半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

イオンは本気なのかな?

2019年01月28日 | 仕事の中で
昨年の話ですが、有機農産物の老舗宅配会社「らでぃっしゅぼーや」の立ち上げメンバーだった方のお話で、「これから有機JASを流通が本気で売っていくかもしれない。特にイオンからも相談が来ているので、イオンが本気になれば、他も動かざるを得ない状況になると予想できる」という話がありました。

「へ~」と思いましたし、「イオンがどのぐらい本気なのかな?」とも思いました。

第二次世界大戦後、余った火薬や毒ガスなど化学兵器が、それぞれ化学肥料、農薬となって世界中にばらまかれました。

そして、アメリカの「レイチェル・カーソン」が書いた「沈黙の春」が世界的に大ベストセラーとなり、この本をきっかけに、有機農業運動というものが世界中で同時多発的に始まりました。

化学物質中心の、つまり無機の、そういった農業ではなく、戦前の生きるものが生態系の中で繋がり合いながらお互いに生きていける環境に戻そうよ、という考え方の農業です。

日本でも1970年代に「有機農業研究会」が立ち上がりましたし、世界救世教のMOAなど、有機農業が「化学物質主体の近代農業」に対抗するものとして、地道に広がっていきました。

しかし、90年代までは、農業はいわゆる「3k」と言われる業種に見られ、有機農業という言葉は、今でいえば「オカルトの世界」としてみなされていました。

何でもそうですよね。

今は「ヨガ」といって怪しい感じを受ける人はいませんが、90年代ぐらいまでは「インドかそっちの怪しい宗教の修行法」というイメージでした。

「ベジタリアン」というのも同じで、「肉食わないって何かの宗教?」と一般的に思われていました。

更にその先を行く「ビーガン」なんていう言葉は、「ベジタリアンはわかるけど、ビーガンまでいっちゃうともう怪しいよね」というのが一般的だったと思いますが、今や「ビーガン」は都会の人の「おしゃれなライフスタイル」みたいになってしまいました。

同じように、西欧から「オーガニック食材を日本に輸出したいのに、日本にはその規格が無いじゃないか」という「外圧」で、「有機JAS法」が2000年に入ってから成立しました。

そこからジワリジワリと「有機農業」という言葉が広がっていきました。

とはいえ、「有機JAS認定」をされた農産物だけを「有機農産物」として国は認める、となったので、その認証の手間などを考えると、30年も前から無農薬無化学肥料でやっている農家は「認証などやってられない」と、今でも生協など、「自主基準」として無農薬野菜を販売しているところが多々です。

有機JAS認証を取れるのは、いわば「経営体」としている所なので、必然的に経営効率が考えらえるハウス屋さんが中心になり、流通している有機JAS認証の有機農産物は、水菜、小松菜、ベビーリーフといった葉物が中心になっています。

ということで、市場の3%ぐらいしかない、と言われている有機農産物ですが、それが、「イオンが本格的にこの5年、先行投資で広げていくことにした」という話を昨年聞いたのです。

その事を先週思い出す機会がありました。

それは、「千葉県有機農業推進課」?なるところから、県下の無農薬で野菜を作っている団体にファックスで「イオンが説明会をするから、是非話だけでも聞きに来てくれ」という案内が来たのです。

例えば、セブンイレブンが行政と組んで人手不足を解決するために、「シルバー人材雇用制度」を広げています。
これは、行政が「高齢者の働き場所」として、人材採用や育成のシステムが揃っているセブンイレブンと組んで広げているものです。
成田市の「広報なりた」という行政の発行している冊子に、堂々と「セブンイレブンの人材募集」が載っているのを見て、最初はびっくりしたことを思い出します。

それと同様に、イオンが県と組んで「有機JAS認証を取得してイオンに卸してくれる農業団体を募集」し始めるのです。

昨年は「イオンが有機認証農産物を広げていく」という話を講演で聞いただけですが、今回は「千葉県が通達」を送ってきたわけです。

イオンは本気なのでしょうか?

