半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

1年間、ありがとうございました

2018年12月31日 | 自分の時間
2018年、平成の最後の大晦日ですね。

色々思うことはありますが、まずは無事1年間、生きて来れた事、有難うございます。

さて、年末ですが、ここ最近思う事は、自分の生き方から見て、10年前の自分の生き方、そして今の周りの人達と大分感覚が違うな~というのを感じます。

まず、体を壊したので、健康の有難みがわかる。
元気に1日過ごせることが有難いと思えるわけです。

逆に言えば、無理が効かない。

例えば妻は旅行や弾丸東京飲み会などを毎週のようにおこなっていますが、まあ良くやるよな、と呆れる一方で、身体だけは丈夫なことは強みなのわけです。

私は、もともと東京からこっちに戻ってきては、遠出が出来ない精神状態でしたし、今も高い所や人混みが苦手ですが、それは「地域に根差していきなさい」というお告げみたいなものと思って、遠出をせず、根を張ろう、根を張ろうと生きてきました。

また、身体が昔のようにはまだまだも戻らないわけです。

それでも例えば社会人になって東京で10年以上、身体を痛めつける生活をしてきたわけですから、まともな状態に戻るのは10年以上かかるんだろうな、という時間間隔があります。

仕事も1年単位。

春が来て、「あぁ、そろそろ田んぼの季節だ」、となり、夏がきて「夏はとにかく乗り切る」季節だし、秋は「ようやくほっとできる。さあ、最後の頑張りどころだ」というとこで、冬は仕事は少なくなりますが、「味噌作り&餅つきの土日家業&体を冷やさないよう」という感じの季節。

1年を巡って仕事や気持ちの置き所が変わります。

高柳さんが良く「今の人達は1週間とか1カ月単位で物を考えるけど、我々は1年が単位。自然はそうなっていて、例えばお米は1年に1回しかとれない。それで1年間食べていく蓄えが出来る。自然は1年単位、人間も1年単位が本来の自然の姿なんだよ」と言います。

そういう事は、私には当たり前だけど、一般の会社生活の人はそうではないですよね。
1週間、1カ月、四半期、あるいは目標はプロジェクト単位。

また、私のお付き合い相手は平均年齢68~70歳の農家さんのおじちゃん、おばちゃん達。

会話も老年の方々の話ですが、その辺の60代と違って、みんな現役です。
「そろそろお迎えがくるからな(笑)」と言いながらも、毎日元気に畑仕事をしていて、おそらく都会の20~30代の人でも1週間ぐらいしか持たないだろう、という仕事を1年かけてやっています。

そんな「今も現役」の人達が「そろそろお迎えがくるよな~」という人生の終い方を口にしているところに居合わせることが出来ているので、常に「人生の終わり」を考えながら生きていけるわけです。

一昨日、昨日と独身の40歳代のお友達が2人、泊りに我が家に来たのですが、今の世相を反映しているというか、将来に対する陰なる不安がありながらも、消費社会で「今を楽しく」という事で生きている姿が見えます。

妻も同様で、まるで独身女性のように、飲み歩き、消費社会に身を投じています。

一方、私は人生の師と仰ぐ高柳さんが身近にいて、また「あたなと健康」の東城百合子さんの言葉を毎月かみしめ、また、寺田本家をすくった言葉を発した常岡一郎さんの生き方や言葉を毎月かみしめていて、「人生の徳をどう積むか」「ああいった偉大な人たちのようになりたい」という、人生成長というか、人としてまともになっていきたい、という事に関心があります。

そうすると、そういう意味で、あまり享楽の世界には関心が沸かないのですよね~。
「楽しく生きればいいじゃん」というのも一理あると思いますが、結局そういった人たちは、心の底で虚しさをもって生きているんじゃないでしょうか?


