半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

7月の「食と命の教室」

2017年07月29日 | 農的体験・生活
海から帰って来た翌日は「食と命の教室」でした。

体力的に心配でしたが、海はそれほど暑くなかったので体調も万全

また、今月は暑いのでのんびり過ごす予定でしたが、思ったよりは暑くなかったので、過ごしやすかったです

さて、まずは朝のご挨拶と同時に、スイカを1人5切れ食べました
そうです、この時期は水分代わりにスイカを食べるんですね。

午前は高柳さんのお話を聞きながらひたすらスイカを食べました

また、5月にみんなで蒔いた枝豆がちょうど適期で収獲10分後に茹でたてを食べたら、それはもう最高に美味しかったですよ


そして今月のお昼ご飯も最高に美味しい
お母さんの料理がどうしてこんなに毎回美味しいのか不思議ですが、今回もお呼び立てしてレシピを拝聴。
シンプルイズザベスト、ですよね~。


さて、お昼寝や買い物の後は、まずはスイカ

スイカで水分補給をした後、畑へレッツゴー
といっても、あくまでちょっと土に触れよう、ぐらいなので、ちょうど5月に蒔いたヒマワリとゴマがちょうど満開だったので、見学に出かけました。



ヒマワリも満開
ちょうどこんなに満開のタイミングで教室の日と重なるのも珍しいぐらいで、本当にきれいでしたよ~



ゴマもきれい~


少し草抜きをしたらもうすぐに汗がダラダラで、30分ぐらいで畑は終わりにしました。

母屋の方に戻った後、高柳さんが「ほれ、この前みた油を搾る菜種あったでしょ。あれも見てみるか」ということで、ハウスの中で菜種見学。
まるでゴマのようですね~。


そしてこれが風でゴミと実が入ったものを選別する唐箕。
やってもらいましたが、みんな初体験の方ばかりで「へ~」という反応ばかりでした


こちらは藍。藍や綿も遊びで娘さんが始めたそうです。


その後、はぐら瓜やスイカを収穫しお土産に


最後に、今回、今の時代でデジタルではなくフィルムを使った写真を撮っている方がいて、高柳さんが映った映像を見てみたい、という希望があって、日本のお米に関わる伝統的な営みをしている高柳さんや寺田本家さんが出てる「白姓」のDVDを視聴しました。

もう私もかれこれ6回ぐらい観ていますが、今回も満たされるものと感極まりそうな感じがありました。

能登の田の神様を真冬に田んぼまでお迎えにいって、ご馳走を供え、「来年まで種もみをお守りください」とお願いする行事、新潟の和紙職人さんの「死んだら自分は土になりそこで育った植物が空気を出す。だから自分はここの空気になれる、と思うといつ死んでも良いと思えるようになった、というかそういう年になった」という言葉がとても心にきました。

高柳さんを横に高柳さんが映っているdvdを見るのもなかなか興味深い感じ。

高柳さんと出会い、農村の方と出会い、地域に根差し歴史の中に生きている人と時間をともにし、生きるも死ぬも自然の1つ、地域も人も家も自然も1つ、ということを少しずつ実感出来始めている今日この頃に、ただただ感謝の気持ちが沸き起こった時間になりました
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今年も「虹の戦士」

2017年07月28日 | 素敵な本
今年も恒例の海に行ってきました

地元の漁協の方が「地潜り」あるいは「まんじゅう」という蟹を捕まえたり、初めてアカエイを目の前で見たり、アサリみたいな小さな貝を沢山捕まえたら、これまた漁協の人が「これはアサリより美味いぞ」と教えてくれたので、それを食べたりと食や生き物がテーマのような海でした

そして、私は毎年夏の海に2012年からは「虹の戦士」という本を持って行っています。
それは運命的な出会いのような本で、2012年に海にもっていって以来、毎年、海の旅行の際に読むのが恒例となっている本です。

2012年当時のブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/atsu1234/d/20120727

