半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

ボチボチ

2014年10月30日 | 自分の時間
(日)の夜に超久々に高熱を出し、もがき苦しみながら朝を迎え、ふらふらになりながら医者にいって薬をもらって飲んだら、ピタっと頭が割れるような痛さが止まりました。

薬の力は凄い~。

そして(水)に少し午後仕事で出かけたけど、昨日まで簡単なPC仕事だけ。


それでも未だ、風邪が抜けきりません

医者からもらった薬を飲み続けてこれだから、多分、飲んでいなかったら2~3日は動けないほどだったかも


思えば、5月頭の熱射病らしきもので、ぶっ倒れ、人生初の3日間寝たきりということを味わったのをきっかけに、今年は体調を見ながら何とか夏を乗り切ってきました。

そして今回の風邪で、やっぱり体力が劇的に低下したな~、ということを自覚せざるを得ません


ということで、何だか仕事も気合が入らず、今の時期はダニが死んでお掃除にぴったりの時期ということで、お部屋に数ヶ月ぶりに掃除機を入れたり、カーテンも全部洗ったり、布団カバーも全部洗ったり、ベットカバーも干したり、蛍光灯も掃除したりと、お部屋の大掃除をしました


そんなこんなで、溜まったビデオ(カンブリア宮殿、スーパープレゼンテーション、プロフェッショナルの3本)を見たりと、ボチボチしながら仕事をして過ごしたのですが、ふと、昔から自分でも体が丈夫ではない方と思っていたことを思い出しました。


昔から、何だか1年を通して、すぐに風邪っぽい状態に体がなっていて、若いときも徹夜をすると翌日は使い物にならない、という感じでした。

だから、2日連続で徹夜なんて、全然出来ませんでした。

マラソンが走れない、といったことではなくて、運動は中の上ぐらい出来た気がありますが、運動ではなく、状態として何だか夏や冬に1度は風邪を引いていたな~。

そして風邪とまでいかないにしても、何だか体調が微妙な状態、というのが良くあった気がします。


それでも中高大と体力をつけてきましたが、睡眠は結構とっていた方だったので、最初の会社で「平均睡眠時間5時間」というのを聞いて「そんなの大丈夫かいな」と心配したものです

1年目は終電で帰って、駅から家までの道は寝ながら歩いて、信号のところだけ目が覚める、というのもありました。
時には寝ながら歩いて壁に激突したり

でも2年目、3年目ぐらいからは慣れました。


思えば、交換神経が動いて、気も張って、大丈夫になったのでしょうね。


ストレスの研究では、プレッシャーなどをストレスと感じる人は早死にするけど、それを前向きなエネルギーと捉えることが出来る人は、むしろ長生きという話です。

当時は、ストレスに対して耐性が出来て、むしろ健康だったのでしょう。

実際、営業などで駅やお客さんのところまで1~2kmぐらいは歩いていたわけで、かなりの運動を日々していたんですね。


田舎に浸かるようになった半年は、それこそ毎日畑でしたから体力はかなりありましたが、やはり会社勤めが始まると、ドアツードアは車で、歩く量が減り、結果的に体力が落ちてしまったのでしょう。

それでも、その辺の人に比べれば田畑仕事で体力があると自負して、昨年までは、朝5時から夕方まで畑仕事、なんてのもドッと疲れるけど、逆にすがすがしい感じでした。

しかし、齢40ともなると、やる時だけ一気に働き、他の日はデスクワーク、とかだと体がもたないのでしょう

意図的に体力増強を図らないとだめなのでしょうね。


で、何となく思ったのが40までこんな感じで来ましたが、60歳とか今後のことを考えると、今の段階で「もう、体力が無くなってきた年なんだよ」ということを今年気づけてよかったです。

多分、これからのことを考えると、無理してエイっと頑張るのではなく、きちんとコツコツ体力をつけて、やり続けられる状態に体をもっていかないとね、というメッセージを受け取った感じです。


私は戦国武将の伊達正宗の言葉で「この言葉は現世の借り物」というのが好きで、「今の体は親から現世で生きるために頂いたもの。借り物」という考えを持っていまして、怪我をしたり調子が悪くても、伊達政宗を真似て「この体もそりゃ~40年使っていると、どこか痛くなるよな」とか、「頑張ってくれて有難う」みたいな言葉を自分の体に声かけしたりすることもあります。

そして、もう少し、セカンドスクールのような人間教育的なことを今後やっていきたいという思っているので、そのために、今までは「使いっぱなし」だったけど、そろそろ「メンテナンス」というか、きちんと体のことを考えてあげていかないとな~と思うのでした。

そんなことを、ぼけ~と部屋掃除したりテレビみたりしながら思った1日でした
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本:灘校・伝説の国語授業