有機JAS認証の一番良い所は、売る側が売りやすく、買う側も買いやすい、という所です。

一方、生産の現場で言えば、有機JASでなくても「無農薬野菜」というのは今は需要が少しずつ増えていて、どちらかというと「生産<需要」となっているので、あえてとらなくても良いというのがあります。

しかも高齢化で、今更70歳の農家さんが認証制度をとって、毎日シールを管理して、とかは手間なのです。

さてさて、イオンが本気になっていくのか?そして有機JASが日本で広がるきっかけになるのでしょうか?
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日曜日は味噌作り

2019年01月20日 | 農的体験・生活
先日の日曜日は味噌作りでした

今頃、日曜日のブログ書いていましたが、とにかく病み上がりの3日連続のイベントの最後ということとで、体力が無かったのと、何より味噌作りは体力を消耗するのです

そして日常のお仕事、ということで、イベント稼業はなかなか大変なものです

さて、味噌作りは何が大変かというと、道具の準備と後片付けを運営の合間でやるので、息つく暇が無いのです。

特に、今回も前回と同じ午前の部&午後の部のwヘッダーだっただけでなく、仕込み量が多くて、1回あたり27kg×2=54kgの仕込みで、午後と合わせると1日で100kg以上の仕込み量

朝8時半からお客さんが来るまでに、道具を洗って整理し、根本さんに煮てもらった豆を4等分に分け、机をきれいにし、荷物置き場を設置し、と何とか開催時間前に準備を終えます。

そして、普通は1回のところ、2回転させるので、これまた説明や運営が大変。

でも、今回は「これでイベント3連ちゃんが終わりだ」という事で、体力を使い果たしてもよいという感じだったので、子ども達や親御さんにたくさん話しかけて、運営も楽しかったし、みなさんも楽しんでくれて、今までで一番盛り上がった味噌作りだったんじゃないかな

ただ、お昼も食べる時間もなく、午後の部が終わり、みなさんに「さようなら~」とした後の後片付けをしていると、テンションも下がり体の疲れを感じて、後片付けが終わったあとは、もう空っぽ

まあ、「空っぽになるまで働く」というのはとても良いことで、もう邪念とか沸いてこないんです

たまには「使い果たす」というのは大事なことだと思います。

ただ、この年で体力を使い果たすと、もう翌日は使い物になりませんね

日常業務をやりながらですが、3日たっても体力が回復しません。

それでも思うのです。

「あれだけ味噌作りを子ども連れの親子に楽しんでもらえる場は、他にはないだろうな」と。

それほど今回はお互いが楽しかった

と、体力の回復をしながら思いながら、今を過ごしています

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今年の寺田本家酒蔵見学会

2019年01月19日 | 農的体験・生活
やってきました、年に1度の素敵なイベント、寺田本家の酒蔵見学会です

私が東京で疲れ果て、地元に戻ってくる際に興味を示したのが神崎町。

千葉県で一番小さい人口5000人ぐらいの町で、当時、不耕起栽培普及会の岩澤さんがご存命で、そして寺田本家という2つの看板がありました。

不耕起栽培普及会というのは、耕さない田んぼで冬も水を張ったまま田んぼを行うというもので、プロ向けではないのですが、自給的生活を求める人には、今でいう自然栽培系として隠れた人気の田んぼなのです

神崎町の近くに移り住んだ渡しですが、実は後でわかったのが、岩澤先生が住んでいる住宅街がなんと私の移住した住宅街内だったのです

という事で、最後は、ご自宅にもお邪魔させて頂けたのでした

そして、寺田本家さんともご縁が持てて、当時、「蔵人頭」という立場だった優さんとご縁を持つことが出来ました。

その後、専務、当主と立場が変わりましたが、私が「みんなの農村ネットワーク」を立ち上げた後、特別に「酒蔵見学会」を開かせて頂いています。有難いことです

数年前、岩澤先生と先代の寺田さんが同じ年に亡くなる、という事がありましたが、優さんは表面には全くショックを受けていることを表さず、先代が築いた軸をぶらさず、経営に少しの影響も与えず、むしろさらなる発展に尽力されて今があるのです。

そんな340年以上続く酒蔵の24代目当主となった優さんと会うのが私も楽しみ


そして、今年も酒蔵見学会を開催させて頂きました

話によると、今年度、つまり11月頃からだと思いますが、優さんが杜氏も兼ねるようになったそうで、まあ社長業をやりながら毎朝、蔵に入ってお酒造りの最前線で陣頭指揮をとっているそう。

