半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

冬間近の畑

2016年10月31日 | 農的体験・生活
最近、朝晩がめっきり寒くなってきましたね

特に日曜日はとっても寒かったです。

火曜日も雨が降るとのことなので、今日は畑をがっつりやってきました

今の時期は、頑張っていた夏野菜がもう余命わずか、という状態です。

たとえばオクラ。
そもそも真夏の野菜ですが、なんだかんだ言って寒さで生理障害を起こしながらも少し実をつけます。
曲がったり、ボツボツができたり。
でも、そもそも人間の方も食欲がオクラを食べたい季節ではないので、これを最後に引っこ抜きました。


虫がつかないので我が家の夏の定番野菜となっている空芯菜は、9月に入ると虫がわんさかつくのですが、雨で流れ落ち、10月の晴れ間でまたぐんぐん生育してきました。


晴れが続いたせいか、珍しく花まで
アサガオとほぼ同じですね~。


でもこの空芯菜も、もはや食べる気がおきず、畑の整理ということで、全部刈ったり根っこを引っこ抜いてきました。
ぎっちり根っこを生やすので、「生命力が強いわけだな~」と毎年思う野菜ですね。


そして、今はこれからの野菜がぐんぐん育っています。

まず、にんにくは来年6月頭ぐらいの収獲なのですが、お盆前後に植えたものが、今はちょうど良い感じで葉っぱを出しています。
これから寒さで葉っぱがもっと黄色く枯れあがるのですが、もともと球根が小さいのは葉っぱも小さいので、今のタイミングで追肥を少ししておきました。


小松菜は結構大きくなっています。
ただ、あまり葉っぱで食べるというより、まあ放っておいて春に菜花として食えばいいかな、ぐらいで蒔いたので、間引きもせずかなり放置です
小松菜の菜花は美味しいんですよ~


こちらはニンジン。
昨年は今までで一番良い出来でしたが、今年は9月の長雨もあり、葉っぱばかりが伸びて身が育っていません
私に限らず、どの農家さんもみんな「今年はしょうがねぇな~」とぼやいています。


大根は、今年も蒔き時が遅れてしまいました
なので、結構、プロの農家さんは「今年は虫が早い」と嘆いていましたが、私の大根はあまり虫の被害はありません。
しかし、その分、蒔くのが遅かったので大きくなる前に冬に突入ですね


春菊は絶好調
私が育てる野菜で、プロのものより美味しいものの1つがこの春菊です
その場で食べると最高の香りと旨味とみずみずしさですよ
来週には収穫開始です


ホウレン草は、ここ数年はあえて昔ながらの「日本ほうれん草」を蒔いています。
今年は蒔き時、肥料もまあまあ良くて、例年にないほど順調に育っています。やった~


長ネギは追肥などをこまめにしていたために、もう食べ時ですね
ちなみに「分けネギ」「分けつネギ」というもので、放っておくと、、1本が2本、3本と勝手に分かれていくので、ず~っと食べ続けられる柔らかいネギです


そして、最も収穫を急がないといけないのがサツマイモです。
サツマイモは東南アジアが原産と聞きます。
なので寒さに弱いのです。
霜にあたると傷んで腐ってしまうのでう。
なので、11月上旬までにみんな急いで掘り上げるんですね。
今年の芋は、これまたみんな言っていますが「丸い小さいのが多い」と言います。
私のところも今年は小さいです。味はまあ、ぼちぼちおいしい、、と言う感じかな。


あと、畑の整理のついでに、これまた夏野菜なのにいまだに収穫が出来るゴーヤは片づけてしまいました。
片づけたゴーヤ、空芯菜の最後の収獲、そして人参を掘り上げてみました。
やっぱり人参が今年はだめだな~。見た目もごつごつしていたり、割れていたりでA品が少ないです


