半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

暑くても、虫や獣は秋モード

2018年08月28日 | 農的体験・生活
まだまだ暑い日が続きますね~

今日はいくぶん日差しが弱かったですが、蒸し暑かったです。

さて、たまには畑の写真を。

今の時期は何をやっているかというと、まず10本ぐらいあるオクラの木からひたすらオクラを収穫します。
今年は暑かったせいか、いつもより実がはやくついたため、7月からガンガンとれて、オクラは食べ放題

8月中旬ぐらいでいったん虫食いがひどく、葉っぱも枯れ上がってきたので「こりゃ、もう終わりかな?」と思いましたが、また復活しています

で、オクラの実にも虫食いになるのですが、夏の貴重な葉ものの空心菜がひどい
例年の9月1週目ぐらいの状態にもうなっています。
それぐらい虫の勢いが凄い、例年より早い


ゴーヤはモリモリと実っているのですが、実に虫が入り始めました
ゴーヤって、実に虫が入ったことなんてあったかな~


これはサツマイモの葉っぱ。8月でこんなになるのは初めてです


ちなみに、サツマイモそのものが獣に掘り返されて、バリバリと食われていました



今年は春が異常に暑く、そのまま夏に突入したため、何もかもが早く生育した代わりに、終わりが早いというか、いつもの9月の状態がもう起きています。

虫で言えば、越冬のために子孫を残すよう卵を産みます。
その前のかきいれ時というか、栄養をつけるたびに一気に葉っぱなどを食べるのが9月上旬のイメージがありますが、それが2週間ぐらい早く来ている気がします。

サツマイモそのものが獣にかじられることも、もうちょっと後で、この時期にこうやってやられるのは珍しいと思います。

そういえば、9月の中秋の名月の際にススキを探すと、まだなかなか穂を出していないで困っているのが例年です。
ところが、先週にもうススキが穂を出しているのを見つけて驚きました

人間は暑くて「まだ夏が終わっていないな~」と困っていますが、自然は確実に冬に向けて「肥える秋」になっているようですね。
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「食と命の教室」で「鬼来迎」

2018年08月25日 | 農的体験・生活
8月下旬となっても無茶苦茶暑い日が続きますが、「食と命の教室」を開催しました。

暑い中、東京から来た人も「こっちはやっぱり涼しいですね」と
まあ都会のアスファルトジャングルからすれば涼しいでしょうね。成田でも道路と草が生えているところじゃ、気温が違いますからね。


そんな暑い中ですが、黄金色になった田んぼで稲刈り前の草取りをしましたが、40~50分でみんな汗ぐっしょり
でも、「気持ちいい~」と案外みんなタフで、その後のお昼ご飯は、もうみんなバクバク食べていました
食欲があるというのは、元気な証拠。みんな暑さにやられず良かったです


また、8月恒例のスイカ食べ放題で、とにかく水分を補給しながら、のんびり過ごしました。
朝にスイカ、おやつの時間にスイカ、とひたすらスイカ


そして、農村では普通にたべているきんこ瓜というメロンに近い瓜も美味しく食べましたよ


さてさて、今回のお話で面白かったのが、横芝光町の方が教えてくれた「800年続く鬼来迎(きらいごう)という無形重要文化財になっている庶民劇」。

私が、最近多くなってきている「新型うつ」のお話をしたのがきっかけです。

新型うつというのは、「外ではとても元気で活発なので、家だと気分が滅入ってしまう」という感じで、外からでは良くわからないうつだそうです。
若者にもあるのですが、特に40~50代にも多く、原因は精神的な未熟があるということ。
具体的には、今までは若い頃と同じように外の刺激に反応して生きてきて楽しかったのが、40~50にもなると、将来について多少なりとも考えてくる。それなのに、心が未発達で、でも体が昔のように言うことはきかず、社会的には大人扱いされ、それで老後も考えなくてはならない、しかし、若いころのように活発に動き回っていた自分、それで満足していた自分があきらめきれず、同じように動くのだけど、心の中は満たされない。
しかし、不満足の原因を外に求める。本質的には自身の精神が成熟せず若い頃と同じように刺激を外に求める生活スタイルのまま、一方で将来への不安やどう生きていくかが定まらないこととのギャップが原因らしいのです。

