半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

日本の有機農業の未来 ジャパンバイオファーム 小祝さんのお話

2013年10月30日 | 仕事の中で
昨日、有機農業の未来を力強く語る、ワクワクするお話を聞きました。


ジャパンバイオファームの小祝さんのお話です。

この小祝さん、知る人ぞ知る、という方なのですが、その有機農業の技術体系は、恐らく日本でもトップレベルだと思います。
有機農業の新しい技術理論体系を作った方なのですが、無農薬は当然で、その上で虫が寄り付かない野菜の栽培、劇的に美味しい野菜を作れる人です。

小祝さんの講義を現場の畑で見たり、あるいはビデオで見たことがあるのですが、小祝さんが指導したことで、糖度13度の梨のように甘いブロッコリー、あるいは硝酸イオン(苦味の成分で、ほうれん草にはたまりやすい)が未検出でスイカと同じぐらい甘いほうれん草、通常の7倍の収量をあげるインゲン、数値で抗酸化作用が劇的に高いなど、びっくりするような野菜が実際に出来ています。

今までの有機農業の体系とは違い、野菜の生態を知り、そのツボにあった環境を整えることで、びっくりするような野菜を作る、それを理論で説明でき、再現できる方です。

実際、就農数年の素直な方が学び、とんでもなく美味しい野菜を作り、無茶苦茶稼ぐ人も出てきています。


細かい話は技術理論になるので割愛しますが、昨日、この小祝さんの「生い立ち」「有機農業にかける想い」を聞くことが出来ました。

小祝さんは、幼少の頃、農薬でポトポト落ちてくる虫を捕まえるのが好きだったそうです。
しかし、ある時、手足がしびれ、意識しないと手足が動かない、という農薬中毒を起こし、病院送りになるという経験をしました。

また、インスタントラーメンやファーストフードばかり食べていたある日、頬が膨れ上がって、医者に見せても治らなくなってしまいました。
その時、母親が食を正してくれた結果、1ヶ月ほどで治ったそうです。

そういった経験を持つ小祝さん、有機農業を6年ぐらい実践し、ご縁があって「こんなに美味しい野菜を作れるなら、是非うちにきてほしい」とオーストラリアの研究所で色々な研究をされました。


そこで大発見をして、今の理論を完成させました。

以下、そんな小祝さんのお話です。


有機のイメージは、安心・安全であり、栄養価も高いだろう、環境にも良いだろう、というものがありました。
しかし、世界的に見れば、慣行農法に比べ収量は66%と低く(日本はもっと収量があるので、世界平均より技術は高い)、さらに栄養学的優位性は認められない、というデータがアメリカやヨーロッパで出された。
(実際、日本でも有機と慣行の栄養学的違いは無く、それよりもその農家さんのやり方に依存する、というデータもあります)

なので、アメリカやイギリスでは「環境にやさしい」というところが有機の最大の特徴になった。
そこでしか勝負できない。

かつては慣行栽培の野菜の2倍ぐらいだった有機の野菜の値段は、今は1.2~1.3倍ぐらいと落ち、日本の有機と同じぐらいの価格(価値)となっているそうです。

そして、50年前の野菜と違い、今の野菜は栄養価がとても少ない。
鉄分が50年前の5%しかないという野菜もあるぐらい。

話が少しそれますが、昔、小祝さんは箱買いしたミカンで、どれが美味しいか当てることが出来たそうです。
それはオレンジではなく、紅色のミカンだったそうです。
赤みというのは鉄の色、だから野鳥は赤色狙う、ヘモグロビンが必要。
糖分は取っても酸素がなければはこべない、ということを彼らは知っている、ということだったそうです。

話は元に戻しますが、小祝さんの技術でやれば
・収量が多く
・虫や病気にもやられにくく
、硝酸イオンも少なく、甘みも美味しさも抜群で
・栄養価も劇的に高く、抗酸化作用も劇的に高い
そんな野菜が、野菜の生理のツボをおさえれば作れる。

そういった野菜を作ることで、TPPになっても日本の野菜が世界にうって出れる。

そして、とても高い栄養価、抗酸化作用、ビタミンなどをもった野菜を作ることで、医食同源を成し得た農業が出来る。
そういった野菜が出来れば、病院や医療ではなく、家庭の存在が大きくなる。
医食同源を成し得た農業ならできる。
農業は、本来、医食同源を成し得る。

