「家庭でできる自然療法」という本があります。
子育てをちょっと勉強している人であれば、大概知っている本で、西洋の薬で症状を抑える、のではなく、昔から日本に土着していた薬草やお手当法などを、まとめたロング&ベストセラーです。
例えば、この前、樹木希林さんがNHKスペシャルに出ていましたが、つまづいて足のすねを打ってしまい、翌日に枇杷の葉をガムテープで貼って現れました。
自然療法や昔ながらの「お手当法」を知っている人なら、「ああ」と納得したでしょうが、普通の方は何のことかわからず素通りしたシーンでしょう。
枇杷の葉はとても有効で、熱を取り、毒素を出すため、お手当で良く使われる万能葉っぱ。
枇杷の葉エキスや枇杷の実エキスはガンも消してしまうほどの効果があります。
と、いうことを自然療法を学んでいる人は誰でも知っています。
その本の著者が東城百合子さんという人で、今は90歳を過ぎているおばあちゃんです。
そして、その会社が「あなたと健康」という会社で、そこ毎月発刊している冊子の名前も「あなたと健康」です。
この本の読者の内では、略して「あな健」と呼ばれています。
私も愛読者です。
人間、身体を壊さないと、なかなかこういったものに目は行きません。
ちょっと勉強しているママさんでも、なかなか「自然療法」や「あな健」を読んでも実践しません。
例えば、アトピーなどの皮膚炎にはセイタカアワダチソウのお風呂が抜群に効果がある、とか。
そして、そういった「お手当」などが大事ではなく、「病気や家庭内の問題など、根本に自分の今までの生き方が表れている」という勉強をしていくことが、一番大事で、病気を治すことが目的ではなく、枝葉として出てきた病気の根っこにある「自分の生き方、性根」がいかに自然から離れていたかに気づき、自然に沿った生き方に戻ろうよ、という事を言い続けてきたのが東城百合子さんです。
もともとは自分が肺炎で死にそうになった時に、当時の栄養学で肉や卵など栄養を沢山摂取して治そうとしたら、余計苦しくなり死にそうになった際に、当時まだいた東洋医学の医者から「何をやっているんだ!」と叱られ、玄米や粗食など、もともとあった日本の伝統的な療法で完治し、それから、病気やけがで悩む人がいたら、飛んで行って手当てをし、という事から始まった方です。
その東城百合子さんの「あな健」の今月号に載っていた言葉
「食を制するようになったら人生を制することができます」
には痺れました
私の敬愛する「サティシュ・クマール」というガンジーの孫弟子みたいな人が、環境問題など世の中の問題に気づき、何から始めようかと最初は戸惑うようになったら、「まずは自分の食卓を見ることです。自分の食べ物がどこから来たのか、それはどうやって運ばれてきたのか、どういった人たちがどう作っているのか、それを見れば世界の問題と繋がります」と言っていました。
また、高柳さんは「食は命」を標榜し、有機農業を続けてきました。
私で言えば、玄米を美味しい、と感じるようになるには数年かかりました。いわゆる食性が変わるまでには、ちょっと時間がかかるのです。
そういう意味で、甘いものや肉やら「美味しい」を第一にしている食べ物が溢れているけど、それをガツガツ食べるのではなく、自分の欲をコントロール出来て自制出来ようになり、我慢強く頑張れば、食性も変わり、ひいては自分をコントロールする力もつく、という意味なんだろうな、凄いな~、と思ったのです。
そうしたら、そういった軽い話ではなく、やはりいつも東城百合子さんが訴えている昔ながらの日本人の価値観、「命の根源」の話に繋がっていました。
「他の命を犠牲にして、その命を頂く。感謝を忘れてはいけない。その命を育てたおてんと様に感謝する心。その命を大切に思う気持ちが沸いてきたら、食べ物を粗末には出来なくなり、沢山食べ過ぎる事は、動植物の命を粗末にすることになる」こういった考え方までいきつけば、人生を制することになる、と。
つまり、箸の持ち方一つとっても、それは「命を食べるものとしての礼儀」であり、人間が生きていくためには他の動植物を殺してその命を頂かなくてはいけない。
その命がどうやって育ったかと言うと、誰もを平等に命を分け与えてくれるお天道様のおかげであり、そのことへの感謝の念が沸いてきたら、「有難い」という気持ちになり、「頂きます」「ご馳走様」という言葉の意味も理解でき、命=食を粗末には出来なくなる、ということなんですね。
