久々に農業関係の本を読みました。これは「当り
」の本でした。
去年の2月にNHKスペシャルで放送された内容を、その担当者が改めて本にまとめなおした本です。
このNHKスペシャルの内容は、「月刊農業経営者」で出てきたので、なんとなく知っていましたが、番組は見ていなかったので、あまり知りませんでした。
本を読んでみて、なるほど、これは凄く良い内容だ、と思いました。
アマゾンでも売っています→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/24/5145344086c3b2c0d7d7c479998df4ef.jpg)
何がよいか。
1:地に足をついて取材をしているので、非常にリアリティーがある
2:取材対象が豊富。青森からウクライナへ飛んでいる木村さんという農家から、日本の官僚、搾取される土地の住民と搾取する側の資本家まで、よくぞここまで頑張ったな、と思えるほど取材している
3:構成が良い。特に後半のまとめ方、そして最後の木村さんの言葉が、単に「搾取する資本家、国はひどい!」といった批判で終わることなく、メッセージ性がある
ということで、非常に面白い本でした。
世界の農産物、特に穀物と言われるトウモロコシ、大豆、小麦などは、モンサント社やシンジェンタやカーギルなどの穀物メジャーが牛耳っています。
ところが、2008年に小麦などの穀物の価格が上がった「食料危機」が世界をかけめぐりました。
バイオ燃料や局所的な天候不順(干ばつや豪雨など)により、世界の食料が、「穀物メジャー」と言われる5社ではコントロールできないことが露呈され、世界各国が自国の「食料安全保障」について本気で動き出すきっかけを与えた年だったそうです。
ロシアから見捨てられた地域であるものの、数十年も放置されていたおかげで、化学肥料などの害も無く、世界最高の肥沃な大地が広がると言われているウクライナでは、山手線で囲まれた土地ぐらいの広さを、次々と韓国やニュージーランドなどの企業がただ同然の価格で買いしめ、地元住民を労働者としながら、安価で大量の穀物を作り初めています。
ウクライナだけでなく、アフリカ諸国でも「土地は外国から資本を呼び込む資源」という位置づけで、国の農地の1/4を提供するなど、双方の思惑で土地をめぐる動きは盛んです。
投資対象となる、収益になる、という視点で大量に土地を確保し、24時間の3勤交代製で土地を開墾するインド人。どんなものでも売りさばける力を持ち、各国の農場を跋扈する中国人ブローカー。
豊かな大地は、各国の資本家によりモノカルチャー(単一作物)で覆われます。
この規模は、見たことが無い日本人では想像がつかないレベルです。
私は、たまたまマレーでパームオイル「パームヤシ」の森に行ったことがありますが、車で行けども行けども、地平線には「パームヤシ」だけが映え続けている、異様な風景が続いていました。30分、1時間走っても、パールヤシ以外の木は生えていないのです。
そこは、マレーの資本家が経営し、従業員は劣悪な環境でインドネシア人が雇われている、という、「搾取」と「搾取される側」の関係が、露骨に分かりやすくありました。
そして、20年~30年、パームヤシが老いてきたら、その広大な森は、一気に燃やされます。日本の焼畑農業とは次元が違います。そして、またそこにパームヤシが植えられるのです。
世界の穀物生産は、こういった次元でされています。日本で「農業の生産性を向上」という話は、穀物に関して言えば、土台議論することが無意味なほどの規模で行われいるんです。
そして、「経済作物」である穀物に価値が今まで以上あると判断した各国は、国をあげて「残された土地」の争奪戦を激しく行っています。まるで、かつてヨーロッパの人々が、世界各国を「発見」し、属国にしていったように。
よく韓国に対して、日本がFTAを結ぶとか、あるいはお手本にしないといけない、とか話があります。
アメリカを始め各国とFTAを結んでいる韓国は、そもそも国土や産業を「選択と集中」そし、多くの産業や農業を放棄した国です。農地を放棄し、貿易立国として勝負に出ている国です。ウクライナで大量の農地を囲っていますが、それは国のバックアップがあってです。
かつて、国として経済破綻し、国が公然と企業を財閥化し、その財閥上がりの人物が大統領をしながら今も破綻目前の韓国。
そんな前提が全く違う隣国を参考にする動きは、まだまだ続きます。
1年か2年前か忘れましたが、何かの雑誌に大前研一が「日本国内でちまちまやっていても無意味。アフリカやウクライナなどで土地を確保しないと世界の競争に乗り遅れる」という文を書いていました。
グローバルな経済戦争をしている現代では、やり方はさておき、日本も「食糧の安全保障」の観点から、そうした「残された大地」を官民あげて争奪していくべきなのでしょう。
でも、本当にそういった競争に参画するべきなのでしょうか?