未来の日本において、医療と有機農業の融合、それをアピールできる野菜を農家が作れないといけない。
予防医学、つまり、病気にならないようにする。それが農業者が作るものだと思う。
野菜は、口の中に入ったらしゃべる。
「美味しい」か「まずい」か。
宣伝などしなくとも、きちんとした技術体系で作れば「美味しい」と口でしゃべってくれる野菜が作れる。

口で「美味しい」としゃべって、食べたら便秘は治る、体が健康になる、そういったものが流通にのって、システムに乗れば鬼に金棒。

そのために、植物にとって何が正しくて何が間違っているか、勉強する必要がある。


それだけではなく、これから世界的に問題になる一番物が水。

赤道を中心に温暖化が進むと、水蒸気になった水は冷えないと雨にならない。
そうすると赤道から離れて北や南の方に大分いかないと冷えない。
しかし、冷えたら一気に雨となって降る。

でも雨が降らないところって木が元々無いところ。
そんなところに雨が降ると大災害が起きる。

でも、そういったことが一番わかるのは農家さん。
夏は2~3日に1回は夕立が降ったが、今は降らないで干ばつとなっている。
秋は秋でどしゃぶりになっている。
そういったことを実際に体験しているのが生産者。

農家は雨が適度に降ってもらわないと困る、一方でどしゃ降りでも困る。
だから農家は自然の代弁者。

増えすぎた二酸化炭素は植物が炭素に固定してくれるけど、33度をこえると光合成が出来なくなる。
そうすると地球は暴走列車になってしまって停めれなくなる。


実は、ここが一番伝えたいところ。

「生態調和型農業立国」

生態系があって初めて、水があって初めて人間は生きられる。
それが発信できるのは、生産者。

消費者が驚くような美味しいものをつくって、医食同源のものをつくって、消費者がみなさんのほうを向いてくれて、大多数の環境に留意しない消費者に対して言い始めたら意識が変えられる。

それが本来の農業者の役目だと思っている。
これがやりたくて農業の理論をやっている。
副産物として美味しくなったり、虫にやられなくなったりしているという感じ。

こういったことを、日本がやらなければならない。



文字で書くとこんな感じですが、ライブで聴くと「想い」が伝わってくるので、とても心に響きました。
いっそ、私が農家になってしまおうか?と思うほど。

野菜の生理を研究し、発見をし、理論を体系化し、実際に農業技術指導で15年間日本だけでなく海外も飛び回り、実績をあげてきた小祝さん。
今はこの技術を教える学校もやっています。

確固たる技術、実績がある小祝さんが「有機農業のあるべき未来、存在意義」を熱く語ってくれました。

今の日本では、有機農業はマーケットの中では1%未満と無いに等しい存在です。
そして若手農家で生産団体に属していない農家さんの多くが稼げていない・・・そんな状況を打破する「ワクワクするビジョン」が示された気がします。

小祝さんのお話、聞きたい方が集まれば、日程調整すれば1デイスクールの開講も可能のようです。
特に若手の農家さんに対して伝えたい様子。

あと10年もすれば、7割の農家さんが引退する時代だから。


また私の中に「新しい種」が播かれた気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の鶴首かぼちゃ

2013年10月29日 | 食べもの
半月ぐらい前?のお話。

中国の方が仕事を辞めるということで、鶴首かぼちゃをくれました。
で、普通に売っている鶴首かぼちゃはオレンジ色に完熟しているのですが、この鶴首かぼちゃは、切ってみるとまだ身が青白く、まだ熟していないようなのです。


切り口から汁がにじみでてきます。それほどまだ若々しいのです。


良く話を聞くと、中国では鶴首かぼちゃは「ズッキーニのように炒めて食べる」そうです。
なんと、煮付けるということは無いとのこと
へ~、ところ違えば食文化も違うわけですが、全く違うんですね~。

ちなみに一番のお勧めは「炒めて醤油とおかかで味付ける」というものでした。

ということで、早速炒めてみました


こちらはお勧めされたかつおぶしと醤油炒め。


こちらは適当に作ったマーボー風味噌炒め。



感想としては、うん、結構いける

味がたんぱくで、食感もあるので、味付けに素直に従う食材です。

奥さんが味噌汁に入れたら、じゃがいものようにホロリと崩れる感じで、炒めるより合うかも?