2014年10月30日 | 素敵な本

橋本武さんという灘校に在籍していた伝説の先生がいます。

「銀の匙」という薄い小説を3年間かけて、じっくりと読んでいくことで、学ぶことへ興味を深めていくこと、また子ども達の中に残る授業をしようとした先生です。

通称エチ先生。

そのエチ先生の書かれた本をたまたま見つけて、昨年読みました。

その時のブログは→こちら


さて、今回、またそのエチ先生の本を見つけました。

今回の本は今風に「スローリーディング」と謳ってはいますが、エチ先生の授業内容そのものがわかるようにした本。
つまり、「銀の匙を使った授業ってどんな授業だったのだろう?」と興味を持っている人には、その内容が疑似体験出来るような本です。


エチ先生が、そもそも「銀の匙」を3年間かけて読み込んでいく授業をしようと決めた背景には、ちょうど昭和20年に、灘校が中高一貫して6年間持ち上がりで教科担当者が指導することになったというきっかけがあったそうです。


その時、「自分が中学生だったとき国語の授業で何を教わったのだろうか?」という自問があり、「この自問に対して何も答えられないことに、愕然とした」そうです。


そして「生半可なことでは、生徒の心に何も残すことができない。何かひとつでもいいから、子どもたちの心に障害残るようのあ授業をしたい、この想いの末にたどりついた方法」と書いてあります。


この本を読んで思ったのが、「あ~、やっぱり方法論じゃなくて、その先生が持っているものそのものなんだよね」ということでした。


ある程度の一流企業であれば、社員教育にお金や時間を投資します。

国も、今のがんじがらめになってしまっている先生達に、もう少し時間的余裕をもって頂けるようの環境を整えて、「何のために学びを深めるのか?」「どんな学びをしてもらいたいのか?」といったことをご自身で考え、深め、学ぶということを定期的に出来るシステムを作って欲しいものです。

先生達が、自分達が思うこと、自分達の伝えたいこと、教えたいこと、を振り返り、学ぶシステムが、ある程度の企業レベルの教育システムレベルまで高まれば、今の義務教育がもっと価値があるものになるのにな~、と思いました。


以下、自分の勉強のために、書いてある内容の一部を抜粋します。


■干支について


十干十二支(じっかんじゅうにし)

まずは十干(じっかん)。

十干はもともと、甲、乙、丙、丁…と、日を順に10日のまとまりで数えるための呼び名(符号)でした。10日ごとに、「一旬(いちじゅん)」と呼び、3つの旬(上旬、中旬、下旬)で一ヶ月になるため、広く使われていたそうです。

また五行という古い中国の哲学で、木、火、土、金、水の5つから万物は成り立っているという考えがありました。

その五行にに陰陽思想(物事には陰と陽があるという考え)を組み合わせて「陰陽五行」という思想があわさったものがありますが、これを日本では陰と陽ではなく兄(え)と弟(と)に見立て「兄弟(えと)と呼ぶようになりました。


甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
コウオツヘイテイボキコウシンジンキ

これを訓読みすると
きのえ きのと ひのえ ひのと つちのえ つちのと かのえ かのと みずのえ みずのと

木や火や土に冠する言葉がそれぞれ2つあって、語尾が「え」と「と」に統一されていることがわかります。


・・・ということが書いてあって、「ほ~、たしかに、きのえ、とか、きのと、とかは五行の木なのね」と初めて知りました


次に十二支。
十二支は動物と言葉は関係なく、十二支が12ヶ月を順を表す言葉でしたが、それらに転用されたので、覚えやすいようにと身近な動物を割り振ったに過ぎないそうです。


これで、十干が幹で十二支は枝で、干支は全部で60通り。

1番目の 甲子(こう し・きのえ ね)だとか、土用の丑の日だとか酉の市など色々あるわけでうが、甲子は「えとがしら」といって、とりわけめでたい年と言われていて、大正13年に完成した甲子園は甲子の年にできたので名前の由来になったとか。

また、1868年の戊辰戦争も戊辰(ぼ しん・つちのえ たつ)の年に起こった出来事なので、こう呼ばれているそうです。

・・・というのを読んで、なんで「戊辰」という名前がついているのか、当時は習ったのかは知りませんが、全く頭に残っていなかったので、この年で「お~、なるほど」とようやく合点がいきました


また、数え歳の61歳を「還暦」というのは、生まれた年の干支に戻ったからで、赤い色の頭巾やちゃんちゃんこを着るのは、1周回って赤ん坊に戻ったことを意味しているそうです。


■漢字の読み

「行列」「旅行」「行灯」は「ぎょうれつ」「りょこう」「あんどん」と、同じ「行」でも読み方が違うのは何故?というのが書いてありました。

漢字が伝来してきた当時、日本には文字がありませんでした。

「さくら」と呼んでいたとき、「桜(おう)」という音という文字が伝来してきたので、この「桜(おう)」を「さくら」と呼ぼう、となって訓読みが生まれた。

しかし、音読みには3つの読み方があります。それは漢字が入ってきた時代の差だそうです。


呉音(ごおん) :日本に最も古く伝えられた言葉で、中国南方の呉地方の音。
漢音(かんおん):遣隋使、遣唐使の派遣により、都であった長安を中心とした北方の音。
唐音(とうおん):鎌倉時代以降、禅宗の渡来とともに新しく伝えられたもの。宋・元以後の音の総称でもある。