本に書いてありましたが、こういったランドラッシュに対する規制策を日本の外務省が作り、国際会議で「不合理に土地を奪うことなく、土地の住民などときちんと話し合っていくべき」という合意を取り付けたそうです。
これは外務省として「成果」だったはずが、これに対して、国連の報告官が「そもそも、モノカルチャーの経済最優先の農業の在り方」を批判し、「それを進める規制策」を批判しました。
その文章の中にこういったものがありました。
「これまでの農業開発は、大規模化した資本投入型の農業を推進し、地域に食糧を提供してきた小規模生産者への対応をおざなりにしてきた。小規模生産者は、農業の多様性、生物多様性の維持に貢献し、農村に価格変動や気候変動への抵抗力を与え、環境保全にも役立っている」
その通りだと思います。
合理的に、経済的に考えれば、アメリカや穀物メジャーなどが唱えた「世界分業体制」を「食料」にも当てはめ、「各国が得意な農産物を作り、他国が安く作れるものはそれを輸入すればよい」という論理が通じるのでしょう。
でも、そこには「我が社が儲かるのか?」「わが国が一番儲かるのか?」「わが国が一番食料安全保障が担保されるのか?」といった前提をもった企業、国があるのですよね。
「穀物メジャーの力は衰え、これからはアジアの時代になる」と判断し、跋扈するインド、韓国、中国などの企業、あるいは国々。
インド、中国なども人口増から来る食料問題に危機感を持ちながら動いています。
そこに、アジアの最東の島国で、国内市場ではもはや経済成長はなかなか見込めない、超高齢化が進み人口が減っていく、そして何よりも国土が狭く平地がほとんど無い日本が、わざわざ「農産物」のためのランドラッシュに参画する意味はどれだけあるのでしょうか?
国連の報告官の言うとおり、農村の小規模生産者は、少量多品種の生産が出来ます。農業の多様性を持ち、生物多様性の維持だけでなく、価格変動や気候変動への抵抗力があります。環境保全はもちろん、食料の安全保障にもなります。
日清食品や山崎パンなどの大手の商品を食べるのが当たり前になっている今の日本では、多数決をとれば、当然「外国の安いもの」を選ぶでしょう。
でも、イメージしてみましょうよ。
田舎のおじいさん、おばあさん、家族が村で自給が出来る程度に野菜や牛、豚を飼い暮らしていました。
そこに、外国の資本がやってきて、土地をかっさらい、その家族は行くあてもなくなりました。
その地域で、外国の企業が小麦や大豆を大量に作り、世界へ売りさばきます。
かつて、その土地で貧しくも心は豊かに暮らしていた家族は路頭に迷い、食べるものも無く飢餓で苦しみ、死んでいくようになります。
その国の土地で、大量に食物が作られているのにも関わらず、その食物はその国の人は食べれず、外国に運ばれ、変わりに、国連などが「飢餓と貧困」にあえいでいる住民へ「食料援助」をしているのです。
こんなことが、もう何十年も続いているのですが、それが更にスピードを増しているのです。
そして、その食料が、穀物メジャーや商社を通じて、日本の大手食品製造会社の原材料として仕入れられているのです。それがあるから、「国産よりも安い価格」で色々なものが安くわれわれは買えるんです。
それが本当に「嬉しいこと」なんでしょうか?
