半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

セルフビルドの小屋、見学してきました!

2023年01月31日 | 素敵な人・友人との時間

お友達が空き地を購入してコツコツ作ってきた小屋の見学に、ついに行ってきました。これが凄い

見た目がおっしゃれ~。デザインセンスがそもそも違う。かつ、初めてのセルフビルドというのに1つ1つこだわっているのです。ソーラーパネルで電気も使えるし、雨水貯蔵タンクもあるし、畑もついているのです

これが手作りって、それだけで特にこういったセルフビルドに憧れるおじさんは「すっげー」となりますよね?

もう、見ただけで「あぁ、技術もそうだけでセンスが無いとこういうのは出来ないよな~」と悟ってしまいました

これを作ったお友達。ドアは本人も「良く出来た」と言っていました。こんなの初心者が出来ちゃうんですね~。

室内も小さな山小屋みたいな感じで、1人になりたい時など良いかも

 ウッドデッキや小屋はもちろん、ドアや窓、ロケットストーブも何もかも手作りで、コーヒーもご馳走頂いちゃいました

 1つ1つの部材を「手作りワークショップ」を共同開催したいな、と思うほどでした

いや~、こういうのって「センス×技術」が揃って出来るものなんですね~。ほんと、凄かった

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自然薯掘り+大学が

2022年03月23日 | 素敵な人・友人との時間

■自然薯掘りに行ってきました

 春爛漫ですね~。河津桜は葉桜になり、モクレンは満開、ソメイヨシノはちらほらと咲き始めたようです。畑の小松菜はとう立ちして菜花だらけになってきました。アブラナ科は全て菜花をつけるのですが、小松菜の菜花は一番味が濃くて美味しい、と言われていまして、私は菜花のために小松菜の種を蒔いているんです。一方、ホウレン草もとう立ちしてきていまして、こうなるともうアクが強くて廃棄するしかありません。

 ペンペン草もそうなのですが、体を作る時の葉っぱと、とう立ちする、つまり茎を伸ばし花を付け種を落とす準備をする時の葉っぱは違うんですよね。とう立ちする時はアクが出て食べにくくなるんです。ただ、そんな中で菜花のほろ苦さ、あるいはフキノトウなどは、そのアクを刺激として体の毒素を出すのに良いと言われています。フキノトウは熊が冬眠から冷めたら最初に食べると言われていますが、もうフキノトウのシーズンは終わっているので、これからタケノコが出てくるまでは菜花三昧が良いですよね。

 さて、先日、息子を連れて自然薯掘りに行ってきました。もともと一般の方向けに始めた冬の仕事なのですが、ここ数年はテレビの企画協力が増えて、今年で言えば「カレン食堂」という番組や「KAT-TUNの食宝ゲッットゥーン」という番組に協力しました。自然薯掘りはワイルドなのでテレビ受けするようなのです。

 私も息子が大きくなったら一度やりたいと思っていたので、2人が中学生になり、1人は高校受験お疲れさんという気持ちも含めて、農家さんにお願いして山に入り込み2本掘りました。畑で出来る自然薯は苗を植えて1年で出来てしまうのですが、天然の自然薯はむかごから15㎝ぐらいになるのに5年、そこから1年で数㎝しか伸びないのです。

 2本掘ったのですが、両方とも20年以上の大物。息子より先輩です(笑)なかなかハードな1日でしたが、自然薯を見つけ掘れる農家さんがいなくなったら、出来なくなってしまう体験なので、良かったな~と思います。食べ応えも大和芋や長芋とは全く違い、凄かったですよ

 

■大学も凄い事に

 息子が中3の夏になってから「9教科×5点満点×3年分が入試の点数に加算される」という事を知って、「もう少し情報収集しておけば良かったな」と思っていたので、大学の「一般選抜と総合型選抜(今までのAO入試)」を調べてみました。

 そうしたらびっくり今は50%以上、現役生で言えば80%ぐらいが私の時代で言う「推薦」で入学する時代なんですね。

 テスト一発というより高校時代の活動、面接、小論文など目的や表現力が大事で、9月には決まる大学もあり、いわば「就職活動のようなもの」と言う人も。簡単そうに聞こえますが、いわゆる有名大学と呼ばれるところは「勉強だけ出来れば入れる時代は終わった」という言い方もされていました。

 国立大学も3割を総合型選抜にするそうです。少子化で千葉県の公立高の約半分が定員割れする時代に入りましたが、大学については「何もしなくても入れる大学」と「志願率20~50倍の超難関大学」に分かれているそうです。

 2極化がここまでとは。なんだか凄い時代になったんですね~。

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成田の学生でも起業する時代!?

