半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

食と命の教室 箸作り、ブータン話などなど

2014年09月27日 | 素敵な空間・イベント
9月の「食と命の教室」は、まずはお箸作りからスタートしました。

実は、昨日、多摩美術大学とかの学生さんが来たので、お箸作りからやろうか、ということになり、その余った部材を使わせて私達も作ることにしました。

竹を鉈で割って、ちょうどお箸ぐらいの太さにします。


これを使って、みんなで、小刀で削りながら黙々とお箸作り。
今回は、参加者最年少の小学4年生の女の子も参加です


あと、お手伝いさんとして、無着成恭さんのお孫さんも近くのお寺から来てくれました。



一番凄かったのは、やっぱり高柳さん
なんと、小刀で竹とんぼを作ってしまったのです

何が凄いかって、羽の部分はもちろんのこと、軸の先っちょも細かく小型で削り上げ、それを差し込む穴も錐を使わずに小刀で開けてしまうのですから凄いですよね~。

やっぱり昔からやっている人は、凄い格好良いな~。


私が子供の頃は、小学校で小刀ではなく四角いカッターで鉛筆削りをしましたが、今の小学校では全くやらないみたいです。
親御さんから危険だから、という声があったからなんでしょうが、こういったものを小さいうちに当たり前に使っているからこそ、刃物の取り扱いも覚えますし、中には物作りの技を極めたい、という思いを持つ子も出てくると思うのですが、いかがなものなんでしょうかね?

さて、みんなでお箸を作った後は、大根の間引きです。
ちょうど今の時期は、9月頭に播いた大根の間引きをする時期なんです。


2本あったら、1本を残して他を抜くのが間引きです。
2本一緒に生えていたところを1本にするので、ちょっと苗がぐらぐらしてしまいます。
なので、子育てと同じで土寄せをして、風に負けないようにしてあげます。
小学4年生の女の子も初体験です。


さて、畑仕事が終わったら、待望のお昼ご飯です

と思ったら、帰り道、山栗が落ちていたので、拾いました。
山栗は小さいけど、普通の栗より美味しいんですよ~


さて、いつもの通り、豪華で美味しいお昼ご飯です。いっただきま~す


山栗も茹で栗で頂きました



さて、お食事後はひまわりの篩いがけ&唐箕です。

高柳さんの家は、油を自給しています。

菜種油、ひまわり油、ゴマ油を中心に、少し落花生油、糠油、椿油なんてのも作っています。


こちらはゴマ。もうすっかり乾燥して落ち始めています。もう少しで脱穀ですね。
煎って食べるだけでなく、ゴマ油にもします。



さて、まずはひまわりの種を篩いで大きなゴミと選別します。
大きなゴミは網に残り、網の隙間からひまわりの種が落ちていきます。


そして大きなゴミを取り除いた後は、唐箕(とうみ)で小さなゴミを選別します。

こちらが唐箕。
上から種を入れ、手で風車を回すことで軽いものは風の力で左から飛び出て、種など重いものは下に落ちるという仕組みです。


ゴミはここから飛び出る、ということですね。


これは大正のもので、95年前から使っているということですから、凄いですよね~。

今、電動の唐箕もありますが、原理は木製のものと全く一緒ですから、100年間、仕組みが変わっていないわけです。
農作業をやっていると、唐箕を考えた人は天才だな~と思うわけです


高柳さんが扱い方をみんなに1つ1つ指導します。


回してみると。。。


お~、ひまわりの種が落ちてきました



あとは、こうやって薄く広げて、満遍なく乾燥させます。
乾燥したものを圧搾したら油が出てくるんですよ。



さてさて、1仕事終えた後、本日のメインイベントです
今回は、参加者の1人のさっちゃんが、先月、幸せの国ブータンに旅行に行ってきたので、その旅行体験談のお話をしてもらいました

8月下旬に、ブータン写真家の方と一緒に行くツアーで、みんなで1週間ぐらい行ってきたそうです。

資料も作ってきてくれて、1つ1つ、ガイドさんや現地の方から聞いたお話などを報告してくれました。

プロジェクターでスライドをスクリーンに映し出しながらのお話でしたが、生の写真やお話を聞けて楽しかったです。

私もこの日のために、ブータンの本を2つ読みました。

そこから知ったことや思ったことで、私なりのポイントを書きますと、まず、ブータンはチベット仏教の国で、輪廻転生を国民が信じています。例えば、トイレでうんちをしたら、その中に金と経文があったら、経文を拾いなさい、という教育を子供が小さい内から親がします。

将来は虫に生まれ変わるかもしれないから、ハエなどいても殺したりしません。

また、昔の日本と同じで、子供はご近所さんの家に平気であがって、ご飯を食べたりするのが普通です。

人のために良くすることは、自分の功徳を積むことなので、「あなたが幸せなら、私も幸せです」という考え方の人が多いです。

夜這いの習慣も田舎部ではまだ残っています。都市部では携帯などが普及したり、エイズが広がったこともあり、最近は無くなっているそうです。

1日を3つに分けて、8時間が家族のため、8時間が仕事、8時間が睡眠のため、これを崩すことは良くないと考えていますので、夜ご飯は家に帰って家族と共にご飯を食べるのが当たり前です。

