半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

暑さの日も雨の日も開催「田んぼと畑の耕育教室」

2020年06月28日 | 農的体験・生活

6月の「田んぼと畑の耕育教室」が終わりました

いや~、あっという間に過ぎ去った、そして、何とか生き残った6月でした

通常。5月にやる4回分をコロナ自粛で延期し今月に持ってきたので、今月分の2回分と合わせて合計6回、そして「食と命の教室」も含めると、今月はなんと7回教室をやったのでした

イベント稼業とはいえ、息子の誕生日を1日抜かすと、週末は全て教室で埋まっていたわけで、もはや、何とかやりきった、という感じしか残っていません

体力勝負でしたが、何とか開催が出来て、そして生き残れてよかった、と思って月曜日を迎えております

 

それにしても今回の「田んぼと畑の耕育教室」は1年で最もプログラムが多い回だったために、私もヘロヘロでしたが、参加者のみなさんもヘロヘロだったと思います

まず、土曜日は天気は良かったのですが、その分、蒸し暑かった

田んぼでワイワイ草取り&カエル捕まえをしていましたが、気合が入っているから田んぼでは感じませんでしたが、お昼に倉庫下に帰ってきて気を抜いたら、一気に力が抜けたというか、暑さを感じて、体に堪えました

お昼を食べた後、午後は、サツマイモの苗植えをまず行ったのですが、午後から急に日差しが強くなったこともあり、みなさん、まだ苗が余っているのに途中でギブアップという感じでした

ジャガイモ掘りも、今年は不作だったこともあり、みんなの顔に余裕が無く、体力の消耗が激しい感じでしたが、ザリガニ釣りで一気にみなさんの笑顔が戻った感じでした

それもそのはず、ジャガイモは過去9年間で一番の不作でしたが、ザリガニ釣りは過去9年間で一番の豊漁

しかも、例年なら小物が多くて大物は1~2割という感じでしたが、今年は大物の方が多く、まあ、みなさん、まさに入れ食い状態で楽しそうでした

 

一方で日曜日は天気予報は大雨

朝6時あるいは10~12時ぐらいにピークが来るという予想でしたが、その通りで2回大雨がザーッと降りました。

それでも「この時期の天気予報はあてにならないから、やっちゃおうよ」という根本さんのご意見もあって、「10時開催しますが、午後は雨が止む予定なので11時過ぎにきてご飯食べて午後から本格参加でも良いですよ」というメールを参加者に送りました。

ところが、キャンセルがほぼなく10時にほとんどの方が集合されたので、根本さんもびっくり

早めに来た子達には「コンテナで好きに遊んで良いよ」と提案し、大型レゴブロックのように階段を作ったり家を作ったりして遊んでもらいました

そして、みんなが集合した後、雨も強くなってきたのですが、10時半ぐらいに少し雨量が減ったので、「田んぼに行きたいですか?」と聞くと、ほとんどの方が「ハーイ」と手を挙げられたので、田んぼにもレッツゴーしましたが、多少の風雨ではびくともしないみなさまにたくましさを感じました

というか、無茶苦茶暑い日に田んぼをやるぐらいなら、雨が降っている方が体に堪えないし楽しいと思えるようになりました

そして、いつもは丹波黒大豆を畑に種播きするのですが、畑がぐちゃぐちゃのドロドロなので、根本さんの計らいで、育苗トレイに大豆を蒔くという、過去9年で初めてのプログラムも導入し、午前中はそれなりに楽しい時間を過ごせたのでした。

午後は雨も止んで、サツマイモの苗植えやジャガイモ掘り

しかし、今年は過去9年でジャガイモが一番の不作

いつもはコンテナの1/3ぐらいはあげられるのですが、今年は1家族8~10玉ぐらいしかとれませんでした。

しかし、ザリガニ釣りはすごかった

まず、みんなの笑顔が違う

それもそのはず、今回はまさに「入れ食い」だったのです

例年、1人3~5匹ぐらいは釣れるのですが、今年は多い人で1人で10匹以上釣っていました

しかも、例年、小物ばかりで大物は1割ちょっとなのが、今年はほぼ大物

例年より1週間開催が遅いだけなので、まあ春の気温が高かったり何か理由があるのでしょうが、大物ばかりで、みんな得意満面で楽しんでいましたよ

なんだかんだ言って、暑くても、雨が降っても開催しているこの教室。

世の中で、ここまで泥んこになっている子供は今の時代は少ないんじゃないかな、と思いますが、むしろ、ここまで泥んこになっている大人はもっと珍しいんじゃないかと思います

まあ、とにもかくにも無事に開催が出来て良かった良かった

9年目も相も変わらずやっておりますが、毎回きてくれるご家族とかけがえのない思い出、また最近の親子事情を学びつつ、来月もぶっ倒れないように体調を整えながら頑張りたいと思います

 