ただ、今回は畑がだいぶ整理がつきました。

この後やらねばならぬのが、空豆とスナップエンドウの種まきです。

この種まきさえ終われば、後は、サツマイモの最後の収獲をして、今年の作業は終わりですね。

11月に入れば、もはや雑草はほとんど伸びないのでゆっくりモードに入れます。

農家さんも同様、やっと収穫だけで時間がある程度余裕がある時期に入ります。

あと、ひと踏ん張り
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学校でのハロウィンパーティー🎃

2016年10月27日 | 自分の時間
放課後子ども教室のコーディネーターとして、小学校に関われるようになって、いろいろ勉強させて頂いています

知らないと自分の固定概念や思い込みで判断してしまいますが、知ることで理解や想像力が膨らみます。

昨年のこの時期は、放課後子ども教室で「ハロウィンパーティー」をやったのですが、お母さんスタッフの準備が凄いこと、すごいこと、本当にびっくりしました

子供たちの仮装用に4種類の仮装グッズを作り、メイクもし、お菓子なども用意し、本当にすごかったです。

ただ、最初は「子供たちに好きな仮装を準備してきてもらうのは、どうですか?」というアイディアだったのですが、私が「ご家庭の事情で、そういったことをすごく出来るご家庭とそうでないご家庭があると思うので、やるならこちらで全部用意してしまいましょう」と提案したので、本当に凄い準備をしてくださったのです。

というのも、学校に行くと色々な保護者、子供たちを知ることが出来ます。

そして知ると、自分の子以外の子供たちの事も当然好きになるわけです。

そうすると、出来るだけみんなが楽しめるような内容にしたいと考えるわけですね。


もし、自分の子だけのことしか考えられなければ、そうはならず、想像力も自分の家庭の事情でしか判断できなかったと思います。


なんでこんなことを書いているかというと、今年も、「ハロウィンパーティー」を英語の時間でやっているのですが、学校で子供たちがちょうど体育館から出てきた場面に遭遇したのです。

まあそれはそれは凄い仮装で歩いていて、びっくりしました

シンデレラのようなお姫様のようなドレスやら、かなり恰好良いドラキュラまで、「学校でこんな恰好してもいいんだ」と、まあ自分の子供時代には考えれないので、ジェネレーションギャップというか、本当にびっくりしました。

最近の保護者の嗜好や気合の入れ方は半端ないな~と思います。


こういったのを見ると、例えば、昨年、うちの妻が「忙しいからマントだけでいいでしょ?」と言って、子供が何だかかわいそうで、結局、夜なべした魔法の帽子を作ってあげたのですが、あれがなかったら、子供は周りと比較してみすぼらしくて寂しい思いをしていたと思います。

また、お母さんがお仕事で忙しかったり家庭の事情で子供のためにそこまではできない、しない家庭もあるはず。


ハロウィンパーティーは、授業参観とかには当たらないので、実際に子供たちがどれほどの恰好で来ているかは、あまり保護者は知らないと思います。
もちろん、情報共有が好きなお母さんは、色々情報を仕入れて、それなりの恰好を作るのでしょうけど。

ただ、そうでない家の子は寂しい気持ちになるんだろうな~と思います。

もちろん、最近の小学校はそういったことにとてもフォローが行き届いているので、仮装道具を忘れたり、あまり大したものが無い子には、きちんとバックアップをしていると思います。


ただ、そのあまりにも凄い仮装の子供たちを学校で見て、そんなことを思ったのでした
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糀2日目

2016年10月25日 | 農的体験・生活
(日)の「食と命の教室」で仕込んだ糀。

1日経ち、朝にかき混ぜて板状に伸ばしたそうです。

そして19時頃の手入れを見学。

触ると人肌よりちょっと温かい感じでした。


布をあけてみると、板状の塊になっていました。


これをパラパラとほぐしてまたかき混ぜ、また薄く延ばして保温することで、糀が更に全体にまわるそうです。
温度がきちんと上がった方は、これで明日には出来上がっているとのこと。


もう1方のちょっと温度が足りない方は明日ぐらいにできるそうです。

糀とご飯の量によって温度の上りが違うそうです。

ご飯が多いと保温効果も多く、餌も多いのですが、糀菌の量が少ない分、全体に回る時間もかかるわけです。

ちなみに今の時期は電気カーペットなどで加温はいらず、自然に温度がちょうどよく発酵が進むそうです。

日本人は地のものを醤油、味噌、糀など発酵を通して食してきたといいますが、一般家庭で普通にこうやって作っていたんでしょうね~

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食と命の教室 糀作り♪

2016年10月23日 | 農的体験・生活
10月頭までは雨続きでしたが、最近はすっかり晴れて、うれしい日が続いています

ということで、今月の「食と命の教室」も晴れ晴れした空の下、待ちに待った「糀作り」を中心に盛りだくさんでした

今回は「ぜひ糀作りを体験してみたい」という新規の方が3名も参加されたので、電車組が多く、高柳さんからワゴンを借りて駅まで送迎

電車組は車組より早く到着したため、高柳さんが「おう、まずは枝豆でもとってくれ」と枝豆の収獲です

枝豆は夏のもの、と思っている方も多いですが、本来、12月に収穫する大豆を青いうちに早どりするので、10月半ばが「枝豆の旬」なんですね。
夏のものは品種改良された夏大豆ともいわれるもので、いわゆる「早生」なので、やはり本来の今の時期のものの方が美味しいのです