そんな話をしたら、高柳さんが「それは宗教を学んでいないせいだな」というお言葉があり、まあ、お寺が生活の中にあり、無着成恭さんなど恩師がいる高柳さんの話があって、それを受けて、横芝光の方が「地元で800年続く鬼来迎という仏教劇があるんです」という話につながったのです。


「鬼が地獄で『お前ほどの極悪人はいない』と踏みつけたり、釜でゆでたりと散々痛めつけるんですが、その人が極悪人だと言う理由が、人殺しをしたり泥棒をしたり、一般的に悪いことをしたからではないのです。

鬼が地獄で悪人としていたぶる理由が「自分の事ばかりしているやつが、世界で一番の極悪人」という話なんです。

凄いですよね。

みんなで「近代人は、ほとんどが極悪人ですね」と苦笑い。でも、「人のために役に立つ」ということが、人が生まれてくる理由だ、と明確に教えを近代ではなかなか名言する人が少ないので、改めてこういったのが本当の文化遺産として価値があるな、と思いました。

来年、観に行ってみたいものですね~。
http://yokoshibahikari.jp/kiraigou/kiraigo.html
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カラスの胃腸

2018年08月23日 | 農的体験・生活
ある50代の農家さんと、「親世代は我々よりよっぽど丈夫」という話をしていました。

うちの母も80を越して、食欲は旺盛、口では愚痴が多いですが、トウモロコシやスイカなど好物は本当にバクバクびっくりするほど食べます。

一緒に話をしていた農家さんも「うちのばあさんは、半分腐っているものも平気で食うんだよ。良く食えるな~って。だから胃腸は人間じゃなくカラスと同じだな、って思ってるんだよ」という笑い話になりました。


その後、最初は笑い話だったのですが、なんとなく「本当にそうかも?」と思うようになりました。

私がおつきあいしている農家さんは、70才前後、つまり団塊世代で最大のボリュームゾーンと、その下の50代に分かれますが、70才前後の方はとても体力があります。

現在、68才の高柳さんが、「30代の頃、無着先生と一緒にカンボジアに行ったんだけど、うちらより下の世代は全滅。みんなコレラや赤痢や下痢などで、昨日はあいつが、今日はあいつが、と倒れていったんだよ。私の世代より上は一人も病気にならず、ぴんぴんしていて。現地の人も『今時、コレラにかかるのは日本人ぐらいだ』と言っていたな」という話を聞いたことがあります。

これは、まず、子供の頃から家の手伝いをさせられていて、四季折々の野良仕事で体力や抵抗力がついていたということがあると思います。
また、子供時代に大体の家に家畜がいたので、鶏なり牛なりの動物に触れていたということも。
野菜もまだ人糞を使った肥溜めが残っていた時代です。

それより上の50代の農家さん達には、家畜や肥溜めは無い時代ですよね。

だから、「ばあさんはカラスの胃腸と同じだよ」という話ですが、胃腸はさておき、住んでいる環境は、野生の動物と大きくは変わらなかったのかもしれません。

そして、犬猫やカラスなど、動物はその辺に転がっている半分腐りかけのものを食っても平気です。
土や泥、小動物の死体なども食べてます。

そういったものを人間が食ったら病気や下痢や嘔吐になるでしょうが、動物はそういった菌をやっつける菌が胃腸に沢山あるわけですよね。

昔の人は、今のような清潔な環境じゃなかったわけで、今も元気な年配者たちは、胃腸に動物並みとは言わないまでも、野生の動物に多少なりとも近い強力な菌を持っているという説は、あながち嘘じゃないな、と思ったのです。