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自粛明けの「食と命の教室」は満員御礼♪

2020年06月20日 | 農的体験・生活

子供連れご家族向けの「田んぼと畑の耕育教室」を先々週末、先週末と4回開催しましたが、今月5回目の教室は大人向けの「食と命の教室」。

いや~、今回は満員御礼で、かつ、みなさん楽しそうだった

2月から始まるこの教室なのですが、今年は4月がコロナで仕方なくお休み。

5月もどうしようか悩みましたが、「これる人だけ来たら良い、やろう」という高柳さんのお声がけのもと開催しましたが、近隣の方だけが集まることとなったので、やはり少人数で、数年ぶりに5名という少人数で開催でした。

それはそれでとっても楽しかったのですが、今回は「自粛明け」ということで、みなさん「参加します」と、もう我慢していた分を発散するようにほぼマックスの14名という参加人数でした。

東京からいつもは電車なのをレンタカーでお越しになる方もいて、まだ気にして下さる方もいましたが、骨折をしてある行けるようになったけど「みなさんに迷惑がかかるかも」と躊躇していた方が、「やっぱり参加したい」とご参加いただけたり。

みなさん、いろいろな事を溜め込んでいて、それを「教室ではき出したい」という欲求があったのでしょうね

ということで、まずは高柳さんのお話。

高柳さんのお話はもう、最近は「コロナ気にせず論」に完全になっています

高柳さんに会った事が無い人から見れば「何を不謹慎な」と思うでしょうが、農村で50年以上の農家人生を行い、地球環境や食と命の関係を訴え続けてきた在野の哲人である高柳さんから言えばこうなります。

「生物が誕生してからウイルスはあって、人類はその後に生まれた。つまり、ウイルスは先輩であって、後から生まれた私たちはそもそも共存を前提にしているんですね。

そして新しいウイルスが来ても抗体が出来て免疫をもって永らえてきた。それが出来なかった種は淘汰されてきた。

だから遺伝子レベルでは私たちにはそういったウイルスに対応出来る体になっているはず。

だから、一応、予防はするにしろ、それで駄目になってしまったら、それはそれまでの食生活や健康や養生が出来ていなかったという生き方の積み上げの結果でもあるから、もう諦めるしかないでしょ、と私は思っている。ちょっと言いすぎかな?でも私はもう半分そう思って生きています。

命が大事というけど、じゃあ、熱が出たら診てもらいたいと思うのに、検査もしてくれないなんておかしいでしょ?何のための国なんだよってね。そして、それよりコロナ以上に仕事を無くしたりお金が無かったりで死んでいる人が多いという事の方が問題じゃないの?」

実際、おかげさま農場の70歳以上の大御所達はみんなマスクはしていません。

まあ、若手の私世代も当初はマスクをしていましたが、もうこう暑いとマスクをしながら農作業などは出来ないのです。

本当に熱中症になってしまう

そもそも、都会と違ってコンビニなど行くぐらいが人と接触する機会であって、あとは基本的には虫や獣の方が多い世界ですから、マスクをする必要が無いですしね。

さらに大御所達はもう70歳以上で、「何かあったらもう諦めるよ」というのは本音なのかもしれません。

農村では昔ながらの日本人の考えがまだ残っています。

たとえば、犬・猫は「畜生」という考え方で、「最近の都会の人は、座敷犬だからな」と言います。

昔と同じ考えで、犬は「ペット」ではなく「番犬」という役割で、その犬を家の中=座敷に上げるという感覚が無いのです。

また、昔は多く子供が生まれた場合は、貧乏だと育てていけないので「間引き」が行われていました。

「弱い物は淘汰されてもそれが生命の本質だ」という、現代で言えば惨い考えですが、昔の時代では当然だった考えがまだ残っています。

そして、70歳ぐらいになると、2~3ヶ月に1回は葬式があり、「そろそろお前も俺もお陀仏だな(笑)」といった。生死の話は日常会話に普通に出てきます。

そういった大御所達からみると「コロナ、コロナと騒いでいるけど、自然を見てみろ。きちんと役割を全うして後は死んでいくのが生き物だ」というのでしょうね。

さて、こんな前置きの後、「ということで、健康な体で生きていくためにも日本人はお米を食べないと生きていけません。ということで、田んぼに行って草を取りましょう」とみんなで田んぼへ

みんな素足で入って「きゃ~、何これ、温かい」とか色々騒いでいましたが、みなさん超楽しそう

先日の子連れ向けの教室の「田んぼと畑の耕育教室」の時もそうでしたが、大人にとっても田んぼの威力は絶大だな~と思いました

田んぼが初めての方がほとんどだったということもあり、黙々と集中する事が楽しい人、素足のグニュ&ドロ&グチャという感覚が楽しい人、ちょっと気持ち悪がっている人など、様々でしたが、みなさん、巣ごもりで電磁波も相当たまっていたんでしょうね。体が喜んでいる感じでした

