半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

今年も「虹の戦士」

2023年08月21日 | 素敵な本

今年も夏の本「虹の戦士」を読みました。

夏の本と書いてあるのは私の都合で、いつ読んでも良いのですが、夏の恒例、習慣となっています。

毎年読む度に新しい発見、感動があります。

シンプルに言うと、「近代文明に偏り地球がおかしくなり生き物が死に絶えていく時期に、自然を愛し伝統を継いできた心ある人が立ち上がり地球を救う、それが虹の戦士だ」というメッセージがつまっている本です。

このメッセージを伝えるために、ネイティブ・インディアンに口頭で継いでこられた「物語」があります。

ネイティブ・インディアン(今はネイティブ・アメリカンと言うのでしょうが)にとって、大事な「スピリット」が無くなり近代文明に侵されていくなかで、一人の少年が大長老のおばあさんのお話に感化され、1つの質問を発します。

「何故、この大地や先祖が白人に侵されていくことを天にいる偉大なる存在は許したのか?それにはどういった意味があるのか?」

この質問は大きな質問で、答えを得る前に一人前にならなくてはならない。そのために大長老が出す数々の試練を乗り越えながら、大地や自然や動物、地球全体の事を思える、感じられる屈強な体と心を手に入れていくストーリーが紡がれています。

この物語だけでなく、いわゆる「先住民族」と言われている人達には、昔から継がれてきた物語、神話があります。日本では古事記がありますが、「古事記のこころ」という本を書いた小野先生は「祓うという事」を伝えるために、古事記はある、と言います。

物語、神話はおよそそのストーリーや神の物語を伝える物では無く、「物語を通じて心を伝える」事を目的にしている、という説があります。

確かに平安時代、戦国時代でさえ、日本でも「物事をストレートに言うのは教養が無い」と思われ、信長や秀吉でさえ、そういった学を身につけていましたものね。

ちょっと話がずれましたが、「虹の戦士」は物語なので、子供にもわかりやすく、また大人にとってはかえってシンプルなメッセージが故に、パワフルに伝わってきます。

地球環境問題、貧困問題、差別問題、戦争など、疑問に思ったことがある人なら、1度は読んでみると何かしら感じるところがあると思いますよ

 

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本:エネルギーと私たちの社会 デンマークに学ぶ成熟社会

2023年03月07日 | 素敵な本

「エネルギーと私たちの社会 ~デンマークに学ぶ成熟社会~」という本を読みました。

北欧は社会福祉が充実し、かつ、エネルギーについてもきちんと考えられている国家、というイメージがあります。

その一つのデンマークも「成熟社会」に向うために、どのようにエネルギーを考えるべきか、大きな議論が70年代にあったそうです。

というのは、デンマークはエネルギー、つまり石油などは海外に依存しており、2度の石油危機、特に1973年の石油危機直後に合計15カ所の原子力発電所を建設する計画を国が発表したそうです。これに大反発した市民団体が「エネルギー政権を民衆が決める権利」を主張するキャンペーンをはったそうです。

この対立は議会と国民を2分する大きな対立に発展し、原子力計画は膠着状態に。この時の市民側は「原発ではなく自然エネルギーと天然ガスを用いる」という方針だったそうです。

そして次の1979年の第二次石油危機に際し、政府が改めて原子力計画を発表します。それに対し、今度は市民側は「省エネルギー」に力点を置いた対抗案を提示。その対抗策のベースになったのがこの本だそうです。

シンプルに言えば、物に溢れた成熟社会で、これからは「高エネルギー社会」を選択するのか、「低エネルギー社会」を選択するのか、という事を議論しまとめている本です。

事例が沢山の切り口で出てくるのですが、例えば高エネルギー社会は新しいものをどんどん買い、使い捨てていきながらよりエネルギーを使った生活で幸せを求めていく社会。一方で、低エネルギー社会は物を長く大切に保有する事に喜びを持ち、あまりエネルギーをかけずとも自分達の時間を大切にしていくことに幸せを求めていく社会です。

そして、「今よりもっと働いて収入を増やしどんどん使っていく社会」より、「もう十分に持ったから、働く時間を減らして自由な時間を増やし、生活を充実させていく社会、つまり低エネルギー社会」を選択したデンマークから学ぼう、という本です。

 

もっともの話で、私も全く同感です。私の持論とぴったりな本でした

私は原発事故で大きな衝撃を受け、「そもそも原発に頼らなければいけない生活がおかしい」ということに気づきました。また、エコロジカルフットプリントという概念(食べ物や木々を育てる大地、空気、水、資源など、今の生活を保つのにどれだけ地球が必要なのか)というを知った時、日本人は既に地球約3個が必要な生活をしている、という事に更に大きな衝撃を受けました。

つまり、日本人と同レベルの生活を世界中がしたら、地球は2個じゃ足りなくなる、ということです。こんな馬鹿な話はないな、と今でも思っていますし、そんな生活をして地球を壊している大人を子供達が尊敬出来るわけない、とも思ったのです。

 

ちょっと私のことを書きますね。

原発事故があった時に、まず、無駄に電気を使っていること自体がそもそもの問題だと気づきました。原発は電気を作るためにあるわけですが、日常生活を見ると非常に無駄な電気の使い方をしていることに気づいたのです。

具体的に言うと、電気は火力発電であれば重油や石炭などを燃やして、原子力であれば核融合反応を使って、いずれにしろほとんどが「熱エネルギー」で水蒸気を作り、その蒸気でタービンを回して作ります。それを電線で運んでくるわけですが、それを今度は電気ストーブやIHなどに「再び熱エネルギー」に変えると50%ぐらいが損失されてしまうのです

つまり、「電気を熱に変えるほどあほらしいことはない」と知ったのです。そりゃそうです。ガスであれば各家々で燃やして直接熱エネルギーを取り出してお湯を沸かせるわけで、エネルギーの損失は極めて少ないですよね。ところが各家々が電気で発熱をしているのであれば、それは遠くの原発や火力発電所で燃やした「熱エネルギー」を、わざわざタービンを回す「運動エネルギー」に換えて、それを送電の時に抵抗で大分むだにしながら送られてきて、それをわざわざ最初の「熱エネルギー」に戻しているのです。小学生でもわかる、むちゃくちゃ非効率で不経済な話ですよね。

ということで、原発事故後、我が家ではトイレのウオシュレットの電源を抜き、電気ポットは止めて、お湯はその都度ガスで沸かすようにしました。

お茶が欲しい時にその都度飲む分だけお湯を沸かす、その手間ぐらいかけるのは誰でも出来るエコですよね。

 

また、資源の無駄遣いの話もあります。

例えば、今はLEDばかりになっていますが、私はLEDが一気に推進された時に「何を馬鹿な事をやっているんだ」と思いました。「LEDはエコ」と全世界に一気に広げられ、東京では買い換え補助金が出るほどで一気に増えていきました。

しかし、私からすれば、限られている資源を使って生きている事を棚に置き、今まで使っていた蛍光灯やライトを一気に「使い捨て」をしている愚かな行為に見えました。

一番のエコは「それを使いきり、壊れても修理して出来るだけ長く使っていくこと」だと思うのです。これは一時期、ブームになった「motainai」の精神でもありますよね。

しかし、LEDを推進するために、蛍光灯など今まで使っていた物を、まだ使えるのに大量破棄しました。まるで冷蔵庫などの家電が「年間の電気代が従来品より◎%減り、省エネになるから新しいのに買い換えよう」というキャンペーンと同様に。

そのくせ「ブルーライトは目に良くないから」と、家電製品の多くが「ブルーライトを従来品の99%カット」というPRをしています。もう20年も前にアメリカ・カルフォニア州では、夜間のLED照明で睡眠障害を引き起こすということで、州法で夜間の使用を制限しています。自然界に無かった光を創りだし、使用するエネルギーが少ないからといって健康被害は多少目をつぶってでも使おう、というのは、原発は多少のリスクはあるけどコントロール出来るしクリーンだから使おう、と言う論法に少し似ていませんか?