しかも、高柳さんが作っているのは、小糸在来という在来種で、知っている人は知っていますが、やっぱり一般に流通している大豆より、格別に美味しいんですね~

今年の大豆は絶好調で、まあみてください、これ全部枝豆です。


女性3人集まって、ワイワイガヤガヤと枝豆むしりです。


とった枝豆はそのまま茹で場に直行


さてさて、皆さん集まってきたので、糀作りの開始です。


糀はお米を蒸して作ります。

今回はお米を1斗5升分やります。

1合の10倍が1升、1升の10倍が1斗です。

1升は1,8㍑の瓶ですね。お米だと1,5㎏ぐらい入ります。

だから、すごい量を一回で作るんですね~


さて、まずは蒸し米を作ります。

水に浸した大量のお米をせいろに入れていきます。


平らに均一にして


ポイントは、最後に蒸気の通り道を作ってあげることですね。


蒸している間に、火にくべる薪をさらに作ります。
高柳さんが斧をふるっている姿、恰好いいですね~。



みんな「やりたそう~」な目をしていたので、1人1本、薪を割ってもらいました
みんな初めてなので、観ていて危なっかしいのですが、だんだん慣れてきて、最後には上手に割れるようになりましたよ


これは薪材の1つで、高柳さんが「これはシロアリに食われたやつだよ」と教えてくれました。
「シロアリは湿っている木に来るんだ。だから昔は床下が高かった。乾燥している木にはこない。今の家は床下が低いでしょ」


さて、米を蒸している間に、朝のご挨拶。

朝採れたて、もぎたての枝豆をゆでたてのままパクパクもぐもぐ。
う~ん、やっぱり小糸在来のとれたてゆでたては、美味しいに決まっています
みんな「美味しい~甘い~」と感嘆の声をあげて食べていました


さて、お米も蒸しあがったので、糀作りです。

まず、むしろを広げ、その上に布を敷き、アツアツの蒸し米を広げて温度を人肌まで下げます。
またここでご飯の塊を出来るだけ米粒1つ1つにバラバラにすることで、あとで糀が全体にまわりやすくなります。


最初は熱いのですが、だんだん冷めてくると手で触っても大丈夫になってきます。


蒸し米なので、炊いたものに比べてちょっと固め。
芯に熱が通ればOKな感じですね。


次は糀をまぶしていきます。

糀は今野商店という秋田の種糀屋さんの糀だそうです。
「昔は村の雑貨店とかどこでも売っていたんだよ。でも、最近は誰も買わないからなくなっちゃった。全国で種麹を作っているところはもう10か所も無いんだよ。大阪から取り寄せたこともあったけど、この地域には合わなかったな~。ということで、今は秋田の糀屋さんのを取り寄せてつかってるんだよ」とのこと。


種麹をきちんと測ったあと、先ほどの蒸したお米の一部と混ぜ合わせます。


それを、残った全体の蒸し米にまぶしていいます。


さあ、全体のお米に均一にまざるように混ぜましょう。


全体が混ざったら、保温します。
まず、真ん中に集めて山をつくります。


サンドイッチして


更に包み込みます。


その上にさらにむしろを2枚重ねて、これで保温して1日後、に表面に糀がまわったら、広げてバラバラにしてまた保温し、3日目に完成です。



糀作りを終えて、「糀って、きちんとした設備じゃないと出来ないと思っていましたけど、自分用であれば何だか作れる気がしました。ぜひやってみたいと思います」と、昔ながらの糀作りの現場を体験し、酒蔵などで職人が糀菌を振っているのとは違うやり方を学べて、とてもみなさん感動と納得をしていました

