4月に都内で養老孟司の90分の講演を聞いた。どこかで宮崎駿が「養老さんの最大の特長は眼です。あれは好きなことしかしてない人の眼の光だと思います」と語っていた。子供たちにお爺ちゃんなのに虫を捕るんですかと聞かれて「違う、違う。虫を取ってたらいつの間にか、おじいちゃんになってたんですよ」と答える。「バカの壁」の印税で虫の標本を収納できる博物館を神奈川県内に作るという。ゾウムシの収集家でもある。
講演ではスーツ姿でリラックスして、にこやかに話していた。東大構内を歩いていたら、まだ生きてたんですかと声かけられたと話し始めた。右手でマーカーをお手玉しながら歩き回る。時に左手をポケットに入れながら、時に演壇の前に出てそれに左の肘を載せ、足を交差させながら話す。感覚ということで白板に黒のマーカーで白と書く。人は5歳ごろから相手の立場を思いやる心が出てくると話す。概念とは「どこの誰かは知らないが、だれでもみんなが知っている」と歌うように繰り返す。(写真はマレーシアにて)
唯脳論とは「脳という構造が心という機能と対応している。すべての人工物の仕組みは脳の仕組みを投影したものである。人は己の意のままにならぬ自然から解放されるために人工物で世界を覆おうとする」とネットの解説があった。池田晶子は2003年に「14歳からの哲学」を出し、翌年に池田と養老は対談している。さらにその翌年に養老には、とじこみ特別付録ながら「13歳からのバカの壁」というのがある。
池田は自著で「唯脳論は唯心論を唯物的に語るための方法である。心が先なのでも物質が先なのでもない。脳ということでお話を始めれば、それはどちらの側からも語られ得るということ示す方法である。あれは唯脳法である」と書いていた。対談では人文系と自然科学系の違いで、かみ合わないところもあった。その中で池田は「言葉は人間の発明ではない」と言い切っていたが、これは私の理解を超える。養老の「言葉が人と人の間におかれて動かないものものだという感覚は、いまの人はほとんど教えられていない」は多少は分かる気がした。
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