2021年02月27日 | 素敵な人・友人との時間

昨日、成田のカフェのオーナーと私で事業主同士の話をしていました。

私は塾をしたく、物件の見つけ方を聞きにいったのですが、カフェのオーナーはコロナでなかなか大変ということ、また新しく始めた事業についてまだまだ先が見えないことなど、それぞれ思いがあるのです。

そうしたら、たまたま居合わせた人が話しかけてきました。

私はてっきりオーナーの知り合いだと思ったら、初めて来たお客さんで、かつ、大学1年生でした。

私が「塾をやりたいんです」という話をカフェオーナーと話していたのを聞いて、「実は某塾のバイトをしているのですが、バイトなのでこうしたらよいという提案が通らないこともあったり。自分は出来る事は何も無いのですが、勉強法などそういったことは出来ると思っていて、だったら起業しちゃった方が早いんじゃないか、と思っているんです」と。

そんな話にびっくり

いや~、時代ですね~。成田にもこんな子が現われるとは

って、成田市民の私だから言っても問題じゃないと思うのですが、成田はやっぱり千葉や船橋に比べたら田舎なわけです。

空港があるから人口もあるのですが、例えばコロナで「修学旅行は中止、あるいは日帰り」となったのが東京に近い佐倉市までで、ちょうど成田から銚子方面、つまり東京から離れていく方向のエリアは、例年通り修学旅行を実施したのです。

まあ、そんなこと事例にならないかもしれませんが、人口密度や商業という観点で言えば、やはり千葉市や船橋市は成田市民からみれば「都会」なわけで、そういった意識が私にあって、成田在住の大学生が「起業」という単語を使ったことに「時代だな~」と思ったわけです

かつて、私が就職した会社や「企業家排出機関」と銘打っていました。

「起業」ではなく「業をきちんと企てられる」という意味で「企業」です。

すさまじい会社でしたが、実際にきちんと残ってバリバリ働けたメンバーの多くが社長になっています。

世の中で社長を輩出している会社といえば、恐らくリクルートと私がいたベンチャー・リンクという会社、この2つがトップじゃないかと思います。

そういった会社で働いている時のことですが、ちょうど私の3つ下ぐらいの入社組が「ホリエモン世代」で、「独立前提で3年ぐらい修行しに入社しました」なんて世代が多かったのを覚えています。

当時はホリエモンやらマザーズやらネットバブル初期だったと思いますが、その影響を私はもちろん若者は当然受けていて「一発当てて、大きく稼ぐ」といった風潮が世の中に溢れていました。

ホリエモンは議員選挙に出たり球団立ち上げなどとにかく注目を浴びていましたから、「時代の寵児」でしたものね。

その後、今の世の中を見ていると、新聞社などが中心だった野球球団のオーナーはネット企業が多くを占めるようになりましたし、世界的にもGoogle、アマゾン、フェースブック、マイクロソフト、アップルといったネット企業が世の中を支配するようになりました。

そして、ここ最近の潮流は、大本を抑えた者、つまり、プラットフォームを構築してその業界で№1になること、がビジネス商社の道というのが当たり前になりました。

今の若者を見ていると、若者なりに社会問題と思う事を解決するべくファンドや投資家からお金を集めてプラットフォームを作って起業、というパターンが主流のような気がします。

以前も書きましたが、今の若者は「デジタルネイティブ」であると同時に「環境問題ネイティブ」ですからね。

いつでも時代の潮流があるものです。

まあ、それにしても若者が起業を普通に考えられるようになったのは時代ですよね

私の時代までは『一億層中流』といって、定年雇用を前提としてマイフォームを買い、そこそこの物質的豊かさを誰もが享受出来る時代、という認識がありました。

ところが、ここ20年ぐらいで大きく日本は変わり、貧富の差が大きく開いてきました。

また日本はややこしいのですが、その貧富の差が見た目ではわかりにくいんですよね。

しかし、実際、非正規雇用者、シングルマザー、独居老人、独居個人が増えてきていて、普通に子供をもった家族で過ごす、というのが当たり前では無くなってきてしまいました。

つまり、日本も西欧のような社会に近づいていると思うのです。

そうなると、子供達が大人になるに向かっていろいろの選択肢があるのですが、あるレベル以上の大学を出てトップ企業の中堅幹部以上のエリートを狙うのか、はたまた起業してビジネスオーナーになるのか、環境問題や第一次産業に関わる活動家を目指すのか、料理人や職人のように手に職を持って生きていくのか。

一億総中流では無くなって格差が広がっていますが、意識がある若者にとっては選択肢を色々考えられる時代になったと思うのです。

まあ、これは良い面であって、裏を返せば、そういった意識が無ければ、いつのまにか社会的地位が低いところに押し込められて、あるいはレッテルを貼られて、正社員になれずいつの間にか非正規になって、経済的弱者に陥りやすい時代でもあります。

そして、何より一番大きな問題は、きちんと考えていない子はネットや大企業に与えられたものの中でしか選ぶことしか出来ず、踊らされてただ生きていくだけにもなりやすいという事だと思います。

今一番大事な教育は、こういった「時代認識」を伝える事だと思うのですが、みなさん、いかが思いますか?

 

話を戻して、まあ、それにしても成田でも大学1年生から「起業」という言葉が聞けるとは、時代が本当に変わっていっているな~と思います

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仕事と務め

2020年11月24日 | 素敵な人・友人との時間

たまたま、「おかげさま農場」の仕事中、かかってきた電話を受けたら、過去に1度だけ会った事がある若者でした。

その若者は、最初は「農業研修をやりたい」という話でしたが、いざ会ってみるとそうでもなく、色々あって、心身のバランスを崩している若者でした。

詳しくはありませんが、「やりたい仕事」と思って手を出したものが、色々あって上手くいかなかったようです。

 