野菜を普通に出荷するのではなく、何か食べ方とネーミングを変えることで、爆発的に売れるということがあります。

私が始めて、青なす(でっかい緑色のなす)を生活クラブから奥さんが持ってきたとき、夫婦揃って「これって、誰も買わないよね。。。」という感想でした。

しかし、ひょっこり農場の渡辺さんが「ステーキナス」とネーミングし、「輪切りにしてバターで焼いたりするとトロっトロで美味しいですよ」と提案いただいて食べたら、劇的に美味く、それからというもの、我が家では夏の定番食材となりました

ポン酢かけたり、おかか風味でたべたり、本当に美味しいですよね


この鶴首かぼちゃをはじめ、海外や超ローカルなところの食べ方を学べば、新しい野菜の需要が増やせるかも?

そんなことを思った食材でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画:うまれる

2013年10月27日 | 素敵な空間・イベント
昨日、成田で上映された映画「うまれる」を観ました。

いや~、とにかく涙しました

今までに25万人以上が観たそうで、各地で自主上映が続いています。

成田は市の子育て支援課と公民館のタッグで無料となったので、100名以上の方が観に来ていました。

何か作られたストーリーを誰かが演じる、というものではありません。

色々な夫婦、女性が自分の立場で子供の生に対して、ドキュメンタリータッチでその姿を追っているもので、途中途中に、子供の胎内記憶、天から親を選んで産まれたきた、というシーンが盛り込まれています。

一方的に「子供が生まれた」というところだけを取り上げるのではなく、死産や胎内に子が宿らなかった方も出てきます。

色々な立場、つまり色々な人の「生まれる」を取り上げています。


「生まれる」ということ自体に、感動を覚えない人はいません。
逆に「生まれない」ということで、とても苦しむ親もいます。

それがリアルに描きだされています。

だから、理屈抜きで涙が溢れる映画です。


余談ですが、私は子供が生まれたときから、ずっと「これは奇跡的なことだ」と思っていますし、「子供が私達を選んできてくれた、本当に有難う」と、日々伝えています。

昔、飯田さんという方の「生きがいの創造」という本を読んだことが背景にあるのだと思うのですが、「子は親を選んで生まれてくる」ということを信じていまして、だからこそ、目の前の奇跡である子ども達に対して、日々、感動し、日々、「生まれてきてくれてありがとう」と言っています。

だから、それをなんだか映像や色々な物語で表された映画を観て、「改めて」、子供は奇跡だな~、と思うのです。


色々なことがこれからも起きるでしょうが、どうか生を全うして欲しいと思います。

それがほとんどの親の純粋な願いだと思います。


この映画、色々なところで上映されていますので、是非いろいろな方に観てもらいたいです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

種と子供

2013年10月26日 | 自分の時間
よく農業と子育てや人生を当てはめて考えることがあります。

例えば、子育てのこと。

子供は真っ白で、大人が決めたテストの100点をとることを目標に、教える、という考え方があります。

一方、子供は天才であって、その子供が天から授かったギフト(才能)を伸ばすのが良い、という考えがあります。


前者が現在の主流の教育の考えだとしたら、後者の考えは、子供が生まれたときに多くの親が子供に思う素直な考えですよね?


生まれた小さな命、その奇跡に感動し涙する。
言葉が1つしゃべれるようになっただけで「うちの子は天才なんじゃないか」と思って感動する。
歩けるようになって、「あ~、世界がまた広がったんだろうな、おめでとう」と伝えて、こちらも嬉しくなる。

そんな子ども達。


そうです、子供は天才なんです。

だって、信じられないぐらいのスピードで歩けるようになり、走れるようになり、言葉をしゃべれるようになり、色々なことを吸収していく。
遊びも色々考えるし、虫を捕まえるのも凄い。

カルタとかやったら、我が家で一番強いのは、一番小さい4歳の子です。

折り紙なども、うちの小学1年の子供に勝てません。

「うちの子は天才」と私は本気で思っていますが、それだけでなく「子供はみんな天才」と思っています。
だって、事実だもの。

そんな「天才」は、大きくなっていくになるにつれて、天才じゃなくなっていきます。


それは「天から与えられたギフト(才能)」を本人が気づけるまでに、押しつぶしてしまうからじゃないでしょうか?