毎年読んで思うのです。

あぁ、世界中で「虹の戦士」が立ち上がろとしている時代なんだな、と。

そして、ストーリーテリングはとても大切で、それは歴史や伝統や民族にとって魂ともいえる文化なのだ、と。

そして、自分も最終的にはこの虹の戦士を目指しているのだ、と。


この本を読んで心を熱く出来る人は、誰もが虹の戦士なんだと思います。

普通の人は読んでもピンとこないでしょう。
あるいは、まだそういったタイミングではないのでしょう。

しかし、インディアン、あるいは日本人など、地域と歴史と伝統に根ざして自然の中で生きて来た民族、あるいは人が、行き詰まった現代社会を打破する存在になるという事は、根拠のない確信となって伝わってきます。

そして、チベット民族が中国人に虐殺されてきたように、インディアンがアメリカ人に虐殺されてきたように、そして日本人もまた戦争などで大変なことになるかもしれない。

それでも、相手を赦し、共に生きていく道を目指そうと出来る民族が、これからの世界のリーダーシップをとっていくのだろう、と思える本です。

そして今年の気づきは、「あぁ、人は自分が何者かになりたい、と思う人と、誰かのための何者かになりたい、と思う人がいるのだろうな」ということ。

自分が世界を変える、というより、世界を変える若者に示唆を与えられる生き方、人間になりたいと思う人もいるのだろうな、と。

私はどちらかといえば後者なんだろうな、と思います。

毎年、この時期に、自分の魂に薪をくべる、そんな本です。
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ヨモギエキス

2017年07月24日 | 農的体験・生活
ヨモギエキスというのがあります。

夏のヨモギを茎ごとひたひたのお水に入れ、ぐつぐつ煮て、半分ぐらいになったら、それをとりだし搾り、さらに煮てドロドロにするものです。

健康食品として最高部類に入る薬効があるようで、体のつかれや色々な悪いものを外に出し、内臓を強め、血をきれいにし、と凄いものだそうです。

先日、畑でヨモギを刈ってきて、3/4ぐらいに煮詰めたドリンクを飲みましたが、「苦いけど美味い~、効く~」という感じでした。

苦いけどそれが美味しい、というレベルだったんですね。

今回はなべ底がギリギリ見えない程度まで煮詰めてみたのですが、舐めてみたら、「うわぁ」と叫んだほど苦いのです
これはとてもドリンクとして飲めませんね
スプーンで必要な時にちょびちょび舐める程度が限界。

でも、こういったものを昔の人は常備して、何かあったら舐めたり、普段も舐めて体を整えていたんですよね。

ヨモギ、春の団子やてんぷらも美味しいけど、夏のエキス作りもまたいいもんですよ
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夏の畑

2017年07月24日 | 農的体験・生活
夏の畑は暑くて朝の仕事が基本です。

そして、そろそろ秋の準備として、太陽熱消毒が必要です。
太陽熱消毒というのは、透明ビニールマルチで畑を覆うことで、太陽熱の暑さで蒸れさせて、病害虫や雑草の種を蒸し焼きにしてしまうことなんですね。
すると、秋の作付の際に、とてもやりやすくなるのです。

私はもう終わっているので、今は収穫や草取りぐらいです

まず、トウモロコシ。
といってもいわゆるスイートコーンはもう作っていません。
昔作ったのですが、虫も凄いのですがハクビシンか狸がかじりにきたので止めました。
昨年からポップコーンを作っていますが、今年はモチキビという昔の甘くないトウモロコシも蒔いています。
でも、どれが適期かあまりわからず、触ってみたり皮を少し剥いて中身を見てますが、まだ早いようです。


こちらはかぼちゃ。
かぼちゃはなぜか知りませんが、買うとむちゃくちゃ高いです。
あまりに高いので、今はオランダやニュージーランド産がスーパーに普通に並ぶようになってしまいました。
まさか、かぼちゃの海外産が並ぶとは驚きですが、なんであんなに高いのでしょうかね?
ということで毎年作っています。