体力的にも大変ですよね~

そして、これも後から聞いたのですが、今年度は優さんは見学会のお話はしておらず、前の当時の大野さんにその座を譲ったそうなのです。

しかし、そういった事は何も聞かず、「今年初めて、当主自ら見学会をやると自分でおっしゃったので」と事務の方が言っていまして、貴重な当主自らの見学会となりました。


写真がボケていますが、要所要所で、1つ1つ丁寧にお話されて、また疲れているはずですが、逆にハイテンションになっているのか、「若くて元気な当主」という感じで、エネルギッシュに話をして下さいました

これは蒸し釜の前ですね。
600kgぐらいかな?とにかく、一気に大量のお米が一回に蒸せるんです。
お酒造りはお米が命。
近隣の無農薬無化学肥料で栽培されたお米を蒸します。
昔は金属だった蒸し器ですが、外気温との温度差で、蒸し器に米がべちゃついてくっつくことが結構あったそうですが、木製のお化けみたいな樽のような蒸し器に変えてからは、その頻度は減ったようです。
こういった大きな樽を作れる人は1人しかもう日本にいなくて、その弟子を含めても3~4人しかいないそうです。


蒸し米が冷やされています。午後には、これがお酒の材料として仕込み樽に投入されていきます。
この蒸し米も試食させてくれました
お酒ようなので硬く蒸しあげられていますが、噛めば噛むほど味わい深いお米でした



さて、お酒造りの基本は「糀作り、元作り」と言われているそうで、糀が根本になります。
その糀を作る糀室(こうじむろ)というのは、酒蔵では「聖域」で、決して他人を入れません。
雑菌が入ったら一発アウトだからです。
しかし、その常識を覆し、寺田さんは「うちは誰でもwelcomeなんです。色々な菌が集まって、ハーモニーを奏でて、調和することで、1つの菌だけがある純粋培養より自然に近い強い菌になると思うんです」と、誰でも見学自由。
もちろん、そうはいっても色々工夫があって、この糀室の下や周りには何百キロの炭が埋まっています。
「昔の日本人は炭の効用を知っていたようで、昔、銀閣寺を修繕した大工さんが来た時に、銀閣寺の下にも沢山の炭が使われていると言っていました。科学的にはわかりませんが、磁場を整えると言われていて、そこの場が整うと言われているんですね」


その次は、元といって、寺田さんでは主に糀をすりつぶして、そこに蔵に住み着いている乳酸菌や酵母菌が勝手に入ってくるのを待って発酵させる、というやり方を行います。

普通の酒蔵は、ここに協会酵母、といった酒蔵の協会で推奨されている酵母を入れたり、乳酸菌を添加しますが、あくまで昔のやり方で「自然に蔵に住み着いた菌にはたらいてもらう」という考え方です。

当然、時間もかかりますし、安定はしませんが、それはその時々の様子をみて「微生物が元気に働いてもらえるような環境を作ろうと努力しています」とのこと。

その後、貴重な蔵人たちが働く現場も見せてもらい、過去の開催には無い、何だか特別な回になりました

さて、当主自らの見学会の後は、試飲タイム

前の当時の大野さんが渋い説明をしてくれながら、各テーブルで寺田さんのお酒を堪能しました


これだけで大満足なのですが、さらに優さんの奥様、発酵料理研究家の聡美さんが作った手作り発酵お料理をカフェで食べます


柔和で優しく、お料理もそのお人柄が出ているんですよ


みんなで美味しくお料理を食べ、大満足で帰って頂けた今回の酒蔵見学会。

例年と比較してもとても充実していた気がします

また、今回も「食と命の教室」の参加者や、昨年も参加された方など数多くの方がきましたが、一番遠くから来たのは札幌からの方でした

寺田本家に仕事唄を広めた「なかじさん」という発酵料理研究家に会いたかったそうですが、なかじさんは既に寺田さんを引退し、いったん札幌に移住してお店を開いていたのですが、それはご存知なかったようで「いらっしゃったらサインをもらおうと思ったのですが、札幌にいたんですか」と残念がっていました

また、一番印象に残ったのは、やはrデンマーク人の写真家と結婚した女性のご夫婦。

もともと、お申込みの際に、貴重なお話をメールで頂いていました。

というのは、オーガニック大国ドイツに10年住んでいて日本に来たら、「日本が世界トップクラスの農薬大国に嘆いていた」そうです。

ただ本物を探し求める中で、色々な人に出会い、そこから寺田さんにたどりついたという事。
そうなんですよね~。オーガニックの世界に入ると、やはり寺田さんにたどりつくんですよね~。