よく一緒に仕事をしている70代の農家さんは、いつも元気。
私と同世代の子はいつも「健康話」で盛り上がるのですが、その農家さんは「ふ~ん」と聞いているだけです。

腸内フローラの話などしていて、話を向けてみると、「毎日、快便。便秘や下痢なんてしたことない」と言います。
一方、40代の私達は軽い便秘や下痢はたまにはあるわけです。

現代人から見ればそもそもの胃腸が違うんだろうな、と。

今からその辺に落ちているものを食って悪い菌を増やしてもしょうがないでしょうが、赤ちゃんの頃からきれいすぎる環境はあまり良くない、というのは正しいのでしょうね。

例えば、汗腺は生まれて2週間ぐらいで大体が出来上がる、と言います。
生後、エアコンが整った環境で育った子は、汗腺が発達していないので汗がかきにくい人になってしまうと言います。

「免疫は、菌に出会った時に初めて出来る」という事実。

今更ならですが、先人に学ぶことは多いですよね。
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続:河合さんのお話

2018年08月22日 | 自分の時間
暑い日が続きます

先週末ぐらいから、朝晩は秋を感じるぐらい涼しかったのが、また暑さがぶり返しています

で、このブログの更新があまりされなかったり、畑のことをあまり書いていないのも、暑さのせいです(ということにしておきます

週の半分以上は畑仕事をしているんですが、まあこのくそ暑さで、畑をやると気力が萎えます

そうすると、とてもパソコン仕事やブログを書く気持ちになれないんですね。

畑の写真を撮ってそれを載せる、なんていうことも、なかなかそういった余裕は無し。

ただ、ひたすらオクラやゴーヤなど毎日とらなければいけないものを収穫して、種をつけ始めた草を刈って、という日々なのです


そんなこんなで昨日も畑仕事をしている時にふと思ったのが、「そういえば、河合さんの本で、文化論のところはやっぱり面白かったな~」ということ。

前回のブログの続ぎになるのですが、「西洋文化における自由と言う言葉の意味、あるいは宗教、の大きさを我々日本人はかなり理解していない」という指摘が面白かったな~、と。

河合さんは文化学者みたいな人ですし、海外にも色々交流をしていたので、そのお話の分野は多岐に富んでいるのですが、「個人主義」「自由」と言うものをコントロールするため、家族や地域がバラバラにならないために「西洋の人は私たち日本人が考えられないほどの努力をしている」といったようなことが書かれていました。

例えば「自由」というのは、そもそも論がフランス革命など、市民革命などから生まれたもので、王朝や貴族など支配層からの決別、そして「自分たちで自分たちの社会を作る」といった思想から、自治、そして1人1人が大事だけど1人1人が自分の人生は責任を持って生きるという個人主義、またその一方で社会契約論などの考え方が出てきているわけです。

だから、自由に経済活動をしても結構、但し失敗したらその責任も自分でとりなさい。

大人も子供も本来は1人の存在、だから子供は親の子でもあるけど、1人で生きていけるようになりなさい。

とかいった日本人でいえばドライな考えが文化として浸透しているわけです。

だから、良く聞きますが、夫婦は結婚という「契約」で成り立っているから、一緒のベッドで寝るけど、子供は小さいうちから個人部屋に放り込まれる。

また、本に書いてあったエピソードで、河合さんがホームステイ先で、その家の子供が悪さをした時、日本なら「こら!」と問答無用で叱って終わりなのが、確かドイツだったと思うのですが、その親は子供と「何故そんなことをしたのか?」と質問をし、子供にその理由を話させ、ディベートする。
当然子供は大人には議論では勝てないから、最終的に親が論理で封じ込める。その上でお仕置きをする。

河合さんが「何もそこまでしなくてもいいのでは?」と聞いたら、「いや、河合、それは違う。この子は将来大人になった時に、自分のことは自分で守れる力をもたないといけない。自分の伝えたいことを自分で伝え、相手に理解させる力は、この西洋社会で将来1人で生きていくためには必要なんだ。それほどこの社会は厳しいんだ」という返答をされて、文化の違いを知った、と言います。


