というテーマがある回。

「根の国」という土の世界を顕微鏡でのぞいたDVDを午後は視聴しました。

まずは堆肥を光に当てるとそこから虫たちが光と熱を嫌って出てきます。姫ムカデを食べるムカデ、そのおこぼれにあずかるゾウリムシ。そういった弱肉強食、小さな虫たちの世界があって、さらにそれらの糞尿やしがいを食べる小さな虫たちが無数にいます。

さらに、土1㎜gに1億を超す微生物が住んでいると言われる世界を知るために、電子顕微鏡でのぞくと最近が沢山うごめいている世界が見えてきます。

根毛は微生物に寄生され栄養を吸い取られ、しかしその微生物が吐き出す汗を栄養として吸収し、まさに「共存共栄」という事がわかります。

ナレーションでも「微生物と植物のつきあいは4億年。それに対して人間と植物のつきあいはたかだか数百万年。農薬は数十年」といった話が出て「なるほどな~」と思わせてくれます。

また、センチュウにおそいかかるカビ、そのカビが増大するのを防ぐバクテリア、といったように、「1つの強者がはこびる事を自然は許さない」といったように、バランスがとれた世界も垣間見る事が出来ます。

そんな貴重な映像を観た後は、実際に草を放置して土のようになった堆肥を見て触って実体験。

みなさん「あの積み上げた草がこういったまさに土になるんですね~」と興味津々。

「あんな黒々した土はなかなかないですよ」と言う家庭菜園のベテランの方もいました。

楽しく真面目に学んだ後は、楽しい収穫タイム

今はちょうど菜花の季節なので、髙柳家の「菜っ葉」の菜花を収穫。その場で生の菜花を食べるのも新鮮で、みなさん「こんな事が出来るなんて幸せです」といった反応

そしてサニーレタスも収穫させてくれました

一通り活動が終わって、今日の感想や質問コーナー。

それぞれいろいろなコメントをくれましたが、中には「環境運動に関心を持ち始めたので、活動をしようと思っているんです」という人もいて、そういったことを普通に気楽にやる人が出てきたのも時代を感じます

この教室を始めた9年前は、まだまだ農業にこれほど関心を持っている人は少なく、環境問題や食べ物の問題となると「一部の偏った人」という見られがちな世の中でした。

なので、昨年までは「食や環境問題について語ると変な人と思われるので、人を選ばないとしゃべれなかったのが、ここでは気さくに話し合えるのが嬉しい」という事を語る人が多かったのです。

ところが、今年はちょっと雰囲気が軽いというか、気にしていること、考えている事などは食べ物の問題、環境の問題なのですが、昨年までのちょっと真面目にそういったことを思っている方々、というよりは、普通の人が普通に「問題ですよね」としゃべる感じなのです。

以前は、色々勉強して「やっぱりおかしい」と意識がある方がご縁が繋がってくる感じだったのが、今年は日常的な生活の中で問題意識があって、ネット検索をしたらこの教室があったのでそれを学びにきた、という感じです。

つまり、日常で環境問題や食べ物の問題などを普通にしゃべる時代になったんだな~、という事だと私は理解しています。

あと、今まで女性がほとんどだったのですが、今年は男性が半分ぐらい、というのも過去に無いことですよね。

働き盛りの年代の男性が休日をつぶしてこういった教室に来る、という事も意識変革の1つの表れだと思います。

最近、つくづく思うのですが、地球温暖化問題が一昨年一気にに世界的に盛り上がり、実際に「未曾有の自然災害」が立て続けに起きたこと、そして何よりも昨年のコロナで多くの方々の意識が変わったと感じるのです。

本当に、時代は変わったな~、としみじみ思う今日この頃です

まあ、そんなこんなで2回目にしてとてもフランクで、かつ楽しい時間を過ごせるようになりました。

来月は野草摘みです

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今年も3.11

2021年03月11日 | 自分の時間

今年も3.11がやって参りました。

私にとって大きな人生の転機となった3.11です。

もう何度も書いていますが、自分のためにも整理すると、私にとっては津波よりはやはり原発事故が大きかったです。

当時、ネット通販の会社に勤めていましたが、有機農業をやってきた農家さんの野菜に全く注文が入らなくなり、廃棄されていく事態になりました。

それにより「俺らは何も悪いことをしていないのに」と言う農家さんがいたたまれなく、一気に年をとって白髪が増えていったのを今も覚えています。

また、私にとっては子供がまだまだ小さく、「こんな子供達に対してこんな酷い目を合わせている自分がなんと情けないことか」と、今まで原発の問題に意識を向けていなかった自分の生き方を猛省しました。

そして、あの大惨事によって、「将来、子供達が大人になった時、原発事故の際にどうしたか?と問われた時に、恥ずかしくない生き方をしよう」と決めたわけです。

当時はたまたま知り合いの身内が石巻にいたので、そこに野菜を送ったりしていましたが、焼け石に水というのもわかっていました。

そんな時、日本テレビの解説員の橋本五郎さんが、小学生だったと思うのですが、「被災地にボランティアに行けないからといってそれが全てではない。それより、まず自分のするべきこと、例えば勉強やきちんと生活をする、ということをしっかりすることも被災地支援に繋がるんだよ」という言葉が私にも刺さりました。