私もそういった厭世観が起きることもありますが、やはり、東城先生や常岡先生から刺激を受けているので、子ども達が大きくなってきたら、生計が苦しい家庭や親がいない子ども達の向けの寺子屋をやっていこうか、とか思うわけです。

食えて、住める家があるので、あとは自分の人生、どう世の人に還していくか、という事に関心が向くわけです。

そして、こんなことを思えるのは、やはり会社員ではなく自営業であること。そして環境だな~と思います。

会社員である限り、自分の思うように時間は使えないわけですし、仕事の問題は上司やお客さんや会社から降り注ぐわけで、それに対抗する意識が芽生えることがあると思います。

一方、自営業と言うのは、一切そういった他責の気持ちが沸きません。
自分の仕事は自分でやっている、という事が当たり前になるからです。

そして、時間が自由なので、毎日仕事のことを考えているといえば考えていますが、それは同時に毎日、自分の人生を考えているということにもなります。

そして、私は農家さんが周りにいて、つねに「老後」の姿をみさせられていて、その人たちは毎月、葬式やらお通夜に行っているのです。

あと10年で、私が仲良くしている農家さんがポックリ逝き始めると思います。

私の中で、人生の一番の学びは、「身近な人の死に立ち会う事」だと思っています。
ところが、私は父しかまともにそういった経験が積めていない。
核家族の一番良くないところです。

ひい爺さん、ひい婆さん、爺さん、婆さん、親父、お袋、といった人達が順番に死んでいき、また、看病している私と同世代の農家さんは、その辺の会社員よりよっぽど精神的に大人です。

それは「旦那」といって、家の一切の家計から村の行事までを仕切らなければいけない大黒柱としての責任をもって毎日仕事をしているという事もあるし、そういった上の世代を普通に看取っているからで、享楽的なところはあんまりないんですよね。

だから私がこんなことを書いているのは、文章を書くことが好きだから書いているわけですが、私の同世代の農家さん達からみれば「当たり前じゃない」という事なんです。

どう生きていくか、という事を普通に考えながら生活をしていると、1年で目新しい変化が無かったとしても、自分の成熟度合いは少しずつ上がっている、という気はします。

神道で言えば、怒り、妬み、恨み、憎しみなどを祓い続けることが大事だし、仏教でいえば今への執着から離れる事が大事なわけで、そういう意味で、長期的にというか、人生の見通しの方に意識を向けて、その上で、日々の仕事はコツコツしていく。お役目は果たしていく。

そんな事を思います。

と、いうのが今の心境です。

ご縁があったみなみなさま、今年も1年間、ありがとうございました。
また、来年も素晴らしいご縁が続きますように。
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小6男子のスイーツ作品

2018年12月26日 | 素敵な家族・子供との時間
世はクリスマスでした。

下の子が、「ちこちゃんに叱られる」か何かで知ったらしく、「クリスマスはイブは25日の前の日じゃなくて、クリスマスの夜かららしいよ」とか「24日はイブじゃないんだってよ。夜からだってよ」とか教えてくれました。

そんなクリスマスですが、上の小6男子は、仲の良いお友達(男子)にスイーツを作ってプレゼントしたそうです
で、相手のお友達はお母さんと一緒に美味しいパウンドケーキを作ってくれました

息子がどんなものを一人で作ったのか、写真を撮ってくれていなかったので、仕事から帰宅した時にはわかりませんでしたが、そんな息子と今年の作品をまとめてみましょう~


まずはこれ。

11月某日、突如、「うちって、芋あるよね?」と言って、サツマイモを蒸かし始めて、網で出来たアクをすくう道具、ラーメンとかチャッチャと水を切るやつですね、それでイモ餡を作り始めたのでした。
で、その後、何どうするか一人で考えながら、結局作ったのが、ピーナッツクリームと何かしらを混ぜて作ったものを饅頭のようにイモ餡で堤、さらに生クリームでコーティングし、抹茶粉砂糖をふった一品。


突然なんでこんなのを作り始めたのか?と聞いても、なかなか教えてくれないのですが、どうやら、小6向けの「キャリア教育」の一環で、学校でパン屋さんの話を聞いたのが刺激になったようでした。

そして、次に作った一品はこちら。
今回も芋餡を作ったのですが、前回、蒸かした芋をこす道具がなく、おばあちゃん家にもなかったので苦労したのですが、それを見たおばあちゃんが、100円ショップか何かでコシ器を買ってきてくれたので、今回は「うぉ~、これ凄い便利」と言って、イモを前回より手早く濾しておりました。