そして、面白かったのは、デンマークの有名なお店でも寺田さんのお酒が選ばれているそうなのですが、他の参加者でデンマークに出張に行った事がある日本人の参加者が「私もそこのお店を知ってますよ」と盛り上がっていたこと。

世界は狭いですね~、というかご縁で出来ていますね~。

会が終わって、聡美さんが話してくれたのですが

「デンマーク人の彼が「日本は不思議な国。ローカル(地方)にトラディショナル(伝統的)で魅力的なものが沢山あるのに、見向きもされていない」って言ってましたよ。本当、そうですよね~」

外国の方の方が日本の本当の良さに気づく眼鏡を持っている、という典型的なお話でした。

今年も色々な出会い、ご縁があった寺田本家酒蔵見学会。

来年は、さてさてどうなるか?

まだわかりませんが、とても貴重な機会を毎年頂いている寺田さんに感謝するとともに、ご参加頂いた方々が、嬉し&楽しの時を過ごして頂けて良かったです
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今年最初の自然薯堀り

2019年01月18日 | 農的体験・生活
1~2月は単発イベントのラッシュの月です。

日曜日の味噌作り、月曜日の餅つきで体力を使い、火曜日は体力回復デーに充てていたのですが、急きょ、おかげさま農場の出荷メンバーがインフルエンザにかかってしまった、ということで、代理で、(火)(水)と出勤しました。

先週の水曜日に体調を崩しましたが、実はその際に嫁さんが珍しく風邪で寝込んでいました。
で、たぶん、風邪菌はそこら中にあったのでしょうが、まあ、お風呂で温まって良く眠る、で凌げていたはずなのですが、イベントの2連チャンで体力を使い果たしたところで、体力回復デーを挟まずに2日間出荷をしたため、身体が冷え、お尻の辺りがムズムズ。

「こりゃやばそうだな~」と思いながら、水曜日の出荷の後、野菜配達をして夕方帰ってきたときには「こりゃ、まずいな」というぐらい、ムズムズが広がっていました。

熱を測ったら37.7℃。「こりゃ、このあと、熱が一気に上がるパターンだ」とわかったため、そのまま就寝。

案の定、熱が来て頭がガンガン痛くて苦しかったのですが、「これは大丈夫な風邪だ」という事を頭では冷静に理解しながら寝ていました。

大丈夫と言うのは、つまり、1日熱を出せば下がる、というのがわかるやつです。

ということで、木曜日は出荷代理をお休みさせていただき、ひたすら体力回復。

熱も下がり、体力もある程度回復した状態で、思ったより普通の状態で今週のイベントに突入。良かった

自然薯堀り、寺田本家酒蔵見学会、味噌作りの3日連続の1発目は「自然薯堀り」です

昨年は、50歳の女性が1人で掘りに決まりましたが、今回も女性で、大学生の3年生の女子2人が掘りに来ました。
「自然薯を食べるの好きで、実際に掘ってみたくなった」というのが参加動機。

ただ、話を聞いていると、「自然薯のとろろが1000円弱」と言ったので、「それは間違いなく偽物ですよ」と

実際に掘ってみたことで、いかに天然ものを折らずに掘るのが大変か、そして1000円じゃ、とろろご飯は食べれないという事は理解して頂けたようです

また、1本目は物凄いものでした。

普通、自然薯というのは1つ生えると、その周囲半径2mぐらいは他の自然薯が生えないぐらい栄養を吸収するものだそうですが、今回は、なんと3本が絡み合っているというもの

しかもその内の1本が途中2股に分かれていたため、4本足の自然薯が絡み合っているというもので、私も初めて見た「世にも珍しい自然薯」でした。

もし1本だったら、130㎝は超えていた超大物に育っていたやつでした

ちなみに2人は就活中。
帰りの駅までの送迎で、「今時の就活生」の話が聞けて、私も面白かったです


という事で、今シーズンの自然薯堀は一般人の参加が多いのですが、3月上旬までやってますので、興味がある方はお問い合わせください。
→こちらから
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冬のお仕事