しかし、今年は実のつきが悪く、1つ1つが何だか小さい気がします。
雨不足のせいでしょうが、まあその分、1個がギュ~っと詰まっている感じで、とっても美味しいですよ


そして、夏の定番の白瓜の収獲が始まりました
白い瓜だから白瓜という書くのですが、まあこれが美味しいのです
キュウリと違って、そのまま食べるのではなく、はぐら瓜のように塩もみして青シソと混ぜて食べるともう最高なのです
はぐら瓜も美味しいのですが、柔らかいですよね?
でも、白瓜はこりこりしていて歯触りがよく、とっても美味
毎年同じ野菜がたくさんくるので、オクラも飽きてしまったうちの子も、白瓜だけは食べ続けています
一度とれはじめると夏中ずっと穫れ続けるので重宝します


同じく、穫れ続けるとずっと続くのがゴーヤ。
こちらも収穫が始まりました
ちょうど(土)に農家さんからたっぷり頂いてかぶってしまいましたが
熟れさせて中の赤い種の実を食べても良いのですが、こういう時は大体が佃煮にするといいんですよ。


同じく収獲時を迎えたのが空芯菜。
うちの子はあまり食べてくれませんが、鉄分たっぷりでベータカロチンやいろいろな栄養素が豊富で「暑い時にどんどん育つ野菜」の定番で、夏に食べるととっても良いのです。
といっても、好きな人は好き、好きじゃないひとは好きじゃない、と別れるので、いつも私ばっかり食べているんですけどね



また、枝豆も収獲時を迎えました
枝豆は言わずとしれた誰もが好きな野菜。奥様もビールのために、持ち帰っても放置される野菜が多い中、枝豆だけは必ず茹でてくれます
鮮度が一番、とれたてをすぐに茹でるともう最高ですよ~


その他、ジャンボ落花生のおおまさりも育っています。


暑い時期、草をある程度とっておけば、あとはひたすら収獲して食べるのが夏の野菜の醍醐味です

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昔の女性の忍耐力

2017年07月20日 | 農的体験・生活
昔の女性の忍耐力というのは凄かったんだと思います。

とういうより、家庭にそういった存在がいたことは、ある意味、日本が強い立派な人が多かったという礎の1つだったんじゃないかな、と思う今日この頃です。

私はたまたま「おかげさま農場」という平均年齢が68才ぐらいの農家さんのところでお仕事をさせて頂いているということもあり、世の中の団塊世代とは違った、ちょっと前の田舎の家族の在り方というか生活を今も営んでいる団塊世代の方々と触れられている有難い立場です。

普通、一般的な団塊世代は、自由恋愛&老後をお金とお孫さん中心で楽しんでいる感じだと思います。
いわゆる欧米型ライフスタイルの洗礼を受けた世代ですよね。

ところが、田舎はまだそうではなく、その1世代前ぐらいの生活スタイルが、団塊世代にも残っています。

例えば、女性はお茶を入れてくれるのが当たり前。

もちろん、男性の農家さんもご自宅にいけば「まあお茶でも飲んでけ」といってお茶を出してくれます。

ただ、例えばみんなが集まっている時に、率先してお茶を入れてくれるのはお母さん達です。
飲んだ後のお茶碗を下っ端の私が片付けようとすると、たいてい、女性のお母さん達は「いいからいいから、そんなもん、男がやることはないんだよ」と止められるのです。

私が就職した20年ぐらい前は、既に女性がお茶をくむなんていう習慣は、ある程度大きな会社ではありませんでしたから、女性が男性のお茶を汲むのが当たり前、といったような価値観で生きているお母さん方と触れ合うと、何だか新鮮というか、「あぁ、昔はこんな感じだったんだろうな」と思うわけです。

そして、当たり前にそういったことをするお母さん達が、なんだかすごいな、と思うわけです。

「今の若い男は大変だな。茶碗洗ったりお茶入れたりするんだろう?」とお母さん達は言います。

私が、今の時代はそれが普通、というと、あるお母さんはこう言うのです。

「男と女は違うんだよな。畑仕事も力がある男にはどうしてもかなわない。だから男の仕事、女の仕事というのがある。女も家の仕事があって大変だけど、男だって地域のつきあいとか、家の代表として色々大変なんだからな。だからそんなこと、男はしなくてもいいのにな。今の若い母ちゃん達はしゃーねーな」

