政治家や評論家の肖像権はどうなっているのだろうか。写真を掲載されるのは覚悟していると思うが、実は写真は真を写してはいないので大切な問題が見落とされている気がする。
誰がどのような基準で何十枚何百枚のうちの一枚を選んでいるのか斟酌する必要がある。一瞬の表情は多様で、プロの手にかかれば美女だって見苦しく、醜女だって可愛く撮れてしまう。
例えば小沢一郎、鈴木宗男、佐藤優、宮崎学、鳩山邦夫・・諸兄は写真の撮り方によっては失礼ながら指名手配の雰囲気が出てくる。そして山本一太、立花隆、みのもんた・・諸氏は失礼千万ながら痴漢のようにも撮れるだろう。
鬼も十八、番茶も出花。誰しも輝く瞬間があり、良い表情の一枚が撮れるはずだ。まあ、ニュースとなれば古いベストショットばかりでは問題もあろうが、記者会見や登院の写真が一枚しかないということはないはずで、中には必ず感じの良いものがあるはずだ。そこでどれを選ぶかにマスコミの意図を感じる。意図などないと反論されれば意識下の選択がるのだろう。
今は動画肉声著書によって、かなり復権したが、私も鈴木宗男と佐藤優がマスコミに現れた当初は写真と見出しを見て、とんでもなく悪い奴等だと判断していた。インターネットを活用しない本を読まない人達は今もそうした眼で二人を見ているかもしれない。
見出しと顔写真ほど大衆の心象形成に与る報道形態はないと思う。殊に写真は無言で百聞に優るインパクトを与える。文章と違い名誉毀損は成立しにくく、ボディブローのように有効なマスコミの武器だろう。
政治家の記者会見などは編集せずに全てを放送して、識見だけでなく人となりも遍く報道すべきだ。そうすれば失地回復あるいは減点底割れして、より公正な評価が行き渡ると思う。
余計なことを言えば、凄んでも善人に見えてしまう谷垣さんにはご同情申し上げる。