ここに神様から与えられた1つの種があるとします。

この種は、どんな種かわかりません。

ただ、きちんとした土と水、そして発芽に適正な温度があれば、芽吹きます。

私達は、この種がどんな花を咲かせ、どんな果実を実らせる種かわかりません。

でも、もしそれが神様からもらった、世界でたった1粒の種であったら、できるだけ観察し、葉っぱの色、広がり具合、茎の太さなどを見ながら、肥料を上げたり、周りの草をとってあげたり、お日様があたるようにしてあげたりするはずです。

そして、ある時、花が咲きます。

それがどんな花かわからないこともあるでしょう。

でも、どんな花が咲くかワクワクしながら見守ったからこそ、その花には感動するはずです。

そして花が咲いた後、果実が実ります。


子供も同じだと思います。

子供がどんなギフトを神様から与えられてきたのか、最初はわかりません。

しかし、大きくなるにつれて、歌を歌ったり、踊ったり、お絵かきをしたり、あるいは運動が得意だったり、工作が凄かったり、とてもやさしい心を持っていたり、きかんぼうだけどずんずん道を切り開いていく強い意志をもっていたり、いろいろな才能を持っていることが徐々にわかります。

そこで、その子が持っているギフトが開花するよう、その子にあったお世話をするのが親の務めなんだと思います。


植物は、双葉のうちはまだお世話しなくてはいけませんが、本葉が5枚ぐらいでたら、あとは自分でお日様の光を浴びて光合成ができるようになります。

人間で言えば7才ぐらいでしょうか?

あとは、大地が健全であること、適切な日光と水と温度があること。
どうしても環境が悪いとかかる病気、あるいは虫は、取り除いてあげること。

そのぐらいです。

そうしたら、やることは台風がきたときにカバーしてあげるとか、そういったぐらいで、あとは愛でる気持ちで育つのを待つだけです。


子供は踊って唄って自然と遊んで、お絵かきして、工作して、友達と遊んで、と心と体が同じで、楽しい時間を過ごしています。
そしてだんだん思考がついてくる頃に、小学校と言う義務教育が始まります。

そこでそれぞれがまだどんな花を付けるかわからない状態なのに、「学力」という花をつけさせようとしてしまう。

りんごが実るのかもしれない苗に、マンゴーが実るような栽培をしたら、その苗は大きくなったときに立派なりんごの木にならないでしょう。


立派な人は、どこの学校を出たか、学力がどうだったか、は全く関係ありません。

凄い人、というのは、たいていが「恵まれた環境」で育っていません。


家が貧しくて学校に行けなかった。家の仕事があって、自分の自由がきかなかった。

でも、「これになるよう、こういった教育をされた」ということではなかったとも見ることができますよね。

自分で選び取る力、自分で環境に対して立ち向かっていく力、自分で自分の中で芽生えたものを花咲かせようと努力した人なのではないでしょうか?


だから、最初から「みんな、学力を付けてよい大学に行って、良い会社員になるいう果実をつけるように」という前提で育ててしまうと、その種が本来持っている果実が実らない、変な育て方になってしまいます。

例えば立派な大根になるはずの種に、「これはりんごが実らないダメな木だ」と言って、ダメ扱いしてしまうこともあると思います。
本人も、私は果樹ではなく野菜なんです、と言えないで、「あ~、自分はりんごを実らせられないんだ」と思いこんでします。
本当は、おでんに入れたら誰もがうなるほどの大根なのに。。。

あるいは、化学肥料(知育教育など)で見た目だけはしっかりと育てたとします。
でも、見た目はしっかりしますが、それは細胞を膨張させているだけで、野菜などは収穫するとすぐしおれたり、味も悪かったりします。

その種が持っている力によって成長させないと、見た目よくて実は中身が無い、なんてことはあると思います。


私達がするべきは、種に秘められている無限の力、自然の神秘を「凄いな~」と心から思うこと。

りんごは、放っておいてもりんごの実をつける。

それを信じ、無理にマンゴーの実をつけさせようとしないこと。

適度な環境を整えてあげれば、その種は、適切な実りを得る。


種は先祖から続いてきたもの。神から頂いた神秘の力が詰まったもの。

放っておいても、適切な土、温度、光、水があれば種は発芽して、育つのだから。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の音読をやってみました