都市部の若い子も、家族で夕ご飯を食べてから、夜遊びに出かける、みたいな感じです。

家族の時間が一番大切ですから、家族の時間を削ってまでする残業をすることはありません。

現在の国王は5代目で、逆に言えば100年ちょっと前に国として成立しました。現代の国王の初代が、周りの諸侯をまとめて作った国です。

議会制民主主義に移行した上で、有名な「国民幸福度」を追求することを最重要として政府があり、その委員を中心に、ゆるやかに経済発展をしながらも、問題を1つ1つどういくか考えながら国政を行っています。

テレビによって家族のお話する時間が減ってきた、とか、月収と同じくらいの値段の携帯電話を借金してでも買おうとする若者が増えてきた、とか色々問題がありますが、それを有識者や大人が一生懸命考えながら国作りを行っています。

経済は、急峻な山国であるため、水力発電をしており、これをインドに売電して得る収入、税金がほとんどで、後は海外からの援助で成り立っています。

国をあげて「教育」をしていますので、国語は母国語ですが、他の科目は全て英語です。
みな、ホワイトカラー(役人か観光業が中心)につきたいと思っていて、厳しい受験を乗り越えた一部がそこに辿りつける「超競争社会」です。
いわゆるブルーカラーの仕事は、インドなどから来る出稼ぎの人達が中心です。

ブータンでは医療は無料です。国民だけでなく、旅行者、出稼ぎの人、全員無料です。
伝統医療と西洋医療の2つがあって、一長一短で両方選択できます。


こんな国ですが、私が一番感心したのは「親の世話は子供が見る」というのが当たり前の通念になっていることです。

昔の日本もそうですし、かつての社会はどの国でもそうでしたが、親族で1人立身出世した人がいれば、親戚みんなの面倒を見る、というのがブータンでは当たり前です。

「年金やお金は無くとも大丈夫、だって子供が面倒を見てくれるから」というのが、ブータンの当たり前の考えです。

もし、親が不慮の事故でなくなってしまったら、親戚がその子供を自分の子供と同じように面倒みます。

家族とは親族も含む概念で、誰かが病気になったら、1ヶ月会社を休むのは全く問題がありません。

それがチベット仏教が普及している「人のためになることをする」ということが当たり前の社会だからです。

親は、自分の持っている者をすべてかけて子供の教育に力を注ぎます。

子供は、それを受けて、大人になったら親の面倒を見ます。

お金に頼るのではなく、縦のつながりで、あるいは親族などの横のつながりで、あるいは地域のつながりで、みんなが支えあって生きている。

そのベースは、昔の集落社会の基本でもありますが、そこに仏教も入ってきているので、「現世で功徳を積んで、次も人間に生まれたい。あるいは解脱したい」という考えがありますので、「人の幸せを考える」ことがしっかり根付いているんですね。

そして、それを国家が当然のこととして推進しています。


そういった社会で、更に特筆することは、「経済発展」を受け入れているということです。


「懐かしい未来」で有名なラダックもそうですが、急速な経済発展で、文化を観光業にしてしまった国も多い中、果たしてブータンが今後、どのような形で発展をしていくのか、注目に値しますね。


・・・とブータン話が長くなってしまいましたが、そんな感じの「食と命の教室」でした


10月は「味噌作り」で、11月は「稲ワラ納豆作り」を予定しています。

「食と命の教室」については→こちらから


ちなみに、この後、寺田本家で「農コン」がありました

高柳さんが企画者で、寺田さんに声がけをしての合同開催。

当初は女性が集まり、男性が少なかったのですが、最終的には総勢50名ほどの大農コンとなりました

傍から見ていて、何だか胸がキュンキュンしちゃいました

1組でもカップルが出来たらいいですね~。
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ヘチマたわし作り

2014年09月26日 | 農的体験・生活
我が奥様は絵本の読み聞かせをやっているのですが、その先輩から「ヘチマ」の本を紹介してもらったのと一緒に、本物のヘチマをもらってきました。

そして、いつもはこういったことはしないのですが、今回は自分でヘチマたわし作りを始めたのです

ゴミ箱を改良し、ヘチマを水の中で腐らせたそうなのですが、それを外に洗いに行くときに通ると、その臭いこと臭いこと

腐ったものは、本当に臭いですな~

そして洗ってなんだか凄いことになっているようで、「ちょっと来てみてヘチマが出てきたよ」と子ども達を外に奥様が呼び出したので、私も観にいってみました。

すると、お~、くっさいヘチマの皮がずるずる剥けてます。


お~。


お~、ヘチマのたわしだ


そして、本日、天日干しされて出来たのがヘチマたわし。
お~、お見事

で、これは何に使うのかな?
昔みたいに体を洗うのでしょうか?

