(日)の夜に超久々に高熱を出し、もがき苦しみながら朝を迎え、ふらふらになりながら医者にいって薬をもらって飲んだら、ピタっと頭が割れるような痛さが止まりました。
薬の力は凄い~。
そして(水)に少し午後仕事で出かけたけど、昨日まで簡単なPC仕事だけ。
それでも未だ、風邪が抜けきりません
医者からもらった薬を飲み続けてこれだから、多分、飲んでいなかったら2~3日は動けないほどだったかも
思えば、5月頭の熱射病らしきもので、ぶっ倒れ、人生初の3日間寝たきりということを味わったのをきっかけに、今年は体調を見ながら何とか夏を乗り切ってきました。
そして今回の風邪で、やっぱり体力が劇的に低下したな~、ということを自覚せざるを得ません
ということで、何だか仕事も気合が入らず、今の時期はダニが死んでお掃除にぴったりの時期ということで、お部屋に数ヶ月ぶりに掃除機を入れたり、カーテンも全部洗ったり、布団カバーも全部洗ったり、ベットカバーも干したり、蛍光灯も掃除したりと、お部屋の大掃除をしました
そんなこんなで、溜まったビデオ(カンブリア宮殿、スーパープレゼンテーション、プロフェッショナルの3本)を見たりと、ボチボチしながら仕事をして過ごしたのですが、ふと、昔から自分でも体が丈夫ではない方と思っていたことを思い出しました。
昔から、何だか1年を通して、すぐに風邪っぽい状態に体がなっていて、若いときも徹夜をすると翌日は使い物にならない、という感じでした。
だから、2日連続で徹夜なんて、全然出来ませんでした。
マラソンが走れない、といったことではなくて、運動は中の上ぐらい出来た気がありますが、運動ではなく、状態として何だか夏や冬に1度は風邪を引いていたな~。
そして風邪とまでいかないにしても、何だか体調が微妙な状態、というのが良くあった気がします。
それでも中高大と体力をつけてきましたが、睡眠は結構とっていた方だったので、最初の会社で「平均睡眠時間5時間」というのを聞いて「そんなの大丈夫かいな」と心配したものです
1年目は終電で帰って、駅から家までの道は寝ながら歩いて、信号のところだけ目が覚める、というのもありました。
時には寝ながら歩いて壁に激突したり
でも2年目、3年目ぐらいからは慣れました。
思えば、交換神経が動いて、気も張って、大丈夫になったのでしょうね。
ストレスの研究では、プレッシャーなどをストレスと感じる人は早死にするけど、それを前向きなエネルギーと捉えることが出来る人は、むしろ長生きという話です。
当時は、ストレスに対して耐性が出来て、むしろ健康だったのでしょう。
実際、営業などで駅やお客さんのところまで1~2kmぐらいは歩いていたわけで、かなりの運動を日々していたんですね。
田舎に浸かるようになった半年は、それこそ毎日畑でしたから体力はかなりありましたが、やはり会社勤めが始まると、ドアツードアは車で、歩く量が減り、結果的に体力が落ちてしまったのでしょう。
それでも、その辺の人に比べれば田畑仕事で体力があると自負して、昨年までは、朝5時から夕方まで畑仕事、なんてのもドッと疲れるけど、逆にすがすがしい感じでした。
しかし、齢40ともなると、やる時だけ一気に働き、他の日はデスクワーク、とかだと体がもたないのでしょう
意図的に体力増強を図らないとだめなのでしょうね。
で、何となく思ったのが40までこんな感じで来ましたが、60歳とか今後のことを考えると、今の段階で「もう、体力が無くなってきた年なんだよ」ということを今年気づけてよかったです。
多分、これからのことを考えると、無理してエイっと頑張るのではなく、きちんとコツコツ体力をつけて、やり続けられる状態に体をもっていかないとね、というメッセージを受け取った感じです。
私は戦国武将の伊達正宗の言葉で「この言葉は現世の借り物」というのが好きで、「今の体は親から現世で生きるために頂いたもの。借り物」という考えを持っていまして、怪我をしたり調子が悪くても、伊達政宗を真似て「この体もそりゃ~40年使っていると、どこか痛くなるよな」とか、「頑張ってくれて有難う」みたいな言葉を自分の体に声かけしたりすることもあります。
そして、もう少し、セカンドスクールのような人間教育的なことを今後やっていきたいという思っているので、そのために、今までは「使いっぱなし」だったけど、そろそろ「メンテナンス」というか、きちんと体のことを考えてあげていかないとな~と思うのでした。