2019年01月14日 | 農的体験・生活
1~2月は週末のイベントで何とか食っていく時期です。

農村は、そもそも農閑期なので、農作業はあまりなく、出荷するぐらいなのですね。

ということで、農業体験という分野はちょっと特殊なものになります。

・出張餅つき
・自然薯堀り
・味噌作り

がこの時期の3本柱。

水曜日の農作業で寒さにやられてしまったのか、体調崩してしまい、木曜日は小学校で焼き芋をやり、金曜日は昼ご飯後、4時間ぐらいお昼寝してしまいました


 その甲斐あってから、昨日は午前&午後のWヘッダーで今年の「味噌作り」を開催

 冬のこの時期に洗い物と1人で沢山の家族相手に指導をするのは実は大変でして、ヘロヘロになりましたが無事出来て良かったです


 そして、今日は15件の新築戸建てが集まったところで「出張餅つき」。

 赤ちゃんから小学生低学年のお子様ばかりの若いご家族で、農家の根本さんと「ああいった可愛い時期もあったよね~」とおじいちゃんのように目を細めながら、のんびり餅つきをしてきました


 明日、明後日はのんびり身体を休めようと思ったのですが、おかげさま農場の出荷担当者がインフルになってしまったので、出荷代行を3日ぐらいやることになりました

 今週後半は、(金)が自然薯堀り、(土)が寺田さんの酒蔵見学会、(日)が味噌作りと連続イベント。

何とか体が持つよう、睡眠をとって過ごしていきたいと思います。
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NHK解説スタジアム

2019年01月11日 | 自分の時間
NHKで「解説スタジアム」という番組があります。

各専門分野を持つNHKの解説委員が、時それぞれの問題を解説する番組です。

で、お正月に特番があって、多数の解説委員が集まっての討論があるのです。

ここ数年になって見始めたのですが、今年も録画したのを見ました。
同じNHKの人なのに、立場違えば視点も違って解説する内容も違い、時にディベートのようになって、「面白いな~」と思いながら見てました

1人の解説者が話すのと違って、同じ議題に「それは違うと思いますよ」と反論していくと、「あぁ、1つの事象も様々な角度から見たら違って見えるよね」という当たり前のことに気づきます。

さらに、NHKの人ですから、大学の先生と違って、やはりしゃべれる

まあ、合計2時間で何十人もの解説委員がいるので、深まる議論はどうしてもできないのですが、そういう意味では飽きずにみられる番組です。

で、今回の国外は「トランプがどうなるか、日中はどうなるか」みたいなテーマでしたが、国内問題では「外国人受け入れ問題」がかなり時間がとられていました。

今年の4月から、外国人労働者の受け入れが始まることになっています。

外国人労働者と言うと、工場や農業の現場で働く低賃金の人達を一般的には思い浮かべますよね。

ただ、それは工場はわかりませんが、農業で言えば、それは「特定技能実習生」という立場なのです。

つまり、「先進国の日本で特定技能を学んで、それを自国に持ち帰って産業の発展に活かす」という建前があって、そのために、2年なら2年、働ける、というものです。

成田でもあちこちにそういった「研修生がまず1カ月、日本語やしきたりを学ぶ施設」みたいなのがあって、そこから各地の工場や農場に派遣されていきます。

そういった派遣屋さんは、民間がやっているので、怪しい人もいますが、ちゃんとした人もいます。

まあ、相当儲かっているからそういった人たちがいるのでしょうが、研修生は、泊まる場所はもちろん、給料も出ます。
そして、昔の日本人と同じで、一般的には良く働きます。
彼ら彼女らは、昔の出稼ぎのような立場で、技能を持ち帰るというより、日本で稼いで母国に送金します。
家族のために働き、数年頑張れば、母国で家が建てられる。そのために働いているのです。

低賃金と言われていますが、それでも十数万は払います。
日本人では作業がきつい現場には人が集まらない。
だから、そういう意味ではきちんと働いてくれる研修生は、農業の現場では「戦力」なのです。

たしか、テレビで昨年見ましたが、茨城県の30代以下の若手農家の過半数が「研修生」というだったはずです。
そのぐらい、外国人研修生がいないと、農業は既に手が回らないんですね。

で、今回の解説スタジアムで、昨年の豪雨災害があった広島支局の方がしゃべっていましたが、災害の復旧に人手が全く足りないと言います。

建設業の有効求人倍率は7倍で、建て直そうにしても2年先まで予定がたたないところがざらにあり、人手がいないから復興が進まず、緊急医療のヘリコプターが着地するところが無い、なんてことが起きているそうです。
さらに、広島は牡蠣の養殖が有名ですが、その水産加工の現場は「2人に1人が外国人研修生」が担っていると言います。