そして、今回は生地を作ろうと思ったらしいのですが、小麦粉を適当に混ぜて焼いた生地を作り、折り重ね、間にピーナッツクリームをベースにした秘密のソースを挟んだものでした。
見た目は凄い
しかし、生地がせんべいのように硬かったです
味は美味しかったですけどね


さらに3作品目。

12月末で関西に引っ越してしまう従姉妹に「何か手紙でも書いたら?」と言ったら、「ケーキ作る」といって作ったのがこちら。

実は12月に、私がTポイントがあまっていて有効期限が迫っていたので、自動泡立て機をプレゼントしてあげていました
ということで、今回は生クリーム作りも楽になったのです。
例のごとく、イモ餡を作り、今回は生地は焼かず、スイートポテトのお化けみたいなものを焼いて、それに生クリームをコーティングし、フルーツをのっけたものでした。
美味しそう~


そして1週間後、余った生クリームが冷蔵庫に入ったままでした。
「これ腐っちゃうよ?捨てるか何か作るかしたら?」と言ったら、べっちゃりしてしまった生クリームを再度泡立て、「どうしようかな~。そうだパラチンタ作ろう」と言い始めました。
そして、「5年生の自学ノートにレシピが書いてあったはず。初めて自学ノートが役に立つぞ」と言い、自学ノートを引っ張りだしてきたのでした

そういえば、彼、5年生の時に英語の時間か何かで「世界の文化」「世界の料理」みたいなのを学んだらしく、その時に、ポルトガルとかあっち方面のお菓子で、いわゆるクレープと全く同じなのですが、名前が「パラチンタ」というのを思い立って作っていたんです。

ということで、中華フライパンで、まあ上手に薄くクレープ生地を焼いて、作ったのがこちら。
これが、食べた時は1瞬、言葉を失うほど美味かった
先週、従姉妹に作って余ったイモ餡と生クリームだけと思ったら、実は、家にある「ざく切りリンゴジャム」をみじん切りにして生クリームをホイップし直した時に混ぜていたのでした。
彼が今まで作ってきた手間暇をかけたケーキより、よっぽど手軽で味は抜群、超美味かった


ということで、スイーツ男子、このままスイッチが入ったまま来年も作り続けるのか、そしてパテシェアにでもなるのか
まあ、またしばらく経ったら落ちつくのでしょうが、工作と料理がある意味、同じカテゴリーでいろいろ創作するのが好きな彼。
引き続き「台所が汚れる」と怒られないよう、ヘルプしながらいろいろ作っていってもらいたいです


これは、おまけ。
先日、彼が作ったチャーハン。普通のものと焦がし醤油。
味付けはイマイチでしたが、パラパラで美味しかった
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今年のたくあん

2018年12月22日 | 農的体験・生活
今年のたくあん、漬けました

たくあんって、実は干すのが面倒で、また水が上がりにくいこともあったのですが、高柳さんの所で生漬け、つまり干さずに生のまま漬けてしまうやり方を知ってから、ここ2~3年は生漬けをしていました

生漬けって、水がすぐあがるし、ある意味、腐りにくいというかカビにくいので、結構、管理が楽なんですよね

ただ、今年はお友達から「あなたと健康」の東城先生の本のレシピをわざわざコピーしてくれた人がいたので、久々に干してみました

団地のベランダに、大根を干します。
葉っぱつきの方が良く水が抜けるので、葉っぱつけたまま干します。
横にする場合もあるけど、今回はこのように縦で干しました。


1週間ぐらいでこんな感じ。もう葉っぱはパリパリ。小さい大根はシワシワのはヨボヨボです


たくあんで一番面倒なのは大根を洗って干すまで。

干しさえすれば、漬け込みは1時間もかかりません。

大根の重さに対して、一定割合の塩と糠を混ぜて樽の底に敷き詰め、順番に干した大根を詰めていきます。

唐辛子と私は切り昆布を入れていますが、本当はミカンや柿の皮などを干したものを入れると美味し。


交互に大根をしきつめ、その都度、糠やとうがらしを振って、最後に大根の葉をしきつめます。
これが蓋の役割にもなります。


その上にまた糠を振って、中蓋の上を載せ、重しを大根の倍ぐらい載せたらOKです


以前、水が上がってこずに困った事があったのですが、今回もらったレシピを見たら、糠の量が多い場合、そういったことがあるので、その場合は「塩水をコップ1杯入れて呼び水にする」という知恵が書いてありました。なるほど