そんな若者に対して、髙柳さんは特にその原因を追及するわけでもなく、

「自分が普通じゃない状態という事はわかるんだな?」

「人生は悩みの連続だよ。悩む事も大事だぞ」

「私だってこの年で人生が何かわかっていないよ(笑)」

「生きているだけで奇跡なんだよ、有り難い事なんだよ」

「人生って何かわかるかい?それは生きてみないとわからないものなんだよ」

と、悩みの原因を聞き出すわけでもなく、過去、自分のところに来た悩める若者の事例を伝えつつ、人生の先輩という立場から言葉を投げかけ包み込むのです。

私にとって髙柳さんの存在は大きく、人の生き方を学べる師匠という存在で、この若者にしても、こんな人に会ったことは無かったでしょう、何かしらの刺激になったと思います。

 

髙柳さんも「最近は老人も逝き方、弔い方さえわからなくなってしまったからな」と嘆いていますが、「それは核家族と言う言葉が出始めた時ぐらいから、あぁ、もう日本人は駄目になるな、と思ったんだよ」と言います。

それは「介護施設だって何だ?という感じだったんだ。親父もお袋もじいさん、ばあさんを看取ったわけで、その親父やばあさんを介護するのは当たり前なんだよ。だって、順番だろ?そう言っている自分もいずれ介護されるわけになるんだ。そしてじいさん、ばあさんが逝く姿を見て、逝き方を学ぶわけだ。そういった事が全部断ち切られてしまったのが今なんだよ」と。

髙柳さん達は、上の世代、またその上の世代から、さらに上の世代の話を聞きながら育ち、そして見送り、生き方、死に方を学んできたと言います。

そういった髙柳さん達の話を聞くと、私もかつてはそうでしたが、今の人は「あっちでふらふら、こっちでふらふら」している人が多い気がします。

家庭中心で生きられる人、仕事中心で生きられる人はまだ良いのです。

仕事に充実感を覚えず、家庭にも充実感を覚えられない人は、セミナーやワークショップに行っては刺激を受け、またしばらく経つと現実に悩み、時に心にぽっかり穴が空く、という感じで満たされない人が多い気がします。

 

一方で、髙柳さん世代は「務め」という言葉を大事にします。

「俺らの時代は、中学卒業したら、半分が家を継ぎ、半分が高校に行く時代だったな」と言いますが、15歳で働き始めるのが大半だったわけです。

そして家業、まあ昔は大半が農業で、それ以外に、左官屋、大工、薬屋、酒屋など色々仕事があったわけですが、じいさん世代、親世代の仕事姿を見て育ち、「仕事とは与えられた務めを果たす事」という考えが体にしみこんでいました。

逆に時代としては「農業なんかしていないで、会社の勤め人になった方が楽して安定的にお金がもらえる」という時代で、親が継がせない時代にも入っていましたが、いずれにしろ「生計を立て家族を食わしていけるために働く」というのは大人になった責務でした。

髙柳さんも「仕事が楽しいかどうか、なんて考えたことは無かったな。俺らの時代は『務めをちゃんと果たしているか』、といった感覚なんだよ。そこが今の人達とは根本的に違うな」と言います。

例えば、髙柳さんの奥さんが、前述の若者と話しているときに「私の幸せはね、そうね、お父ちゃんと仕事が一緒に出来ることですかね」と言うのです。

体が動いて仕事が出来る、それが幸せ。

こういった感覚は、近代の自己啓発本などにはありませんよね?

 

今のセミナーや本などは、ほとんどが欧米の個人主義からきているものです。

しかもある程度有名になった著名人の本。

著名人というのは、一般の人より少し目立つ事をした人、多くはお金儲けに上手くいった人の話です。

そういった人が「こうしたら良い」と言いますが、それは一般的な人には当てはまりません。

それが出来ている人は、そんな本は読む必要がありませんから。

 

一方で、日本は「修身」が基本教育でしたし、ベースは論語です。

自分が良ければ良い、まずは自分が楽しい事をすべきだ、というのは、欧米から来た快楽主義がベースですが、自分を律する事、人のために働く事、家族のために働く事、といった、今までの価値観は「押しつけられた古き時代の悪習慣」といったようになってしまいました。

「我慢しなくてよいんだよ。あなたはあなたの人生を生きる価値があるんだから」

「自分の人生は自分のもの。自分で切り開いて行けば良い」

「自分が楽しくなければ人を楽しくさせることは出来ない。自分がまず幸せになろう」

「自分のやりたいことをやればよい。その上で人を幸せにできたら最高だよ」

こんな言葉が多いですよね?

でも、これって一面では正しい事だと思いますが、その裏側の根っ子の部分が無いと思うのです。

 

髙柳さん世代の言葉で言えば、「命は与えられたもので、心臓も自分で動かしているんじゃない、勝手に動いてくれているんだよ」という感覚です。

「ご先祖様がいて、親父・お袋がいて、そして俺がいる。そして自分の意思で心臓を動かしているんじゃなくて、心臓が動いてくれている。これは自然に生かされていること。それだけでも凄いことだよな」

こういった「感謝の心」が前提にあり、だから、与えられた命、人生をきちんと生きるためには、ご先祖様に恥じないような生き方をしなくちゃいけない、務めをきちんと果たさなければいけない、子孫に自然や田畑をきちんと渡していかなくてはいけない、といった責任をもって生きている。