今でいえば「何を言っているの?」という若い方も多いでしょうが、うちの親父は昭和1桁だったから、似たようなもので、「箸の持ち方がなっていない!」とゲンコツでぶん殴られていました
うちの奥様の場合は、おばあちゃんが「ご飯粒を残すと目がつぶれるよ」と小さい頃、教えてくれたそうです。
東城百合子さんのように上手に解説はしなかったにしろ、今の団塊世代の上の世代ぐらいまでは、普通に「食べ物を大切にしなさい」という子供たちに食卓で教えてきたわけです。
「いのちのスープ」の辰巳良子さんも、求道者ぐらい凄い人ですが、同じですよね。
そういった事を学べば、人間としても命に対する価値観をもった人間に育ち、箸の持ち方、ご飯の食べ方、命にたいして「頂きます」「ご馳走様」等いことを心から言える人間になる、そういう人間は人生をも制することが出来る、といった話につながるのでしょうね。
それが今や「食べ物=栄養素」という事になって、テレビがそれをやたら煽る。
「こんなの見て踊らされる人が多いのだから、アホな話やな~」と思いますが、それを見る人が大勢いるから、そういったテレビが流行るわけです。
そんでもって、「大豆のイソフラボンを摂取できる酵素を日本人の8割ぐらいはもっていない」という事がようやくわかったり。
「じゃあ、今までのイソフラボン信仰は何だったのよ」という事で、豆乳を飲まなくなる方もいるでしょうが、そういう話ではなく、栄養素として考えても大豆たんぱくは肉や牛乳よりよっぽど日本人にあっていて、東城百合子さん的にいえば「種には命が丸ごと詰まっている」ということになるわけだから、昔ながらの日本食を食べる事には意味はもちろんあるのです。
結局、昔の人の一般的な価値観として「ご飯1粒残してはいけない、命を大切にしなくてはいけない」、という躾があって、それを芯にもった人が、箸の持ち方から人に対する礼儀、命に対する礼儀といった品格を持った人物になったんでしょうね。
テレビでは、トマトやヨーグルトを食えば健康になれる、といった話ばっかりですが、「食を制する人間になりなさい」と言う人物を出演させる番組はないものですかね?
子育てをちょっと勉強している人であれば、大概知っている本で、西洋の薬で症状を抑える、のではなく、昔から日本に土着していた薬草やお手当法などを、まとめたロング&ベストセラーです。
例えば、この前、樹木希林さんがNHKスペシャルに出ていましたが、つまづいて足のすねを打ってしまい、翌日に枇杷の葉をガムテープで貼って現れました。
自然療法や昔ながらの「お手当法」を知っている人なら、「ああ」と納得したでしょうが、普通の方は何のことかわからず素通りしたシーンでしょう。
枇杷の葉はとても有効で、熱を取り、毒素を出すため、お手当で良く使われる万能葉っぱ。
枇杷の葉エキスや枇杷の実エキスはガンも消してしまうほどの効果があります。
と、いうことを自然療法を学んでいる人は誰でも知っています。
その本の著者が東城百合子さんという人で、今は90歳を過ぎているおばあちゃんです。
そして、その会社が「あなたと健康」という会社で、そこ毎月発刊している冊子の名前も「あなたと健康」です。
この本の読者の内では、略して「あな健」と呼ばれています。
私も愛読者です。
人間、身体を壊さないと、なかなかこういったものに目は行きません。
ちょっと勉強しているママさんでも、なかなか「自然療法」や「あな健」を読んでも実践しません。
例えば、アトピーなどの皮膚炎にはセイタカアワダチソウのお風呂が抜群に効果がある、とか。
そして、そういった「お手当」などが大事ではなく、「病気や家庭内の問題など、根本に自分の今までの生き方が表れている」という勉強をしていくことが、一番大事で、病気を治すことが目的ではなく、枝葉として出てきた病気の根っこにある「自分の生き方、性根」がいかに自然から離れていたかに気づき、自然に沿った生き方に戻ろうよ、という事を言い続けてきたのが東城百合子さんです。
もともとは自分が肺炎で死にそうになった時に、当時の栄養学で肉や卵など栄養を沢山摂取して治そうとしたら、余計苦しくなり死にそうになった際に、当時まだいた東洋医学の医者から「何をやっているんだ!」と叱られ、玄米や粗食など、もともとあった日本の伝統的な療法で完治し、それから、病気やけがで悩む人がいたら、飛んで行って手当てをし、という事から始まった方です。
