駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

人生を分ける二断

2016年01月29日 | 町医者診言

             

 天気予報がよく当たるようになった。五十代以上の方は同意されるであろう。昔は昨日作った弁当を食べる時、二回気象庁と唱えれば当たらないとからかわれたものだった。今日は雨の中を歩いてきた。幸い寒さは和らぎ、冷たいと言っても耐えがたいものではなかった。

 人生がどうなるかは人知の及ぶところではないが、正直誰しもあの時ああしていればとがいうことが少なくとも二つ三つ、多い人は七つ八つあるだろう。二十も三十もある人は優柔不断というか神経質と思われる。俺は一つも無いという人は自信過剰というか神経鈍麻というか、あまりお友達にはなりたくない人だ。

 甘利元大臣も、まさかこんな事になるとはと今から振り返っているだろう。当然その時はさほど深く考えもせず、自然に手を出したのだろう。今から振り返れば、人生を左右する迂闊な行為だった事になる。

 反知性主義というのがある。その意味は字面とはちょっと違うようであるが、知性に関連づけて言えば、優れた知性が優れた判断決断に至るとは限らないところが、人生の難しさであり、反知性主義が出てくる所以でもあろう。

 とにかく判断と決断が人生を分ける二断となることは間違いないと思う。勿論、こうした主体的というか己の考えとは別に人生の綾というのもあり、意図しない気付かない思わぬ運命の糸というものもあるだろう。まあしかし、誰しも還暦で振り返れば、判断して決断して渡ってきた橋や飛び越えてきた断崖が幾つかあるはずだ。

 記者なら誰でも思いつく形容を使えば、あまりと言えばあんまりの迂闊な判断で決断した甘利氏はさぞかし臍を噛んでいるだろう。

コメント (2)
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