今の言葉で言えば利他主義になるのかもしれませんが、髙柳さん的には「務めを果たす」という事ですね。

例えば、歌舞伎役者の家が顕著ですが、家の代々の仕事があり、世襲制度があり、それは「継がないといけないもの」ですが、年を重ねる事で「その意味」がわかってくる。

つまり、自分の私欲よりもっと大きな存在のために生きている、という充実感でしょうか。

能の世界もかじったのですが、例えば「この笛と鼓は今は良い音が鳴らない。しかし、50年後か100年後には名器になる」というものがあったら、自分の代で良い音が鳴らなくても気にせず将来のためにそれを使い続ける、という習慣が今も残っているそうです。

髙柳さん世代も同じで「この田んぼは、いつの誰かわからないけどご先祖様が手で開墾して作ったわけだよ。手で開墾なんて想像を絶する仕事だよ。それで代々、命が繋いでこれたわけだよ。だから私の代は預かっているだけで、渡していくものなんだよ」

髙柳さん達、農村の大先輩達とつきあっていて思うのは、人として立派だな~、という事。

それは自分の心を満たすためではなく、務めが何かわかっていて、それをきちんと果たそうとして生きている事、ではないかと思うのです。

日本の伝統的な暮らしというのが、近代化、特にアメリカ文化の個人快楽主義が輸入されたことで否定されてきてしまったのがここ数十年じゃないかと思います。

でも、よ~く考えればわかる事のような気がします。

 

人間も自然界の動物と思えば、何のために生まれてきたか、といえば、極端にシンプルに言うと「子孫繁栄のため」です。

これを馬鹿にしてしまう人が多いと思いますが、私は「そりゃそうだ、子孫のために生物は生きているんだ」と本気で思っています。

子供を産み、子供を育て、立派な大人にしていくこと。

これ以上の素晴らしい仕事は無いと思います。

これが大人の務めだと思います。

「鬼滅の刃」の煉獄さんの言葉じゃないですが「強い者が弱い者を守る。そうして弱い者も強くなったら今度は弱い者を守る立場になる」とか「俺は俺の務めを果たす」という言葉は、まさに日本の正義、という言葉だと思います。

今は子供がいないご夫婦、あるいはシングルの方もいますが、それは動物社会で言えば悲しい事ですが、人間社会は知性というのがあり、社会というものを作ってきたので、自分の子か他人の子かどうかは関係ありません。

人間は社会的動物ですから、自分の子供がいなくても、子供達のために立派な社会活動をしている人は多くいます。

結局は、大人になるのは子孫を守り育てる社会をつくるため、というのがシンプルな目的だと思います。

 

そうすると、自分を充実させよう、というのは若者の考えであって、立派な大人は他人や子供達のために精一杯力を使って言える人じゃないか、と思うのです。

1960年ぐらいまでは、日本の7割が農家だったと言いますから、昔の大人は、家を守って家族を食わせるのが精一杯だったということもあるでしょうし、じいさん、ばあさんもみんなで田畑仕事をしていたというのもあるでしょう。

その分、「務め」がシンプルだったというのがあると思います。

 

今は物質的には豊かな時代で、「昔の王様よりも享楽的な暮らし」を一般家庭でも出来るようになりました。

ボタン1つで料理が出来、洗濯も出来、好きな音楽や動画も見れ、沢山の娯楽が選べる時代になりました。

その分、生活を必死にしなくて良くなったためか、務めがわかりにくくなってしまった事もあると思います。

その反動が、家庭菜園ブームだったり、DYIやキャンプブームにあらわれていると思います。

農家からすれば、家庭菜園もDYIも普段の生活の仕事の一部ですし、キャンプなんてわざわざなんで外で寝るんだ?という感じですから

 

まあ、長々と書いてきましたが、今の若者は、どちらかというと「地球環境」や「コミュニティ-」という言葉が好きで、そういった仕事に就こうという子が一気に増えてきたと思います。

私の20代よりよっぽど意識は高いのですが、残念ながら、私の子供時代より便利な子供時代を生きてきてしまったので、生活力が乏しい子が多いです。

そんな子達が、「地球環境のためになる仕事」を目指して農業に足を踏み入れる事は良い事ですが、その根っこにある、自然やご先祖様に感謝し、その感謝があるからこそ、自分のやりたいことという以上に自分の務めとして仕事を捉え、根っこを育てていってもらいたな~と思います

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久々の高柳さんのお話

2018年05月21日 | 素敵な人・友人との時間
先日、わが師の高柳さんが田植えが終わり、「気が抜けちゃったよ」と、茶飲み話で1時間半ぐらい、久々にお話を聞いていました。

「今まで経験したことで、何を伝えていきたいと思うかい?」みたいなことから始まって、「今の人は欲ばっかりだな」とか「人は戒律がそれぞれある、何を信じているかでその人が信用できるかがわかる」など、なかなか難しいお話でしたが、ちょっと後で車で運転しながら考えてみました。

例えば「今の人は自分の欲ばかりだな」という話ですが、高柳さんは自分の哲学をもって、それで生きています。
特に、無着成恭さんの薫陶もあり、仏教を基本にした考え方、例えば、「知足=足るを知る」という考えなどが柱としてあります。

「今の人は自分がお金持ちになりたい、自分が何かをしたいばかりだな」
「私たちの時代はそんなことではなく、例えば人の役に立つ人間になれ、という教えられてきた。今の人は学校に入って良い会社に入って、金をいかに稼ぐか、という事ばかりしか教えられていないだろ?全部自分のことばかりだ」というのです。

それは私も思います。

私も偉そうなことを言えませんが、どちらかというと「人は何のために生きるんだろう?」とか「今の子ども達に後で少しでもお手本になれるよう、まっとうに生きたい」という思いがあります。