蛍光灯が壊れたら、随時、LEDに切り替えていく、ということであればまだ良かったのでしょうが、一気に切り替えた方が買い換えキャンペーンで経済指標も上がるし、製造側の経済効率も良い、ということで推進されました。しかし、それは経済コストの問題です。環境や資源の問題よりその時の経済効率優先で一気に変更して大量な破棄を出した事を、マスコミは騒ぎませんでした。

 

地デジのテレビもそうでした。我が家は未だにブラウン管を使っています。壊れないからです。あの時も地デジに切り替える、という名目で、大量のテレビが捨てられました。何故、壊れていないものを、使えるものを捨てなくてはいけないのか?と、うちの妻と母が怒っていたのを今でも覚えています。

昔は家電は20年でも30年でも持つように作られていました。ところが、「古い物は嫌われる、新しい物が良い」という価値観というか商業主義が日本でも広がってしまったため、「モデルチェンジ」という名のもと、次々と新しい物を買い換える文化になってしまいました。メーカー側も「長く持つ良い物を」という発想から、「5年、7年経ったらもう壊れて良い設計」にしてしまい、「買い換え」が当たり前になりました。修理費用も高いので、壊れたら買い換えるのを推奨する国になりました。motainai精神はどこかへいってしまったようです。

買い換えるということは、今までのを廃棄する、捨てる、ということです。そして新しい物を作るための資源が掘り起こされ続け、製造にエネルギーがどんどん使われていく、ということです。資源をゴミ化するのが消費なわけで、出来ればその速度を抑えたいですよね。

 

車もそうです。中古車市場的に言えば、3~4年で買い換えていくのが一番お得だと言われています。しかし、そんなことは実はないのです。我が家は10年落ちまでの中古車を50万ぐらいで買い、それを壊れたら直しながら10年乗りつぶします。壊れたら直す、というのが一番と思っています。

次々と買い換えるというのは、この本で言えば「資源を沢山使い続ける高エネルギー社会」そのものです。

車業界と言えば今は「EVだ」と世界中が騒いでいます。EUが先導したキャンペーンですが、無理やり推進するEUに対して日本の政府が舵取りが甘かったので、日本でも推進するしか無くなってしまいましたが、これも「見た目はエコ」に見えますが、実際は環境破壊や資源の無駄遣いや競争を生んでいる「高エネルギー社会」の実例だと私は思います。SDG'sと同じで、見かけ上は良いことをやっているように見せて、実体はエコでは無い、という典型です。

アメリカはもちろんEUも「その産業が世界的競争で勝つために規制を作る」のが当たり前です。日本人はのんびりしていて、安全とかのために規制があると思っていますが、そんなことはありません。

例えば、日本の車が世界を席巻した時に、欧州自動車業界は燃費でも勝てない、コンパクトさや乗り心地、コスト競争でもボロ負け。それで出てきたのが「日本車は燃費を追求してフレームを軽く作っていて壊れやすい。EUでは剛性など安全基準を作って、それをクリアーしていないのは売れないようにしよう」として規制を作りました。それでボルボなど「事故でも安心」というPRで一気に復活しました。

ところがそれも余裕で日本は改良してしまったので、今度は「排ガス規制だ」と言うのを作りました。そうしたら、今度はお膝元のフォルクスワーゲンが偽装で排ガス規制をクリアーしていないことがばれてしまい、大問題になった事件にまで発展しました。

そんなこんな動きがある中で、4年ほど前のEUで大々的にドイツを中心に爆発的に広がった「地球温暖化を防がないとこのままでは大変な事になる」という警鐘の波は、排ガス規制とも絡み合い、世界で最先端の環境先進国が集まっているEUとして、一気にEVシフトを戦略的に決定しました。当たり前の話と言えばそうなのですが、環境問題だけでなく、自動車業界とくっついて出てきたのがEV推進です。

自動車開発で遅れていた中国、環境と自動車業界の復建を目指すEU、国の基幹産業である自動車業界を守らないといけないアメリカは、今までの内燃機関=エンジン開発とは切り離され、全く新しい技術で一から勝負が出来るEVに国を挙げて無茶苦茶な補助金を出して、デファクトスタンダード競争に打って出ました。

LEDや家電と同じで、ハイブリッドや古い車を破棄してEVに一気に切り替えた方がエコなのか、というと、そうではなく、むしろ無茶苦茶な大量廃棄、そして買い換え、そして、爆発的な資源の乱開発が起きています。とても環境負荷が大きいのです。

この前、トヨタの豊田社長がついに会長に退きました。豊田社長は本当に素晴らしい経営者だったと、私は尊敬しているのですが、昨年までは「EVにシフトしようとしている世界に対して、日本政府は何も対策を打たない。自動車業界は日本の基幹産業の1つで、このままでは日本の産業がダメになる。雇用も失われる。日本もなんとしてくれ」と、必死に訴えていました。

日本一の会社はトヨタであり、日本の産業はやはり自動車が軸で、そのサプライチェーンの中に多数の会社、技術、雇用が関わっていたからです。その中心がガソリンエンジンでありEVへのつなぎとなるハイブリッド車だったわけです。

そして、EVはもちろん、ガソリン車もハイブリッド車も平行で進めていくんだ、フルラインナップでやっていくんだと豊田社長が頑張っていたもう1つの理由は、リチウム電池など電気自動車には大変な環境負荷があり、資源採掘競争があり、決して地球全体ではエコではないのにも関わらず二酸化炭素排出量だけを規制して、そこだけを考えているヨーロッパの異常な規制に反対をしていたわけです。

あるいは日本政府として、あえてEVへうって出るなら同様の補助金を出して国を挙げて世界と戦わなければいけないし、そうではなくトヨタのようにフルラインナップでバランスを取りながらやっていくのか、どっちに方針の舵を取るのか決めないと、自動車業界は後手に回ってしまう、という危機感からでした。

ところが、日本政府はもたもたして、その第一陣の波に乗り遅れてしまいました。トヨタは独自でリチウム電池の鉱山開発に着手しつつ、同時に一番良い落としどころを探していましたが、ついに、中国・EU・アメリカの攻勢にこのままでは負けてしまうと判断し、EV主体に切り替えるべく、戦略転換を行うことになり、後任に社長を譲りました。

もう30年前だと思いますが、トヨタがプリウスを出した時に良く言われていましたが、「プリウスを1台作る時に、膨大な二酸化炭素が出るから、結局ガソリン車と比べてエコではない」ということ。それが今も起きています。

ちなみに、これは原発の論理と同じですね。

原発推進派は、原発を稼働している時に二酸化炭素の排出量は少ないから「エコでクリーンなエネルギー」と言いますが、安全基準を満たすための建設コスト、あるいはウランなどの資源採掘、そしてそれを運び込み、、、という事を考えると、決して二酸化炭素排出量は少なくなく、かつ、原発誘致や安全保障のために多大なお金が支払われ、稼働中も多大な管理コストがかかり、かつ事故が起きた時は取り返しがつかない、と言うことを計算に入れたら、決してクリーンなエネルギーでもエコでもないのです。ランニングコストだけ見るのではなく、開発から最終処理までのトータルコストで考えれば、原発は経済効率は悪いわけです。

今の電気自動車は決してエコでは無く、ちょっと言葉を悪くすればクレージーなレベルだと私は思うのですが、その資源競争で世界が大変な事になっており、かつ、電気は再生可能エネルギーを使えば良い、ということで邁進しています。だから「電気が再生可能エネルギーだけでは足りないのだから、原発も必要だ」という論理になるんです。

それは40年前のデンマークの原発反対派の論理と同じですね。「足りない分は再生可能エネルギーで補填すればよい」というのでは、結局、「どっちが経済効率が良いか」という同じ土俵の議論になってしまったわけです。

その議論から次元を変えたのが、2回目のオイルショックの際に「そもそも、電気を無駄に使う高エネルギー社会に未来があるのか?」という投げかけをしたこの本なんですね。そして、「幸せというのはGDPといったお金に換算する指標では表わせないものである」という事、それが「低エネルギー社会であり成熟社会のあり方である」という事、そういった事を言えるのは、政府や産業ではなく市民であるということ。

 

地球環境問題を本気で議論するなら、全体最適を考えていたトヨタの豊田社長のフルラインナップで計画的に変化させていきながら、最適解を世界ですりあわせをしながら進めるべきなんですが、それは国家間の競争があるから、理想論に過ぎないと言われてしまうでしょう。でも、そういう事を続けてきたから、地球温暖化はここまで来てしまったわけですよね。

環境問題も経済優先で話を進めるから、「誰が一番早く動いて先行車メリットを受益するか」といった競争になってしまう。

 

じゃあ、今のデンマークがどうなっているのか、というと、この本はもう何十年も前の本なので書いていません。ただ、その何十年も前に、「生活の豊かさはGDPでは測れない」という思想のもと、無駄なエネルギーを使わない、という発想に立って政策を作り、様々な解決策を実行してきたという事例が沢山あること自体、今でも参考になるのは間違い無いと思います。

 

ちょっとしたことの例として、本に書いてあることを抜粋すると、例えば、昔は徒歩や自転車で通える場所が仕事場だったのが、今は校外に家を建て車で30分かけて通うのが当たり前になってしまった。一見、幸せな生活になったようで、実際はその自動車の維持費やランニングコストをまかなうために働く時間も増え、かつ通勤時間は結局は変わらない。

昔は食物を作ったり買ってきて家で作るのが当たり前だったのが、外食中心になることで、作ってくれる人の人件費やお店の利益の分まで含めて高コストで料理にお金を払うようになった。そこで外食の時間は楽しみになっている反面、自分で作るよりもより多くの時間を働いてお金を稼がなくてはいけない生活になった。

今の人が趣味と言っているキャンプ、釣り、DIYなどはそもそもは日々の生活の仕事の中にあって、そもそも仕事には楽しみがあった。ところが今は組織の中の一部で区切られた仕事をさせられるので、仕事への誇りや楽しみが失われ、その穴埋めとして余暇にお金をかけて趣味の時間をわざわざ持つようになった。

どれもGDPには表されることで経済的に幸せになっていると思ってしまうが、自分でやるのではなく外部から持ち込んだり使い捨てて新しい物を買ったりと、高エネルギーを使った社会を維持するためのお金を稼ぐために、自分の人生の時間を使わなくてはいけない、というので本当に良いのか?という投げかけが、この本には細かく書かれています。

今の日本では半農半Xだとか、田舎暮らしといった切り口で、都市部の消費社会から離れようとしている人が爆発的に増えていると思いますが、これを「高エネルギー社会」と「低エネルギー社会」という切り口で分けてみる、という視点は、案外面白い視点かな、と思います。

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ペーパーバック、出来ました!