今回は大根の量が少なく、かつ1週間干して結構カピカピに水分が飛んでいたので、最初から塩水を入れました。
そして、大根の倍の重しをしたから、これできちんと水が上がるはず、です

梅干し、味噌、たくあんなど、昔の手作り食品は、作ってみると案外簡単で、誰でも出来るもの。
かつ、売っているものでまともなものはほとんど無いのが現状。

ということで、こういった手間はかかるように思えて、実は買うより作った方がよっぽど良いものは、是非作るべきだと思います。
しかも、生活も豊かになりますしね
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自然薯堀りで愛を捧げる♪

2018年12月20日 | 農的体験・生活
私の冬の仕事の1つが「幻の天然自然薯堀り」

昨年は、テレビ局関係がやたら多かったのですが、今年はうってかわって、一般の方からの問い合わせが例年以上に多いのが特徴。

今年は自然薯関係のテレビ番組が多かったのかな?


ただ、日程や参加条件などをすり合わなければいけないので、問い合わせをしてこられた方の全員が参加、という事にはならないのですが、今年2回目の開催は、とてもロマンチックな自然薯堀りでした

というのも、お申込みをしてきた方は、なんと50歳女性1人で、ある目的があったのです

自然薯堀りは、力仕事でもあるし、だいたい、こういった事に血が騒ぐのは男性がほとんどのはずなのですが、実は「パートナーへのプレゼント」だそうです

実は離婚を経験されていて、女手1つで子ども達を育ててこられた方だそうなのですが、今の方と出会って、テレビを一緒に見ていた時に、自然薯が映っていて、彼が「こんなの食いたいな~」とつぶやいていたので、思いついたそうです。

私より年上の方なのですが、お話を聞くだけでキュンキュンしちゃいますね

もうそんなトキメキなどは私の生活には無いのですが、人間、まじめに頑張っていれば、神様は微笑んでくれるんですね~。

そんな素敵な目的があり、また、女性お一人ということで、農家さんと一緒にいつも以上に丁寧にサポートをしました。

いつも通り、自然薯の花を探して、芋がある場所を見つけるやり方などを説明。


そして、推定15年以上ものの芋を丁寧に掘ったのですが、参加された女性が「傷つけずにちゃんとしたものをプレゼントしたい」という思いが強く伝わってきたので、農家さんも一緒にいつもより丁寧に掘りました。


結果、いつもより1時間以上、時間がかかってしまいましたが、これまた神様がほほ笑んだのか、ここ数年で一番大きい、しかも形が良いものが折れずを見事に掘り上げたのです

掘り上げた自然薯は、なんと推定30年ものの140㎝ぐらいの超大物
これで彼が喜んで、素敵なクリスマスになるといいですね~
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ボヘミアン・ラプソディー

2018年12月15日 | 素敵な空間・イベント
「ボヘミアン・ラプソディー」を観に行ってきました
むっちゃ良かった

洋楽に疎い私にとっては、クイーンは特にファンでもなく、「we will rock you」で関心を持ち、ベストアルバムを1枚買ったぐらいでした。

昔、K1という格闘技が流行っていた時期がありまして、その時、私が好きなアンディ・フグというスイス人の「青い目の侍」と言われた格闘家がいて、彼の入場局が「we will rock you」だったのです。

うちの子も、「we will rock you」については運動会で知っていて、多分、クイーンで一番有名な曲ではないでしょうか。

それはさておき、最初、映画のCMを見た時は「ファン以外は誰が見るんだろうな~?」と思っていただけでしたが、周りの農家さんが「あぁ、俺は2回観たよ」とか、声をかける人が結構見ていて、またfbでも見ている人がいることをタイムラインで知り、何だか観たくなってきたのでした