自由恋愛もあるでしょうが、お見合いもあって、「家に入る」というのが当たり前の時代でしたし、今も私より年下の男の農家さんも、跡を継いだ自分を「旦那」と言います。

「旦那」というのは、仏教用語か何かだったと思いますが、いわゆる家の総領、家の代表として家族を食わしていく責任者、ということです。

男性は「自分が旦那だ」という意識があって、「食わしていく」という責任感があります。
若ければ地域の消防団や村の役回りを担わなければいけません。

女性は「女のやること」として、家の仕事をやります。

そして、お父さんもお母さんも日常は畑で一生懸命一緒に田畑で汗水流して働いています。

それぞれが、地域での役割、家での役割と認識して、責任をもって働いています。

田舎の暮らしは、最初は「しがらみが多い」ように見えます。

しかし、昔からそういった生活で、親の世代もそうしているから、自分達もそうする、といった「縦のつながり」があって、そして地域との「横のつながり」の中で、自分をある意味縛るものがあって、そこで生きていくことが生活していくことなんだ、というのが当たり前にあります。

そうすると、家と会社を行ったりきたりで、休日は家族や友達と遊ぶ、といったライフスタイルというのは、戦後、欧米にあこがれ導入されて今の団塊世代あたりから始まった、最近の生活文化なんだな、と思います。

例えば私は子どもが大好きです。

世の人達も子供が大好きで、大学生の入学式に親が行くのが当たり前だそうです。
昔なら考えられません。

それはある意味「暇」なんだと思うのです。

言葉の誤解を招くのであれば訂正すると、田舎の農家さんと比べると「自分たちの使える時間的余裕と人間関係が緩い状態」なんだと思います。

私もある意味、農家さん達から見れば「暇がある人」と思われるんだと思います。

毎日、畑の仕事に追われている農家さん、あるいは土日でも地域の役回りで忙しい農家さんからみれば「最近の人」とみられるわけです。

でも一方で思うことは、そういった「縦と横のつながり」で生きている農家さん達は、自己中心的では生きられないので、みんなしっかりしているんです。

みんな、私を含めた「最近の人」に比べると、1人1人が忍耐強いと思います。

核家族、あるいは親と自分の2世代家族で暮らしている私達世代は、例えば、家族内でちょっとしたことですぐいざこざがあります。

でも、ふと農家さん達に目を向けると、小さなことでごちゃごちゃケンカしません。
ちょっとした口論があっても、なんだかんだいって旦那をお母さんはたてます。

男には男の役割がある、女には女の役割がある、と明確にみんな共通認識を持っているからです。


そして、その中で、恐らく人間関係で最も大変であろう嫁・姑関係も受け入れ、「家に入った」お嫁さん、つまりお母さんは、畑仕事もして、家の仕事もして、姑の対応もして、本当に忍耐強いな~と思います。

そういった家の中のお母さんがしっかりしているから、男も外できちんと役目を果たせたろうし、家が回っていたんだと思います。
そして、しっかりしている親の下に、しっかりした子供が育つ。

男も女もみんなそれぞれ頑張っている。

でも、全ての礎のお母さんがぶれない、しっかりしている、というのは、恐らく家や地域、あるいは子供たちがしっかり育つ一番影響を与えることなんだと思うのです。

東城百合子さんが「お母さんは家の太陽だった」と言いますが、今は男性だろうが女性だろうが、どちらかが「家の中の人格者」としてしっかりしていることが、とても大切な時代なんだろうな、と思うのです。

でも、日本ではやっぱりお母さんの器の大きさ、忍耐強さ、人格の大きさが、すべての礎だったような気がします。

たかがお茶くみ、たかが洗濯、たかが食事、ではなく「それは自分の仕事」と思ってやってきたお母さん達。
私からみると、そういったお母さん達の生き方は偉大だと思います。
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暑さは自律神経の力&体力で

