半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

本:複合汚染

2018年03月23日 | 素敵な本
 有機農業が世界的に広まったきっかけになったのは、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」という本ですが、ご存知でしょうか?

海洋生物学者だったレイチェル・カーソンが、本来は草木が芽吹き、バッタや蝶が舞い、小動物も動き出すはずの春に、その命の躍動が無く、生物がいなくなってしまった春の原因が、農薬であることを訴えた本です。

 化学肥料も化学農薬も、もとは戦争の産物です。大砲などの火薬が化学肥料へ、毒ガスが殺虫剤、ベトナム戦争でベトちゃん・ドクちゃんのように子供達に大きな影響を与えた枯葉剤が除草剤です。

「平和利用」という名の下、戦後に大量に余った化学合成物質が農の世界に入り込み、「魔法の薬」ということで、欧米で大々的に使われ、殺虫剤や除草剤のおかげで今まで虫の被害や草取りで大変だった農家は、大喜びをしました。

 ところが、そのあとに体調不良、人間だけでなく家畜でも病気になったり豚さんなら奇形や流産などが目立つようになり、「原因不明の難病」が増えていきました。その原因が農薬であることを訴えたのが「沈黙の春」でした。

 世界的に翻訳され、アメリカでも大議論が行われ、最終的には農薬の使用中止や規制が始まりました。

 日本でも同様な流れがあったのですが、同時に公害の時代で、有吉佐和子さんが「複合汚染」という本で、農薬や食品添加物や排気ガスなど、A×B×Cとかけ合わさった時、どのような毒性が出るかわからないことを訴えました。


 複合汚染を読んで、「あぁ、確かに私が生まれた時代は公害の時代だったということもわかるが、有機農業運動、化学合成洗剤に対する石けん運動など、今の中国のような垂れ流しの状態で様々な反対運動がおこった時代なんだな~」とういうことが良くわかりました。

 有機JAS法が出来る前から、無農薬、無化学肥料で野菜を栽培している農家さんの多くが、この2つの本から影響を受けています。1970年代から化学農薬、化学肥料を中心とした国の指導に従って作った野菜や家畜、そして農家そのものがおかしくなってきたことに対する反動としての世界的な「有機農業運動」の始まりです。

 1970年代はちょうど私が生まれた年代です。

 その頃、子育てをしていた方々は、水俣病、イタイイタイ病など公害、また森永ヒ素ミルク事件、さらにはオイルショックなど、高度経済成長の中での弊害が噴出したあの頃のことを覚えているのではないでしょうか?

 日本の人口のボリュームゾーンを占める団塊世代とその子供たちの私たち団塊ジュニアが、農薬や食品添加物が大量に使われる時代を共に過ごしました。

 そして、そういった時代に生を受けて幼少期を過ごした私たち団塊ジュニア世代の子供たちの多くに、今、アトピーやアレルギーなど、かつてはほとんどなかったものが出ています。

 昔、お母さんの胎盤は毒を通さない、ということで、水俣病のお母さんは体調不良ぐらいで済んだけど、その生まれてきた赤ちゃんがおかしくなって生まれてきたことを、国や科学者は「水銀は胎盤を通過しないから、関係ない」と10年も無視してきました。

 しかし、熊本大学の原田先生と立派な先生が、患者さんに寄り添い、研究をし続けた結果、無機水銀は自然界に存在していて人間は体外に排出する力を持っているけど、有機メチル水銀は自然界になかったもので、お母さんの体はそれをどう処理すればよいかわからず、胎盤を通じてお腹の子供の中に移行して、いわゆる「胎児性水俣病」というものが発生したことを突き止めたのです。

 だから、今の子供たちが、アトピーやアレルギーなどが出るその原点は、私たちのような1970年代に生まれて子供時代に貯め込んだ毒素が出産のときに移行した、という説も有り得ることだな、と思います。

 さらに、親の世代は加工品をたくさん使い、おじいちゃん・おばちゃんは昔のように厳しくなく、可愛いからと言ってお菓子を孫に大量に与える時代です。

 そして、今は中高生の3割が成人病予備軍という食が乱れている時代です。

 今の子供達が大人になってから新たに生まれてくる子供たちは、さらにどんな異変が起きてしまうのでしょうか?