2023年02月17日 | 素敵な本

1月下旬にAmazon kindleで電子出版した「農村コーディネーターからの手紙」ですが、紙媒体の「ペーパーバック版」でのご要望もあったので、2週間かかりましたが、ようやく出来ました

ただ、やはり印刷コストがかかり、税込みだと1,100円になりました。ほぼ、印刷代の原価です

内容は私の1年間の手紙をまとめただけといえば、そうなのですが、e-pubというファイルをpdfに変換する時に、見直しやら体裁整えなどでむっちゃ時間がかかりました。まあ、勉強になりましたが、なかなか大変ですね~

Amazonでさえこれだけ手間がかかるとなると、一般図書の編集者や出版者は本当に専門家でないと無理だよな~と思います。ほんと、編集者とか凄い仕事です。

それはさておき、紙媒体で1100円でも良い、という方はレアでしょうが、もしいたら、どうぞ宜しくお願い致します
「農村コーディネーターからの手紙」

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Amazon kindleで出版しました♪「農村コーディネーターからの手紙」

2023年01月27日 | 素敵な本

ついに、Amazonから承認されて、ついにkindleで出版開始となりました

「農村コーディネーターからの手紙」というタイトルです。

去年に思い立ち、作り始めましたが年末に間に合わず、年始にでもと思いましたが、内容より体裁を整えるのに慣れないので時間がかかり、この時期になってしまいましたが、ようやくです

330円ですのでコーヒー1杯程度ということで、ご関心があればポチっとしてくださいね


ちなみに内容は、私が「朝採れ野菜ボックス」に毎週入れている手紙を1年分まとめたものです。

野菜のお客さんの中にはその手紙のファンがいまして、「子どもといつも一緒に読んでいます」とか、「手紙楽しみにしています」とか、たまに「1年分まとめて本にしたら?」など、ずっと言われ続けてきたので、そういった方々向けに作ろうと思ったのが発端です。また、本作りの勉強も出来ると思ってチャレンジしたわけです。

格好良く言えば「農村コーティネーターの1年を通したエッセイ」ですが、教養本とかノウハウ本でも何でもありません。また、このブログにも「朝採り野菜ボックス」の手紙は載せているので、内容はほとんど同じです。そのためあえて買わなくても良いものという言い方も出来ますし、逆にまとめてKindleでいつでも好きな時に読みたいな、と思う方は、330円と照らし合わせてお気軽にポチっとしてくださいね。

このブログを見ている人は、ご存じの通り、自然に沿って生きる事、畑仕事や農村体験教室のこと、子育てのこと、四季折々の野菜のことや農家さん達との関係のこと、地球環境問題など、季節に合わせたその時々の事が書いてあります。

農村暮らしや私の頭の中に関心があれば、まあ330円の価値はあるかな?ただ、繰り返しですが、このブログにも書いてある事をまとめたものなので、買ってみたものの「なんだ、おなじじゃないか」とレビューで★1つつけるとかはご勘弁下さい

それでも良い方は、暇な時にでもお茶を片手に読んで下さいね。

なおKindleって字体やフォントの大きさは変えられるので、ご自身の雰囲気や見やすいものを選択して読んで下さいね。

ちなみに紙媒体のペーパーバックにするとプラス500円ぐらいしちゃうので電子出版にしていますが、どうしても、という方が出てきたら挑戦してみようかな、と思います。何事も経験ですからね

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本:中野ジェームスさんの「青トレ」や「子供を壊す部活トレ」

2022年11月07日 | 素敵な本

うちの息子は陸上部で1500m走をやっているのですが、10月から部活では懸垂逆上がりが日課となりました。冬はトレーにニングの期間なんですね~。

 ただ、同級生はほとんど出来るものの、本人は懸垂逆上がりが出来ないので、毎日、部活から帰ってきたら鉄棒のあるところで練習するようになりました。相変わらず真面目くんで、ついつい親としては手伝いたくなってしまいます

 ということで、You tube見たり、一緒に鉄棒に行って介助していたりしたら、10日間ぐらいで出来るようになりました やっぱり若さは違いますね~、凄い

 短距離は筋肉むきむき、長距離はスリムな筋肉というイメージが私にはあり、また息子はまだ声変わりが終わっていない生育途中の体なので、無理に懸垂が出来なくても良いんじゃないのかな~とは思っていたのですが、周りが出来ている中で出来ていないと、毎日の部活の心地が良くない、というのはわかりますので、ほんと、出来て良かったな~と思っておりました。


 そうしたら今度は顧問から「胸筋などが弱いから、腕立てを毎日150回ぐらいやった方が良いよ。胸・腕筋をつけるとフォームが安定するから」と指導されたそう。そのため、今度は腕立てを毎夜始めることになりました。

 忙しい中で個人的にアドバイスをしてくれた顧問の先生には感謝なのですが、しかし、懸垂逆上がりに続いて上半身ばかり鍛えるのはどうなのかな~、と。腕立ての仕方のサポートなどしても良かったのですが、どうも私の気が乗らなかったので、ネットで色々調べたら、全般的には「中長距離で腕立てなどで筋肉をつけるとむしろ逆効果」というのが多かったのです。でも私は素人だからイマイチわからない。

 そこで、以前、ラジオで聞いた「青学の原さんと有名トレーナーの本」を思い出したのです。青学の原監督は、外部のエキスパートとして、コアトレーニングやストレッチの専門家を呼んで、常勝軍団に育てあげたという話で、その1人が中野ジェームスさんという方が名トレーナーのようなんですね。で、図書館で借りてきました。これが面白い

 まず、「子どもを壊す部活トレ」という本は、タイトルがセンセーショナルなので借りたのですが、内容はQ&A形式で非常にシンプルで読みやすい

 内容は陸上というより色々な部活の子を想定しているのですが、例えば、高くジャンプしたいという子は、闇雲に練習するのではなく、ジャンプが高く出来る子を見てイメトレをしたり、まずは自分の最高のジャンプが出来るポイントを見つけることが大事。そして、次の段階として、止まった状態でポイント通りにジャンプするということがスポーツ中は出来ないから、咄嗟の時でも自分のポイントでジャンプ出来るような練習をする、といった理屈なのです。

 一方、原監督と青学の生徒を伸ばした際の「青トレ」も内容がギュッとしていて濃密。最新のトレーニングやストレッチを知っている中野ジェームスさんの話もいちいち納得。最新の科学的知見と一流トレーナーの考え方、そして原さんの体験記は「やっぱりそうだよね」というのが多かったです。

 この本は「体幹を鍛える事」や「ストレッチをする事」の目的とやり方が書いてあるのですが、1つ抜粋するとするなら、「体幹を鍛えるといってもスポーツによって千差万別、陸上でも短距離と長距離では違う。そして体幹を使う、という事を体で体得するのに半年はかけて良い。体幹を鍛えるのはその後で良い」と。

 普通、「体幹を鍛えよう」となると、「鍛えるトレーニング」に入っちゃうわけですが、中野さんは「青学の生徒でも3ヶ月かかった。普通は半年かけて、『あっ、これが体幹を使うということなんだ』と体でわかるまで確認作業をしていても良い」というわけです。「フォーム作りをし、そのフォームで体が動くように練習をする」というのは、野球、テニス、そして体幹トレーニングも一緒、ということですよね。

 また、ストレッチの考え方でも「屈伸、アキレス腱伸ばし~」というのは旧くからある間違った儀式のようなもので、「野球とかサッカーでは1時間とか普通に準備運動にかけるのに、陸上は30分もかけないのはおかしい。そもそも深部体温を上げて肩甲骨や股関節の可動域がスムーズに動くようにするのが準備運動なのだから、静的ストレッチだけでなく動的ストレッチも必要だし、十分に時間をかけないとトレーニングの効率が上がらないだけでもなく、ケガにもつながる」という話はごもっとも。

 「個人個人で段階が違うからパーソナルトレーナーというのがいる。部活には昔のやり方が根付いたまま今もアップデートされていない事も多いが、忙しい中、部活の顧問の先生が時間を割いているだけで凄いことで、決して先生が悪いというのではない」という話にも「そりゃそうだよな~」と納得でした

