半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

半分管理している畑

2015年06月28日 | 農的体験・生活
この前、らっきょうを掘ったときの畑。
今年はマルチを使っているので、右半分は何とか草に勝っているのですが、左は草が生えています
で、通路となる畝間をお隣の高柳さんの畑にある菜種を脱穀した残渣で覆ってきました
これで右半分は大丈夫なはず。
あとは左半分


ちなみに、今年はやばい状態なのが空芯菜。
畑の片づけが終わらないまま、何となく苗を作ってしまった空芯菜が、あまりに多くて、どんどん移植をしているのですが、これが恐らく50株はあるんじゃないかと思っています
我が家は私しか食べないから、これが入れ食いになったら、どうなっちゃうんだろう


ちなみに、今年は高柳さんが使っている肥料を分けてもらったせいか、かぼちゃが見事に葉っぱを生い茂らせています


もうゲンコツ大ぐらいの実もありますが、こういった小さいのもたくさん付いています。嬉しい~


昨年に続き、今年も体力が無い中でちょこちょこやってきましたが、これからの作業をまとめると

■7月頭ぐらいまでの作業
・ラッキョウの残りを掘り上げる
・1畝なんとか整理して、ニンジンを播ける状態にする

が至急やらねばならない課題です。


そのあとは2年放置したネギを別畝に移植したいし、お盆後にはニンニクやラッキョウを植えて、その後はホウレン草や春菊などの種播き、そして小松菜、大根などへと続きます。

さあ、間に合うか
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ラッキョウ生活

2015年06月27日 | 農的体験・生活
ようやくラッキョウを堀りあげてきました

草取りで追われたのと、「1年置くと花らっきょうになる」ということを本で知って、その言葉を言い訳に放置した一昨年。

体力低下に見舞われ、草取りに終われ、「まっ、いいか」と諦めた昨年。

そして、ついに3年目を迎えたラッキョウ。

「さすがに、掘りあげるか。。。」と掘ってみました。

すると、さすが3年目、まあでっかいラッキョウ達がゴロゴロあって、半分ぐらい掘ったところで「こりゃ、全部掘ると大変なことになるぞ。。。」と思い、途中でストップ。

これまた草に囲まれて放置されていたニラと一緒に、持ち帰ってきました。


ラッキョウの量、わかりますか?これ、何㎏あるんだろう・・・


玉ねぎとかならいいんですが、ラッキョウは、処理が大変なのです。
ということで、まずは早速、泥洗いしながら1つ1つを分けていきます。


更に、ゴシゴシ洗いながら薄皮をざっくり剥いていきます。
この時点で、面倒なんですよね~


そして、ここからが本番
根っこと先っちょを包丁で切り落とし、薄皮をきれに1つ1つ剥いていくのです。
延々と2時間以上。。。泥洗いを含めると3時間かけて、大鍋山盛りに


これを塩漬けをして、ひとまずお仕事終了

これだけの量をやると、玉ねぎと同じでさすがに目が痛かった

あとは塩漬けのまましばらく放置すると、乳酸発酵してくるんで、塩抜きして、酢と砂糖を混ぜ合わせたものにつけて完成です。

ラッキョウは、美味しいけど、作るのが本当に手間だよな~、と3年ぶりに思い出しました
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さようなら、ザリガニ君

2015年06月26日 | 農的体験・生活
根本さんのところで子供たちに釣り上げられ、我が家に連れてこられた大量のザリガニ君たち。

量が多いので3つの水槽に分けて飼いはじめたものの、それでもギュウギュウ。。。

「これじゃあ、共食いするぞ?」と言うと「共食いさせるんだもん」と、まあ酷い返答。

実際、我が家の食卓にのぼったこともありました。。。

そして2日に1匹はなんだかんだで死んでいくので、「こりゃ、可哀想過ぎるぞ」とたまりかね、私が逃がしてあげることにしました。

近くの小川に連れてきたザリガニ君たち。
数も半減してしまいました
まだ体力があるうちなら、自然界で何とかやっていけるかもしれないし、もしかしたら、ダメかもしれないけど、我が家で座して死を待つよりはよいでしょう。