そして、バンドもやっている我が師の高柳さんに声をかけてみたら、「おう、俺も行くつもりだよ」という事だったので、1人で観るのもなんだったので、ご一緒させて頂き、合計5名で観てきたのです

いや~、良かった

まず、IMAXで初めて観たのですが、IMAXは映像が良いし、何より音が違う

クイーンは昔のバンドなので、CDとかの音質はそれほど良くないのですが、映画で、最新の技術のIMAXですから、もうライブ会場にいる、いや、それ以上の響きと迫力で凄かったです

また、映画としても、何か悩みや葛藤を抱えている人なら、ボーカルのフレディ・マーキュリーの葛藤を見ると「あぁ、、、」と共感といったら変ですが、「フレディもこんな深い苦しみや悲しみを持っていたんだ」という事を知り、涙がこぼれます

普通のストリー映画やアクション映画や泣かせる映画と違って、パワフルで、感動的で、人間的で、ストレートな映画館で見るべき映画として、とてもよいです

まあ、合わない人もいるだろうし、ファンの人から見たら千差万別な意見があるでしょうが

フレディが最後の方で「観客を天国に行かせる、それがパフォーマーの使命だ」みたいなことを格好良く言っていましたが、私は1瞬、天国に行ってもいいと思いました

私、個人としては映画館で同じ映画を何度も見たことは無く、過去、リュック・ベッソンの「レオン」を2回観たことしか無いのですが、この「ボヘミアン・ラプソディー」は何回も観たいな、と思えたものでした。

誰か、また一緒に行きませんか?
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NHKスペシャルの「人生100年時代を生きる」第1回「終の住処はどこに」

2018年12月04日 | 自分の時間
昨日、NHKスペシャル 人生100年時代を生きる の第2回を見た感想を書きましたが、録画を見たら、第1回も録ってあったので見てみました。

なるほど、こっちもなかなか重かったです。。。

私は詳しく知らなかったのですが、一般的に「老人ホーム」と思っていたのは色々あるようです。

日帰りで通う「デイサービス」があって、ぐらいだと思っていたのですが、まず、「特養」と呼ばれるところは要介護レベルが3以上で平均月12万ぐらいで安く、ただ受け皿が足りなくなってしまっていた。

そこで民間の有料老人ホームが出来たのですが、要介護2以下の、比較的自立して外出できる、動けるという人たち向けの場所がなく、その人たちの切り札として登場したのが「サービス付き高齢者向け住宅」、通称「サ高住」というものだそうです。

これを「終の棲家」としてして頂く、ということで国も補助金を出していたのですが、ここに入る人で痴ほう症の方が沢山増えてきてしまっているということが「想定外」として起きてきてしまっているそうです。

「サ高住」はサービスがついている賃貸マンションのイメージで、そこに介護保険を使って要介護を受けれる体制が整っている設備だそうです。

国の基準では「日中最低1人」の職員が在住する必要がある。

しかし、テレビの内容をそのまま受け取ると、痴ほう症の方が増えて続けて、徘徊や幻聴・幻覚などが起きている方が半数を超える施設も出てきている。

そうすると、徘徊者を探す事や、夜中に呼び出される事などが多発して、とても1人では見切れない、という事例としてある施設が取り上げられていました。

そこで昼間は2人、夜は1人という体制にしたわけですが、これでは「人件費」が高くなって経営は赤字。

そもそも、「サ高住」は要介護2以下の方が入るところらしく、介護保険料が低い方が集まっているので、構造的に収入が低い。

大局的な事例として取り上げられた施設の方は、「入居者を選択」していて、「要介護3以上を中心に入ってもらう」ことにしていて、病院に電話をしていて「自立できない、車いすやベッドから自分から立とうとしない方」を探す営業もかけているんです。

その人は、ちょっと悪者のような形で取り上げられていますが、現場の正直な意見としては「要介護が高い人でないと、介護保険料が低くて赤字になってやっていけない」というのがあるそうです。

自分たちの「終の棲家」として登場した老人ホーム。

その中でも「介護レベルが低い」という人たち向けの切り札として出来た「サ高住」が、結局はそういった人たちは追い出し、入れる特養が足りず困っている要介護レベルが高い人を何とか入れて収入を保とうとする。