自分の仕事を全うする、自分の出来る範囲で自分のすべきことをきちんとやる、それはゆくゆくは社会を良くすることに繋がるし、それが被災地支援にも繋がる、という事を自分の中で整理ついた言葉でもありました。

当時の「絆」という言葉も、私にとってはちょっと違和感があったのですが、そういったことも払拭出来る五郎さんの言葉でした。

この10年で、最澄の「一隅を照らす」という言葉を知ることが出来、あのときの言葉はこういったことだったんだ、と更に腑に落ちています。

なので、私の性質もあるのですが、志は大きく、行動は地道に自分の影響を与えられる範囲で、という事でコツコツ生きてきた次第です。

いつもは夜ご飯の際に家族でキャンドルをともすのですが、今回は震災があった時間に在宅できたので、テレビに合わせて黙祷をしました。

今も亡くなった家族のことを思って悲しみに溢れている被災者の方々のお話を聞くと、こちらも涙が止まりません。

ただ、少し思ったのですが、柳田国男の「先祖の話」という本がとてもベストタイミングでNHKの「100分de名著」で取り上げられていまして、「常人の日常」という考え方で、宗教家などは「あの世」といった考え方や「彼岸に還ってくる」という考え方をするが、一般の人にとっては亡き人はあの世にいっているわけではなく、日常でもそこにいるように感じる、何かあったら自分を導いてくれるように感じるものだ、というお話が、3.11にまさに響くな~と思いました。

また、その中でのエピソードで柳田国男がある村でバス停にあった老人から「ご先祖様になるんだ」という話がとても印象的でした。

その老人は頑張って家を建て、子供も5人ぐらい家を建て、孫も生まれ、「私は子や孫のご先祖様になるんだ」と言ったそうなのです。

凄い考えだな~、と思ったら、柳田国男の話では「当時の一般人にはご先祖様になる、という考えは普通にあった。例えば、この子はとても良い子だから良いご先祖さまになるな、と褒めたりした」と言うのです。

私の親からはそういった考えを聞けないのですが、もしそういったことが当たり前に思えるならば、「じいさん、ばあさんはご先祖様になる」という考えが一般常識としてある社会ならば、死というもの、あるいは死者と生者を分けるものは、今の現代とは違った考えであった、ということですよね。

そしてちょっと思い出したのが、「古事記のこころ」という本を書いて講座にも出たことがある小野先生の話では、「あなたも○○主命なんだ、つまりかみさまなんですよ」と、誰にでも伝えていました。

「日本は霊魂は不滅という思いが昔からある。古事記の世界もそうで、天照大神もあなたも同じなのだ」という思想です。

戦後、こういった思想は切り捨てられてしまったのでしょうが、被災者、あるいはコロナ禍などで親しい人を亡くした人にとって、近代的考えからすれば少し古めかしいのかもしれませんが、昔の日本人がもっていた感覚、自分はご先祖様になるんだ、そして神様になって子孫の実りを支える立場になるんだ、という思想は、とても生きていくこと、そして死んで行くことにとても力を与えると思いました。

3.11、亡くなられた方は私の勝手な考えですが、もう未練より生き残った方々の幸せを願っていると思います。

生き残った方々がこれほど亡くなった方々に悲しみを覚え、今も忘れずに生きている、それこそが最大の供養でもあり、昔の日本人の考えでいえば「今も霊魂となって見守っている」という事だと思うのです。

そういう思いを受け止めて生きていくのが生きている私達の勤めだとすれば、とにもかくにも、あの3.11を経て、全ての大人は覚悟をもって生きていかなければいけないな、と思います。

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「田んぼと畑の耕育教室」も凄いスピードで

2021年03月10日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。

 お米農家の根本さんとやっている子供連れの農村・農業体験教室「田んぼと畑の耕育教室」が、過去に無い程のスピードでお申込みが入っています

今年の大人向けの「食と命の教室」が過去に無いスピードで申込みが入りましたし、世の中も移住を考える人がとても増えてきていますし、「コロナの影響で爆発的に農村・農業に対する意識変革が起きているな~」と肌で感じていたので、「田んぼと畑の耕育教室」も恐らくそうなるだろうな、と思っていましたが、その予感は的中したわけです。

 農家さん達は「いつも通り」なのですが、都市部の方と農村を繋ぐ「農村コーディネーター」という仕事を行っている私は、時代の変化を直接体験出来るポジションにいるのでしょうね。

 それにしても農村の暮らしや農業に対するブームは何度かありましたが、それこそ小さな山ばかりでした。

 しかし、今回のは決定的に違うと感じます。つまりもうこの勢いは止まらない、という事です。


 日本は超高齢化社会ですが、これがさら超超高齢化社会にない人口減少が止まらず少子化も止まりません。

 莫大な国債を抱えてごまかしていますが、実態は経済大国からどんどん転がり落ちています。

 非正規雇用者が就労希望者の1/3となっており、大企業に勤めてマイホームを買って子供は大学に行かせて、という事を普通と思っている人は、実は経済的には恵まれている、という自覚は無いでしょうが、そういった家庭は今後はどんどん少なくなっています。

