半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

年末振り返り

2017年12月31日 | 自分の時間
大晦日の早朝、久々に子供たちが起きる前に朝マックに行き、1年の振り返りをしました。

パソコンの数字ばかり見ていると今までの積み上げや、細かいことしか目がいきません。

やはり大切なことはノートとペン。これは変わりませんね。

ということで振り返ると、やはり1番は、平成29年も大きな体調の崩れはなく、無事に過ごせたことが一番有難かったな~ということです

人は肉体が健康でないと精神も病んでいきます。

これは体験してみないとわかりません。

普通の生活をするだけで苦しく、明日の活動に自分の体がついていけるか、遠出が出来るか、飲み会に出れるか、ということにビクビクしている月日を過ごすと、人間はどうしても精神的に弱くなっていってしまうのですね。

こういったことを厄年の2年間で経験をしたわけですが、60代にぽっくり行く人が多い今の世の中で、40代で健康の有難さに目覚めることが出来て本当に良かったと思います


そして、振り返るとやはり高柳さんや「あな健」の東城先生に出会えたことも人生にとって大変大きいことだと改めて思います。


もともとは東京の企業戦士だった私が、農村を訪ね歩いたことで「生きることはは生活することなんだ」と気づき、今のような生活に入ったわけです。

それから少しずつ、生活を紡いできたわけですが、「成田に根付く」と決めたことで、高柳さんと出会い、高柳さんを師として仰ぎ、生き様から学ばせていただいてきました。

そして、高柳さんと「食と命の教室」を開催する中で、「あな健」の方々にお会いでき、なんとなく知っていた「自然療法」の東城先生のところの月刊誌「あなたと健康」と購読するようになり、毎月、大変深い勉強をさせていただいています。


この数年は儒教や安岡正篤さんの本、「古事記のこころ」の小野先生の神道の話、また、高柳さんの影響による仏教など、かつては全く関心がなかったことですが、「人はどう生きるべきか」「立派に生きる大人というのはどういった生き方をしている人間なのか」ということを少しずつ学んできました。

そうしますと、よく、教室などで話すのですが、辰巳良子さん、無着成恭さん、東城百合子さんなどの90代の方々の生き方、生き様というのは、我々昭和生まれの団塊ジュニア世代とは明らかに違うことがわかります。

ということで、私にとっては存命で師と仰げる存在として、いつもお会いしている高柳さん、そして毎月魂の記事を読ませていただいている東城先生が師になります。

そして振り返ってみてわかることは、例えば高柳さんも東城先生も、話している内容は大体がいつも同じなのです。
最初の1~2年ぐらいは「その話は聞いたな~」という思いもあったのですが、深くつきあっていくと「話している内容」が大事ではないのですね。
というか、「同じことを何度も何度も、繰り返し繰り返し伝えていただく」ことこそが、本当の学びなんだということがわかってきたんですね。

なので、毎回学ばせてもらっているのですが、その学びとは「何を教えられたか」ではないということに今回の振り返りで気づきました。

やはり、生き様、その生き方自体が私の鏡になっているのです。

高柳さん、東城先生などの「生き方」に自分を投影して、自分の不甲斐なさ、懐の浅さ、人間としての器の小ささを感じ、逆に大きな存在の師への感謝や尊敬の念が生まれるわけです。

師とは何かを学びとる存在であったり教えてもらう存在ではないんですね。

自分の姿を映す鏡として、その鏡を見ながら自分がいかにまだまだか、ということに気づき、精進しようと心を奮い立たせる、そんな存在なんだな、と。

そんなことを久々に時間を取って1年を振り返ったものとして出てきました。

来年も、というか私の関心は結局は「どう生きるか」という事になるわけですが、これからも魂を磨き、自分の生き様が後世にとって少しでも役に立つように、自分の人生を開拓していきたいと思います

写真は年末ぎりぎりに掃除にいった我が家の墓がある公園に咲く小さな花。
可憐で美しい花でした。
この時期はもう春の芽吹きの準備が始まっているんですよね。
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ハッピークリスマスイブ♪

2017年12月24日 | 素敵な空間・イベント
今年のクリスマスイブは、なかなか賑やかでした

今年はなぜか、子供たちが「ローストビーフを作りたい」となっていました。
というのも、NHKの番組で「ローストビーフの簡単な作り方」というのをやっていたみたいで、それを録画して「作る」となっていたのです

しかも、2つの番組で違う作り方が紹介され、両方とも録画されているほど

兄は「あさイチ」の方が良いと言い、弟は「今日の料理ビギーナズ」の方が良いと言い、結局、2つの肉を買ってきました

お兄ちゃんの「あさイチ」でやっていたローストビーフは、まずフォークでできるだけ刺して柔らかくし、塩を振る前に、たっぷりとコショウでコーティングをし、それから塩を振ってから焼き、最後に肉汁が出ないようキッチンペーパー&ラップ&アルミホイルでつつんで、冷凍庫で急速で1時間冷やす、というもの。

そうすると、肉汁が出てこず、かつキッチンペーパーで余分なコショウや焦げがとれるというものでした。

弟の「今日の料理ビギナーズ」はいたって簡単で、塩コショウを振ったら6面焼いて、そのあと、アルミで包んで冷蔵庫で冷やすというもの。

どちらも焼き方に大した違いはなく、結局は焼いた時間の問題で、お兄ちゃんの方がコショウが効いているだけでなく、ミディアムレアでとても食べやすかったんです。


一方で弟のはレアで、生肉感がたっぷり出ていて、柔らかいけど筋がある感じだったのですが、お兄ちゃんは勝手に弟のレアの方を「こっち作った方がレベルが上手負けた悔しい」と何故か勝手に敗北を認めていました


そして、子供たちでいつの間にか今日のパーティーの進行表を作ってくれていて、司会進行や、昨日の子供サークルのにじもりさんでおもちゃショーのおじさんがやった割りばしマジックをも出し物として見せてくれたり、まあ楽しい時を過ごせました


世の中には子供がいない家庭もあり、また子供がいてもこういったことが出来ない家庭も多いはず。
我が家も波はありますが、今年はおばあちゃんも含めて、3世代、一緒にこんな時間を過ごせることは本当に有難いな~と

ほんと、我が家を選んで生まれてきてくれた子供たちに、そしてここまですくすく育ってくれていることに感謝感謝です
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さよなら、我が愛車

2017年12月22日 | 自分の時間
私が乗っている愛車は、東京からこっちに引っ越してくるときに買って以来、もう8年以上乗っています。

下の子が生まれてから買ったので、いわば末っ子。

子供も愛称で呼んでくれています。

しかし、買ったときが走行距離6,9万㎞の11年落ちで、それから5~6年ぐらい乗った時でしょうか、12万キロちょっとを過ぎたあたりでオーバーヒートを起こしてしまいました

ウォーターポンプが壊れたようで、そのため、サーモスタットという温度調整機械も壊れ、エンジンを重ね合わせているところも焼け、エンジンオイルがガソリンの方に漏れるようになってしまったんですね。

しかし、突然動かなくなった場所が自動車工場の真横

「壊れるところがこんなばしょなんてなんて、親思いの子だろう」と思い、またお友達パパさんが部品代だけでオーバーホールして直してくれたので、さらに乗り続けてきました。

愛車ですから、かわいいわけで、家族の一員のような状態がずっと続いてきたんです。
できれば直し直し、一生乗り続けたいな~という思いを持っていました。


ただ、ここ2年ぐらいは1カ月で1000㎞平均乗るようになり、昨年末のタイヤ交換の際に車軸が多少ずれたのか、ちょっとウィンウィン言うようになってしまいました。

さらにアイドリングの時も揺れることがたまにあり、電装系もそろそろ、という感じで、極めつけが寒さの冬にヒーターが効かないのも体にはダメージが大きく、ついに17万㎞を超えるに至り、車検を6月に通したばかりですが、買い替えをしようと考えていました