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本:「土 地球最後のナゾ」 100億人を養う土壌を求めて

2022年11月05日 | 素敵な本

最近、いろいろなところから耳にする藤井さんという若い土の学者、藤井さんの本を読みました。私より若い学者さんです

京大の学生の時から、「世界人口が100億になった時にも食べ物を提供出来る土はどんな土か?」といった疑問を持っていて、その疑問を解決するために、世界中をシャベルをもってまわり、「土とは何か?」という旅と研究をしていったエッセイと土壌学が合わさったような本です。

ちょっと、小難しい話が沢山でるのですが、簡単に言うと「地球上の土はたった12種類しかない。しかし、砂漠など食物生産に向いている土壌は正確には2種類しかない。何故、他は向いていないのか?なぜ、良い土と呼ばれる土壌は食べ物となる植物にとって良いのか?他の土壌を良い土に変えられないのか?」という事を調べるために、世界を飛び回った奮闘記のような本です。

前提として、「全ての物は土から生まれる」という視点に立っています。肉も草食動物や穀物を食べている動物から来るわけで、食べ物の原点は全て植物。その植物を生育する基盤が土なわけです。スマホに使う鉱物も土から出来ている。衣料や木材も土があって、という考えです。まあ、ここでは食べ物に限定しています。

良く、「ウクライナの土は最高だ」ということが言われてきましたが(今はロシアの侵攻で騒ぎになっていますが)、そのウクライナにあるチェルノーゼムという黒い土は、肥沃で「土の皇帝」と言われています。

腐植・・・植物が腐ったもので、それに富むと沢山の肥料分や微生物が住み着き、黒っぽくなります。良い土の前提は「腐植に富む」ことです。日本は火山灰土の赤土ですが、堆肥などの有機物を沢山入れている土は黒っぽく見えます。ただ、日本の土は弱酸性で、リン酸なども土から離れず、そのままだと大規模農業には向いていません。そのため、昔は山の落ち葉をかき集め、肥だめの熟した人糞と混ぜ合わせ、堆肥として田畑に入れていました。

ところがチェルノーゼムは、phが酸性でもアルカリ性でもなく中性に近い、かつ、肥料分に富むので、肥料を施さなくてもそのまま農業が出来る、最高峰の土と言われています。

 

チェルノーゼムはウクライナ周辺、アメリカの5大湖周辺のプレーリー、アルゼンチンのパンパなどが主要3大地域です。貴重な肥沃土ですが、ウクライナ周辺で全世界の30%のチェルノーゼムが集まっているということで、「世界のパンかご」と言われているほど、小麦などの栽培が盛んなわけです。

理想は世界中がチェルノーゼムの土なら良いのですが、そうではないわけです。なので、例えば砂漠国家が食べ物が育つ国の土地を何万ヘクタールも買う、といったことがもう何十年も前から普通に起きています。お金になるので、例えば、この本が書かれた時には、アメリカのパンパなどは1ヘクタールのチェルノーゼムの土地が40万円で売られ、ウクライナだとその半額で売られていたそうです。

戦争も大体が「飢饉が起きる→政情不安になる→安定した国家運営のために、安定した食料基盤となる土地を獲得する」ということで起きることが多かったのが歴史です。

ドイツもウクライナのチェルノーゼムを汽車でドイツに運ぼうとしていたとか。我が師匠の高柳さんがドイツのミュンヘンに行った時は、「公園作ったり道路工事をしたり、土を掘る時は必ず表土を横にとっておく」といった州法があったそうです。

アメリカのパンパは乾燥地帯なので、一度農業をしてしまうと、どんどん風化していって砂漠化するので、「こりゃいかん」ということで、国土保全庁が土を守るための計画を作ったり。これが世界各国の土への考え方です。

「水の獲得のために戦争が起きる」と言われていますが、実は「土を獲得するための戦争が起きる」とも言われています。水や土に溢れる日本人からは「何のこっちゃ?」という方もいると思いますが、結局は、「食い物争奪戦」ということですね。日本では種苗法など「種」の話題が多いのは、水と土が豊富だからなのですが、世界では、「水」と「土」の方が大切なんです。

さて、この本を読むと「へ~」と思うところが多々あるのですが、そもそも「土」や「食料と土」の前提知識が無いと、ピンと来ないと思うので、もう少し補足を。

ちょっと前置きの話をしますと、「日本の土は特別」という事を知っておく必要があります。もっと言えば、「日本の食料事情は特別」という事ですね。

日本はやろうと思えば「食料自給率100%に出来る珍しい国家」と私は思っています。今、自給率38%ぐらいと言われていますが、あれは10年ぐらい前に、計算方法をカロリーベースに変えたからで、例えば青果物の総量で言えば70~80%近くは自給出来ているはずです。

一方、肉、油、小麦は海外産が多いですし、国産の卵や家畜も海外の飼料を輸入しているので計算上の自給率は下がります。なので極端に言えば、小麦を国産にし、家畜の飼料を国産に切り替えるか肉や油脂の消費量を抑えた和食がメインになれば、計算上の自給率は上げられるわけです。

そして、極論を言えば、海外からの食べ物がストップしても、贅沢しなければ食い物を自給出来る土と水が日本にはあるのです。

というのも、狭い国土でも作物がムチャクチャ良く育つからです。それは黒ぼく土と言われている軽くて腐植に富む土があるからで、昔からそこに山から集めた落ち葉や肥だめから集めた糞などを混ぜた堆肥を入れて田畑にしてきました。

ただ、大量生産や効率を考えると、肥料を追加しなくてはいけないので、戦後は海外の資材を輸入して使っています。そういう点ではチェルノーゼムよりは劣るものの、チェルノーゼムを抜かせば、世界のトップレベルの土となります。

 

さらに踏み込むと、農業が出来るかどうか、つまり食べ物を作れる土かどうかは、「土」と「気候(雨、気温)」のかけ算です。

アメリカのプレーリーのようにチェルノーゼムという最高の土があっても雨が少ないと、植物が日本のようには育たない。植物が育たないと、腐植となる原料がない。だからいったん耕してしまうと、太古の昔から蓄えてきた腐植が乾燥地帯なのでどんどん風化していって土が痩せていきます。

一方、日本は雨が温暖湿潤気候で、雨が降る地域なので、植物が育ち、毎年、土は痩せていく分、葉っぱや草などが生えるので腐植が増えます。無茶な農業をしない限りバランスが取れるのです。

アメリカの農業などでは「いったん耕すと土が痩せてしまう。だから鋤き(すき・・・土を掘り起こす道具)で土を耕すのは止めて、緑肥を育てよう、不耕起にしていこう」という運動があるぐらいなのです。

ところが、日本は春から夏にかけて、嫌なほど雑草が生えます。つまり、雨が多く気温も高くなっていくので、どんどん植物が生育して腐植が増えるのです。ただ土のバランスとしては弱酸性で、リン酸なども足りないので、補ってあげる必要があります。逆に補ってあげれば、何もしなくてもよいチェルノーゼムとまでとはいかないまでも、農業は自立出来るんですね。

 

と、個人的には思っている中でこの本を読むと、例えば、土の良いところと人口は比例関係にある、とか色々面白い事がわかって来ます。「土、そして天候で食い物の量が決まり、食い物があるところは人口が増える」というシンプルな結論が世界地図からわかります。

それをみると、「やっぱり日本の土は悪くないじゃない」と思えるのです。

世界を旅した藤井さんの話からすると、やっぱり「土は命を支える」ということがわかりますし、しかし、その土は「過去からの堆積物」であり、それは「気候」次第で、水と気温のバランスで農業に向いているかどうかがわかります。

熱帯雨林は植物が育つけど、腐植の分解も早い。雨期と乾期のあるサバンナでは乾期に風化されてしまう。鉄分やアルミニウムなどが付着している粘土層、砂のような場所、色々ありますが、世界の陸地の中で1%未満しかない黒ぼく土が日本国土では30%以上を占める。かつ、雨と温度のバランスが抜群。

今、世界人口を食べ物が作れる耕地で割ると、1人平均14m×14mの耕地で生きているそうです。もちろん、貧富の差が大きいですから、肉を食べたり外国のものを食べている日本人などの先進国は300m×300mぐらい使っている事になるんでしょうか?