さて、午前の仕事が終えて、お昼タイム。
今回は、「餅を食おう」という高柳さんの呼びかけで、おかずと共にあんころ餅、黄な粉餅、雑煮とお餅がたっぷり出てきました。
もちろん、お腹いっぱい食べましたよ


さて、ほっと休憩を終えた後、午後は畑で菜種の種まきです。

高柳さんは油を自給していて、菜種油を搾るために、この時期に菜種を蒔きます。
例年より少し種まき時期が遅いようですが、今回の教室に合わせて蒔くことに。
高柳さんと共同で菜種をやっている農家さん3人も交えて、種まき。


種まきはシーダーという機械に入れてまきます。手蒔きではとてもやりきれない広さを蒔くからです。
まっすぐ歩きながら蒔くには、コツや経験が必要なんですよ~。



一仕事してからは、恒例のお茶タイム。

お母さんが、りんごと高柳家の甘柿、そしてサツマイモのスティック揚げを作ってくれました

サツマイモのスティックはとってもおいしくて、みんな手が止まらない

高柳さん「うちの油で揚げたものだよ。菜種より軽いから、ひまわり油で揚げたものだな」


また、お話はこの時期に行われる神事のお話。
高柳家は、氏神様が2柱、台所の神様の荒神様、近くの鎮守の大須賀神社、香取神宮、仏壇など7つの神様を祀っています。

10月17日に、甘酒をお供えするのが毎年の神事です。

「昔はみんなやっていたけど、最近はみんなやらなくなっちまったから、こんなことをやっているのはこの辺では、もううちぐらいだな~」

その甘酒が残ったのがあったので、みんなで「飲みたい」と希望して出てきたのがこれ。
高柳さんは「もう、出来損ないだぞ。美味くないぞ」と言っていましたが、東京から来た人などは「美味しい普通のものよりこっちの方が酸味もあって、美味しいし、作ってみたい」と大変好評でした


その後、みんなでいろいろな意見交換をし、最後には「おかげさまのお酒 大須賀郷」も出てきて、飲める人はほろ酔いに。

今回は、糀作りと言うもの自体が魅力的だったのですが、新しい人も参加して、とても充実した内容になりました

特に私が印象的だったのが、新宿住まいの銀座で働く奥様。

お子様が1人いるそうですが、「子供が生まれて、勉強は本人に頑張ってもらうしかないけど、体は食べ物で作られるのだから親の責任。そう思ってそれまではむちゃくちゃだったのが、食べ物に気をつけるようになったんです。でも、東京ではどうしても今日のようなことが出来ないんです。自分が50、60まで東京で働くイメージはとても持てないし、今日参加して、何だか大きく言えば人生が変わるきっかけとなったというか、じんわり感じることがありました」というお言葉をもらいました。

色々な人が色々なご縁でここにやってきて、何か自分の中にある声に耳を傾ける、そんなきっかけになるんですよね。

こういった出会いとなる場になっているのが、この教室を運営していてよかったな~という思いにつながります。

それもこれも、高柳さんがいてくれるおかげです、ありがたいですね~

さて、次回は、最も人気の「稲ワラ納豆作り」です。

日程は11月26日(土)です。

宜しければおこしやす~。

HPはこちらから→「食と命の教室」
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かぼちゃ柿と焼きリンゴ

2016年10月20日 | 素敵な空間・イベント
秋は果実の季節でもあります

高柳さんのところでは、栗が毎日1升とれていたそうですが、それも終わり、今はイチジクと柿の季節です。

果樹が植えられる庭があるのはうらやましいですね~

で、柿を頂いたので、家族みんなで食べたのですが、奥様はお絵かきしてハロウィーン柿に

アイディアのネタ元は、地元のスーパーだそうです。
柿が袋詰めされて売られていたそうですが、ハロウィーン用に変身できるようにシールと共に売っていたそうです。

なるほど、アイディア販促ですね~




そんでもって、紅玉という甘酸っぱい小さめのリンゴをオーブンで焼いて、バターレーズン味味で食べました。
我が家でこんなのが出てくるのは今までなかったかも。

とってもおいしかった

秋はいろいろ果実が美味しくて、嬉しいですね~。
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いろいろなギャップ