その東城百合子さんの「あな健」の今月号に載っていた言葉
「食を制するようになったら人生を制することができます」
には痺れました
私の敬愛する「サティシュ・クマール」というガンジーの孫弟子みたいな人が、環境問題など世の中の問題に気づき、何から始めようかと最初は戸惑うようになったら、「まずは自分の食卓を見ることです。自分の食べ物がどこから来たのか、それはどうやって運ばれてきたのか、どういった人たちがどう作っているのか、それを見れば世界の問題と繋がります」と言っていました。
また、高柳さんは「食は命」を標榜し、有機農業を続けてきました。
私で言えば、玄米を美味しい、と感じるようになるには数年かかりました。いわゆる食性が変わるまでには、ちょっと時間がかかるのです。
そういう意味で、甘いものや肉やら「美味しい」を第一にしている食べ物が溢れているけど、それをガツガツ食べるのではなく、自分の欲をコントロール出来て自制出来ようになり、我慢強く頑張れば、食性も変わり、ひいては自分をコントロールする力もつく、という意味なんだろうな、凄いな~、と思ったのです。
そうしたら、そういった軽い話ではなく、やはりいつも東城百合子さんが訴えている昔ながらの日本人の価値観、「命の根源」の話に繋がっていました。
「他の命を犠牲にして、その命を頂く。感謝を忘れてはいけない。その命を育てたおてんと様に感謝する心。その命を大切に思う気持ちが沸いてきたら、食べ物を粗末には出来なくなり、沢山食べ過ぎる事は、動植物の命を粗末にすることになる」こういった考え方までいきつけば、人生を制することになる、と。
つまり、箸の持ち方一つとっても、それは「命を食べるものとしての礼儀」であり、人間が生きていくためには他の動植物を殺してその命を頂かなくてはいけない。
その命がどうやって育ったかと言うと、誰もを平等に命を分け与えてくれるお天道様のおかげであり、そのことへの感謝の念が沸いてきたら、「有難い」という気持ちになり、「頂きます」「ご馳走様」という言葉の意味も理解でき、命=食を粗末には出来なくなる、ということなんですね。
今でいえば「何を言っているの?」という若い方も多いでしょうが、うちの親父は昭和1桁だったから、似たようなもので、「箸の持ち方がなっていない!」とゲンコツでぶん殴られていました
うちの奥様の場合は、おばあちゃんが「ご飯粒を残すと目がつぶれるよ」と小さい頃、教えてくれたそうです。
東城百合子さんのように上手に解説はしなかったにしろ、今の団塊世代の上の世代ぐらいまでは、普通に「食べ物を大切にしなさい」という子供たちに食卓で教えてきたわけです。
「いのちのスープ」の辰巳良子さんも、求道者ぐらい凄い人ですが、同じですよね。
そういった事を学べば、人間としても命に対する価値観をもった人間に育ち、箸の持ち方、ご飯の食べ方、命にたいして「頂きます」「ご馳走様」等いことを心から言える人間になる、そういう人間は人生をも制することが出来る、といった話につながるのでしょうね。
それが今や「食べ物=栄養素」という事になって、テレビがそれをやたら煽る。
「こんなの見て踊らされる人が多いのだから、アホな話やな~」と思いますが、それを見る人が大勢いるから、そういったテレビが流行るわけです。
そんでもって、「大豆のイソフラボンを摂取できる酵素を日本人の8割ぐらいはもっていない」という事がようやくわかったり。
「じゃあ、今までのイソフラボン信仰は何だったのよ」という事で、豆乳を飲まなくなる方もいるでしょうが、そういう話ではなく、栄養素として考えても大豆たんぱくは肉や牛乳よりよっぽど日本人にあっていて、東城百合子さん的にいえば「種には命が丸ごと詰まっている」ということになるわけだから、昔ながらの日本食を食べる事には意味はもちろんあるのです。
結局、昔の人の一般的な価値観として「ご飯1粒残してはいけない、命を大切にしなくてはいけない」、という躾があって、それを芯にもった人が、箸の持ち方から人に対する礼儀、命に対する礼儀といった品格を持った人物になったんでしょうね。
テレビでは、トマトやヨーグルトを食えば健康になれる、といった話ばっかりですが、「食を制する人間になりなさい」と言う人物を出演させる番組はないものですかね?