それが世界人口が100億人になれば、1人平均10m×10mになるそうで、今以上に激しい食料争奪戦、つまり土争奪戦になるでしょう、という話です。

今、日本でもSDG’sが叫ばれて、活動している方々も多いのですが、そういった方々が片手にコーヒー、片手に輸入小麦から作られたパンにアボカドサーモンを持っていると、「何だかな~」と思ってしまうのは私だけでしょうか

食の大事さを語られる中で、水にフォーカスされる人もいれば、農業地帯にフォーカスする人もいます。その中で、土そのものをフォーカスする人はまだまだ世界では少ないようで、というかメジャーな学問ではないようです。

例えば、土とは何か?というと、その化学式は解明されていないそうで、小さじ1杯に3億とも言われる生物が織りなす結果出来ているものを、まだ人間は作れないそうです。

土、というミクロを知る事は、マクロの農地=命を支える食べ物の供給地を考える一端になるな~、と思える本です。但し、細かな土壌の話はちょっと小難しいですよ

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本:宮本常一著「村の若者たち」

2022年10月01日 | 素敵な本

秋は食欲の秋と同時に読書の秋です。

というわけでもないのですが、実は約1年半ぶりに図書館で本を借りてきました

図書館は習慣としてちょくちょく行っていたのですが、昨年の3月に中1の子供達向けに英語のお勉強の場「second note」を立ち上げるにあたって、10冊ぐらい英語の本を借りたのを機に、以後、行かなくなりました。

1つは、中3男子だった長男の受験の伴走が終わったので気を抜いたこと、また、secondnoteが始まったり5月の田植えなどで、ドタバタに入り、何となく本を読む気が起きなくなり、ダラダラ~っとルーチン仕事をしてきた感じです。

で、夏休みはちょっとゲームをやったり、コロナにかかったりと、まあ、なんだかんだいって時は流れるように過ぎてきたのです。

ただ、9月も終わりに近づき、田畑仕事も落ち着いてきたことで、久々に図書館に行ったのです

 

2冊借りたのですが、1つは「日本の歴史を英語で」という本で、まあこれは自分の英語勉強のためですね。

もう1つが表題の「村の若者たち」という宮本常一氏の著書の復刻版です。

宮本常一さんは民俗学者で有名で、柳田国男さんの次ときたら、やっぱり宮本常一さんじゃないでしょうか。

って、興味が無い人は全く知らないかもしれませんが、私は日本人がどう生きてきたのか、に関心があるので、イコールで民俗学とか伝記ものとかは面白く読めるタイプなのです。

ただ、柳田国男さんに遠野物語やちょっとした本は目を通したことがあるのですが、良く考えたら、きちんと宮本常一さんの本は読んだ事が無かったのですね

それが、図書館で何となく手にとってちらりと読んでみたら「面白そう」ということで、借りて読んだのです。

そこには私が知らなかった「村の若者たち」の姿が赤裸々に書いてありました。。。

 

私が知っているのは高柳さんなどまだ存命している農村の農家さん達が「俺が子供の頃はこうだったぞ」という話し。つまり、戦後、高度経済成長を始めて農村から都市部に人が流れていく中、まだ大工の日当がお米2升とか、現金経済が入り始めたり、公害時代に対する有機農業運動が起きたり、という辺りでした。

しかし、この本は昭和37年頃の本のようなのですが、江戸、明治、大正、昭和の戦争前後の農村の事が1つ1つ細かい事例、例えば東北の◎◎村はどうだったのか、島根の海辺の△△という村はどういった感じだったのか、という事が書かれているのです。

そこに一貫して書かれているのはこうです。

・農村は限られた土地に30戸住んでいるとしたら、その30戸がみんなその村で自給自足でそこそこの生活が出来る、というのはほとんど無かった

・そうなると、家を継ぐ長男は良いとして、次男、三男の処理をどするか、というのが一番の問題だった。女の子は売ればお金になるが、次男、三男は生まれたら川辺に捨ててくる、ということが当たり前だった地域も多かった

・村の掟のようなもので子供は1人、あとは処理するのが暗黙の了解で、何かしら生き残って仕方無く育てる事になった次男、三男がいたら、戸籍上は載っていない状態で、村人からは白い目で見られながら肩身狭く育てられた、なんてことも当たり前だった

・次男、三男を分家する、というのはよほどの土地が無いと不可能で、それは本家の土地が減ること、つまり本家がやっていけなくなるようなもので、季節労働者、丁稚奉公、あるいは他の土地へ流れていく、というのも普通で、良くて下男のような扱いで本家に扱われ、結婚も家も持たず死んで行くというのも当たり前だった

・要するに「どうやって食って生き延びていくか」が大事で、次男、三男、あるいは余分な若者は「どう処理するか」が村々の大きな問題だった

そんな感じなのです。

 

海辺の村は漁、陸の村は田畑でなんとか生きていこうとしていたのですが、それで満足出来るほど自給が出来ているのはほんの一握り。ほとんどが食っていけないので、次男、三男の処理、あるいは出稼ぎ、身売りが当たり前で、そういった時代が戦後ぐらいも普通だった、と。今の人が聞いたらゾッとするような状態ですが、良く考えてみたら、それはそうなんだろな~、と。

ちなみに私の小学校時代の記憶で、最も覚えている記憶の1つが、同級生の作文の発表です。何かというと、その家は貧しくて、でも子だくさんで、小学5~6年生の時だったのですが、「新しい子が生まれたけど、食わせていけないからそっと息を引き取ってもらった」という内容です。他の同級生はあまり反応していなかったのですが、私には衝撃的で今にも鮮明に覚えています。つまり、子供の間引き、というのは昔はあたりまえだった、ということです。

 

また村には青年団というものがあり、そこでは様々な交流がありました。長男は家を継ぐから良いとして、次男、三男などは村には必要が無いわけです。ただ、地域によっては祭り、塩田の働き手、自警、漁の漕ぎ手や網子などはこの青年団がになっていたわけです。

明治になると国として「徴兵制度」が始まり、ちょうど「生き場所が無い次男、三男問題」と、「兵力を集めなくてはいけない国」の思惑が一致し、青年団を中心に次男、三男が徴兵されていったそうです。後に、長男も徴兵対象になったのですが、最初は「家の継ぎ手が無くなると家、村が存続出来ない」というのは誰もがわかっていることなので、長男は免除されたわけです。

また、女子の青年団もあって、村の1つのたまり場に男は男、女は女で別々で固まり、仕事のつらさを分かち合いながら語り合ったりしたそうです。そして夜這いも当たり前にあった時代で、宮本常一さんの話では、半分は相思相愛でつきあった、と。当時は電気も無く、また夜這いも当たり前の習慣で、男は男の寄り合い所で先輩から性の手ほどきを受けるし、女は女で同様に先輩から男のあしらい方を教えてもらう。

夜這いに男が来るのは全く問題無く、ただ、女には選択権があり、嫌なら断る。通じ合えば夜這い成功で、ただ、子供を作ってはいけない、というルールもあり、子供が出来たのにその女を捨てた男は、仲間からボコボコにされ村八分のような制裁がまっている、なんてこともあったようです。

意思疎通が出来、通い合う中で将来の結婚を約束しても金も家も無いわけで、そういったカップルは、頑張って働き小屋なり家なりを手に入れる事ができたら、そこで始めて結婚する、という流れが普通だったようです。

明治後半から大正にかけて、東京や大阪などに工業や農や漁以外の第二次、第三次産業が出来てくると、次男、三男などはそこへ出稼ぎに行き、女子も紡績や繊維工場で出稼ぎに行く。また、大工、酒作りといった技術が必要な仕事にも流れるようになっていったそうです。

一方、小学校を卒業する、あるいは中学校に行けるような子供はある程度のお金がある中流の農家の長男以上だったわけで、そういった家は当然村でも1つ格が上で、そういった子以外は村の青年団でキズを舐め会いながら毎日労働にあけくれて、それでも飯が食えたら良い、という生活を送っている。そして青年団としては、リーダーも現われて「自分達の存在意義」ということで、例えば日清、日露戦争の際には「俺たちだってお国のお役に立とう」と、例えばワラジを編んで献上したり、といった活動もあったようです。

女子も人権という考え方が生まれてきて、男の運動に触発された、という事もあったそうですが、例えば紡績工場などの労働改訂として、夜は睡眠を取る権利がある、といった事を実現したそうです。逆に言えば、朝早くから夜通し働く、つまり徹夜仕事も当たり前で働かされて体を壊して死んで行く、というのが当たり前だったのが、夜は寝かせてもらえる、程度の改善運動は起きていた、ということ。

そんなこんなで続いてきた農村事情。太平洋戦争に向かう頃には男が少なくなって労働力不足の問題が出てきたものの、戦後はドッと戦地から男達が帰ってきて、また村の「どうやって食っていくか」問題が起き、各地に流れていくようにもなったわけですが、段々、村の外で一財産築ける人達も出来てきて、そういった村以外、都市部に地縁、血縁を頼って出て行く流れが出来てきました。

それまでは、大企業のサラリーマン、あるいは官公庁に勤められるのは、中流以上の農家の長男だけだった、つまりちゃんと学校に通わせられるのはそういった類いだけだったのが、農家の次男、三男でもそういった人達が出てきた。

300万人以上いるといわれた全国の青年団の数はどんどん減少していき、取り残された感が出てきた。また、家を継ぐ宿命の長男は、発展する都市部に対して衰退する村に残らなければいけないわけで、青年団の維持をどうするか、何のためにそもそもやっているのか、とか、苦しい状態になっているわけです。

