駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

大阪の街で

2008年11月03日 | 
 昨日は元職員の結婚式に呼ばれ大阪に行ってきた。どうも最近流行の実績先行型の様子であったが、親御さんが眼を赤く腫らした顔を綻ばせ、これからもどうぞ宜しくと頭を下げられれば、自然心から末永い幸を願う気持ちになる。一人息子に嫁ぐことは大変なことと思う。でも彼女は芯がしっかりして心優しいから、きっと上手く行くだろう。
 時間が少しあったので大阪城を見た。何度見ても石垣の偉容に打たれる。何でこの城が落城するのか、とても理解できない。詳しい歴史をつまびらかにしないが、城でなく人が敗れたのは間違いないと思う。
 石垣を巡る道で行き交う人々は全くの普段着で庶民そのもの、大阪なのだ。
 13ゲーム差がひっくり返るのは巨人の偉業ではない、阪神の異常だ。何百年の時を超えて落城と逆転の二つを結びつけ大阪の問題などと言えば、橋下知事や府民の罵声が飛んでくるかな。もう既に大阪府政では罵声と怒号が飛び交っていると聞く。しかも一方は教師だと言うからあきれてしまう。
 ノックを知事に選び、メインストリートで二列三列の違反駐車が常態。よけいなお世話と怒鳴られそうだが、深いところで繋がっているような気がした。
 阪神デパ地下、イカ焼きをご存じか。こんな不思議に旨い物を考え出す知恵や振り込め詐欺に騙されない知恵があんのやから、どないかなると思うんやけど。
 通りすがりの浅薄な感想かな。
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判官贔屓考

2008年11月03日 | 世の中
 日本人は判官贔屓と言われるが、それは観客としてのことで、自分に関わることではやはり寄らば大樹の陰や強きを助け弱きをくじく人が多い。それが当たり前だろうと態度に出る方も多く、業界の会合では強くそれを感じる。
 再診料などもう少し安くても良いのではなどと発言すれば殺気を感じ、以後発言者の役職就任を裏で阻止しようとする人達が出てくる。幸いというか、公の場では、収益優先の発言は影を潜めるので、中庸というか妥協というか、間の線が出てくる。
 判官贔屓がどの程度妥当な物言いか分からないが、日本人が同情能や感傷性に恵まれ、思いを託す収束を好むために言われるようになった気がする。
 思い出すのは元国連難民高等弁務官緒方貞子さんの言われたことだ。日本人は可哀相な人達を見て直ぐ涙を流すのよ。でも、それだけで手が出ないのね。泣いていないで手を動かしなさいと引っぱたいてやりたくなるわ。
 自分は安全な堤防に座り、中州で流されそうな人達を涙を流して見ているのでは物事は改善も解決もしない。贔屓の真骨頂はそうではなくて、あらゆる手立てで助けようと走り回ることにあるはずだ。きっと大分トリニータにはそうした骨頂の判官贔屓が多いに違いない。
 鉄面皮と言われても、手を出す人が物事を動かしてゆく。
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