2013年10月25日 | 素敵な家族・子供との時間
小学1年生のわが子には、毎日宿題が出ます。

私から見れば「1年生なんて、宿題なんか出さなくていいから、遊ぶ時間をたっぷりとったらいいのに~」と思ってしまうのですが、周りもみんなやっているし、1人だけやっていかないのも、という思いがあって、妻もきちんとやらせようとするし、子供も自主的にやっています。


宿題はプリントが毎日出るのと、もう1つ「音読」があります。
教科書に掲載されているものを1つ選んで、親の前で読み、親がいくつかの項目を×・△・○・◎で評価し、印鑑を押したものを提出する、という流れです。


音読をする目的は「あごの筋肉が10歳までには固まってしまうから」とのこと。

毎日、大きな声で読んでいる子供に、私は大抵◎をつけるのですが、そもそも子供の音読を毎日評価するのもいかがなものか、と思います。
大きな声で読めただけで、もう全部◎をつけてあげたい、と思うのが普通だと思うのですが、×・△・○・◎とあったら、多くのお母さんが「これは◎、これは○、これは△だったわね~」と子供を評価するようになっちゃう、というところが1つ。

また、ハキハキ大きな声であごを動かして毎日読むことって、そんなに大切なのかな?と思いました。


そこで、これって、どういったことなんだろう?と思って、子供の前で、私が実際に読んで見ました。

そうしたら、私はきちんと読んだつもりなのに、子供に半分ぐらい△をたくさん付けられました
やはり、自分はそれなりに読んだつもりなのに、評価されてしまうのは、精神的に良くないですよね~


それよりも、この「音読」、はっきりいって「難しい」です。

1つの文章について
・1つ1つハキハキきちんと読めたか?
・句読点を意識して読めたか?
・口を動かして大きな声で読めたか?
・文章の流れに従って読めたか?
   ・
   ・
   ・
などなど、何個も同時に注意して音読するなんてことは、大人でも出来ない


これは、アナウンサー学校でプロを目指す人がやるトレーニングと同レベルなのでは?と思ってしまいました。


子供にやらせていること、大人だって難しいわけです。
毎日、プリント出されたら、私だって嫌だし、はっきりいってやりたくない

自分が嫌なことを子供に積極的にやらせられないですよね?


「銀の匙」のエチ先生の本を読んだ影響かもしれませんが、好きな本をじっくり1つ1つの言葉、あるいはその情景をその子のペースに従って思い浮かび、浸る感じで読んだ方が良いのでは?と思ってしまいました。

枕元に大好きな本が1つあって、そこに好きなときにいつでも浸る、そんなことの方が小さい内は大切な気がするけどな~。

恐らく、学習指導要領などに「あごが固まる前に、ハキハキと文章を読めるようにする」みたいなのがあるのでしょうね。

それよりも今の時期は「好きな本を見つけること」「好きな本にどっぷりつかること」の方が良いのではないのかな~?


また、本を読んで感想文を書くのも、1年生では早いと個人的には思います。
自分の思ったことを言葉に表すのは大人でもとても難しいことです。
それが、論理的なこと、伝えるべきことであれば、スピーチなどトレーニングが必要でしょうが、こと本に関して言えば、本人が選んだものではなく与えられたものなのだから、無理に感想を書かせるのは、1年生には酷だと思います。

特に自分の中で噛み砕けないけど、感覚的に受け止めることって、読書には色々あると思います。

それをあえて言葉にすることは、今の時期は別にしなくていいのではないかな~。

まあ、いずれにしろ、子供に何かやらせるなら、まず自分がそれをきちんとできるか、意味があると思えるか、親がやってみるのが良いんじゃないの、と思った経験でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カマキリと命

2013年10月24日 | 素敵な家族・子供との時間
10日前ぐらいにメスのカマキリが我が家にいます。

お腹をすかすといけないので、家の前で子ども達とバッタを捕まえてあげたら、早速バリバリ食べていました

私も子供の頃は良くやったことなのですが、大人になってから久々に見るととても残酷な風景で、命は食うか食われるか、ということをまざまざと見せ付けられ、心苦しい思いになりました・・・。