最も使われているのが漢音で、呉音は仏教の経典を音読みするときに用いられ、唐音は仏教の中でも特に禅宗で用いられることが多いという特徴があるそうです。

おおざっぱな特徴は上記の通りだそうですが、例えば1~10はこの通り。

漢音ーイツ ジ サン シ ゴ リク シツ ハツ キウ(キュウ) シフ(シュウ)
呉音ーイチ ニ サン シ ゴ ロク シツ ハチ ク ジフ(ジュウ)

呉音の方が一般的。


また呉音と漢音が同じものがあれば、使い分けているものもあるそうで

最初が漢音、次が呉音
口ー人工(ジンコウ)・口伝(クデン)
供ー供給(キョウキュウ)・供養(クヨウ)
物ー物理(ブツリ)・供物(クモツ)
主ー主人(シュジン)・坊主(ボウズ)


呉音、漢音、唐音の違いはなかなか見分けることができず、3つにも当てはまらない慣用音などもあるそうです。



その他、同じ「すし」でも「鮓・鮨・寿司」の違いは何か?とか。

今でいう大人向けの「オープンキャンパス」で、大学が成人社会人向け講座をやっていますが、ああいった内容として十分通じる骨太の内容でした。

学ぶ内容は妥協せず、その分、教え方も妥協しない先生。

明治45年生まれ、去年101歳で逝去されたそうです。


多くのリーダーを生み出した先生で、こういった先生の後を継ぐ先生が、これからもたくさん出てくることを願います。
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イベントを乗り越え・・・

2014年10月29日 | 農的体験・生活
(土)(日)は根本さんのところで「田んぼと畑の耕育教室」でした。

今月は「収穫祭」ということで、盛りだくさん

ほとんど流通していない「丹波黒大豆の枝豆」と、ねっとり美味しいサツマイモの「紅はるか」を収穫

そして餅つきペッタン

餅は、これまた晩生であるため味は美味しいのですが、台風の被害に合い易いためになかなか作る人がいなくなってしまった「マンゲツモチ」という品種の餅米をつかっています。

しかも、無農薬天日干し

みんな楽しんでくれました

しかし、、、。

実はその数日前、子供が夜から熱が出てしまい、治ってはまた熱が出て、というのを繰り返していました。

それがうつったのか、「ちょっとやばそうだな?」という感じだったのですが、無事イベントを乗り切った日曜日の夜、ついに私が発熱


超久しぶりに、うなるような高熱と、その後の頭が割れるような痛みでどうにもこうにもならず、結局2日間寝込んでしまったのです

まあ、この時期に風邪をひくのは、夏の疲れなどで体に溜まったものをいったんリセットするためで、自然の摂理にあっているのですが、それにしても頭が本当に痛く、2日間、ほぼご飯も食べず、何とか生き延びたという感じです。

まだ体がゾワゾワしている感じ。

むむ~、今年は体の大切さを感じる年ですな~

そんなこんなで、気づくとあっという間に10月も終わりですね。

これからインフルエンザも流行りますから、注意して参りましょう~
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風邪の季節ですね

2014年10月24日 | 素敵な家族・子供との時間
ここ数日、寒かったですね~。

成田はどしゃ降り

農家さんも「これじゃあ、仕事なんねぇな~」と言っていました。

(水)(木)と雨が続いていましたが、ようやく今日は晴れました


実はここ数日の寒さもあってか、水曜日に子ども達、2人とも風邪を引きまして、38℃~39℃の熱

昨日は二人とも家でゆっくりとお休み。

まあ、この時期に熱を出して、夏の疲れや溜まったものを出して、秋から寒い冬に向けて体調をいったんリセットしているんでしょうね


これからインフルエンザも流行る季節。

私も含め、出すもの出して、元気に冬に向かっていきましょう~
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食と命の教室、糀作りに味噌作り

2014年10月19日 | 農的体験・生活
毎月開催している「食と命の教室」。

残すところあと2回ですが、今月は「味噌作り」がメインです。
普通、味噌といえば寒仕込みといって1月~2月ぐらいが時期なのですが、高柳さんはこの時期にやるそうです。

というのも、10月17日は神嘗祭といって、神様に五穀豊穣の感謝を表す儀式があって、必ずこの日に農村では甘酒を神様に奉納してきたんですね。
なので、高柳家でも10月頭には糀を作るのが通例となっていて、ついでに味噌を作るそうです。