この本の最後に、青森の農家の木村さんが言っていた言葉が印象に残ります。
「海外から大量の食べ物を取り寄せ、その半分を捨てている日本。飢餓であえでいる人のことなどイメージすらできず、勝手なことばっかりやっている国民だから、いずれ世界から見捨てられる日がくるよ。食べ物の恨みは恐ろしいんだから」
私もたまに外食をするから、「外国の安いもの」が生活に入っています。
でも、出来るだけ、日本のもの、地域のものを買うというのは、本当の意味での「食料安全保障」であり、それは、世界各国の安いものを買い集める活動にYESなのかNOなのか、自分で選択する、ということなんですよね。
農家さんの半分以上があと5年から10年で農家を止めてしまう日本。そして、TPPも始まるでしょう。
でも、そういったところが一歩身を引いて、顔が見える農家さんの小麦や大豆を使ってパンや豆腐をつくっている商店、あるいは野菜を買うということは、「買い支える」というおこがましい姿勢ではなく、「共に生きていく」という考え方を持った生き方を送ることなんでしょう。
そういった人達が日本では増えてきていることを常に実感しています。
ランドラッシュ、今のタイミングで、非常に良い本に出会えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
去年の2月にNHKスペシャルで放送された内容を、その担当者が改めて本にまとめなおした本です。
このNHKスペシャルの内容は、「月刊農業経営者」で出てきたので、なんとなく知っていましたが、番組は見ていなかったので、あまり知りませんでした。
本を読んでみて、なるほど、これは凄く良い内容だ、と思いました。
アマゾンでも売っています→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/24/5145344086c3b2c0d7d7c479998df4ef.jpg)
何がよいか。
1:地に足をついて取材をしているので、非常にリアリティーがある
2:取材対象が豊富。青森からウクライナへ飛んでいる木村さんという農家から、日本の官僚、搾取される土地の住民と搾取する側の資本家まで、よくぞここまで頑張ったな、と思えるほど取材している
3:構成が良い。特に後半のまとめ方、そして最後の木村さんの言葉が、単に「搾取する資本家、国はひどい!」といった批判で終わることなく、メッセージ性がある
ということで、非常に面白い本でした。
世界の農産物、特に穀物と言われるトウモロコシ、大豆、小麦などは、モンサント社やシンジェンタやカーギルなどの穀物メジャーが牛耳っています。
ところが、2008年に小麦などの穀物の価格が上がった「食料危機」が世界をかけめぐりました。
バイオ燃料や局所的な天候不順(干ばつや豪雨など)により、世界の食料が、「穀物メジャー」と言われる5社ではコントロールできないことが露呈され、世界各国が自国の「食料安全保障」について本気で動き出すきっかけを与えた年だったそうです。
ロシアから見捨てられた地域であるものの、数十年も放置されていたおかげで、化学肥料などの害も無く、世界最高の肥沃な大地が広がると言われているウクライナでは、山手線で囲まれた土地ぐらいの広さを、次々と韓国やニュージーランドなどの企業がただ同然の価格で買いしめ、地元住民を労働者としながら、安価で大量の穀物を作り初めています。
ウクライナだけでなく、アフリカ諸国でも「土地は外国から資本を呼び込む資源」という位置づけで、国の農地の1/4を提供するなど、双方の思惑で土地をめぐる動きは盛んです。
投資対象となる、収益になる、という視点で大量に土地を確保し、24時間の3勤交代製で土地を開墾するインド人。どんなものでも売りさばける力を持ち、各国の農場を跋扈する中国人ブローカー。
豊かな大地は、各国の資本家によりモノカルチャー(単一作物)で覆われます。
この規模は、見たことが無い日本人では想像がつかないレベルです。
私は、たまたまマレーでパームオイル「パームヤシ」の森に行ったことがありますが、車で行けども行けども、地平線には「パームヤシ」だけが映え続けている、異様な風景が続いていました。30分、1時間走っても、パールヤシ以外の木は生えていないのです。
そこは、マレーの資本家が経営し、従業員は劣悪な環境でインドネシア人が雇われている、という、「搾取」と「搾取される側」の関係が、露骨に分かりやすくありました。
そして、20年~30年、パームヤシが老いてきたら、その広大な森は、一気に燃やされます。日本の焼畑農業とは次元が違います。そして、またそこにパームヤシが植えられるのです。
世界の穀物生産は、こういった次元でされています。日本で「農業の生産性を向上」という話は、穀物に関して言えば、土台議論することが無意味なほどの規模で行われいるんです。
そして、「経済作物」である穀物に価値が今まで以上あると判断した各国は、国をあげて「残された土地」の争奪戦を激しく行っています。まるで、かつてヨーロッパの人々が、世界各国を「発見」し、属国にしていったように。
よく韓国に対して、日本がFTAを結ぶとか、あるいはお手本にしないといけない、とか話があります。
アメリカを始め各国とFTAを結んでいる韓国は、そもそも国土や産業を「選択と集中」そし、多くの産業や農業を放棄した国です。農地を放棄し、貿易立国として勝負に出ている国です。ウクライナで大量の農地を囲っていますが、それは国のバックアップがあってです。
かつて、国として経済破綻し、国が公然と企業を財閥化し、その財閥上がりの人物が大統領をしながら今も破綻目前の韓国。
そんな前提が全く違う隣国を参考にする動きは、まだまだ続きます。
1年か2年前か忘れましたが、何かの雑誌に大前研一が「日本国内でちまちまやっていても無意味。アフリカやウクライナなどで土地を確保しないと世界の競争に乗り遅れる」という文を書いていました。
グローバルな経済戦争をしている現代では、やり方はさておき、日本も「食糧の安全保障」の観点から、そうした「残された大地」を官民あげて争奪していくべきなのでしょう。
でも、本当にそういった競争に参画するべきなのでしょうか?