だから「自由」というのは、日本人が考えるなんとなく響きの良いけど実態があまり無い、というものではなく、個人主義に基づいた、自己責任で生きていくという厳しい考え方の中にある、という指摘がされているんです。


一般的な日本の家庭の中で育った人が考える「自由」というのと、根本が違うんですね。

そういった個人主義、親も子も別の人格、自分の言葉で自分を守り戦っていかなくてはいけない、といった厳しい社会であるからこそ、逆に「彼らは意図的に家族の繋がりや地域の繋がりを、日本人が思っている以上に努力をして作ろうとしている」とも。


例えば、子供は個人部屋を与えられるが、そこに入り浸っているわけではなく、食事は家族と一緒にとらないといけない、食事もそれぞれが学校で何があったか、お父さんは会社で何があったか、お母さんは今日はどうだったか、といったことを団欒しながら語りあう。

それも「アーメン」と、個人主義の社会だからこそ、唯一絶対神の下、万物の創造主の下で、語り合う。
宗教というのも、ある意味、そういったドライな社会で人が結び付く大きな仕掛けの1つでもある、と。
厳しい社会だからこそ、1つの宗教の下で結びつきを感じられるようにする。

食後も、リビングで時間を過ごさないといけない、といったルールを施しているそうです。

だから、日本人が西洋の真似をして家を引き戸からドアの家にし、子供の部屋を作り、ご飯をパパっと食べたらすぐに自分の部屋に引きこもる、といったことは、意図的にさせない、起きないよう努力している、と。

そして、日曜日は家族で教会にいく。

地域行事もみんなで協力して行う。

地域、家族、そして仕事や学校、といった3つはどれも大事で、日本のように仕事のために子供の学校に関わらない、あるいは仕事で家族と夕ご飯を一緒に過ごすことが出来ない、といったのは、一般的にはしない。

それも個人主義が基本だからこそ、逆にとても大切な縛りとして文化としてある、と。


高柳さんも海外何十か国といって、そういった西洋文化を体験してきて、良く話してくれます。
例えば、「フランスにいって、17時過ぎで電気がついているのは日本の会社だ、と現地の人に言われたんだよ。夜も働いているのは囚人か日本人ぐらいだ、といったブラックジョークを言われているのを、当の日本人が何を言われているのかよくわかっていないんだからな。家族と地域を大切にしないで仕事ばかりしている日本人が、エコノミックアニマルと避ける蔑ずまれていることを、理解していない」とか。

まあ、今は、西洋でもそうでない家庭も増えてきてしまっていると思いますし、日本も昔のようにお母さんがお父さんを大事にし、子供が親孝行する、なんていう文化も無くなってきてしまっていますけどね

いずれにしろ、日本が封建社会から明治維新、昭和と続き、平成の世になる流れがあって今の日本があるのと同じように、西洋は王朝が変わる毎に国が変わり支配層が変わり、その中で一神教が文化として根付き、市民革命が起き、社会契約論という考えが生まれ、そして地続きだからこそ侵略と戦争の歴史、人種の交流と対立、民族の交流と対立、といった中で今の宗教や個人主義の考え方があるわけですから、これが文化の違い、となっているのは、そりゃそうだ、と思うわけです。

そんなことの示唆も沢山含んだ本だったな~、と思った昨日の畑仕事でした。

おしまい



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本:河合隼雄のスクールカウンセリング講演録

2018年08月19日 | 素敵な本
ためになる、面白い本です。

河合隼雄さんは、日本の臨床心理学のパイオニアで、ユングの分析心理学を日本に初めて持ってきた方です。
しかし、どうも西洋の心理学をそのまま日本に持ってきても通用しないことがある、という事に気づき、日本人にあった心理学を提唱し、そこから日本の文化にもついても深く考察し、「昔話と日本人の心」とか「ユング心理学と仏教」など、日本文化と海外の文化の違いから心理学を日本にどう根付かせるか、あるいは日本文化をどうとらえてこれからの時代を生きていくか、ということを提唱していた方です。