それ以外にも、今月の食と命の教室は、とっても充実していました


まずは6月に六本木で開催された「米展」で使われたDVDをみんなで見ました。

米展というのは、三宅一世さんなどを中心に「このままで日本の文化が廃れてしまう。何とかしないと」ということで開催されているイベントで、今年は「米」にテーマを当て、高柳さんや寺田本家さんなど全国の米にまつわる人達が取材され、映像化されて流されていたのです。

そのDVDが届いた、ということでみんなで見ました。

そしたら、きれいな映像、BGMの中で、しびれるようなお話がたくさん

冒頭一発目から高柳さんが出てきて

「私たちは今、歴史の途中を生きている。そして命を繋いできたのがお米。先祖から受け取った田畑を次の世代に渡すのに、もらった時よりもちょっとでもいい状態で渡したいと思うんだけど、なかなかそれが難しいんだ」

といったトークが、1フレーズ、1フレーズ区切られて、印象的な映像と共に流れてくるのです。

私も含め、何人もウルウルしていました

高柳さんだけでなく、能登のお米の神様の舞をしている方のお話や新潟で和紙を作っている方など、かつての日本人が「生きること」=「生活文化」というのを体現している、見事な暮らしぶりや行事が表されていました。

昔は、生きることの中に仕事があって、その中でも日本人は1つ1つに神様を見出し、神様や自然に感謝し、自然を支配しようとするのではなく、自然に沿って生きてきたという生活文化がアリアリと映し出されていました。

そして参加した全員が「このDVD買って、みんなに見せたい」というほどでした。

実際、来月、買えるそうなので、私も買いますよ


さて、DVDを見た後は、10月17日に高柳家で行った「神嘗祭」の真似事をみんなでやりました。

高柳家では、全部で7つの神様を祀っています。お正月も御餅を7箇所に供えています。
仏壇、神棚、大黒さま、えびす様には、ご飯を炊いた時にはまずお供えして、そのあとに自分達が頂くということを昔から続けています。

そんなお話を聞いたり生活習慣を聞くと日本人として襟を正さねば、という思いが沸きますね


さて、いったん部屋に戻り、先ほどお供えした甘酒を、私達も頂きます
これが高柳家の甘酒。
1口目は薄いかな?と思うのですが、2口、3口と飲んでいると甘みが口中に広がります。



甘酒を頂き、美味しいお昼ご飯を食べた後、いよいよ味噌作りです


味噌用の糀は既に作ってあり、塩と混ぜてあります。

ただ、次の仕込みのために糀を丁度作る所だったので、まずは糀作りから参加させてもらいました


糀は蒸したお米に糀菌をまぶして、温めて作ります。

まず、固めに蒸したお米をムシロの上に敷いた布の上に広げます。


これをみんなでほぐします。塊があると麹菌がきちんと混ざらなくてムラが出てしまうためです。


ちなみにご飯はこんな感じ。固めなのですが噛むと甘みがある炊き方ですね


次にご飯を一部取り出して、糀菌をまぶした種を作ります。


少し緑がかっているんですね~。


これをよ~く混ぜます。


そして出来上がった種を、残りのご飯に満遍なく振り掛けていきます。


あとはよ~く混ぜます。



混ぜ終わったら、下に敷いている布で包むように丸めて


その下のムシロを折りたたむようにして包みます。


更に包みます。


更に重ねます。


更に重ねて保温完了です。
これで3日間寝かしたら糀の完成です


なお、翌日顔を出したら、お母さんが糀のお世話をする場面に立ち会うことが出来ました。
1日経っただけで、もう完全に糀になっていてびっくり
それを丁寧に手で崩してパラパラにし、整えていましたよ。


さて、それでは味噌作りの開始です

味噌作りはいたってシンプルです。

煮た大豆と糀と塩を混ぜて、つぶして1年保管すれば出来上がり、というもの。

ただ「手前味噌」という名前があるとおり、同じ材料で作っても、保管場所が違うと味や風味や色合いが全く変わるから不思議です。

また、作り方も人それぞれなので、色々なやり方があるんですよ。


ちなみに大豆を煮ているのは、無着成恭さんのお孫さん。
数ヶ月前に修行から戻って、最近はほぼ毎日高柳さんのところにきているそうです。


お豆はいい感じで煮あがっています。高柳家の小糸在来を使っています。
食べると美味しい~



こちらが「枯らした」糀。
糀に塩をまぶして保管しておくと、発酵がとまり、塩がなじんできます。これを「枯らす」というそうです。
緑がかっていて、匂いも独特です。


これと煮あがって水切りして少し冷ました大豆を混ぜます。


ここでびっくりしたのは、普通は、大きな容器で混ぜ合わせてからミンチをするのですが、高柳さんは、なんとミンチの中に、直接大豆と糀を入れて、混ぜ合わせながらミンチするのです