何とも悲しい現実です。

コメンテーターの方は、「介護レベルが下がるという事は、本来はハッピーなはずなのに、気分的には今まで受けていた介護サービスが受けれなくなったり、入居できる施設が無くなっていくというアンハッピーなこと、というおかしなことになっている」と言います。

この方は「介護レベルが下がったら報酬を出すというように、インセンティブを働かすべき」と提言していて、実験的にはそういったことが始まっているそうです。

また、最後の事例で、「介護レベルを下げる事」を目標として掲げ、その代わりに月額利用料金を平均より3万円多くとっている所を紹介していました。
そこは、何とかやっていけているようで、また理念に共感した人たちが集まって満室だそうです。


老人になって、子ども達には迷惑をかけれない、ということで施設に入ろうとする老人たち。

しかし、自分では思っていなくても、痴ほう症、になることで、施設からも入居を拒まれてしまう。

80歳以上の25%が痴ほう症になり、85歳以上は55%が痴ほう症になるそうです。

しかし、痴ほう症の方は徘徊が出来るぐらい介護レベルは低く自分で外出できるぐらいなので、介護保険料は低いのに面倒を見なくてはいけないという施設側からすれば厄介な存在。

「正直、寝たきりの方の方が有難い」と言う施設の方の本音もある意味わかります。

そして、「そうせざるを得ないようにしているのは、国の制度のため」と言うのも、倫理的にどうこうという事を考えなければ、ある意味では的を得ているとも思いました。

昨日見た「第2回」と今回の「第1回」を見て、両方共通しているのは「痴ほう症」になった人間が、家族や病院や施設からも言葉を悪く言えば邪魔者扱いされている事。

自分が介護する家族になったら、そりゃ大変だと思うわけです。

一方で、自分がボケてしまった時に、居場所がなくなるも嫌だな~と思うわけです。

そうすると、昔はどうだったのかな~?と思うのです。

高柳さんのおじいちゃんは、最後はボケて歩けなくなったのですが、高柳さんと奥さんで3カ月、毎日おむつの交換を普通にしていました。

「凄いな~」と思ったのですが、「誰もが順番があるんだから」といって平然と90を超したおじいちゃんのおむつを替えていた65才を超えた高柳さんの姿でした。

昔はボケた老人が少なかったのかはわかりませんが、老人の数より下の世代の方が人数が多く、またさらにその下の世代の方が人数が多かったわけです。

それが戦後に生まれた団塊世代と私達団塊ジュニア世代はもっとも人口ボリュームが多く、しかし、「核家族」として生きるのが当たり前になり、親子同居と言うのは少なくなってしまいました。

親子同居でもボケた親を家族だけで面倒見るのはしんどい。

もっと大変なのが1人暮らしの老人。

世界的に見れば最大の問題が環境問題だと思いますが、日本での最大の問題は超超高齢化社会であり、特にぴんぴんころりを思っていても実態は装ではない、ということですよね。

誰もがボケたくないですが、85歳以上の過半数がボケるわけですから、これはボケた人でもどう幸せに最後を全うしてもらうか。

それとも、ボケない生き方を指し示せる時代が来るのでしょうか?

私はたまたま高柳家を見ているので、出来れば昔のように家族一緒に住んで、子ども達にはおじいちゃん・おばあちゃんが老い、亡くなっていく姿を見ながら育って欲しいし、私もいずれ老いて亡くなる時に、子どもや孫に「人は死ぬ」という事を見せて死んでいきたいな~と思うわけです。

ただ、ボケたら迷惑をかけてしまう、というのはありますよね~。

そうすると、テレビや本でガンや病気にならない生き方、というのは取り上げられていますが、それと同等に、ボケない生き方、というのも大事ですよね~。
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NHKスペシャルの「人生100年時代を生きる」 第2回 いのちの終わりと向き合う時