だから、既に第一産業は外国人研修生がいないと成り立っていないのが我が日本なのです。

これを「研修生」という建前ではなく「労働者」として位置付けるというのが4月から改正となるわけです。

そしてこの対応として、ある解説委員は「本来は生産性向上や、賃金を上げて雇うべき状態なのに、低賃金だからといって頼ってきたこと自体が問題だ」と言ったり、「今は世界的な人材争奪戦なのに、日本では外国人労働者は家族を呼び寄せては駄目など、本当の人材として定着してもらおうという体制になっていない。現に、他国にどんどん人材がとられていってしまっている」という事を指摘したり。

話を聞いていて「なるほどな~」と思ったのが、「日本は外国人を受け入れるどうのこうの言っているが、要するに人口減少問題に対する対応策が明確に無いわけで、そこを外国人で埋めるというなら、その体制を国が本気で整えなくてはならない」という当たり前の事でした。

そりゃ、当然だな、と思いました。

例として、ドイツは外国人を受け入れる際は、最低90日以上600時間の研修を国が義務で行うそうです。
日本は既に130万人の外国人労働者がいるが、その受入れは全部民間任せで、国としては何もしていない、とのこと。

ドイツは20年前は「我が国は移民国家ではない」と当時の首相が名言したそうですが、20年経った今はアメリカ並みの移民国家になっている。

それを思うと、日本が20年後、移民国家になるのか、1つずつでもいいから将来像を明示して体制を整えばならない、と。

特定技能1級という資格を持つ労働者が、4月から「研修生」ではなく「労働者」として働けるようになりますが、それでも原則で家族の帯同は認めず上限は5年で帰れ、となっているそうです。

但し「一定の技能を習得したと認められると」その上限などは外されるそうです。

また、この問題に別の角度から「低賃金で雇いたいとなっても、転職が出来るわけだから当然給料が高い都市部に外国人労働者は集まる。そうすると、本来、人手が欲しい地方の解決にならない。一方で、家族帯同を認めるなどがあれば、生活コストが安い地方で働くこともメリットになる」という発言も。

そして、締めくくりとしては「安い労働力が生まれるというのは妄想。根本的な人手不足の解決として、また将来の日本社会を担う人材を育成するという事であれば、当然、教育や生活支援などのコストがかかる。そういった将来のために投資を行うという事を国が示し、国民も理解をしていく必要がある」という事でした。

大陸と繋がっていない東の孤島の日本は、地理からくる歴史、文化などが他の国とは特別で、外国人に対する特別勘定も未だに多いと思いますが、団塊世代が動けなくなり、団塊ジュニア世代も老化し始め、少子高齢化が世界レベルで進んでいる以上、どうにも外国人労働者は受けれいなければいけないのは必須。

もちろん、根本的な「少子化対策」をどうすんじゃい、という解説委員の話もありました。

子は地域の宝、国の宝、という事で、子どもをみんなで育てていたのは昔話となってしまった日本。

何でもお金優先で経済最優先出来た日本。

農村部に経済最優先から離れた生き方を求めて移住する若者も増えてはいますが、将来、さてさて、どうなるのでしょうかね?

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3回目のボヘミアンは「応援上映」

2019年01月04日 | 自分の時間
ボヘミアンラプソディーの3回目を観てきました

これで3回目です

まず1回目は、昨年の12月中旬に高柳さん達とみて、見事にはまりました。
あの時はIMAXで無茶苦茶、音が凄く、まるでコンサート会場のようでした

フレディの孤独、またバンドが結成されて頂点を究めた後、バラバラになり、そして最後はまた1つの母船に戻ってライブエイドを迎える、というストーリーも最高に良く、特に最後のライブエイドの時は、フレディが「パフォーマーとして天国に連れていく」と言う言葉通り、まさに観客として最高の状態に連れていってもらった感じでした。

そして、実は年末に2回目を1人で観にいったのです。
その時はIMAXではなく普通の上映。
それでも十分で、というか、むしろ1人で行ったせいか周りに誰もいなく、もうストーリーにどっぷりつかって号泣してました

音楽も良いけど、孤独で人生のどん底まで落ち、かつ死を宣告された本当は悲劇の人であるフレディが、世界中の人を音楽で勇気づけ、天国に連れていってしまうその魂の叫びに、どっぷり感情移入&リスペクト。