さすがに、これにはびっくりしました。色々なやり方があるんですね~。

で、出てきたのをお母さんが空気が入らないようペタペタしながら樽に入れていきます。



そしてみなさん持参のタッパーに寄せ分けます。
来年、みんなで持ち寄れば、今日同じ材料を詰めたのに、それぞれ違った味になるんですよ



さて、味噌作りが終わった後は、小糸在来の枝豆を収穫して、すぐに塩茹で。
むっちゃくちゃ美味しかった



その後、お酒が登場しながら、お話の時間。

DVDや私が高柳さんに「高柳さんが子供の頃の暮らし」について語って欲しい、というオファーをしていたので、それを受けて色々お話を頂きました。


議事録から抜粋するとこんな感じ。

・私達の時代は、家族が協力して暮らしていました。生活と仕事が一緒で、親が忙しければ子供は「風呂を焚け」「牛のエサをやれ」といったことを言われるのですが、そういう時代を生きてきました。家族が協力するのが当たり前。当時は面倒臭かったですが、今になって良かったな~と思います。子供が大人になるには良かったな~と。例えば、田植えがあると大人を子供が手伝うわけです。苗を投げたり、あるいは大人が5列のところ3列植える。やっていくうちに差が出るから、半人前という意味が分かったわけです。大人が1反出来るのを半分しか出来ない。それが出来るようになってくると認められるようになる。そういうのがわかった。今はそういうことがわからないでしょ?


・村も縁があった。村の共同体が生きていた。例えば田んぼは、水を入れる時にみんなで入れないと入れっぱくれちゃう。だから遅いと早いところが遅いところを手伝いにくるんです。遅い方は手伝われると申し訳ないから、早くやろうとする。そうやってみんなで終わらせようとするのがあった。病人が出たら助け合うというのがあったんです。

・おあばさんに「何が働いて大変だったか?」と尋ねたことがあるんです。そうしたら「とにかく、我が家は家族が多かったので、4世代10人以上いたので、1年間安心出来るお米は30表必要だったそうで、30表あれば家族がどうにでもなる、そのために頑張ったんだよ」と言っていました。お金じゃなかったんですよね。


・自然が人間を生かしてくれる。田んぼは誰か人のものじゃないんだよ。誰か先祖が作ったんだ。誰かが開墾してくれたからということを忘れちゃいけないよ。わたしたちの歴史は途中で、そういうのを受け取って、誰かに渡していく。そのことを自覚して生きるというのはまた違うよ。ただ知っているというのとわかるというのは違う。

・もう1つお話しておきたいのは、子供の頃は遊ぶ場所は自然だったんです。泳ぎ、今は水泳と言いますが、私達の頃は泳ぎといったな。その泳ぎを覚えたのは皮。先輩に突き落とされて覚える。怖いですよ。でも怖くても先輩が先に待っていてくれる。頑固だけどしっかりフォローしてくれたんです。
食べ物も自分で確保したな~。食い物の無い時代ですから。
春は野いちご、わらび、夏は魚をザルやバケツを持っていって捕まえたな~。ザリガニ、ドジョウ、フナ、川カニ、うなぎを捕って、グツグツ煮て食べていた。それが面白かったな~。カエルも食ったよ(笑)切って、煮て、醤油で煮て食べた(笑)
秋はアケビ採り、山栗。柿は村に一杯あったから、遊びだから「あの家の柿を採ろう!」と。だから、あの家の柿は渋いぞ、あそこの家のは甘いぞ、というのがわかっていた。怒られると「さあ、逃げろ!」って(笑)
何が食べられて、何が食べられないかわかっていた。


人は厳しさ、大変とかは言葉じゃわからないでしょ?体験して初めて、厳しかった、つらかった、あったかかった、というのがわかるものですよね。そういったのを自然から学んだな~。


・・・などなど、色々なお話を伺いました。


今もまだ日本には、先祖から受け継いできたものを自分は途中で預かっているだけで、次にそのまま、あるいは少しでも良くして渡そうと考えている人がいること。自分のものは何も無いということを自覚して生きている人がいるんだな~、と改めて高柳さんとのご縁に心から感謝しました

日本の生活文化、日本人生き方って、本当に素晴らしいな~。


今回は、しょっぱなのDVDでみんなのスイッチが入ってしまったのと、後半のお酒でエンドレスになりそうだったので、私は送迎が必要な人を駅まで送るために退席。

最後までいたひとは22時ぐらいまで飲み語り合い、1人はお泊りしたそうです

でも、それだけ見ず知らずだった大人が集まって、人生や生き方を熱く語り合える場って、なかなかないですよね。

食と命の教室、やっていてよかったな~と思いました
これも高柳さんのおかげです。有難うございます。感謝感謝

次回は最終回で、前年度大人気だった「稲ワラ納豆作り」です。

既に結構申込が入っていますが、もし関心がある人は、是非ご参加下さい
食と命の教室は→ホームページから


その後、根本さんのところにお米を取りにいきました。
すると、山登り用(?)のライトを頭につけていました。恐らく、真っ暗になっても、そば刈りとかやっていたのでしょうね
お疲れ様です。