 つまり大企業志向でバリバリ働ける人はエリート層になっていき、大半が経済的には細々と暮らしていくわけです。

 その「細々」が満たされているのかキツキツなのかはその人それぞれなのでしょうが。

 最近の農村・農業希望の人は、ある程度の所得がある人が都会暮らしに疲れた、というのが多いと思いますが、今の若者は最初から「社会問題や環境問題」を意識していて、大きな会社ではなく職そのものに意識が向いている気がします。

 そうなると収入は多くは無いのですが生き方として仕事を選ぶようになってきているので、ますます第一次産業や私のような事をしたいという人が増えてくるでしょうね。

 まあ、今までの戦後70年は二度と来ない「幻の経済成長期」であったわけで、資本主義経済の最初の局面のメリットは享受し終えた、という学者もいます。これからはまた社会主義、宗教といったものが台頭してくるのでしょうが、頭でっかちの人は自分の主義主張を強制してくることもあります。

 それも踏まえて、やはり頭ばかり先行しない生き方という意味でも、昔ながらの日本人の暮らし、人間も自然の一部であって自然に生かされている、自然が有り難いな~という感謝の心を持てる仕事である一次産業に関心が集まることは、とても良い事だな~と思います。

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ありがとうデンマークさん

2021年03月06日 | 素敵な空間・イベント

幼稚園の頃、お弁当が無い水曜日にパン屋の「デンマーク」さんが移動販売車でパンを売りにきていました。

まあ、どこにでもあるような普通のパン屋さんで、こだわりの天然酵母パン屋さんとは違いますが、普通にレパートリーが揃っていて普通に美味しいのです

で、子供が幼稚園を卒園してからは特に出会うことは無かったのですが、去年ぐらいからうちの子供が毎週木曜日に友達と遊ぶ場所でデンマークさんが来ていて、「買い食い」を楽しんでると言うのです。

私の子供時代はまだイオンが無く、町にあちこち小さなお店があって、ちょっとした駄菓子やお菓子を少ないお小遣いをやりくりしながら買って楽しむ、という事が出来たのですが、今は小さな商店はほとんど無くなってしまいましたからね。

そういった意味で「子供がお友達と集まって買い食いする」というのは、昔はあまりお行儀が良いものとは思われていませんでしたが、今の時代には私はとっても良いと思うのです

というのも、コンビニやスーパーでは「いつものところでいつもの大人からいつもの物を買う」という、人間関係のようなものを味いにくいですから。

しかも、このデンマークさん、子供が買うと必ず「ラスク」といった、実質「食パンの耳の揚げパン」を無料でおまけでくれるというのです

いや~、そりゃ子供達にとっても嬉しいでしょうね~

そんなデンマークさんに「幼稚園の頃、お世話になっていたって言ったら?」と子供には言っていたのですが、うちの子も卒業するにあたり、またご縁が切れてしまうかもしれないし、いつもお世話になっていたので、私も先日パンを買いに超久々に行ってみたのです。

いや~、いいですね~、おじさんが5人ぐらい集まっている子供1人1人にパンを売っておまけをあげて。

昭和ですな~

私も久々にデンマークさんのパンを買えて良かったです

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春うらら

2021年03月05日 | 農的体験・生活

いや~、まだまだ寒い日もありますが、春うららですね~。

三寒四温と言いますが、最近は2寒4温ぐらいでしょうか?

こうなってくると畑の草も伸びてくるのと、畑の野菜もとう立ちを始めるので、冬は放置していた畑ですが最近は良く顔を出すようになりました

まあ、そうはいっても今は収穫出来るのがホウレン草と小松菜の菜花しかありまん。

ホウレン草はとう立ちが始まると立ち葉が出てきてアクが強くなるので、そろそろ全部収穫しないといけません。

という事で収穫していたら、葉っぱの裏に卵の塊が

蛾とかの卵だと思いますが、冬に産み付けたのか、最近産み付けられたのかわかりませんが、まあ、色からいって最近かな?

虫達も動き始めているんですね~

こちらは小松菜の菜花です。

10年ほど前、直売所のバイトをしていたときに、店長が「小松菜の菜花が一番美味しいんだよ」といって、小松菜の菜花は20円ぐらい高く売っていたのを思い出します。

それから私は小松菜を秋に蒔くのですが、ほぼ、春までとっておいてこの菜花収穫のために使っています

味が濃いので美味しいんですよ~

今の時期はふきのとうや菜花など、ほろ苦のものを食べて、冬に貯め込んだ毒素を排出する時期ですからね。

積極的に食べましょう

こちらは冬は冬眠していたニラですね。

冬に枯れ果てて切り干し大根のようになっていた枯れ葉の中から、最近、新葉が出てきました

こんな感じで新芽が動き出し新しい命がどんどん出てくるのが春です。

さあ、草刈りして夏野菜の植え付けの時期。

畑も本格化する時期です

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