がんばって、生き残れよ。


そして逃がしてあげたのでした。
子供たちがお世話になりました。

ザリガニ君たち、さようなら~
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放課後こども教室

2015年06月25日 | 素敵な空間・イベント
放課後こども教室というのがあります。

国とか市の事業で、地域の人と学校とが一緒になって子供たちの居場所を作り、育むことを事業としてやっているそうです。

まあ、簡単に言うと、放課後の1時間ほど、小学校で地域ボランティアの人が色々なことを子供達とやる感じです。

ドッジボールやかけっこ、縄跳び、一輪者、鬼ごっこ、といった普段遊びから、体育館でバスケットをやったり、図工室で工作をやったり、料理をやったり、時節にあわせた工作をしたり、時には指導者を呼んで華道など特別のことをやったり、何をやってもオーケーです。

そんなことを、私の子どもがいっている小学校でも出来たらいいな~と思っていたのですが、ようやく今年の9月からスタートできることになりました

ヨーロッパなどの話を聞くと、学校というのはそもそも地域の1つの機関として機能していて、例えばグランドは平日は学校が優先して使うけど、週末は地域の人達が使うのが当たり前になっていると聞きます。

日本は責任問題など色々あるせいか、全て学校の責任、全て先生の責任になってしまう仕組みになっているので、そうやすやすと学校を地域に開放、というわけにはいかないようです。

だから、学校の授業の時間が終わり、下校の時刻になれば、子供達は学校で遊んでいてはいけないわけですね。

そのため、各自、近くのお友達の家やマンションのゲストルームとかでゲームをしたりするわけです。
もちろん、公園で外遊びをする子もいますが、そもそも「公園で不審者が出た」というメールが流れる時代。
およそ私達が子供の頃とは違った環境になってしまっていて、親もゲームを公認する人が多いわけですから、「子供は外で伸び伸び自由に遊ぶもの」といったものは、古いステレオタイプのように見られてしまう時代なのです


でも、私は、子どもは親や大人の目をかいぐぐって、色々なプチ冒険をしたり、子供たちのルールで外遊びをするのが当然だと思っています。

それが難しい時代だからこそ、地域の人達が意図的に子供が伸び伸びできる環境を作ることは大切だと思います。

その考えの一環で、「みんなの農村ネットワーク」もやっていますが、今回、この「放課後こども教室」でまたその一歩を踏み出せるのではないか、と期待しています


ちなみに今日は、文部科学大臣賞も受賞した「豊住小学校」に見学に行きました。

ここはベテランの運営スタッフだけでなく、順天堂大の学生さんも来て、とても活発にやっているところです。

今回はスライム作りだったのですが、子供達は活き活きと楽しそうにしていましたよ~

そして今度一緒に放課後こども教室をやるスタッフのみなさんも、子供たちが活き活きしている姿を見て、笑顔が溢れていたような気がします

子供も大人も楽しい場になればいいな~と思います


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茹でザリガニ

2015年06月22日 | 食べもの
(土)(日)と「田んぼと畑の耕育教室」でザリガニ釣りをしたのですが、うちの子に「この辺の人は、ザリガニを皮えびといって、食べるんだって。だからザリガニは食べれるんだね」と言っていたら、「食べてみたい」と言い出し、妻は反対したのですが、2匹だけ、食用に・・・。

当然、調理は私が担当となり、月曜日の朝ごはんに、塩茹でされた皮えび2匹が

尻尾のところの身をちょこっとかじる程度なのですが、味はというと、ザリガニ臭いというか。。。
きちんと泥抜きして、きれいな水に2~3日つけたら、まあ普通のえびのようになるとは思うのですがね。
成田の一地域では、今も山盛りにして食べるところがあるそうで、川魚料理屋では結構高級らしいです。