乾燥箱いっぱいのそばです。これが美味しいそばになります


今度の(土)(日)は根本さんとの「田んぼと畑の耕育教室」です。

餅をついて食べ、天日干し米の釜炊きご飯を食べ、サツマイモや丹波黒大豆の枝豆を収穫するなど、むっちゃくちゃ盛り沢山の「収穫祭」です

今度の週末も、みんなが楽しめるようがんばるぞ~





といったお話を聞かせてくれました。
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町たんけん

2014年10月17日 | 素敵な空間・イベント
今日は小学校の「町たんけん」の引率をしてきました

町たんけんとは、子ども達が学区内の色々なお店や公共機関を尋ね、色々な質問をしながら、社会のことや挨拶やマナーなど色々なことを学んできて、帰ってきたら「生活の時間」で色々なシェアをするというもの。

ただ、1つのところの多いところは10人以上の生徒がいますし、先生も手分けしても全部に目が行き届かないので、保護者の引率をボランティアで求めている、というわけです。

で、行って見ると、お母さんばっかり

親子レクではお父さんがいっぱいいましたが、こうやった有志のはやっぱりお母さん達ですよね~。


でも、いざやってみると、小学校2年生はみ~んな可愛くてたまらなかった

いたずらし合いながら歩く子、まっすぐきちんと歩く子、色々いますが、どれも無邪気で、教室に座っているときよりも自由だから、楽しそう~

途中、ドングリを拾ったり、栗のイガを拾ったりと、どこの子も一緒だな~


お邪魔したところでも、みんな色々な反応をしていて、すくすく育っている感じで微笑ましい

その中で、1人、寡黙な子がいたのですが、いざ、質問の時になると、他の子は用意してきた質問をぶつけるだけなのですが、その子は「興味・好奇心」から質問をしているんですよね。

いや~、いろんな子がいるな~、子供はパッと見だとわからず、やはり色々な場面でその子の特徴が出るんだな~、と思いました


そして特に事故も無く、あっという間の2時間が過ぎて修了。

こういった場って、親にとっても嬉しいし、機会を作ってくださった学校に感謝です

先生達も、決められた時間の中で精一杯、色々な体験をさせたいと思って準備をして下さっているのですね

今後とも、外に出たり、色々な体験を積みながら、先生に見守られながら、子ども達にはスクスク成長していってもらいたいですね~
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子供について思うこと

2014年10月16日 | 自分の時間
私が親バカだから思うことか、みんな思っていることかわかりませんが、ふと畑仕事をしている時に思ったことがあります。

それは、「うちの子供は、とっても優しいから、大人になっても人に恵まれて生きていけるだろうな~。それで人生、十分幸せに生きていけるだろうな~」ということ。


自分の子供が何もかも万能であれば、運動ができなかったり、勉強ができなかったり、躾がされていなかったり、ハキハキしていなかったりしている子を見て「あの子は、ああだよな~。まったく」といったマイナスの評価をする目がついていたでしょう。

しかし、自分の2人の子供を見ても、絵や文字が無茶苦茶上手いけど運動はそんなに得意じゃなかったりするお兄ちゃんがいる一方で、運動がむちゃくちゃ得意な弟もいるわけです。

どちらも生まれつき持っている才能であって、もう赤ちゃんの時から今までず~っと同じなんです。


たった2人だけの子供ですが「あ~、子供にはそれぞれ天から与えられた才能がある、それぞれの天才なんだな~」と思うわけです。

坂本竜馬しかり、アインシュタインだって小さい頃は一般的にはダメな子と見られていたわけです。


そうすると、世の中で評価される項目なんて、人生でほとんど関係ない。


そんなことより、人に愛されて、社会のお役に立てて、立派に生きていける大人になってほしい、というただそれだけが親の願いであって、そう思うと、わが子の優しさは、色々な人に温かい気持ちを与えることになるだろうし、それだけで十分、この世を生きていける力だよな~と思ったのです。


経済一辺倒、お金は必要というのは、たばこと同じで中毒症状です。

老後は1ヶ月26万は平均で必要で、そうすると年間300万は必要で、老後20年間で2000万必要、とかいったキャッチフレーズは全部、保険を売る人やそういった洗脳をしたい人が作った計算です。

マイホーム、保険、ローンといった類はほとんどそう。


でも、そういった経済社会から一歩離れて、最低限のお金で2~3年暮らしてみると「なるほど、お金は大切だけど、あればこした事が無いというもので、お金が無かったときでも食ってはいける人間関係以上の宝は無いよね」という当たり前のことに気づきます。

あるいは、親と暮らしてみて初めて、「親子3代一緒に暮らすこと以上の親孝行や幸せは無いよね」ということに気づきます。


実際、家があって、食うものがあれば、あとはお金はボチボチあれば生きていける。

年々、無理にお金を追い求めなくても、自然に沿って生きる若者が増えていて、そういったナチュラルスタイルの人達の中には、見事に魅力的に幸せに生きている人もいます。


特に私みたいに農家さんとつきあって生きていると、「人柄」とか「優しさ」とか「まじめに働ける」ということが最大の信用であって、長く太くつきあうことで、長く太く生きていけるという安心感がある人生が送れると思うわけです。