そしてカマキリが我が家に来た翌日、家に帰ると何と2匹のメスのカマキリが同じ虫かごに

奥さんの話を聞くと、なんでも新たに1匹捕まえたとのことで、入れたらしいのです。。。

良く見ると、なんと互いに相手の首をカマで抑えていて、両方とも身動きが取れずに停戦状態。。。

いや、良く見ると片方のカマキリの首がもげかかっている

見てられなかったのですが、後ほど好奇心からその後もちょくちょく観察していた奥さんの報告によると、もう1匹は食べられたとのこと。。。
確かに、一番外の羽だけが残っていました。。。

同じ虫かごに入れなくても良かったのに。。。

生き残ったカマキリも、片方のカマ(手)がもげていて、片手になっていました。
お腹をパンパンに膨らませ、命を次世代につなぐために卵を産む寸前で、最後の命を振り絞って生きている感じです。


でも子供はそんなことには全くお構いなしです。

思い返せば、私も小さいときは何にも考えず、カマキリをとっては、「えさ」を沢山与えていました。

しかし、ある時、カマキリに食べれることもなく、そのまま草が無く餓死したと思われるツユムシの死体を見て、ふと突然怖くなり、その時からバッタなど虫を命と思うようになったのでした。

その時から虫を触るのが何か嫌なものになったのを覚えています。


子供時代にたっくさんの虫を捕まえ、時には殺し、遊び相手にすることで、小さな命を粗末にしていくことを繰り返していくことで、ある一定の経験量を超えると、ふと「これは命なんだ」ということに気づくものなんでしょうかね。

子供は本能で虫やカエルなど小さな生き物が大好きです。
アリんこも踏み潰したり、触覚を抜いたりと色々やります。

でも、それは子供にとって当たり前のこと。

そういった当たり前のことをどんどん体験していくのを、心の中では「うぉ、残酷だな~」と思うことが正直ありますが、自分も小さい時にはかなりやったのですから、子ども達にもどんどんやってもらいたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本:エチ先生と「銀の匙」の子どもたち 奇跡の教室

2013年10月23日 | 素敵な本
先日読んで、感銘を受けた本です。

「銀の匙」という小説を国語の教材にし、中学生の3年間、教科書を使わずその本1冊だけを使って授業をする、伝説の先生の話、なんとなく聞いたことがあるのではないでしょうか?

その本、たまたま見つけて読みました。

この伝説の授業をしたのは灘高校の国語の担当の橋本先生(通称:エチ先生)。

灘高校はエリート私立高校として有名ですが、そもそも昔は、学力が高い高校ではなかったそうです。
それが6年ごとに東大合格者100名を優に超すダントツの実績をあげるようになりました。

というのも、灘高校は中高6年間1教科1担任の持ち上がり制という珍しい制度をとっていて、この「銀の匙」を使った授業をする国語の橋本先生(通称エチ先生)が6年間担当をした代が、毎回ダントツの実績を出していたのです。

そこから、この「銀の匙を3年間使う授業」は「灘の奇跡」をもたらしたことで有名になったようです。



内容をざっくり言うと、「銀の匙」という子供の感性をみずみずしく書き上げた200ページほどの小説(私はまだ読んでいませんが)をもとに、言葉1つ、風景ひとつ、描写1つ、子ども達の好奇心、関心が1つでもありそうなところを拾い上げ、そこから色々な「脱線」をしていき、1つ1つを噛み砕くように味わっていくような授業をされていたそうです。

例えば「追体験こそが学ぶ興味を引き出す」という考えをもとに、小説の中で主人公の子供が駄菓子屋でお菓子を買って食べているシーンに入ったとき、実際にエチ先生自らかけずり回って集めてきた小説当時の駄菓子を授業中に子供にも配り、食べてもらい、それからもう一度小説を読んで、そして「表現が美しいと思ったところを書いてみましょう」といってプリントに向かわせたり。

例えば、小説の中で子丑寅卯・・・という干支の言葉がでてきたら、そもそも干支とは何か?といったことから中国には十支と十二支があり、その組み合わせで60を1周期とする、だから60歳の時に「還暦」というのは干支での組み合わせが一回りぐるりとまわったからなんだよ、と話が横道にそれていく。