2017年07月18日 | 自分の時間
暑い日が続いています。

暑い日が続くと、頭が働きません

特に肉体労働をしていると、ほんと、もう生きているのが精いっぱい

すると沢山たまっているパソコン仕事もはかどらず、でも納期があるのを対応するので手一杯です

そんな中、
この(土)(日)は「田んぼと畑の耕育教室」でしたが、(日)はもうノックダウン状態でした


人間、暑くなると熱がこもってきてだんだん息苦しくなってきます。

すると自律神経が働いて汗がドバっと出ます。

汗がドバっと出ると、自然に体温が下がって息苦しさが無くなって少し動けるようになります。

これが体の仕組みで暑さに順応できる力です。

ところが、これが1日で5回ぐらい起きると、体ついていかなくなるんですね~。

(土)(日)と続けてこんな状態だったので、大丈夫と思っていたのが、(日)の後片付けあたりから「精根尽きた」感じになりました


でも、まあ何とか人並みの体力ぐらいには体調が戻っているのでしょう、(月)は東京にいったので、動くだけでつらかったですが、今日はボチボチになりました。

暑さに対応できる力が自律神経がいかにきちんと働くか。

自律神経やそもそもの対応力の根幹をなすのが体の体力。


体力の低下は自律神経の対応力でカバーできるのですが、一定ラインを超えると体力の低下をカバーできなくなり、バタンキューするんでしょうね。


今年は異常気象の中でさらに異常気象が続いています。

恐らく、ほとんどの方が「異常気象」というのを、わがことのように考えていないと思います。

しかし、高柳さんのような方々と暮らしていると、「異常気象がここまでくるようになったか」とびっくりしています。

うちの子どもに話していますが、これも全部、大人の私たちのせい。

90年代から叫ばれていた地球温暖化の影響が、アメリカやオーストラリアにあらわれ、ヨーロッパや日本にも現れています。

そして、千葉県は豪雨の災害ではなく、大干ばつという被害にあっています。

日本は世界でもっとも雨に恵まれた国ですが、水を蓄える国力は世界規模では全く無い国です。

というのは、世界レベルで見れば、日本の国土は急峻過ぎて、降った雨が海に流れ着く距離が、圧倒的に短いのです。

普通の国であれば水不足に陥る国です。

でも、それを雨量でカバーしています。

その雨量が水がめがあるところにこなければ、すぐに水不足に国になります。

そして大干ばつ。

出来るだけ、地球温暖化につながらないような生活スタイルをすることが最も重要ですが、対応力をつけないとさすがにこの暑さで野良仕事を続けるのはつらいです

夏は対応力・順応力で乗り越え、冬~春の間に根本的な体力を増やす、そんなことがこれから毎年暑さが増すことを考えれば、必要だな~と思う今日この頃です。

まあ、まずはこの夏を乗り切らねばね。
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色々なお祭りの形

2017年07月09日 | 自分の時間
成田は祇園祭り中で、特に成田山周辺は夜まで凄い人数です。

夜になってもタクシーやバスは満員状態で、やはり一大イベントなんですね。

ところで、昨日、成田の片田舎の旧下総町の根本さんのところに行って、来週の教室の準備のために、ミニトマトの手入れや黒豆を蒔きに行ったら、根本さんのところも祇園祭でした。

根本さんと出会ったのは7年前。

その時、「8年ぐらい途絶えていた地域の祇園祭を、消防団のみんなで復活させた」というエピソードを聞きました。

初めてその場を見たのでしたが、最初は何をやっているかわかりませんでした。

近くで「ドン、ドン」とたまに太鼓をたたく音が聞こえてくるのです。

「なんだろうね?」と一緒に種蒔きを手伝ってもらっていたうちの子と話していたのですが、そういえば朝、根本さんから「今日は祇園だよ」というメールを頂いていたのを思い出したのです。