まっ、いずれにしろ、色々やってみるのは楽しいもんですな~


ちなみに、ヘチマの若い状態のものを、昔は味噌汁とかに入れて食っていたんだって。
うちの母親が親父の実家に行った時に出てきたそうです。まずかったそうですが
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朝の畑、がっつり

2014年09月23日 | 農的体験・生活
火曜日は、久々に朝5時前に置きだし、日の出前の畑へ行ってきました

今の時期は5時過ぎではまだお日様は出ていません。
この朝の静かさと風景がたまらないんですよね~


畑の作物も、朝露をまとって、どこか白みを帯びています。


この夏は、がっつり畑が出来なかったので、コツコツと支柱の整理をしたり、マルチをはがしたり、畑を耕して種まきの畝を作ったり。

そして日の出の頃になると、突如、畑に日差しが差し込みます。


その時は、影が出来るというか、畑も少しの間、不思議な世界に包まれます。
この感覚、畑に居るから味わえるんです


そして、お日様、おはようございま~す、今日も1日宜しくお願い致しま~す


お日様も出てきたので、畑の隅で、ちょびっと休憩。

畑の隅にいくと、あれ?何だか、先週に比べても随分クモの巣が増えたな?
そんなクモを眺めていたら、何だか規則的に動いている感じ。


よく見ると、ほとんどのクモが、巣を作っていました。
最近、畑ではコオロギの赤ちゃんの大群やカマキリの卵など、色々出くわしますが、クモも同様に急激に増えた気がします。

クモも、きっと冬に向けて子孫を残す準備をしているんでしょうね。
だからクモの巣を作って栄養をとるのかな?

朝日が出た気持ちよい空を背景に、そんなクモの巣作りをジ~っと観察して「へ~」と思ったのが、後ろ足で一生懸命、1つ1つ丹念に糸で巣を編んでいるんですね。

そして、1周するんじゃなくて、ある程度行ったらまた少し進んでまた戻る、みたいに扇形に編んでいく感じなんです。

お日様が出てきた朝の時間は、巣作りの時間なのかな?

そして、1つ1つリズム良く、かつ丁寧に巣作りをしているクモを眺めていたら、なんだか愛おしさがこみ上げてきました。
その姿が美しい、なんて初めて思った。クモって凄い生き物だよな~。



そして、畑には日差しが溢れ、野菜たちは元気に光合成を始めます。

これはアスパラガス。育て方がよくわからないんですが、そこそこ育っている気がします


ニラは白い花を咲かせています。ちなみにニラもノビルも同じ仲間だけど、こうなると全く違いがわかりません


赤シソは一部、来年のこぼれ種を期待して残しています。
穂が出来始めたので、種はもう少しですね。


ニンジンは今年は順調にスクスク生育しています


半年以上植えてある分げつねぎは、ボチボチ大きくなってきましたね。
追肥と土寄せしておきました。


ジャンボ落花生の「おおまさり」は、5月は体調を崩したために種播き時期が6月頭となってしまったため、まだまだ生育途中です。


掘り上げても、まだまだ小さいですね~
食べてみても、殻がまだ出来ていないので、柔らかい分厚い殻が多く、実は小さく食べられたものじゃありませんでした


これはベランダで育苗してから植え替えた白菜の苗。
いつもは直播しているんですが、今年は春に色々な苗をベランダで作ったら、思ったより上手くいったので、育苗してみました



今回は5時頃から10時過ぎまでがっつりできたので、ニンニク、春菊、小松菜、大根なども播けたし、草取りもある程度出来たし、満足な畑時間でした

やっぱり畑は、体調を気にせずに、ゆっくり風景や野菜の姿を楽しみながらやるのが楽しいですよね~。
今年はひたすら体調を気にしながら草取りばっかりだったからな~

しかし、やっぱり私にとっては畑があることが生活で一番大切なこと

畑が無い生活は考えられません。一番のベースであり、一番の安心できるところ。
畑は素晴らしいですね


そんな畑仕事をたっぷりやったことで、私の中では「今日はもう1日十分頑張った」という達成感がありました。
そしてこの日は11時過ぎからは、いつものおむすびプレパークメンバーとBBQ

「1日ご苦労様、さあ、飲むぞ」という気持ちだったので、今秋、お初の寺田本家さんの香取901升瓶を買っていったのですが、さすが酒豪がそろうメンバーが多く、1升瓶を軽く空け、結局19時過ぎまでワイワイガヤガヤ。

たっぷり飲んで、食べて、楽しかった~

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玄米、美味し!

2014年09月22日 | 食べもの
8月中旬から白米が切れて、奥さんは仕方なく、私はシメシメと思いながら、我が家はしばらく玄米になりました。

それから3週間ほど、やっぱり「玄米は美味い」「玄米は体に残るな~」と玄米の素晴らしさを体感していました

しかし、先週から新米の白米を頂けたので、食卓は通常の白米に戻りました

ということで、時間がある時は、私のご飯だけ土鍋で玄米を炊いてモグモグ。

家族みんな白米ですが、ボチボチ玄米、続けていこうっと
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古事記勉強会

2014年09月21日 | 素敵な空間・イベント
今日は、古事記の勉強会に行ってきました。

高柳さんとお話するようになって「古事記は読んでいるかい?」と聞かれるたびに「いえ、、、これから・・・」と答えていたので、一度、学んでみたいな~と思っていました。

また、日本の農村文化、伝統的な生活スタイルを考えていくと、古事記なりもうちょっと昔の日本のことを日本人なんだから知らなくちゃ、とも思っていたわけです。

そんなこんなで、ちょびっとムック本とかはつまみ読みはしていましたが、そんな程度でした。

そんな中で、「食と命の教室」に参加者の1人で、東城百合子先生に師事して千葉でお料理&お手当て教室を開いている木村さんという素敵な方に出会うことが出来て、その木村さんが古事記の勉強会を開始したということを知り、第1回目は参加できなかったのですが、この度、第2回の講座に参加してきたのです