まあ、あえて食べる必要も無いとは思いますが、何事も経験ですからね。
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田んぼと畑の耕育教室 ザリガニ釣り♪

2015年06月21日 | 農的体験・生活
(土)(日)と6月の「田んぼと畑の耕育教室」を開催しました

今月も満員御礼で、2日間で140人近くもの方に集まって頂きました

さて、6月はカレー作りの月です。
つまり、1人2.5杯ぐらい用意するので、1日で150人前以上、2日で300人以上前の大量のカレーを作ります

これをイベントでやるから、進行がなかなか大変です

小さなお子様にも怪我が無い様、親御さんにつきそってもらいながら、トントン野菜を切ってもらいます。どんな形や大きさでも、子供が切るのだから、OKです


あとの炒めと煮込みの工程は奥様とお手伝いに来てくれたママ友にお任せして、みんなで畑へレッツゴー


まずはジャガイモ掘りです
今年は4,5月の天候不順の影響か、ジャガイモが全般的に生育不良です。
根本さんのところも、昨年はぴったりだったのですが、今年はあまり生育が良くなく、小さな芋も多かったのですが、それでも、やっぱり引っこ抜くとジャガイモが出てくると「お~、結構大きいのが出てきたよ」とみなさん、ワイワイと楽しそうでした


ちなみに、ジャガイモの畝のお隣には、先月みんなで植えたミニトマトがたわわに実っています。
60本以上のトマトの木のお手入れは、芽欠きや誘引がとっても大変なのです。
それをがんばってきた甲斐がありました

来週ぐらいには色づいて入れ食いに成り始めるんですが、ただ、イベントは来月。
イベントの難しいところはこのあたりですね~


お次はサツマイモの苗植え。これが10月にみんなで美味しく食べれるんですよ~



さらに、今回はみんなで先月根本さんが張った穴空きマルチの穴の中の草取りをお願いしたら、見事にきれ~いになりました。
これを1人でやったら1時間じゃ終わりませんから、農業は人手だな~としみじみ思いました。

その草取りしたところに、丹波黒大豆を播きました。
10月には超絶品の丹波黒大豆の枝豆、そして12月には高級丹波黒大豆が入れ食いです



さてさて、たっぷり野外活動をしたあと、お昼ごはんはカレーです。
無農薬野菜を使った豪華なカレーですよ~

ご飯はいつもは薪を使った釜炊きなのですが、根本さんが指に怪我をしているので、給食センターで使っていたでっかいガス釜で根本さんが炊いたところ、初めてで勘で炊いたというのに、見事に炊き上がりました


しかもおこげ付き


根本さんが作った納豆が今回も出てきて、納豆カレ~
納豆とカレーって相性悪くないんですね。


午後は、田んぼの草取り(泥遊び?)とザリガニ釣りです。

特にザリガニ釣りは子供も大人もみんな夢中になって釣っていました。
昨年は、地元のおばあちゃんと子供が100匹ぐらい釣り上げていたせいか、食いつきガ悪く、食いついてもすぐにポロポロ落ちてしまったのですが、今年は食いつきも抜群、一度かかったらほとんど落ちず、あっという間にみんなカゴに入りきれないほど釣っていました


どのご家族のバケツやカゴも、まるでザリガニ汁のよう


日曜日も天気予報では雨でしたが、14時頃まで雨が降らず、通常通り運営できて本当に良かったです

2日間、思いっきり楽しんでもらって、本当に良かった~

怒とうの参加人数の5月、6月でしたが、7月から少し落ち着き始めるのが例年です。
今年はどうなるかわかりませんが、また7月も体調を整えてみんなが楽しめるよう準備したいと思いま~す
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発酵イチゴジャム