本に書いてありましたが、こういったランドラッシュに対する規制策を日本の外務省が作り、国際会議で「不合理に土地を奪うことなく、土地の住民などときちんと話し合っていくべき」という合意を取り付けたそうです。
これは外務省として「成果」だったはずが、これに対して、国連の報告官が「そもそも、モノカルチャーの経済最優先の農業の在り方」を批判し、「それを進める規制策」を批判しました。
その文章の中にこういったものがありました。
「これまでの農業開発は、大規模化した資本投入型の農業を推進し、地域に食糧を提供してきた小規模生産者への対応をおざなりにしてきた。小規模生産者は、農業の多様性、生物多様性の維持に貢献し、農村に価格変動や気候変動への抵抗力を与え、環境保全にも役立っている」
その通りだと思います。
合理的に、経済的に考えれば、アメリカや穀物メジャーなどが唱えた「世界分業体制」を「食料」にも当てはめ、「各国が得意な農産物を作り、他国が安く作れるものはそれを輸入すればよい」という論理が通じるのでしょう。
でも、そこには「我が社が儲かるのか?」「わが国が一番儲かるのか?」「わが国が一番食料安全保障が担保されるのか?」といった前提をもった企業、国があるのですよね。
「穀物メジャーの力は衰え、これからはアジアの時代になる」と判断し、跋扈するインド、韓国、中国などの企業、あるいは国々。
インド、中国なども人口増から来る食料問題に危機感を持ちながら動いています。
そこに、アジアの最東の島国で、国内市場ではもはや経済成長はなかなか見込めない、超高齢化が進み人口が減っていく、そして何よりも国土が狭く平地がほとんど無い日本が、わざわざ「農産物」のためのランドラッシュに参画する意味はどれだけあるのでしょうか?
国連の報告官の言うとおり、農村の小規模生産者は、少量多品種の生産が出来ます。農業の多様性を持ち、生物多様性の維持だけでなく、価格変動や気候変動への抵抗力があります。環境保全はもちろん、食料の安全保障にもなります。
日清食品や山崎パンなどの大手の商品を食べるのが当たり前になっている今の日本では、多数決をとれば、当然「外国の安いもの」を選ぶでしょう。
でも、イメージしてみましょうよ。
田舎のおじいさん、おばあさん、家族が村で自給が出来る程度に野菜や牛、豚を飼い暮らしていました。
そこに、外国の資本がやってきて、土地をかっさらい、その家族は行くあてもなくなりました。
その地域で、外国の企業が小麦や大豆を大量に作り、世界へ売りさばきます。
かつて、その土地で貧しくも心は豊かに暮らしていた家族は路頭に迷い、食べるものも無く飢餓で苦しみ、死んでいくようになります。
その国の土地で、大量に食物が作られているのにも関わらず、その食物はその国の人は食べれず、外国に運ばれ、変わりに、国連などが「飢餓と貧困」にあえいでいる住民へ「食料援助」をしているのです。
こんなことが、もう何十年も続いているのですが、それが更にスピードを増しているのです。
そして、その食料が、穀物メジャーや商社を通じて、日本の大手食品製造会社の原材料として仕入れられているのです。それがあるから、「国産よりも安い価格」で色々なものが安くわれわれは買えるんです。
それが本当に「嬉しいこと」なんでしょうか?
この本の最後に、青森の農家の木村さんが言っていた言葉が印象に残ります。
「海外から大量の食べ物を取り寄せ、その半分を捨てている日本。飢餓であえでいる人のことなどイメージすらできず、勝手なことばっかりやっている国民だから、いずれ世界から見捨てられる日がくるよ。食べ物の恨みは恐ろしいんだから」
私もたまに外食をするから、「外国の安いもの」が生活に入っています。
でも、出来るだけ、日本のもの、地域のものを買うというのは、本当の意味での「食料安全保障」であり、それは、世界各国の安いものを買い集める活動にYESなのかNOなのか、自分で選択する、ということなんですよね。
農家さんの半分以上があと5年から10年で農家を止めてしまう日本。そして、TPPも始まるでしょう。
でも、そういったところが一歩身を引いて、顔が見える農家さんの小麦や大豆を使ってパンや豆腐をつくっている商店、あるいは野菜を買うということは、「買い支える」というおこがましい姿勢ではなく、「共に生きていく」という考え方を持った生き方を送ることなんでしょう。
そういった人達が日本では増えてきていることを常に実感しています。
ランドラッシュ、今のタイミングで、非常に良い本に出会えました。
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