玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*3泊4日

2007年11月13日 | 捨て猫の独り言

 おさなごが発語をし始めた。右手の人さし指で指しながら言葉にならない言葉をかなりの速さで発語し続けることがある。発語しているのだがこちらはその意味を汲み取ることはできない。その真剣さが笑みを誘う。私は笑いながらもどこかでヒトの能力に感動している。

 おさなごが眠りに落ちる前にむずがるのはなぜだろう。眠りから覚めることがないのが死であると解釈するのは魅力的だ。私も床についた後でまどろみの中を何かにもがいたという経験が一度や二度はある。眠りとは再生の儀式であると同時に死の疑似体験であるとも考えられる。

 以前は週末にわが子と一緒に寝泊りしていた母親が第二子の出産を来年一月に控えて子供を預けて自分は帰宅することが多くなった。ジジババがそれを望んでいると勝手に解釈しているようだ。この週末はその若夫婦の一泊旅行ということでおさなごが我が家に3泊することになった。夜はジジババと3人で川の字になって寝る。終戦直後の幼児体験や自分の子育て体験がよみがえる。一つの部屋に大勢で寝ていたものだ。決まって深夜2時頃に泣き出す。最初は抱き上げていたがこれが逆効果だったようだ。泣くに任せたら短時間で泣き止むことが解った。半睡半覚のこの夜泣きは眠りに落ちる前のあの恐怖を無意識のうちに再体験しているのだろうか。夜泣きなどのために核家族の中で母親が育児ノイローゼになるのも理解できる。

 子守は疲れることも多いが言葉を覚え始めたこの時期のおさなごに興味はつきない。女性の方がしつけに厳しい。叱ると相手の顔色を素早く察知して泣き出すことがある。その時に 「ゴメンナサイ」 の言葉を催促する。激しく泣きながらたどたどしく 「ゴメン…」 と言う。こちらはその姿にたまらなく切なくなり思わず抱きしめる。おさなごにすぐ笑顔が戻る。急展開の連続である。もちろんゴメンナサイと確実に言えるようになったわけではない。

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