そんな思いでふと「あ~、うちの子の優しさは人を将来幸せにするな~。それで人生、十分じゃないか」と思ったわけです。


小さいうちに頭ばっかり鍛えられてしまったり、私が子供の頃以上の商業主義が蔓延している世の中ですが、そういったものから守ってあげながら、今後もすくすくと大きく育ってもらいたいものです
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古事記勉強会 2回目

2014年10月12日 | 素敵な空間・イベント
古事記勉強会の2回目に行って来ました。


前回の様子は→こちら


先生は小野善一郎さんという湯島天満宮の方。

古事記を少しでもかじっていないと、ストーリーが良く分からなくて大変ですが、ただ、初めての人でも大切なことは繰り返して下さるので、ビンビン伝わってきます。

前回も今回も、とにかく先生がまず言いたいことは「天地(あまつち)・・・ざっくり言えばこの世界のこと」があって、そこから最初の神「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」が生まれてきた、そして天地にある全てはその最初の神に含まれているということ。

木にも草にも風にも机にも、そして私にもあなたにも、全てが最初の神がいて、その上で、それぞれ木には木の神、草には草の神、風には風の神、机には机の神、小野さんには小野さんの神、あなたにはあなたの神が鎮座している。

みんな尊い神であり、昔の日本人はそうやって万物が1つに繋がっていて、万物に神が宿ると考えていた、ということ。

それは、最初の神から繋がっているとんでもない奇跡であり、1つ1つの神が本当に尊い神なんだ、ということです。


西洋のGODはこの世界を作った絶対神であり、創造神であるから、この世界、宇宙の外側にいる。

しかし、日本の神はそういった存在ではなく、天土があってそこから生まれた、生まれる元となるもの=物実(ものざね)があって、まず天土があってそこから生まれた神は別のものではなくこの天土、つまりこの世界全てに通じている、という考え方なんですね。


今回の講義でも、前回と同様、まずこのことを理解しないと古事記は読めないし、日本人の本当の(考え方の)素晴らしさはなかなか理解できない、ということをお話されていました。

私も2回目、ようやくおぼろげながらにわかってきた気がします。


私は毎朝、朝起きるとおてんとさまに「明けましておめでとうございます」とか「おはようございます。今日も有難うございます」といったことをつぶやき、寝るときにも「今日も1日有難うございました」といって寝る生活をしています。

それは今まで出会った長老などの生き方やお話や本などから、本来、ちょっと前の日本人はそうやって生きていた、という事実を知ったからであり、実際にそうやって暮らしている人は、エゴが無く、自分のことではなく、お堂や集落や家族や世界の平和を祈っているから、とても豊かで優しくて幸せに生きている、そういったことを知ったからなんですね。

だから、私もそういうことを形から入ってまねてきたのですが、おかげさまで、そういったことが習慣になり、日々、幸せに生きていけています。


そして古事記のお話でも、「かみ」という考え方から、木を切るときに「痛そう」「とても見ていられない」と感じるのは欧米ではなかなか無く、日本人の「木にもかみが宿っている」という考え方から来るのであって、みんなそうやって生きてきた、そういったことを今は教えず、忘れ去られてきてしまっている、ということを聞きました。

そういったことを踏まえて、日本人の「神道」の元を書き示す古事記を日本の多くの人がきちんと読むことで、日本人が本来の力を取り戻せるのではないか、という強い信念、人生をかけて、小野先生はこういった勉強会の講師をされているんですね。

そういった前提で、今回は少し読み勧めたのですが、なるほど、1つの前提、全ては最初の天地から生まれた神様から始まっていて、全ての神様でもありそれぞれの神でもあり、今存在するもの全てが最初の神様と繋がっている、といった前提でお話を聞くと、確かに合点がいくんです。

かつて、ムック本や漫画で古事記を最初ちらりと読んだことがあるだけの私にとっては「たくさんの神が出てきてわからん」「名前はまず覚えられない」「あらすじを大体つかもう」ぐらいでしかなかったのですが、少しずつ理解が今後も深まっていきそうです

また、今回はかの有名な西郷隆盛の「西郷隆盛 南洲翁遺訓」という、本も参考資料であって、また深い良いお話をじっくりと聞くことが出来ました

大人の勉強会で、基本的にはご年配の方が多いのですが、大人になったらこういった勉強をすべきだと思うし、もっと言えば、本来は学校でこういったことを教えることで、子ども達にとって「まともな人間になる」「世界で通用する日本人となる」といった勉強にもなると思いました。

次回はイベントと重なっていけないのが残念ですが、出来る限り行きたいと思います
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成田の花火大会