2018年12月03日 | 自分の時間
NHKスペシャルの「人生100年時代を生きる 第2回いのちの終わりと向き合う時」を見ました。

今、全国の救命救急センターに衰弱した80代・90代の高齢者が次々運び込まれているそうです。

国が在宅介護、また家で看取ることを進めていますが、終末期で息が細くなった時に、救急車を呼ぶ家族が急増しているそうです。

「家で看取る」と決めていても、目の前で「呼吸が浅くなっている親」がいれば、つい呼んでしまう心情もわかります。

そして、心肺停止では救急に運びこまれ、心臓マッサージや薬で心臓を戻し、そこから人工呼吸器で延命は出来るけど、そこから長い入院生活が始まり、「家で看取る」はずだった親をみながら、家族は「はたしてこれで良かったのか?」と悩むケースが多いとのことです。

ある調査では85歳以上で一度心肺停止になった方の意識が戻る確率は0.5%。

また、テレビで出てきたある病院では集中治療室にいる患者70人のうち9割が人工呼吸器をつけた老人で、インタビューに出ていたお医者さんも「果たしてこれが本当に患者さんや家族のためになるか、悩むこともある」と率直な意見も。

一方で、「命の終わりを判断する」ことが家族に迫られるケースも増えています。

心肺停止で救急で運ばれて、心臓マッサージで一命はとりとめたけど、家族に対して「人口呼吸器をつけますか?つけたら命はとりとめます。つけなければ生命力が尽きるのを待つことになります」と決断を迫られる場面がありました。

その時、「ご家族で話合われますか?であれば、10分ぐらいで決めて下さい」と。

10分だって

奥さんは「お父さんは延命を望んでいなかったけど…」、息子は「いや、挿入してもらえおうよ」と。

そして。10分後、お医者さんが「血圧が60ぐらいに落ちてきました。そろそろ決めないといけませんが、結論は出ましたか?」と迫られ、最終的にこのご家族は10分の話し合いで「人口呼吸器の挿入をお願いします」とういう事になりました。

凄い光景でした。

一方で、「人工呼吸器を外すか?」という事をお医者さんから聞かれる家族の場面もありました。

お医者さんが「人工呼吸器で命は保たれていますが、意識が回復する可能性はほとんど無い。このまま続けるか?それとも、外して患者さんのお持ちの生命力に委ねて、そのままに任せるか?また外した場合は気道が詰まって急死の可能性もあります」と聞かれ、ご家族で「お父さんらしい最後を」という事で、外す決断をする場面。

外して1時間後に亡くなられましたが、昔と違って、ここ数年はこういった事をお医者さんが提示することも増えてきたそうです。

昔は人工呼吸器を外して訴えられたお医者さんのケースが2つあったそうですが、結局、不起訴になり、今は司法的にも本人やご家族の意志に委ねて医者が外すことは問題ない、となっているそうです。

また、人工呼吸器と同じで胃ろうも「果たしてこれをお父さんは望んでいるのか?」と悩む奥さんや娘さんも。
既に意志表明できない状態で、孫が「可哀そう」と訴え、しかし、娘が「でも、お父さんの最後を自分で決めて良いのか」と悩む姿も。

一方で、本人の意思はわからなく、意識がある時は「延命は望んでいない」という事だった旦那さんに対し、奥さんが毎日看病に通って「お父さんには出来るだけ長く生きていてもらいたいんです。1日でも。それが私の支えになっているんです」という奥さんもいました。

さらに、人口透析も問題に。

今は高齢者でも人工透析が出来るようになったそうです。
ただ、治療中に痴ほう症になる方が増え、自分で判断が出来ない状態の患者が増え、透析の管を引っこ抜いてしまう患者も。
そのため、家族に許可をとって、手袋をさせて引っこ抜かないような状態にされている高齢者も。

このまま延命を続けるのかどうかかを家族が判断しなくてはいけない時代に入ったという事です。

一方で、今は意識がある内に「どういった最後を求めるか?」という事を、積極的にアンケートをとっていく医師も増えているそう。
その輪がヘルパーや施設関係者などにも広がりつつあるそうです。

2050年には予想では100歳以上が200人に1人の時代になるそうです。

超高齢化社会が超超高齢化社会になる日本。

我が親、そして自分の事も含め、考えて置かないといけない時代ですね。
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