 歴史に学ぶ、と言いますが、せめて食べ物のことぐらい、国や行政がしっかりして欲しいのですが、残念ながら日本は欧州に比べると何十年も遅れています。

 そうなると自衛、親が何とかするしかないですよね。

 今、「食と命の教室」に来ている3人のお子さんがいるお母さんがいるのですが、看護師で、色々勉強して今の西洋医学の対処療法の限界を知り、食べ物が命を作ることを学び、自分の子が少しアレルギー気味なこともあり、その原因を自分の親が自分に与えた食べ物に原因があったのでは、と考えている方がいます。

 「もう少し、私の親が食べ物とかに気を付けてくれていたら、と思うのですが。今も孫が可愛いといって、なんでも与えてしまうので困っています」とのこと。

 食べ物が体を作る、命を作る。とても当たり前のことです。

 大人が学ばなければいけないのは、後世のため。

 数学が出来なくても、命ある食べ物とは何か、そういった事を学んでいる方がよっぽど良いですよね。
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今年2回目の「食と命の教室」

2018年03月17日 | 農的体験・生活
気温の変化が大きい春ですね

さて、今年2回目の「食と命の教室」
昨年もそうでしたが、今月は単発の方が大変多く、定員マックス

車座になって話をするギリギリの人数だったのですが、これまた先月と同様に、1人1人がいろいろなバックグラウンドお持ちで、そしてこの教室を求めていたような方々が多く、楽しくもじ~っくりと大人の学び舎としての時間を一緒に過ごすことが出来ました

私も昔は働き過ぎで病気になって会社を休むほどでしたが、この教室では、そういった仕事に追われている人、あるいはガンなどの病気の人、流産の経験がある人、子供が無事に生まれてきてくれたことで食べ物と体や命のことを学びたいと思うようになった人など、1人1人の日常生活空間では、なかなか話せないことが、自己紹介から飛び出てきます。

それだけ今の社会が何かしらおかしいところがあって、その流れにそのまま乗っかり続けられる人がいる一方、疑問を持ったり、乗り切れないで苦しんでいる、あるいは降りようと考え始めている、あるいは降りたもののさらなる出会いを求めている人が沢山いるんだな~ということを、私も知ることが出来ます。

そんな方々に、高柳さんがずっと考えてきたことや、師匠から教えてもらったことなどは、1つ1つ、情報として響きますし、なにより、口だけではなく、実際に大地に根差して自然とともに生きてきたところが、高柳さんのすごいところだと、私だけでなく、みなさん実感しているようです。

さて、たった1時間ちょっとの自己紹介やお話タイムで、ぐっとみんなの距離というか、思いがリンクしたところで、農作業の時間です。

まずは、先月種を蒔いたミニトマトなどを鉢替えです
ゴマよりも小さな種をみんなで蒔いたのはちょうど1か月前。
それがこの1か月でかわいらしい苗に育ちました
それを1つ1つ、ポットに植え替えていきます。
こんなに小さな苗でも、「水はやり過ぎたらいけない。子育てと同じだな」というお話があったり、「葉っぱと葉っぱが重なるようになったら、間をあけないといけない」といった、ちょっとしたコツなど、1つ1つ、「へ~」とみんな一生懸命聞いていました。


今回は人数が多いので、1000を超える苗が1時間ぐらいで植え替えできました
農業はやっぱり人手ですね~

さて、作業が終わったら、みんなで美味しいお昼ご飯
お昼を目当てに来る人もいるぐらいで、肉など使わずとも、美味しいご飯にみんな満喫
そして、いつものごとく、高柳さんのギターも