場所は稲毛公民館。

先生は小野善一郎さんという湯島天満宮の方。

ちょっと遅れてしまったのですが、部屋に入ると、とっても声が大きくびっくり

なんとパワフルな人だと最初は圧倒されたのですが、お話を聞いているうちに、情熱的で、熱く、何度も何度も「あなたも私も風も木も森もみんな同じ『かみ』なんです。あなたも『かみさま』なんですよ」と繰り返していました。

うまく言葉では説明できませんが、日本の「かみ」は今の世の中で概念と浸透している「神、god」とは全く違うもので、森にも、大地にも、風にも、あなたにも、私にも、すべてがかみで、みんな同じところから繋がっている、そういったことを明治までの日本人はみんなそう思って生きてきた、というお話をされていました。

西洋のGODは「天主」と言われていて、万物を作った創造神であり、絶対神である一方で、日本の「かみさま」は、天地からまず生まれて、物実(ものざね)といって、物から生まれてきた。そして失敗もするし奢りも持つし、だからお祓いをしてその穢れをとることを繰り返す。だから、日本人には八百万といって人も風も物も全てが「かみさま」であって、絶対神というものとは根本的に違うものであった、それが明治にGODを神と訳してしまったので、かみさまとGODが同じように考えられてしまった。それが混乱の原因だということもお話しされていました。

と説明はとてもしにくいのですが、人もかみである、ということを熱く熱く何度も語ってくださいました。その情熱は心に突き刺さるもの、多分打ちひしがれている人がいたら、生きる力、喜びにも繋がるものだな~とも。
心もお顔もピカピカ

いや~、凄い人がいるもんだ

そして「あ~、こういった人が先生であるべきだ」という思いも沸きました。
先生というのは、教える内容に対する情熱がないとなかなか伝わらないと私は思っています。
そして、どの国もそうですが、自国の歴史はアイデンティティーの礎になるものですから、きちんと教育します。
そういった観点で、日本という国がどういった歴史で出来てきたのか、を知るために、是非、小学校高学年の必修科目にすべきじゃないかな、と思いました。

日本人はどういった考えをもっていたのか、どう生きてきたのか、他も自分も同じだとか、とても大切なことを学べると思います


来月も都合がついたら参加したいな~。
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つくば山へ!

2014年09月20日 | 素敵な家族・子供との時間
前々から、奥様が行きたがっていたつくば山。

しかし、天気予報ではだったので、高柳さんのところに油でも絞りにお邪魔させて頂こうと思っていました。

しかし、前日の天気予報では曇りのち晴れに

半ば諦めていた予定を急遽戻して、家族でつくば山に行ってきました

圏央道が出来たので、つくばといっても1時間半ぐらいでつけてしまえるようになったのですね。

そういえば、お兄ちゃんが2歳ぐらいで、下の子が奥さんのお腹の中にいた時にも、一度行ったんだっけ。

そんなこんなでつくば山につきました。

入り口にある神社が、いきなり急な階段で、さっそくゼ~ゼ~いいながら、お山に登らせていただくご挨拶


さて、心配していたのは上のお兄ちゃんで、すぐに「疲れた~、動けない。。。」と言うのかと思ったら、とんでもない

もう、野猿のように、ひょいひょい登っていってしまい、一度も疲れた、という言葉は発しませんでした。びっくり

まあ、「お腹すいた~」とはずっと言っていましたが

で、私は今年は体をいったん壊してからは、体力に心配があったので、息を切らさない頑張らない登り方で足を進めたのですが、流れの都合上、足を速めたりしたこともあったので、都合3回ぐらいは気持ち悪くなってしまいました

無理が出来ない体での登山はまさに修行でしたな

とはいえ、途中途中で以前来たときと同じ風景や建物があり、「あ~、こんなのあったね」と思い出しながら、頑張りながらも楽しんで登り播いた。

一番つらかったのは、お兄ちゃんがドンドン行ってしまって、それに奥さんが付いて行って、私が下の子と追いかけているとき。
下の子とすれば、お兄ちゃんやママに追いつきたいけど、いくらいっても追いつけず「ママは~」と何度も声をあげるわけです。
それに対して、私が「もう少し行けば、待っていると思うよ」と声をかけ、その度に下の子は頑張ったのです。

しかし、行けども行けどもママやお兄ちゃんはいなく、ついに下の子は「ママはどこもう動けない」と疲れ果て、駄々をこね、30分ぐらいずっと道端で泣き続け動けなくなってしまったのです

最終的には頑張って動いてくれたのですが、いや~、30分も動かないでいると、体は冷え切って「このまま俺達はどうなるんじゃい」とも思ったりしました

しかし、追いついてからは一緒に行動し、その後は、色々楽しめましたよ

これは弁慶も行こうとするけど怖くて七回戻ってくる、という岩。本当に落ちそう


北斗岩、なんていうものものあるんですね。


頑張る子供たち。2人であればどんなところもへっちゃらですね


そして、ついに頂上です


さっき泣いていたことなんてもう完璧に忘れ、疲れ知らずの2人は頂上でピース


そして、途中の休憩中にお昼のおにぎりは食べきっちゃったので、レストランで待望のランチ

お兄ちゃんはチャーシュー麵。


一方、5歳の下の子は、なんとざるそば
通ですな~


そして帰りはさすがに徒歩下山はきついので、ケーブルカーで帰りました。



一番行きたがっていた奥さんは、頑張って登っていたので、最後は足がガクガク。
そして「日帰り温泉」も目論んでいたようですが、どこお15時には終わっていて、タイムオーバー
残念でしたな

