駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

建築家の横顔

2008年11月21日 | 人生
 今までに医院を建て、次いで自宅を建てたので二人の建築家とのお付き合いがあった。工務店任せでなく、設計と施工は分けた方がさほど費用を上乗せすることなく良い物ができると聞いていたから、それを実行した。
 建築家を選ぶために十名くらいの建築家を訪問面接したので、延べ十数名の建築家と親しくお話をした。中には雑誌にしばしば登場したり著書もある有名な建築家も数名混じっていた。
 建築家の印象はほぼ予想通りだった。おおざっぱで陽気な居酒屋の親父のような感じの人はおらず、ほとんどがおしゃれでセンスがよく、几帳面で神経が細かい感じの人達だった。職人肌からやや芸術家っぽい感じまでの幅はあるが、いいかげんな感じの人はいない。当たり前のことだがフリーハンドで絵というか図を書くのが上手く物静かな感じで、よく話をしても大声でしゃべりまくって、がははとは笑わうようなことはない。どこかに物を作る人に特有のこだわりと矜持が垣間見える。 これが私の得た印象だ。医師で言えば眼科医にやや印象が似ている。限られた体験だからどの程度妥当かわからないが、当たらずとも遠からずだろう。
 どうしてこんなことを書いたかと言えば、中学生の頃短い期間であったが、建築家になりたいと思った時期があったからだ。人生は無数の選択肢に彩られている。しかし、大きな岐路は意外に少ない。多くの選択肢は選ばれていたり選ばされる枝で、自分の意志で選べる枝は昼飯を何にするかなどと枝葉末節がほとんどだ。
 普通の人には職業と配偶者が最大の岐路であろう。尤も後者は、選んだんだか、選ばされたんだか。
 ところで、建築家だが、今思えば、自分には才能もないし向いていないようだ。某大先生に怒られそうだが、ひょっとしたら建築評論家ならなれたかもしれないが。
 最後に、誰にでも恵まれることではないが、家を建てる楽しみは、条件制約があっても、深く大きいことをお伝えしておこう。
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社会常識に欠けているのは

2008年11月21日 | 世の中
 昨日少し飲んだせいか、今朝は5時頃目が覚めた。ちょっと早いが起きてしまうことにした。
 清少納言は春は曙としたが、晩秋の曙も趣がある。曙と言ってもまだ暗く、近く遠くの山々の稜線が青黒い空を背景にうっすら、しかしくっきり見えるだけだ。やがて朱鷺色の曙光が差してくるだろう。
 身上をつぶしては困るが朝風呂に入る。朝酒朝寝はないので大丈夫だろう。
 朝刊を開くと、麻生首相が又妙なことを言っている。社会的常識に欠けた医者が多いだと。心にないことは言葉にならない。本音が出たな。
 社会的常識のない人がどこの世界にも多少居るのは、誰もが知っている。しかし、この発言はそういう意味で言われたのではない。
 たとえ、夜な夜な通っていた高級バーでの放言にしても、単なる悪口では品格を疑われる。たかだか二ヶ月で、もう相応しくないことが判明してきた。
 この未曾有の危機に、泰然自若として松明を掲げ、道を切り開ける人ではないな。六甲降ろしや伊吹降ろしに続いて、いや先駆けて麻生降ろしが吹きそうだ。
コメント (2)
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