2014年10月11日 | 素敵な空間・イベント
今日は成田の花火大会。

仕事を終わらせ、夕方、いつものおむすびプレパークをやっているお友達のところへレッツゴー

って、私は実はここの花火自体にはあんまり乗り気ではないんです

というのも、贅沢な話なのですが、お友達のところは花火が発射される田んぼの川を挟んだ目の前。

間近であるのは良いのですが、最後のフィナーレの時には、もう狂ったように花火が打ち上げられるのですが、そこが「やりすぎでしょ~」と思うぐらい凄すぎるのです。

もう、うるさいというか、やりすぎでしょ、ってとにかく思うぐらい。


いや、普通のところで見ていると最高なんでしょうが、あまりにも近いので、圧倒されてしまうんですね。

花火が打ち上げられる発射口(?)が見えるぐらいの距離なので、近すぎるとまぶしかったり音が凄すぎるという贅沢な問題なのですが


多摩川の花火大会や江戸川花火大会など、あのぐらいの距離がやっぱりいいと思います


だから今日の私のメインは「お酒と肴」です

以前、NHKで太陽君がメインで出ている「走るキッチンカー」で成田が紹介されたとき、印旛沼で雑魚などを捕っている春吉さんという人が出てきたのですが、このあたりの人で、うちの奥さんはお友達になっています

今回も春吉さんが来ていて、川えびとか知り合いが捕った猪肉とか鮎とかが出てきました

また、ここのご主人のゴルゴさんが目の前の畑から取った枝豆が山盛り

うちの奥さん、おむすびのママさん達も一品持ち寄りで、まあ贅沢な酒の肴が揃いましたよ


花火は最初はパ~ン・・・パ~ン・・・と単発でしたが、途中から音楽に合わせて花火を打ち上げたり、お坊さんのお経と一緒にあわせて花火を打ち上げたりと、何だか主旨が良く分かりませんが、酔っ払いには何でもありなので「花火とのコラボ?よくわからないな~」と言いながら、ワイワイガヤガヤ

そしてフィナーレは毎年恒例のマシンガンのように1分ぐらい狂ったように花火を上げて空一面が花火と煙だらけ。

相変らずやり過ぎでしょ~

しかし、花火って終わった後にも耳に残るんですよね。子ども達も終わった後に「まだ花火の音がする」と言っていました。

花火もいいけど、やっぱり私はパパさん達と一緒に寺田さんの香取を飲みながら美味しい肴を食べる方が楽しかったな。

炭火で焼いた鮎や猪肉も美味かった

花火より団子、っですね
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秋の畑

2014年10月10日 | 農的体験・生活
秋の畑です。

ず~っとやってきた草取りですが、今回、小さな草を抜かすと大物はほぼ完璧に取りきりました

この時期に大物をやっつけさえすれば、あとは寒さのせいで小物ばかり。
草取りには、もうそれほど苦労しなくて済みます

種まきも終わり、ようやく一段落した~っという感じです。


台風の影響としては、ニンニクのマルチがはがされていたぐらいでしたので、修復せず、もう全部はがしてしまいました


今年植えたニラはちょびっと倒れていました。
今年は収穫しないで株を大きくしようと思っていましたが、痛みそうなので収穫しちゃいました



こちらは春菊。
順調に発芽していたので間引きしました。
ちょっと種まきが遅かったので、大きくなるかちょっと心配です


こちらは大根。本場が出てきて何とかなっていますが、台風でちょびっとドロドロ


こちらは二度目の種まきの時の大根。時期がちょっと遅かったのでギリギリっていう感じですね


これはカブだったか小松菜だったか忘れました。これもちょっと遅いかな~


今年は昨年より種まきの時期が10日ほど遅かったので、ちょびっときつい感じです。
私の畑は肥料が少ないので成育が遅いのと、今の時期は種まきが1日遅れると収穫が1週間遅れる時期なので、10日の遅れというのはかなり大きな差になるんです。


ちなみに今、畑にあるのは落花生とサツマイモぐらいです。

サツマイモは、今年は草取りを諦めたので9月頭になってから草むらか救出しました。
なので夏の間、光合成が出来ず、9月になってからようやく葉っぱが光合成を出来るようになったという感じです

今年最初の収穫をしてみましたら、トウモロコシと混植したので肌や形は良いのですが、やっぱり小さいですね
そしてもうヒゲ根が出てきちゃっています。


サツマイモは畑に来るたび、ちょこちょこと収穫したいと思います。

そして10月下旬~11月頭に空豆とスナップエンドウの種を播いて今年は終了です。

空豆とスナップエンドウを播くところは、収穫が6月なので半年以上育つ場所となります。
今のうちに枯れ草や糠で少しでも土が良くなるように現在しているところです。

ちなみに、枯れ草のところにカブトムシの幼虫が2匹いました
なので、虫かごに入れてお家に子供への土産として持って帰りました


秋の仕事はこれでほぼ終わり。

あとは各野菜の収穫が冬に間に合うかだな~
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