そういった「脱線」「横道」にそれながら、自分の興味、関心に従ってじっくり感性を大事にし、言葉を大事にし、主人公の心情や自分の心情を味わい、言葉の意義や意味を学び、自分の言葉で著し、あるいは自由研究でグループワークをしたり、といった授業を時間をかけて3年間やっていった、というのです。

エチ先生の狙いは別に東大実績をあげることではなく、子ども達に「後に何も残らない授業」をするのではなく、「後々きちっと残る授業」「子ども達が自分の興味を深め学んでいく面白さを知る授業」「受け取る感性を磨く授業」といった、本当に子ども達にとって後の人生に役に立つ授業をしたいというものでした。
そういうことを心から思い、そして「自分の責任」をもって教科書を使わず銀の匙を使う授業を考え、実行していかれました。

エチ先生の授業を受けながら、じっくりと学んでいった子ども達は、東大合格なんてある意味たいした話ではなく、受験1週間前には毎年恒例でカルタ大会で盛り上がり、受験当日にも参考書を開くような子はいなかったそうです。


「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」という考えで、本当の学ぶ力を身につける授業をしていったエチ先生。
「国語は全ての科目の基本になる」という言葉がありますが、それが本当にその通りだ、と思う授業をする国語の先生はそうはいないでしょう。

学力をあげるという名のもとで、あれやこれやを詰め込むよう学校に求め、それを受け止め自分もパンパンになりながら必死で子ども達の学力をあげようと授業しなくていけない現代の学校の先生。
そして、そういったあれやこれやを詰め込まれて、一番大変なのは生徒達。

そんなやり方が「おかしいでしょ」と本当は気づいている人、たっくさんいるはず。
世の中の大人で「学校の学びは大変役にたった。学校の今の授業形態は、改善するところがあるかもしれないが、基本的には正しい」と心から言える大人って、どれだけいるんでしょう?多分過半数がそうは思っていないですよね?

昨日、ある中3の子ども達の塾の授業を見学に行きましたが、昔以上に子ども達は大人の「がんじがらめ」にあって、大変そうでした


海外の授業のやり方、あるいは日本にだって素晴らしい授業をされている先生は各地域に数は多くないにしろ必ずいるはず。

そんな学ぶ意欲を喚起することができる先生、授業をスタンダードにしていくべきですよね。


エチ先生の授業は、「懐かしい未来の授業」を提示していると思います。

読み終わるとエチ先生の授業がどんなものだったか、なんとなく追体験ができる、そして心にさわやかな風が吹く、そんな本でした

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お絵かき、色遊び

2013年10月22日 | 素敵な家族・子供との時間
先日のお休みの日。

絵の具でみんなでお絵かきをしました

これは私の絵。


これも私の絵。
虹のようなものをもっとにじませながら、淡いグラデーションにしようと思ったのですが、うまくにじまず、何か色鉛筆を使っているようになってしまいました


一方こちらはわが子の絵。まるでクレヨンのように絵の具を使っています。


でも、こんな風に見事なにじみ絵も。わが子は相変らず絵が上手い


こちらは色遊びでやっている作品。う~ん、いい感じ


いつも思いますが、やっぱり、わが子は天才だ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗の渋皮煮

2013年10月21日 | 食べもの
栗の季節はもう終わり。
でも、先日もらってきた栗の渋皮煮を奥さんが作ってくれたので、それがまだ若干残っています。

食べると病みつきに


そういえば、高柳さんの娘さんのあゆみさんが言っていましたが、自分が小さな頃に植えた栗の木が、今や大木になり毎年栗の実を落とすとのこと。

私からすれば栗って別に買って食べるほど食べたいとは思わないのですが(高いし)、高柳家のように植えた木が毎年実を落とすということであれば、身近なものとして、毎年季節の味として味わいたくなるのかな~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼと畑の耕育教室 丹波黒大豆枝豆&天日干し米&満月餅&そば刈り!