そしてつくばを後にし、高速で走っていると、なんと成田は

つくばは晴れていたけど、成田は雨が降ったのね。なんとラッキーな山登りだったのでしょう

そして、成田について、下総のスーパーナリタヤで買い物をしていると、なんと、今までに見たことが無いほどのキレイな太い虹が
しかも、Wで出ていて、きちんと地上に半円を描いて完璧な虹でした
ナリタヤのパートのおばちゃんや店長も外に出てきて、みんなでワイワイガヤガヤ。

なんとも素敵な虹を見ることが出来ましたよ

さらに、夕日がとってもきれい
雲の隙間から光が差し込んでいるだけでなく、夕焼けの鮮やかなオレンジ色、そして紫や青い空、たなびく雲が、海外の船上で見た空と同じで、とってもきれいでした


そんなこんなで何とか乗り切ったつくば山。

奥様は、子ども達が大きくなったら富士山にもチャレンジしたいそう

気持ちはわかるが、体がついていくか

山登り、体力つけて、登りましょう
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夏野菜の整理とお料理

2014年09月19日 | 農的体験・生活
水曜日、畑の夏野菜を全部整理しました

暑い間、夏の野菜には色々お世話になりました

ということで、最後の収穫をした野菜は、1つ1つ美味しく料理をして頂きましたよ

夏中お世話になった空芯菜は、そろそろ蛾の幼虫も出てきたり、葉っぱも痛んでくるので終わりです。
空芯菜は、最後もやっぱり炒めものでモグモグですね。

高柳さんのお母さんの空芯菜料理は、細かく切ってあったのが超美味しかったので、今までザックザクと切っていましたが、細かく切って、今回は最後なのでシメジも入れてスペシャル炒めにしました


子ども達も、あんまり好きでなかった空芯菜が、ついに「美味しい」といってモグモグ食べてくれました。
良かったね、空芯菜ちゃん

ゴーヤはもうチャンプルーにして食べたいという思いません。
やっぱり暑くないとゴーヤって食べたいとあんまり思わないものです
そんな時は佃煮にすると美味しいんですよ


ミニトマトは食えるものだけ食べてもったいないけど青いのも含めて引き抜き、赤シソは梅酢漬けに。


そんな夏野菜の後片付けと同時に、これからのために間引きをしたのがニンジンです。

ニンジンの葉っぱは天ぷらが一番美味しいのですが、間引きしたニンジンはまだ葉っぱも根っこも小さいので、ザクザク丸ごと細かく切って、ふりかけにするのが一番ですね。

ゴマとおかかと混ぜて、みりんと醤油で炒めたら、ご飯が進むふりかけの出来上がり~


さよなら夏畑、こんにちは秋冬畑、っていう季節です
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田んぼと畑の耕育教室 ついに稲刈り&天日干し!

2014年09月15日 | 農的体験・生活
ついにやってきました、収穫の秋、稲刈りです
この3連休は、たくさんの家族と一緒に、稲刈りを満喫しましたよ~


「田んぼと畑の耕育教室」で、最も人気があるのが「田植え」と「稲刈り」です。
さて、今回、3日間で参加した方のほとんどが、稲刈り未経験。

それもそのはず、この稲刈りシーズンは稲作農家にとっては一番ハードな超多忙な時期で、天候と稲の生育を見ながら、短期間で刈り取ってしまわなければいけません。

そのため、農家さんからみれば、この時期に「手で稲を刈りたい」といっても、お仕事の邪魔になるだけなのです。

そんな中、無農薬でやってきた田んぼで稲刈りをしている「田んぼと畑の耕育教室」。
根本さんも超多忙で手が空かないということで、この3日間、私1人で頑張って運営しました

さてさて、稲刈りのポイントは色々ありますが、「怪我をしないこと」を最重要事項とすると、「刈ったら鎌を地面に突き刺す」、これを徹底することが最重要になります。

これさえ守れば、後は軍手などを着用し、刈り方に注意さえすれば、小さなお子様でも楽しく稲かリが出来ます

鎌で切るときは、包丁やノコギリと同じ原理で「刃物は引くと切れる」ということを頭に入れて、手前に引くのではなく、半円を描くように刃を滑らしながら切るのがコツですね。

80歳を過ぎたじいちゃんが、朝から晩まで稲を刈れるのは、手の力ではなく体全体を少しひねる感じで鎌を連動させて動かしているからなんですね。

そんなことを伝えながら、早速稲刈りスタート

親子で力をあわせて、楽しそうに稲刈り



稲を刈ったら、紐で束ねます。

それをワッセワッセとオダに運んでかける、という流れです。



刈るのは楽しいからといって、ドンドン刈っていると、後で束ねるときに手間が食うので、「刈ったら束ねる」というのを家族で連携してやるとスムーズに行きます

子どもも大活躍



もちろん、稲刈りに飽きて、虫取りに精を出すのも子供ならではですね


さて、初日の昼食中、根本さんがちょこっと顔出しをし「ホテイアオイ」という水草を置いていきました。何でもお知り合いで作っている人がいるそうで、欲しい方々で分け合えました。
こんなものを作っている知り合いもいるって、凄いですね~。