例えば、内村鑑三の「後世への最大遺物」などはずっと好きな本です。
「後世に遺すものとして、お金、ものなどよりも、最大の遺物は生き方」という本で、20代、とても感銘を受けました。


また、今のスマフォについても、意見が一致します。

若い頃は、それはファミコン中毒でしたが、大人になって、スマフォが当たり前になり、スマフォゲームを開発している会社が大企業になって、大人も恥ずかしがらずにゲームをあちこちでやっている今の世をみて「何なんだろう?」と思っています。

大人がこれでは子供もゲームをやるのに罪悪感は覚えないでしょう。

「刹那に生きる」という言葉があるのですが、刹那、つまり今を目いっぱい生きる、というより、今をとにかく楽しもう、という考え方が、世の中にはこびっていると思います。

まあ、「人生楽しければいいじゃないか」という最終結論を持っている身内もいますが
そういう大人が多すぎることに、疑問を思う人と思わない人がいると思いますが、私は疑問を思う人で、高柳さんと思想があうんでしょうね。

特に、ちょっとしたぼーっとした時間に、脳や目や心を休めたり、ぼーっとしている時に頭がむしろ働くと思うのですが、そういう隙間をスマフォで埋めているのを見ていると「大丈夫なのかな~」と思います。

私の若い頃はそうでしたが、常に頭や目を働かせていると、だんだんおかしくなってきます。
それでも若いころは自分で気づかず、後で体が壊れてから気づくものだと思います。
特に、田んぼに来ていて「田んぼってなにも考えないんですね、この何も考えずただひたすら田植えするのって、こんなに気持ちの良いものなんですね」という親御さんが多いのですが、こういった方は、大体、今の仕事や生活に余裕があまりない方なんですね。

将来のこと、自分はどう生きていくべきか、ということを常に考えられる生活スタイルというのは、自分の事を振り返ると、会社員では無理で、ある意味、農家を含めた自営業でないと実現できないものなのでしょうが。


話を戻して、高柳さんがこんなことも言ってました。
「誕生日も昔から疑問だった。なんで誕生日を祝うのか?正月になったらみんなで今年も新しい年を迎えられたね、で良いじゃないか、と思っていたのが、西洋のものまねが始まって、何か変だと思っていた。そしたら無着先生が教えてくれた。誕生日は本来は周りの人に感謝する日であって、自分が祝ってもらう日じゃない、とね。あぁ、そうか、と思ったんだよ。自分がまた1つ歳を重ねられたのは、周りの人のおかげだ、というのであれば、わかる。仏教の考えはおかげさまだから」

う~ん。
私は自分の子が元気に成長したことを祝いたい、というタイプの親ですが、確かに高柳さんの言うこともわからなくはないですよね。


あと、「人は戒律がそれぞれある、何を信じているかでその人が信用できるかがわかる」という話。
「宗教は何のためにあると思う?それは戒律なんだよ。人は放っておいたら欲に生きるものという前提で、だからそれぞれこれはしちゃいけない、といった戒律があるんだ。人は何をしちゃいけない、これは正しい、ということがあって、それがどういったものかで、その人を信じれるかどうか判断するでしょ?」というお話。

最初は、う~ん、宗教の教えって戒律なのかな~?、と思ったのです。
例えば神道は戒律ではなく「感謝」です。
また、信念というのは必ずしも自分に対する戒律に依っているものではないですし。

ただ「何を信じているかで、その人のことが信用できるかどうか判断できる」というのは、なるほどな、と後からわかりました。

例えば、単純な話で、人を簡単に傷つける人とそうじゃない人。
それは、その人の中にある他人に攻撃をしない、そういったことは良くない、ということが刻みこまれているかどうか、です。

人は絶対殺してはいけない。
暴力は良くない。

これはそういった思いを持っていない人から見れば、理性で抑えられない暴力性がある、というより、生まれてそういうふうに育てられなかった、というのがあると思います。

例えば、男の子で仮面ライダーの物まねなどで、心許せると思ったら平気で大人を蹴ってくる子がいます。
それは「そういった事は良くない」と親から教わっていないからだと思います。

まあ、後々、社会でそういった事は良くないと教わるわけですが、いずれにしろ、「何を信じているか」というのはその人の「行動」に確かに表れるな~と。

儒教の「陽明学」というのもそういったものです。
西郷隆盛しかり、幕末の志士の多くが学んだのが陽明学ですが、わかった、ということは、それが行動で実現できている、ということです。

高柳さんのベースにあるのは仏教ですから、そういった学びを受けてこなかった私からみれば、時に「禅問答」のようになってしまうのですが、この年になって、こういった事を教えてもらえるのは、有難いことだな~と思います
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最近の若い子

2017年09月15日 | 素敵な人・友人との時間
田畑をやっていると、また教室をやっていると、色々なご縁が出来ます。

3年前に「食と命の教室」に参加された二人組が、高柳さんの所に援農に来ました。

「やっぱりここはいいですね~。落ち着く」とか「悪いものが抜けていく」といった事を言ってくれます。

いつも田畑で仕事をしている高柳さんや私は「そうか」としか言えないのですが、都会暮らしどっぷりでもない2人でもそういうことを言葉にします。

農家というのは田畑にどっぷりです。
地域にどっぷりです。
仕事にどっぷりです。

でも自営業で自分で仕事が決めれます。
もちろん、自然相手なので、季節にあわせて、作物に合わせて仕事をしなくてはいけません。
それでも大きな自然の流れで「今年もまたこの時期のこの仕事がやってきた」という感じで、どっしりと構えています。