2015年06月16日 | 食べもの
毎年、春に石井さんのイチゴをたっぷり頂いて、イチゴジャムを作るのが我が家。
大体、夏ぐらいまでは持つのですが、今の時期になるとシュワシュワと発酵してくるのですが、それもまたなかなか美味しいのです

ところが、今回開けた1瓶は、シュワシュワと一緒に苦味が。。。



う~ん、どうして苦いんだろう?
1つ前のは全然苦くなかったのに。。。
同じときにつくって、同じ保存方法のはずなのにね~。
日本酒も苦味があるものもあるし、発酵の過程で何かしらの条件が揃うと苦味が出てしまうのかな?

う~ん、もったいないけど、これは破棄になってしまうのか。。。う~ん。。。
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今年も梅仕事

2015年06月15日 | 農的体験・生活
日曜日の食と命の教室でヘロヘロでしたが、体にムチを打って、梅干を作るための梅取りにいってきました

去年からお世話になっているお友達の家。
梅林を持っていて、近所の方や知り合いに分けてくれます。

今年は10日前ぐらいからお友達とかが取りに行っているということで、小さめと聞きましたが、行ってみたら、結構大きかったです。

今回は家族総出で行き、バンバンと竹の棒で叩き落して、たっぷり収穫

実は、昨年は10kgだけ収穫して「足りないかな?」と思いつつ、梅干を仕込みました。
そうするとやっぱり半年で梅干しは切れてしまったので、今年は倍の20kgを目標に収穫しました。

コンテナ半分ちょっと×2箱。1つにまとめると山盛りになるので20kgはゆうに超えているでしょう


水でザブザブ洗うのもなかなか大変
そして数時間水に漬けてから仕込み開始


水からあげて乾かした後、ヘタを1つ1つとって行きました。
しっかり、量が量ですから、半端ない


2時間近く下を向きながらヘタを取っていたら、気持ち悪くなってしまった

童歌サークルから帰ってきた家族も手伝ってくれて、特に、梅干大好きな次男はがんばってくれたので、やっと20kg終了



これでこの夏から1年分の梅干は大丈夫でしょう
もっとも、20kg分、どこに干すか?という問題はありますが


更に残った10kg近くの梅は梅ジュースに奥様がしてくれるそうです

梅仕事、あま~い香りに包まれながら、今年も出来てよかった
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食と命の教室 田草取りに、菜種の脱穀

2015年06月14日 | 農的体験・生活
日曜日は、朝に雨も止み、「食と命の教室」を無事開催できました

今回は三宅島で働いている人が初参加したりと、毎回色々な人が集まってくるこの教室。

午前中は前回に続き、田草取りです。
実は、先週、有志が教室とは別に草取りに来てくれていたのですが、草ははびこっていました。
それだけこの時期の田草は凄いんですね~。


今回は参加者の息子さん(中学生)も久々に参加
学校とは違って、この教室も面白い、といって良く参加してくれます


高柳さんが、「1つ1つ抜くんじゃなくて、こうやって泥の中に手をつっこんで、かき回すんだよ。そうすると手に草がひっかかるから」と指導をしてくれました。


ちなみに、お隣の田んぼには20~30人ぐらいの集団が。
これは榮太郎本舗という和菓子屋さんが、今年、おかげさま農場に餅米作りを頼んだそうで、「出来る過程を学ぼう」ということで、2週に1回来ているそうです。


お昼はカレー。榮太郎さんが来ているので、お母さんは50人前以上作ったそうです
ご飯は酵素玄米で、もっちもち


屋外のコンテナで作ったテーブルで、いっただきま~す


お手製のきゅうりの塩もみやゆでトウモロコシも。
もちろん、全部無農薬。
トウモロコシは劇的に甘い


また親戚のおばちゃんが作ったという揚げ餅。これもとっても美味しい


更に、こちらはシソジュース。手作り&美味しいものが次から次へと出てきます


美味しいお昼ご飯の後、みんなで買い物を済まし、午後からは畑へレッツゴー

今回は「菜種の脱穀」をします。

菜種油を絞るために、高柳さんは菜種を11月頃に撒きます。すると春に花が咲き、5月に種がつき、6月に入ると枯れて種ができます。
これを梅雨の合間を狙って刈り取り、畑で乾燥させた上で、脱穀するのです。