そして、戦後はフォークダンスやう書の秋です。

 

というわけでもないのですが、実は約1年半ぶりに図書館で本を借りてきました

 

図書館は習慣としてちょくちょく行っていたのですが、昨年の3月に中1の子供達向けに英語のお勉強の場「second note」を立ち上げるにあたって、10冊ぐらい英語の本を借りたのを機に、以後、行かなくなりました。

 

1つは、中3男子だった長男の受験の伴走が終わったので気を抜いたこと、また、secondnoteが始まったり5月の田植えなどで、ドタバタに入り、何となく本を読む気が起きなくなり、ダラダラ~っとルーチン仕事をしてきた感じです。

 

で、夏休みはちょっとゲームをやったり、コロナにかかったりと、まあ、なんだかんだいって時は流れるように過ぎてきたのです。

 

ただ、9月も終わりに近づき、田畑仕事も落ち着いてきたことで、久々に図書館に行ったのです

 

 

 

2冊借りたのですが、1つは「日本の歴史を英語で」という本で、まあこれは自分の英語勉強のためですね。

 

もう1つが表題の「村の若者たち」という宮本常一氏の著書の復刻版です。

 

宮本常一さんは民俗学者で有名で、柳田国男さんの次ときたら、やっぱり宮本常一さんじゃないでしょうか。

 

って、興味が無い人は全く知らないかもしれませんが、私は日本人がどう生きてきたのか、に関心があるので、イコールで民俗学とか伝記ものとかは面白く読めるタイプなのです。

 

ただ、柳田国男さんに遠野物語やちょっとした本は目を通したことがあるのですが、良く考えたら、きちんと宮本常一さんの本は読んだ事が無かったのですね

 

それが、図書館で何となく手にとってちらりと読んでみたら「面白そう」ということで、借りて読んだのです。

 

そこには私が知らなかった「村の若者たち」の姿が赤裸々に書いてありました。。。

 

 

 

私が知っているのは高柳さんなどまだ存命している農村の農家さん達が「俺が子供の頃はこうだったぞ」という話し。つまり、戦後、高度経済成長を始めて農村から都市部に人が流れていく中、まだ大工の日当がお米2升とか、現金経済が入り始めたり、公害時代に対する有機農業運動が起きたり、という辺りでした。

 

しかし、この本は昭和37年頃の本のようなのですが、江戸、明治、大正、昭和の戦争前後の農村の事が1つ1つ細かい事例、例えば東北の◎◎村はどうだったのか、島根の海辺の△△という村はどういった感じだったのか、という事が書かれているのです。

 

そこに一貫して書かれているのはこうです。

 

・農村は限られた土地に30戸住んでいるとしたら、その30戸がみんなその村で自給自足でそこそこの生活が出来る、というのはほとんど無かった

 

・そうなると、家を継ぐ長男は良いとして、次男、三男の処理をどするか、というのが一番の問題だった。女の子は売ればお金になるが、次男、三男は生まれたら川辺に捨ててくる、ということが当たり前だった地域も多かった

 

・村の掟のようなもので子供は1人、あとは処理するのが暗黙の了解で、何かしら生き残って仕方無く育てる事になった次男、三男がいたら、戸籍上は載っていない状態で、村人からは白い目で見られながら肩身狭く育てられた、なんてことも当たり前だった

 

・次男、三男を分家する、というのはよほどの土地が無いと不可能で、それは本家の土地が減ること、つまり本家がやっていけなくなるようなもので、季節労働者、丁稚奉公、あるいは他の土地へ流れていく、というのも普通で、良くて下男のような扱いで本家に扱われ、結婚も家も持たず死んで行くというのも当たり前だった

 

・要するに「どうやって食って生き延びていくか」が大事で、次男、三男、あるいは余分な若者は「どう処理するか」が村々の大きな問題だった

 

そんな感じなのです。

 

 

 

海辺の村は漁、陸の村は田畑でなんとか生きていこうとしていたのですが、それで満足出来るほど自給が出来ているのはほんの一握り。ほとんどが食っていけないので、次男、三男の処理、あるいは出稼ぎ、身売りが当たり前で、そういった時代が戦後ぐらいも普通だった、と。今の人が聞いたらゾッとするような状態ですが、良く考えてみたら、それはそうなんだろな~、と。

 

ちなみに私の小学校時代の記憶で、最も覚えている記憶の1つが、同級生の作文の発表です。何かというと、その家は貧しくて、でも子だくさんで、小学5~6年生の時だったのですが、「新しい子が生まれたけど、食わせていけないからそっと息を引き取ってもらった」という内容です。他の同級生はあまり反応していなかったのですが、私には衝撃的で今にも鮮明に覚えています。つまり、子供の間引き、というのは昔はあたりまえだった、ということです。

 

 

 

また村には青年団というものがあり、そこでは様々な交流がありました。長男は家を継ぐから良いとして、次男、三男などは村には必要が無いわけです。ただ、地域によっては祭り、塩田の働き手、自警、漁の漕ぎ手や網子などはこの青年団がになっていたわけです。

 

明治になると国として「徴兵制度」が始まり、ちょうど「生き場所が無い次男、三男問題」と、「兵力を集めなくてはいけない国」の思惑が一致し、青年団を中心に次男、三男が徴兵されていったそうです。後に、長男も徴兵対象になったのですが、最初は「家の継ぎ手が無くなると家、村が存続出来ない」というのは誰もがわかっていることなので、長男は免除されたわけです。

 

また、女子の青年団もあって、村の1つのたまり場に男は男、女は女で別々で固まり、仕事のつらさを分かち合いながら語り合ったりしたそうです。そして夜這いも当たり前にあった時代で、宮本常一さんの話では、半分は相思相愛でつきあった、と。当時は電気も無く、また夜這いも当たり前の習慣で、男は男の寄り合い所で先輩から性の手ほどきを受けるし、女は女で同様に先輩から男のあしらい方を教えてもらう。

 

夜這いに男が来るのは全く問題無く、ただ、女には選択権があり、嫌なら断る。通じ合えば夜這い成功で、ただ、子供を作ってはいけない、というルールもあり、子供が出来たのにその女を捨てた男は、仲間からボコボコにされ村八分のような制裁がまっている、なんてこともあったようです。

 

意思疎通が出来、通い合う中で将来の結婚を約束しても金も家も無いわけで、そういったカップルは、頑張って働き小屋なり家なりを手に入れる事ができたら、そこで始めて結婚する、という流れが普通だったようです。

 

明治後半から大正にかけて、東京や大阪などに工業や農や漁以外の第二次、第三次産業が出来てくると、次男、三男などはそこへ出稼ぎに行き、女子も紡績や繊維工場で出稼ぎに行く。また、大工、酒作りといった技術が必要な仕事にも流れるようになっていったそうです。

 

一方、小学校を卒業する、あるいは中学校に行けるような子供はある程度のお金がある中流の農家の長男以上だったわけで、そういった家は当然村でも1つ格が上で、そういった子以外は村の青年団でキズを舐め会いながら毎日労働にあけくれて、それでも飯が食えたら良い、という生活を送っている。そして青年団としては、リーダーも現われて「自分達の存在意義」ということで、例えば日清、日露戦争の際には「俺たちだってお国のお役に立とう」と、例えばワラジを編んで献上したり、といった活動もあったようです。

 

女子も人権という考え方が生まれてきて、男の運動に触発された、という事もあったそうですが、例えば紡績工場などの労働改訂として、夜は睡眠を取る権利がある、といった事を実現したそうです。逆に言えば、朝早くから夜通し働く、つまり徹夜仕事も当たり前で働かされて体を壊して死んで行く、というのが当たり前だったのが、夜は寝かせてもらえる、程度の改善運動は起きていた、ということ。

 

そんなこんなで続いてきた農村事情。太平洋戦争に向かう頃には男が少なくなって労働力不足の問題が出てきたものの、戦後はドッと戦地から男達が帰ってきて、また村の「どうやって食っていくか」問題が起き、各地に流れていくようにもなったわけですが、段々、村の外で一財産築ける人達も出来てきて、そういった村以外、都市部に地縁、血縁を頼って出て行く流れが出来てきました。

 

それまでは、大企業のサラリーマン、あるいは官公庁に勤められるのは、中流以上の農家の長男だけだった、つまりちゃんと学校に通わせられるのはそういった類いだけだったのが、農家の次男、三男でもそういった人達が出てきた。

 

300万人以上いるといわれた全国の青年団の数はどんどん減少していき、取り残された感が出てきた。また、家を継ぐ宿命の長男は、発展する都市部に対して衰退する村に残らなければいけないわけで、青年団の維持をどうするか、何のためにそもそもやっているのか、とか、苦しい状態になっているわけです。

 

