半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

東京での同窓会

2017年06月30日 | 素敵な人・友人との時間
金曜日は昔のCTIジャパンという所でコーチングを学んだ同志達との同窓会、久々の東京、久々の終電帰りでした。

(水)はムシムシした小雨と高温の中で、午前は玉ねぎ作業、午後はお友達を呼んでのジャガイモ堀りで汗だくだく。
(木)は4時間ぐらい草取りを頑張ってしまったこともあり、体力を使い果たしておりました

ということで、(金)は午前のちょっと仕事をしたものの、お昼を食べてすぐにお昼寝。

行きの電車でもほぼ寝ながらの東京。

そこで気づいたことをあげると。。。

1:みんなで、スマフォばっかり
自分の座っている座席の列の前に立っている10人をためしに数えてみましたが、10人中7人がスマフォ、残りの1人はPS、1人は読書、1人は何も持っていない、と言う状態でした。

まあ、わたしがスマフォを持っていないので偏見もあるのでしょうが、みんなそんなに目や神経や頭を移動中に使っていて、大丈夫なのかな?と心配になりました。

もう何年も前にもそう思ったことがありますが、このことを話したら、同窓会のメンバーは「みんな異常で中毒症なのよ。でも止められないの」と言っていました

助産師のおばあちゃんがラジオで「最近は骨盤がおかしいの、それはスマフォが出て来た頃からで、みんな首の頸椎が歪んじゃっているの。ずっと下を向いているから」と言っていたのを思い出しました。

2:山の手線は凄い
久々の混んでいる山の手に乗りましたが、まあ凄いのなんの
よくあんなに普通に昔は乗れていたな~と思いますが、人間は慣れの動物。私も田舎暮らしに慣れたので、山の手にもう乗れません

3:「みんな良い人
これが最大の気づきでしょう。

今回は、同窓会といいますが、実は同期だけの同窓会は2週間前に開催していました。
ただ、週末イベントが重なっていたので、前日準備や体調も考えて断念していました。
今期は期が近い人たちの集まりだったのですが、最後にスポーツバーで40分だけ飲んで終電で席を立ったのですが、みんなからハイタッチやじゃあね~という言葉をかけてもらったり、声援で見送ってもらいました。

その時に思ったのが「あぁ、みんな良い人だな~」ということでした。
なんだか、ちょびっとした感動が胸に沸き上がったのです。

10数年前に一緒に学んだ仲間だけでなく、初めて会った方も含め、みんな笑顔で心をオープンに見送ってくれました。
そういった環境にいると、こちらも心がオープンで、素直に祝福の気持ちみたいなものが入って来るんですね。

たぶん、世の中の人は全員本当は良い人なのでしょう。

テロリストだって本当は良い人で、生まれ持って悪い人なんていないのでしょう。

それが、悪しき環境、教育によって、人の心は染まっていく。

でも、どんな人だって、昔のピュアな心でつきあった仲間のところに戻れば、その当時の心境に戻るんだと思います。

みんな良い人なんだな~、と思って人と付き合うという人が世界中にあふれれば、世界はもっとよくなるんでしょうね。


ちなみに、今回の同窓会はコーチングの仲間との同窓会だったのですが、それついてちょっと補足を。

私がコーチングと言うのは、今は知っている人は知っていますが、当時は黎明期でほとんどの人が知らないものでした。

名前をしっていてもどんなのかわからない。

怪しいものもありました

私が学んだCTIジャパンというのは、硬派というか王道というか、本物でして、co-active-coachingというものを学ばせてもらいました。

あれは20代後半ぐらいでしたね。

「誰一人間違っている人はいない」といった言葉が最初に出てくるもので、私が学生の頃から持っていた信念とぴったりきたんんです。

そして、人の可能性を信じ、人の奥の奥底に眠っているものを呼び覚まし、自分の本当にやりたことや人との関係を選択し構築していけるよう、一緒に伴走者となり、鏡となってその人と一緒に、協同作業で深めていくのがco-active-coachingでした。


私にとって、畑を耕し種を蒔いてもらった人生で最も大きな影響を受けた出会いの1つです。

それは創業者の榎本さん(ヒデさん)との出会いでもあり、私がピースボートに乗ったのも、会社を辞めたのも、今の仕事をしているのも、ベースはここで耕されて種を蒔かれたおかげです。

コーチングで会社を辞めようと決意したのも、出会ったから。

辞めれなくなり、ピースボートに乗り込んだのもそのせい。

その後、農村の暮らしに入り、原発事故後、独立したのも、やっぱりこことの出会いがあったからですね。

「自分のしたいことを自分で切り開いていける力、一歩を踏み出せる力」を自分の中に見つけ、あるいは呼び覚ませるようになる、それがこのCTIジャパンの魅力でしょうか。

そして、お金に多少余裕があって今の自分や人生がもやもやしている人は、CTIの扉を開いたらいいのにな~、と改めて思いました。

もうみなさんと同じようなビジネスの最前線に立つことは無いでしょうが、このご縁がまたどこかで繋がり花開く日を楽しみにしています
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高柳さんとのご縁を結ぶ「食と命の教室」

