玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*小説・車輪の下で

2022年07月07日 | 捨て猫の独り言

 課題図書を読まずに感想文を書いたことがある。正確に言うと、他人の感想文を書き写したことがある。体育館のない学校でバスケットの練習に明け暮れていた中学時代のことだ。夏休みに国語の宿題があり、ヘッセの「車輪の下」を選んで提出した。出版されていた優秀作品を換骨奪胎して提出したのだ。呼び出されて注意を受けることもなく経過して、数多くの私の悪業の一つとして今でもこの身に残り続けている。(ナラ枯れの木を撤去)

 

 「車輪の下」を読むのは罪滅ぼしの意味があり、大げさに言うならば私の人生の宿題でもあった。これまでに多くの翻訳本が出ているが、たまたま松永美穂訳の「車輪の下で」を読んだ。訳者あとがきには「いまだにこの本が共感を呼んでいるのは教育の在り方が普遍的に問われているからだろう」と書かれている。私の主な読後感は、人は幼年期から少年期にかけて自然環境からどれだけ大きな恩恵を受けるかということだった。

 自伝的小説といわれている「車輪の下で」が出たのはヘッセ25歳のときだ。第2章ではドイツ南西部にあるシュバーベン地方の風景が生き生きと描かれる。ヘッセは少年期の故郷を思い浮かべ、懐かしみながら書いたのだろう。各地から選抜され期待されて進学した神学校での寄宿舎生活が始まる。主人公のハンスは学業不振で退学し、機械工として人生をやり直そうという矢先に川に流されて死ぬ。

 幼くして詩人であり洗練された知性の持ち主である友人のハイルナーは脱走騒ぎで退学処分となる。この情熱的な少年はやがて英雄とは言わないまでも率直で立派な男のなったと簡単に記されているだけだ。私はハンスとハイルナーはそれぞれヘッセの分身のように思えた。ヘッセのハンスとハイルナーの二人の少年の細やかな心理描写は秀逸である。ハイルナーの死は「少年のまま生きたい」というせつないヘッセの願望だったのではないだろうか。

コメント
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