そんな生き方が、田畑を常にどっぷりでない方には、違って見えるのでしょうね。

と思っていたのですが、2人のうちの1人が横須賀から連れて来てくれた子は25歳。

若いのですが、自分なりの生き方をしています。

きっかけは2011年の東日本大震災だったそうです。

「自分たちは恵まれていて、食べるところも住むところも着るものも困ったことがなく生きてきました。これでいいのか、といった思いをずっと持っていたのですが、そこに東日本大震災が来て『このまま生きてはいけない』と思ったんです」


彼女はそう言います。

私も含めて集まったみんなでしばし、2011年で生き方をどう変えたかの話が出ましたが、農に携わる人、携わろうとする人は少なからず外からあるいは内からの差はあれ、生き方に影響を受けた人が多いです。

彼女もそう。

そして、めぐり逢いがあって旅に出たそうです。

そして、細かい経緯はわかりませんが、今は横須賀でNPOの活動で、田んぼを開墾し、食べ物を作り、子ども達に自然体験をさせる活動をしているそうです。

私がこの道に入る頃はそういったハシリだったと思いますが、年々加速していると思います。

その流れは、社会人になったものの心の奥底に「このままでいいのか?」と疑問を持ちながら生きてきた人が、回帰するように世界を変えようとしている流れ、もう1つは若者が最初から「物質的な豊かさではない世界の生き方」を選ぶ流れです。

私の周りだけのことかもしれませんが、今の20~26歳ぐらいは、そういった子が多くなった気がします。

つまり、大学生が単純に就職活動をするだけでなく、何か考えをもって大学の専攻を選び、そして道を農に関わることにしているんですね。

そういう意味で、おじさん、おばさん達が色々考え、時代を何とか変えないと、と頑張っているわけですが、既に地脈から表面に新しい流れが湧き出てきているんでしょうね。

知り合いとたまに話す時に「間に合うのか?」と言う人がいますが、私は「我々世代で完全に変わるのではなく、この流れは子ども、孫の代まで続いて、孫の代には変わっていると思うよ」と答えます。

70年かけて突っ走ってきた近代化は、70年かけて違うステージに移るのが自然です。

自分達の生きている間に世界が大きく変わると思うのも不自然ですしね。

と思いつつ、あぁ、時代は変わってきているな~、と思う今日この頃です
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東京での同窓会

2017年06月30日 | 素敵な人・友人との時間
金曜日は昔のCTIジャパンという所でコーチングを学んだ同志達との同窓会、久々の東京、久々の終電帰りでした。

(水)はムシムシした小雨と高温の中で、午前は玉ねぎ作業、午後はお友達を呼んでのジャガイモ堀りで汗だくだく。
(木)は4時間ぐらい草取りを頑張ってしまったこともあり、体力を使い果たしておりました

ということで、(金)は午前のちょっと仕事をしたものの、お昼を食べてすぐにお昼寝。

行きの電車でもほぼ寝ながらの東京。

そこで気づいたことをあげると。。。

1:みんなで、スマフォばっかり
自分の座っている座席の列の前に立っている10人をためしに数えてみましたが、10人中7人がスマフォ、残りの1人はPS、1人は読書、1人は何も持っていない、と言う状態でした。

まあ、わたしがスマフォを持っていないので偏見もあるのでしょうが、みんなそんなに目や神経や頭を移動中に使っていて、大丈夫なのかな?と心配になりました。

もう何年も前にもそう思ったことがありますが、このことを話したら、同窓会のメンバーは「みんな異常で中毒症なのよ。でも止められないの」と言っていました

助産師のおばあちゃんがラジオで「最近は骨盤がおかしいの、それはスマフォが出て来た頃からで、みんな首の頸椎が歪んじゃっているの。ずっと下を向いているから」と言っていたのを思い出しました。

2:山の手線は凄い
久々の混んでいる山の手に乗りましたが、まあ凄いのなんの
よくあんなに普通に昔は乗れていたな~と思いますが、人間は慣れの動物。私も田舎暮らしに慣れたので、山の手にもう乗れません

3:「みんな良い人
これが最大の気づきでしょう。

今回は、同窓会といいますが、実は同期だけの同窓会は2週間前に開催していました。
ただ、週末イベントが重なっていたので、前日準備や体調も考えて断念していました。
今期は期が近い人たちの集まりだったのですが、最後にスポーツバーで40分だけ飲んで終電で席を立ったのですが、みんなからハイタッチやじゃあね~という言葉をかけてもらったり、声援で見送ってもらいました。

その時に思ったのが「あぁ、みんな良い人だな~」ということでした。
なんだか、ちょびっとした感動が胸に沸き上がったのです。

10数年前に一緒に学んだ仲間だけでなく、初めて会った方も含め、みんな笑顔で心をオープンに見送ってくれました。
そういった環境にいると、こちらも心がオープンで、素直に祝福の気持ちみたいなものが入って来るんですね。

