玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*大久保利通像

2022年07月04日 | 捨て猫の独り言

 6月に郷里の新聞のサイトを覗いていたとき、『「大久保利通像の謎」一緒に殺された「車夫と馬」はどこに?』という記事を目にした。像は没後100年にあたり甲突川河畔に建てられたもので、鹿児島市の彫刻家中村晋也氏(95)の53歳のときの作品である。観光案内のサイトで紹介されているが見つからないという声が寄せられ、記者が出向くと小さな像が見えにくい場所にたしかに置かれていた。

 製作者はその理由をつぎのように語った。「制作前に大久保の墓のある東京都の青山霊園を訪れたとき、ひときわ大きな墓の隣に中村太郎と馬の墓を見つけた。どうしても太郎と馬を弔ってあげたかった大久保家の心意気に感銘を受けた。製作依頼は大久保像のみだったが、足元に高さ20センチほどの像を加えた」私はたびたび青山霊園に訪れたことがあるが、うかつにも太郎と馬の墓に気づかなかった。つぎの機会に確かめようと思う。

 

 中村晋也氏は今でも日展に出品されているほどお元気で鹿児島彫刻界の大御所である。私は日展を見学することで中村氏の存在を知った。56歳で鹿児島中央駅広場の「若き薩摩の群像」62歳で伊集院駅広場の「島津義弘公像」制作などのことは今回しかと認識した。実は私が青山霊園を訪れるのはいつも日展見学とセットである。国立近代美術館と青山霊園は目と鼻の先だ。いろいろなことが私の中でおもしろいように繋がってきた感がある。

 つぎの帰郷のおりには、鹿児島中央駅に近くにある、甲突川河畔の大久保像を訪ねることにした。像の台座は高く、かじりつくように背伸びしないと太郎と馬の像に触れることができないかもしれない。鹿児島市民でもその存在を知る人は少ないだろう。だいぶ前に仲間うちで大久保像の話題がでたのは、この小さな像のことだったのかと今にして思う。その時は彫刻家中村晋也の名も知らず、紀尾井坂の暗殺事件のことも詳しいことは知らなかった。

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