文化庁長官にもなったことがあります。

で、この本は、学校の先生だけでは子供たちに対応できない、ということで、「スクールカウンセラー」を現場に出していこう、という政策が決まった後、日本にある臨床心理学の協会や学会が1つになって、「スクールカウンセラー」をどう根付かせて推進していくかを目的にした「学校臨床心理全国研修会」で、基調講演を毎回頼まれていた河合さんの講演録をまとめた本です。


ためになり面白いと思うのが、1つがスクールカウンセラー側からみて、時代の変化とともに、学校の現場や子供たちがどうなっていっているか、という変遷がわかるということ。

もう1つが、学校の先生とは全く別の存在であるスクールカウンセラーがどうあるべきか、といったところが時代に即した講演テーマに沿って提示されていること。

そして、日本文化における教育論、集団と個人、そういったところまで深く踏み込んだ話が満載ということです。

学校の現場がどうなっていっているか、というと、以前、書いた諸富さんの「教師の資質」という本に書いてあった通り、今までは「先生が教えたことをみながきちんと聞く」という考え方、言葉を変えれば文化が日本にはまだあったので、先生は「〇学年までにここまで学習させるというゴール」をいかに学級全体で達成させるか、という事を考えていればよかったわけです。

ところが、高度経済成長から学校側に求められた受験競争、偏差値競争で、「不良」といった子供たちが出てきて、その子たちは「全体を乱す悪い存在」となった。

そうした「不良対策」という考え方が出始め、そのうちその子をセーブできない学級は「学級崩壊」に至り、さらに「いじめ、自殺」といったところまでいってしまった。

そうした中で「画一的な教育はいけない」という批判が起き、「自由」という実態のない価値観というか言葉が入ってきて、「個人主義」という言葉と相持って、文科省側も「個人が大事」という言葉を言い始め、親もそういった立場を持つ人が増えてきて、そして今でいう学習障害という子ども達も増え、「全体をいかに」というところから、「1人、学級を荒らす子がいたら他の学習をしたい子の迷惑がかかる。それは先生が問題だ」という指摘がされるようになり、先生も追い込まれていく。

そんな中で、「カウンセラー」が導入されていく流れになった、と。

ここで河合さんが面白いのは「先生は全体をみなくてはいけない。しかし、カウンセラーは個をみなくてはいけない。だから立場が全く違う」という事をあえて明確に認識しなければいけない、と提示した上で、「学校の先生達からみれば、カウンセラーは黒船である、というほどの衝撃があることを認識しなくてはいけない」と当初は言っていたのが面白かったです。

学校はそれまでは「学級全体をいかに先生がとりまとめ、一定の学習レベルまで全体を上げていくか」というのが仕事だった。
それは、いわば日本の文化だった。全体のためには個性は多少は犠牲にしてでも、全体のために尽くす、全体を良くすることを感がる。これは暗黙の了解、文化だった。

ところが、カウンセラーは、まさに西洋の考えで、「個人主義」そのものだ、ということ。
西洋では、「教えることは先生の役目だが、それについていけるかどうかは個人次第」というドライな考えが当たり前で、何かメンタルな問題があったりすれば、「それはカウンセラーの仕事」と先生も割り切っている文化がもともとある。

しかし、日本は「全体のことを考えながら、そのために個人の事も同時に先生は出来るだけケアする」というのが当たり前で、そこに、「個人のことは外部の人に任せる。しかもそのカウンセラーという人は、自分の生徒と話したことは基本的には秘密で、担任の先生、校長には明かさない」という、全く今までにないことで、これは「日本文化と西洋文化のぶつかりあいで起きる衝突と同じことが、学校でも起きる、ぐらいのことを考えていかなくてはいけない」と書いているんですね。

その上で「これから日本人は個人主義の良い所も取り入れていかなければいけない時代であり、その大きな試金石にもなるのが、あなたがたカウンセラーなのです」と、学校に派遣されるカウンセラーに諭しているんです。