2016年10月18日 | 自分の時間
認識のずれを「ギャップ」と言います。

ジェネレーションギャップは世代間のギャップ。

カルチャーギャップは住んできた文化の違い。


そんなことをこの2日でいくつか感じました。


1つ目は空港のフードコートで隣に座った女子2人の会話。

友人が泊まりに来て、昨日、空港に送りにいって空港内のフードコートでご飯を食べました。

すると、隣に座った若い女子2人の会話がこんなんでした。

A「もう、私1人の人をずっと好きだなんて無理。絶対無理。だから早く子供作って、そっちに意識を向けないと、たぶん離婚しちゃう」
B「そうよね。だから子供って必要なんだよね。二人で居てずっと好きだなんてありえない」
A「でしょ?だから結婚するなら子供が早く出来ないと、私は絶対無理なのよ」
B「そうよね。あんたは特に離婚されないけど、自分から離婚しちゃうわよね(笑)」

ちょうど、友人と前夜、「結婚って、生まれも育ちもお互いの違うところを、認め合っていくためでもあるよね」なんて話をしていたので、「好きでいれないから結婚は続かない」と言っている若者2人組をみて、「は~」って感じでした。

好きだから結婚する、それは欧米の文化。

だから好きじゃなくなったから離婚する。

それが日本にもはこびっていますが、昔が良いというわけではなく、「家と家とのつながり」とか「お互いにないものを尊重し、人間関係を作っていく」といった努力すること、人として成長していくことも結婚の意義であることが分かってきた年頃の私達には、ギャップに感じる話でした。


2つ目は、部活動の話。

たぶん、年齢は5歳ぐらいしか離れていない知人と久々に会って話をしている中で、「部活動の時は水は飲めなかった」みたいな話を同年代の知人としていると「え~、信じられない、死んじゃいますよ」という反応。

なるほど、、、5年ぐらいでこうも受けた教育が違うんですね


そんな何気ない会話で、ギャップを感じた昨日、今日でした
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物々交換で作られた幻のお酒

2016年10月13日 | 農的体験・生活
頂きました

「おかげさまの酒 大須賀郷」です



私の師匠のおかげさま農場の高柳さんが無農薬で作ったお米を、神崎町のオーガニックの世界では超有名な寺田本家さんに出します。

すると寺田本家さんは、そのお米でお酒を仕込むわけですが、作ったお酒の一部をお米のお礼として高柳さんに返すのです。

そこにはお金を介さず、物々交換の世界があるのです。


食べ物を作り出せていると、衣食住のうち、衣住がある程度足りていれば、日常的にはお金はほとんど出ていかないのです。

農村に昔から暮らしている方は、住は先祖代々継いできているので、150年~300年ぐらいは建て替えません。

衣は、日常的には農作業着ですので、年に数回、ちょっと出かける時の服があれば事足ります。
(私も、この道に入ってからは普段はほとんどが農作業義ですから、普通の服を着るのはたまにあるぐらいです

食は当然作っている。

もちろん、お米は作っていなくても、親戚が作っているからもらえるか、安く譲ってもらえる。

そんな生活をしていると、日常的な「生活費」というのは出ていきません。


今の標準家庭は、子供が生まれると家を買い、そのローンが一番の支払い。
その次は食費。
その次は子供のお稽古なでしょうか?
その次はレジャー費で、その後に衣類かな?

いすれにしろ、収入の多くが生活費に消えますし、その多くは食住に消えます。


ところが、ちょっと前の土地に根付いて生きていた時代だと、日常はお金が出ていかないので、貧乏そうにみえてちょっとしたお金は貯まっています。
そして、家の大改修工事をしたり、車を買い替えたり、大きなお金が必要な時が10年に1回ぐらいあって、そういった時だけ「どばっ」とお金を使う感じです。


また、高柳さんが子供の頃は、大工さんに日当として、米2升が普通だったそうです。

村には油屋さんがあり、家の畑で菜種を育て、それを持っていくと油屋さんは油を搾ってくれる。
その油の例えば2割とか一部を油屋さんは搾り賃としてもらって、菜種を育てていない人に油として売る。
菜種は持ち込んだ人は、一部の油をあげる代わりに、搾り賃は無い、つまり物々交換なわけです。