そんなことを思ったら、なんと、駐車場でぶつけられてしまったのです


駐車場に立っている人がいて、「ぶつけてしまったんです」と正直に伝えるために、その方は持ち主=私が来るのを待っていたようです。

さすが、日本人だな~、まじめだな、と思っただけでなく、同時に、「あぁ、このタイミングでか。これも運命だな」と思ったわけです。

取り急ぎ、ぶつけられたところを直すとすると、20万以上かかるそう。
しかし、時価はなんと10万ぐらい。。。

ということで、直してもしょうがないということもあり、次の車が来たらさようなら、となる予定です


今年はヒヨコちゃんとのさよならがありましたが、わが家族のように8年以上も一緒に我が家を守って、そして仕事のパートナーとして頑張ってきてくれた愛車には感謝しかありません。


日本人はものに命を見るといいますが、まさに、わが愛車は単なる車ではなく、家族そのものでした。

もう、ほんと、野菜の配達中や畑の帰りなど、運転している時は、よく「うちで一番の働き者だね」と、よしよしをして、感謝の言葉をかけてきました。

本当に心からそう思うのです。

我が家において、一番無くなっては困るもので、一番活躍して、頑張ってくれていたのは我が愛車なのです。(次はパソコンですね)

そんな愛車とお別れとなると、寂しい限りですが、もともと、子供たちと「サヨナラの時はピカピカにしてあげようね」と話しあっていました。

もう買取はできない状態なので、廃車処分となります。
しかし、年末、寒いですが、最後にきれいにしてから手放したいと思います。
それが供養でもあり、今まで頑張ってきた我が愛車への最後の恩返しというか、気持ちです

子供も愛車に「今までありがとう」という絵手紙を書いてくれました

最後にみんなで見送ってあげたいと思います
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お坊さんの説法:人間の生きる意味、子どもの名前

2017年12月15日 | 素敵な空間・イベント
おかげさま農場の忘年会だったのですが、成田の旧下総町の方面にある「長寿院の住職(自殺防止ネットワーク風という所の理事長として有名らしい)の篠原さん」が来て、最初に説法を少しされました。

もともと、おかげさま農場は、昔「山びこ学校」や「子ども電話相談室」などで有名だった、お坊さんの無着成恭さんとの縁が深いところです。

おかげさまのメンバーの多くが、無着成恭さんの説法を聞いて農業をしてきた、というのがあるんですね。

また、農村ですからお寺との関係もまだまだ残っていて、檀家もあるし、何かあったらお寺に奉仕するという伝統文化、習わしが残っています。

そんな中で、代表の高柳さんと長寿院さんとのご縁が出来ていたそうです。

そして、先週、劇団「希望舞台」というところが「焼け跡から」という題名の、戦後間もない戦争孤児やお坊さんが出演してくる演劇を成田に誘致したのが、その長寿院の篠原さん。

おかげさまでも「これも義理だから」ということで、多くのメンバー、そして私も観に行きました。

そんな流れなんでしょう、今年の忘年会で長寿院さんのお話があったのです。

高柳さんも「坊さんは生きている人に説法をするのが本来の仕事」という考えをお持ちですから、長寿院さんと気が合うのでしょう、最初に説法をしてもらいました。

「私のところは長寿院という寺で、私の話を聞くと寿命が10年延びると言われているんです」といった話から入り、さすが話慣れている感じで、全国津々浦々、説法で歩いているようです。

そんな中で、「近頃の子ども達は、命、というものがわからなくなってきているんです」というお話がありました。

というのが、中高生にも説法をするそうなんですが、中高生に「人間は死んでも生き返ると思う人?」と聞くと、2~3割が手が上がるらしいのです。

「ゲームやテレビや今の大人の影響など、何が本当の原因か特定はできないにしろ、これは大変な問題です」と言っていました。

そして、そこから「私達は人ですか?人間ですか?」と問い、「人間というのは人と人の間がある。その間に色々な感情や相手に対する希望、幸せを感じる心などが生まれてくる」というお話が続きました。

