駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

大山鳴動鼠一匹で絵に描いた餅

2010年03月27日 | 医療
 平成22年度診療報酬改定が出た。何百ページもの難解な説明書を読むことはできないので主な改定点を閲覧した。医療改革が叫ばれたが、現実は大山鳴動鼠一匹で、絵に描いた餅を出された民の心境になる。
 鳩に大言壮語の形容は似つかわしくないが、ひょっとして弟ほどではないが兄にも虚言癖があるのではないかと、まだタオル否匙を投げていない鳩山シンパを任ずる私ですら危ぶんでいる。
 確かに開業医から勤務医への軸足移行と医療崩壊を防ごうとする努力が垣間見えるが、内容は相変わらずの小手先の変容に留まっている。医療報酬をほんの少し上げたとは言うが、それはメニューの単価が0.数%上がったというだけで、売り上げ収益増には繋がらない。
 喩えれば、天丼の「松」「竹」の値段が少し上がっても「梅」の値段が据え置きでは、「梅」を注文する人が増えて、返って売り上げが下がってしまうのに似ている。否そんなことはない、患者には選ぶ権利はなく医師が「松」「竹」「梅」を決めて患者に供与するシステムになっているから、「松」や「竹」を提供すればよい、それが高度医療とそれに見合う診療報酬の増加に繋がると厚生労働省は主張するだろう。確かにもっともらしく聞こえるが、医療(診察内容)の「松」「竹」は海老が大きくなったり、穴子が余分に付いたりするわけではなく、丁寧な指導をする(紙面での説明指導)と「松」「竹」の追加料金が取れるシステムなので、患者にも医師にもその差が判然としない。患者の生活習慣を変えるには文面の指導よりも、長い付き合いと信頼が一番で、文面指導はそうすると証拠に残るという官僚的な発想から生まれた虚構と思う。この患者さんは「梅」だから手を抜くということは絶対にないので、「松」料金を請求された患者からは「梅」と変わんないじゃないかと不満が出るだろう。実際には患者側には直接「松」と「梅」を比較する機会は少ないのだが、医師側(私を含め半数くらい?)は「松」も「梅」の大して変わりない指導をしているのに五割増しの料金を頂いてよいものだろうかと不安になるのだ。
 そうすると勢い私のような低所得者の方が多い地域と山の手の医師では、同じことをしていても「松」「竹」料金の取りやすさに差が出ると言う奇妙なことが起こる。
 こういう玉虫色の難しい判断を現場の医師に丸投げするやり方は止めて、医師の持っている資格や患者の重症度で診療料金を変えるシステムにして欲しい。
 ちょっと頭に血が上り、一般の人に診察料金のからくりを暴露して不備への不満をぶちまけてしまった。

 ほとんどの政治家は口先病で、羊頭狗肉の傾向があるが、それは政治家だけの責任ではないので、有権者の私は、次は大山鳴動鼠一匹でなく猪や虎が出てくるように監視しなければと、たとえ蟷螂の斧でも振るう覚悟でいる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朗読の魅力

2010年03月25日 | 人物、女
 俳優になりたいなどと毛頭も思ったことはなく、否思うまでもなく面接で落とされることは日の目にも明らかなのだが、朗読はやってみたいと思う。 魅力的な声をしているわけではないが、特徴のある声だと言われる。かと言って耳障りとか聞き苦しいわけではないようなので、朗読には使えるだろう。
 現在油の乗った正統の第一人者は渡辺あゆみと伊川東吾あたりだろう。他にもNHKのアナウンサー元アナウンサーにはきちんと朗読のできる人が多い。
 なぜ朗読に魅力を感ずるかと言えば、いろいろな制約の中で、一歩身を引きながら物事をうまく伝える役割と技術に惹かれるからだ。自分が理解していないことは上手く伝えられない。理解した上で人にわかりやすく、心地よく聞かせるには確かな技術が要求される。どうもその辺りにやってみたい魅力を感ずるようだ。
 朗読する人の声だけしか知らないことも多いのだが、渡辺あゆみさんは黒田あゆみの頃から司会聞き手で拝見して、姿かたちも存じ上げている。まあ、彼女の場合は朗読の方が何倍も宜しい。なんというか、映像はこの頃ちょっとならよいのだが、かなり色っぽい。どこか、自分には女性の魅力が・・と微かな自意識が透いて見えてしまう。過ぎたるは及ばざるが如し、余計な感想を彼女に伝えた男がいるらしい。彼女の場合は声だけが宜しい。朗読はあっさりしていないと駄目なのだが、あゆみさんはその点、まさにギリギリのところを上手く踏破してゆく。朗読のプロフェッショナル、今や朗読の女王の雰囲気が漂う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開花始まる