お米の脱穀やもみすり屋というのもいて、秋の収獲シーズンになると、村々を機械をもってまわって、似たようなことをしていたそうです。

そういったお金を介さない物々交換が主流の時代が、戦後、昭和20年代ぐらいまではまだ日本の農村にはあったそうです。


そういった流れで、高柳さん、先代の寺田さんが意気投合して「米を出すから、それで酒を造ってくれ」というブツブツ交換の話が始まったそうです。

最初は「おかげさまの酒」ということにしようと思ったら、その名前のお酒があったので、高柳さんが住んでいた地域のかつての名称の「大須賀村」つまり、大須賀の郷、ということで「大須賀郷」というお酒の名前にしたそうです。

中身は寺田本家の看板商品の「五人娘」の原酒です。
アルコール度数は19.5度と大変高いのですが、むちゃくちゃ美味しくて、ついつい飲んでしまいます
普通の清酒より、よっぽど飲みやすいんですね~

これが3月ぐらいのお酒を搾るシーズンになると、「しぼったまんま」、つまり、お酒を搾った後、ろ過しない発泡酒のような感じの濁り酒となってきます。

これまた超美味しい

しかもこれは「非売品」ですので、ご縁がある人しか飲めないお酒です。

本物を作っている生産者だけが出来る「物々交換」の世界にあこがれると同時に、そういった方々とご縁があることで、頂けるお酒、たまりません
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腰が痛い・・・

2016年10月12日 | 自分の時間
何はともあれ、腰が痛いっす。。。

月へんは体を表すから、腰は「体」の「要」と言いますが、ほんとそうですね。


くしゃみをするとビキっと痛みが走る

というか、だからくしゃみが出来ない、くしゃみをしようとしても「ハックション」の「ハッ」で腰が痛くて止まるわけです。

まあ、このぐらいの腰の痛みならボチボチよくあるのですが、3カ月に1回ぐらいは、「こりゃ、もうどうにもならんな」という状態になり、行きつけのマッサージに行くわけです。


本当は正座や姿勢を正して骨盤にきちんと上半身をのせて生きていれば、そうそう腰は悪くなるものじゃないと言います。

でも、パソコン仕事もそうですが、やっぱり農作業が一番腰に来るわけですよ。

数年前なら、腰をかがめて1日、草をとってもまあ大丈夫だったのですが、昨年ぐらいからは半日仕事をしても、大丈夫な時もあれば、蓄積して痛みが出る時もあるのです。


まあ今回は、2週間前ぐらいから右脚の付け根や仙腸関節が痛かったのですが、モミモミして頑張ってきました。

しかし、日曜日に立ち仕事2時間、月曜日に1日子供たちとお出かけして歩き回った結果、夜にストレッチをしていると「あっ、これはまずい。。。」という状態になってしまったのです。


解決法は、筋トレとストレッチと姿勢を正す、ということぐらいかと思うのですが、一番はそういったことを毎日「継続すること」なのでしょうね


なにはともあれ、家族から「おじいちゃん」と呼ばれつつ、今日もおじいちゃんは頑張って働いているのでした
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立派な大人になることとは?

2016年10月07日 | 自分の時間
最近、安岡正篤さんの本を読んでいるのですが、昔の古典と言われるものから、それはそれは人生訓、座右の銘となるものが色々出てくるのです。


人生の目的とは何でしょう?

私は都会から農村の生活に「これが生きるということなのか」という「きちんと生活することこそ、きちんと生きること」ということを発見してから、生活することをお金を払い与えられた商品やサービスから「選択する」という生き方を離れ、農村で、自分で納得して出来るだけ自分で手作りして、自分で直して、自分で生活を紡いでいくことに満足感を覚えていました。

それから、仕事やいろいろ考えていくと「最終的には教育だな」というところに行きつき、そんな自分の最も根源的な欲求は「立派な大人になること」というところにたどり着きました。

この「立派な大人になること」というのは、以前NHKのプロフェッショナルで研磨職人さんが「おてんと様の下で、堂々と生きれる仕事をしたい」という思いをもってやってきた、という言葉を聞いて感動したのですが、「お天道様のもとでも、恥ずかしくない生き方」を求める、という感じなのです。

それで、今であれば90歳ぐらいの辰巳芳子さんや、無着成恭さんや、東城百合子さんなど「凄いな~」と思いますし、ちょっと昔の日本人の生き方というのは本当にすごかったということに気づくわけです。

それで「修身」という本を借りてきたりしていたのですが、ちょっと難しいというか漠然としていて、ちょっと昔の西郷隆盛や山田方谷どが愛読していた本の源にある「陽明学」に関心を持ち、安岡正篤さんにたどり着いたわけです。