2017年06月24日 | 農的体験・生活
(土)は「食と命の教室」でした

5月のGW明けからカラッカラの天気が続いていて、先週(金)に降った雨もすぐに乾くレベルでしたが、今週の(水)はようやく畑の深層部まで浸透するほどの雨が降って、農家のみなさんはようやく一息つけた感じです。

しかし、この2ヶ月近くでたった1回しかまともな雨が降らないなんて、ほんと、日本の気候はどんどん変わっていっていますね~。

そんな天気ですが、高屋さんの「晴天で田んぼの不作無しというが、稲はすくすく育っているよ」と言います。

畑はからっからで、色々な問題が出ていますが、田んぼは水が管理できるので、晴れているほど稲は絶好調なわけですよね。


もちろん、草も元気に伸びます

ということで、まずはみんなで田んぼに素足ではいっての草取りです


まあ、みんな草取りは初めてで、私も久々なので、蒸し暑い中でみんな結構ヘロヘロ。
ちょうど中干しといって、わざと水を抜いて稲が大きく増えるのを止めたり、秋の収獲に向けて苗の根を張らしたり機械が入りやすくするようにする季節なので、水はあまりないので、まあ、歩くのが結構大変でした

ということで、みんな「働いた~」という感じで、お昼ご飯
今回はお手製コロッケもあり、また新もののナスの生姜甘味噌炒めなど、相変わらず「美味しい~」とみんなでバクバク食べました


ちなみに昼食時には、農業ボランティアで日本の女の子とオランダからの青年がいました。
日本の女の子は、同じ成田市で1年前に介護系の職についたものの、現実を知ってしまい、「人生を学ぶため」に5月末からしばらく高柳さんのところに住み込みでいる子です。

若いのにしっかりしていて、お茶くみや気遣いなどが出来て、まあ凄いな~という子でした

もう1人のオランダの青年は20才で若さ溢れる子。

食後、半分ぐらいの人が午前の疲れをとるために昼寝をしていましたが、私はたまたま彼と話していました。

日本文化に興味を持っていて日本に来たらしく昨年の9月から日本語を勉強し始めて、もうペラペラ。
外国からくる子は本当に日本語を予め勉強していて、すごいな~と思います。

そんな彼から教えてもらったのは、たとえばコーヒーはオランダ語がもともとなんだって。
コフィ、という発音がオランダ語で、そこから英語でカフィみたいになったそう。

確かに英国圏はティー文化だから、あとからコーヒーが入って来たんでしょうね。

また、「カステラ」については全くしらず
日本人のほとんどが「カステラ」はオランダから来たと思っているよ、と伝えたら、不思議そうにしていました

そんな彼が「美味しいですよ」といってくれたお菓子がこれ。
ワッフル風のクッキーにキャラメルがはさんであるもの。
食後に1枚食べるのがヘビーなぐらい甘かった



さて、お昼寝も終わり、午後は畑です。

これは菜種の収獲のあと。
先々週、手で刈っていて、今週の火曜日にブルーシートの上でバンバンたたいて脱穀をしました。
この種を圧搾で絞って菜種油にします。
油の話、歴史を色々高柳さんからしてもらいましたが、みんなほとんど知らず「へ~」ってな感じでした


さて、その横でジャガイモのキタアカリの収獲です。
今年は他の品種はさておき、キタアカリはみんな何故か不作。
雨が無かったからでしょうが、この時期で木が無くなるほど枯れあがるのは本当に珍しいです。


実も小さいの多く、農家さんも大変です


最後に、先月蒔いたゴマとひまわり畑の草取りです。
みんな、午前で体力を使っているので、結構ヘロヘロ。
「農家さんて毎日これをやっているんだから凄いですよね~」と言う方がいました。

はい、その通りで、体のつくり、生活が違うんです
私もほんと、農家さんは凄いな~と思います。
まっ、戦前までは日本人の7割は畑をやっていたわけですから、みんな毎日働けば順応していくと思いますけどね。


ちなみにこれがゴマ。雑草との違いが素人だとほんと、見極めずらいのです。
今年は雨が少ないので、まだまだ小さくものになるかは雨次第、生育次第です。


今月は田んぼと畑をたっぷり満喫しました。

一仕事した後は、みんなすっきり爽快

お母さんからの差し入れで、ミニトマト、キュウリの漬物、トウモロコシ、おせんべい、また高柳さんの親戚のブルーベリーなど、夜ごはんがいらないぐらい、たっぷりのおやつが出て、それをお茶うけに、油のこと、田んぼのこと、また私のピースボートの話のこと、歴史や神道のことなど、まあありとあらゆるお話で2時間ぐらい、みんな活発に意見交換しました。