みんなでバンバンと菜種の木をもって、コンテナやブルーシートに打ち付けたり、摺り落とす感じで脱穀をします。
枯れた木を持ってみんなで振り回している姿は、傍から見たら、まるで雨乞いをしているように見えるかも


ちなみに、この菜種の木、刈り取りは手刈りだそうです。
全部手刈りなんて、凄い
そして切り株がとがっているから、これが結構痛い


広がる菜種。
これだけ刈り取るのに膨大な時間もかかったでしょうし、今回10人以上でやって1/3も終わっていないのですが、残りを考えると・・・。
手作業というのは、人手ですね~。



さて、脱穀したものはふるいで大雑把にゴミと種に分けます。


こうやった下に種がごぼれます。


あとは、これを唐箕をかけて更に分別し、ハウスで乾燥させたら、圧搾絞りで油が抽出できます。

高柳さんいわく
「私も世界各国に行ったけど、サラダ油なんて日本にしか無いんだよ。ほかはキャノーラ油(菜種油)、ひまわり油、といった元がわかるもの。日本はサラサラした油ということでサラダ油、とかいっているけど、じゃあ、その取り除いた成分はどうしているか知っている?サプリメントにされているんだよ。私からみれば、じゃあ最初から取り除かないで全部油として使えばいいじゃないか、って思うんだけどね(笑)そして今はほとんどが遺伝子組み換え大豆やコーンを原料として使っているでしょ?使っていなくてもほとんど輸入物。ポストハーベストの問題もあるし。オーガニックだって輸入原料を使っているのがほとんど。だったら自分で作った方が良い、と言うことで十数年前から作っている。弥生時代のやり方だけどね(笑)」

私も昨年は菜種油、小麦と作ってみましたが、1人でやるのは本当に大変
特に梅雨の合間をぬって、晴れた日にやらないといけないので、おてんとさまに都合をあわせないといけない、というのが大変なのです。

そして、化学薬品抽出とは違い、圧搾方式なので、これまた絞るのが大変なのです

そう思うと、1本1500円ぐらいでも当たり前だな~と思います。

お化粧品もいりませんよ

教室の参加者にアロマテラピーの先生もいて、「ここの油を塗るのもよいですが、昔からあるニベアのクリームはどうなんですか?」と聞いたら、「それは、もちろんここの教室の油の方が良いに決まっているでしょ。だって食べれるんだもの」という答えが。

そりゃそうだ

どんなにオーガニックとか何かといっても、化粧品は食べれませんが、油は食べても問題ないものですからね。
食べて問題ないものは、顔に塗っても問題ないという理屈、当然ですね。


そんなこんなで菜種を脱穀し、最後に4月に植えた大根とキャベツをしこたま収穫しお土産にしてもらいました。
大根なんて余りまくって仕方なく10本ぐらい持ち帰る人も

今回も、盛りだくさんでヘロヘロになりましたが、みなさん、とっても楽しそうで良かったです

また来月も沢山の方に、満喫して頂けたらいいな~
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バブルが起きた流れ

2015年06月12日 | 自分の時間
今週も忙しく、また暑さで体も悲鳴をあげそうだったのですが、今日は久々の休み

撮り貯めたテレビをちょこっと見ましたが、今年、NHKがやっている「戦後70年 ニッポンの肖像」シリーズはとっても面白く、出来るだけ見ているのですが、今回見たのは「バブル"と"失われた20年" 何が起きていたのか」というテーマでした。