さらに、お昼後、お酒好きな方がいたので、先月同様、お昼から「おかげさまのお酒」が出てきて、みんなで楽しそうに飲んでいました

さて、お昼休み後は、毎年見ている「根の国」です。
「根の国」というのは、スプーン1杯、1gの土の中に、ダニ、姫ムカデなど小さな小動物がたくさんいて、その糞尿や死骸の中にもバクテリアが沢山いて、微生物が1億いる、そしてどれかが爆発的に増えることはなく、それぞれがバランスをもった生態系になって「小宇宙」のようになっている、ということを映像で知ることが出来る、貴重な映像です。

「とても刺激を受けました」という人もいましたが、「食事のあと、DVDですか。。。寝ちゃわないかな」と言っていた人もいたとおり、特にお酒を飲んで寝ている人もいましたが


さて、目で映像を見ただけでは面白くないので、野ざらしにした堆肥を観にいきました。
触ってみてフカフカ、匂いもなく、こういうのを土に入れると、小動物や微生物がたくさん住む良い畑になるんでしょうね。
「土は1000年に30㎝という学者もいる」という言葉がある通り、放っておいたらなかなか出来ないので、堆肥はとても大切です。


そのあとはみんな大好き収獲タイム
人参と菜花を好きなだけ収獲してもらいました



今回の教室で高柳さんが「片岡くんも感想を言え」と言ったので、ちょっと話しましたが、私の信条というか信念に「子供達の未来のためには、今の社会をこんな風にしてしまった大人こそ学び直す必要がある」というものがあります。

私は子供にだいぶ救われましたし、地域の子供達もみんな可愛いと思います。
「何のために生きるのか?」というお題目があるとしたら、それは「誰かの役に立つため」という大きな答えがあると思いますが、もっとシンプルに言えば「後世のため」、つまり「子ども達のため」に大人は存在すると思っています。

というのは自然界を見ればわかりますが、究極的には、生物は子孫を残すために大人になるんですね。

ただ、人間には頭があって、社会活動が出来ます。

だから、別に子供がいない大人でも、その子供たちが住んでいる社会をより良いものにしていくための務めは果たせるわけです。

自分が子供の頃はよくわかりませんが、結局、大人になってみたら、「近頃の子供は」という大人に対して、「そんな子供に育てたのはあなたたちじゃないか」というのがわかったわけです。

子供に何かあるのは、そういう子を育てた親や社会に原因がある。

そういった親を育てたその親や、そういった親になるような社会に原因がある。

つきつめていくと、どんどんさかのぼるわけです。

だから、子供たちのために、子孫に少しでもまともな世界、社会を渡していくのが大人の務め。

となれば、大人が死ぬまで学んでいかなくてはいけないし、何より、「どう生きたか」という、生き方が、子孫から問われている、という感覚をもっと持つべきだと思うんですね。

という考えをもっているので、色々なことをざっくばらんな雰囲気の中で語り合える、学べる、「大人の寺子屋」は社会的価値があると思いますし、なにより、高柳さんという存在に出会う事、こういった生き方をしている大人が実際にいる、とういことを知ることはとても大切だと思います。

今月の参加者のみなさんも、とても感受性が高く、とても素敵な方々が多く、雰囲気もとても良かったです
そして、その影響で、私もしみじみ、「この教室はいいな~」と主催者ながら思えた時間でした
 
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卒業式

2018年03月16日 | 自分の時間
今日は小学校の卒業式

あいにくの小雨でしたが、校長先生が「涙雨」という表現をしていて、なるほどな~と思いました。

さて、今回は第45回だそうで、私が卒業したのは第14回かな?