文化論ですよね。

そして、この話は20年前ぐらいのことですが、それから10年ぐらい経つと、「カウンセラーがだいぶ浸透してきた」一方で、「俺、鉄砲持っているんだよ」とか「俺、これから〇〇を殺しに行く」とか「もう死にます」というのが当たり前に話題に出てくるようになった。

それが、ちょっと前なら「ばかやろー!」でぶんなぐって終わりだったのが、下手すると本当に人を殺してしまう、あるいは本当に自殺してしまう時代になった。

そこで、カウンセラーの資質が問われていて、それはマニュアルで出来るものではなく、全人格でぶつからないと、自分もギリギリのところに追い詰められた上で判断が出来なければいけない、と、いうことになった。

「だから、カウンセラーは専門家なのです。ちょっと訓練がした人が出来るものではないんです。そして、自分がギリギリに追い詰められながら、またちょっとしたミスで人が死んでしまう、そういった仕事をしている、という覚悟をもった人でないと出来ない。逃げたい、という人は辞めないといけない、そういう仕事なんです」

とまで言い切っているのが凄い。

エピソードであったのが、「俺、銃を持っているんだよ」という相談を受けたカウンセラーが、この「秘密」を明かしてくれた学生とのだけの会話にとどめるか、あるいは警察や先生に言うか、時と場合、学生の深層心理、学生とカウンセラーの人間関係など、色々な条件によって、その言葉の重みが違うので、答えがあるわけではないという前提で語られたのですが、このカウンセラーは「私はカウンセラーだから君との秘密を守らないといけない。しかし、銃を持っていると聞いた以上、私は君との秘密を先生や警察に伝えないわけにはいかない。だからカウンセラー失格だから、カウンセラーは辞める」と言って、ひと騒動あったそうです。

しかし、その生徒が警察沙汰になった上で、落ち着いた頃、「先生、俺、ああいってくれたから良かったよ」となり、それでもその先生は「いや、私はカウンセラーを辞める」となったのですが、その生徒の「いや、辞めないでくれ」という嘆願で、カウンセラーを続けることになったそうです。

そういった全人格でぶつかってくる大人がいれば、色々な思いを募らせている生徒も、「こういった大人がいるんだ」と希望が持てるんでしょうね。

繰り返しですが、これは1つの事例であって、こういった場合はこうすればいいという問題ではない、と繰り返し河合さんは言っています。

だから、全人格で勝負しなくてはいけないし、専門家ではなくてはならない、と。


そして、そういったことは、生徒との間で問題が解決する時代ではなくなり、今はその親、担任、校長とも良い連携を考えないといけない時代になった、難しい仕事かもしれないけど、それがカウンセラーの仕事であり、それをやりきれない、という人は、カウンセラーを辞めなさい、と。

凄いですね。

なお、今はどうなっているかわかりませんが、この本の10年ぐらい前の話で、カウンセラーへの国の予算はどんどん削られているそうです。

どんどん混迷していく教育現場、人材の数そのものが欠乏していて、先生の資質を上げるどころか、どうやって先生を辞めさせないか、という所まで来ている時代。

どんなことも、一番インパクトになるのはお金。

工夫を出来る余地をとっくに超えている学校現場、カウンセラーに限らず、国家予算を「教育こそ国家100年の大計である」と英断できないものですかね。



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今年の夏も「虹の戦士」

2018年08月12日 | 自分の時間
夏休み

木曜日に海に行く予定が、台風の影響で1日ずらし、(金)(土)と海へ行ってきました

海のきれいさから、内房の岩井海岸に行くことが多かったのですが、今年はボディーボードを子供が体験したいと言い出したので、外房の九十九里へ。

台風一過の青空の下、砂浜は空を映してまるで鏡のようで美しい


そして台風の影響がまだ残っていて、波は大荒れで、ボディーボードにはもってこいでした


そんな夏の海に欠かさず持っていくのが「虹の戦士」という本です。

長男が生まれて初めての海の旅行に持って行ってから、今年で7年目。
毎年欠かさず海旅行の読み物となっています。


これはたまたま1年目に海に持って行った時、運命的な事を感じて、毎年、夏の海に持ってきて読むのを習慣にしています。


インディアン(近年はネイティブアメリカンと呼ばれるようになっています)に伝わる物語で、地球が悲鳴を上げ、人類がおかしくなっていき、最後の最後に現れるのが「虹の戦士」、というお話です。

