彫刻家・中村晋也は歴史上の人物の全身像を得意としている。今回出展の「俊才・高見弥一」は私が初めて知る名だった。高見弥一は幕末の志士で高知の出身である。土佐藩の吉田東洋を暗殺した三人の刺客のうちの一人で、脱藩後に薩摩藩士奈良原繁の養子となり薩摩藩に属するようになる。そして薩摩藩遣英使節団の15人の留学生の一人に抜擢される。五代友厚ら3人の視察係と通訳1人の計19人で1865年に鎖国の禁を犯して串木野の港から渡英した。
鹿児島市の依頼で、中村は56歳のとき「若き薩摩の群像」を鹿児島中央駅前の広場に建立している。これは日本の開花期に大きな役割を果たした薩摩藩英国留学生を主題にした彫刻である。ところが19人のうちなぜか高見弥一と堀孝之の2人は除外されて群像は17人だけだった。留学生の高見弥一は高知、通訳の堀孝之は長崎出身というのがその理由だった。(気になる彫像)
長い年月を経て、中村94歳の2020年に「若き薩摩の群像」に堀孝之と高見弥一の2人の像を加えて使節団19人が揃うことになる。除幕式に2人の子孫も招かれ、「やっと仲間に入れてもらい感無量」などと喜びを語ったという。今回日展会場で観た、ステッキを手に立つ「俊才・高見弥一」に始まりいろいろ知ることができた。
制作済みであるはずの堀孝之像を、ネットで捜すとすぐに見つかった。椅子に腰掛けたその像には「架け橋の人・堀孝之」と名づけられていた。なるほど堀孝之は通訳だったことから架け橋というわけだ。中村晋也は三重県亀山市の生まれで23歳のとき鹿児島大学の講師に赴任している。鹿児島市と亀山市の名誉市民である。
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