そして、戦後の青年団は、フォークダンスなど娯楽なども入ってきて、今までは男の青年団、女の青年団が一緒に活動するのは無かったのが、同じ団に属するようになってきた。ある意味、お見合いの場のようになってきたよう。ただ、それでも青年団は衰退の一途を辿っていった。

こんな話でした。

宮本常一さんの書き方で、一番良かったのは、「若者は不確定で未来が決まっていないからこそ、不安もあるし葛藤もあるが、それだけ可能性があるということ」というエールでしょうか。

逆に言えば、大人は何をして生きていくか、ある程度、固まってきているので、不安や葛藤が減ってきているかもしれないけど可能性も狭まってきている、ということですよね。

若者が悩み葛藤を持っているのは、確固たる場所に根付いていないからで、でもだからこそいつでも何回でもやり直せるし、何をしても許される。だから村の若者たち、未来を開いていこう、というエールが伝わってきました。

また、私としては、目の前におつきあいしている高柳さん達に繋がる農村の若者たちの歴史は、ほぼ「食っていくために不必要に生まれた子供達をどう処理するか」という歴史で有り、1人1人がきちんと食っていけるようになって殺されることもなくどう自分の人生を考え生きていくのか、といったことが当たり前に出来る時代は、戦後しばらく経ってからなのだな~、という事がわかりました。

そう思えば、今の私達は贅沢三昧ですよね。まあ、逆に根無し草がが多いわけですが。

長い歴史を思うと、やっぱり戦後の世界は特異な世界で、歴史や文化が壊れていくのも仕方無いというか、今までの延長ではない新時代なんだな~と思います。

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虹の戦士

2021年09月09日 | 素敵な本

もう10年ぐらい必ず夏に読んでいる「虹の戦士」。もはや座右の書、という感じです。
 いつもは夏休み旅行で読んでいますが、昨年に続き今年ももう旅行という感じじゃなく、夏も終わってしまったので、コーヒー飲みながらの読書。
 昔からインディアンに語り継がれてきた、シンプルでパワフルで生きる指針になる物語です。
 今回気づいたのは、前書きで、「インディアン達は、星の位置から、1960年代後半から2020年頃まで、劇的に地球が病み、動物たちが姿を消し、人間が健康を失って愚かな振る舞いをする時代に入ると言われている」と書いてあること。2020年頃までって、まさに今じゃん
 そしてその後、伝説や古い教えや神話などを守り続けて来たもの達の時代が到来する、その者達が地球上の生命の鍵を握っている、そういう人達を虹の戦士、という。
 そして少年が大きく成長していく物語。毎年読んでいますが、今年も心に刺さりました

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稲盛和夫 ごてやん「私を支えた母の教え」

2021年03月31日 | 素敵な本

今のNHK朝の連続テレビ小説は「おちょやん」ですが、それに似たタイトルの本があったので読んでみました

著者は稲盛和夫さんです。

私の世代でビジネスマンだった人は大体の人が知っていますが、今の若い人は知らないかな?

京セラを立ち上げ、携帯電話が出てDOCOMOが独占市場だった時に、DDIという会社を作って対抗。これは後にKDDと合併してauブランドのKDDIになったですが、その元を作った先駆けです。

そしてちょっと前には経営破綻したJALの再生を国から打診され、高齢ながら「奉仕の心=無給」で請負い再生させたことで有名ですかね。

ある意味「経営の神様」と呼ばれる人の1人で、「トヨタ方式のカイゼン」が世界的に広がった時代に、同じく稲盛さんの「アメーバ経営」も一世を風靡した方です。

また、仏道に入って僧籍も持っている方です。

で、本の内容は自分の人生を振り返ると「あの母がいたから自分がある」という事を追憶している内容です。

そして、ここからはネタバレになりますが、最後に「母は神様じゃないか」という話しになるのです。

私は「お~」と思いました。

どういうことかというと、結局、稲盛さんは高齢になって人生を振り返ると「母がいたから自分がある」という思いに尽きるということなのです。

それを幼少期の家族のドタバタ劇の中で母がどういった行動をとって自分はどうだったか、という事をエッセイのように書いているのですが、ここまで来て思う事は、この年になって「お母さん、お願いします」というように、「お母さん」を思い出すそうなのです。

そして、稲盛さんの言葉では、「人は何かあったら、神様、なんとかお願いします。とか、神様が見ている、とか、目には見えない偉大な存在である神様に心を向ける。そして私も何かあると『お母さん』と声に出している。これを考えると私の中ではお母さんも神様と同じ存在になっている。だからお母さんも神様なんだと気づいた」というような事を書いているのです。

これに「お~」と私は思ったのです。

以前も何度か書きましたが、読売新聞の特別編集委員の橋本五郎さんが、東北で一人暮らしをしていて、死ぬ間際に近所の人に「自分に何があっても五郎は今東京で頑張っているから呼ばないで下さい」と言って、後片付けで迷惑をかけないように身辺を整理し、ご近所さんにも自分が死んだ時の手配も終わらせ、亡くなってから連絡が入った」という事を語っていました。

これに私も感動を覚えたのですが、五郎さんは「母は本当に凄かった。そして母に恥じない生き方をしねばと思った」というような事を言っていたのです。

死して息子が人生をきちんと生きていく教えをしたわけです。

私はこういった話が好きで、だから原発事故があった時に「こんな無知で自分の事しか考えない親で子どもに申し訳ない。きちんとした大人にならねば」と思ったのですが、昭和の時代は女性より男性の方が経営者やメディア露出が多かったせいで、こういった逸話は男性目線のものが多く残っています。

なので、今、女性の方がこういった記事を読むと「女性を神格化している」とか「女性に結局は苦労して我慢して子育てをしろということなの!」という人が出てくるかもしれないので、あまりこういった事を堂々と書くのが難しい時代になったと思うのですが。

私は男性ですし、その1人の男としての私見ですので、女性を神格化するのはおかしい、という思いを持つ人からすれば、「それが良く無いんだ」とご指摘を受けてしまうかもしれませんが、私は「お母さんは神様だったのじゃないか」という稲森さんの話に「お~」と素直に感動したのです。

そして、子どもが老後に、「うちの親は神様と同じだったな~」と思ってもらえるなら、これはお父さんであっても「子どもからそんなことを思ってもらえるなんて、良かった」と涙しちゃうと思うのです。

例えば、この前、ファミリーマートの「お母さん食堂」というブランドのお総菜シリーズに対し、女子高校生のグループが「お母さんは食事を作るものというレッテルを貼っている」と抗議をしたというニュースを知りました。

そんなところまで注意される時代に入ったのか、と、「お母さん食堂」というネーミングでしんごちゃんがCMに出ているのを何とも思っていなかった世代の1人である私からすればびっくりしたのですが、まあ、女性差別だ、平等じゃない、という教育をしているのは大人であって、そう教育されてしまった若い子が出るのも仕方ないと思うのですが、もっと大事な事があるんじゃないかな~とも思ったりします。

人との対立、言葉を換えれば戦争というのは「価値観の違い」で起きるわけです。

国しかり、宗教がもっとも顕著ですが、世の中で一番大切なのは「みんなで生きていく」ことだと思うのです。

そうすると、例えば、私の時代はお茶くみ女性など会社に存在せず、ペットボトルのお茶を自分で買うのが当たり前なので、女性のお茶をくんでもらうとかえって恐縮してしまう世代なのですが、しかし、私の上の世代は「女性にお茶をくんでもらうと喜ぶ」というのを私は知っています。

また、私の知り合いの農家さんの奥さんは「旦那にお茶をつぐ」というのは当たり前で、私がお茶をつごうとしたり茶碗を洗おうとすると「そんなことを男がするんじゃないよ!」と叱られます。

つまり、世代によって、あるいは都市部か田舎によっても価値観は違うのです。

だから、田舎にいったら有り難くお茶をついでもらい、自分の家では自分がみんなのお茶をつげば良いだけです。郷には入れば郷に従え、です。

今回のお母さん食堂も、今、コンビニでご飯を買う人の多くが、「お父さんよりお母さんにご飯を作ってもらった」という人が多いから、「お父さん食堂」より「お母さん食堂」という方がマーケティング的に響きが良い、ということで、10年ぐらい前からやっているのです。

それが、時代が変わって価値観が変わったので、こういった指摘を受けてしまうのは仕方ないのかもしれませんが、いずれにしろ、相手の価値観をお互いに思いをはせ、思いやりをもちつつ「話し合い」や「提案」などは良いと思いますし、それがかたくなに反対されるなら、あえて運動を起こしても良いと思いますが、私からすれば「そこまで批判されるものなのか」とびっくりしちゃったわけです。

情報発信をする側は難しい時代に入ったな~と思いました。

 

という話はさておき、昔の人にとって、「立派な親は人生を支える柱になる」というのは事実だと思うのです。

で、「母は偉大」という事は、実際にあるのです。女性差別でも何でも無く、事実、そうだったと私は思うのです。

これは男の子でも女の子でも、大人になった時、親のことを思い返すと、「父は偉大」というより、やはり「母は偉大だった」という人の方が多いんじゃないか、と私は思います。私の時代までは。

何故か?