例年より参加人数が多く、大体2~3回目でアットホームになるこの教室ですが今年は今月でようやく「あっ、いつもの感じだな」という和やかな雰囲気になりました。

そして、参加者が言っていたのですが「高柳さんの生活をしって、初めて色々なことが一体となりました」という言葉がとても象徴的でした。

今の時代、食べ物や健康や歴史やら、色々なことを「情報」として集められる時代で、そういった人達は最初は頭でっかちになります。
私も最初の1~2年はそうでした。

しかし、高柳さんと出会い、生活を知ることで、「生きること」「生活すること」がすべてであって、その生活文化というかスタイルの中に、食や食べ物や健康や歴史が体現されているんですね。

100の情報より、1つの生活実践。

そういった生活を昔からしていたから、今もしているんだ、という高柳さんの目の前で毎日繰り返されている生活を体感することで、「あぁ、日本人はこうやって生きて来たのか」と、今まで学んだ知識が初めて体感としてわかるんですね。

そして、高柳さんが話すことも大事ですが、やはり大切なのは「生活に触れる事」ということを、今回も私の中に刻むことが出来ました。

引き続き、高柳さんとの出会いで少しでも生活や人生が少しでもよりよくなるよう、ご縁つなぎをしていきたいと思います
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本:長寿村・短命化の教訓~医と食からみた棡原の六十年~

2017年06月19日 | 素敵な本
今日はオフデー。

高柳さんから良く聞く、かつての長寿村「棡原村(ゆずりはらむら)」についてまとめた、今や絶版になった本を県立図書館から取り寄せて読んでみました

棡原村というのは、かつて、「長寿村」として日本中にその名をとどろかせた村だそうです。

この村に18歳の時に小学校の代用教員として赴任した古守先生という方が、診療所を開くなどして30年、村民と生活していて、長寿にはその食が大いに関わっていると発表したものの、学会では栄養学が主流で全く相手にされなかったそうです。

しかし、東北大学の名誉教授の近藤博士という偉い先生がいました。

この方は、「長寿の解明」をライフワークに、何十年にもわたって日本中の村々を歩き、長寿の村と短命の村を調べ上げていった人です。

その先生の研究で、日本各地で長寿と短命の村が各地にあり、その村は隣同士というのもあったそうです。

例えば、東北の米どころはたいてい早死にだそうです。
白米の大飯ぐらいは早死にする。

白米がとれない場所としては山間部で雑穀を食べるしかなかったようなところ、あるいは海岸部でも海藻を常食にしている村、魚も小魚を丸ごとたべているところ、同時に大豆などの豆類、芋類を食べている所は長寿だとか。


この近藤先生がお墨付きを与えて有名になり、一躍、日本中にその名が広がった村でした。


「村でした」と書いたのは、実は、その長寿村も、戦後、国道が出来、物流が走り、地元でとれる食べ物以外の肉や油やインスタント食品が入ってきたり、出稼ぎに行くことで現金収入で食べ物を買えるようになり、食べものが大きく変わりました。

その結果、戦前に育ったご年配の方は長命で、戦前戦後に生まれたその子供たちが40~60代で早死にしてお父さん・お母さんが子供たちを見送らなければいけない「逆さ仏現象」が起きたのです。


その根本が「雑穀菜食」、もしくは「購入食ではなく自給食」。

村は今でいえば貧しく粗食、古守先生の言葉でいえば「粗食ではなく健康食」なのですが、白米を食べるのは正月やハレの日ぐらい。
麦を中心にヒエ・あわ・きびなどの雑穀と芋類、豆類が主食で、里芋は1日に1回は食べるのが普通。
こんにゃく、ジャガイモ、サツマイモなども食べ、冬菜という冬も育つ青菜を年中食べていました。
みな、腹八分目で、背は平均150㎝以下だけど骨太で長命。
おっぱいははちきれんばかりに出て、平均4リットルは毎日でたそうで、子どもも8人、9人が普通で多かったそうです。

それまでは、外国人が「都市部にはもはや日本人という民族はいない。しかし、ここで初めて本来の民族としての日本人を見た」というほど、低身長で骨太で重労働にも耐え、他の長寿村の長老より生物学的に20年は若いという長命な村人が住んでいました。

