駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

三つ子の魂を見出し育む

2013年08月30日 | 町医者診言

                       

 小学校四年のことだったか、夏休み理科の観察日記の講評でK先生はS(私)に字が多いなあ、今は亡きT君に絵ばかりで字が少ないなあ、お前たちは混ぜるとちょうどいい、という不思議な評価を下さった。

 何のことはない、三つ子の魂いつまでもというわけで、私は字を書く習性を持っていたらしい。先日医者ばかりの慰労会で、ブログの話が出て、私もやっていたやっているという仲間が三人ばかりいたのだが、みんな文章を書くのが面倒で止めてしまった、今は文章は面倒なので写真を時々載せるだけになったと、尻すぼみのようだった。

 人間というのは自分ができることは大して難しくないと思うものらしく、私は字を連ねることなど朝飯後の三十分で出来るのにと思っていたがそうでもないらしい。結局、面倒に感じないことは続けられるし取りかかり易いということだろう。

 私は音痴で希に無理やり連れて行かされたカラオケでは逃げ回っているが、何曲も歌いマイクを離さない人も居るので、誠に人さまざまだなあと思う。尤も、離さないM氏、音痴の私にはさほど上手には聞こえない。さてとおもむろにマイクを取り上げて歌うH氏は確かに上手い。

 さて、そのさまざまな習性や才能の萌芽は幼い時に芽生えている。優れた小学校の教諭はそれを見出して伸ばす力と楽しみを持っていたのだと、懐かしいI先生を思い出す。I先生が居らっしゃらなければ私は変りものと退けられて、勉強嫌いになっていたことだろう。

 話が飛躍するようだが、そうした優れた教諭がどれほど残っているだろう。教育の基本は小学校にある、子供は磨けば光る宝、優れた小学校の先生も宝物と申し上げたい。

コメント
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