一昨年も参加しましたが、30年以上経ってから自分の母校に来賓として参加出来るのは有難いお話です

一昨年はインフルエンザが猛威を振るっていて、倒れる子供も続出
先生方も倒れることを前提に、6年生の周りに待機して目を見張っているほどでした。

しかし、今回はそんな雰囲気もなく、マスクをしている子もほとんどいなく、いたって平穏な感じで、見た目では全員出席という感じでした


卒業式とか、こういったセレモニーは堅苦しく、子供達同士の時間やクラスで先生との時間をしっかりとってあげた方が良いんじゃないかな、と個人的には思いますが、まあ、大人に向かうために、そして1つの区切りという意味で、あえてこういった堅苦しいのも良いのかな、とも思いました。


ただ、やはりそこは卒業式。

子供達の歌の時間は、保護者、特にお母さんの大半は涙ウルウルで、先生方もウルウルで、そういうのを見るとこちらも、あぁ、いいな~、と、自分の子がいるわけでもないのに、ちょっとウルウルきてしまいました

終わった後は、来賓の皆さんで雑談をしながらご飯。

PTAやおやじの会などの参加率がどんどん落ちている中で、来賓として呼ばれている方々は何かしら学校に関わっている人が多く、話を聞いているだけで、自分の子供がいなくても学校に対する愛着を持っていることがわかります。

そして、学校のこと、中学校のこと、新しい校長のこと、自分たちがかかわってる活動のことを色々話をしていて、「こういった人たちが本当は地域に沢山いればいいんだろうな~」と思いました。

実際、小規模校は全校生徒が100人いないようで、そういった地域は運動会などは大人の方が多いのです。
それこそ、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、そして子供という感じなので、大人と子供が一緒にやる競技がほとんどだそうです。
1年生になったら竹馬を親が送る学校があったり、芝生の張替えを保護者のお父さんがやったりと、同じ成田市内でも、小規模校は地域と学校のかかわりが深いんですよね。

学校や市役所など、公のところは一定の縛りがあるので、自由が利かないところはあるけど、関わることで相互理解も深まるし、みんなで子供たちを、という共通の意識が生まれてくると思います。

昔は子供も大人も多く、社会が子供と親が一緒だったわけです。

特に私のような団塊ジュニア世代は、親と自分たちの世代が日本の人口のボリュームゾーンで、社会の中心でした。

しかし時代は変わり、大人の方が人数が多くなり、また夫婦共働きやシングルの方も増え、学校や子供たちに社会がかかわる余裕というか、あそびの部分が少なくなってきてしまいました。

本当は、小学校などに大人も関われば関わるほど子供たちの暮らす学び舎や先生たちのことがわかるし、学校やクラブなどに関わらないと、なかなか地域の子供と関係が持てない時代です。

下手に歩いている子に声をかけたら不審者と思われる時代ですからね

そういう意味で、子供が小学校にいっている間は、小学校に関われる有難い時期です。

もう数年ですが、色々な体験、学びの時間を過ごさせて頂きたいと思います
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ぼちぼち

2018年03月14日 | 自分の時間
私のブログ、誰が見ているのかわからないのですが、最近はろくに更新できていないのに、昨日は140アカウントが900ページ見たみたいです。

体調不良とか内容が無いのを書いていてすみませんね

大体、ビューが多い時は、テレビ局が自然薯のページを見ているのが多いのですが、最近は、教室にご参加頂いた方が見ていてくれるようで、有難いお話です

たまに調子が良い時は、長々と真面目なこともきちんと書いていますので、暇があれば覗いてみてください


さて、今年は久々というか、今までにない感じの体調不良が続いているのですが、昨日、めまいがしながら少し農家さんのお手伝いをしたのですが、その奥さんも「私もそうよ。この時期はめまいがしたり、車にのって酔っておえって吐きたくなる時あるよね。でも仕事しないと食っていけないから休んでなんかいられないわ」とのこと。

大体が自律神経の問題だと思いますが、一方で、「脳の検査をした方が良いわよ」とアドバイスをしてくれる方も多く、どうしようかな~と思いながら様子を見ているところです。