 

「久々に思いっきり体を動かしたので、お腹すいちゃいました」という方も多く、お食事も久々にみなさんほぼ完食

初物のナス甘辛味噌炒めを中心に、どれも抜群に美味しかった

お昼後はお買い物や高柳さんのギターを楽しみ、午後からはゴマ畑の草取り。

みなさん「こんな小さいのがゴマ?雑草との違いがわからないですね」と言いながら、頑張って草取りしてくれました。

午前中の田んぼは本当に楽しかったようで「午後もやりたい」と言う人が多かったのですが、私は「みなさん、予想以上に疲れているからまた今度来たときの方が良いですよ」と伝えていました。

案の定、この10分ぐらいの草取りで「腰が痛いです」とか「なんか疲れましたね」という方が出てきました。

そうなんです、そもそも田んぼは中腰で足が泥で取られて疲れるだけでなく、水面の反射で日焼けも自分が思っている以上にするので疲れがたまるんですね~。

さらに、日常的に外にででいるわけでも無く、久々に屋外に出てきた人ならなおさら思ったよりダメージを受けているんです。

これは「楽しくてついついやり過ぎちゃう」という素人に良く有りがちなパターンで、私もこれで体を壊したのでよーくわかるのです

ただ、「収穫物がある」となると、話は別。

「じゃあ、ジャガイモ掘るか」となって、収穫となると、心が躍るものでみんな「うわ~、こんなに出てくるんですね」とか「幼稚園ぶりにジャガイモ掘ります」とか「仕込んでいたようにごろごろ出てくるんですね」とキャッキャ喜んでいました

ジャガイモを分けた後、高柳さんの「伝統的日本建築の話」は、みなさん食い入って聞いていました。

「今の建築と私までの時代の家作りはそもそも思想が違うんです。

私が住んでいた家は、誰が建てたかわからない。ひいじいさんよりももっと前の、つまり江戸時代に建てられた家なんです。それが私の代で雨漏りとか始まって、建て直そう、となる。これを『番が来た』と言うんです。

そして建て直す家は少なくとも何代も先の者まで住む家を建てる。150~200年持つ家、何代も子孫が暮らせる家を作るんです。しかし、今の家は1代限りの使い捨てでしょ?10年保証とかいっているが、何をいっているんだ、と思うんです」

「うちの家の材料は全部、我が家で山から切ってきたものです。家を建てるとき、必ず木の苗を植えます。そうするとそれが100年先か150年先かわからないけど、また子孫が家を建て直す時にその苗が木材となる。そういった循環を考えて木を育て家の材料にするという流れがあった。

家の建て方も今の人はハウスメーカーに任せてしまって、家がどう作るかわからないでしょ?

昔は大工の棟梁と一緒に施主が建てるんです。図面も平面図で「こういった家を作ってくれ」で終わり。それを元に「何を用意すれば良いんだ?」と棟梁に聞くと必要な木材を教えてくれる。「よしわかった」となって、自分の山にいって必要な木材を切り出してくる。それを乾燥させて製材屋さんでひいてもらって、また乾燥させて、それから棟梁にお願いする。

そして棟梁は「次は電気屋を入れてくれ」「次は屋根だな」「次は壁だな」とタイミングに応じて必要な工事を教えてくれる。それを手配するのは全部施主。壁屋はあいつにしよう、電気屋は隣町のあいつだな、と全部施主が手配していくんです。そうすると家の作り方も勉強になるし、全部わかる。こういったこと、もう俺の代で終わりだろうな」

などなど。

その他、「最後の棟梁」と呼ばれた西岡棟梁の話を事例に、何百年持つように作られた日本の建築様式と違い、今の家屋は西洋のものまねでコンクリートの基礎をうってしまい、床材が腐るような家になってしまっている、など、その地域にあった経験則で培われてきた伝統技法を無視した家作りの問題も教えてくれました。

何度も聞いている話だけど、みなさんの食いつきもよいせいか、話は弾み、私も「やっぱり高柳さんの話は面白いな~、勉強になるな~」と思いました

夕方、みなさん、適度な疲労感が心地良いようで、笑顔でお土産をもって帰って行きました。

進みすぎが物質社会、経済優先社会の対極にある、この農村の行き方を伝えたく、こういった教室をやってきましたが、コロナにより、ますます自然に触れる場を求める人が増えていくんだろうなとも思いました。