2010年03月24日 | 自然
 これはご近所の桜を昨朝撮影したものだ。この枝は下の方にあるせいか、開花が進んでいる。何分咲きかの定義を知らないが、おそらく一部咲きというくらいのものであろう。 桜の開花は眼に見えて進む。今朝は冷たい雨が降っていたのだが、明らかに昨日よりも淡いピンクの花びらが増えて、咲き始めたという風情が出ていた。寒くて一分暖かければ二分も三分も日毎に開花が進むだろう。毎年桜を見ると時の移ろいを心深く感ずる。光や風も季節を告げるけれども、桜ほど日本の春を象徴するものはないだろう。奈良京の都から江戸東京、否全国津々浦々と日本の歴史を貫いて咲いてきた花だ。
 私自身もああ、あの時桜が咲いていたなあと思い出すともなく、過ぎし日を思い出す。懐かしさのどこかに胸騒ぎを感じさせる、危うく艶めかしい花でもある。
 あと一週間もすれば満開だと思う。またその写真をお目にかけよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児童合唱団

2010年03月23日 | 贔屓
 一昨日、昭和の歌人で中村八大特集を見た。途中からで残念なことをしたが、こんにちわ赤ちゃん本人、中村力丸さんが出て来たのには驚いた。当然実在するはずなのだが、そうしたことに思いも及ばなかったので、えっこの人がと思ったのだが、何というか歌を裏切らない人物とお見受けし本物を見てがっかりではなく、ははあそうかと嬉しかった。
 「夢で会いましょう」は本当に懐かしい番組で、何時再放送されても一瞬にして十代の頃が蘇ってくる。懐かしいからというだけでなく、実際に機知に富んだ滋味溢れる楽しい番組だった。今の地上波にこれだけの優れ物を作る力はない。誠に遺憾だ。
 えっこれも八大さんの曲だったのかと、素晴らしい作品を堪能した。今も古びない力というか生命力を持っている。何時までも歌い継がれてゆくだろう。
 ちょっと脇道に逸れるが、音羽ゆりかご会と言うのが出てきた。児童合唱団なのだが、何とも素晴らしい。歌手の両脇に整列して、大きな口を開けてしっかり唱う。その輝きに唸ってしまった。こんな素晴らしい子供達が居るんだ。いやあ、八大さんの曲を歌うに相応しい命がここにあると思ったことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸前釣り師

2010年03月22日 | 
 テレビ放送が始まった頃、先代の三遊亭金馬を見て大笑いをした。小学三、四年だったと思う。なんというか仕草や顔付きが可笑しく、近所の遊び仲間の子供達と一緒に笑い転げた。話の内容は良く憶えていないが、なんだか蒸かし芋を食べて放り投げるような話だった。
 長じて金馬はやや異端とされ名人扱いしない世間の評価を知ったが、私は声顔に親しみが沸いてなんだか可笑しい金馬こそ、第一等の噺家だと思っている。明るく楽しい、これに如く落語はあるまい。
 その金馬が大の釣り好きで、「江戸前釣り師」という本を書いている。十五六の頃だったと思う。たぶん新聞広告を見て?、親に頼んで買って貰ったのだろう。少年釣り師だった私には実に面白く何度も読んだ。
 大切な愛読書だったのに、引っ越しを繰り返すうちなくしてしまった。もう十年近く、古本市の目録を見て出ていないか捜していたのだが、見当たらず諦めていた。
 先日そうだこの手があったと思い付き、ネットで捜したら直ぐヒットした。もっと早くネット検索を思い付けば良かったのに迂闊だった。購入できたのは文庫本で、小振りなのは物足りないが、懐かしい文章に感激している。
 何というか、金馬の人となりと生きた時代が渾然一体となった明朗闊達な文章で、世事歴史に関わる蘊蓄もあり味わい深い。面白さは記憶以上で銘菓を頂くようにゆっくり読み返している。開高健の釣り紀行も好きだが、金馬の文章はプロの作家に引けを取らない。
 二人の対談が残っていれば最高だが、おそらく開高健が釣りにのめり込んだ頃には金馬は居らず、出会いはなかったろう、残念だ。もし実現していれば深更まで酒杯を傾けての法螺の吹き合い、おそらく開高健が参ったと弟子知りしたのではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする