満月の光だけで撮影する「月光写真家」の個展が調布の市民文化会館で開催中だという。気にかかりながらいよいよ最終日を迎えやっと腰をあげた。自転車で武蔵境通りを南に駈け下り70分で会場にたどり着く。月に一度である満月の想像以上の明るさを私たちの世代は知っている。写真家石川賢治さんも66歳である。マヤ遺跡や赤いマグマが流れ出すハワイ島などの写真が展示されていた。満月の光が照らす神秘的なブルーの世界である。会場の片隅では屋久島での夜間撮影の様子などを紹介するDVDが上映されていた。
武蔵境通りは中央線の武蔵境駅から南の多摩川へ向かってゆるやかに下る道路である。我が国にしてはめずらしくこの通りは途切れることなくサイクリング道が整備されている。帰りはこの通りを少し登ることになるが、登り切った辺りに深大寺がある。湧水が豊富な地形であることが合点できる。深大寺前は蕎麦屋が立ち並び日曜日とあって大勢いの人出でにぎわっていた。一軒だけ花屋があり、この時期ならではの各種のアジサイの鉢が並べられている。ダンスパーティと名付けられた見慣れないアジサイもある。盛りを過ぎた梅花ウツギの小鉢は3割引きである。深大寺の隣には都立では最大の神代植物園がある。
つぎは新聞のコラムからの引用である。「日本は四季の国ではない。梅雨という雨期のある五季の国であると、俳人の宇多喜代子さんがかつて小紙に寄せていた。たしかに、入梅から明けるまで東京の平均は43日にわたる。嫌われがちな季節だけに存在感がある」 「お天気博士の倉嶋厚さんが、人間は大気の海の底に住む海底動物だと書いていた。なるほどと思う。大気の織りなす営みが、ときに五風十雨となり、ときに暴風雨などの禍となって、底に暮らす人の頭上に下りてくる」
つぎは河野裕子さんの「NHK短歌うたの歳時記」からの引用である。「梅雨の初め頃に吹く風を黒南風(くろはえ)、中頃に吹く風を荒南風(あらはえ)、梅雨あけのころに吹く風を白南風(しらはえ)という」 <白南風の光葉(てりは)の野薔薇過ぎにけりかはづのこゑも田にしめりつつ>北原白秋 「上の句の 『の』 でつないでゆくリズムがとてもいい。白南風の光葉の野薔薇 ときれいな名詞を並べて色彩感や光を感じさせながら景を見せてゆく手際もなかなかのものである」 「梅雨のころに咲く花はなぜか白い花が多い。くちなし、どくだみ、泰山木、卯の花、野ばら、白つめ草など。けれども梅雨といえば紫陽花につきるだろう」 <白あぢさゐ雨にほのかに明るみて時間(とき)の流れの小さき淵見ゆ>栗木京子 「白あじさいは私の家の庭にもあるのでこの歌の趣はよくわかる。白あじさいだからこそ ほのかに明るみて が生きる」