「だから、生きている意味というのは、人と人がいれば必ず間が出来て、そこのやりとりの中でご縁が出来て、あ~、良かったな~といった幸せや希望が生まれる、それを見出すためなんです。そう子ども達に答えてあげて下さい」

と話していました。

そんな話を聞いて、私には「中高生にはちょっと難しいんじゃないかな~」と思いました。

この話を聞いて、ふと思ったのは、先日読んだ「いんやくりお君」の本に書いてあった、「人は誰かの役に立つために生まれて来たんだよ」という言葉です。

先日、40~41歳の女子が「まあ、そんな長生きしてもしょうがないし」と言っていたので、「そんなことないよ。いんやくりお君が言っていた言葉だけど、人は誰かの役に立つために生まれてきたんだよ。少なくとも、生まれきたことでお父さんとお母さんは代えがたいとっても幸せな気持ちになったでしょ?親は子供が元気でいてくれるだけで幸せなんだよ。だから、少なくとも生まれて生きているだけで、お父さん、お母さんの役に立っているんだよ。そして大人になっていく過程で、まだ出会えていない誰かの役に立てるようになっていくんだと思うよ」と話しました。

私も勢いでそんなことをしゃべったのですが、その女子は「そうか。最低でも親よりは長生きしなくちゃね」という反応でした。

生きている意味、まあ、難しい言葉ではなく「誰かの役に立つために生まれてきた」、というストレートな言葉、シンプルな言葉の方が、真理じゃないかな~、と思ったんですね。


そんなことを思い浮かべていたら、今度は、長寿院さんが「時間が無いので、最後に最近の子ども達がどうなっているか、それをちょっと知ってもらおうと思って」といって、画用紙に大きく漢字で書かれた名前を見せ始めました。

「強運」と書いてある画用紙を見せながら「これ、子どもの名前なんです。何と読むかわかりますか?」と。

みんな「きょううんだよね」と言うわけですが、長寿院さんが「ラッキーと読むんです。子供の名前ですよ。鈴木らっきーとか、田中らっきー、なんです」と言うと、一同どよめきました。

また「黄熊」と書いて「これはわかりますか?」と問いました。

女子が「ぷーさん」と答えたら「正解」とのこと。

「ぷーさん」という名前って、いったい。。。

そしたら長寿院さんが「その親はぷーさんが大好きだからつけたそうなんですね。ちなみにその子は「お前は人間じゃないんだぞ」といじめられているそうです。今の子どもの名前はここまでになってしまっているんです」と。

そして、最後のとどめが「輝宙」と書いてなんと読むか?

「てるよし?」「きちゅう?」・・・正解は、ポケモンの主役級の黄色い電気ねずみの名前です。

仰天しましたね、ほんと。

幼稚園ぐらいならまだなんとか通るのかもしれませんが、小学校に入った後、高学年になってきたらどうするんでしょう?

まあ、法律的にも正当な理由があれば名前は変えられるそうですから、親が「馬鹿な名前をつけてしまった」と反省して、変えてあげればと思いますが、それはそれで、子どもの心に傷は残るでしょうね。。。

そういえば悪魔くんという名前をつけた人のニュースが昔、大々的に取り上げられて議論を呼んだことがありましたが、何が良い、何が普通じゃない、という常識がもう変わってきてしまっているんですね。

こういったことが「おかしい」と思わない大人はまだ少数でしょうが、多分、そういった事を戒めることの出来るおじいちゃん、おばあちゃん、あるいは親戚などの関係が無かったり、薄れてきてしまっているのでしょうね。。。
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今年最後の「田んぼと畑の耕育教室」