年末、心が削られるような言葉を更年期障害でイライラしている嫁さんから吐かれ、精神的にもつらい日も多かったのですが、フレディの孤独、つらさにシンパシーを覚え、またそれでもパフォーマーとして最後まで生きていこうとする姿に涙が止まりませんでした

しかも映画館はいつも通りガラガラ

成田の映画館は、通常、どんな映画も1週間もしたら多くても50人ぐらいしか入らないのです。

この「ボヘミアンラプソディー」は封切りしたのが11月上旬ですから、既に1カ月半以上経っているわけです。

それでも、東京では大人気のままで、成田も人気があるのでしょう、12月までやっていたわけです。

とはいっても、やはり成田なので、観客はトータル20~30名ぐらいでした。
ど真ん中でかつ周りに人がいないから、人目を気にせず、ひたすら涙してました


ただ、本当は「応援上映」に行きたかったのです。

「応援上映」というのは、映画を観ながら歌っても良い、というもので、1回目を観に行ったお友達とも「応援上映みたいね」みたいな話はしていたのです。

そして、私がお世話になっているクイーンドンピシャ世代の50代の農家さんが「東京に娘がいるけど、2つ映画館まわったけど入れなかったってよ」と言っていたので、なおさら「応援上映」に関心を持っていたのです。

しかし、成田で実は何日かだけ、応援上映をやっていたのですが、それを逃してしまったので、「まあ普通の物でもいいや。これで見納めだ」、という感じで普通の上映を年末に見てきたのでした。

ところが

年末、映画館のスケジュールをチェックしていたら、年末の2日間、「IMAXで応援上映が決定」と急に出てきたのです

しかも、年始の1月4日、5日もやると

これをFBでつぶやいたら、みんな反応してくれて、成田のお友達や知り合いも観に来てくれて、また千葉県の他市からもわざわざ成田に来てくれるお友達も出てきました

そんな感じで、4日、映画館に到着してチケットを買おうとしたら、まずびっくり

成田のIMAXは座席が470席以上あるのですが、それでもいつもは埋まっていても50席ぐらいのはずなのに、なんと前方3列と後方の左右以外は全部埋まっていたのです

そして入り口には行列が

「何が起きたんだ」と思って映画館の人に「凄いですね」と聞いてみたら、映画館さんがSNSで「応援上映決定」と投稿したそうで、その影響で東京などからも来ているんだって


そして、「応援上映」なるものがどういうのかわからなかったのですが、コスプレしたお姉ちゃんとスーツを着た男性2人が前説として登場し、司会進行をしながら「応援上映の仕方」や「練習」をみんなでやったのです

コスプレしたお姉ちゃんは、スーツの司会者の方から「応援上映の生みの親」と紹介されていたので、有名なのでしょうね。

そして、司会の2人で「応援上映の仕方」の説明を前説でしている時に、「応援上映初めての人は?」と聞いたので、手を挙げたら、なんと半分以下。

次に「東京・横浜などで既に応援上映は経験済みの人は?」と司会の人が聞いたら、6割ぐらいが手を挙げていました

つまり、過半数がわざわざ成田に応援上映に来ていたのでしただからこんなに混んでいたんだ

成田の映画館で成田の人の方が少ないって、こんなこと、あるんですね~


そして、いざ映画が始まると、さすが慣れている都会の方は凄い

映画中にクイーンのファンの人から、黄色い声援がバンバン飛ぶこと

応援上映慣れしている都会の方々に引っ張られる感じで、スタンディング&手拍子&合唱という、今までとは全く違った雰囲気でした

今回初めて観に来たお友達もいたのですが、ある意味ストーリーにどっぷり浸かれない雰囲気でした

ただ、逆に言えば、IMAXですし、会場もでかく、かつ応援慣れしている人が過半数なので、もう要所要所でスタンディング&手拍子&各自が歌う、というまさにライブ会場そのもの

私も映画館でお友達と一緒に初めて叫んでました

そして映画 終了後、「明日もやっていますよ」という司会の人の言葉に「明日も来るよ~」とシャウトしていた方がいたので、おそらく成田にお泊りでしょう。熱いファンは凄いですね~

最後に、ホテル日航の自称「フレディ桜井」という支配人ぐらいのご年配のおじさんのご厚意でペンライトが無料で配られていました。

おじさん、最後にフレディの「エイオー」という真似をしていました。

恰好良かったです
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