我が家もフナを水槽で飼っているので、少し持ち帰らせて頂きました。


さて、昼食後は、改めて稲刈り。

午後に入ると刈りより虫やカエルが好きな子は、虫やカエル捕りに夢中になり始めます


それは稲が刈られて見通しが良くなったので、歩けば必ずバッタかカエルが跳ぶんですね。
誰かが大物を捕まえると、輪が出来るんです


みんな捕まえやすいので、がっしがし捕まえていましたよ

午後は特に(土)(日)は晴れ渡って暑いぐらい
だから、オダがけした日陰が憩いの場です


午後もガッシガシと稲刈りをするのですが、初日、2日目は終わり次第、自由解散という感じでした。
しかし、3日目は、稲を最後まで刈り取り切る日なので、「終わりが見える」ということで、ほとんどの家族が最後まで参加して、というか途中から子供はバッタやカエル捕り、大人は稲刈り、といった感じで刈り続けました。


そして、最後の最後「誰が最後の稲を刈る?」という感じになってきました。


う~ん、どうしよう?


「じゃあ、みんなで一緒に刈りましょうか?」と提案し、最後にみんなで「せーの」で刈り終えました。


最後までやりきった感があって、み~んな大満足でしたよ

遠くから見ても、田んぼにずら~っとオダがけされている稲は爽快です


ちなみに、稲が一番きれいなのは西日が差してくるころ。


1日目、2日目に、翌日の準備のために1人残って田んぼにいると、西日が差し込んだ稲のキレイなこと
まるでナウシカのオウムの触覚の黄金色の草原のようでした(わかる?)


お土産に青シソや、稲穂を持ち帰って頂き、この3日間、みんなで楽しく稲刈りが出来ました。

今回は根本さんが忙しいため、3日間、1人で運営しましたが、無事、みんなで楽しく稲刈りが出来て本当に良かったです


やっぱり秋の稲というのは最高ですよね

そして、来月はいよいよ「収穫祭」です

餅つきに、サツマイモの収穫、更にそばの実の収穫、丹波黒大豆の枝豆の収穫と、盛りだくさんです

そして、今回収穫して天日干ししたお米を釜炊きで食べますよ~

最高に楽しく美味しい教室になると思います


11月は、手打ちそば教室、12月は丹波黒大豆の収穫など目白押しで、日程も決まっています。

ご都合が付く方は、是非お越しくださ~い

田んぼと畑の耕育教室は→コチラから

今年も実り多い秋でありがたかったです。
台風も来なくて、おてんとさまに感謝感謝です

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本:ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?

2014年09月11日 | 素敵な本
ここ最近、ぼちぼち本を読んでいるのですが、何気なく図書館で手に取った本で、久々のヒットがこれ。

「ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?」


私はあまりアフリカにはほとんど関心を持っておりませんで、どちらかというと、自分の地域、そして自分の周り、と自分が出来ることをきちんとやることがまずは大切だ、という考えを持っています。

フェアトレードも良いし、貧困の国を応援するために○○を買おう、というのも良いとは思いますが、結局は持てるものが持たざるものへ、みたいな流れはあまり好きでは無いんですね。

それも結局は国の経済格差があるから出来ることであって、そもそもはグローバル化による問題なのだから、その逆、なるべく各国が各国、各地域で食べ物など基本的なものはまわしていくのが本来の姿でしょう、みたいな考えを持っているんです。

とはいえ、ピースボートで南アフリカやナミビアなどに行ったことがあって、ネルソン・マンデラさんがどれほど偉大だったか、あるいは、南アフリカで黒人、白人、その間のハーフの世界が見事に3つに分かれていることもハーフの方の家にホームステイで知ったり、ジンバブエのアーティストからエイズや貧困が深刻な問題だ、ということは聞いたことがあります。

でも、その程度で、それから特に関心も持っておりませんでした。


そんな私がこの本を読んで「アフリカこそ、グローバル化のスタートじゃないか」「アフリカこそ、世界の経済格差のスタート地点じゃないか」「アフリカこそ世界の問題の縮図じゃないか」ということを知ったのです。

そして、もし私が歴史や経済のこと、あるいは平和や戦争、その他諸々を子ども達に教える機会があれば、「アフリカの問題をスタートにすると世界のことが良く分かる」と思いました。


アフリカの紛争では、「母親を殺せ」と命令された子供兵士や、社会復帰のために大工になった元少年兵が「子供用の棺おけ」を作ったりと、悲惨な状況が続いています。

著者はそんなアフリカに駐在し、ウガンダやコンゴなどで、元こども兵士社会復帰プロジェクトなどに取り組んだ小川さんという方です。

ただ、そういった「悲惨な現状」を書き連ねた本ではなく、どうしてアフリカの紛争が起きてしまったのか?その歴史的な背景や先進欧米諸国との利害関係など、1つ1つ丁寧に分かりやすく書かれているのです。


「先進国」が「後進国」に対してどのように接し、搾取し、問題を起こす火種を撒き、その火種に薪をくべつつ利潤を得続けているか、その流れを1つ1つ追い、どのような仕組みが作られ、その結果、今の紛争に繋がっているのかを「アフリカからの視点」で書かれています。