鷹觜(たかのはし) テルという栄養学者の有名な方がいて、この方も棡原村の調査を調べるようになり、古守先生と一緒に、深く調べていきました。
この鷹嘴先生は、岩手の貧しい村出身で、当時の村人はお金が無いので、死にそうになった時に初めて板に乗っけられて運ばれ、帰ってくる時には死体となって帰ってくる、という現状を小さい頃が見ていて、なんとかしたい、と思っていたそうです。
そして、かつて病気で死にそうになった時、栄養学の先生や主治医が懸命に治療をしてくれて治ったことで、「人の命を救えるようになりたい」と思い、医師を志した人です。

しかし、力及ばず医師になれなかったのが、前述の近藤先生の講演で「栄養学を合理的に勉強していけば、病気を治し、長寿が可能」という話を聞き、「栄養学で人を救えるならこれに命をささげよう」として、栄養学で日本や世界の病気や健康や長寿を研究してきた人です。

その鷹嘴教授を中心に、棡原村のなんと昭和元年から昭和60年までの60年間の過去の約3000にのぼる死亡診断書や食生活などを調べ上げたのです

そして昭和20年までは「うつる病気」だったのが、昭和20年以降は食べ物などによる「つくられる病気」で死んでいく人が急増したそうです。

例えば脳卒中、ガン、心臓病が食事の変化と共に急増しました。
脳卒中も、昔は脳溢血で脳梗塞と言うのは日本ではあまりなかったそうです。
ところが、食べ物が西洋化することで、西洋と同じ「脳梗塞」という病気が現れ始めたそうです。

自給食から購入食と変わり、肉・油が増え、野菜や穀物が激減していった。

そして150㎝以下の平均身長の大人の中に、小学生にして生理がきたり中学生で170㎝を超える子供が出て来た。
そういった「早熟」の子どもたちは貧弱で、骨も弱く、早死にしていった。

生物学的に「早熟→老化→早死」という流れがあるといいます。

子供の頃の過剰栄養摂取、特にタンパク質摂取が、アメリカからどんどん推奨され、当時の新聞でも「雑穀は食ってはいけない、馬鹿になる」とか「米を食ったら馬鹿になる。パンと肉を食え」と言われたいた時代ですから、どんどん食べ物が西洋化し、早熟の子どもが増え、昔の日本人らしい成長とは著しく違った成長をする子供たちが増えていったそうです。


窮乏の昭和20年代
充足の昭和30年代
過剰の昭和40年代

と古守先生は表していますが、昭和40年代に既に「過剰の時代」と言われていたのには私もびっくりしました

昭和40年代が「過剰の時代」となり、昭和50年代、60年代に「逆さ仏」が起き、この本が書かれたわけです。

私が生まれた年代は既に「過剰の時代」であり、私が中学生の頃にこの本が書かれていたのです。


この本は棡原村の事を中心に書かれていますが、その他、色々なことがまとまっています。

栄養学から、ビタミンのこと、カルシウムとマグネシウムは2:1の割合がいいのが、精米・精麦したものではマグネシウムが減り、カルシウムが過剰だと血管などを傷つけること。

また食物繊維が腸内の有用細菌を増やし、それが健康につながっていること。
世界の長寿村と言われているところの食事や生活なども比較して、相違点が探られていたり。


ちなみに、その当時、ブラジルは西洋化が進んで世界一短命と言われていました。
西洋の医学は十分だけど治らない、といって日本の著名な森口教授という先生を呼んだ病院長がいるブラジルの病院で、森口先生が日本の雑穀菜食中心の食事にしたところ、日系人は1人も入っていないのに長命化したり病気が治ったことがわかりました。

その森口先生は「長寿化は病気などへの対処療法ではどうにもならない。生活態度の全面的改善によってのみ」と言い、日本に来た時に棡原の住民をまわって、その生物的若さにびっくりしたそうです。


長寿の根本を探ったり、日本や世界の長寿村と短命村の比較を載せたり、野菜による有用腸内菌の関係、栄養学的ミネラルのお話など、まあ盛りだくさん。

色々な雑誌や本の著作をまとめたような本なので、ボリューム満点で、ちょっと昔のことかもしれませんが、戦前・戦後の食べ物にまつわる長寿と短命の集大成という本で、これ1冊あればいいんじゃないか、と思える本でした。

残念ながら絶版ですが、長寿や健康を真剣に考えたい人は、図書館などで借りてみるのも良いと思います
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ザリガニ釣りにジャガイモ堀りと盛りだくさん♪

2017年06月18日 | 農的体験・生活
やって参りました、「田んぼと畑の耕育教室」

6月は人気のザリガニ釣りに田んぼにジャガイモ堀、そして丹波黒大豆の種蒔きと盛りだくさんなんですよ~

田んぼは根本さんにお任せして、私はザリガニチームの引率です。

ザリガニは隣町の土塁の「入れ食いスポット」で釣ります。

例年、1人平均5匹は釣れる凄いところなのですが、今年は前日にチェックにいったら水不足と中干の影響で、水がからっから
根本さんも「今年はどうだろうね」というほどで、ためし釣りをしてみましたが、まあ釣れないこと