まあ、私はバブル世代ではなく、氷河期に入って就職に入ったものですが、その前のことはあんまりわかっていません。

自分の体験に基づくと、まず自分達が氷河期があって、その後にホリエモンや楽天などが出てきて、日本に「ベンチャーブーム」が起きて、投資やら、一攫千金をビジネスで狙おうという若手が増えてきて、「会社で数年働いたら起業する」なんていう若者が増えた時代もありました。

また、「派遣解禁」で、派遣の方が手取りが多い、ということで、助成を中心に派遣社員に自分の意思で登録する人達が増えた時代でした。

そして、段々デフレスパイラルに入っていき、就職戦線もより「氷河期」に入り、大卒の3割が就職できない、とか、「正社員になりたいのになれない」という人が増えて、「派遣からできれば正社員に」と思う人が増えていったり、大企業もそんなに安定ではない、という意識が芽生え、そして大リストラが普通に行われるようになり、「終身雇用」ということは「暗黙の約束」という意識が薄れていきました。

そういえば「ゆとり世代は使えない」みたいな酷い風潮もあったな~。

そういった私より上の世代、つまりバブルを経験した世代、あるいは、そのさらに前の人達が「失われた20年」という言葉を使っていますが、その前の「バブル時代」あるいは、そこにつながる「戦後の奇跡の復興」の時代についてまとめられて、「へ~」と思いました。

バブルが起きたのは、その前に、「戦後の経済復興」「右肩上がりの経済成長」が止まったのも一因だったそうです。

池田勇人首相が「所得倍増計画」を宣言し、実際は所得が3倍になり、東京オリンピックも成功し、「奇跡の成長」を遂げるわけですが、70年代から80年代にかけて、オイルショック、そして著しい成長が落ち込んでくるという流れがあったそうです。

そんな時代、今まで「大きなものを、大量に、どんどん作ればいい」というアメリカ経済(特に自動車産業)は落ち込み、日本の「小型、効率、省エネ、低コスト」といった自動車や商品が世界を席巻していました。

そしてアメリカの経済が大変厳しくなり、ドル安を進めるように仕向けた「プラザ合意」がされました。
これで、日本もドルを大量に売った結果、円高になり、輸出で儲けていた企業は大打撃を受けました。
そこに、「金融緩和」があり、資金を企業が低金利で海外から仕入れられるようになり、国内の銀行に預金するだけで、利ざやを稼げる時代になったそうです。

さらに、アメリカは日本に「金融緩和」を促し、日銀は「バブルの予感」を感じながらも、日銀が銀行にお金を貸し出す金利の「公定歩合」を下げていきました。1985年に5%だったのが、たった2年で2.5%という半分になってしまったんですね。

銀行は大量のお金が手に入り、企業に低金利で貸し出せる。
企業は銀行からもお金を借りやすくなり、また銀行からお金を借りなくても直接金融でお金を手に入れやすい時代になったので、本業よりも簡単に稼げる株などへの投資、当時は「財テク」と言われていたものをやり始め、本業よりも財テクによる利益の方が上回る、なんていう企業があちこちで出てきました。

資金を企業が低金利で海外から仕入れ、国内の銀行に預金するだけで、利ざやを稼げる時代だったそうです。

日本全体では株価があがり、それに連れて土地の値段も上がっていきました。

また企業も、効率化、省エネ化など努力を続けた結果、「アメリカに追いつけ追い越せ」というスローガンを達成して、「日本は世界1の経済大国」ということになってしまった。

「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言う本が爆発的に売れた時代です。

企業はお金が余り、財テクで更に儲け、銀行から借りる必要がなくなり始めました。
しかし、銀行はお金が余って仕方が無い。それなのに預金金利は払わなくてはいけない。

そこで何とか貸し出し先を探そうと必至になり、目を向けたのが「土地」の売買でした。
土地を持っている不動産屋や地主を徹底的に調べあげ、土地購入を促しました。
実際に、土地がどんどん値上がりするので、この流れにのっかり、「土地成金」が増えていきました。