その家庭色々でしょうが、やはり、昔は子育てをしたのはお母さんだったからでしょう。

だから「お母さんが立派だった」という話は沢山あります。世の中が何を言おうと、その本人にとってその母が偉大だった、というのは主観であり、だからこそ事実なのですからね。

ちなみに私は人生の最大のピークは子育て時期、と思っている人なので、今がピークだと思って子どもとの時間を大切にしています。

昔は稲盛さんを始め、「お母さんは偉大だった」という人が多かったわけですが、今は時代が変わりましたので、もしかしたら私のようにお父さんも「お父さんは偉大だった」と将来思ってもらえる時代に入ったんじゃないか、と思っています。

もちろん、偉業を成し遂げて「お父さんは偉大だった」というのもあるでしょうが、どちらかというと、子育てというのは目に見えない細かな気配り、心配りをしながら「生活」を共にするものです。

そういった中で、居場所になり、時に支えに成り、どんなときも無限の愛で子どもを絶対肯定しながら一緒に育ち、その上で、私が死ぬとき、あるいは私が死んだ後でも良いのですが、「うちの父ちゃん、今思えば良い父ちゃんだったな」と思ってもらえたらいいな~と思います

ちなみに、先日も書きましたが、民俗学者の柳田国男さんの本で「ご先祖様になる」という話も良いな~と思います。

立派に生きれば子孫から「神様」と思ってもらえたり「ご先祖様」と思ってもらえたりする。

そういった生き方をしたいものですね~。

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2040年の未来予想

2021年03月18日 | 素敵な本

元マイクロソフト社長の成毛氏の「2040年の未来予測」を読みました。

成毛さんは私の中ではthe・manegerで、つまり、当たり前と思った事を端的に提示する人、という印象の方です。

面白みは欠けるが、「そりゃそうだよね」という事をそのまま伝えるようなイメージ。

この本もそんな感じで、面白い書き方、というのは全く無いので色々情報を端的にまとめたという感じ。

 

 でも、私が良くわかっていない、まあ興味がない5Gとかについては「へ~」と思い勉強になりました。

今は4Gで今度は5Gになると騒がれていますね。

何のことか私は「どうでもいいや」って思っていたのですが、わかりやすく書いてあって理解が出来ました。

国際規格のことらしいのですが、「情報伝達速度」として捉えると、1979年に肩掛け電話、つまり車に積むようなでっかい携帯が登場したのが1G。

1993年に登場したのがPHSでこれが2G。

2001年に登場した「写メ」が送れるようになったのが3G。

そして2010年がスマホにも使われている4Gですね。

この30年で通信速度が30万倍になったそうです。

あ~、そう言われると、1997年に社会人になった数年間はPHSを会社から支給されたけど、これはもちろん「音声通話」のためで、ノート型PCを公衆電話を探して電話回線で繋げてメールを送っていたな~

つまり、「無線による情報速度」に関しては、「音声」はPHSで可能だったけど、ファイルなどは無線では余りに「重く」て送れなかったわけです。

それが2001年に写メが送れる方式に代わり、ドコモがiモードを開発し、画像も飛ばせるほどの通信速度になったわけです。

それがスマホになって動画を無線で見れる時代になったとは、20年前は誰が想像したでしょうか?

というか、そもそもスマホ、つまりタッチパネルの持ち運べる小さな端末が、これほど普及するとは

私にとって、例えばファミコンがゲームボーイになったときには既にゲームを卒業していたのですが、「なんで外に持ち歩くのがそんなに良いのだろう?」と疑問に思ったものです。

iPhoneやスマホも「ただ、持ち運べるようになった小さなPCでしょ?」と思っていたのですが、すぐ隣にあってすぐに立ち上がり、ボタン1つで色々出来る、というその「利便性」が最大のメリットであっという間にこれほど普及してしまったわけです。

そして、動画も見れるようになり、アプリが沢山開発され、今やPCは学校でしか触らない、という子が増えてきたのだから、革命的な進歩ですよね。

今ではアレクサなどが出てきて、あらゆる家電に繋がり、自動的にお風呂を沸かすとか外にいるときに洗濯機を回すなどが出来る時代になってしまいました。

これが今は5Gに変わると、今まで2時間の映画をダウンロードするのに5分かかっていがのが、3秒で出来るようになるそうです。

この「スピード革命」により、今はNetflixなど配信動画が増えてきて、レンタルdvdとかは斜陽産業なわけですが、もう、全ての情報はクラウドになって、そこから配信で見るのが当たり前になるわけですね。

それ以上に、同時に接続出来る機器が1000万台になるそうで、もう訳がわからない桁数ですが、スマホ、アップルウォッチ、眼鏡、カードといった身につけているものと、家の中の家電、はたまた銀行やアマゾンなどの全ての企業のホストコンピューター、そして街の信号からその辺りを動いている自動運転の車や物を運んでいるドローンが全て繋がっている状態になるわけです。

1人あたりネットで繋がる屋内外の機器が2010年はスマホとPCび2台ぐらいだったのが、2040年には1人あたり1000台ぐらいになるそうです

現時点でもICチップは指紋の間に挟まるぐらい小さく出来るそうで、世界中のものが自分と繋がってデータを収集されるわけで、それが拡大するという事ですね。

「へ~」と思ったのが、例えば中国では既に現時点であらゆる行動がデータとして蓄積され「信用」がスコアリングされているそうです。

カードの遅延払いやオークションの入金遅れといった信用情報はもちろん、過去の学歴、犯罪歴、仕事歴、年収、家族情報といったことも全て1人の情報は全てデータ化されて、一元管理されているそうです。

更に街のあちこちに監視カメラがあって、例えば信号無視をした人は交差点の顔認識カメラで人物特定され、そういったことでもスコアが下がってしまうだけでなく、職場に通報されるようになっているんだって

これが既に中国で起きている事で、今の中国の都市部の人はあらゆる企業から低ランクと判別されないように「信用スコアを落とさないよう行動する」という意識がもう出来ているそう。

凄いですね~。

ということが「中国だから」と思っていたら、2040年には世界中で当たり前になってしまっているわけですよね。

また、そういった情報だけでなく生活も変わるわけです。

例えば車が物を自動識別出来るレーザーなどの情報やりとりも爆発的に早くなるので、完璧な自動運転に変わるわけで、その人の生活習慣に合わせて自動的に自動運転タクシーが迎えに来たり、あるいは今はzoomは2次元ですが、AR,VRでホログラムで先生や上司が目の前に現われて学校の授業や会議が行われたり、まあ、ドラえもんの世界ですね。

ドラえもんの世界といえば、1つの細胞から分裂させて作る培養肉は実現しているそうです。世界中の氷で覆われた地表を抜かした1/4は牧草地帯で、家畜用になっているそうで、肉食が地球環境をどんどん破壊する現原因にもなっていて、それを解決する1つの手段です。

今は1つのハンバーガーの肉を作るのにこの人口培養肉だと3000万かかるそうですが、2040年にはコストダウンされて、肉は家畜を殺すのではなく培養肉で作るものになっているみたいです。

つまりドラえもんの「グルメテーブルかけ」というのも現実になるんでしょうね

レシピを入れたら自動的に切る、調理する、皿に盛る、という「自動クッキング器」も開発されているそうですし、AIは人間の知能をあと数年で超えるそうです。

そういえば、この前の日経に載っていた話で「AIは生命と認めるか?」という記事が凄かったです。

現在でさえ、皮膚移植など一部、人工物が人間の体の一部になっているわけですが、これがもう近い将来、骨や神経、脳みそといったところも作れるようになって「部品」のように交換する時代が来るようです。

そうすると、例えば体が機械で脳みそだけが生身でも「それは人間」と認めるなら、「考える事が出来る」ことが人間の定義になってしまう。

するとAIも人間じゃ無いか、となるわけです。

そこに反対する学者もいれば「AIだって人間になるなら、どちらが将来地上の覇者になる、つまりAIが人間を滅ぼす事になっても、それは同じ人類の中での進化の過程の1つと見ればいいじゃないか」という学者もいるのです。

凄いですね~

あらゆる情報がデータとして繋がり、蓄積され、分析され、活用されることで、今まで以上に企業にコントロールされる人生が増えていくと思いますし、AIなど「知能生命体」がどう定義されるか、といった議論が出てくるわけです。

おかしな若者が、体の半分をロボットにする事もありうるわけです。人間って何なんだろ?って思う時代が来るわけです。

そう考えると、その逆張りというか、倫理・生命観・宗教といったものも大事になってくるんでしょう。

そういえば、さっき、ドラえもんの事を書きましたが、火の鳥を始め手塚治虫さんは、そういったことをもう何十年も前に描いていたわけで、見直される時代になってくるんじゃないですかね~。

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