で、その安岡さんの本に、孔子さまのお話があるのです。

お弟子さんが「学問の目的とは何なのでしょうか?」といった質問に対し、「自分を修め、人を安することだ」と答えます。

お弟子さんが「それだけですか?」と聞くのに対し、「自分を修めることさえ難しいのに、いわんや人のことを心配し、人のために生きることは、過去の歴史を見てもどれだけの人が出来ているのか?」と答えるのです。

これには痺れました。

「自分を修める」というのは、仏教でも道教でも儒教でもなんでもそうなのですが、いきつくところは「人格の完成」であり、人のことを思い、自分を律し、覇道ではなく王道の道を歩くようなものです。

それが「学問の目的」であり、「人生の目的」でもあるわけです。

ブッダの教え、その後の偉人のお坊さんのお話、あるいは武将でも為政者でも、数々の伝説となる人は、やはり人として立派だった、ということに尽きるわけです。

そのために、かつての「学問」というのは、「人がどう生きるのか」ということに尽きるわけです。

そして、例えば明治初期の学生の事を知ると、例えばそれこそ私たちの時代とは違い、「必死」なのです。

田舎の親が山を売り、あるいは親戚が苦労をして送り出してくれたからには、「学問を修めて、一角の人物になる」というのが明確にあったので、まさに「寝食を忘れて学問に励む」んですね。

例えば、マルクスを学ぶなら、「原著を読んでやろう」という気位があったそうです。

授業でもドイツ語の授業があると、最初はABCから始まるのが、半年経つと、もう教授はドイツの有名な本を原著で読み始める。学生もそれに負け字と原著で読めるぐらいの勉強をしてくる。

これが「前提」であって、あるいは「必要なためにやること」であって、その目的はやはり「人がどう生きるか」ということだったそうなんですね。


そして、もう1つ。
有名な禅のお寺のお話で、あるお坊さんの説法の場に、いつも話を聞きに来ている老人がいたそうです。
お坊さんは「ただ者ではないな」と見抜いていました。

ある時、説法が終わった後、その老人が一人残っています。

そして「私は実は狐です。昔は大修行をし、一角のお坊さんだったんです。ある時、『お坊さんぐらい大悟の境地に行くと、因果の影響も受けないのですか?』と聞かれて、『因果不落』と答えたら、たちまち狐になってしまい、裏の山に暮らしているのです」とその老人が話すわけです。

因果不落、つまり、因果の中に落ちない、熱いところでも熱く感じず、冷たい氷の上でも冷たく感じず、世の中の道理や原因と結果の法則の中に落ちない、脱却している、と答えたら狐になってしまったんですね。

そして、その老人は「大修行をしたものは、果たしてどうなるのでしょうか?」とお坊さんに聞くと、その偉いお坊さんは「因果不惑」と答えたそうです。

その言葉を聞いて、狐の老人は「はっ」として、たちまち成仏したそうです。

「因果不惑」は、因果に惑わされないということ。

熱い時は熱い、冷たいところは冷たい、人に迷惑をかければ必ず自分も何か大変なことがある、自分のとった行動には必ず結果が伴うし、世の中には不変の自然の法則、道理がある。

これから脱却することなど、いくら修行をしてもできるわけがない。そうではなく、こういった「道理」を明確に理解し、まどわされないようになる、とういこと。

つまり、修行の目的は、宗教だろうと科学だろうと同じで「自然の法則を導き出し、理解すること」ということだそうなのです。


誰かが自分に嫌なことを言ってきた。
そこで、反応して自分が嫌なことを相手に言えば、当然、相手もさらに嫌になり、互いに悪い関係になり、自分も嫌な気持ちになる。

これが「道理」であり「因果」なわけです。

大修行をした人は、誰かが自分に嫌なことを言ってきても、自分の人格は出来ていますから、自分の感情ではなく、相手の感情や相手がどうしてそういったのかに意識を向けるわけです。

「自分を修め、人を安する」のが偉人なわけです。

出来た人物であれば、その人がそういったことを言ってきたのは、もしかしたら、以前、自分がこういったことをしたからかもしれない、あるいは、何かあったのかを考え、相手が嫌がらないようにそれを聞き出し、一緒に解決してあげようと動くかもしれないのです。