今年は雨が例年以上に降らない5月だったので、それも影響しているんでしょうか?
釣れても小さいやつしかいないで、こんなこと、過去5年には無かったんです

ということで、参加者には事前にそのことを案内して「釣れる子と釣れない子もいますが、ご勘弁を」ということで、ご理解を頂いて、ザリガニ釣り。

今年はもちろん、釣れたご家族は大喜び
そして釣れない家族はトーンが上がらず申し訳ない感じでしたが、まあ、こればかりは自然のことですから仕方がないですよね


そして全般的に小さなザリガニもいたので、小さいのは放流してもらい、大きめのものがつれても1~2匹ぐらい、ということで、ご理解を頂きました。

中には大きめのザリガニちゃんもいて、ひたすら戦わせていた子供もいました



さて、田んぼとザリガニを午前中いっぱい満喫してもらった後は、待ちに待っていた昼食です
既にこのお昼ご飯のファンになっているご家族が多いのですが、今月は大人気のカレーということと、ザリガニと田んぼで12時半を過ぎてからのお昼だったので、みんなバクバクと本当に良く食べていました


ちなみに、ランチプレートはこんな感じ。
カレーにコールスローサラダに納豆の盛り合わせ

コールスローのマヨネーズと根本さんのお手製丹波黒大豆納豆が混ざって、それにカレーが混ざると・・・結構、美味しくて病みつきの味に


さらに、根本さんのお手製ヨーグルトとお手製丹波黒大豆の甘煮、それに丹波黒大豆の黄な粉をトッピングして、まあ豪華なデザートも
とっても美味しくて、お変わり続出でした


さて、お昼をお腹いっぱい食べた後は、畑作業です。

まずは丹波黒大豆の種蒔き。
先月マルチを張ったので、まずは草取りをしてもらい、それから先月の「豆を蒔く時のポイントは覚えているかな~?」と聞くと、覚えている子がいて、嬉しかったです

そう、豆を蒔く時のポイントは「鳥がいない時に蒔くこと」です。

今回も鳥がいないことを確認し、まずはマルチの草をとってもらい、1粒1粒、蒔いてもらいました。


これが10月のとっても美味しい丹波黒大豆の枝豆と12月の丹波黒大豆のお土産になるんですよ~。


その次は、ジャガイモ堀りです。
みんな、ゴロゴロとれるジャガイモにおおはしゃぎ
今回は、男爵とメークイーンの2種類を植えておいたので、みんなキャッキャと掘り上げていました。
多分、人生でこんなに掘ったことはないでしょうね。


コンテナいっぱい×18箱で、100㎏以上の収獲ですね


みんなで分ける時も大賑わい
最初は競うように大きないもをとっていましたが、最後の方にはビニール袋がはちきれるぐらいになってきて、どれでもいいや、という雰囲気になりました


やっぱり、美味しいご飯とたっぷりのお土産があれば、なんだかんだいって楽しいものですよね~。


(土)はものすごく暑く、(日)は肌寒いほどでしたが、みんな楽しく過ごして頂けて良かったです

そして、6月は人気の月なので、来週も特別開催があります。

来週も体調を整えて、みんなで楽しく、ザリガニ釣ったり田んぼをやったり、ジャガイモを掘って過ごしたいと思います

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「人生論」の深いお言葉:人生とは?孤独感とは?

2017年06月13日 | 自分の時間
NHKの番組で「100分de名著」という番組があります。

伊集院光がメインコメンテーターで、なかなかのコメントをするのですが、4月は三木清の「人生論」というのがやっていました。
詳しくは→こちら

三木清というのは戦時中の哲学者で、昭和の偉人として高柳さんもその名前を出す人です。

ただ、戦時中の検問があったので、「幸せとは?」といった国家に従順でなければいけないという時代にはタブーであったことを訴えるために、ただでさえ難しい哲学を、さらに回りくどく表しているのです。

なので、ビデオにとったものを再度見直しています。


心が落ち着いていないと、観念的なことを考えられる状態でないと、頭に入ってこないんですね

で、生命とは海の中の泡粒みたいなもので、何もない広大なもの=海の中にいるちっぽけな自分=泡粒であるからこそ、人生は意味がないのではなく自分で形成していかなければいけないものだ、と言います。

わかりますか?