たぶん、世の中の人は全員本当は良い人なのでしょう。

テロリストだって本当は良い人で、生まれ持って悪い人なんていないのでしょう。

それが、悪しき環境、教育によって、人の心は染まっていく。

でも、どんな人だって、昔のピュアな心でつきあった仲間のところに戻れば、その当時の心境に戻るんだと思います。

みんな良い人なんだな~、と思って人と付き合うという人が世界中にあふれれば、世界はもっとよくなるんでしょうね。


ちなみに、今回の同窓会はコーチングの仲間との同窓会だったのですが、それついてちょっと補足を。

私がコーチングと言うのは、今は知っている人は知っていますが、当時は黎明期でほとんどの人が知らないものでした。

名前をしっていてもどんなのかわからない。

怪しいものもありました

私が学んだCTIジャパンというのは、硬派というか王道というか、本物でして、co-active-coachingというものを学ばせてもらいました。

あれは20代後半ぐらいでしたね。

「誰一人間違っている人はいない」といった言葉が最初に出てくるもので、私が学生の頃から持っていた信念とぴったりきたんんです。

そして、人の可能性を信じ、人の奥の奥底に眠っているものを呼び覚まし、自分の本当にやりたことや人との関係を選択し構築していけるよう、一緒に伴走者となり、鏡となってその人と一緒に、協同作業で深めていくのがco-active-coachingでした。


私にとって、畑を耕し種を蒔いてもらった人生で最も大きな影響を受けた出会いの1つです。

それは創業者の榎本さん(ヒデさん)との出会いでもあり、私がピースボートに乗ったのも、会社を辞めたのも、今の仕事をしているのも、ベースはここで耕されて種を蒔かれたおかげです。

コーチングで会社を辞めようと決意したのも、出会ったから。

辞めれなくなり、ピースボートに乗り込んだのもそのせい。

その後、農村の暮らしに入り、原発事故後、独立したのも、やっぱりこことの出会いがあったからですね。

「自分のしたいことを自分で切り開いていける力、一歩を踏み出せる力」を自分の中に見つけ、あるいは呼び覚ませるようになる、それがこのCTIジャパンの魅力でしょうか。

そして、お金に多少余裕があって今の自分や人生がもやもやしている人は、CTIの扉を開いたらいいのにな~、と改めて思いました。

もうみなさんと同じようなビジネスの最前線に立つことは無いでしょうが、このご縁がまたどこかで繋がり花開く日を楽しみにしています
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久々の高柳さんのお話し

2016年08月25日 | 素敵な人・友人との時間
今日も暑かったですね~。

3時間の農作業で汗だくになったあと、夕方からお仕事や「食と命の教室」などで、高柳さんのところへ。

お茶のみ1時間ぐらいと思っていたら、あれよあれよと、夜まで、結局、久々に久々に高柳さんと3時間のお話となりました。

ただ、高柳さん、今日は農作業をしていないのもあって、いつものような夏の疲れも無く話もキレがあり、久々に「高柳さんはやっぱりいいな~」と思う濃密な時間となりました

特に無着先生(昔、子供電話相談室などをしていた有名なお坊さんで、高柳さんの師匠の1人。多古町の寺の住職にもなっていました)から35年前に聞いた「現代の教育」という話は、とても勉強になりました。

 「教育というのは教えるより育てることの方が大事。教えないと知らないから教えるけど、教えることで育てるという方が大事。教養も同じで教えることより養うこと、つまり自分で身につける方が大事。養うというのは、例えば勇気、情けの心、頑張れる力などは知っているだけではだめで、自分で身に着けるもの、自分で行動に移せる力。教えられたからといって身につくものではない。

 教育も育てることが大事で、本来は1ができた、次は2が出来るようになった、どんどん出来るようになっていくことが増えていくということ。
例えば、日本の教育というのは大工なら釘が打てるようになった、ノミが使えるようになった、といわば加点方式だった。それが成長というものだった。

 でも今の日本の教育は減点方式になってしまって、わかること、自分で出来るようになることより、知識ばかり点数ではかり、しかもあれが出来なかった、ここが出来なかったと100点からマイナスしていく方式。これでは将来日本人はダメになるでしょうね」

 というお話だったそう。

これを35年前にしている無着先生も凄いけど、とても面白いお話でした。

そして「片岡君、人生の師というのは必要だぞ」という高柳さんに対し、「ええ、だから私はここにいるのです
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キャンプと沢とヒルと私

2016年07月23日 | 素敵な人・友人との時間
水曜日に終業式があり、子供たちはもう夏休み。

下の子は、水曜日の午後いっぱいをつかって、16ページのドリルを全部終わらせたという気合のいれよう

そんな夏休みの第一段イベントが、お友達家族と行く君津のキャンプです

奥様が、小学校跡地を利用して作った道の駅の「道の駅 保田小学校」に前々から行きたがっていたので、まずはそこに寄ってみました。



行ってみての感想は「期待以下」でした

「小学校」というコンセプトというか、らしさが出ていなくて、せっかく小学校らしい雰囲気やお店や体験などをイメージしていましたが、まあコンセプトというのは体現化するのは難しいもんなんだろうな~、と思いました。

例えば、「理科の部屋」では自然科学とか地域の小動物や樹木の紹介をしたり、体育館では「体育の時間」とかで500円とかで跳び箱や縄跳びや玉入れとか小学校でやったスポーツを出来る場所があったり、料理も「給食の食器をつかった料理」みたいなのをそのまま出すとかできたのに、と思いました。