良く見ると、小さな地元の子どもが10人ちょっと体操服を着て集まっていて、そこに根本さんや地元の有志の大人が10人ぐらいが集まって、軽トラックに太鼓をのっけて、各家々で太鼓を打って回って各家々を回っているようです。


私はお祭りのような派手なことが好きではない両親の下で育ったためか、神輿や太鼓に胸が高まるタイプではないのです

住まいもニュータウンですから、お祭りと言えば、露店で買い食いするためにある、程度の認識でした。

その後、大人になって農村を歩くにつれ、祭りが神事であり、地域の伝統であり、地域をつなぐ行事であり、廃れていっているもの、ということを知ったのです。

ところが、成田の祇園祭ぐらいでかいと、廃れているということは無いんですね。

若頭は自腹で100万(200万?)ぐらい出して、全てをかけて準備をすると言いますし、成田山周辺の昔からある町は、気合の入れようが違います。

それは、かつて、祭りの中心だった方々が年配になっても沢山ご健在で、その伝統、風土がまだまだあること、そして観光地だからこそ、見物客もどってくるということがあると思います。

一方で、根本さんのところはご縁が無いと誰も知らない成田の片田舎。

祇園祭りは地域の人のためにあるわけです。

だから、成田山のものとは全く違って小規模。

しかし、大人と子供が全員顔が分かる地域限定だからこそ、アットホームで、人と人とのつながりやぬくもりを感じられるお祭りなんですね


大きな祭りも華やかですが、地域に根付いて子どもが中心で行われるお祭りも良いものですね


そういえば、と思い出したのが、先日、イオンの裏でカジノ問題が上がった時にお話を聞いた方のお祭りのお話。

その地域では、昔から大きな蛇の人形を6年生がリーダーになって、子どもたちで各家々をまわるとお金をもらえて、それを下級生に6年生が配分していく、なんていう祭りのやり方があった、ということでした。

「それはそれでたてのつながりも出来るし、子どもたちがリーダーシップを発揮するし、お小遣いももらえてよかったんだよ」と言っていました。

その行事は「盆綱」というらしく、お盆にまだ成田の数か所で行われている、と、ある方が教えてくれましたが。


また、そういえば3日前に高柳さんが「伊能のおあそび」の事を言っていました。

成田の大栄地区には1000年以上続く大須賀神社があって、そこでは毎年「伊能歌舞伎」という地域歌舞伎が奉納されています。
もう何百年も続く伝統行事ですが、一度廃れたものが平成に入って復活しました。

全体の祭礼を「伊能のおあそび」という名前もあるそうなのですが、地区の人が集まった時に「もう止めようよ」という話が出たそうで、高柳さんがちょっとプンプンしていました。

「最近の者は、仕事があるからとか、自分のことばかり考える。かつて、何百年も先祖の人達が大切にしてきたものを、自分たちでも受け継がなければいけない、といった自分を横に置いて考えられないのかな?」

ただ、「まあ、子どもも最近はいないしな。。。子供がいないと盛り上がらないのも確かだな」という言葉も。

鴨川などは、もはや地元の人だけでは祭りは成り立たず、都会から毎年応援が駆けつけて盛り上がっている、ということをお伝えしたら、高柳さんの盟友の林さんが横にいたのですが「外から手伝いに来てくれるなら、それもいいな。あとは地元民がリーダーで率先すればいいしな」とのこと。


観光化したお祭りとは別に、各地の伝統祭りに関心が向く、そんな時期ですね。
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5時台からの畑

2017年07月07日 | 農的体験・生活
昨日はキャロベスタという機械仕事の手伝いだったので、体力が残っていたので、「明日は朝から畑に行くぞ」と決めていました。