あまりに広大な世界の中で確かなものがわからないぐらいのところに生きているからこそ、人生は自分で形成していくしかない、と言うのです。
だから、人生は「形成力」だ、というのですね。

ところが、社会の変容で、それが大変難しくなってきた、と戦時中の三木が言います。

昔は社会は限定された世界だった、と言います。
つまり、普段、顔を合わし交流をするのは1つの村の100人ぐらいだった時代だった。

人間は「私とあなたの関係」で、自分の「個性」を形作るものだと言います。

1人では自分は何者かはわからない。

誰かがいて、その比較で自分は「こうだ」と個性を知る、作るというわけです。

だから、その村の100人なら100人の中で、「自分はここが変わっている」「自分はこういった考えを持っている」と自覚する、それが自分だと形成していくわけですね。


ところが、今は(三木の時代、つまり戦時中のことですが)無限定な世界になった、と言います。

街ができ、都会ができ、人が無数に住み、無数にある匿名・・・つまり人物を知らない無数の人達、そういった人達の中に自分がいる、という世界になってしまった。

だから、一見、多くの人とつながっているのにかえって孤独感が募る、というのです。

これって、決して三木清の「今=戦時中」のことではなく、あたかもインターネットが旺盛でアバターなるものが登場した現代のことを言っているみたいですね。

ラインしかり、ネットしかり、都会しかり。

人が孤独を感じるのは、無数の匿名、あるいは無数の希薄な人間と関わる社会になっているからだ、と。


100人の村の中の1人であれば、「自分は変わっている」「誰それは合わない」「あいつはこうだ」と匿名じゃなく具体的な人物に対する自分の考え、意見、そう思う自分の発見、というのがしやすかった、ということです。

ちなみに、解説者の岸見一郎さんという哲学者が言っていたエピソードがうなるような内容でした。

「私が高校時代の時、友人がいないことを心配して、母が先生に相談したんです。そうしたら先生は『お母さん、一郎君は孤独なんかではないのです。1人でいることが出来る子なんです。1人でいることが出来る強さがあるんです。だから今、無理に友人を作る必要はないと思うのです』と言ってくれたんですね。そういってくれたことで、私はずいぶん勇気づけられました」

友達がいなくてはいけない、という風潮がありますが、逆に、そういったことをズバリと言える先生は本当にすごいですね。
そういった先生がいたからこそ、岸見さんは立派な哲学者になれたのでしょうね。

1人でいることと孤独は違う、ということを説明するエピソードだったのですが、決して1人でいることが孤独感とイコールではなく、自分はこうだ、ということを形成し、1人でいることも自分だ、1人で徹底的に考えていくのも自分だ、という人生もある、ということですね。

むしろ薄く軽く多くの人とつきあっている人ほど、孤独感を感じやすいのかもしれませんね。
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芋をもらって思うこと

2017年06月12日 | 農的体験・生活
今年も沢山、ジャガイモをもらいました
キタアカリとニシユタカという品種なのですが、どちらも美味しく、有難い話です


たまたま取材にいった農家さんの横に、別の農家さんが芋を掘っていて、両方からお芋をもらったので、予定には入れなかったのですが、ただでもらうと申し訳ないので、午前中は芋堀のお手伝いをしました。

そして午後、ちょこっと違う仕事をし、夕方は自分の畑で水を撒いたりスナップエンドウの残りを収穫したり。

そんなことをしながら、ふと思うわけです。

「あ~幸せ者だな」と。


ジャガイモは私は作りません。なぜかというと、必ず誰かしらからもらえるからです。

お米もそう、野菜もそう。

鮮度や農家さんと顔見知りになってその場でもらえる野菜は当然美味しいわけです


そして、この道に入る時、「農家は向いていないよな~」と思って、農家にはならないと決めたことが、やっぱり正しかったんだな、と思うわけです。

農的生活が好き、大地に根差した生活が好きなわけで、生計を立てるために換金作物として野菜を作りことには心が動かなかったからです。

だから、プロではなく素人だからこそ、手伝うとろくに戦力にもならないのに「有難う」と言ってもらえて、しかも野菜を頂けてしまう

自分の畑では、好きなように野菜を作って、見た目が不格好でも「お~、頑張っているな(笑)」と、農家さんから本音は「もうちょっとちゃんとやったらいいのに」と思われつつも、素人だからこそまあ何とか許容してもらいながら畑をさせて頂けるわけです。

そんなポジションは、ある意味、理想なんだろうな、と思います。

頂いたジャガイモのうち、キタアカリ好きの奥様が早速蒸かして、夜は味噌バタジャガで食べました。そりゃ美味しいこと

ジャガイモといっても、メインを張れる美味しいおかずになるもんですね。

あ~、ありがたや、ありがたや


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広報なりた

2017年06月07日 | 仕事の中で
今月号の「広報なりた」の表紙に「田んぼと畑の耕育教室」が4年ぶりぐらいに載りました。

前回は「成田食育推進計画」なるもので、4ページぐらい写真で使われたのですが、今回は表紙だけ。

まあ誰かのPRを広報でするわけにはいかないでしょうから、表紙でもなんの教室かわからない人が多いような感じで補足分が殆どない状態なのですが、乗せて頂いただけ有難いですよね。