「あたなと健康」という月刊誌を出している、自然療法の大家でもある東条百合子さんの話や言葉を胸に刻みながら生きているのですが、最終的には「自然の力に任せる」という感じなのでしょうか。

どうせ診察しても薬が出るだけなのが現代医学で、本当に必要な時もあるのですが、大概がいつもの生活をきちんとすれば治るはず。そうじゃなければ、昔の人なら死んでいた、と思えば、まあ薬が無くてもいいかな、という思いもあります

病気や不調はお天道様からのメッセージと思えば、世の中やご縁ある人、あるいは自分が生かされていることに対する感謝が薄れ、傲慢、エゴ、妬み、嫉妬などが表れている時に、神経が詰まって自律神経も不安定になり、体調不良になるのかな、という考えもあります。


良く、宗教にはまっている人は、ある意味、病的でもあるのですが、身体は健康の場合があります。

独特のリズムによるお経などを繰り返すことで、精神が安定していたり、その世界にどっぷりつかることで、信じる基盤が出来て、それで安心する。


高柳さんも「人は何か頼るものが無ければ生きていけない、だから宗教が出来たんだろうな」と言いますが、それは1つあるのでしょうね。

特に病気になったり、不幸がつもって「なぜ?」となる人は、自分の内ではなく外に解を求めて、救いも外に求める傾向があると思います。

それがシンプルに解として提示するところがあれば、そこにはまりやすい。


ただ、そういった「教え」ではなくて、昔ながらの日本人の生き方というか、アメニズムというのでしょうが、山や川や空気やお天道様に有難みを感じて、今日も朝にきちんと起きれて仕事が何とか出来る、という事自体に感謝をする、そういったのが私は好きです。

そのぐらいがちょうど良いかな、と思います。

そういった生き方は、「所詮、人間も自然の一部で、いつか朽ち果てていく」という達観を出来ていくだろうし、農村の方々は、死ぬことも怖がらないし、病気になってもそんなに騒がない人が多い気がします。

まあ、そんなこんなで、今日も無事に起きれて一応動けています。
有難うございます

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不調続き

2018年03月12日 | 自分の時間
どうも不調が続いています。

もともと3年前ぐらいに無理がたたって体を壊してから、体調や体力が万全な日の方が少ないのですが、この2年ぐらいは大きく崩れることなく、まあまあ普通に暮らしてこれました。

ただ、今回は結構来ています

1月に寒空の下で餅つきをやって、1週間ぐらい頭がぼやぼやしていたのですが、その際に、眼科の定期健診で「視神経が普通はこうならないから、もしかしたら脳梗塞の疑いがあるかも」みたいなことを言われたのですが、自覚症状がなかったので、1か月後に再検査をして、そしたら問題なかったんですね。

そしてまた普通に戻って、先々週、思いっきりサッカーをやった日があって、その次の日は1日休んで、翌々日から仕事を普通にしていたのですが、体調は普通なのですが、1瞬くらっと意識が飛ぶというか、そういのが3~4日続いていました。

火曜日は2~3回、水曜日は10回ぐらいきて、「これは?」と思ったのですが、寝ていたらまあ治りました。

そして先週、水曜日、仕事をして疲労がたまったのか、どうも調子が良くなく、木曜日はちょっとぼやぼやしていましたが、午前は普通に仕事をしていたのですが、細かい文字を見ていたら、すごいめまいがして。