まあ、いろいろな関係各者が絡むと、なかなかそういったものができず、無難なものになってしまうんでしょうけどね

そんな保田小道の駅を後にし、キャンプ場へレッツゴー

土曜日はあいにくの曇天で、それほど気候は良くなかったのですが、まあ暑すぎずに過ごせたのはそれはそれでよかったのかな。

到着すると、子ども達やママさんの1人が写真を撮っているので「何かな?」と見てみると、さなぎからかえったばかりのセミでした



こういった状態のセミを見るのは2回目ですが、どんどん羽が乾いて色がついてくるから不思議ですよね~


さてさて、早速火おこしやら夕食の準備をしていると、ちびっこ探検隊が「沢に行きたい」ということで、引率の1人として沢へ。

沢への下る道や上る道を歩くと「あ~、足腰が弱いよな~」と思ってしまうのは私だけでしょうか?
また、水が冷たいので乗り気は大人はあまりしないのですが、そこは子供は関係ありません。
どんどん進んでいくので、大人も声をかけながらついていきます。


するとちびっこの1人がカニを捕まえて、もう1人のちびっこがつかまれられなく、沢遊びが終わっても「やだ、帰りたくない」と駄々をこねるので、「じゃあ、石の裏とかひっくりかえしてみようよ」といって探すと、ひっくり返せるぐらいの石のところにはいなかったのですが、でっかい石の周辺にいくつもの巣穴らしきものが
実際、掘ってみたら、まあ、いるいる
この岩だけで2匹ゲットしました


そんな沢遊び後は、お腹もすいたので、みんなでお食事タイム

我が家は、おかげさま農場の大竹さんの大玉トマトで作ったトマトソースでパスタ
ほとんど子ども達で売り切れてしまいましたが、やっぱり美味しかった


いつものメンバーで、いつものようにいろいろな料理で、お腹いっぱい食べました


そして、子供の1人が数日後、誕生日ということで、ママさんたちがひそかに手作りケーキを用意し、サプライズバースデー
さすが、ですね~。
子どもではなくママさんの方が泣きそうでした


夜は夜で花火したり。キャンプは自由に好きなように遊べるから楽しいんですよね~。


で、夜は夜で大人の時間があったのですが、子供たちは早朝から遊びたいのは当然といえば当然です。
うちの子が4時に1回起き、5時に我慢しきれなくて他の子供をお越しに行き、静かにさせながらも、6時には沢の方に行くことになってしまいました。
私は、途中朝シャワーを浴びて素足で靴に足を入れたら、引率のヘルプを頼まれたので、そのまま引率に行ったのですが、その後、朝ご飯を食べている時のこと。

なんだか足がかゆいので何気なくさわってみると、まあ蚊ではない明らかに大量な何かおかしな血がべっとり

なんだと思って靴を抜いてみたら、血を吸って膨らんでヒルが出てきたのです。しかも両足

恐らく、昨日の沢で足にヒルが付いたのを落としたのですが、落としきれなかったのが靴の中に潜んでいたんでしょう。

そして、朝のシャワー後、素足で靴を履いたときに「来た」と食らいついたんでしょうね。

「ヒルはなかなか血が止まらないんですよ」とベテランパパに教えて頂いたのですが、確かに、1時間ぐらい血がにじみ出ていました


朝食後、昨日とは違う滝つぼがある沢に行ったのですが、朝のヒルのことがあったので、ヒルに脅えながらあるいていました
でも、寒い中、子供たちは楽しそうに遊んでいたし、魚もたくさんいてみんなで楽しい時間を過ごせ、また今度はヒルにやられなかったので、良かったです


とはいえ、気温が上がらず体も冷え切ったのでお昼にみんなで解散しました。

キャンプ、ベテランさんたちと行くと、やっぱ、いいですね~

そして再来週は同じ方面に今度は海です

キャンプもいいけど、夏はやっぱり海、ですよね。

去年みたいに死ぬような暑さにならないことを願っています。
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みんなの農村ネットワークのこれから

2016年07月08日 | 素敵な人・友人との時間
東京で働いていた時の会社の同期が成田に遊びに来てくれました。

彼は、以前から農業分野に関心を持っていて、前も一度来てくれたことあったのですが、今回は、彼が今の会社をやめることが決まり、次のステージに映ろうとしているタイミングとのこと。

このタイミングで、メールでちょこっとやりとりしていた案件について、話そう、ということになったのです。

と同時に、ちょっと農作業もしたいということで、高柳さんのところでまずは草取り。
農作業は初めてということでしたが、さすが週何回か走っているだけあって、すぐにヘロヘロになるわけでもなく、頑張っていましたよ

お土産も、収穫したての野菜をたっぷり渡しました

その後、高柳さんとご飯を一緒し、おかげさま農場のメンバーのところにいってネギをもらった後、コーヒータイム


そこで、なんと提案書が出てきたのです

昔はこういったのを作って営業していましたが、自分が提案書を作ってもらう側になると、なんだかうれしいものですね~

彼はプロジェクトを動かすマネージメントをやるのが好きで、農業分野にもプロのボランティアとして関わってみたい、という気持ちがあり、私のやっていることを知っていて、今回の提案になりました。

私のように1人事業主は、自分で考え、自分で動いているので、こうやって他から意見をもらったり、話し相手になってもらうだけで色々ありがたいですよね

まっ、どうなるかわかりませんが、せっかくの提案なので、まずは次のアクションはやってみたいと思います
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