何故かというと、草が凄いのもありますが、雨上がりに「太陽熱消毒」をしたかったからです。

ということで、今朝は5時に家族が寝ているところを抜け出す形で、家から30分ある畑へレッツゴー

今年初の5時台出動でしたが、朝は道路がすいていて、ラジオもなんだかすがすがしいのが聞こえてきます

大栄地区あたりの国道51号は霧がまだかかっていて、山間部の霧をみると何だか幻想的な感じです

さて、畑につくと野菜は真っ白でした。

特にアスパラは朝露で霜が降りたように真っ白。こんなになるんですね~。


日もまだ低く、辺りは薄暗くすがすがしさが残っています


さて、まずは、先日草を刈っていた場所を整理して、肥料などを撒き、太陽熱消毒です。

太陽熱消毒とは、透明ビニールマルチを夏にはると、中の水蒸気で草の種などが焼かれ、病原菌もやっつけることが出来ます。
更に肥料などが水溶化されて、秋作に向けてとても都合が良いのです。
透明だったビニールも、こんな感じですぐに水蒸気で真っ白になるんですよ。


そうこうしていると、日が昇ってくるとに合わせて辺り1面が明るくなってきました。

それに合わせてか、キジの親子も草むらから現れました


畑では色々育てていますが、トウモロコシは出穂し始めました。


モチキビ、ポップコーンと色々作ってます


太陽熱消毒用のマルチを張り、追肥をし、草を取り、とやっていましたが、7時を過ぎると日差しの熱さを感じ、8時を過ぎると辺りが暑くなり、9時にはもう暑くて帰りたくなりました

やっぱり早朝がいいですよね。

朝は1日の始まりを感じられる、とっても幸せな気分にしてくれる時間です。

また、朝仕事しにいきたいと思います

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初めて乗ったキャロベスタ(自動人参収獲マシーン)

2017年07月06日 | 農的体験・生活
暑い日が続きます。

水曜日の農作業仕事の予定が木曜日に移り、「暑いよな~」と戦々恐々として居たら、「人参堀りの手伝い」ということでした。

その場所に行くと、噂にはかねがね聞いていた「キャロベスタ」という人参収獲機械がありました

体験したら、「衝撃的」でした

何が衝撃的かというと、人参を収穫するのは、今まではこのような工程があったわけです。

1:膝まずいて、人参の茎葉をつかんで引っこ抜く。ひたすら引っこ抜く。
2:引っこ抜いた人参の茎の元を包丁で切り、実だけにする。
3:実だけになった人参をコンテナに入れる

この作業を3時間ぶっ通しでやってみたらどうなるかわかりますか?

人参を引っこ抜く握力は低下しますし、ずっと下を向いているわけだし、かがんでいるわけだし、まあ大変なわけですよ

これを100坪とか200坪かやるのが普通の農家の仕事なわけです。

ところが、この「キャロベスタ」という機械は、今まで手で引っこ抜いて、包丁で葉茎を切り落として、コンテナに入れる、という作業をやっていたわけですが、これを全部機械がやってしまうのです

機械メーカーのクボタの捨身を載せますが、こんな感じです。


人参の茎を見事につかみ、それをつかんだままベルトコンベアで上まであげ、それをつかんだままカッターで茎を切り、コンテナに落とし込む。

こんな機械、どうやったら考えてつくんですかね~?

というか、まさに「夢の機械」ですよ。これ。

一般家庭の事例で言えば、洗濯物を洗い板で洗い、水ですすぎ、絞り、干すということをしていたのが、洗濯機の登場でボタン1つで出来てしまう世界が現れた、というぐらいの衝撃です。

稲刈りで言えば、鎌で切り、オダを組んでそこの干し、乾いたらそれをかき集めて脱穀をしていました。

これを乾燥以外、一気にやってしまうのがコンバインという機械です。

恐らく、コンバインが登場した時も、相当な衝撃が農家に走ったんでしょうね~。


人間は便利を体感すると、なかなか昔のやり方には戻れないと言います。

ただ、機械は高い

恐らく300万ぐらいします。

投資回収が出来る、あるいは投資回収するぐらい作る、と決めた農家は買うでしょうし、買ってしまって「これを一度知ってしまったら、二度と手仕事には戻れない」ということですね。

