駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

冬到来の予兆

2008年11月12日 | 自然
 鉛色の雲がやってきた。きっと歓迎されない方が多いだろう。まして問答無用にどっさりと雪が舞い降りてきたのでは。ところが、私はさほどでもない。家の中さえ暖かければ、きっぱりとした冬が嫌いではないのだ。
 たぶん、首筋をすり抜ける寒風が思い出させる若い日々が懐かしいせいだろう。ヒューと鳴る木枯らしに舞い上がる落ち葉を横目に、鉛色の空の下襟を立てて足早に帰り着く四畳半の下宿には、可愛い子など影も形もなく、代わりにわけのわからん鬱積や妄想が渦を巻いていた。そいつらを無理矢理万年床に押し込め、念仏を唱えるように勉強したものだ。飽きれば、たいした用もないのに寒空の下、何キロも歩いて、友人の下宿を訪ね、ブーフーウーとまたまたわけのわからんおだを上げるのが常だった。年中そんな生活をしていたはずなのだが、なぜか思い出の中では寒い季節、冬なのだ。
 私には愚かしくも懐かしい青春時代が冬に結びついている。そういえば愚かしくも悲しい恋も冬だった、ニャロメ。
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社会科学の可能性

2008年11月12日 | 世の中
 能力を超えた大層な表題を付けてしまった。私には社会科学を論ずる資格も能力もないが、田母神発言に対する各方面からの発言に動物学的精神医学的な分析が不足していると思い、誰かがそうしたアプローチをしてくれないかと、こんな表題を付けた。
 田母神発言の内容を吟味する十分な知識はないが、こういう発言をする人達を数多く見てきたので、発言の背景や動機は類推できる。田母神的思考は軍隊(自衛隊は軍隊でないという外見にまつわる見解はさておき)の統率者に不可分と思われるほど認められる傾向だ。軍隊とまでも行かなくても、命令に依って動く組織には、場合によってはもっと緩い同好の士の組織でさえ、自分たちの正当性や無謬性を醸し担う人が出てくる。これは生物の性質というか旧皮質に潜むメカニズム?で、飛躍するようだが猿山のボスからそう遠い話ではないような気がする(正確なことは知らないのでボス猿から濡れ衣といわれるかもしれないが)。であれば、もう少し科学的精神医学的な評価意味づけが必要だと思う。そうした分析は評論家的と非難され実効は少ないかもしれないが、広い視野を与え、思考停止を避ける効用があると思う。
 似たような事例に領土権争いがある。これは迂闊なことを言えば非国民と言われ、下手な外交交渉をすれば人の命が失われる戦争になりなりかねない問題であるが、先住権など歴史をどんどん過去にさかのぼればゾウリムシからついにアメーバまで辿り着けるので、問題は事実よりも拡大志向や所有権意識にあると思う。
 そうした精神脳科学的なアプローチを社会学に持ち込むのは社会科学とは言わないのかな。
コメント (2)
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