そしてその価値もどんどん右肩上がり、と感じます。

この道を選んで、作ってきましたが、時代がますます欲している、と改めて感じる1日でした

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田んぼでアースされる

2020年06月16日 | 農的体験・生活

この(土)(日)は雨が降り、特に(土)はかなり降りましたが、「田んぼと畑の耕育教室」で、みなさん、楽しく過ごして頂けたようで何よりです。

そのあと、ふと思ったのです。

「あぁ、本当に楽しく過ごせたのは実は体がアースされて喜んでいたのだろうな」と。

というのも、以前、「電磁波アレルギー」の方が別の「食と命の教室」にご参加されたのですが、原因不明の体調不良で悩んでいらっしゃったそうです。

ところが、たまたま同じマンション内に同様の体調不良の方と知り合って、それがマンションの屋上にある携帯電波の基地局の影響だ、ということがわかったそうです。

その方は、電子レンジの近くだと気持ち悪くなってしまうそうで、子供達が「お母さん、スイッチ入れるよ」と声をかけてくれるので、そうすると電子レンジから離れる、という生活をしているそうです。

運良く原因不明のアレルギーが「電磁波が原因」という事がわかり、さらに良い医者に恵まれた事が「幸運」のようで、そして治療法として「月に何回か庭に鉄板を敷いて、その上に素足で乗ってアースしている」とおっしゃっていました。

私はこの方に知り合う前から「田んぼで素足でアースして悪い物、全部出しちゃいましょう」と言っていたのですが、本当にそうなんだな~と知りました。

今回、コロナでずっと家にいて多くの方がアレルギーとまではいかないまでも、かなり電磁波をため込んで居たと思います。

そういう事もあって、田んぼに入ったらみんな笑顔になっているのは、今までは大空の下、大きな田んぼで久々にどろんこで遊ぶことで、大人も精神的に童心に還って解放され、キャッキャと楽しめるんだ、と思っていましたが、それだけでなく、本当に体がアースされたんだろうな~と思いました

そういえば、子供が小さいころ、一緒に砂場で裸足に入っていたあの気持ちよさ、あれも良かったな~

現代人はそういう意味で、大人もたまには裸足になった方が良いですよね

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雨の中で「田んぼと畑の耕育教室」

2020年06月14日 | 農的体験・生活

先週に引き続き、(土)(日)は3回目&4回目の「田んぼと畑の耕育教室」

先週は暑くていつの間にか(木)の夕方から暑くなり、熱中症での教室だったので、今回は気をつけていたら、逆に(土)(日)は梅雨入りで特に(土)は体の芯まで冷える1日となりました

先週は初回なので、みなさんがどういった気持ちで、またどれだけ警戒しながらの教室参加なのか手探りでしたが、2回やってみて「結局は、ここに来ている人は求めてきている人であり、かつ、田んぼに入ってしまうとみんな緊張が解けて体全体で楽しんでくれる」と言うことがわかりました。

ということで、この(土)(日)は私も例年と同じ気持ちで、つまり、「ようこそ田んぼへ」という前向きな楽しい雰囲気を出しながら開催が出来ました

さて、(土)は10時ぐらいまでは雨がほとんど降っていなかったのですが、天気予報もあり、キャンセル続出。

こちらも「朝の天気予報をみながら必要に応じて(日)に変更可能ですよ」と伝えていたので、半分が(日)に変更になりました。

逆に言えば、雨にも関わらず6家族が参加してくれたのですが、そういった家族はまるで「勇者」で、「小雨ぐらいどうってことないですよ、どうせ汚れるんだし」という前向きな方々ばかり

開始時は雨が降っていなかったので、みんなテンション上げ上げで、もう、とっても楽しく、過去最高潮ぐらいみんなで盛り上がりました

ただ、11時頃から雨量4㎜ぐらいで「みんな退散だ~」と倉庫下まで退去。

人数も少ないので、畳を広げて、外は雨がすごかったのですが、中にはキャンプ用のコンロでお昼を食べている強者もいましたよ

私も、大人になってもテンションが高ければ雨の中でも風邪など関係なく楽しく過ごせる事を久々に思い出しました

それに比べると (日)はたいした雨も降らず、(土)の振り替えも含め21家族と結構な人数が参加。

もう、みんな田んぼで思いっきりドロドロ&ぐちゃぐちゃをぐちゃぐちゃを楽しんでもらいました♪

また、お母さん達との立ち話も私の学びの場。

成田は5月から分散登校が始まり6月からは毎日登校。一方で東京はようやく分散登校が始まった、とか5月中は本当に外出していなかった、とか、やはり様相が違うんですね~。

中には「本当にうちの4歳の子も私も気がおかしくなりそうになっていたんですよ」とか、お友達と一緒に来たご家族の中には「今日、実は2ヶ月ぶりに会ったんですよ」いう方もいました。

都内でのコロナ巣ごもりというのは本当に大変だったのでしょうね。

その他、もう5年か6年通っているご家族で、ついに中学生になった子もきていて、それでもいつもと同じように田んぼを楽しんでいたり、何年か前に年間で2~3年きていて、その後は単発できていた方が「やっぱり田んぼは良いですね」と、なんと久々に年間になってくれた方も