2013年10月20日 | 農的体験・生活
今月の「田んぼと畑の耕育教室」は、8月に播いたそばを刈り取った以外は
・丹波黒大豆の枝豆を収穫→採れたて&茹で立てを食す
・天日干し米の釜炊きご飯を食す
・根本さんが作った幻のもち米「満月餅」を使ってもちつきをし食す
と、とにかく食べまくる「収穫祭」でした

先日の台風で土曜日は畑はぐちょぐちょ、日曜日は予想以上に雨が降り、わずかな人数で倉庫の下でやりましたが、それはそれで楽しい時間になりましたよ


まずはみんなで、丹波黒大豆の枝豆収穫です。
夏の枝豆は品種改良された早稲のもの。
本来の枝豆は、11月に収穫できる大豆を10月に早採りするものです。
だからこの時期の枝豆は、夏のものと違って味わい深く、甘く美味しいのです。

それが丹波黒大豆ともなれば、粒も大きく、味わい、甘みも断然違います

まずは畑で、枝ごとみんなで引っこ抜きます。


先日の台風でまだまだ畑はぐちょぐちょ。
それがまた気持ちよく、みんなではだしでぐっちょぐっちょ


こんなに採れました~
これをみんなで鞘を外していきます。


子ども達は、もういつものところで泥遊び&水遊び

鞘を外した枝豆をよ~く洗った後、塩でもみもみし、それを沸騰した鉄釜のお湯の中に入れていきます。

お湯に入れた瞬間、ぶわ~っときれいな黄緑色になるんですよね~


茹であがりました~甘くて超極上です


そして同じ頃に、天日干し米の釜炊きご飯も炊きあがりました~


おこげも最高


釜に残ったおこげは、相変らず大人気です


丹波黒大豆の枝豆をのせて、豆ご飯風


また、根本さんの味噌3種をのせて、シンプルにご飯の味を味わいました
左から3年もの、真ん中が今年の普通の大豆の味噌、右側が今年の丹波黒大豆入り味噌です。


参加者のうち、初めてというのですがとってもお上手な夫婦がいらっしゃいました。
お父さんはまるで、職人のよう


とってもお上手ですね


うちの奥さんもなかなかの腕前。輪っかにすると工芸品に見えますね


うちの子は輪っかをかぶらされて孫悟空のようになっていました


さてさて、美味しいご飯をタンと食べた後は、餅つきの時間です。
根本さんが作っている「満月餅」という品種のもち米は、9月中旬の台風が来る時期に出来る古来からのもち米で、天皇陛下が新嘗祭のために植えるもち米だそうです。
味もとっても美味しいそうなのですが、台風が来る時期に出来るので、今ではほとんどの人が作らなくなってしまったそうです。
普通に流通しているのは「月見餅」というもので、満月餅よりどうしても味わいが落ちるそうです。

そんな希少な満月餅を使って、ご存知、根本さんのパワフルもちつき


お父さんもお母さんもぺっタンぺっタン


子供も大人用の杵を持って頑張ってぺったんしましたよ




さあ、つきたてをみんなでワイワイ、もち食べタイム~


奥様方が、見事にわけてくれました


トッピングは、やはり根本さんの丹波黒大豆黄な粉ですね~。
そして同時にいつものおやつのヨーグルトも出ていたので、黄な粉&ヨーグルトあえも作ってみました
これが意外とあって美味しい~


こちらは根本さんの作品、つきたてお餅のチーズかけ枝豆添え。これまたいける味でした


さて、その後は、土曜日はそばを刈り取りました。


コンテナいっぱいのそば。
しかし穂につく実は稲に比べると圧倒的少ないので、これで1人前とれるのかな?っというぐらいです。



日曜日は雨が凄くて外に出れませんでしたが、倉庫の中を子ども達は鬼ごっこをして駆け回ったり、コンテナで階段を作ったりと、とっても楽しそうでした


豚汁や梨なども食べきれないほど出て、お腹いっぱいだった今回の教室。
超高級な丹波黒大豆もたっくさんお持ち帰り頂きましたよ~

来月は、今回収穫したそばを使った「手打ちそば教室」です

子供もお母さんもお父さんも「家庭で出来る手打ちそば教室」、是非ご参加くださ~い
昨年参加したお父さんは、ここで手打ちそばにはまり、その後、ご自宅でそばを打つようになったとか。

来月の「田んぼと畑の耕育教室」は11月17日(日)で~す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