そういった1つ1つのことで「どうしてこうなったのか?どうしたらどうなってしまうのか?」という因果を明らかにするのが勉強の目的ということです。

深いですね~。

こんなことを古代中国の学問、あるいは明治初期まではやっていたわけです。

中国は古代の学問はたくさん素晴らしいものがありますが、国が国として持たないところだったので、学問が生きている時代は長くは続かず、近代はどうにもなりませんでした。

一方で、日本では江戸時代、明治などまではいわゆるエリート層というのでしょうか、もちろん在野にも素晴らしい先生がいたわけですが、学を修めようという気風があった。

自分の命を顧みず、「自分を修め人を安する」。
更に言えば「自分を修め人を安する、そのためにも自分を修め国を安する」という気概があったのですね。

もちろん、その方向が苛烈になり、一つの方向に進み止まらなくなってしまって戦争になったわけですが。


とにかく「何で勉強なんかするの?」という問いに、すっぱりと「それは自分が立派な人間になり、周りの人のことを心配し、役に立てるようになるためだよ」と答えられるようになりました。

1カ月たってもこの言葉は脳裏から離れません。

これこそ、腑に落ちた、ということですね。
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晴れの畑

2016年10月05日 | 農的体験・生活
ようやく晴れ間が見えてきました

晴れだとうれしいですね~

雨続きでしたが、台風の影響もそれほどなく、畑に出るのがうれしくなります


毎年「日本ほうれん草」というのを蒔いていますが、今年は発芽も良いです。
ただ、生育が遅れ気味なので、12月ぐらいまでに大きくなれるか


雨でたたかれ、出始めたばかりの本葉が地面にくっついてしまっていますが、まあ大丈夫でしょう。


こちらは春菊。
我が家の春菊は、肥料分が少ない分、太くないのですが、その分やわからくて正直、有機農家さんのよりおいしいのです
とれたてを生で食うと、これがすがすがしい香りと旨味が凄くて美味しいんですよ~
こちらも本葉が出始めたばかりですが、十分、11月中旬には間に合うでしょう。


雨でたたかれた大根も、これから本葉が出始めます。
9月頭蒔きの10月出しの農家さんの大根は、かなり今年は虫食いにやられています。
今年は虫が早いんですね。
遅蒔きの私の大根は、今からですが、虫食いも今のところなく、これからぐんぐん育つでしょう


そして、こちらは復活し始めた空芯菜。
9月中旬には虫食いで放置していたものです。
雨続きで抜く暇がなかったのですが、雨で虫もきれいに流されたのか、お日様が出てきてまた復活しました
といっても食いきれないし取るのも手間なので、40~50袋分ありますが、これはこのまま放置です。さようなら~。
もったいないけどね


オクラは、いまだにボチボチとれます。
いつもは9月でもまあまあ収穫できるのですが、今年は雨続きで花が咲かず、咲いても落果してしまうのでどうにもならなかったのですが、少しだけですがまた花も咲いて実もつきます。
ただ、オクラにとっては寒いので、生理現象で曲がったりボツボツが出たり、アブラムシも出てきているので、そろそろ終了間近です。


一方で、いまだに絶好調なのがニラ。
8月後半ぐらいからやたら好調で、雨が降ってもまあ1週間もしない内に収穫できるぐらい伸びてくるのです。
凄い生命力ですね~


そして、発芽から好調だったニンジン。
セリ科だから水は大好きなのですが、光合成が出来ないので葉っぱもおかしなのが出てき始めていました
農家さんが一同「今年の人参は晴れがないから葉っぱや茎だけ伸びて、根っこは太くなっていないぞ」と言っていました。
う~ん、心配


そして、秋の味覚、サツマイモですが、今年は小さめ
早出しの9月ぐらいまでに掘り上げる芋は、全体的に大きく「豊作」だったらしいのですが、10月以降の芋は、9月に本来は一気にググッと大きくなるところが、長雨で成長せず。
農家さんも「早出しはいいけど、その後のは丸が多いな」と言います。
丸というのは、長細いのではなく丸っこい、という小さい芋のことですね。

私の芋も、今年は小さめでこれほど小さいのは初めて。
でも、味はそこそこです


何はともあれ、久々の晴れは人の心をハッピーにします

晴れって、純粋にいいですね~。

そんな中の畑は最高です
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