やっぱり田んぼの力はすごいな~と思います。

そういった方々のお気持ちをくむと、これからどうなるかわかりませんが、人口過密の所で頑張っているみなさんにこういった場を提供していく事も役目だな~と思った(土)(日)でした。

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本:校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール

2020年06月09日 | 素敵な本

うちの奥様が借りてきた本がテーブルの上に置いてありました。

「おっ、これは、以前、テレビでやっていたやつじゃないか」と思い、あっという間に読んでしまいました。

世田谷区立桜丘中学校で10年間、校長をした西郷さんという方の学校変革の歴史が書いてある本です。

本を読むと「スマホ持ち込みオーケー、授業の開始ベルは鳴らない、遅刻オーケー、教室では無く職員室前の廊下においてある机への登校オーケー、授業中に寝てオーケー」などなど、まあ、嘘のような本当の話で、そりゃ誰でもびっくりする内容盛りだくさんなのです。

そんなの信じられないですよね?

子どもだったら「転校したい」となるのが当たり前で、大人でも「自分が子供のころ、本当にそんな学校があったら」と思うような中学校です。

でも本当なのです。

西郷先生というのは、出版元の小学館のホームページを見ると「最初は本を書いて頂くことは断られた。それは『子供達ともっと関わっていたいから、時間が無いから』とのことだった」というものだったようで、決してPRしたいから書いたのではないようです。

なので、青山学院大学の原監督(!?)のように、メディアに決して出たいタイプでは無いようです

ただ、出版社のお願いもあったのでしょう、また、実は2019年度をもって退職となっているので、最後に、と思ったのかもしれません。

とにかくこの10年の流れがざ~っと書かれています。

本を読むと最初の強烈な「スマホ持込OK、遅刻OK…」といった破天荒な常識の意味がだんだん分かってきます。

まず、定期テストが無い、という事。

これはテレビで見た時にも出てきました。

テレビでは「定期テストが無く、子供達が幸せな学校」という感じだったのですが、そのときは、週何回か小テストがあり、それを繰り返していくことで100点分の評価になるというものでした。

この小テストは単元ごとなので、学期の中間・期末テストより習得率が高いこと、さらに「再テスト制度」があって、1回目のテストで良い点がとれなかったら自主的に再テストが受けられ、再テストの点数が高ければそちらの点数が評価に反映されます。

なので「うわ~、点数低かった、やべぇ、次、頑張らないと」といって、一発勝負ではなく、もう1回再チャレンジできる安心感というのがあります。

本来の「学習単元の習得」を生徒が自主的に行いやすいこと、などが注目されました。

ちなみに、別途、「受験対策用」に、評価にはならないが1発勝負の模擬試験はやっています。

 

他に、自分の担任以外でも先生を指名して相談にのってもらえる、という事も放映されてました。

 

本によると、そもそも、この中学校は「公立」で、私立のように選んで来れるわけではなく、地域の子が仕方なく来る学校だったそうです。

というのも、東京は中学校受験の率が高く、特にこの世田谷区は3割ぐらいが私立だそうです。

私立のように選んで受験突破をして来るような、そうじゃない子供たちが来るわけで、そういう意味で色んな子がいるそうです。

つまり、いわゆる「荒れている学校」だったそうです。

で、この西郷さんが最初に校長として赴任してきた時、朝礼で子供たちがちょっと整列乱したり、おしゃべりをするのを先生方が険しい顔で監視し、大きな声で叱っていたそうです。

「あ~、うちの中学校も同じだな~」と思いました。

初めてうちの子が中学校に入学した時、入学式だったか忘れましたが、小学校とは違って、より「監視の目」が強烈だったのが印象的でした。

中にはすごい目で隊列を乱している子がいないか探しながら歩いているような曹長のような先生もいました。

「あ~、もう体力で勝てない中学生に対し、こうやってより軍隊的に縛っていくのが中学校なんだ」と、思ったのです。

ところが、この西郷校長は「子供たちを叱るのはやめましょう。もし、朝礼がつまらなければ、それは校長の話がつまらないからで、校長の責任です」というところから始まったのです。

結果、先生の仕事は「朝礼中に私語や整列していない子を見つけて正す」ではなくなったのです。

西郷先生の書き方では「校長が責任を負えば、先生はその仕事から解放される」という考えです。

 

「校則」もそうでした。

例えば「紺色の靴下をはいている子を注意する先生」がいました。

なぜなら「校則で靴下は白」と決まっているからです。

校長が生徒指導の先生に「どうして白と決まっているんですか?」と質問すると「白は清潔で、中学生らしい」というような答えが返ってきました。

ところが、西郷校長からすれば「中学生なんて白なんて履いてもすぐに茶色に汚れてしまって、よっぽど不清潔に見えてしまう。なら紺色の方がまだ良いじゃないか」とか、「そもそも中学生らしい、ってどういったこと?」といったように、校長なのに校則について先生に疑問をどんどんぶつけていくわけです

