駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

癖になる十穀米

2008年11月19日 | 旨い物
 二年くらい前だったか、職員と昼飯を食べている時、事務のNさんのご飯が妙な色をしているのに気付いた。赤飯でもないし炊き込みご飯でもなさそうだ。「それ、何」。「五穀米ですよ。子供が好きなんで」。「へー」。
 いい年をして何でも真似をしてみたくなるので、次の週末スーパーで五穀米を探した。驚いたことに五穀十穀十五穀十七穀とか色々ある。どうも穀数が増えると微妙に値段が高くなるようだ。試しに五穀十穀を購入した。女房は取りあえず何でも亭主のやることに反対するので、密かに自分で炊いてみた。どうして自分で飯を炊いているのかなと、挙動不審を見咎めた妻は炊きあがると早速点検、「何、これ」。無知蒙米な女は養い難し、「それはな、五穀米といって」。と一通り教えてやる。
 何にでも直ぐかぶれるのだからと最初不味そうに食べていた妻も、今は三回に二回、十穀米を炊くようになった。「どうした」。「あなたが好きだから」。
 否、これは本当は妻も十穀米の旨さに目覚めたのだ。ちなみに十五穀米とか何を入れたか二十穀米などというのまであるが、十穀くらいが味もよく値段も手頃でお勧めだ。
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固有の誤差を知る

2008年11月19日 | 診療
 何かを測定したり予想する時には必ず誤差が生じる。ファイブナイン(99.999%)とか、ものすごい精度を誇っても、誤差なしとはゆかない。
 まあ臨床医学の世界では疾患によって異なるが、95%程度の確かさが妥当な線?で、これを99%まで高めるには患者さんの痛み(懐を含め)を伴う検査が必要になる。
 臨床医の大事な仕事の一つに予後(病気の経過と結末)を見極めることがある。数多くの末期の患者さん、癌や老衰、を診てきた。本当の終末になると家族にあと何日くらいの寿命かを告げなければならない。私はやや希望的に長めに告げる傾向があるようだ。あと一週間くらいと告げて、数日で亡くなるようなことがよくある。死期を予想するのは非常に難しいのだが、私は家族の希望に引っ張られるのかどうも長目に予想してしまう。傾向が分かっているのだから、修正ができそうだが、なかなか難しく今もある程度修正できた程度だ。
 これは人間に由来する偏りで、天体観測などでも観測者に固有の誤差の原因となる偏りがあることが知られている。機器そのものの持つ偏りもあり、銃の照準などもそれを考慮すると聞いている。
 自分の持つ偏りを知ることは臨床医には非常に大切なことで、何時総合病院へ送るか、どちらの薬を使うかなど、日々数多い判断を下す時、結論を出す前に一息入れて見直す手がかりの一つになる。そして、これは、大きな声では言いにくいのが、一人一人の医師が上手くいかなかった自らの経験から身に付けてゆくものだ。
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