そんなことを、ぼけ~と部屋掃除したりテレビみたりしながら思った1日でした
薬の力は凄い~。
そして(水)に少し午後仕事で出かけたけど、昨日まで簡単なPC仕事だけ。
それでも未だ、風邪が抜けきりません
医者からもらった薬を飲み続けてこれだから、多分、飲んでいなかったら2~3日は動けないほどだったかも
思えば、5月頭の熱射病らしきもので、ぶっ倒れ、人生初の3日間寝たきりということを味わったのをきっかけに、今年は体調を見ながら何とか夏を乗り切ってきました。
そして今回の風邪で、やっぱり体力が劇的に低下したな~、ということを自覚せざるを得ません
ということで、何だか仕事も気合が入らず、今の時期はダニが死んでお掃除にぴったりの時期ということで、お部屋に数ヶ月ぶりに掃除機を入れたり、カーテンも全部洗ったり、布団カバーも全部洗ったり、ベットカバーも干したり、蛍光灯も掃除したりと、お部屋の大掃除をしました
そんなこんなで、溜まったビデオ(カンブリア宮殿、スーパープレゼンテーション、プロフェッショナルの3本)を見たりと、ボチボチしながら仕事をして過ごしたのですが、ふと、昔から自分でも体が丈夫ではない方と思っていたことを思い出しました。
昔から、何だか1年を通して、すぐに風邪っぽい状態に体がなっていて、若いときも徹夜をすると翌日は使い物にならない、という感じでした。
だから、2日連続で徹夜なんて、全然出来ませんでした。
マラソンが走れない、といったことではなくて、運動は中の上ぐらい出来た気がありますが、運動ではなく、状態として何だか夏や冬に1度は風邪を引いていたな~。
そして風邪とまでいかないにしても、何だか体調が微妙な状態、というのが良くあった気がします。
それでも中高大と体力をつけてきましたが、睡眠は結構とっていた方だったので、最初の会社で「平均睡眠時間5時間」というのを聞いて「そんなの大丈夫かいな」と心配したものです
1年目は終電で帰って、駅から家までの道は寝ながら歩いて、信号のところだけ目が覚める、というのもありました。
時には寝ながら歩いて壁に激突したり
でも2年目、3年目ぐらいからは慣れました。
思えば、交換神経が動いて、気も張って、大丈夫になったのでしょうね。
ストレスの研究では、プレッシャーなどをストレスと感じる人は早死にするけど、それを前向きなエネルギーと捉えることが出来る人は、むしろ長生きという話です。
当時は、ストレスに対して耐性が出来て、むしろ健康だったのでしょう。
実際、営業などで駅やお客さんのところまで1~2kmぐらいは歩いていたわけで、かなりの運動を日々していたんですね。
田舎に浸かるようになった半年は、それこそ毎日畑でしたから体力はかなりありましたが、やはり会社勤めが始まると、ドアツードアは車で、歩く量が減り、結果的に体力が落ちてしまったのでしょう。
それでも、その辺の人に比べれば田畑仕事で体力があると自負して、昨年までは、朝5時から夕方まで畑仕事、なんてのもドッと疲れるけど、逆にすがすがしい感じでした。
しかし、齢40ともなると、やる時だけ一気に働き、他の日はデスクワーク、とかだと体がもたないのでしょう
意図的に体力増強を図らないとだめなのでしょうね。
で、何となく思ったのが40までこんな感じで来ましたが、60歳とか今後のことを考えると、今の段階で「もう、体力が無くなってきた年なんだよ」ということを今年気づけてよかったです。
多分、これからのことを考えると、無理してエイっと頑張るのではなく、きちんとコツコツ体力をつけて、やり続けられる状態に体をもっていかないとね、というメッセージを受け取った感じです。
私は戦国武将の伊達正宗の言葉で「この言葉は現世の借り物」というのが好きで、「今の体は親から現世で生きるために頂いたもの。借り物」という考えを持っていまして、怪我をしたり調子が悪くても、伊達政宗を真似て「この体もそりゃ~40年使っていると、どこか痛くなるよな」とか、「頑張ってくれて有難う」みたいな言葉を自分の体に声かけしたりすることもあります。
そして、もう少し、セカンドスクールのような人間教育的なことを今後やっていきたいという思っているので、そのために、今までは「使いっぱなし」だったけど、そろそろ「メンテナンス」というか、きちんと体のことを考えてあげていかないとな~と思うのでした。
そんなことを、ぼけ~と部屋掃除したりテレビみたりしながら思った1日でした