そもそも校則がなぜ必要か?という話になっていって、生徒も巻き込んで話し合いを重ね、最後は「校則」が無くなった、という話です。

ただ、こういった単純な話ではなく、そもそもの「インクルーシブ教育」の思想があって、「全員が3年間、どうしたら楽しく中学校生活を送れるか?」というところから、すべては始まっているようなのです。

インクルーシブ教育というのは、例えば発達障害の子、LGBTの子などたくさんいて、西郷先生も相当悩んだようです。

そこで参考になったのが、「みんなの学校」です。

「みんなの学校」は以前、私も見た映画です。

大阪府の公立小学校で、障害がある子も分け隔てなく普通に一緒に学究生活することが本来の公立学校である、という当時の木村校長の理念のもと、まあ、途中でクラスをよく飛び出ちゃう子も当たり前にいる中で、新任の先生もどうしてよいかわからない、という事もありながら、「本来の教育、差別がない教育、いろいろごちゃまぜで普通の子なんてそもそもいない」という前提のすごい学校として認知が広がりました。

西郷先生も「これを自分たちの中学校でも実現するべきだ」となって、例えば、音に敏感な子にどうやって対策をするか?を考えます。

北欧ではそういった子用に、学校に普通にノイズキャンセリングをするヘッドフォンを学校に置いてありますが、日本だと「なぜあの子だけ特別なの?」となってしまいます。

そこで、「誰もがヘッドホンを持ち込んで良いよ」となります。

ところが、本当に必要なのは彼だけなので、結果、「みんな使ってい良いけど彼だけ結果的に使っている」という状態になったそうです。

文字を読み理解する力が一般の半分ぐらいしかない子もいました。

本によると、トム・クルーズやスピルバーグ監督もこの障害があるようで、他の役者に比べて台本を読むのに倍の時間がかかるそうです。

そこでタブレットを使うとその補佐になるのですが、その子だけ特別にするわけにはいかず、先ほどの例の通り「全員持ち込んで良いよ」となるわけです。

他にも見た目は女の子だけど心は男の子、という生徒がいるときに、「女子もスラックスは誰でも履いて良いよ」となっても、それでは特別扱いに変わりがない、という事になります。

じゃあ、「男子もスカートを履いて良いよ」という校則を作らないと、差別になってしまう。だったら、私服でも良いし制服でも良いし、どういった服を着てきても良いよ、となったそうです。

西郷先生は著書の中でも「自分は理系」と書いてあるので、自分の心の葛藤をつぶさに書いておらず、さらさら~っと書いているので、その心中やどれだけのあれつきがあったかは実は伝わってきません。

だから、一見すると「すごいな~」と思って終わりになってしまいます。

おそらく自分の内面の苦労を感じるよりも目の前の生徒や学校という場所を合理的に冷静に観察できる目と頭脳と心をお持ちなのでしょう。

何年もこういったことをやってきて、「生徒総会で決定したことは、学校は全面的に受け入れる」というのもありました。

そういった学校は、始めて見学に来ると「1学年は荒れている」「3学年は落ち着いている」ように見えるそうです。

ただ、西郷先生によると「1年生は、ある意味、本当に授業中に寝てよいか?スマホをいじっていて良いか?そういったことを大人に試してきているんです。だから、1年の担任は叱ってはいけない、と注意しているんです」とのことでした。

そうすることで、外部の見学者からは、一見、1学年は学級崩壊のように見えることもあるそうです。

でも、西郷先生は「2年になれば、遅くとも2年の夏には先生に安心してぐっと落ち着きます」と言います。

これって、実はすごいことです。

さらりと書いているわけですが、教育の現場に立てば、学期ごとの評価を先生側自体が気にするのが普通ですし、1年生でやりきらないければいけない学習指導要領もあり、それを1年生のうちにきちんと計画通り進めなければいけない、という気持ちが焦るはずなのです。

塾や家庭教師だって、普通はそうです。

いわんや、学校の先生となれば、もう、絶対です。

それを「1年は生徒も手探り、こちらも我慢」といって、2年目以降まで待つ、というのは恐るべきことだと思うのです。

会社だって「新人は1年は自主性が生まれるまで就業時間もフリーで絶対叱らない」なんて出来ないですものね?