なので、教科書の書かれているもの、あるいはニュースで流れている「先進国側」のものとはまるで違う事実が見えてくるのです。


もともと、人間は、日本であろうとアフリカであろうと、各部族が各地域に根ざして生きてきました。
それが、「王朝」という概念や「国家」という概念が出来上がってくると、「国同士の戦い」というものが起きてきました。

そして、西欧諸国が競って世界を「発見」するために旅したことから、大きな大きな問題が始まります。

先住民族の土地を「自分達が発見した土地」として横領したり追い出したり殺戮しながら住み始めたり、資源を掘り起こして自国へ持って帰ったり。そして、人を物とみなした横暴が「奴隷貿易」です。

「国家」という概念がまだなかったアフリカ、南米、アジアの各地域に、いわゆる「先住民族」を「下等な家畜のような存在」と見た西欧諸国の人々は、好き放題にしたわけです。

「奴隷」を大規模なプランテーションで無償で働かせ、コストをほとんどかけずに利益だけを吸い上げる仕組みが出来たのですね。

それが「産業革命」に至った最たる要因だということを、小川さんは書いています。

なるほど、費用がかからず膨大な労働力を得て、莫大な資源を自由にし、莫大な利益を得る、そういった「略奪経済」があったからこそ、短期間で欧米の港湾都市は急速に発展した、というのもうなづけます。


そして、この「奴隷貿易」のために各諸国が取った手法が、現代の原子力発電所建設や空港建設でも用いられた「あるグループを優遇し、特権を与え、あるグループを差別する」という方法でした。

つまり、「あなた方はツチ族で優秀だから、奴隷狩りが出来るよう銃をお金を与えましょう。お前らはフツ族で下等だからおとなしく従え、そうしないと殺すぞ」というようなやり方をとったのです。

おかげで、西欧諸国は費用もかけず、現地住民の一部に奴隷狩りをやらせたわけですね。

一方、国内では「同じアフリカ人同士が支配する側と支配される側」に分けられたのです。

そして、「アフリカの文化は野蛮。西欧のものが高等である」といった概念や「地域で永続的に暮らしていける地域に根ざした生き方」から「際限ない貨幣経済に依存した生き方」へいざなわれたわけです。


そんなことが、リアルに、リアルに書いてあります。

この本は、とても私にとってはインパクトがある本でした。

「三角貿易」なんていう言葉は、久々に見たけど、その背景や意味がこの歳でようやくわかった


最後に、この本の冒頭のメッセージを。


かつて、わたしたちの村は平和でした。
人と自然、人と人はつながっていました。
過去と未来はつながっていました。
その「つながり」は消え去ってしまったのです。

すべての始まりは、白人がこの村にやって来た頃
白人はわたしたちのことを「野蛮人」と呼び、
白人はわたしたちに「文明」を与えてくれました。
わたしたちはわたしたちを「劣っている」と思いはじめました。

わたしたちは、白人の「教え」を学び、
人が自然を、人が人を支配出来ると思うようになりました。

未来の世代より、今の世代の幸せを考えるようになりました。

「お金」があれば幸せになれると思い、
「お金」のために働き、
「お金」のために森を切り、
「お金」のために大地をけずり、鉱石を掘り出しました。
「お金」は一部の村の人を豊かにしました。

その村人は、新しい村長になりました。
新しい村長は、白人の衣服をまとい、白人の宗教を信じ、白人の言葉を話し、白人の法律を守り、白人の武器を持ち、白人のやり方で村を治めました。
反対する村人を殺していきました。

武器を手に反抗した村人もいました。
その武器も、白人から渡されたものでした。

そして、
わたしたちの村で戦争が始まりました。

白人たちは言いました。
わたしたちは民族が「違う」のだと。
わたしたちに平和を作る「力」はないから、
それを教えてやるのだと。

どうして、当たり前のことを忘れてしまったのでしょう。
かつて、わたしたちの村では「違う」民族が平和に共存していたことを。
「違う」ことは、争いの種ではなく、喜びの種であったということを。
わたしたちには「力」があることを。
ずっと昔から平和にいきてきた知恵があることを。
ずっと昔から自然の一部として人間が生きてきたことを。

切り離せないものを切り離そうとし、
同じにできないものを同じにしようとする人たちがいます。

アフリカの大地から、東の果てに歩んでいった人びとの子孫よ!
あなたがたの知恵が、いま必要とされています。
あなたがたの行動を、未来が必要としているのです。


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モンサント見学会

2014年09月08日 | 自分の時間
日本モンサントの見学会に行ってきました。

モンサントはご存知の通り、遺伝子組み換え(以下、GM)作物を中心に世界を牛耳る多国籍巨大企業です。

自然の命の繋がりである「種子」に特許をとるだけでなく、GM技術をもとに、農薬で枯れない大豆、虫に食べられないトウモロコシ、などを作り、農薬とあわせて農家に売りつけ、あるいは政府をうまく躍らせてその国の政策としても推進させ、農民を土地からひっぺりはがし、倫理的な問題、健康問題、環境問題、そして農民が自分で種をとれなくして自分達の種に依存させるという商法で世界を蹂躙している企業です。

と、私が超批判的に書いているのは、やり方がひどいからでして、数年前にある環境団体が発表している「世界で最も悪影響を与えている企業ナンバー1」に選ばれているほどです。