便利だけど、良いのだけど、高い機械がどんどん現れる。

だから、農家の生産力が上がってももうからない。

儲かるためには規模をやらなければいけない。

しかし規模が大きいとまわすお金も大きくなり、経営リスクや畑の疲弊につながる。

有機農業の方向とは合わないのですが、それでも機械はやっぱり便利なものなのです。


そして今回のキャロベスタは、本当に衝撃的でした。ほんと。
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最近の畑

2017年07月03日 | 農的体験・生活
最近、とても暑い日が続きます

先週、3時間草をとり、今日も残りの草をとるべく朝からお昼過ぎまで頑張って草をとりました

この時期は草も育ちますが、野菜も育ちます。

草をとりきって野菜が日差しを奪う競争に勝てるようになれば、あとはまあまあ楽なのですが、6月の梅雨時期はどうしても草の勢いが凄く、人の手ではなかなかとりきれないのが現状なのです。

でも、野菜もぐんぐん育っていますよ

まずは空芯菜。
夏野菜の定番で、写真はとらなかったのですが、オクラ、ゴーヤとあわせて我が家の代表的な夏野菜です。

空芯菜、オクラ、ゴーヤ、モロヘイヤなどは暑さが大好きなので、7月に入って一気に成長します。

ホームセンターでは5月に苗が売り始めていますが、5月に植えてもトンネルなどをしない限りあまり意味はありません。
これから一気に入れ食い状態に入りますよ


こちらはトウモロコシとかぼちゃの2次元栽培。

上に伸びるトウモロコシと、地を這うかぼちゃを同じ畝で栽培しています。

トウモロコシはスイートコーンは作るのは止めました。
なぜかって虫が凄いからハクビシンもかじりに来るのでこの辺では作れません。
そのため、高柳さんから頂いたポップコーンの種、また林さんの作っていたモチキビといって、甘くはないのですが旨味がある昔ながらの焼きトウモロコシに使われていたトウモロコシを育てています。


こちらは定番のかぼちゃ。買うと高いのですが、作ると簡単です


その他、色々やっていますが、面白いのはこちら

まずは枝豆。枝豆はなぜかカメムシが大好きで、たっぷりとつき始めています。
必ずこのタイプのカメムシがつくから不思議ですね~


次に、これは秋冬人参を放置していたもの。
春先に花を咲かすのが一般的ですが、こちらは今頃花を咲かせています。きれいでしょ
ハチだけでなく、ハエ、またカナブンなど色々な虫が花粉などをとりにきています。


こんなに見事な結球したお花も
カナブンの横に変な虫がいます。なんなんざんしょ?


世の中ではハチが大切と騒がれていますが、自然界では受粉はハチよりハエの方が多く担っているといいます。
こういった姿を見ると、ハエもまあ、人間界では邪魔ものですが、自然界では立派にお役をもって生きているんだな~ということがわかります

こちらは自生ミニトマト。
自生というのは、一昨年植えたものから実がこぼれ、勝手に昨年生えてきて、また今年も勝手に生えてきました
ミニトマトも実をいくつか畑に放っておけば、いつの間にかシソと一緒にこぼれ種から生えるから、生命力がありますよね。


最後に、こちらは奥様が食べるというので初めて作ってみたパクチー。

左側は丈が高いのですが、何だかカモミールのような小さな葉っぱで白い花も咲いています。
右側は一般的なパクチーの葉っぱの形。
両方とも匂いもまさにパクチーなのですが、左側のパクチーを持って帰ったら、奥様は「こんなのパクチーじゃない。匂いもカメムシだし」といって食べないんです


いやいや、パクチーはカメムシの味って言われるじゃん」といっても話にならず。
「あなたが食うといったから作ったのに。別に俺は食いたくないのに。。。」と思いつつ、仕方ないので食べましたが、まさにパクチーの味でした。

ちなみに、調べたら、左側のはとう立ちしてしまったようです。
暑さが厳しく雨も降らなかったので、葉っぱを大きくするより子孫を残そうと花を咲かせたんですね。

ということで、今度は右側のパクチーも持って帰って、味は同じということを証明しようと思いました
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