学校なんて、世間や親の目があるわけですから、まあ、絶対普通ならできませんよ、

結局、この本を読んでも、その裏側の本当のところは伝わってこないと思います。

ただ、数ある「伝説の教師」の本を読んで共通しているのが、その先生が「特別な情熱と思想とコミュニケーション力を持っている」という事です。

授業を教えることではなく、いわゆる「クラス運営力」が高い先生の学級は良くまとりますが、それ以上に、「子供とは本来もっている力を発揮させてあげる場を作ればいいのだ」という強い信念があり、そのためのおぜん立てをする情熱、計画力、そして突破力、行動力が揃わないと、こうはできません。

「みんなの学校」の木村先生や「給食で死ぬ」の大塚先生、尾木ママ、その他、いろいろな先生の本がありましたが、「決して生徒のせいにしない、問題があればそれは先生側、学校側、大人側の問題だ」という信念があります。

そして「待つこと」が出来ます。

「待つこと」ができるというのは、「生徒を、子供を信じることが出来る力」です。

親であれば、どんなことがあっても自分の子のことを信じ待つことが出来ると思いますが、それを生徒にもきちんとできる。

しかも「3年間」という中で、どのタイミングでどのぐらい心と人間力が育ってくるか、そして学力が上がってくるか、ということを、見極められる。だから待てる。信じられる。

これが、大体の「伝説の先生」の共通した能力です。

西郷先生は「愛情というのがわからない、という新任教師が結構増えてきている」とも書いていました。

その時には「1人の困っている子、そういった子を徹底的に助けてあげなさい。それは決してえこひいきではない。周りの子供たちもわかってくれる。そして、1人をきちんと見ることが生徒全員を見れることにつながるんだ、と教えています」と書いていました。

公教育でこれができるのだから、例えば、ベンチャー企業などでもこんなこと、本当は出来ますよね?

最後に、西郷先生が書いていた「自分の子」との話も「あ~、理系で合理的な先生だけど、やっぱり心はあるな~」としみじみしたエピソードが書いてありました。

それは「子供は15歳まで徹底的に愛し育てる。でも15歳になったもうお別れと思う。15歳になったら親離れ子離れをすると決めて育てる。そうすると、15歳までのすべてが愛おしい時間になる」といったニュアンスのことが書いてありました。

書き方がサラリとしている方なので、心熱くなるような文章が少ないですが、生徒にとても人気がある先生だったようで、大人視線ではなく子供たちのところと同じ視線で一緒に遊べる、そして先生という役割もきちんとできる、さらに学校経営というマネージメント力もあった、本当にすごい先生だと思います。

2019年度で定年退職されましたが、他の先生に「学校の先生も転職を考えなさい、あるいは、教育界で校長になりなさい。校長にならないと本当に自分のしたい教育が出来ないから」と、熱く語っていたという話もありましたので、おそらく、今頃は各地の研修などで引っ張りだこなのでしょうね。

10年後、日本の公教育がもしかすると少し変わって軍隊式から北欧式のように、自主性を発揮させる場になっているかも、とちょっと期待を持てた本でした

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ついに開催「田んぼと畑の耕育教室」

2020年06月07日 | 農的体験・生活

ついにやってきました、今年初の「田んぼと畑の耕育教室」を開催

いや~、ようやく開催、そして無事開催してホッとしております

通常、5月開催の田植えでしたが、1回目の緊急事態宣言を受け、1回目の延期。

続けて首都圏の緊急事態宣言の延期を受け2回目の開催延期で、9年目にして初の6月開催となりました。

延期継続ということもあり、また、コロナで外出を控える方もいて、お申込者数は例年の半分ぐらいでしたが、逆にお申込をお断りしてたりキャンセル待ちにすると言うことも無く、また密にならず適度な参加者で、逆に良かったな~という結果論でもありました

また、5年も6年も年間通して参加してくれた家族の中から「知り合いの看護師の話を聞いていて、やはり外出は。。。」という事で今年の不参加表明を頂いたり、「東京から行っても大丈夫ですか?」とおそるおそる尋ねて来られる方もいて、ご参加者それぞれ、いろいろな葛藤があったのがわかる5月でした。

こちらも毎回楽しみにして頂いているお食事提供をなしにし、各自持参にして、また、消毒液を用意して、といった、田んぼの教室としてどういった対応をすれば手探り状態でしたが、この(土)(日)やってみて、「やっぱり良かったな~」という感じでした

田んぼ自体は広々しているわけですが、集合場所や受付、お食事スペースは人が集まります。

なので、スタートの段階では、まだ笑顔が無かったのですが、田んぼにいったら、いや~、やっぱり田んぼはすごいですね、みんな一気に笑顔が弾けたのです

私も気をつかって、途中の道ばたに落ちていた蛇の干物をつまんで見せたり、裸足で田んぼに入ってみたり、根本さんも「あとで直しますから、思いっきり好きなように田植えして下さい」といって(笑)をとったり

巣ごもりしていた方々の中には「本当に巣ごもりしていて、久々の外出です」という方が居て、やっぱり東京の方にとっては外出自体が出来ないような状態だったので、本当に「この教室をやってくれて嬉しいです」と喜んでくれました