2017年12月10日 | 農的体験・生活
この(土)(日)は今年最後の「田んぼと畑の耕育教室」でした

10月は雨、11月は寒さと風が強かったのですが、今月はとっても良い天気

半袖短パンの子もいるぐらいで、ポカポカ陽気の中、のんびり楽しく今年最後の教室を運営出来ました


9月の稲刈りが終わると、田んぼ地帯は冬の支度に入ります。

農家の根本さんは10月はそばの収獲、12月は大豆の収獲がありますが、それでも稲の栽培中に比べれば、まだ落ち着いている方です。


先月は、挽き立て、打ち立てのそばをみんなで作り、「むちゃくちゃ美味しかったです」とみんな大喜び
そば粉も沢山ご注文頂きました。

そして今月は、丹波黒大豆の収獲と餅つきです

6月にみんなで蒔いた丹波黒大豆は、水不足の影響か、3度蒔き、4度蒔きをして何とか発芽させました

そして10月にはめったにお目にかかることが出来ない、丹波黒大豆の枝豆、を収穫

そして今月はついに、カラカラになった丹波黒大豆の収獲です

大豆が種であること、それを蒔いて枝豆になること、そしてそれがまた大豆になること、、、といった一連の流れを知らない方も多く、「そうなんですか」と驚くお父さん、お母さんもチラホラ。

私も農に初めて触れて、そのことを初めて知った時は驚いたものです
カラカラになった大豆をみんなで1粒1粒丁寧に収穫しましたよ


そして、その後は、みんなで餅つき大会です

今では本格的な杵と臼で餅つきをするのは、幼稚園などの行事ぐらいになってしまったとのこと。
なので、子どもも大人も、杵と臼に大興奮です


つきたての餅は、やっぱりその辺で売っている袋詰めの餅とは違いますよね~


土曜日は人数が少なく、3升×2回だったのですが、日曜日は70人ぐらいだったので、3升×4回、つまり12升ほどの餅をつきました

それでもほとんどペロリで、美味しい餅で「こんなにうちの子、餅を食べたの初めてです」とびっくりしているお母さんもいました

そんなこんなで5月から毎月開催してきた「田んぼと畑の耕育教室」、今年もこれで終了です。

そして年明けの味噌作りで今年度も終了。

今年も無事に開催出来て良かったです

来年も、小さなお子様連れの家族みんなが楽しめるよう、心を配りながら運営していきたいと思います
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本:自分をえらんで生まれてきたよ

2017年12月07日 | 素敵な本
お友達のフェースブックに載っていて、そのコメントを見ただけで「あぁ、これは読ま前からわかる。泣ける本やん」と思って注文した本です。

中古で1円で発送料の方が高かった

いんやくりお君、という生まれながらに心臓に障害があって、小さい内に、入退院を繰り返し、最後はペースメーカーを埋める手術もしている、聞くだけでこちらの心が痛むような子がいます。

その子が、小さい時から「不思議なことば」を沢山話すので、お母さんが書き留めていたのですが、たまたま出会った小児科医で「赤ちゃんの体内記憶、あるいは生まれる前の記憶」を調査した方と出会い、「出版してみましょうよ」という事で、世に出た本だそうです。

で、このりおくんがしゃべった「不思議なことば」というのは、例えばこんなことです。

「僕はこの病気を望んでもって生れて来たんだ、だからお母さん、心配しないで」

とか

「僕はお母さんを幸せにするために生まれてきたんだよ」

とか

「人は誰かの役に立つために生まれてきたんだ」

とか。

実際のエピソードでも、手術で痛いとしても、「先生、僕を助けてくれるんだね、ありがとう」とペコリとお礼をしたそうです。

そして「大丈夫、お母さん。僕は長生きするから。お母さんを幸せにするために生まれて来たんだから心配しないで」という言葉を発するのです。

その他、「お母さんのところに来る前は、かみさまのところにいたんだ。みんなかみさまと話し合って、あそこのお父さん、お母さんがいい、といって選んで生まれてくるんだ。来るときは羽が生えていて、天使みたいなのに連れてこられるんだけど、お腹に入るともう羽は無くなっちゃうんだ」と言ったようなことも。

思い出すのは、昔働いていた会社で読んだ「生きがいの創造」という本です。

これは、子どもがお母さんのお腹の中のいた頃の記憶、自分で今の親を選んできたというお話し、あるいは前世の記憶を話す子が一定確率でいるという事実を元に、それを認めるのであれば、生き方、生きがい、あるいは今の人生における目的を再設定できるであろう、という本です。

表し方は違いますが、内容は同様なんですね。


ちょっと話がずれましたが、一番心に残った言葉は「人は誰かの役に立つために生まれて来たんだ」と、重病を持つ小さなりお君がお母さんに語った言葉。

そうなんだよな、と思います。

自分を見失っている人、子どもと何か問題がある人、などなど、ササっと読めで、特にお母さんは心を揺さぶられる本ですよ
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畑さん、ありがとう

2017年12月04日 | 農的体験・生活
スナップエンドウ、出てきました
ちょっと芽が出てくるのが遅い気もしていたのですが、ようやく出てきてホッとしています。

ソラマメがほぼ鳥にやられて壊滅したので、ある程度、隠していたので、こちらは鳥にほとんどやられませんでした。
来年、美味しい実りにつながりますように


こちらはスティックブロッコリー。
写真の色がちょっと変ですが、本当なもっと良い色です
「あれ、普通のブロッコリーだったけな?」と思うような形ですが、スティック、つまり小さなブロッコリーが固まっているものです。
きちんと肥料が効いていれば、次から次に出てくるはず。
ただ、ちょっと育ちが遅かったので、寒さであんまり増えないかな~。


そして、こちらは復活した「日本ホウレン草 やまと」です
世の中に流通しているホウレン草は、ほぼ「西洋ホウレン草」です。
収量も多く、病気にも強い、ということでそうなっていますが、日本ホウレン草は葉っぱがギザギザしています。
品種のせいか、はたまた私の畑のせいかわかりませんが、劇的に甘くて美味しいんです

ただ、10月下旬の台風被害で露地で作っているホウレン草は葉っぱがやられてしまいました
知り合いの農家さんもホウレン草が壊滅してしまっていますが、私のホウレン草も葉っぱがやられ、しばらく生育がストップしていました。
しかし、新しい葉が出てきてようやくここまで復活しました
最高に美味しいんですよ~


こちらは白菜。4玉育てています。
わが子が「豚バラ白菜ミルフィーユ鍋」が大好きなので、育てています。収獲時です


ソラマメ、スナップエンドウを蒔き、サツマイモを収穫し終えた畑は、あとは冬草退治ぐらいしか仕事がありません。

農家ではありませんが、畑をやっていると季節に沿って、自然に沿って生きることが出来ます。

草が出てくる時期には草の処理をし、暑い時は暑さに無理しないように働き、秋になれば秋の作業をし、草が動かない時期には収穫が中心で人間もあんまり動かない。

そして、季節季節の野菜を食べさせてもらえる。

ほんと、畑さん、おてんとさん、ありがとう、ですね
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今年度最後の「食と命の教室」 稲ワラ納豆作りなど

2017年12月02日 | 農的体験・生活
今年もあっという間に12月。

そして、今日は今年度最後の「食と命の教室」でした。

来年で68歳になる高柳さん。おかげさま農場の代表でもあり、私の師でもある高柳さんと開催しているこの教室も今年で5年目。

今年はスタート時にお申込みが多数入り満員御礼でスタートしました。

時代が求めているのですかね~。

そして、今回は一番人気の「稲ワラ納豆作り」であるため、新しい方も単発でご参加し、大人数で始まりました。

まずは、高柳さんから初めての方も含めて、なんでこの教室をやっているか説明。

いつもの「食と命」のこと、「なかまの有機農業農家も含め、安心・安全なんてことは考えて始めた人は、1人もいない」ということや「無農薬だとか有機とかは目的では無い」ということをお話ししました。

そして「農場見学なども受け入れて年間200人ぐらいが見学に来た時期もあったけど、単発だとその場限りなんだよ。1年を通して春夏秋冬の自然の流れに沿って、畑や作物がどうなっているか、体験しながら一順繰り経験しないと、なかなかわからないんだ。という、わからないということがわからないんだよ」ということも。


そんなお話をした後に、母屋の方に移動して稲ワラ納豆作りの開始です
途中の道で、ちょうど「小糸在来」の大豆が収獲し、天日干されていたので、説明をすると、在来種のことや大豆そのものがどうなるか知らない方も多く、「あぁ、私も昔はこうだったな~」とこの教室の開催することで、少しでも食べ物の事や種が命であることが伝えられるこういう場は貴重だな~と思いました

さてさて、稲ワラ納豆作りです。
まずは、ワラすぐりをします。
ワラは枯れた葉っぱがついているので、そういったのをなるべくとって、茎を中心としたきれいな状態にします。


そうすると出来上がるのがこんなもの。きれいでしょ?
こんな感じできれいな茎を中心にした状態にすると、カビにくく、編む時もやりやすいのです。


濡らして編みやすくした稲ワラを折りたたみ、その間にワラを2本ずつ差し込む形で編んでいきます。


みんなで、編み編み
大人が集ってひたすら集中して手仕事をやる時間も貴重ですよね~


「昔の人って、ワラを最後まで使い切って捨てなかったんですね~」と、ワラの凄さを実感していました
そして、すぐったワラのカスは、昔はワラ布団などにしていたそうですよ、という話をすると、「猫ちゃんのベッドに使いたいんですけど?」とお持ち帰りした方もいました。

そして出来上がったのがこんなもの。
「つと」という容器で、ここに煮豆を入れていきます。
みんな、3~5本ぐらい作ってもらったので、1本目は不細工でも、だんだん「美しい」つとが出来ていきましたよ


さて、時間も時間なので待望のお昼ご飯です
今回も色々揃って超美味しかったですよ
特に、いつもは動物性たんぱく質は出てこないのですが、今回は高柳さんの北海道の知り合いから届いた鹿肉の料理が出ました
また、サンマのに漬け、コロッケ、三浦大根に煮つけ、大根葉と桜エビの炒め物、里芋の煮っ転がし、コンニャクの煮つけ、そして私が大好きな三浦大根のハリハリ漬けと、盛りだくさんで美味しかった~


お昼を食べ、お昼休みにまだ「つと」を編み終わっていない方は残りの作業を実施し、出来上がった後、高柳さんが前日から仕込んでくれた温かい煮豆を「つと」に入れます。


こんな感じですね。あとはこれを縛って上手に2~3日保温すれば、稲ワラ納豆の出来上がりです


今の時期は3時ぐらいになると肌寒くなり始め、5時前には日が暮れるので、稲ワラ納豆が出来上がったら、「さあ、畑に行こう」と車に乗り込んで三浦大根の収獲。

日も暮れはじめたので時間が無く、また出荷が始まったばかりでまだ生育途中という事もあり、「1本良いのを狙って」ということで、みんな、大物を探して引っこ抜きました。

初めて大根を抜いた、という人は、「これ、ぬけないですね」と悪戦苦闘
そうなんです、青首大根はスッとした姿なので、簡単に抜けるですが、三浦は青首と違って魚雷のような形をしているので、普通に抜こうとしても抜けないんです。
なので、きちんと真上に立って、腰を入れないとなかなか抜けないんですよね~。


とったどー


そしてまた教室に戻って、最後のお話です。

改めて有機農業とか、本物を作ろうとしてきた経緯、あるいは今の食べ物や環境の問題など色々なお話を語り合いました。
今日はお通夜があるということで、17時過ぎでおしまいとなり、初めての方も含め、みんな感慨に浸っていました。

今年は都合が合わない月があった方も結構いて、年間会員特典の「振替受講」が使えるので、「また来年も会いましょうね」といった別れ方で、寂しい感じはいつもの年よりは少なかったので、ある意味良かったかも、という感じです。

そして来年で6年目の「食と命の教室」が第1回は2月17日(土)開催予定です。

「食と命」について何十年も考え、大地や歴史に根差して生きて来た昔ながらの自給生活を行っている高柳さんと一緒に学びます。
今年は人気で2月で満員御礼になりましたので、興味がある方はお早めにお申し込くださいね
https://www.minson.jp/shyokutoinochi/
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