「虹の戦士」は、自然を愛し、地球を愛し、人を愛し、今の近代文明でおかしくなって滅亡へとひた歩む人類にとって、また地球にとって、救世主となり、大きな方向転換をしていく存在としてインディアンの中で語られてきた物語です。

白人に侵略され、虐殺され、アルコール浸けにされ、キリスト教を押し付けられて土着のアメニズム的な信仰はバカだとののしられ、魂を無くすように仕向けられたインディアンは、そうされるその必要性があった、と語ります。

しかし、そうやってインディアンのスピリットが無くなりかけた時、人類も地球もおかしくなった極の時、現れるのが「虹の戦士」で、自分達を制御できなくなった近代文明や近代人に、インディアンに伝わる本当の生き方、価値観、スピリットを教えて地球や人類を救う、という事が示唆されています。

こんなことを、都会暮らしに染まったインディアンの血を継ぐ1人の少年が、まだ現役のインディアンとして偉大な存在である曾祖母を訪ねていき、大きな決意の下、たくましく育って運命を変える力を手に入れていくお話です。


ちなみに、訳者は「日本人はインディアンの末裔である」と言っている方です。
面白いですね~。


日本人もインディアンも、いわゆる先住民、土着の民というのは自然と共に生き、自然を崇拝し、自然の中における自分たちの存在を正しく理解し、動物の無駄な殺生、無駄な森林の伐採などはせず、恵みを与えてくれる自然に感謝をし、弱い者には助けの手を差し伸べ、生きてきました。

本の中で登場する偉大な存在の曾祖母は「昔は子供が孤独になるとか、老人が一人寂しく死んでいくということは絶対無かった。みんなが弱いものを助け、老人は知恵あるものとして尊敬され、みながみなの親であり子であり、助け合って生きていた」と語ります。

世界一自殺率が高く、世界一精神病患者が多く、先進国でトップクラスで教育にお金をかけず、3人に1人が非正規雇用者で、3人に1人がガンで死に、3組に1組が離婚し、結婚出来る人も限られているなど、息苦しさが蔓延している日本ですが、昔の日本人も助け合って生きていたはずですよね。

江戸時代が良かった、という人もいますが、縄文時代が一番幸せの時代だったという人もいます。

北欧のケルトもそうでしょうし、アフリカの原住民、アメリカのインディアン、いずれの先住民と言われている民族、もっといえば「文明」がまだ侵入していない人々の暮らしは、ほとんどがそうだったと思います。


昨日、テレビでマカオのホテルに何百億円の費用をかけて、シルクドソレイユの元総括が作ったエンターテイメントが紹介されていました。

「なんでこんなことに莫大な金を使うのだろう。このお金を苦しんでいる人に使えば、多くの人が救われるのに。なんて馬鹿なことにこんな金を使うんだろう」

というのが私の感想でした。

いやね、ちょっと前なら「お~、凄いね~」と普通に思ったし、「金持ち向けの娯楽だね」と思っただけだったのでしょうが、たまたま「虹の戦士」を読んだ翌日に見たテレビだったので、「なんてバカげたことに莫大な金を使うんだろう」という思いが沸いてきたのです