本当に田んぼの力は絶大だな~としみじみ思いました

広がる青空、ニュルっとした田んぼの泥の感触、ひたすら無心になって田植えをしたり、カエルよりも量が多いオタマジャクシをひたすら捕まえたり。

なれている子は、ワニとなったり「温泉が出来たよ」と言って泥につかってその感触を体いっぱいに楽しんでいました

お昼を挟んで午後は畑大豆を蒔きました。

その後は、耕して何も植わっていない畑を走り回ってもらったり、用水路でメダカをひたすら捕まえたりと自由に過ごしてもらい、中には倉庫下で奥様同士が久々にあってペチャクチャお茶会を楽しんでいました

とにかく、やっぱり自然の力はすごいですね~。

巣ごもりしていて、ズームやオンラインゲームやら色々あるわけですが、やっぱりリアルの体験が一番です

そして喜んでいる親御さんや子供達を見ると私にも力が沸いてきます

今週末も引き続き(土)(日)と開催しますが、体調を整えて、同じように参加されるみなさんに、思いっきり自然を満喫してもらいたいと思います

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学校再開!私も稼働!

2020年06月01日 | 自分の時間

ついに今日から学校再開です。

先週から分散登校が始まり、今日からほぼ通常日課で給食も出るということで、世の中のお母さんの多くがホッとしているようです。

昨日お米を配達したお友達のお母さんでもあるお客さんも「これでちょっと注文期間が空けられます」と言っていました

うちの子で言えば「あ~、やっと始まった超うれしい」と言って通っていきました。

それは本当に良かったと思います

「うれしい」と言っている子供は、つまり「学校が好きな居場所」という事ですからね。

学年が変わり、クラス替えをしても学校に行けなかったわけで、かつ、休みが長期にわたったため、5月病とか夏休み明けの登校拒否などが取りざたされていることを考えれば、このコロナ長期休み明けに対して「やっと行ける」と思える子供は、親としても安心なのです

まあ、世のお母さん方はそんなことを思う余裕もなく、まずは自分が「やっと学校が始まった、これで3度のご飯を作らなくて済む」と、まずは自分が安堵しているのでしょうけどね

ニュースを見ていると、コロナうつのようなお母さんが多かったり、子供たちの中にも宿題をやっておらず朝起きれないという流れから、「学校に行きたくない」という子も出ているようです。

コロナ期間は一般的には不規則で巣ごもりでストレスな期間だったことを考えれば、例年の5月GW明けや夏休み明けの問題を考えると、こういった問題が出るのは当然といえば当然なのでしょう。

ただ、そういったことまで気が回せる余裕はなかなか現場にはないですよね。

例えば、机の距離を空けるために体育館で授業を行ったり、給食の時間は前を向いて無言で過ごさないといけないそうです

本当は、食事の時ぐらい、みんなでワイワイしたいでしょうが、学校側からすればそうもいきませんものね。

インフルエンザを見れば、必ず学校からクラスターは出るはずですし、既に北九州市の学校から出ている事を考えると、そういった防止策に神経を使わなくてはいけない学校も本当に大変ですよね。

しかし、感染防止に集中する以外に、やはり命を守り、子供たちの教育の場としての学校という場所なのだから、今後は不登校、いじめといった、難しい問題のケアも考えなければいけないでしょうね。

 

一方で、すごい親子もいたもんです。

私の知り合いの子ですが、コロナ休み中、ずっと毎日ランニングをしている子がいて、「すごいな~」と思います。

また、別の知り合いの親子は、早朝、まだ人が動いていない5時台からお父さんが自転車でつきそってランニングをしていて、うちの子も5月半ばから混ぜてもらいました。

世の中には、このコロナ休みこそ、何かしら頑張った家族も少しはいると思いますし、そういった家族は強いのでしょうね~。

もちろん、そういった家族そろって努力ができるのは少ないのでしょうけど、「家族の時間が増えてよかった」と思えている親がいる家は、表面上はうざいと思っていても、子供にとってもストレスはそれほど無いコロナ休みだったのでしょうね

 

さて、6月に入り、学校が始まったわけですが、私も例年5月にやっていた「田んぼと畑の耕育教室」が今週末からいよいよ始まります

例年、5月が本番なわけですが、今年はその5月分を6月にやることになり、もともと予定している6月分と合わせると、なんと土日休みが1日しかありません

週末は1日を除いてすべて本業である「農業体験教室」で体力勝負です

参加人数は例年の半分以下なのですが、まあ、3密を避けるという意味では参加者も来やすいのかな、と思います。

私からすれば、のんびりした3か月でしたが、今思い返しても、元旦に「今年は何も考えずに生きてみよう」と思っていたので、ちょうど良い3か月だったかもしれません。

いつもなら「この休み期間をどう有意義に過ごすか?」と計画や妄想ばかりしていたでしょう

でも、そういった「生真面目さも自分の問題」ととらえるようになって、ある意味、ぼーっと過ごしてきましたが、仕事は自分を働かせてくれます。

子供は学校再開、私も今月からフル稼働です

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