人生で一番のめまいだったのですが、それが週末まで続いていました。

どうやら極度の眼精疲労のような感じで、眼振やまぶたがピクピクする感じ。

ただ、ちょっと調べてみたら、めまいは一番は耳からくるそうで、今日は耳鼻科に行ってみて、検査をしてみたのですが異常なしで、めまい止めをもらいました。

そのせいか、昨日よりは良いのですが、目をあまり使いたくない、という感じで、まだぼやぼやしています。

という感じで、ブログもあまり書く気力が沸いていなかったのですが、ちょっと書いてみました。


今週は金曜日に卒業式、土曜日が食と命の教室なので、それまでほぼオフモードで暮らしたいと思います。

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放課後子ども教室

2018年03月01日 | 自分の時間
今年度の「放課後子ども教室」が終わりました。

これで3年目が終わったことになります。

知り合いの農家さんがやっていたのを知り、市役所に問い合わせをしたところ、当時の担当者が諸手を上げて向かい入れてくれたことが懐かしいです

「放課後子ども教室」というのは、国が今の子供たちのいろいろな問題の大きな1つが、地域と学校が離れてしまっている、子供たちの居場所がなくなっている、という問題意識から、地域のボランティアなどを学校という場を使って子供たちともっとつなげていこう、という思惑から始まったものです。

私もこういった事を始めて、初めて知ったのですが、例えば児童ホームと放課後子ども教室は、管轄が違うとかで、子育て支援課やら保育課やら生涯学習課やら担当が違うので、縦割り行政とはこういったことなのか、というのがあるのです。

ただ、そういった事を横におけば、とても素晴らしい事業で、要するに、地域の人と子供たちが一緒になって学校で放課後遊ぼうよ、というものなんです。

昔、児童ホーム、いわゆる学童の子は、学校が終わった後も校庭とかで遊べていいよな~と思った事があります。

今、思えば、家にすぐに帰れず、好きな友達と好きなところで好きなように遊べない、という制約があるので、必ずしもいいとは限らないものでしたが、今の時代は公園には子供たちはあまりいなくて、さびれていたり汚くなったりして、子供たちの居場所はもっぱらマンションのキッズルームだったりすることを考えると、あながち、学校で放課後遊べることは寂しいことではなく、むしろいいよね、と思えるところもある時代に入っていると思っていました。

そういう意味で、子供たちがこの「放課後子ども教室」に来ると、学校の中にいるのに放課後という解放感で、まあ、思いっきりはしゃぐわけです

学校によって特色が違うので、一概には言えませんが、私がかかわっている学校は保護者のお母さんが中心で、思いっきり準備をし、毎回、イベントのようでそれはそれは楽しそうなのですね

そして、こういった事が無い限り、保護者が学校に気楽に行って自分の子供とは違う学年やクラスの子と関われることは、そうそうないわけです。

もちろん、こういった事に関心を持っている保護者の方は極端に少ない時代というのも問題としてあると思います。

PTAの役員決めは毎年どこの学校でも1つの課題でしょうし、おやじの会などは消滅の危機の学校もあると思います。

そういった中で、国や県や市は「地域の人を」というお題目のために、何とかしようとしています。

時代の流れにあっていない、というのはあると思うのですが、一方で、今も「学校と関わりたい、子供たちのために何かできることをやりたい」という稀有な方々はいるわけで、そういった人たちが学校や子供たちと繋がれる仕組みとしては、PTAやらおやじの会やら放課後子ども教室など、まだまだ存続してほしいな~と思います。


とはいえ、人口減は現実的な問題。

田舎は1~6年生までで60人台というところが成田市にもあって、そういった地域は、別に意識しなくても大人が学校運営や子供たちにかかわります。

問題は成田でも都市部の方で、子供たちより大人の方が多くなり、その大人は基本的には働きに行っていて生活で必死、というところですよね。

そしてあと20年もたてば、私たちも年老いていき、高齢化社会はすすみ、子供たちの数は今よりもさらに少なくなるわけです。

そういった時に、今の子供たちが大人になっていて、「自分が子供のころ、学校であんなことしたな~」と思い出し、未来の子供たちと関わろうという思いが沸くようになればいいな、とも思います

まあ、そんなことで、今年も1年、子供たちと月2回ですが学校でたっぷり遊んできました

自分の子が在学中の間は、引き続き続けていこうと思います
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