誰だってまともな心を持っている大人なら思うはずです。

子供達が虐待や貧富の差で傷つくことなく、3度のご飯をきちんと食べられて、親や地域の人から愛され、すくすく育っていってほしい、と。

お金より大切なこと、誰かの役に立てる人間になること、目上の者は目下の者のお手本になれるような生き方をすべき、と。

みんなが健康で元気に楽しく生きていける世の中であってほしい、と。

真面目に頑張っているのであれば、誰もが報われる社会であるべきだ、と。


今年は、そんな当たり前の事が一番大事だと、いうのが読後感想でした



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「田んぼと畑の耕育教室」無事終了♪

2018年08月05日 | 農的体験・生活
この(土)(日)は「田んぼと畑の耕育教室」でした。

先月は2週間前で、タイトなスケジュールですが、何かと無事に開催できました

先月は熱中症のまま開催したので、本当にフラフラとし、手先はしびれ、とまあ、良く死ななかったと思います

先週は「食と命の教室」もあり、この2週間は畑仕事をオクラやカボチャの収獲ぐらいにして、ほとんど体力温存に務めました。

その結果、昼過ぎぐらいのムワっとする熱波にはちょっとやばさを感じましたが、2日間、無事開催することが出来てホッとしています


さて、この時期は何をしているかというと、田んぼでは稲がちょうど出穂をして花を咲かしている時期です。
あまり田んぼに入る時期ではないのですが、小さな子からすると背丈より大きく稲が育っているので、ジャングル探検のように稲をかきわけ、田んぼ遊びが出来るのです

大人は草をとってもらって、子供はオモダカというキツネの顔に似た草をとってもらったり、イナゴを捕まえたりと、まあ楽しそう


一方、小さな子供はすぐに出ちゃう子もいるので、我が家で昔使っていたプールを2つ出して、ひたすら水遊びを楽しんでいる子供もいます。
暑い日はやっぱり水遊びですよね~


田んぼの後はミニトマトの収獲、そしていつものように美味しいお昼御飯です
3歳ぐらいの子が5杯ぐらいご飯を食べていて、お母さんも「なんでこんなにここなら食べるのか不思議です」と言うんです。
やっぱり外で食べるご飯、みんなで食べるご飯、そして美味しく愛情込めたご飯は子供はモリモリ食べちゃうんでしょうね

また、暑いので水分補給と同時に塩分補給を、ということで、我が家なの梅干しも置いておきました。
2日間とも、みんなパクパク食べていましたよ


そしてお腹いっぱいになった後、8月のメインイベントのスイカ割です
「私、初めてやるの」という子もいて、小さな子どもから小学生まで、みんな親だけでなく周りのおじさん、おばさん、お友達の声に惑わされながら、たのしそーにスイカ割をしていました


結局、割るだけ割って、食べきれず余っちゃうことに


さらに、根本さんがいつものヨーグルトだけでなく、ドリンク風のラッシーも作ってくれて、これも完売


まあ、お腹いっぱいで、小さな子のお腹が風船のように膨らんでいました

さてさて、次回はいよいよ稲刈りです

去年は台風の影響が無かったのですが、2年前、3年前は本当にひどい状態でした
今年はどうなるか?
台風が来ず無事開催できますように。
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今年も梅干し♪

2018年08月04日 | 農的体験・生活
今年も梅干し、出来ました

もう何年作っているかわかりませんが、私の夏の生命線です。

昨年は、どこもかしこも大不作で、仕方なくスーパーで南高梅を買いましたが、今年はいつもの知り合いから分けてもらいまいた

1年分を収穫した後、その農家さんがとりすぎたあまりをまたもらってきたので、いつもより多めになり、大きなザルで4枚分も漬けてしまいました

まあ、本当は梅干しは1年物はしょっぱいので、4年ものぐらいかがいいらしいです。

塩角がとれてまろやかになるんですよね~。

で、今年は7月が暑すぎて、また「田んぼと畑の耕育教室」の開催日がちょうど「土用干し」の辺りで、しかも晴れのち曇りの予想もでていて、干し期を逃してしまっていました

ただ、このままだとお盆になって晴れも減ってくるかと思い、先週1週間かけて、2回、干しあげました

ちなみに赤シソは4年前ぐらいに蒔いたものが、今は毎年こぼれ種が発芽してそこら辺に出てくるので、それを使ってます


暑い日にきちんと干すと、このぐらい塩が吹きます。これが私の梅干しの出来上がりのサインです


梅酢は夏を乗り越えるドリンクとして、毎日、飲み物に入れています。

これでまた来年も生きていけます

梅干しちゃん、有難う
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