そして、その日本法人が夏や「GM作物の素晴らしさを広める活動として、圃場見学会をやっています」ということで、うちが入っている生活クラブ生協ご一行で申込をした日があったので、そこに便乗して行って来ました。


私の関心事は、日本モンサントがこれからどういった方向にGM作物を日本で展開していこうとしているのか、を聞ければいいな~と思いました。
もちろん、生活クラブには歴戦のおばちゃんがいるので、どういった質問合戦が繰り広げられるかもみたいな~、とも思いました

広報担当の方は、全農でトウモロコシの流通をやっていた方で、温和で、広報向きの人でした。

まず、1時間ちょっと、お部屋でGM作物についてお話を聞きました。

トウモロコシ、大豆、菜種、綿といった作物のほとんどが世界では遺伝子組み換えであることといった当たり前のことから、「日本国民が消費する農産物を生産するには日本の耕作放棄地を含めた農地面積の約3.5倍が必要」といった表現から「日本は米生産量の2倍以上(約1600万トン)のGM作物を利用している」「日本は年間に約3000万トンの穀物を輸入し、うち約1600万トンがGM作物と推定される」といった表現がされている資料が配られました。

1つ1つの資料に引用文献を記載し、「こういうデータがあるんですね」と、あくまでモンサントの主張ではなく、外部の公機関が公表している情報をもとに、「日本は輸入大国→GMもかなり入っている→GM作物無しでは既に日本人は今の生活は出来ない」という流れを、やんわりとプレゼンしていました。


で、私は日本モンサントという会社の役割は何なのか聞いてみました。

例えば、GM栽培作物を日本でも商業生産出来るよう力を入れて広げようとしているのか?など。

すると、既に商業生産できるよう、大豆、菜種、トウモロコシも認可がおりているけど、「今の日本の社会状況」では、商業作物としては売れないので、売れないものの種を農家さんに売るわけにはいかないので、問い合わせが実際にあるけど売っていない、とのこと。

「日本の社会状況」って何ですか?と聞くと、要するに「遺伝子組み換え作物」というものが日本では買う人が現状ではほとんどいない、ということでした。


その後、遺伝子組み換え作物を実験的に育てている圃場の見学へ。
虫が食わないGMのデントコーン(日本では主にエサに使っているとうもろこし)とそうでないデントコーン、ラウンドアップという除草剤を撒いた大豆畑と、撒かないで放置したゆえに大豆が雑草に覆われてしまった大豆畑、など比較出来るようになっていました。

ちなみに、農場担当者のおじさんにたち話しで聞いたら、大豆などは海外のものを使っているようで、体が大きくなりながら花を咲かせ実を次々につけていく大豆だそうです。日本のは体が出来てから花を咲かせて実をつける、という順序なので、品種が違うんですね~。


その後、たち話で広報の方に「あんまり日本で広がらない状況で、日本モンサントの仕事の許認可などといってもそんなに仕事はないのでは?」といった聞き方をしたら、「そうでもなく、海外から次々に出てくるGM作物の穀物輸入の許認可をとるのに大変で、それが滞ったら輸入がストップしてしまう」という答えでした。

日本でGM作物の栽培を広げていくことについては、どうやら国の助成金が降りるわけでもないのであまり日本モンサントという会社の仕事ではなく、海外からの輸入GM穀物の許認可だけを中心に行う地ならし的な役割のようです。

そのため会社としては大して大きくは無いんですね。

トータルでお話を聞いて、世界の潮流とは別に、日本ではまだ自主的に食品メーカーが法律で表示義務がないのに「GMでない」「GM不分別」といった表記をしているところが多いです。

多分、TPPで食品メーカーの「遺伝子組み換えではない」といった表記が非関税障壁になるので止めさせるようにして、GM分別か不分別かをわからない状態にした上で、農水省が進める「大規模集約型農業」「飼料穀物生産への助成金」の流れで、北海道とかある程度の規模が見込めるところに、補助金つきでGM作物栽培を広げていくことを中長期的に狙っているのかな~、とも思いました。

現在、米農家さんに「大規模集約化」を求め、大規模にやったら補助金を下ろすよ、食用じゃなくて飼料用の米を作ったら、補助金をたくさん出すよ、というのが日本政府の方針です。

今年は米価が下がったから、人間が食べる用のお米を作るより飼料用のお米を作った方が補助金が下りて収入が高い、という現状なんですよ。
だから、地域で主食用に米を作っている農家さんはドンドン止めて、これから「政府の方針」にのっとって、大規模に飼料用を作る米農家がメインになっていく流れなんですよね。

だから、GMについても、デントコーンなどのエサ用のコーン栽培に国が補助金を下ろすようになったら、そこにGMを絡めて広げられるかもしれませんね。

まあ、もっとも世界メジャーの視点で見れば、日本の商業GM作物栽培などは小さすぎて話しにならないのかもしれませんが。


そんなこんなで、すんごい刺激を受けた、とか白熱した討論が起きた、という感じではなかったのですが、日本モンサントの日本での戦略的位置づけが何となく私の中で整理できたのは、よかったのかな、と思いました。

あと圃場を見れたのも。(カメラを忘れたので写真は無し

100聞は1見にしかず、ですからね。
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