時代としては1987年にNTTが上場し、株価が3ヶ月で3倍近くなる、なんていう時代でもありました。

アメリカからは「日本がナンバー1だから、日本から学べ」という本が出て、企業や個人も「財テク」で儲かり、ジュリアナ東京でOLがお立ち台で踊り、会社では業績達成パーティーで芸能人を呼び、夜の宴会やタクシー代は全て会社の経費で落ち、そんな時代で、「土地が上がり続けるのは当たり前。だって日本は世界一の力をもっているのだから」という認識が広がり、「これはバブルだ」と警告する経済学者には批判の言葉が浴びせられ、山一證券のように「にぎり」といって、損失は絶対に出さない、裏で約束をすることで財テク投資のお金を借りてもらうようなことも平然と行われていたのです。

そんな時、日銀も「バブル感が出ているから、アメリカからもっと下げろとは言われているが、公定歩合を上げなくてはいけない」という論調があったそうです。

しかし、1987年の「ブラック・マンデー」で日本の株価も急落。
そこで日銀の中の「公定歩合を上げよう」という意見は急速に消えてしまったそうです。

そして、ブラック・マンデーが落ち着き、再び日本の株価は上昇し続け、バブル崩壊直前の1989年の年末の大納会で、日経平均株価は史上最高値の38,000円を突破。最高の気分で年越しを迎えたのでした。

しかし、この頃、ようやく日銀は公定歩合を上げ始め、バブルつぶしをはじめ、また1990年に当時の大蔵省が「総量規制」という行政指導が銀行に行われました。簡単に言えば、土地に対して行き過ぎが貸し出しを止めなさい、全体の貸し出しの中で土地に対する貸し出しを抑えなさい、という指導ですね。

これにより、大量に流れ込んでいた銀行融資は止まり、地価の上昇がストップし、一気に不良債権が出始め、銀行も貸し渋り、貸しはがしが行われ、怒とうのバブル崩壊へと進んでいったようです。


またBIS規制といって、銀行が海外で活動するには、自己資本比率を8%以上にしなさい、というのがかかり、日本の銀行で体力の無いところは海外から撤退を検討したのもこの時代です。

ちなみに、私が新卒で入社したときが1997年ですが、1996年ぐらいに「就職氷河期」が始まっています。
ただ、私の2つ上、つまり1995年に就職をする大学の先輩の時代はまだバブルの余韻があって「ホテルに缶詰、内定者を他の企業に行かせない接待」のようなものが行われていたことを、聞いていました。

バブルが崩壊し、あれよあれよと土地神話が崩れ、銀行の貸しはがしなどがありましたが、不良債権がどんどん出てきたのは90年代半ばを過ぎてからで、一般的に表面化するまでタイムラグがあったそうです。

そして、私が社会人になってから、山一證券破綻、北海道拓殖銀行破綻、住専問題発覚などが続くわけです。

大手企業では「終身雇用」「ベースアップ」をどうするかが議論され、「製造業も派遣解禁へ」といった要請が経済から政府に出されたり、日本の企業の風習も変わって行きました。

昔は、運動会を会社がやり、家族で参加、みたいな時代だったわけですからね~。
今の若い人達は信じられないでしょうね。


私世代まではバブルの体験は無いから、よくわかりませんが、今の経済の中心にいる人達はみんなバブルを経験している人達だから、今の日本を「失われた20年」と呼びます。

でも、私よりももっと若い世代からみれば、冷めた目で見ていると思います。

GDPや株価とかの経済的指標を追い求めてるんじゃなくて、、楽しく幸せに生きることにそろそろ軸を移して、「国民幸福度ランキング」で10位以内を目指す国作り、とかを大きく考えてもらいたいもんですね。


話は横道にそれましたが、戦後70年の肖像シリーズ、面白いので引き続き見ていこうと思いま~す

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