6年目となるこの教室、おかげさまで3年前からはキャンセル待ちでも入れない状態になりました。

毎年、延べ人数で1,000人以上が根本さんの田畑に足を運ぶようになりました。

今年の田植えで一番うれしかったのは、もう何年も来ている家族で、お母さんが「今年はもう子供も大きくなったからいいかな」と申し込みをしなかったら、小学生中学年のお姉ちゃんが「そろそろ田植えの季節だね?」と言い、慌てて申し込んだというエピソード

両親としては田植えもイベントとして慣れというかマンネリ感があったのでしょうが、子どもたちは「この時期の習慣」といった感じで、また行くのが当たり前のような形になっていたわけです。

これって、参加した子供たちの中には、この教室が無ければ生まれなかった感情、培われなかった原体験ということ。

そう思うと、農村コーディネーターとしてやってきて良かったな~と思うのです

コツコツと続けていくことはとても大切だと思う今日この頃です

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本:農業で成功するひと うまくいかない人

2017年06月01日 | 素敵な本
何かで見たか記憶にないのですが、「農業で成功するひと うまくいかない人」という本が面白そうだったので、図書館で予約しておいたら、その本が届きました。

著者の澤浦さんという方は、私も聞いたことがある名前で、家業を企業にし、やさいくらぶ、グリーンリーフという会社を次々と立ち上げ、新規就農者支援や独立支援の仕組みをつくり、自身だけでなく同志を成功に導いてきた人です。

私もいろいろな農業系の本を読んできましたが、この本は「お~、これは現場の人だからこそ書ける良い本だな~」と感心しました。

農業系の本というと、「本が売れる」ということが必要なためか、「農業で稼ぐ」みたいな感じの本や「田舎で殺されないために」といった本など、まあ、いろいろな本があります。

で、たいていの本は、熱い理想を書いている本、あるいは農業を経営の視点から見なければいけないといったそれらしきことが書いている本、あるいは、農業関係のライターさんが書いている色々煽る取材ものが多いのです。

どれも面白い角度で農業にフォーカスしているので、読んでいて面白いけど、記録や記憶に残るのは少ないと思うのです。

ただ、今回の本は「お~、その通りだな~」と私のような立場のものでも納得できるものです。


今回の本は具体的な事例が多いです。
書いてあるのですが、そもそも農業を生業としてやっていこう、という覚悟、決意がある子は、畑が好きで朝から晩までいることを厭わないし、きちっと研修も受けるし、とにかく作ることに熱心と書いてあります。

当たり前のことだけど、その通りだな~と思います。

畑が好きで、ある程度勉強し、ある程度資金を貯めて、その上で研修を受け、素直に教えを学び、地元に溶け込み、プランも立てて就農していく。
当たり前と言えば当たり前なのですが、そういった子が「成功する」といいます。

逆に、うまくいかない子は、農業の道に入っても3カ月や3年で「やはり自分には合わなかった」といって辞めていくそうです。
そういった子は、他の会社や業種でも同様に「自分には合わなかった」といって辞めていって農業に来た子が多いといいます。


これは成田近辺でも同じだろうな、と思います。

最近、「人・農地プラン」という制度が導入され、ここ数年で新規就農した若手農家は、年間150万の資金をもらえます。
一定の所得になるまで、これが5年、最長7年続きます。

私の知っている若い子も2人、この現金をもらっているのですが、話を聞いていると「ちょっと前の子に比べて、本腰が入っていないな~」と感じるのです。

この「人・農地プラン」は、農家が激減するのを歯止めするために出した思い切った政策です。

ただ、今までの全て自己資金で「独立していこう」と気概がある若者と違って、「150万ありき」で入って来るので、言葉を変えていえば「農業を生業にしていく覚悟」があまり感じられないのです。

今回の本でも触れていますが、成功する子は、農業が設備投資産業ということがわかっていて、投資をして機械を揃えていくことで作業効率、経営効率が上がっていくことがわかっているから、この150万を生活費に充てることは無く、投資に当てていくことが出来るといいます。

そりゃそうだな、と思います。

「150万はあくまで助成金で、それは生活費のためではなく立ち上げスピードを上げるためのもの。だから、事業を採算に早く乗せて助成金のお世話にならない状態までもっていこう」と最初から思っている子は、いわゆるマインドからして成功するマインドの持ち主ですものね。

