駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

愚図の大忙し

2010年03月07日 | 身辺記
 週末はあれをやらなきゃこれをしようと思っていても、結局だらーっとしているうちに時間が過ぎてしまう。車での買い物や片づけなど部屋の中のことだから雨なんて関係ないのに、雨が降っているからまた今度などと妙な言い訳がどんどん浮かんでくる。どうも親や教師の叱声、原稿や学会発表の締め切りというのは実に貴重な仕事促進力であった。今は誰も注意しないし、自分の中にも今更この年で慌てるこたあないさというメロディーが流れているので、重症の先送り病になってしまった。
 だったら悠然と構えて居ればよいのだが、どうしても週末が近くなるとあれがあったそれがあったと思い出してくる。さすがに今日は雨も上がり、なかなか言い訳も思いつかないので少しだけがらくた整理をしようかな。
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十万分の一に接して

2010年03月07日 | 世の中
 生活保護が180万人を越えたと報道されている。当院には毎月おおよそ二十人の生活保護の患者さんが来院するから、私はその10万分の一を診ていることになる。診察時、一切その話題には触れないから、なぜ生活保護なのか分からないが、正直五分の一くらいは身なり健康状態などから、何だか妙だと感じる。三分の一は何らかの精神的な問題を抱えている。残りがいわゆる生活苦なのかなあと推測されるが、正確なことはわからない。
 生活保護が増えた理由には不景気、複雑化する社会への不適合の増加、生活保護を受けることへの心理的閾値の低下などがあげられよう。
 生活保護者の増加をどう捉えどう対処するかは町医者の守備範囲を超えるが、週刊誌的に問題視される適応の適性度のことは理解できる。ただこの生活保護を受けながら云々という批判は一つ一つ丁寧に解きほぐさねば妥当な批判かどうかの判定は難しい。多くの生活保護者は広い意味で社会に受けいれられない結果なのだ。好きでそうしている人は殆ど居ないと思う。勿論、ふて腐れて全然可愛くない人も希には居るのだが。
 社会がこうした適合困難者にどのように対応してきたか、そうした研究はどの程度されているのだろう。町医者には物理化学医学の研究者と同じように社会科学の研究者はこうした課題に取り組んで何らかの成果を出すように求められていると思う、私が知らないだけかもしれないが。勿体ないの人がノーベル平和賞なのも意義があると思うが、もっと科学的な手立てをと感じてしまう。勿体ないから系統だった理論的な政治経済の方策が出てこないものかと思う。社会が受けいれるには精神心理的な要素もあるから、当然それをも含めた展開が求められる。
 生活保護制度運用への疑問があり、確かに何でという人が居るにしても、やはり困っている人に直面する現場では、無い物ねだりというか焦燥感からつい即効性の改善策をと望んでしまう。
 

コメント (2)
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