駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

出版社の香り

2012年03月21日 | 

      

 活字中毒(軽症)を自任し、月に二、三十冊ほどの本を購入し積読をしている。その割に出版社に興味がないというか知識がなく、時々懐かしい晶文社何処へ行ったと思う程度であった。

 しかし最近、どうも自分は本屋に行くと、ちくま文庫の前に立っていることが多いのに気付いた。昨日も映画の帰りに寄って、料理の種本とちくま文庫を二冊購入してきた。

 出版社の個性はあると思う。その道の人が話し出せばきっと際限もなく、ああでもないこうでもないと語りつくせぬ味があるはずだ。そしてその後ろには、自分が良いと思うものを、片目で採算も視野に入れながら静かにコツコツと、編み出す編集者と出版人が居るに違いない。

 なぜ自分がちくま文庫の前に立つことが多くなったかよくわからないが、やはり何か惹かれるものを感じるからだとしか言いようがない。そして、それが本屋の良さなのだ。ネット書店ではこうは行かない。まあ、結局見開き二ページしか読まない本でも、手を伸ばし買ったからにはなにがしかの縁を感じ、ちょいと撫ぜてやりたい気分がするものだ。

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保守収縮

2012年03月20日 | 世の中

      

 医師会の若い理事の先生方と飲み食いする機会があった。アルコールが入っているせいか本音が出た話になったが、私より二十才も若い人が非常に保守的なのに驚いた。まあ、私が年甲斐もなく革新的?なのかもしれないが。

 同業者の組織は、仲間の利益を守る為に存在する色彩が強いので、類は友を呼ぶ流れで、似た考えの人が集まりやすいようだ。

 4月に医療保険の改定がある。勤務医と在宅医療へ手厚い傾向が見られる。その思想や方法がどうこうというよりも、改定の中でどう動くと利益が確保されるかと言う話がほとんどだった。確かに厚生省の方針を変えて欲しいと食事会で言ったところで何の効果もないのだが、賢い官僚としわい支払い側の間隙を縫って、この点数をこう取らなくてはという技術対策談義ばかりでは世の中は変わらないのにと、老年青年の私は苛立った。私が利益誘導ではなくてと言っても「先生、それは理想論ですよ」。と一蹴されてしまう。

 官僚が医師を動かそうとする時、否他の業界もきっとそうだろう、利益誘導法を使う。利益優先といって、今の世の中収益が増えるわけはなく、収益が一番減らない対策を探るというのが現実なのだが。どうもこのままでは収益がじり貧だ。往診料が上がったので往診を始めるかと重い医者の腰を上げさせて、適当な時期を見計らって往診料をがくっと減らすのが、厚労省の常套手段なのだ。こうした言い方は厚労省に失礼かも知れない。「人間て、そういうものでしょ」。「すかしたことを言うな」。というくぐもった声が聞こえる。

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ブログの福作用

2012年03月19日 | ご挨拶

     

 副作用は本作用以外の悪しき作用という意味に使われるのだが、福作用は思わぬ楽しい余録のことだ。

 ブログを始めたきっかけはなんだか面白そう、ワシも発信してみようというミーハーなのものであったが、継続は力なりと続けてきたら福作用がたくさんあった。

 物言わぬは腹ふくるる業なので、誰かに読んでいただけるだろうと例えば「何が主権侵害だ、他権を侵害して衛星ごかしのミサイル発射は許せん」。と書くことができる。

 魚釣りに似てどなたに読んでいただけるかという期待の楽しみもある。釣れなくても楽しい、外道でも釣れれば嬉しい。

 地図中毒で、暇な時に日本地図や世界地図を広げ、ふむふむと眺めているのだが、ブログ友がお住まいのところとなれば一層興味も湧き夢も広がる。未見の方でもいつかはお会いしてみたいと老後の楽しみも増えた。

 文章を書くことは認知進行をある程度食い止められると実感している。たとえキーボードでも文を書くことは脳細胞の刺激になっているだろう。

 思わぬ本を読むようになった。例えば広井良典さんの「コミュニティを問いなおす」など以前なら手にしなかったと思われる本を読むことができた。調査統計から心の問題に踏み込んだコミュニティ論(何処まで理解できたかは怪しい)に目を開かれる思いがした。

 私には多少の副作用はあっても思わぬ福作用が溢れるブログ連録だ。

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町医者の神様

2012年03月18日 | 小考

        

 世の中に絶対というものは殆どないと思う。絶対など絶対ないと言う人もいるかもしれない。しかしまあ、個にとっては死が、万物にとっては流転が絶対というのはかなりの人が首肯する感覚ではないかと思う。

 神とは何かというのは難しすぎる問題だが、居るか居ないかあるかないかは、それとなく分かる。神は居ないという人は大勢居るようだが、神はないという人は殆ど居ないように思う。GODはともかく、何かしらの絶対あるいは超越、それを神、あるいは神の如きものと感じ、あるいは認めて居る人は多いような気がする。

 その神の如き絶対である流転や死を脳に伝え教えるのが美感覚なのではないか、快や不快でなく美感覚こそが禁断のリンゴを食らった人間に植え込まれた意識の源のように町医者には思える。

 Photo. R.Ogawa

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記憶に残った言葉と写真

2012年03月17日 | 人生

 「最高のお父さんでした。父はいつでもひとりではなかったし、家族に愛されていました」。吉本隆明の娘で作家のよしもとばななさんの言葉である。

 吉本隆明は娘にそう言われる思想家だったのだ。

 

   笑顔で取材に応じるシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん=16日午後、岐阜県庁 共同通信ネットより拝借

  嬉しそうで美しい笑顔だ。熱愛告白、ゴール間近と報告する高橋尚子さん。やっぱり・・・はと思っている旧式のおじさんは心から祝福したい。

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