でも、そういったマインドが無い状態で新規就農したら、実際に現金150万ありきで就農し、150万を毎年渡されたら、最初はどうしても生活費に充てるだろうし、その分、立ち上げの1年、2年の気合が甘くなるのは当然かもしれません。
もし、私もそういった形で就農したら、最初の事業計画は甘くなっていたでしょう。

その時点で、「貯金が無くなる前の事業を採算に乗せる」という覚悟をもってこの助成金が無い前に就農した子と、この助成金が前提の子ではどうしても違ってきていると思います。

私も個人事業主ですが、事業の最初は「貯金が無くなる前にいかに事業を採算ベースに載せるか」ということ最大のポイントです。
ここに全てを集中するわけです。
会社員で新規事業を立ち上げる時と全く次元が違う気合が入るのは、自分や家族の生活がかかっているからです。

だから、どういった助成金が使えそうなのかは勉強すればわかるのですが、あくまで他者からの資金目当てで事業をやっても、上手くいかなかったらその助成金を使った分の投資をどう処理するのか、という疑問も生まれますし、一番の問題は他者を頼ろうとするマインドが生まれてしまうということに気づいて、事業主マインドがある人は、たいてい事業立ち上げから助成金を活用するのはしないと思うのです。

もちろん、ある程度の投資、人材募集の段階になったら積極的に使うのは問題ないと思います。


また、私の知っている新規就農者の多くが、世の中の情報の影響もあるのですが、レストランやマルシェ販売にあこがれたり、自然栽培にあこがれたりして、「きちんとした野菜をある一定量作る」という志向があまりないのです。

それも私も最初はそうでしたから気持ちはわかります。
でも現実、農業をやるなら「農産物は経済作物」として考えなければいけません。
私はそれが自分に向かないから「農家」にはならなかったのですが、「農家」になるなら、「経済作物」として農産物を作り売らないと収入が入ってきません。

この本に書いてある通り、成功する子は「まずは技術を学ぶ」ために研修に入るわけですが、その「目的」は「自分の描く採算ラインに載せられるような技術体系を身につける」ということにあるわけです。

ところが、今は「自分のやりたいことをやる菜園」と「収入をたてるための事業」とがごっちゃになっている子が多い気がします。
あるいは、「農業は職人の世界で、技術が必要」という当たり前のことに気づかず、自然栽培にこったり、営業に時間を割く子も多いです。

この本にも書いてありますが「農業生産と営業を一緒にやるのは、上手くいかない」と事例で書いてあります。
これは一般の会社にも当てはまります。
営業、店舗、接客など現場で動き回る人が、商品開発やシステム構築などを同時にやるのは至難の業です。

農業は特に職人の世界で、自分の畑の癖、そして自分の技術体系を確立しなければ、1年を通して採算にのせられる野菜を作れません。
何はともあれ「まずは、求められる野菜をきちんと作っていける力=技術」を一刻も早く身につけなくてはいけない、という思いが当然必要なのです。

これは、新入社員が3年はまずはその業界の特徴、仕事の本質をわかるために自分のエゴは捨てて、徹底的に業界や仕事に染まることで、3年後から仕事が楽しくなってくる、というのと同じですよね。

そういったちょっと前には当たり前だった「石の上にも3年」というマインドが、今は新規就農者に限らず新入社員にも少ないのでしょうね。


農業も事業であり、独立して食っていけるようになるために、立ち上げのスピードが勝負であること。
農業は技術が必要で、その技術が一定以上にならないと、売るものが無いということ。
農業は労働集約型産業なので、機械・設備に投資することで効率が上がるため、最初は機械・設備に資金がギリギリの中で投資し続けなければいけないこと。
そのためには最初は既に何十年もやっている農家以上に、現場で朝から晩まで畑で働くことが好きという人でなければ務まらないこと。
3年ぐらいで人を雇えるようになったとしても、プレーイングマネージャーとして自分の技術力・労働力が雇用した人にも大きな影響を与えること。

そして、こういったことを教えてもらえる地元の篤農家、地元の農地や家屋や作物の育て方を教えてくれ、新参者としての信用をカバーしてくれるメンターとの結びつきが絶対条件であること。

こんな当たり前と言えば当たり前のことなのですが、こういったことは新規就農者はなかなかわからないと思います。

だからこそ、先輩新規就農者に何人もあって、あるいは研修先にいって「現実の農業の世界」を知ってから新規就農をするのが王道なのです。

この本はそういったことがストレートに、しかし事例をもって、現場で多くの新規就農者支援をし続けて来た人だからこそ、わかりやすく沢山書いてあります。

単なる農業本として読み物としてはそんなに面白くないかもしれないけど、きちんと農業をやっていこうと考えている人であれば「なるほど」と思えるようなことがつまっている、「とてもまともな本」で凄く参考になるんだろうな~と思いました。
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